タキリ――それは、かつて太陽系内流通・交通ネットワークの切り札として計画され、多大な労力と資源、そして資金と時間を費やして整備されたヒサゴプランを形成するターミナルコロニーの一つである。
 しかし、次世代の交通網として期待されていたそれは、二二〇一年の連続コロニー襲撃事件と、草壁の武装蜂起による影響で壊滅的打撃を受け、その短い歴史を閉じた。
 運用において何かと制約の多いシステムであった事に加え、(結果的に)テロ組織の為に整備された公共施設という、歴史上の汚点的事実によって、戦後の混乱が収まった後も復興の目処は全く立たなかった。
 結果、ヒサゴプランは世論から見捨てられ、その計画に深く携わったクリムゾンや、彼らの後押しを受けていた政治家達に大打撃を与える事になる。
 廃墟のまま残されたターミナルコロニー群は、それ自身が不良債の具現であると共に、忌まわしき戦乱の跡地としてタブー視された事で、人々の記憶から急速に姿を消した。
 以後、GS艦隊が本格的に稼働するまでの間、廃棄ターミナルコロニー群が海賊や地下組織の温床となったのは、そういう理由からだ。
 全てが一掃された今、それらは再び巨大な無人の廃棄施設に戻り、人気は完全に途絶えてしまっている。
 そんな宇宙空間に浮かぶ無人の巨大な廃墟に工事作業の光が瞬く様になったのは、今から三ヶ月程前の事だ。
 動いているのは、赤いカラーリングが眩しい人型機動兵器。
 そして彼等が取り付いて作業を行っているのは、紡錘形の巨大な物体。
 その形状から、かつて地球の人々はそれを「チューリップ」と呼称し、木連においては次元跳躍門と呼ばれていた物体だ。

 破壊を免れ残ったヒサゴプランのチューリップは、二二〇一年十月に可決され、同年十二月から実施に移された「古代火星文明の遺跡及び遺産の破棄法」内でも、唯一の特例としてその存在が公に認められていた。
 その特例は、法案が議会に提出された際は、まだヒサゴプランの今後が不透明だった事もあって設けられたのだが、先にも述べたように人々がヒサゴプランそのものを記憶から排除した為に、事実上その立場は空洞化してしまっている。
 無論、復旧工事が始まるまで利用出来ないよう、物理、論理両面で厳重な封印処理がなされており、その堅牢さはターミナルコロニー跡がアングラ組織の温床となっていた頃、火星の後継者残党も含めたいかなる組織もチューリップを使用していない事から見て取れる。
 しかし今、地球圏に残された数少ないチューリップの周囲では、幾つもの小さな火花が瞬いていた。
 真空でなければ、さぞ豪快な音が周囲に響いていた事だろう。
 GSの人型機動兵器ノウゼンハレンは、腕部やマニュピレーターに内蔵された各種工作機械を器用に扱い、人間の手を遙かに上回るスピードと正確さで、効率よく施設の復旧作業を進めてゆく。
 本来であれば、封印が解除されかけた時点で警報が管轄組織や連合宇宙軍へと発せられるはずだが、それら情報を管理するコンピュータがガーディアンの支配下にあっては、それが実行される事はなく、人類は誰一人ヒサゴプランの一部が復旧を開始した事に気が付く事はなかった。
 そして二二〇四年十月十五日――今まで数多の工作活動に耐え抜いたタキリのチューリップの封印はあっさり解かれ、修復された周囲の施設や機器は、チューリップにゲートとしての機能を完璧に蘇らせていた。
 文字通り花弁が開くようにチューリップが形を変えると、やがてその開け放たれた部分から、何隻もの艦艇を吐き出した。
 もしも、ゼロス要塞駐留のGS艦隊管理担当官あたりが、出現した艦艇ナンバーを知る事が出来たならば、それらが火星圏の封鎖に従事しているはずの艦艇だと気が付くだろう。
 火星圏に居なければならないそれらがこの地に現れた事は、火星圏に存在するターミナルコロニーもまた、一部が復旧なされている事実を物語っている。
 チューリップより出現した、ナイゼス級砲撃艦の数がやたらと多いその艦隊は、内部にある物を抱え込んだまま、地球の方向へ向けて動き出す。
