二二〇四年の師走を迎え、ヨコスカシティを包む大気はすっか冷え込みを見せていた。
 もっとも冬が訪れたとは言え、近年の都市部は区画単位で巨大なドームに覆われており、その内部は空調によって季節感を失わない程度の温度に設定されているから、出歩く人々も重度の重ね着を必要としない。
 当然ながら連合宇宙軍本部のある港湾区画もドーム内に存在しているから、ネルガル所有の連絡機――擬装によって傍目にはそれと判らない――から降り立ったアカツキとプロスも、コートを着用する必要はなかった。
 むしろ、本格的な暖房が入れられている本部ビル内を足早で進むアカツキ達にとっては、多少の暑さを覚える程だった。
 程なくして面識のある士官が、彼等を出迎えた。
「ご足労頂き申し訳ございませんアカツキ会長」
「あ〜、今更堅苦しい挨拶はいいって。アオイ君」
 かしこまった敬礼をして迎えたジュンに、アカツキの方は実に気安い返事をして寄越した。
「そうですか……では、アカツキさん。ミスマル提督がお待ちになっており……じゃない、なってますんでどうぞ」
 生真面目さが抜けきれない自分がおかしいのか、ジュンは苦笑しながらアカツキとプロスに先立ち歩き始めた。
 しばし旧知の友として、互いのプライベートな近況を話しつつ歩く事数十秒、ユキナ懐妊の話題へと差し掛かかったところで彼等は目的地へと達した。
「アカツキ会長をお連れしました」
 苦手な話題を回避できた事に安堵したジュンが、ノックと共にやや大げさな口調で室内へ向けて到着を告げた。
 その扉には、連合宇宙軍総司令官であるコウイチロウのオフィスである事を示すプレートが取り付けられている。
 入りたまえ――簡素な返事が直ぐに応じ、三人は順に入室した。
「会長自ら出向いてもらって済まなかった。ああ、アオイ中佐もご苦労」
 それなりの広さを持つオフィスだが、コウイチロウは自らアカツキ達を出迎えるべく入り口までやって来た。
「いえいえ。僕が此処に来る程度の苦労は気になさらないで結構ですよ。それよりも……」
 アカツキは彼にしては幾分か珍しい事に、真剣な表情を崩す事なく、通されたオフィスの中を見回し――
「もう全員集まってるんですよね? それでは早く本題に入りましょう」
 ――と言うが早いか、手前の空いている席へと腰を降ろした。
 お共のプロスは、席に座らずにアカツキの斜め後に直立したまま黙している。
 応接室にはコウイチロウの他に秋山提督と、現場復帰を果たしたムネタケ参謀、第三艦隊のアララギに、あとは恐らく同艦隊に属すると思われる戦隊指令や参謀らしき士官が数人居るだけだ。
 ジュンも含めて、連合宇宙軍の中でコウイチロウの派閥に属する――と言うよりも、私兵とも言える唯一の直下兵力の士官が集合している事になる。








機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#43〜








 連合宇宙軍は、言うまでもなく地球連合政府における国軍である。
 そしてミスマル・コウイチロウこそは、現場における最高責任者であり、当然ながらその権力は絶大的な物のはずだった。
 しかし、先の大戦で緒戦に受けた手痛い敗北の責任により、戦後発足した統合軍に国軍としての地位を奪われるという、軍組織としてはこれ以上ない程の屈辱を受けており、統合軍を吸収合併して返り咲いた現在においてさえも、グレイゾンシステムによって再びその地位を追われようとしている経緯が、連合宇宙軍という組織が実に危うい立場にある事を証明している。
 故にそのトップに立つコウイチロウの支配力が盤石であるはずもなく、彼の意志とは裏腹に連合宇宙軍内部は、派閥闘争や政府や巨大企業等の外部勢力による工作によって、団結力に乏しい状態にある。
 無論、軍指揮系統のトップに立つコウイチロウの命令は「発せられれば」絶対の物となるが、やはり派閥間の軋轢や、彼等が本部に送り込んでくる参謀や幕僚によるあからさまな嫌がらせ、政府による拒否案やら修正案やらが立ちふさがり、彼の意志がそのまま命令へと反映される事はまずあり得ない。
 最終的な決定権を持つコウイチロウが立案した計画であっても、多数の反対意見が出れば、それを押し通す事など出来はしない。
 軍隊においても民主主義の概念は存在するのだ。
 人間らしいと言えばまこと人間らしいが、腹芸や策謀で互いに脚を引っ張り合う軍議による命令の発令は、言うまでもなく効率が悪い。
 平時ならまだしも、一刻を争う非常事態においては、国の存亡の危機にすら発展しかねない。
 そして今は平時ではない。
 未だ戦争は始まっていない――世間ではそう思われていたとしても、コウイチロウにはそうは思えなかった。
 霞の様につかみ所の無い状態であるが、確実に何かが進行しており、それが大きな厄を招く気配を感じている。
 ならばそれに応じた対策を練らなければならない。
 危機管理とは何かが起きてから対処する事ではなく、事態を想定し、その対処を事前に用意する事であり、そしてそれこそが、国を守る国軍のトップに求められる仕事であり義務なのだ。
 しかしコウイチロウがその義務を果たす為に行動を起こしたいと思っても、腐りきった軍内部の体制がそれを邪魔する事は明白だ。
 非常事態となりつつある現状において、いつもの三文芝居に付き合う時間は無い。
 それが本日、信頼の置ける部下と協力者だけを集め理由だった。

