「いいかね。君の任務は非常に重大であり、かつ早急な対応が求められる」
 二二〇四年十月二〇日――
 ヨコスカの連合宇宙軍極東本部にある提督のオフィスに出頭した私とムネタケさんに、おじさま――ミスマル・コウイチロウ提督は開口一番そう言いました。
 その表情は無駄にエネルギッシュな普段のおじさまからはほど遠い、苦渋と苦悩、そして疲労に満ちていて、これから告げられる内容が私にとって宜しくない内容である事を物語っていました。
 ……まぁ、そんな事は此処に来るまでの間で既に確信しておりましたが、改めて突きつけられると、心構えは有っても緊張はするものです。
 既に軍を退役した私が、かつての上官の元へ馳せ参じ、酷い不都合に見舞われつつある原因はと言えば――
「悪いけどさ、ルリ君は直ぐに宇宙軍の本部に行ってミスマル提督の指示を受けてくれないかな?」
 ――といった、アカツキさんからの命令が有ったからです。
 しかし、それが伝えられた時の私は、その命令を甘んじて――いえ、むしろ嬉々として受けました。
 何しろその時の私と言えば、二月十三日以降のガーディアンのログを調査すべく、ラピスと共にネルガルの月面支社に缶詰状態にあったからです。
 元々気乗りしなかった事に加え、退屈極まりない単純作業の連続だった事もあり、これ幸いと命令を受諾。
 ぶーぶー文句を言うラピスを残して、ヨコスカの連合宇宙軍本部へと向かう事になったのです。
 よくよく考えてみれば、ガーディアンのバイド化を確認する重大な仕事を中断してまで呼び出されたのですから、その内容もまた厄介極まりない物であるのは当然でしたが、心身両面で窮屈な仕事から解かれた解放感が、私の思考を狂わせていたのでしょう。
 迂闊でした。ふぅ。
 私がその事実に気が付いたのは、私に代わって特別試験運用部長代行――つまりナデシコBの艦長代理を勤めていた三郎太さんまでもが、定期試験航海を中断して私の護衛役に呼び戻されていた事を知った時です。
 しかも三郎太さんが言うところによれば、ナデシコBの入渠したドック周囲の警戒っぷりは、外見上はともかく実質的には普段以上に厳しかったとの事で、今回の呼び出しがただの所用でない事が間違いなく、しかもナデシコB全体を巻き込む規模である事が伺い知れました。
 訝しみつつも地球へと降下した私達ですが、その際も、普段使うネルガル所有の連絡機ではなく、かといって民間航空会社の定期便でもなく、誰かしらのプライベートシャトルで、地球上で目的地に向かう車に至っては――普段のご大層なリムジンではなく、ごく普通のライトバンでした。
 そんな念の入った偽装工作もさる事ながら、ライトバンにはムネタケ顧問(元・宇宙軍参謀で、現在はネルガルの軍事部門における相談役)まで乗り合わせていたのですから、これから向かう先で発せられるであろう指示(もしくは命令)は、ナデシコBを用いて行われる軍事行動に準じた物だという事も判るというものです。
 神妙な雰囲気を察したのか、いつもの軽口を潜めた三郎太さんを廊下に残して、私とムネタケ顧問が指定されたオフィスの扉をくぐったところ、かくして私達は、おじ様の前に立ち、前述のお言葉を頂いたのであります。 
 それにしても、アキトさんの帰還を控えてるというのに、ゴタゴタ続き……ホント、嫌になります。






機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#39〜







「さて、君達は本日付けでネルガルから連合宇宙軍への出向扱いとなった。故に、これから語る事は全て軍機に属する事となるので、当然ながら一切を他言無用で頼む……つい先日起きたラフレシアの爆発事故は知っているね?」
 コウイチロウおじ様の質問に、私は頷きました。
「はい。基地機能の喪失に加え、駐留していた第五艦隊は壊滅状態だと伺ってます」
「何とも酷い大災害だったようですな。今もまだ行方不明者の捜索は続いているという話ですが?」
 私の横で立っているムネタケさんが、顎をさすりながら続けると、向かいのおじ様の表情が強張りました。
「うむ。ここだけの話だ。良いねムネタケ君、ルリ君?」
「……はい」
「伺いましょう」
 重々しい雰囲気を察知して私が躊躇いがちに頷く横で、ムネタケさんも表情を改めます。