 そしてその翌日、十月十六日――ラフレシアは駐留していた第四艦隊と共に、正体不明の無人機動兵器の襲撃を受け壊滅した。





機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#40〜






 開戦の気運が高まるにつれ、人々の生活にも何かしらの変化が現れるかと思えば、少なくとも地球圏で暮らす人々の生活には目に見える変化は現れていない。
 彼らは自分達の勝利を疑っていなかったし、正義も自分達にあると信じていたし、仮に戦争となったとしても、戦場は遙か遠い火星とその周辺で行われ、短時間で終わると信じていたからだ。
 何しろ火星は既に圧倒的な戦力によって包囲されているのだ。
 故に地球市民の大半は、自分達の日常を変えるつもりはなく、またする必要性を感じる事もなかった。
 だが世界が少しずつ変わり行く様を実感している者も僅かに存在している。
 アカツキ・ナガレは、変化に気が付いている者の一人だった。
 机の上に未決済の案件書類が山と積まれた日常的な光景の中で、知らされたなかりの非日常的な情報が部屋の主の頭を悩ませていた。
「シベリアのジオフロントですが、随分派手に動いているみたいですな」
「……みたいだねぇ。まさか、地球側もアレを持ち出すとは思わなかったけど……やっぱり報復のつもりかな?」
 アカツキが報告書に目を通しながら、横臥する様に背もたれに身体を預けた。
「その可能性は高いですな。単純に戦争に勝つなら、派遣しているGS艦隊に任せておけば問題ないわけですし……恐らくは政治的アピールでしょう。でなければ、政府はラフレシアを襲った無人機を火星軍の物だとの断定したか……のどちらかでは?」
「いやいや、ただ単純に戦争をおっ始める為の大義名分が欲しいだけじゃないの? それと、かつて自分達を死地に追い込んだ無人兵器を投入する為のさ。さぁて……困ったね」
「困りましたな」
 ブロスはアカツキの言葉に同意を示して、左手で掴んだハンカチを額へと運んだ。
 その際、ごく僅かな機械音が彼の左腕から発せられた。
 生来の腕がキュリアンとの戦いで失われた結果、彼の左腕は義手となっている。
 自社製品の最新試作モデルであり、その制作者が「自分の腕を切り落としても欲しくなる」――と言った程の逸品だ。
 接続された神経から伝わる微弱な信号を、内臓されたマイクロチップが瞬時に解析する事によって、生来の腕を扱う様に、意識せずに動かす事が可能である。
 一般的な神経接続方式の義手に見られるタイムラグが無い事は、それだけ高性能なチップを内臓している事の証明だ。
 指先の器用さも被装着者の運動神経に準じた動きが可能であり、卵を割らずに掴み、針の穴に糸を通す事は無論、ゼネラルブロダクツ製のペーパークラフトメーサー車を組み立て事だって難なくこなせる程の高性能を誇る。
 しかもSSのトップという被装着者の立場と、試作品であるが故の贅沢な特性として、リミッターによって抑えられているトルクを解放すれば、ドアノブを握りつぶす程の握力を発揮できる。
 更に小型レーザーから缶切りまで、多種多様な装備が内蔵されており、その過剰な装備と仕様を知らされたブロスが呆れた程だ。
 つまりブロスの左腕は、人間の腕が本来持っている能力に加えて、強力なパワーと、十得ナイフの様な利便性を内蔵しているのだ。
 もっとも、そんな隠れた機能は今現在、ブロスが関わっている業務には何の必要性も無い無駄な物が殆どで、彼は義手を作ったメディカル技術部の来期予算を考え直す様、アカツキに進言した。
 閑話休題――。
「どう使うと思う?」
「恐らくは……輸送船に積み込んで、秘密裏に火星に投下するのではないでしょうか?」
「火星軍の作った無人兵器が暴走し自滅……ってシナリオかい? うーん可能性は高いね。地球がプラントを所持している事実は、まだ殆ど知られてはいないだろうし、それがバレたら自分達が掲げている正義が失落する事になるからね。使うならそういう使い道しか無いだろうね。そう考えると……例のラフレシアの一件、あれってやっぱり開戦強硬派の自作自演って可能性もあり得るかな?」