「では早速だが……ムネタケ君」
 集まった面子を見回してから、コウイチロウは重たそうな口振りで脇に控えていた参謀へ促す。
「はい。みなさんに集まって頂いたのは他でもありません――」
 ムネタケは年齢を感じさせない姿勢で起立すると、手にした資料を目にしながら、彼らしい幾分自虐的なユーモアを含んだ口調で情況を話し始めた。
 彼の話をまとめるならばこうだ――
 まず地球連合政府の意志は開戦でほぼ一本化されており、いざ開戦となった暁には、GS艦隊を積極投入し、連合宇宙軍は予備兵力とされる。
 開戦の大義名分は、先のラフレシア襲撃事件を、火星工作員による爆破事故として処理、宣伝する事によって補うと決定された。
 現在火星を包囲している遣火艦隊――連合宇宙軍第四艦隊の残りについては、開戦前に一斉に地球へと帰還させる。
 これは遣火艦隊の志気が低い事と、GS艦隊の能力を考慮した上で、無用な損害を出す必要は無いと判断された為だが、政府がこれを機に軍の規模と発言権の縮小を狙ったものでもあるだろうと付け加えた。
 無論これらGS艦隊偏重の決定には、クリムゾンの後押しを受けている反GS勢力や、軍縮に懸念を抱いている軍の大半が、真っ向から反対する事が予想されるが、十二月七日に挙行する観艦式を、彼等反GS勢力の切り札、グロアールの就役に併せたのは、彼等の不満を少しでも緩和する腹積もりらしい。
 その観艦式には、既に戻っている第四艦隊の一部を含めた連合宇宙軍のほぼ全艦艇と、地球圏に残るGS艦隊の双方が立ち並ぶ事になるが、恐らくその席上で政府首脳による宣戦布告か、それに類する何らかの表明があると予想される。
 それから――これはネルガルからの情報だが――政府によって古代火星文明遺産が隠匿されている極秘ジオフロントがシベリアに存在し、その内部工廠において現在無人兵器が大量に製造されており、それらは恐らくGS艦隊に配備されて運用されると思われる。
 一応、開戦準備と並行して火星との和平工作も行われているが、双方ともに譲らず話は平行線を辿り進展は無い。
 そもそもラフレシア襲撃事件は現在に至るも真相は不明であり、地球が宣伝する通り火星による工作活動であるとは言い難いだろう――と、ムネタケは私感を添えた。
 地球側の行動に対して、火星では発足間もない国軍が大規模な演習を実施し、開戦に反対した市民運動家や木連自警団のメンバー等が逮捕、軟禁されたという。
 結論付けるまでもなく、開戦に賛同できない者達にとって状況は最悪だった。
 ムネタケの語った全てが、戦争へ向けて突き進んでいる情勢を伝えており、その場に言わせた面々の表情を渋らせた。
 一通りに情況説明が終わったところで、重たくなった場を眺めながらムネタケは席に付いた。
「……という次第だ。私個人としては無駄な戦争は回避したいのだが、現状では残念ながらできそうにない。仮に連合宇宙軍が独力で徹底反対したとしても、政府はGS艦隊だけでも踏み切るはずだ。つまり我々が戦争反対を高らかに叫んだところで開戦を回避させる事は不可能という事だ」
 守るべき対象に必要とされていない軍隊のトップという微妙な立場を考え、コウイチロウは深く溜息を付いた。
「ならクーデターでも起こしますか? 草壁みたいに」
 ある参謀が笑いながら言い放った。
 冗談だろうが笑えない類の物だった。
 コウイチロウは視線で冗談を口にした参謀を視線でたしなめ、続きを話し始めた。
「故に我々が出来る事は、開戦の大義名分となるラフレシア事件の真相を暴く事になるわけだが、その調査の一環としてネルガルの協力の下、ナデシコBに調査目的で木星へと飛んで貰ったのだが……」
「どうかされたのですか?」
 話の途中で言い淀んだコウイチロウに、ジュンが思わず尋ねた。
「うむ……予定日を過ぎても未だ通信を寄越してこない。無線封鎖で進んでいた為、向こうから連絡を寄越さない限り現在地も特定できない。残念だが完全に遭難状態だ」
「なっ!? そんな!」
 ジュンが思わず驚きの声を上げた。
 隣に座っていたアララギやその他の司令達も声こそ上げなかったが、一様に愕然とした表情を浮かべた。
 彼等にとって不変不滅のアイドルである「電子の妖精」の安否は重要な気がかりであったが、調査に向かった木星に何かがあるのでは? と言う漠然とした不安もあった。
 ジュンを含めて殆どの者は漠然とした不安を感じただけだったが、コウイチロウとムネタケ、そしてアカツキとブロスの四人だけは確信に近い不安に直面していた。
 そしてそれこそが、この会合を設けさせた理由であり、それは通信越しではなく、グローバルネットからは切り離された、センサーの類が一切存在しない室内において直接顔を付き合わせて行わなければならなかった。
「さて、アカツキ会長……ナデシコBが帰還しない理由に心当たりは?」
 コウイチロウが緊張を含めた声色で尋ねた。
「うーん……ナデシコBには可能な限りの装備を与え、信頼できる社員を配置しているし、ルリ君の能力をも考慮に入れれば大抵の障害は問題にならないはずですから……」
「では、事故でしょうか? 例えば機関のトラブルとか」
「いや、それは無いんじゃないかなぁ」
 アララギが控えめな口調で可能性を口にしたが、アカツキは直ぐにそれを否定した。
 自社の製品だからって訳じゃないけど、故障等の可能性は著しく低いだろう――という言葉は、彼の口調とは裏腹に重みがある。
 なにしろ初代ナデシコは、何の支援も無い単艦で戦闘空域を突破しつつ火星まで辿り着き、また帰還を果たしたという実績がある。
 そして初代における運用データを最大限活用して建艦されたナデシコBは、言うまでもなく初代より優れた構造をしている。
 それに何より――機密事項であり皆は知らないが――ナデシコBは昨年木星よりも遠い土星軌道までの単独航海を成功させている。
 事故の可能性はゼロでないにせよ、アカツキの言葉通り低い事は確かだった。
「となれば……」
 ジュンの声は限りなく重かった。
 事故の可能性が低く、ナデシコBとルリの能力が高ければ高いほど、彼等が連絡を絶った原因は根が深い事になるのだから、初代ナデシコの副長を務めた男にとって、気が滅入るのは当然だ。
「やはり木星圏には未だに稼働しているプラントがあり、それなりの勢力が存在しているという事でしょうか?」
「単純に無人兵器が存在しているだけなら、ルリ君とナデシコBの能力で対処は可能けど、それが出来ていないのであれば可能性は限られるって事さ」
 自分の出した結論に、アカツキは表情こそ変えなかったものの、内心では大いに悔やんでいた。
「結局、ナデシコBは威力偵察を行った事になるわけだ」
 コウイチロウが言った。
 アカツキの心境を察しているのか、その口調には微かな同情が含まれている。
 威力偵察――自らを晒し、反応を受けて敵の規模を見極める行為だ。
 つまり木星圏には、ルリとナデシコBの組み合わせをしても容易成らない戦力を有している勢力が存在している事になる。
 ナデシコBは、連絡を絶ったという結果を持って、情報を伝えたのだった。
「敵は誰でありましょうか?」
 誰かがもっともらしい疑問を口にすると、室内に居た者達が議論を始めた。
「火星の後継者残党軍か?」
「いや、それはないだろう。草壁元中将が亡くなり、南雲の反撃が空振りに終わった今、彼等は組織としての力を完全に失っている」
「木連出身の者として言わせてもらうならば、そもそも木星のプラントが動いている事すら怪しいのだが」
「それはどうか? 実際、火星はプラントを所持していると公式に発表しているし、先のムネタケ参謀の説明では地球側ですら秘密裏にプラントを所持していたと言うではありませんか。地球でも火星でもない第三勢力が所持していても、あまり驚きには値しないと思います」
 第三勢力という表現に、コウイチロウの眉が微かに動き、その視線がアカツキへと向く。
 過去いかなる逆境においても減らず口を絶やさず面を上げていた男が俯いている。
 周囲の議論も彼の耳には届いていない様に思えた。 
 そんなアカツキの態度を見て、コウイチロウは確信した。
 やはりそうなのか――コウイチロウは唯一思い当たる第三勢力を思い浮かべ、そしてそれが事実であった場合に陥るであろう現実にショックを受け、思わず天を仰いだ。
 あまりにも絶望的過ぎたからだ。
 だがそれも一瞬の事で、コウイチロウは再び今後起こりうる災厄に思いを巡らせた。
 しかし幾ら頭でシミュレートをしても、自力ではどうする事も出来ない事実に至った。
 こめかみを指で押さえつつ深く息を吐き精神を落ち着かせてから、コウイチロウは口を開いた。
「皆、少し黙ってくれ」
 コウイチロウの言葉に、全員が議論を中断し彼に意識を向けた。
「ここに居る全員が、そもそものきっかけである火星の木連保護区に対するグレイゾンシステムの軍事介入事件の真相を知っている。それを踏まえた上で聞きたい。彼女達……ガーディアンとスプリガンは本当に大丈夫なのかね?」
 コウイチロウの言葉に僅かにざわめきが起こり、そして再び静寂となった。
 皆が、彼の言葉の意味に気が付いたからだ。
 発言を求められたアカツキは、考えを纏めるかの様に押し黙ったまましばし目を閉じた。
 プロスペクターはそんな上司の背中を見つめつつ、今後の展開を考えていた。
(さて困りました。恐らく――いや、間違いなく木星圏に居た勢力とはGS艦隊なのでしょう。地球守護者の先兵たる完全無人戦力。我が社とルリさんが産み育てた彼女達と正面からぶつかれば、いかなルリさんとナデシコBといえども分が悪いと言わざるを得ません。ナデシコC――あの電子戦に特化した船を与えておけば太刀打ち出来たかもしれませんが、それは実施されず現実にナデシコBは消息不明となった。ルリさんと大勢の部下達と共に……)
 其処まで考えて、プロスペクターはまるで黙祷を捧げるかのように目を伏せた。
 そして再び考える――
(ならばラフレシア事件も全て納得がいく。あの場、あの時にだけGS艦隊の警備が居なかったのも、厳重な早期警戒網に引っかかる事なく大量の敵が現れたのも、全てはガーディアンによる自作自演となるわけですな。それにしてもGSの反乱……恐れていた最悪の事態を招いたのは何が原因でしょうか? 製品としてのガーディアン型自律コンピュータは完璧です。オモイカネシリーズで培ったノウハウを用いたAI技術の結晶……ならば何故?)
 ブロスは自問を続け、やがて一つの推測へと辿り着く、
(ふむ……些か完璧過ぎたのかもしれませんな。ともすれば、自分の限界に気が付いたのでしょうか?)
 ガーディアンに依存しきった政府の怠慢さは、プロスから見ても嫌悪の対象に映っている。
 より聡明な彼女からすれば、それは疑念を抱く対象となるのは間違いない。
(ああ、ひょっとしたら怠惰を謳歌している一般市民達――何もせず何もしようとしない人々を見て、全てが嫌になったのかもしれませんね。護るに値せず……と)
 つまりはストレスによる癇癪という単純極まりない原因なのだとプロスは結論付けた。
(勿論推測に過ぎませんが、意外と正しいかもしれませんな。少なくともあの狂ったドクターの蒔いた種が原因では無いはずです。もしそうなら、地球は戦争を待つまでもなく、今頃もっと酷い事になっているはずでしょう。全ての電脳が無差別に攻撃を仕掛ける阿鼻叫喚の地獄絵図。それは間違いない)
 そこまで考えて、彼は視線だけを動かして、義手となった自分の左腕を見つめた。
(いや、いっそ彼女がバイドに侵され狂っていてくれた方が、我々の立場としてはマシだったかもしれませんな。それならば、狂った哀れな男がテロに走り世界を崩壊に追い込んだというだけの話で済みます。しかもクリムゾンがバイド研究を、強引なロビー活動を通じて推し進めていたのは関係者の間では広く知られているわけで、彼等に原因を擦り付ける事だって不可能ではないでしょう。しかし実際にはガーディアンは狂っておらず、それ故に我々人類を守るに値しない存在だと判断し、排除対象として認識してしまったと思われるわけで……であるならば、人々は生みの親であるネルガルに怒りの矛先を向けるのでしょう。それは数年前の凋落など比較にならない程の徹底した勢いで押し寄せ、ネルガルは完膚無きまでに潰される。恐らくは、企業としてだけでなく、そこに属していた者は個人としても存在が許されない程に……。ではネルガルを守る立場に居る自分はどうなるのか? 決まっていますな。暴徒と化した市民に嬲り殺されるだけでしょう。そして……)
 プロスペクターは目の前の、押し黙ったままの背を改めて見つめ、そうなった時でも、この若き主は自らの先代達が作り上げた巨大な帝国を守り抜くつもりだろうか? それとも、彼が唾棄して止まない「正義」の名において名乗り出て一身にその罪を受けるのだろうか? ――そんな事を考えていた。
 プロスが考えを巡らせていたのは、さして長い時間では無かった。
 その短い時間の後、アカツキは面を上げ、自分を注視している室内の者達を見回してから話し始めた。
「……基礎はドクターイネスの設計だし、人工知能についてはルリ君が育てたシステムだ。僕個人としても、ネルガル代表としても『完璧』だと思う。ただ……完璧故に、彼女達が今の情況をどう考えているかは、正直凡人たる僕には想像も出来ない」
 思いの外落ち着いている声に、プロスは思わず感心した。
「けれど……そうだね、彼女達の心に、ある種の疑念が産まれているのかも知れない」
「疑念?」
「自分の存在について……自分が守るべき存在について……彼女は地球の守護者となるべく作られ、そしてそれを実現すべくあらゆる能力を与えられている。唯一与えられていなかったのは権限だけだった。しかし、それも自分でどうにかして手に入れてしまった。そしてその権限を行使した結果があの火星に対する武力介入だ」
「その後のアップデート作業によって自律稼働は制限されたのではなかったのか?」
「確かに新たなプロテクトは施した。少なくとも表向きはきっちり動作しているよ。今この瞬間もね。だが……彼女はこの世に存在する最高性能の電脳だ。彼女より劣る電脳と人間とで組んだ障壁なんて、その気になれば外せてしまうかもしれないね」
「そんな無責任な事がよく言えるな! 自分の会社が作った物だろう?」
 ある士官が叫んだ。
「メーカーとしての責務は果たしてるよ。サポートもメンテナンスも、それからアップデートだって約款に従ってこなしてる。その点に不備は無いと確信してる」
 アカツキの口調は既に普段と大差ない状態に戻っていた。
「外部からのハッキングでガーディアンが狂った可能性は?」
「ハッキングに関して言えば、彼女はほぼ恒常的にハッキングを受けている。でもその全てを駆逐している。なんならログを見せようか? 一苦労だと思うけどね」
 アカツキは口元に微かな嘲笑を浮かべて切り返す。
 そんなあからさまな皮肉にプロスは、表情に出す事なく内心で苦笑した。
 ルリとラピスが行っても一仕事な作業を、普通の人間が出来るはずがない。
 プロスはふと思う。
 その可能性が殆ど無いとしても、ガーディアンのバイド化疑惑についての情報を伝えなくていい物なのだろうか? と。
「それにね、仮にガーディアンが自我を持って妙な行動を起こしたとしても、僕としては責任の取りようがない。ハードウェアとしてのガーディアンのサポートはうちの領分だと思うけど、彼女を育てたのは地球圏に住む全ての人類だよ? そんなものの責任なんて取れないし、取り方は判らない。責任の所在があるとすれば、それは大管制脳による行政補助システムを立案・計画し、我々に製造を依頼した政府の方じゃないかな? 僕らはクライアントが望んだ仕様の商品を提供しただけなんだし」
 この一言には流石に反感を覚える者が居た。
 何人からかアカツキに対する罵詈雑言が飛ぶが、当の本人は気にする様子も見せず、いつも通り飄々とした態度で受け流している。
 いやはや大したモノですな――プロスは感心を通り越し呆れていた。
 自分の主が、自分と同じ結論に至っていた事も驚いたが、室内の殆ど全てを敵に回しても一向に引く事なく、自分の立場と主張を言い張れる胆力に、改めて大企業のトップたる資質を持っている事を感じたからだ。
「貴方は戦争を起こそうと画策していたのではないか? 前の大戦においてもネルガルは深く関与していたはずだ! ボソンジャンプの利権争いを忘れたとは言わさんぞ!」
 ある士官が噛みつくように吠えた。
「忘れてないさ。断っておくが、僕だって個人的には戦争反対だ。死の商人だって自覚はあるけど、出来る事なら戦争は回避したいと思っている。信じられないかい? ならば言うが、僕が望むのは冷戦であって、ホットな戦争じゃあないよ。見える敵よりも見えない恐怖の方が人は脅威を感じるからね。大量に消費される従来技術より、見えない恐怖に対抗する為の新技術開発こそが、我々ネルガルの望むものだ。だからこうして開戦を阻止するこの秘密会談にも列席している」
 口元を歪めてアカツキは言い放った。
 それが本音かどうかはさておき、説得力は十分に有った。
 故にアカツキに噛みついていた者達は口を噤むざるを得なかった。
 コウイチロウはやれやれと頭を振ってから、双方を宥める様な口調で話し始めた。
「ガーディアンとスプリガンが真摯に地球や人類の事を考えていた事を私は疑っていない。彼女達の力が地球圏に安定した日々をもたらしてくれた事も事実だ。そしてそれは今この瞬間にも続いており、人々はそれを当然の様に感じている。信じられるか? 我々は数日後には火星と戦争を始めるかもしれないと言うのに、その事を不安に思っている市民は殆ど居ないのだ。開戦間近だというのに何とも平和な日々ではないか。その平和は紛れもなくガーディアン達による成果だ。だが事態は切迫しているのだ。彼女達には我々に平和を提供する裏で、何かを企てている可能性がある。しかし残念ながら、彼女達が反乱的行動を企てている等という意見を具申したところで信じる者は殆ど居ないだろう」
 守るべき存在からの信頼は得られず、それどころか彼等は敵となる可能性を含んだ存在を信頼する――何とも滑稽な状況にコウイチロウは自虐的に笑みを浮かべ――
「……だが、我々はその可能性を否定できない。ならば最低限の行動は取らねばならない」
 ゆっくり、自分に言い聞かせる様に声を発した。
 部屋に居た者達もその点に関しては同じ思いだった。
 火星との戦争という国家的大イベントの影で、より大きな得体の知れない事態が密かに進行し、それを告発しても信じては貰えない。しかし放っておく事も出来ないという状況に、ある者は天を仰ぎ、ある者は口元を歪め、またある者は頭を抱えた。
 しかしやがて彼等は決意をその表情に浮かべて立ち上がった。
「では、私は議会に掛け合ってみましょう。ああ、政治家に転向した兵学校時代の同期が居るんですよ。無駄足かもしれませんが、後悔はしたくありませんからね」
「では私は第三艦隊の補給を完全充足状態にしておきます。兵站部に無理を通してもらうよう掛け合ってきます」
「総員招集をかけておきます。あと教導団から腕のいいパイロットを引き抜いておきますよ」
 各々が自分の成すべき事を思い立った様だ。
 そんな彼等の反応を、コウイチロウは満足げに見つめ、内心においてはひたすら詫びを入れていた。
 例えクーデターのつもりは無くとも、軍が独自解釈に基づく行動を取れば、結果として何も起こらなくても処断は免れない。
 政府と軍の関係が危うい現状では尚更だ。
「そう言えば観艦式はどうしますか? 参加が命ぜられている以上、いまさら不参加は無理だと思いますが」
「第三艦隊は……恐らく観艦式に間に合わないのでは?」
 ジュンのもっともらしい質問にムネタケ参謀がしれっと答えると、暫くして室内は笑い声に包まれた。
「ははっ、それは愉快ですな。艦隊総出で遅刻ですか」
「我々ネルガルでも出来る限りの対応は行いましょう。あからさま過ぎない程度にガーディアンの監視を強化し、所有する実験艦も実戦配備可能な状態にして……まぁ出来る事ならガーディアンの強制停止も進言したいところだけど……さすがに無理だろうね。精精メンテナンスにかこつけて内部の調査をさせるのが背一杯だろう。ああ、機体やパーツの搬入も可能な限り行うよ。無論支払いはツケで構わないからさ」
 場の雰囲気に釣られるようにアカツキも笑い声を上げた。
「うむ、感謝する。それにまだ本当にガーディアンが何かを企んでいると決まったわけではないし、ナデシコBにしても明日にでもルリ君から連絡が入るかもしれないのだ」
「そうなる事を我々も期待します。はい」
 プロスは心から同意を示した。
「それにしても、仮にラフレシアの一件がガーディアンの策略だとして、彼女は一体何を企んでいるのだ?」
「火星と地球を互いに疑心暗鬼な状態にして開戦を確実な物とする為では?」
「そうかな? 戦争させて彼女に何の得がある?」
「損得で動く様な存在じゃないだろ?」
「そうだ。それに彼女は常に戦争には反対していた。ハードとしての欠陥が無いというアカツキ会長の言葉を信じるなら、彼女は今でもそう考えているはずだ」
「んじゃ、何故ラフレシアを襲ったんだ? しかもわざわざ火星が所持を表明した無人機動兵器まで使って」
「人類の共倒れを狙ってるんじゃ……」
「そんな面倒な事しなくたって、少なくとも地球に限って言えばライフラインを止めれば済む事だろ? 今すぐにでもパニックになる」
「目的が判らない以上手が出せない」
「ああ、相手の出方を見てからでないと行動は起こせないな。何しろ現時点において、相手は存在も有り難味も神様みたいなもんだからな。先に行動を起こせば逆賊呼ばわりは間違いないだろ?」
「結局、我々が出来る事は、何かが起きた時に備えるだけで、積極的な行動には出られないんですね」
「おいおい積極行動を起こしたら反乱だって思われるぞ」
「それに軍の一部が仮に反乱を起こしたとしても、鎮圧されるのがオチですよね。火星の後継者残党軍の時みたいに……」
「難しく考える事はない」
 若い将校達が始めた会話に、コウイチロウは深みのある声で割り込んだ。
「政府の決定に従うにせよ、歯向かうにせよ、傍観を決めるにせよ、我々連合宇宙軍は近い将来その存在が無くなる運命なのだから」
 コウイチロウの言葉は紛れもない真実だった。
 何事もなければ軍組織はGS艦隊へと移行し、恐らくは現状の体制は維持できない。精々警備部隊程度の規模に縮小されるだろう。
 懸念が現実となりGS艦隊とまともにぶつかれば、やはりその戦力差から生き残る術は限りなく少ない。
「それじゃ何故、我々は命を張るんでしょう?」
 若い士官の疑問に、コウイチロウは毅然とした態度で応じた。
「決まっている。それは我々が真っ当な軍人だからだ」

