太陽の光を背に受けて、ナデシコBは今日も猛スピードで宇宙の闇を突き進んでいます。
 最終的な試作品であるが故に極限まで品質管理を徹底されたハイパードライブユニットは、約一月に及ぶ全力運転でも根を上げる事なく快調そのもの。
 さらに最終仕様の航法制御システムは、まるでミナトさんが繰艦している様なスムーズな動きを再現。
 ホント、技術の進歩には舌を巻きます。
 これがそのまま量産されれば、ヒット商品間違いなしでしょうね。
 ……というわけで、こんにちは。ホシノ・ルリです。
 今回の私達の仕事は、軍からの――というよりも、ミスマル提督個人からの要請によって、木星の衛星に存在していた旧木連施設の検査を行うというものですが、最初から気乗りしない私の心情を察してか、前回のバスティール捕獲任務の時とは異なり、艦内でリクリエーションの類が行われることなく、淡々とした航海となっています。
 そんなわけで、ナデシコの名を冠する当艦にしては珍しく、どこかピリピリムードを艦内に漂わせつつ突き進み、地球時間で二二〇四年十一月二一日、私達は木星圏の間近へと達しました。





機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#42〜







 
 巨大な質量により百近い衛星を従える巨大惑星――木星。
 生物が存在しない衛星の幾つかが、人類の生活圏となったのは一世紀前。
 月を、そして更に火星を追われて逃げ込んだ人々がコロニーを形成したのがその理由ですから、つまるところ彼等に対する迫害が無ければ、人類が木星圏で生活をする事などなかったのでしょう。
 明らかに生活環境には適していない最果ての地で彼等が生きながらえたのは、単に地球外生命体の残した遺跡を発見し、運用できた事によるものでした。
 地球に対する怨念を忘れない彼等は、偶然入手したオーバーテクノロジーを用いて力を蓄え、やがて「木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家間反地球共同連合体」という国家にも似た集団を形成し、火星と地球に対して戦端を開く事になりました。
 それが今から八年前。私は……まだ十一歳でした。
 蜥蜴戦争――怨恨によって始まった人類史上最大の戦役から、まだ十年も経っていないんですね。
 その十年にも満たない僅かな日々の間にも、人類は利権闘争や、主義・思想の相違からのいざこざを起こしては争い、その渦中でユリカさんは亡くなり、アキトさんは私の前から姿を消してしまいました。
 あの子が……地球圏を管理する大管制脳ガーディアンが登場して、やっと安定するかと思った矢先に、また新たな火種……ホント嫌になります。
 そして更にあの子達にあらぬ嫌疑がかけられ、アキトさんが戻ってくるかもしれない大事な時期に木星までお使いですよ?
 幾ら感情の起伏が乏しい私だって、腹も立てれば、苛立を覚えるというものです。
 ――無論、顔には出しませんが。
 とにかく、早く任務を済ませて地球へ帰り、火星との戦争を思いとどまらせて、アキトさんの帰還に備えましょう。
[目的地付近に到着]
[まもなく木星を視認]
[機関良好☆]
 オモイカネのメッセージウインドウが艦内に表示され、安堵からでしょう、艦内に微かなどよめきが起こりました。
 幾ら最新のハイパードライブのお陰で航程が短縮されているとは言え、やはり木星まで来るのは骨が折れます。
 そもそも、ナデシコB単艦での隠密航海ですから、もしも重大な機関トラブルでも発生しようものなら、宇宙を彷徨った挙げ句に野垂れ死に……など笑えない結果になるわけです。
 無事、目的地に着けば安堵する方が自然と言うものですね。
「オモイカネ、減速開始して下さい。ハイパードライブはフェードアウト。木星の引力には注意して」
[了解]
 宇宙に散らばる無数の星々――その中の一点が次第に大きくなってくるのが、肉眼でもはっきり確認できました。
 やがてその点に、茶色や黄土色の縞模様が確認出来るまでになりました。
 まさに木星です。
「第一種警戒態勢発令。さぁ皆さんお仕事ですよ」
 私の言葉が全艦に伝わり、ブリッジの内外で部下達の動きが慌ただしくなります。
「判りましたっ! おーっし、アイスマン、第二小隊発進! 周囲の警戒にあたれ」
『了解した。第二小隊出る』
 三郎太さんの命令に、ハンガーで待機していた第二小隊隊長のアイスマンさんが応じました。
 彼は我が部所属のテストパイロット達の中にあって、唯一リョーコさんの元部下――つまり統合軍のライオンズ・シックル出身ではない方です。
 元は傭兵だったらしいですが、無精髭とサングラスがトレードマークの彼は、如何なる時でもそれを外す事がありません。
 その所為で彼の素顔を見た者は居ないとか……何とも胡散臭い人物ですが、ナデシコクルーらしいと言えば、そう納得できてしまうのが本艦の凄いところですね。
「よろしくお願いします」
 私が通信越しにアイスマンさんに応じている間にも、第二小隊に属する三機のアルストロメリアは発艦し、ナデシコBのやや前方に展開しますが、GSの制御するノウゼンハレンにも劣らない一糸乱れぬ見事な機動が、彼等の練度の高さを証明しています。