 姿勢を戻し、机の上に肘を載せてアカツキが言う。
「それは幾ら何でも無茶ではないかと思いますが」
「だよねぇ……」
「おや? 会長それは?」
 いつの間にか、アカツキは白い便せんを手で弄んでいた。
「ああ、グロアール竣工記念式典の招待状だってさ。ご丁寧な事にアスカの会長さんから直々のお誘いだ」
「遂に完成ですか」
「せっかくだからって観艦式まで行うらしいよ。ご大層に連合宇宙軍艦隊とGS艦隊の両方を列べてだってさ。こんな時に火星を挑発しようって言うんだから、いよいよもって本気って事かね」
「いつでしょう?」
「十二月七日だってさ。そういや、テンカワ君の帰還日が近いね」
「そうですなぁ。彼が戻る頃に開戦……などという事態は、出来るだけ避けたい気分ですが……」
「クリムゾンの連中も躍起になってるし……ちょっと、やりすぎたかな?」
 ネルガルの順調な業績が、ライバルであるクリムゾンを窮地に立たせ、バイド関連の工作活動が更に彼等を開戦派へ追い立ててしまったのは、紛れもない事実であり、そう考えるとアカツキが今の危機を煽ったとも言える。
「火星問題、地球内の派閥争い、バイドを捨てないクリムゾン、そして開戦への秒読み……自分の会社で手一杯なのに、考える事が多すぎるよ……おっと、エリナ君からだ」
 鬱憤を吐き出すように愚痴を垂れたところで、着信を伝えるアラームが鳴り響く。
 アカツキが卓上のモニターに目を向けると、月面支社長室からの連絡を伝えるメッセージが表示されていた。
「よっエリナ君何の用かな……っと、ラピス君か。珍しいね。元気してる?」
『つまらない』
「え?」
 開口一番発せられた言葉に、アカツキが一瞬呆ける。
『ログの解析つまらない』
「……」
『ルリも居なくなって、一人で単純作業。ネルガルは横暴だ。給料を上げるべきだ。休暇をもっと寄越せ。え〜とそれから……何だったっけ?』
 さして感情が籠もっていない口調で文句を並べ立てるとい、ラピスは何やら脇へ目を逸らしてから……
『それから、住宅手当と、残業手当、深夜手当、危険手当も上げるべきだ。それから外勤手当と、残業食事手当も万全に――』
「……ねぇミスター、何時からラピス君は労組代表になったんだろうね? それに労使交渉には時期が早いと思うんだけど?」
「全く、左様で」
 アカツキがブロスへ苦笑を交えて尋ねている合間も、ラピスによる代表抗議は続いていた。
『――タクシー代も会社が負担すべきで、移動のシャトルではファーストクラスの適用を……え〜と、それからジュンとユキナの結婚式はネルガルが全額負担せよ』
「お、最後のは少し興味深いね。ふーん、なるほどアオイ中佐がねぇ……いやぁ〜めでたいめでたい」
 含みを持たせて笑みを浮かべる。
「ささやかですが良いニュースですな。しかし全額負担というのは……」
 ブロスは早速電子そろばんを取り出し――実は義手にも同機能は内蔵されているが、今までの習慣から愛用の物を使っている――計算を始める。
『――ルリは今何処? アキトもうすぐ帰ってくる。一緒に迎えに行く約束』
「まぁ、それは追々って事で。ところで今日の用件はそれだけかい?」
『ん』
 ラピスは小さく頷く。
 彼女がこうして自発的に通話をしてくる事は極希であるから、表情には出なくとも、精神的なストレスは溜まっているのだろう。
 あからさまに彼女のものではない愚痴の数々は、どうせウリバタケ辺りの余計な入れ知恵だろうから、最初と最後の言葉だけが、純粋に彼女の言い分なのだとアカツキは理解した。
 だが、それらを素直に応じる訳にはいかないのが、会長としてのアカツキにとって辛い所だった。
 ガーディアンのログ解析は急務であるし、ルリの居場所に関しては、今や通話ごしに語れる内容ではない。
 だから彼は頭の中で詫びを入れつつ――