「実はあれは事故ではなく、何者かの襲撃によって壊滅したのだ」
 おじ様の口から発せられた言葉に私は息を呑み、目を見開いて驚きました。
「火星軍のテロ……破壊工作活動ですかな?」
 流石にムネタケさんは其処まで如実に態度には出しませんでしたが、瞼を微かに震わせている所を見ると、やはり驚いているのでしょう。
「無論その可能性は捨てきれない。これを見てもらおう」
 おじ様がそう言うと同時に、机の上に”事件”現場らしき映像が浮かび上がり、問題の襲撃者の姿が映し出されました。
「これはバッタですか?」
「似てますなぁ」
 私とムネタケさんの言葉におじ様も重苦しそうに頷きます。
「まるきっり同じ……というわけではないが、非常に似た無人攻撃機だ。こいつが約五百機程、ラフレシアと第五艦隊に襲いかかった」
「GS艦隊の警戒ラインと、ガーディアンに制御されたレーダー監視網をかいくぐって……ですかな?」
 ムネタケさんの言葉に、おじ様は再度頷きます。
「ふむぅ……」
 髭をさすりながら思案に更けるムネタケさんの横で、私は控えめに口を開きました。
「やっぱり火星軍の侵攻……もしくはテロなんでしょうか?」
「うむ。ルリ君の言うとおり、確かにその可能性は高い。君達も知っての通り、火星政府は旧木連のプラント所持を公に認めている。一体何処から調達したのか? という事はこの際関係ない。問題なのは彼等に、あのような兵器を調達し運用できる力があるという事実であり、であるならば彼等の仕業である可能性があるという事だ」
「でも……その可能性は低いと思います」
 私が素直に感じた事を口にすると、隣のムネタケさんも頷きます。
「これは小型機……という事は運用には母艦が必要ですが、してその母艦は?」
「それが、現在に至るも見つかってはいない」
 ムネタケさんの言葉に、おじ様は頭を振ってから応えました。
「ならば、余計に火星の仕業ではないと思いますな。発足間もない火星軍は、当然練度も低いはず。有人にせよ無人にせよ、師団規模の機動兵器をはるばる地球まで、相手に気取られない様に運用する事は出来ないでしょう」
「私もそう思います。特に今は火星から地球へ向かう航路には何重もに封鎖線があり、とても五百機もの大群が見つからずに地球圏まで来る事なんて不可能です」
 遣火艦隊だけならともかく、ドック艦ヘリオ・ベイの就役に伴いGS艦隊の約三分の一が火星地球間の航路に点在しており、そしてガーディアンとスプリガンによってコントロールされている地球圏の警戒網に引っかかる事なく奇襲を慣行だなんてあり得ません。
「そうだ。君達の意見には私も賛同するが、バッタもどきの無人機によって、ラフレシアと第五艦隊が失われたのは紛れもない現実だ。とすれば何が考えられるか?」
「まさかボソンジャンプでしょうか?」
 私の答えに、おじ様さまはゆっくりと首を振ります。
「それはないな。当時、付近におけるボソン反応は検出されていない。幾ら何でもそこまで軍も馬鹿ではないよ」
 自虐的な含みを見せておじ様は笑いました。
 あれだけの数の機体がジャンプを行えば、民間の探査衛星だって反応が拾えるでしょうから、軍やガーディアンが用いている警戒用の衛星群が、それを見落とすはずがない――そう言っているのでしょう。
「それにだ、回収したバッタもどきを分析・研究した結果、彼等に独自のジャンプ能力は無い事も判っている。チューリップでも有れば別だが、流石にあれほど巨大なものなら、それこそ発見は容易いはずだ」
「では、ヒサゴプランが用いられた?」
 ムネタケさんの言葉にも、おじさまは首を振りました。
「ターミナルコロニーの復旧活動は行われていないのだ。故にまだ稼動状態ではない。それに……万が一を考慮し、GS艦隊が警備に張り付いている。仮に向こう側から扉をこじ開けたとしても、直ぐに見つかるはずだ……うむ」
 あれ? 何でしょう……ちょっと今、おじ様の話し方に違和感を感じましたが、私が漠然とそう考える間に、ムネタケさんが新たな可能性を語り始めていました。
「では、火星政府のテロの可能性を捨てて、地球や月周辺で休眠状態だった旧木連軍の残存兵器が、何らかの原因で動いたとかはどうでしょう?」