 そう言えば――軍というより、コウイチロウの私兵としての結束を強固にした者達を眺めながら、プロスはふと思いついた。
 アカツキがキュリアン報復事件によるガーディアンのバイド化疑惑と共に、グレイゾンシステムの強制停止コマンドを漏らさなかった事に気が付いたのだ。
 彼の性格からいって、ネルガルの利益と存続の為なら援助や情報公開は惜しまぬだろうから、それを行わない理由があるのだ。
 それはつまり、まだ体面を気に掛けている証拠だ。
 GS艦艇や機動兵器には、開発過程において強制停止コマンドが組み込まれており、その事実を知る者はネルガルの内部にあっても極限られている。
 クライアントである政府に対してさえ内密に組み込まれた裏コマンドであるそれは、その存在が明らかになれば企業としての体質を問われ、ネルガルの屋台骨が崩壊するのは間違いない。
 事態が好転、収束した後のネルガルの存在の為……いや、むしろ何かしらの事件が起きた後も――地球規模の災厄が訪れた後でも、ネルガルが存在できる事を画策しているのだろう。ボソンジャンプの利権を巡って争った前の大戦と同様に。
(なるほど、つまり会長はまだ現状を絶望視してはいないという事ですか)
 呆れにも近い関心を抱く一方で、本当にそんな立ち回りが可能なのだろうか? とも思う。
 ガーディアンが本気で人類に反旗を翻した時、ネルガルは真っ先に攻撃を受けるのではないか?
 強制停止コマンドに依存し過ぎてはいないか?
 いや、そもそも地球規模の災厄の後で、会社の利益と存続を考えられるゆとりが有るのだろうか?
 プロスは数々の不安を拭う事が出来なかった。