「そうれじゃ、申し訳ないが、もう少し頑張ってくれるかな。テンカワ君が帰ってきた時、仕事が終わってないと直ぐに会えないかもしれないよ?」
 ――と応じた。
『……判った。頑張る』
 表情を変えずに頷くラピスだが、答えるまでの間が、彼女の精神的不満を現していた。
 通信が切られると、アカツキは肺に溜まった息を重苦しそうに吐き出して、再び背もたれに身体を預けた。
「テンカワ君に対する気持ちをも利用か……悪党だと思う?」
 何かを言いたげなブロスの視線に気が付いてアカツキは尋ねた。
「いいえ。まぁ、仕方がないでしょうな」
「ま、あの子にだけ苦労させても仕方がないし……僕たちも精々頑張らないとね」
「ですな」
 ブロスの同意を聞くと、アカツキは今一度深呼吸をしてから、目の前の仕事へと取りかかった。
 しばらくしてから、ブロスが思いだした様に口を開く。
「ところで、我が社からのご祝儀はいか程に致しましょう?」
「ん〜、友人の結婚式の相場は?」
 書類から目を放さないまま、アカツキが尋ねる。
「親しい間柄で三万円、更に親しければ五万円といった所でしょうかね」
「企業会長として、お得意様の結婚式という立場だったら?」
「そうですなぁ……我が社の規模と、クライアントである連合宇宙軍の規模、そして中佐という階級を考えるに、百万から三百万程が妥当では」
「そう? ……なら僕と彼は友人なんだし、五万円でいいね」
「友人としてお支払いに?」
「そうそう」
「では、それは会長のポケットマネーからお支払い頂くとして、ネルガルとしては三百万ほど支払いますかな」
 ブロスの言葉に、アカツキは始めて書類から目を上げた。
「え、両方払うわけ? コストカッターのミスターらしくないじゃない?」
「……仮にも貴方はネルガルの会長なんですよ? しかも連合宇宙軍は重要なクライアントです。せこい真似をしても仕方がないでしょう?」
「そういう物かねぇ。それじゃ僕は三万円で」
「おお、何やら義手の調子が悪いんでしょうか? はて、急にレーザーが……」
 物騒な言葉と共に、何やら機械音を発せながらブロスの左腕を包む袖口の一部が盛り上がる。
 もし彼の袖口からは覗けば、その盛り上がった部分にレンズの様な物が見て取れただろう。
「判ったよ、友人として五万円ね。はいはい」
「では、私は一端失礼させていただきます」
 満足げに微笑み、一礼してからブロスは会長室を後にした。
「……ちょっと、わざとらしかったかな?」
 扉が閉まってからややおいて、先程のブロスとのやりとりを思いだし、アカツキは一人呟く。
 政府の情報統制とプロパガンダによって、地球では火星との開戦気運が高まりつつある中、市民の殆どが戦争もやむなしと思い始め、そして誰もが地球の勝利を確信している。
 だからこそさしたる混乱も無く、世の中は平和を謳歌しているのだが、その平和が欺瞞に満ちたものである事実を知るアカツキとしては、不安を感じずにはいられなかった。
 恐らく戦争になれば、装備で優る地球は火星を圧倒するだろう。
 GS艦隊の強さを知るアカツキには、それは予想と言うより確信だった。
 だからこそ第一線を退いた旧式のエステバリスを、子会社の子会社の更にダミー会社を通じて火星へ横流しした。
 自分がえげつない商売人だという事は、彼自身、随分前から自覚しているし、その自覚がなければ、この商売で成り上がる事など出来はしないとも理解している。
 片手で世界を巻き込む戦争の準備に荷担し、もう片方の手で友人の結婚を祝おうとしている自分は、道徳的な立場からは最もかけ離れた存在なのだろう――そう思うからこそ、彼はふと自虐的な笑みを浮かべる。
 しかもその友人は軍人であり、自分が荷担する戦争によって命を落とすかもしれない。
 それは普通の人間には耐えられない重圧だ。
 だが、それに耐えうる精神を持っていなければ、軍需をも扱う巨大企業の会長は務まらない。
 そう言った意味でアカツキ・ナガレは、正にその器を有した人物だった。




§