 流石ですね。
 第二小隊が展開すると同時に、今回の任務に辺り再び装備されたVLSやCIWSが発射態勢を整え、全艦が警戒態勢の準備が整いました。
 その間にも木星はぐんぐんと大きくなり、今やその特徴的な大赤斑――地球の倍以上もある巨大な低気圧――もはっきりと見てとれます。
「ねぇ三郎太さん、木連のコロニーってどんな感じなんですか?」
 背後から興味津々といったハリー君の質問が聞こえてきます。
「ん〜? な〜んもねぇよ」
 それに対して、三郎太さんの応対は、彼らしからぬ素っ気さです。
 生まれ故郷に対して感慨深い感情は抱いていないのでしょうか?
「え〜、何ですかそれ?」
「だってよ、メインのコロニーだった部分は、都市宇宙船としてそのまんま火星や地球に行っちまったし、三年前の遺跡廃棄作業のニュース映像を見た時には残ってた施設も解体されてたし……実際もう何も残っちゃいねぇと思うけどなぁ」
 彼が言い終えると当時に、私の首筋に僅かな空気が感じられました。
 恐らく、応じながら両足をコンソールに投げ出したのでしょう。
「それにしても、火星と地球が戦争おっ始めるかも知れないっていう時期に、僕達何やってるんでしょうね?」
「だからー、何度も言ってるじゃねーか。それを何とかして食い止める為だってよ」
「でも……本当に木星に何もなければ、戦争は始まらないすか?」
「おじさま……ミスマル提督の手腕に期待するしかないですね。少しでも戦争を回避する材料を手に入れる事が本任務の目的ですから。仮にオートプラントが何らかの原因で暴走し、勝手に機動兵器を生産していれば、ラフレシア事件もそれらによるものだと言えるかもしれません。何事も無ければ無いで、プラントの暴走という懸念材料が一つ減るわけですから……とにかく、可能性のある場所を肉眼で確認し、情報を入手して早急に帰還する事に尽きます」
「そう……ですね。はい」
 私の言葉に元気良く頷くハーリー君に、三郎太さんが苦笑を漏らしました。
 現金なヤツ――とか思ってるんでしょうね。きっと。
[ガニメデ、イオ、エウロパ、カリスト、ヒマリア、アナンケ他十二の衛星を確認]
「プローブ射出」
 私の指示に、ナデシコBから即座にプローブ――無人偵察ポッドが数基、衛星群に向けて飛び立ちます。
 続けて――
「対空監視を厳重に」
 私が短く発すると、私自身も観察と情報収集の為IFSリンクレベルを強化。
 キャプテンシートがせり出してウインドウボールを形成、プローブとオモイカネの伝えるデータの解析を開始します。
 え!?
 その瞬間、プローブからの信号が途絶えてしまいました。
「プ、プローブの反応、全機消失しました」
 背後からハーリー君の狼狽え声が聞こえるより早く、消失直前のプローブが最後に送ってきた情報に、私は事故ではなく何者かによって撃墜された事実を掴みました。
 何か……居ます。
 ミスマル提督の推測は正しかったという事でしょうか? 多数の熱源、質量、動体反応を、ガニメデやエウロパ周囲に感知――これって……え?
「ガニメデ付近に多数の動体反応!」
 緊張の含まれたハーリー君の声に、ブリッジ内が一層騒然となりました。
 でも……私は声を出せなかった。
「これは……あ、未確認高速移物体が多数急速接近!」
[危険!]
[緊急事態!]
[警戒!警戒!]
[接近警報!]
[アンノウンを最大望遠]
『おい、ナデシコ! 何か来るぞ? どうすれば良いんだ?!』
 ハーリー君が悲鳴の様な声を上げ、オモイカネが緊迫した情況を必死に伝えようと、多数のウインドウを表示させ、前衛のアイスマンさんから通信が入る。
 何か命じなければ――
 私はナデシコBの艦長――
 責任者なんですから――
 私が命じなければ、皆が動けない――
 でも、カメラが捉えた映像を見てしまった私が――
 私が、やっと絞り出した声は――
「嘘です……」
 ――という、何の意味も持たない一言だけでした。
「接近中の機体に告げる、当艦はネルガル重工所属実験戦艦ナデシコB! 接近の意図を明確にされたし! 繰り返す、接近中の……うわぁ、応答ありません! 艦長っ!?」
 ハーリー君の声。
 接近してくる機体の動きは明らかな戦闘機動であり、その意図もまた明確です。
 だからこそ、私には信じられなかった。
「そんなの……そんな事……」
 鳴り響く警報と、怒号や悲鳴。
「艦長! くそっ……おいハーリー、お前が全艦の管制をやるんだ。軍と本社にも緊急通信を入れておけよ! アイスマン、バンガード、アダムはただちに迎撃に当たれ! マリアとゾウザリーも直ちに発進。俺もすぐ行く。やつらをナデシコに近づけるなっ!」
 三郎太さんや、焦っているハーリー君、そしてスタッフのみんなの声が、残響となって頭の中をシェイクする。
 でもそれが何を言っているのか理解はしていない。
 ただ、あまりにも残酷な光景を見て、私の精神は必死にその現実を拒否しようと藻掻き――
 ユリカさん!
 アキトさんっ!
 すがるように、私は二人の名前を頭の中で叫び続けました。
 だが、そんな私の行為を嘲り笑うかの様に、眼前のウインドウには、明確な敵意と共に突っ込んでくる、真紅の戦闘機や人型兵器の映像が映し出されていた。