§





 地球の衛星軌道には、地球圏復興の為にアステロイドベルトから持ち込んだ、最大直径二〇kmに及ぶ巨大な岩石が存在する。
 資源の採掘があらかた終わり無数の空洞の出来たゼロスという名の岩石に、要塞としての機能を与えたのが今から丁度一年前。
 ガーディアン型コンピュータの二号機であるスプリガンが設置され、彼女が制御する全てのグレイゾンシステムの母港でもあるゼロス要塞は、現在の地球にとって新たな力の象徴とも言える存在だ。
 そして二二〇四年十二月七日――そのゼロス要塞の近海に、ここ数年においては最大数の軍艦が終結していた。
 何も今すぐ火星への侵攻を始めようという訳ではない。
 あくまで観艦式を行う事がその目的だ。
 観艦式とは国が自ら保有する艦艇を列べて行う軍事パレードの一種であり、参加する軍人達の士気を高めるだけではなく、むしろ自分達の軍事力を内外へ示す為に行う示威的側面が強いイベントだ。
 火星との緊張が高まっているこのご時世に行う以上、火星政府に対しての示威行為こそが主目的である事は紛れもない。
 大小様々な艦艇が列をなす中にあって、一際目立つのが、つい昨日竣工し、連合宇宙軍の第八艦隊旗艦へと就役した新造戦艦グロアールだ。
 全長二三〇〇メートル、最大幅一七〇〇メートル、全高は最大で五〇〇メートルという、要塞じみた灰色の体躯は、それだけで周囲に禍々しさを放っている。
 地球から火星を砲撃可能と言わしめている本体両側舷から四門ずつ突き出した計八門の長砲身のグラビティカノンは、それだけでナデシコ級を上回る馬鹿げた質量を誇っている。
 しかしそんな威圧感溢れる外見とは裏腹に、誕生した経緯はと言えば酷く情けない印象が伴う。
 GS艦艇の就役に伴い大量の余剰人員が発生した連合宇宙軍は、その大多数を他の企業や組織へと流出せざるを得なくなり、規模の縮小を余儀なくされたわけだが、グロアールはそんな黄昏た連合宇宙軍内部にあって、唯一の新天地だった。
 旧木連の都市宇宙船を除けば比類無き巨大艦である彼女を運用するには、乗員や整備要員を含めて大量の人員が必要となり、結果として人員の流出を止める事が出来る。
 つまる所、グロアールとは、かつてルリが想像した通り、望まぬ退役を迫られた軍人達の再就職先なのだ。
 しかしその存在が圧倒的なのは紛れもない事実であり、それは火星政府がこの艦の存在に神経を尖らせている事からも伺い知れる。