 数々の家具や寝具が列べられたホームセンターらしき店内を、一組のカップルがはしゃぎながら歩いている。
 いや、よく見ればはしゃいでいるのは女の方だけで、男の方はむしろ連れのパワーに振り回されているだけの様だ。
『ね〜ジュン君、私内装はピンクがいい〜可愛いやつ〜』
 腰をくねらせて、男――ジュンの腕に自分の腕を絡めた女――ユキナが、少々派手目なカーテンを指して提案する。
『ぴ、ピンクってあれかい? いや〜あれは……ちょっと……何て言うか目に眩しいって言うかさ……僕としてはもっとリラックスできるあっちのライトグリーンとかの方が……』
『何よ!』
『えっ?』
『人を傷物にしておいて、私のささやかなお願いは聞いてくれないわけ〜? ああ〜ユキナは身も心も貴方に捧げたのにぃ、ジュン君ってばそんなに器量が狭いの? 本当に軍人なわけ? ぷんぷん!』
『え゛え゛え゛え゛え゛っ?!』
 二人の大声でのやり取りに、店内の客達が何事かと野次馬に集まってくる。
 周囲の野次馬に気が付いたジュンは狼狽え始めるが、ユキナの方は一向に構う様子も見せず、大きくなってきたお腹をマタニティドレスの上からさすりながら、芝居がかった態度で泣き崩れる。
『ああ〜何て不憫な子なんでしょう。シクシク……。あなたのお父さんは、無理矢理私を孕ませておいて……』
『うわぁぁぁっ! な、何だよそれっ!』
 ・
 ・
 ・
「というわけで〜、なんてゆーか、ジュン君って勝手に自滅するから、私達が背中を押す必要も無かったであります」
 そう言いながらヒカルがリモコンのスイッチを押すと、目の前で映されていたユキナとジュンの映像が消えた。
「ひ……ひ……ははっ。嫁の言いなりで家具買うとは何て下愚な奴〜。ユキナはジュンを玩具にし、ジュンはユキナの身体を玩具にする〜」
「あ〜もう、下品なネタは止めろってんだ! おいヒカル、お前せっかくの休日に何やってたんだ?」
 イズミの寒い漫談を遮る様にリョーコが叫ぶ。
 ネルガル月面支社施設内にある極秘研究所――その内部の休憩所で、ヒカルは先日の休日に、地球で偶然見かけた(本人談)婚約者カップルの映像を、みんなに見せていたのだった。
 ルリの予想通り、彼等の式が乗っ取られてお祭り騒ぎになる事は、もはや避けられそうにない。
「にしてもジュンの奴、もう上さんの尻に敷かれてるのかよ。ったく情けねぇぜ! 男ならもっとどしっと構えてだなぁ」
「やだな〜ウリピーが言っても説得力ないって?」
「女は男を尻に敷く。故にリョーコもサブを敷く」
「お前等もうちっと真面目に休憩しろよな! アリシアを見ろ、さっきからどう反応すべきか困ってるじゃねーか」
「え? いえ、私は……その……」
 急に話題を振られたアリシアは、どう対応して良いのか判らず口ごもる。
 彼女は旧統合軍時代からリョーコの部下としてエステバリスを駆っていたパイロットで、統合軍解体後に他の同僚達と共にネルガルへテストパイロットとして転職した。
「ふっふっふ〜ん、そんなリョーコが怒りっぽいのは、サブちゃんが近くに居ないからかな〜ん?」
「意外とリョーコちゃんは、プライベートじゃ可愛らしいんじゃねーのか? 所謂ツンデレってやつだな、うんうん」
「な、何だよそりゃ」
「リョーコはツンデレ。財布はツンドラ〜うひゃひゃひゃ」
「あイズミ、お前人の財布ん中勝手に見るなバカ!」
「お、サブちゃんの写真はっけ〜ん!」
「わぁ、バカ見るな!」
「はは……」
 アリシアは目の前のやり取りに苦笑をもらすが、その一方でこの雰囲気が気に入っていた。
 ガントレットのテストチームに配属されてからの日々は厳しく、とても笑顔が作れるような状況では無かった。
 しかしヒカルとイズミの二人が参加してからというもの、毎日がこんな有様だ。
 厳しいのは相変わらずだが、以前の様な張りつめた空気は薄まり、仕事にも余裕を持って望む事が出来る様になっていた。
 以前――ヒカルがアルストロメリアの実験中隊にゲスト参加し、そしてイズミを加えて土星軌道までバスティールを捕獲しに行った時に、初めてこの雰囲気を味わった時は少々面を食らった。