§





 判らない。
 否、認めたくない。
 目の前で展開している光景は、確かに現実の物のはず。
 私の部下が、命をかけて戦っている。
 しかもその相手は、私の娘とも言うべき、スプリガンが操っている物。
 ――何故戦っているのだろう?
 ――何のために戦っているのだろう?
 ――私は何故此処に居るのだろう?
 そんな事をぼんやりと考えている自分に気が付く一方で、必死にナデシコBの管制を行っているハーリー君の涙声も聞こえてくる。
 ――ああ、責任者である私が何とかしないと。
 そう思いはするものの、正反対に私の頭脳はより一層混濁してゆく。
 いつの間にかキャプテンシートも元の位置に戻っていて、誰かが私の腕を掴み、シートから立たせようとしていたが、それが誰なのかも判らない。
 衝撃、震動、そして悲鳴と警報が耳をつんざく。
 先程まで私を立たせようとしていた人が、今は私の横で倒れている。
 ブリッジの清潔な白い床が、赤黒い血によって汚されて行く。
 再び震動と悲鳴。
[直撃!]
[フィールド低下!]
[隔壁閉鎖!]
[アダム機被弾しました!]
 オモイカネが、声にならない悲鳴を、文字で私に伝えてくる。
 周囲の状況と、メッセージを頭の中で組み立てると、どうやら自分の乗ったナデシコ――じゃなくって、ナデシコBは何者かと戦闘状態になっている。そしてかなり劣性だという事ですね。
 これは一大事です。
 命の危機です。
 なのに……何で、私は動けないのでしょう。
 敵って誰?
[バンガード機が囲まれてます。危険!]
『くそったれ、うおっ!』
[バンガード機被弾!]
『おいバンガード返事しろっ!』
[バンガード機IFS反応消失]
「うわわぁっバンガードさん応答して下さい! 応答して……バンガード機の応答ありません! 三郎太さんもう駄目ですっ! お終いです!」
『馬鹿野郎! 諦めるなハーリー、今はお前だけが頼りなんだ。ちっ!』
『アダム下がって! 被弾した機体じゃ……あっ!』
『畜生畜生畜生、おおわあっ!』
[アダム機撃墜]
『くそっ! アダムが喰われたぞ』
[左舷第2CIWS群直撃! 弾幕低下!]
『何て機動! 照準が追いつかないわ』
『マリア、後方に二機ついた。かわせ!』
『ゾウザリー、マリアの救援に行け。此処は俺一人でいい』
『了解っ』
『ビンゴー! 一機撃墜、これで四機目』
『アイスマン、ナデシコの左舷防備に回れ』
『了解した』
[前方敵艦からの砲撃来ます]
『ハーリーかわせっ!』
「は、はいっ! オモイカネ!」
[回避成功]
「よしっ!」
[敵艦隊より更に砲撃!]
「第三射、第四射、第五射……グラビティブラストの一斉発射です!」
[回避不能]
[3、2、1、直撃!]
『ハーリー!』
 震動と悲鳴。
『おいナデシコ、大丈夫か?』
[フィールド更に低下]
[撤退を進言します]
[敵駆逐艦4隻急速接近]
[艦種判別 ロベイオン級機動駆逐艦]
『これが駆逐艦の動きかよ?!』
『きゃあぁっっ!』
『マリア!』
「マリアさん!」
[マリア機被弾!]
『くそっ! 突破された、ライネックス二機がそっち行ったぞ!』
「艦長っ! うわぁぁぁぁぁぁっ!」
 ハーリー君の狼狽した涙声に続いて強烈な震動がブリッジを襲い、私の意識は途切れて行きます。
 お休みなさい、ユリカさん、アキトさん。
 明日は、ラーメン売れると良いですね。


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