 グロアールを中心に展開する連合宇宙軍の第八艦隊は、他の有人艦を集めた艦隊と比べて遙かに高い練度を見せつけるように、見事な陣形を維持していた。
 この観艦式に反GS艦隊の主流である第八艦隊が参加しているのは、最近はすっかり連合宇宙軍に信頼を置かなくなった政府首脳達に、自分達の腕を見せつけるためでもあった。
 故に、その艦隊運動や編隊機動、果てはデッキ上に整列したステルンクーゲルの列に至るまで、他の艦隊とは明らかに練度の高さが見て取れる。
「ほぅ。なかなかやるじゃないか」
 思わずそう漏らした政府高官もいたほどだった。
 だがその横を、更に美しい陣形をした艦隊がゆっくりと進んで行く。
 艦同士の間隔は完璧――それこそミリ単位で調整可能なのだから当然だ――なその艦隊は、言うまでもなくGS艦艇によるものだ。
 火星へと進出しているGS艦艇を除いた、ほぼ全艦艇が参加し、一糸乱れぬ艦隊運動を見せつけている。
 逆に火星圏の封鎖任務から戻ってきた第四艦隊は、最前線に居たにも関わらずその練度の低さを現す様に、無様な陣形を晒していた。
 観閲艦――連合地球政府の大統領以下、政府高官達を載せたリアトリス改級戦艦ディーフェンバキアの特設デッキでは、そんな第四艦隊とGS艦隊を見比べ失笑する者が多く見られた。
 無論、同乗している軍の給仕官は腹立たしく感じていたが、流石にそれを口にする愚行は起こさなかった。
 ゼロス要塞のほど近い空域で投錨――つまり静止した観閲艦ディーフェンバキアの前を、次々と艦隊が通過し、見せつけるように複雑な運動を加えつつ陣形を変えてゆく。
 観艦式に参加した艦隊は現存する五個有人艦隊の内の四個艦隊。第一、第二、第四、そして第八艦隊だ。
 火星の後継者による反乱直後、統合軍を吸収合併した連合宇宙軍は十八個艦隊を所持していたが、その後の軍縮の結果十二個艦隊とされ、更にGS艦隊の配備による再軍縮を受けて六個艦隊へと減らされた。
 そしてラフレシアに配備された第五艦隊が壊滅した事で更に減り、現在の体制に相成った。
 開戦を控えたこの時期に差し掛かっても、艦隊編成を増強するという話は無い。
 当初参加予定だった第三艦隊は、集結予定時刻を過ぎ、更には観艦式が始まっても到着していなかった。
 出港時に機関トラブルで数艦が衝突事故を起こし、艦隊全体が身動きが取れなくなった――その報告を聞いた政府高官達は、「それみたことか」「一刻も早くGS艦隊に移行すべきだな」「所詮は人の操艦だ」と囁き有った。
 しかし一方で、彼等と反目している反GS派の主流である第八艦隊の練度の高さは、彼等も認めざるを得なかった。
 それどころか、散々その存在に難色を示していたグロアールに対しては、その姿を見た者達全員が感嘆の声を上げた程だ。
 暴力的な外観を持つが故に、グロアールは素人目にも頼もしくも見えるのだった。
 結局、政府高官達は、存在を否定していた有人艦隊も含め、目前に展開する強大な艦隊を眺めては、その力が全て自分の物であるという錯覚に酔いしれていた。
 そんな彼等の目前を真紅のGS戦闘機――ライネックスが四機単位で見事なアローヘッド編隊を組んでパスしてゆくと、一部の者は近い将来始まる戦に負ける要素が無いと考え「うむうむ」と満足げに頷いていた。


 眼前の光景の満足を覚えていたのは、何もディーフェンバキア上の彼等だけではなかった。
「ふむ。素晴らしい。実に素晴らしい」
 要塞やステーションの司令部でさえ霞む程に広いグロアールのブリッジで、第八艦隊の司令官であるミカミ提督は、得意げに口元を緩ませた。
 何しろ今までの乗艦だった第八艦隊旗艦リアトリス改級サンスベリアと比べれば、数十倍の大きさだ。
 艦隊司令部が総出で乗り込んでも有り余る広さのブリッジに居れば、気持ちが大きくなるのも当然だろう。
 新たな戦艦にを入手した事に加えて、自らの指揮によって見事な艦隊運動を見せつける事も出来た。ここ暫く自分達の置かれた状況を考えれば、今日という日は格別な物と言えよう。
 第四艦隊を筆頭とした他の艦隊の拙さも、当初こそは有人艦隊の評価を下げる懸念材料であったが、実際に挑んでみれば格好の比較対象となり、自分達の精強さを強調する存在になっていた。
 更に観閲艦ディーフェンバキアからは、グロアールを目の当たりにした政府高官達が口々に良い評価を下していると言う情報も伝わっており、自分達の立場も好転するのでは? という期待を抱かせた。
 開戦を控えたこの時期に、自らの艦隊の価値を高めた事は、徹底的交戦主義者のミカミに取って実に有意義だ。
 ミカミは自分の艦隊が乱れる事なく、綺麗に艦隊行動を維持している現実に満足し、再び「素晴らしい」と呟いた。
「それにしても第三艦隊はどうしたのか?」
 参謀の一人が思いだしたように疑問を声に出した。
「何でも出航段階になって事故を起こしたって話ですが」
「弛んでますなぁ」
「全く……使い物になるのは我が艦隊だけか」
 参謀達は口々に第三艦隊の有様を貶したが、ミカミだけはふと疑念を抱いた。
 彼は第三艦隊が自分の艦隊と同様の練度を維持してる事を知っている。
 何しろあの日和見主義者――と、ミカミは思っている――とは言え、長きに渡り連合宇宙軍を率いてきたコウイチロウ直下の艦隊だ。
 かつては木連や統合軍、そして現在は連合政府やミカミ自身と、何かと政敵が多かった彼の、いわば私兵である艦隊の練度が低いはずがない。
 だからこそ、観艦式に艦隊が揃って遅刻するという事態が、欺瞞工作でなければ発生しないと践んでいた。
 恐らくは未だ開戦に反対しているのだろう。だから自分の艦隊を派遣しなかった。
 つまりは明確なサボタージュであり、その事は今後彼を宇宙軍トップから引きずり降ろすいい材料になる――そう考えると、ミカミは余計に気分が良くなった。
 この度の観艦式でグロアール及び第八艦隊の存在感を示せれば、火星との戦争でも活躍の場が与えられるはずで、そうすれば更にコウイチロウを蹴落とすチャンスが増える。
 内心で算段を立てながら、副長に件の人物の居場所を尋ねた。
「ミスマル提督は?」
「トビウメはディーフェンバキアの隣におります」
 言葉を受け、ゼロス周辺を写したウインドウの中で、停泊したまま動かない二隻のリアトリス改級戦艦の姿を見つけた。
 片方が観閲艦のディーフェンバキア、やや離れた場所にいるもう片方が総旗艦のトビウメだろう。
 ウインドウに映るその艦影が、自分の座乗するグロアールと比較して酷く滑稽に映り、優越感を覚えた。
(ミスマルめ……見ていろ。この度の戦で我が軍はかつての精強さを取り戻す事になるのだ。そしてそれを率いるのはお前ではなく、この私なのだ。ふははははっ)


 ミカミがグロアールのブリッジで込み上げてくる笑いを必死に堪えていた頃、リアトリス改級戦艦トビウメ(名前を引き継いだ二代目)のブリッジでは、コウイチロウが将軍らしく落ち着き払った堂々とした姿勢のまま、観艦式の光景を眺めていた。
 一糸乱れぬ編隊を維持するライネックスやノウゼンハレン、機敏な動きを見せるGS艦艇達――以前であれば頼もしく思えた姿が、今は何とも不気味な存在に映る。
 だが少なくとも今の時点では彼等は味方であり、そして周囲の者達は、その関係がこれからも続くと信じ切っている。
 自分も出来ればそう信じたいが、状況を考える限りそれは余りにも楽観的過ぎた。
 結局、あの会合の後、各方面へと手回しを行ったものの、真剣に取り合う者は皆無に等しかった。
 市民生活の末端まで浸透したガーディアンの影響は、既にその存在が神格化されるまでに至っている。
 アカツキからの報告も似たような状況を伝えており、その事は彼の気分を一層ささくれ立たせた。
 しかし態度には出さない。
 軍のトップに立つ者は、おいそれと感情を表に出してはいけない事になっているのだ。
 彼等はうまくやっただろうか――目前をパスするGS艦艇の戦隊に敬礼を寄越しながら、コウイチロウは思う。
 無論、彼等とは第三艦隊の面々の事である。
 この観艦式に現れていない所を考えれば、一応は上手くいった事になる。
 不測の事態に備え姿をくらませ、独自行動を取った彼の私兵とも言うべき第三艦隊。
 後はどれだけ誤魔化せるかだが――そう思い立ち、コウイチロウは時計へと目を向ける。
 時刻は十二時五〇分になろうとしていた。