 何しろ、それまでスバル・リョーコという存在は、アリシアとその同僚達にとっては鬼軍曹(実際の階級は中尉であったが)の様なものだった。
 それが、ヒカルとイズミの前ではそんな威厳は形を潜めるてしまうのだから、皆が驚いた。
 そしてかつての鬼軍曹は、今や同級生に弄られて狼狽える女子高生なイメージにまで失墜していた。
 スバル・リョーコ哀れなり。
 無論だからといって、かつての部下だったアリシアが、同じ女学生気分でリョーコに接する事は出来ないので、この様な事態の場合、アリシアが取れる行動は、ただ苦笑しつつ上司の窮地を見守るだけだ。
「いい加減に返せ!」
「ほーい、イズミっ」
 リョーコがヒカルに飛びかかるが、その直前にヒカルの手から写真らしき紙が投げられる。
 まるで小学生のやり取りだ。
「……なんだありゃ?」
 緊張感の欠片もみられないやり取りに、同じ休憩所でコーヒーを飲んでいた技術者は、目の前の者達が本当に自分と同じプロジェクトに携わっている人間だとは思えなかった。
 結婚を控えた友人の休暇をストーキングし、あまつさえ隠し撮り映像を観て楽しんだり、小学生並の行動で下世話な話で盛り上がってるでいる連中であるから、そう思うのも当然だろう。
 しかしそんな彼女達こそ、最も腕の立つテストパイロットであるし、一緒に騒いでいる男がRV計画の要とも言うべき立場の主任技術者である事は、紛れもない事実なのだ。
 リファイン・バスティール――つまりバスティールの復元と、そのレプリカを作るRV計画は、今なお極秘で進められており、予算と人員の増額が認められた事、そしてヒカルとイズミの二名がテストパイロットとして緊急召集かけられた事も相まって、開発は以前にも増して急ピッチで進んでいる。
 その甲斐あって、ニューロン機関の制御OSと、FCS――火器管制装置に付いてはは、ほぼ満足の行く段階まで出来上がっており、残す最大の難関は、何と言っても有人機であるが故の「最大の壊れ物」であるパイロットを守る為の装備の開発である。
 主兵装や機体自体はほぼ完成しているので、後は人間が操れる範囲を模索し、それに併せて機体のパワーバランスを調整すれば良い。
 だが、それが難しいのだ。
 技術陣は日夜試行錯誤を繰り返して耐Gスーツの改良を進め、ナノマシンの技師や情報伝達プログラムの権威は日々新型IFSの生成に全力を注いでいるが、結局は実際に操作をするパイロットが満足出来なければ意味がない。
 故にイネスの知識やウリバタケの技術よりも、テストパイロット達の判断が物を言う。
 現在ガントレットのテストパイロットは、途中参加のヒカルやイズミを加えて八名であり、四名づつの小隊に分けて実験に参加している。
 完成した試作機は五機だが、それが全て同時に稼動する事は滅多にない。
 調整や整備、新型装備の装着などで、ひっきりなしに解体と組立がされているからだ。
 しかしそれでもテストパイロット達は大忙しだ。
 試作機を実際に使った実験だけでなく、シミュレーター実験や、新型IFSの開発など、やることは幾らでもある。
『第二実験小隊、状況終了』
『第一実験小隊、準備開始願います』
 休憩室にアナウンスが流れ、今まで悪ふざけをしていたリョーコ達の動きがピタリと止まる。
「おっと、オレ達の出番だ。ヒカル、イズミ、アリシア休憩終了だ。行くぞ!」
 イズミが手にしていた写真をひったくる様にして奪いながらリョーコが叫ぶ。
「それじゃ〜ね、ウリピー」
「行って参ります」
「はっ」
 気合いの入っているリョーコ、軽いノリが相変わらずなヒカル、何故か悲壮感の漂う表情で敬礼してゆくイズミ、そして律儀に丁寧な軍隊式の敬礼をっして寄越すアリシア。
「おお、四人とも頑張れよ〜」
 そう言って彼女達を送り出したウリバタケも、手にしていたカップのコーヒーを飲み干すと、「さぁて、俺も仕事すっかなぁ〜っと」呟きながら立ち去った。




<戻る 次へ>

SSメニューへ