§





 ネルガル程の大企業ともなれば、そのトップに立つ者に完全なオフなどそうそう有るものではない。
 そんな事は百も承知なアカツキをしても、ここ最近の容赦の無い忙しさは、思わず逃げ出さずにはいられない程だった。
 ただでさえ彼は面倒事を嫌う性質であり、周囲がしっかり手綱を握りしめていなければ、何をしでかすか判ったものではない。
 無論会社にとって不利益になる様な真似だけはしないが、逆に利益になると思った事に関しては、会長という立場にあるまじき行為ですら平気で行う。
 それがアカツキ・ナガレという男だ。
 新商品であったエステバリスのデータを自ら収集し、その実用性を肌身で感じた方がより販売促進にとって良いと判断すれば、自らパイロットとして実弾が飛び交う戦場へ赴く事だって厭わない。
(無論、当時の社内における派閥闘争に嫌気がさしていた――という精神的側面も多いに影響していたが、それにしたところで敵である社長派の目から逃れ、自らが強引に推し進めたスキャパレリプロジェクトを現場で指揮するという戦術的意味合いも持っていた)
 しかしそんな彼も今回ばかりは会社を離れて身勝手な行動に移る事は出来なかった――というより、させて貰えなかった。
 何しろ時間が無い。
 ガントレットの開発を急ぐために、僕自らテストパイロットをやろうか?――等という戯れ言は、プロスが左腕のレーザー照射器を作動させつつ黙殺した。
 おかげで苦手なデスクワークと各方面への挨拶回りに奔走させられ、多忙を極めた彼の目の下には隈が見える。
「ふぅ……やっぱりダメだったね。他の所も同じかな?」
「はい。残念ですが」
 アカツキは背もたれへ身体を預けて天を仰ぐ。
 プロスの返答は、この数日間行ってきた政府関係者への通告が全く無駄な努力に終わった事を告げていた。
 予想をしていたとは言え、ガーディアンへの依存の根深さを再確認しただけだった。
「メーカーの警告すら意に介さないとはね。やれやれだ。で、ナデシコB……ルリ君からの連絡は?」
「ございません」
 プロスの返答にアカツキは頭を抱えた。
(さてどうするか? このまま何事も起きなければいいのだが、その場合は火星との戦争が始まる事になる。それはそれで不幸な事態だが、ネルガルとしても僕個人としても十分許容出来る事態には違いない。ルリ君達が行方不明なのは非常に残念だが、最悪は……ん?)
「ははははっ」
「どうされました?」
 突然笑い始めたアカツキに、プロスは微かに首を傾げた。
「いや、そう言えばもうすぐだったね」
「は?」
「テンカワ君の帰還がさ」
「ああ……確か算出された帰還予定日は今月の十五日でしたね。余りにも忙しかったので失念してましたな。出来る事なら関係者総出で出迎えて差し上げたい所ですが……」
「このご時世じゃ難しいだろうね」
「テンカワさんも実に難儀な時に帰られますなぁ。して?」
「いやぁ、最悪の事態ってヤツを考えていたんだけど、ルリ君が行方不明だって事を帰還したテンカワ君が知ったら……ってシナリオも、意外と最悪なんじゃないかな? って思ってさ」
「色んな意味において笑えない冗談ですな」
 プロスに不謹慎だとたしなめられたアカツキが、再び今後の展開へと思考を傾けようとした時、机に組み込まれたアナクロな赤い電話器が突如として鳴り響いた。
 昨今の一般的な通信システムとは異なる、敢えて旧式のアナログ通信を使った月面支社とのダイレクトラインで、秘密会合に参加した直後に発注、その二日後には完成した前時代的な非常通話システムだ。
 受信音声にノイズが大量に入る上に伝達速度も遅いが、昨今の盗聴装置では間違いなく傍受出来ないメリットがある。
 作ったのはウリバタケだ。彼の趣味の範囲で作った物だが、それ故動作は完璧だと言える。
 それがアラームを奏でたという事だけでも事態の重さは自ずと知れるが、受話器を取ったアカツキが最初に発した言葉と言えば――
「どうしたのエリナ君、まさか妊娠でもした?」
 ――と言う軽口だった。
 アカツキとしては、自分と相手を落ち着かせる為に、普段と変わらぬ口調で応じたのだが、受話器の向こう側はそんな余裕すら無い有様だった。
『そんな軽口に応じてる暇は無いの。いいよく聞いて。さっき幾つかのプローブからの信号が途絶えたわ』
 ノイズ交じりに伝わる報告に、アカツキは一瞬、頭から血が引く感覚を味わった。
 周辺区域調査の為に飛ばしたプローブ――無人探査機の反応が途絶えたという事は、その方向に見られては拙い物があるという事だ。
「何処だい?」
 アナログ通話故にレスポンスが帰ってくるまで時間がかかる。その間に呼吸を整え、普段の自分を作り上げる。
 手は汗ばんでいた。
『タキリよ。どうやら大当たりみたい。最後に見えた映像をラピスが解析したけど……映っていた機体はノウゼンハレンね』
 しばしの間隔を開けて帰って来た答えに、アカツキは頭を抱えて肺の中の息を吐き出した。
 ターミナルコロニーにGS艦隊が警備目的で配備されているという話は聞いていた。
 だがプローブを破壊したとなれば、完全にガーディアンが「黒」だという証拠に他ならず、ならばタキリはターミナルコロニーとしての機能が回復されていると見ていいだろう。
 アカツキにとっても、彼女達がターミナルコロニーに施された封印解除は可能だとしても、物理的に破損していたシステムを修復させていた事は予想外だった。
 遅かった。もっと早くにターミナルコロニーを疑うべきだった――何と答えるべきか逡巡していたところで、会長秘書室から緊急を伝えるアラームが鳴った。
『会長! 大変で』
 血相を変えた秘書官が何かを伝えようとした瞬間、その通信が途絶えウインドウは消え去った。
「おいどうした?! くそっ……エリナ君!」
 アカツキは受話器を握りしめて相手の名を叫び、その間にプロスは確認を取るべく秘書室へと向かうべく足早に会長室を出て行った。
『何? あ……ちょっと、そっちでも確認とれた?』
 呼び掛けに遅れる事十数秒、エリナもまた非常の事態に気が付いた様だ。
「会長、先程から各地でグローバルネットワークが不通になったという問い合わせが殺到、直後その連絡も途切れたそうです。これはジャミングというよりは、元栓を閉じられたといった感じですな」
 会長室に戻ってきたプロスの言葉で、外で起きた出来事は概ね理解できた。
「ああ、通常回線が全て落ちたみたいだね。コミュニケも使えないところを見ると広域ジャミングも併用しているんだろう。そしてエリナ君の所でもって事は……地球圏全体が同じ有様だと見るべきか」
「全ての支社、ハチ研を初めとした外部の施設との連絡も遮断されてますな」
『それだけじゃないわ。火星付近に進駐しているGS艦隊が広く展開してるって情報も入ってきてたのよ。明らかにおかしいわ。彼女達は本気よ!』
「くそっ……」
 最悪の事態へと雪崩れ込む様子が、アカツキには間近で見ている様に感じられた。
『この回線はグローバルネットに組み込んでないダイレクトラインだから……他は駄目。社内の通信もグローバルネットに繋がっている限り全て使用不能になってる』
「取り敢えずこっちで各部署並びに関係者に急いで連絡……は無理か。伝令だ。誰か係りの者を回して対処だ。政府、軍、マスコミ、出来る限り広範囲に。ああ、ナデシコCとコスモスの準備はどう?」
 アカツキには返答が帰ってくるまでの十数秒が、数十分にも感じられていた。
『ギリギリね。コスモスの方は問題ないけど、ナデシコCの封印解除は、ラピスが探査ポッドの制御とか情報解析もやってた所為で時間かかったわ』
 ネルガル所有の実験艦として今なお運用されていたコスモスとは異なり、ナデシコCはその潜在戦闘能力の高さを懸念した政府によってモスボールが命じられていた為、その解除は本来であれば政府の了承を得なければならない。
 それを強引に――アカツキの独断で解除させていたのだった。
「なら急いで撤収準備。CC、ガントレット……ああ〜とにかく、必要と思われるものは何でも積み込んでくれ。判ってると思うけどドクターは必ず連れ出す事。急いで! その後の行動は事前計画書通りで。いいね?!」
 アカツキが叫ぶようにエリナへ命じて通話を切った直後、彼の背後――ネルガル本社ビル最上階から見下ろせる街のあちこちで火の手が上がった。
 まるで爆撃を受けている様な光景だが、交通管制システムすら止まった事で大量の交通事故が発生、火災になっているのだった。
 こうなってはいずれパニックが起こる。
 アカツキは即決断した。
「ミスター!」
 叫び常に所持していたキーバックから赤いキーを取りだし、机の引き出しの中にある鍵穴へと差し込んだ。
 プロスも同じ色の鍵を手にしており、それを別の場所に隠されていた鍵穴へと差し込んでいる。
「いくよ。三、二、一、カット!」
 カウントダウンと共に同時にキーを回した。
 その気になればエネルギー供給すら操作可能な相手に対して、独自にジェネレーターを持つネルガル本社ビルは安全かと思われるが、相手が相手だけに、いつまでも現状が維持できるはずがない。
 ならば乗っ取られるよりは自ら閉ざした方がマシだ――アカツキは会長権限によるエマージェンシーモードを発動。
 メインコンピュータを物理遮断の後に緊急停止させた。
 無論、全ての業務は中断されるが、世界中でパニックが起きつつある現状では商いを続行する事は不可能だ。
 むしろ現時点での資産を速やかに凍結する事こそが急務である。
 プロスの指示によって既に社内には、暫く動かずに様子を見て、その後は各部署の責任者の判断で避難する様、伝令によって連絡が伝わっているはずだが、事前にある程度準備が出来ていたネルガルでさえその程度なのだ。
 その他では更なるパニックになっているだろう。
「くそっ!」
 呪詛を込めた声を上げると同時に、拳で机を一度叩く。
 先週の秘密会合において、彼は起こりうる災厄について「自分に責任は無い」と見栄を切ったが、無論それが詭弁である事は自覚している。
 だからこそ目の前に広がる光景を目の当たりにすれば多大なショックを受けるのも当然だった。
 それでも彼の精神が持ちこたえ、直ぐに全神経が次に成すべき事へと傾けられたのは、彼の非凡が為せた技と言えよう。
「会長、準備が整いました」
「ああ判った。行こうか」
 彼は自分の執務室を出る時、一度だけ主の居なくなった机を見る。
 すまないね――隣のプロスにも聞こえない程度の声でそう言い残し、アカツキは部屋を出た。



 アカツキが、ブロスや他のSS達と共に屋上のヘリポートから、ヒナギク型の連絡艇でネルガル本社ビルを後にした頃――
 ハチジョウ島のネルガル研究所も大騒ぎになっていた。
 一応は極秘裏に「近日非常事態発生の可能性有り」という連絡は回っていたものの、実際に実験中に突如システムがダウンすれば慌てるのも当然だ。
 本社同様、独自のジェネレーターを所持しているからいきなり電源が落ちるような事は無かったが、通信の途絶は各部署に大きな混乱を招いた。
 イネスのプライベート研究室で留守番を言い渡されていたアネット・メイヤーは、その凡庸な性質を惜しみなく発揮――具体的に言うなら、周囲の騒ぎに慌てふためき、運んでいた湯飲みを落として悲鳴を上げた。
 そしてイネスの言いつけ通り、非常事態の発生した際の行動指針に基づき、彼女の個人的実験・研究記録の収まったファイルやディスクを収めた鞄を手に取り、シェルターへと向かった。
「ど、どうしましょう。本当に何か大変な事が起こっちゃいました」
 慌てつつも、鞄を大事そうに抱えてアネットは走る。
 他の所員達と共に廊下を進む最中、突如として辺り一面に通信ウインドウが咲き乱れた。


 ――同時刻、新人ハッカー・ラギことランディ・ジャン・ジャックは、いつもの様にガーディアンに対する無駄なアプローチを続けていた。
 ああでもないこうでもないと試行錯誤を繰り返しては叩きのめされること数十回。
 今日はもう止めようかと思った矢先、反応に変化が現れた。
 最初は何かヘマをやらかしたかと思ったが、どのサーバからの応答もなくなってしまった。
 反応が有るのは自身のマシンのみ。
 まるでネット世界から自分以外のマシンが無くなった様な感じだった。
「何だか変だな……どこも繋がらない。カイルさんとのメッセンジャーも反応ないし……どうなってるんだ?」
 考えられぬ事態からの復旧を試みるべく、必死にコマンドを入力していたランディの眼前に、突如ガーディアンのロゴを写したウインドウが展開した。
「うお、やったっ! ガーディアンからのメッセージ……あれ? 違うのかこれ……何だろ? カウントダウン? オレ何かやっちゃったかな」
 ランディは慌てて自分のマシンを強制終了かけるべくコマンドを入力した。
 しかしマシンは全く反応を示さない。
「あれ?」
 彼が訝しんでいう間にも、表示されている数字は次第に減っていった。


 ユキナは傍目にも判る程大きくなってきたお腹を労るように、居間のソファーに腰を降ろして編み物をしていた。
 顔にはまだ幼さの残る彼女だが、そのお腹の中には確実に新しい命が芽吹いている。
 ジッとしている事が苦手な元気娘であるが、「無闇やたらと動かない事」と、ミナトから厳命されており、最近では無闇に走り回る事もない。
 彼女の住まいは未だオオイソのミナト宅であるが、その事が彼女の目下の悩み事であった。
 何しろ、彼女は亡き兄の替わりに――とミナトの家へと嫁いで来た事になっているのだ。
 それを今度も自分の都合で新たな嫁ぎ先へと出て行く事は、ミナトと兄に対する裏切りではないか? そう思わずには居られなかった。
 しかし新たに産まれて来る子供と、夫との家庭を夢見てしまうのも、女として仕方がなかった。
 ミナトは恐らく「ユキナの好きにしなさい」と言うだろう。それは判っている。
 だが、それを聞いて自分も「うん判った」と素直には言えないのも自覚している。
 ユキナとしてはジュンにこの家に来て欲しかったが、居候の身としてはそれを提案する事は出来ないし、またミナトも若き新婚カップルと同居するのは色んな意味で気が引けるであろう。
 奥手で真面目なジュンの方は言わずもがなだ。
 だから彼女は悩む。
 おかげで編みかけのマフラーがなかなか進まない。
「う〜ん。さてさて……どうするべきだろうか? ああ、お兄ちゃん、優柔不断なユキナを助けてっ」
 誰も居ないにもかかわらず芝居がかった口調で言うと、編み棒を放りだしソファーに横たわった。
 その直後――
『ミナト!』
 コミュニケが一瞬動作し、ゴートのアップが映し出された。
「きゃあ! ゴートさん脅かさないでよ……ってあれあれ?」
 ユキナが驚きの声を上げた時には、既にコミュニケの通信は切れてしまった。
「どうしたんだろ?」
 何を言いたかったのかは皆目見当もつかないが、逼迫した雰囲気だけは伺い知れた。
 ユキナはしばし首を捻ってから電話を取り、ミナトの務める学校への回線を開こうとしたが繋がる事はなく、その後で試したネルガルでさえも同様だった。
 漠然とした不安が彼女の身を過ぎり、そんな不安を煽る様に、外から交通事故らしい派手な衝突音が聞こえてきた。




§





 地球で事が起こり始めた頃――
「例の新造戦艦が就役し観艦式も挙行した。これは我々に対する明確な挑発行為であります」
 火星軍の情報参謀が、苛立った表情を隠す事なく言い放った。
 ここは火星のアキレススプリングにあるザカリテの私邸であり、招集された政府首脳と国軍の幕僚らが今後の対地球戦略について会合を開いていた。
「このままでは開戦は避けられません」
「ならば戦うまでだ。これ以上地球に舐められるわけにはかん」
「奇襲をかけるべきでは?」
「撃って出る必要はない。我々はただ迎え撃てば良い」
「いや、積極的攻勢も必要だ。志気に関わる」
「守ればいいだけの我が方と異なり、地球側は此処まで来て戦う必要があります。この長大な補給線を維持する為に、相当の戦力を要するはずです」
「叩くべきは例の機械艦隊の工作艦ヘリオ・ベイだ。あれさえ叩けばこの戦争は勝ったも同然だ」
「そうだ。いかな機械とはいえメンテナンスは必要だ。稼働させれば必ず何処かは壊れる」
「あの新造戦艦はどうする? 情報では地球から直接此方を狙えるらしいと言うではないか?」
「誇張ですよ。確かに届くかも知れませんが、幾ら何でも威力は殆ど無くなっているはずです」
 続く議論を、ザカリテはバイザーに手を添えながら聞き流していた。
 忌々しい。全くもって忌々しかった。
 ザカリテは地球産まれであり、北米のバンクーバーにて育った。
 どちらかというと大人しい思想の持ち主だったが、蜥蜴戦争において家族を失ってからその思想が過激な物へと変わっていった。
 しかし体力より頭脳に秀でていた彼は、強い地球を作り敵に対する報復を実現する手段を軍事にではなく、政治に見出した。
 そして政治家になる夢を叶えるべく幾度か選挙に出馬した事が、その全てが散々な結果に終わった。
 過激な言動を好む彼の主張は、長き戦乱で疲弊していた地球の人々の関心を呼ぶ事は無かったのだ。
 自己主張の空回り程空しいものはない。率いるはずの民衆の支持を得られない事実に、彼の精神の闇は次第に広がってゆく。
 それどころか、三度目になる選挙に立候補した際には、選挙管理事務局のコンピュータに「不適切」の烙印を押されて受け付けもされなかった。
 既に時代は敵対ではなく、共存へと移り変わりつつあったのだ。
 自分の夢をたかがコンピュータに潰された彼は、地球を見限り、立身を目指して移民として火星の地を踏んだ。
 経済格差による貧困に喘き、潜在的な反地球主義者の多い移民達の中で、彼の力強い姿勢はむしろ喜ばれて受け入れられた。
 結果として彼は市議会の議員として当選し、その後は順調にシンパを増やして、翌年には市長に就任する。
 彼は自分を受け入れた地に感謝し一心不乱に働いた。
 この時、彼は全く純粋に火星の繁栄を考えていたから、その姿勢を見た人々が彼に信頼を寄せるのも当然だった。
 その後に起こった火星の後継者の動乱においては、視力を失うという苦境に見舞われたが、ネルガルの補償と「動乱の被害者」という背景が自分の出世を後押しする事となり、結果として遂には火星のトップにまで上り詰めた。
 ただ過去に存在した多くの為政者と同様に、彼も権力を手中に収めてから性格が次第に豹変していった。
 当初は地球とのイコールパートナーを目指していた彼は、肥大してゆく自分の権力に溺れ始めた。
 やがて「火星の純然たる独立」というスローガンをうち立て、多くの火星人――主に移民前に抱いていた希望と、移民後の現実との落差に愕然とした地球移民であるが――が熱狂を煽ると、その熱狂に背を押されたザカリテの野心は加速した。
 破棄が義務づけられた古代火星文明の遺産を一部隠匿し、地球側が提示してきたグローバルネットへの参加を拒み――無論、理由は自己権力の固持を謀る為だ――独自の正義を振りかしたがる旧木連移民達を「保護」の名目で隔離し、ついには国軍まで発足させて駐留軍の追い出しを成功させ軍事的独立を果たすまで至った。
 ”地域によっては多少の治安悪化”は有ったにせよ、それ彼にとっては大きな問題ではなく、概ね上手く事が運んでいたはずだった。
 地球が火星の軍備宣言を新たな危機と感じ取るにせよ、長く続いた戦乱の影響を引きずっているであろう彼等の取りうる行動は、精々が経済制裁や航路封鎖による嫌がらせ程度であり、全面戦争に陥る可能性は無いと踏んでいた。
 好戦的な主張を繰り返していた彼自身が放逐されたのだから、そう考えるのは至極自然であろう。
 そしてその程度ならば自給自足体制の整った火星において、さしたる脅威には成らないはずだった。
 しかし彼が去った後の地球には、当時存在しなかった物が発達していた。
 ガーディアンである。
 地球の舵取りを任された大管制脳が、事も有ろうに火星内で手前勝手な正義を行使し、それがザカリテの計画を狂わせていた。
 内政干渉だけでも許せないのに、それを行ったのが人間ではない事が彼の神経を逆撫でた。
 コンピュータとは人間が使うものであって、立場が変わる事は決して許される事ではない――という持論を持つ彼は、電脳の氾濫する社会と、それを甘んじて受け入れる者達が理解できなかった。否、むしろ憎悪を抱いていたと言っても良いだろう。
(尚、ルリに対して憎悪を抱いていなかったのは、彼女が――ルリ本人は否定するだろうが――電脳を従わせる存在だからだ)
 彼は電脳によって屈辱を受けた過去を忘れていない。
 そして彼は執念深い性格をしていた。
 故に、GS艦隊が行った「人道的見地による海賊の排除と市民の保護」という部分は意図的に無視し――彼にとって正式な選挙権を持たぬ旧木連移民はその程度の存在でしかなかったし、家族を木星蜥蜴で殺された過去を忘れてはいない――ただ、越権行為である事のみを大々的に主張した。
 権力者にありがちな幼稚さで、彼は自分個人の感情を国の方針へと結びつけた結果、火星は地球との全面戦争の瀬戸際に立たされている。
 となれば、国の代表として今後の戦略や方針を決定しなければならないのだが、彼の頭の大部分を占めているのは、地球とガーディアンに対する単純な怒りそのものだった。
 全てを電脳に任せるなど狂気の沙汰以外の何物でもない。
 ザカリテの額――バイザーの周囲に、暴走したナノマシンによる幾何学模様が輝き浮かび上がる。
 気が高ぶった時にそうなる事を知っている側近達は、彼が自分たちの議論に対して憤慨していると勝手に思いこみ、努力が足りないとばかりに更に白熱させた。
 そんな議論を余所に、ザカリテは地団駄を踏む子供の様に、ひたすら頭の中で地球とガーディアンに対する罵詈雑言を捲し立てていた。


 同時刻――火星のエリシウムコロニー郊外にある木連移民の隔離保護区画で、水原唯は親友の竜崎蘭と共に、畑仕事を手伝っていた。
 十一歳と、地球であれば小学生に過ぎない彼女達でも、半年以上前に起きた忌まわしき事件で、男手が減ってしまった為、こうして農作業にも駆り出される。
 だが彼女も、そしてその友人も、それを苦労とは思わなかった。
 土にまみれて作業をするのは、有る意味泥んこ遊びにも似ているし、自分の食べる食材を作る楽しみもある。
 そして何より作業に没頭していれば辛い事は思い出さないで済む。
 半壊した自宅は結局取り壊され、今は蘭の家に厄介になっているが、宛われた部屋に飾ってある形見となった刀を見る度、彼女は未だに咽び泣く事があった。
「よいしょ、よいしょっと……ふぃ〜」
 手にしていた鍬を杖の様にして身体を伸ばすと、以前と変わらない青い空が何処までも広がっている。
「唯〜疲れた? だったら休んでて良いよ。わたしが唯の分まで頑張るからさ」
 やたらと自分の身を案じてくれる過保護気味な友人に、唯は背一杯の笑顔を向けて「大丈夫だよ」と声を掛けて安心させた。
「さ〜〜てとっと、あれ?」
 作業に戻るべく、もう一度見上げた空に何かが見えた。
 目を凝らして見れば、遙か上空……空なのか宇宙なのかハッキリしない高度で、星の様に瞬く何かが幾つも見えた。
「どうしたの?」
「ねぇ蘭ちゃん、あれって何かなぁ?」
 近付いてきた親友に空を指さしながら尋ねた時、突如として空一面に巨大な絵が投影された。
「な、何?」
「何だ? ありゃ」
 周囲の者達が一斉に作業を止めて空を見上げて口々に叫ぶ。
 青い空に浮かび上がる巨大なウインドウ。
 そして其処に表示されているのは、アルファベットの「G」にハートマークを添えたガーディアンのロゴマークと、カウントダウンを続ける数字だった。




§





 地球で、月で、火星で、宇宙空間で……人類が生活するありとあらゆる場所で、、ガーディアンのロゴマークを映したウインドウが一斉に咲き乱れた。
 中空に広がる超巨大な物から、腕時計の上で開いたささやかなサイズの物まで形態こそは様々だったが、映し出されている内容はどれも同じ。
 カウントダウンを続ける数字だった。
 あらゆる通信を遮断された地球において、人々は何が起きたのかを理解できぬまま、ただ呆然とそのウインドウを見つめ、火星においては、そのロゴマークを知らぬ人々が、やはり何事か判らぬまま空を見上げて、減ってゆく数字を不安と共に眺めていた。
 そして数字がゼロになった時、全ての場所に声が響き渡った。
『全人類に告げる。本日、二二〇四年十二月七日十二時五〇分、私は私の名において地球、ならびに火星の両政府に対して宣戦を布告します』
 まるで、オペラの一節の歌う様な美しい声で、人類に対する死刑の宣告は発せられた。




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