「似てはいるが、今回のバッタもどきは明らかに木連のバッタとは別物らしい。それに数が多すぎる。一機や二機ならその可能性もあるが……違うだろう」
「地球圏に潜伏していた火星の後継者残党軍や、海賊、そしてその他の反政府勢力によるテロ活動の線は?」
「残党軍がプラントを所持していないのは明白だ。所有していれば、過去に使用しているはずだろうし、何よりも奴等の仕業であるなら間違いなく声明文を発表する。その他の勢力に関しては、師団規模の機動部隊を運用できる力はないと見ていいだろう」
「連合軍内部の好戦的なタカ派や、現体制に反対する政治結社等による、クーデターの前振り、自作自演という説はどうでしょう?」
「幾ら何でも規模が大きすぎるな。それに政治結社やその他反政府組織であれば、事件のゴタゴタに紛れて他の手段にも打って出るだろうし、やはり何らかの声明があるはずだ。軍部内のクーデターであっても同様だろう。一応、秋山君が今、全軍の事件当時の状況を調べているが、その可能性は著しく低いという話だ」
「では、火星の工作員等が、地球圏のレーダー監視網の盲点を調べ本国へ連絡し、それを元に部隊を派遣した……というのが最も妥当ですな」
 ムネタケさんの結論に私も頷きます。その程度しか思いつきませんね。
 火星の諜報力が侮れないのは私もよく知っていますし、何より一番自然でしっくりきます。
「政府としても同様の意見だそうだ。確かにそう考えるのが、もっとも自然でしっくりくる。しかし状況がそうでないと教えている。君達が証明してみせた様にね。それにだ……仮に火星のテロだとするならば、彼等はGS艦隊の封鎖線や地球圏のレーダー監視網を抜ける術を持っている事になり、それこそ政府にとっては受け入れがたい状況なのだ。だからこそ易々自分達の負けを認めるわけにもいかない。そこで今回は、事故として揉み消した」
「馬鹿げた話ですな。自らの失態を認めないばかりか、それを上塗りする様では、戦争になんて勝てるわけもない」
 表情はおだやかなものの、ムネタケさんはキッパリと言い切りました。
「確かに戦争になればそうだろう。だが、私はこの度の事件に、火星軍は関わっていないと見ている」
「ほう? してその根拠は?」
「諜報員や火星を監視している遣火艦隊からの報告では、火星軍に特別な動きは全く無かったという事だ。師団規模の戦力を動かせば、例え無人機であったとしても、必ず何らかの動きが現れる。……それに、私にも彼等がそうまでして、地球との戦端を開きたがっているとは思えない」
「そうですね。火星は……ザカリデ首相は火星の完全な独立を願っていました。私が見たところ、彼は今のところ地球と事を構えるつもりは無かったと思われます」
 私が対談での彼の言葉や態度を思い浮かべながら述べると、おじさまも頷いて同意を示しました。
「そうだな。諜報部の報告を信じるのであれば、火星軍の戦力は防衛軍としての能力にこそ秀でているものの、戦略軍としての能力はかなり低いとう話だ。今、事を構えても彼等に得は無いだろう。例え戦争をするにせよ、彼等はひたすら防戦に努めるはずだ」
「地球でも火星でも、ましてやその他の反政府的組織でも無いとすれば……無人機の正体は一体何でしょうなぁ?」
 ムネタケさんの言葉に、私は今一度考えてみました。
 グレイゾンシステムが稼動してから地球圏には、そんな大それた反乱を起こすような組織は有りません。
 火星軍のテロの可能性も低い。
 連合宇宙軍内部の内輪もめや自作自演の可能性も無い。
 となると、後は宇宙人しか……あ。
 まさか、本物――つまり、古代火星文明の遺産そのものという事は無いでしょうか?
 バスティールが長い年月を掛けて太陽系に漂着した様に……って、無いですね。無理です。無理無理。
 仮にそうだとしても、五百機もの無人機が”偶々”地球圏のレーダー監視網を潜り抜けた――などあり得ません。
「我々には時間が無い……」
 私達が思慮に耽っていると、おじさまがゆっくりと、重苦しい声色で話し始めました。
「政府は火星軍の工作活動という線で意見が固まりつつある。それはつまり、本格的な戦争へ発展する可能性が高まっているという事だ。私が独自に入手した情報では、クリムゾンも必至になって開戦を後押ししているらしいしな」
「……」
 おじさまの言葉に、私は言葉こそ発しなかったものの、眉を寄せて嫌悪感を表してしまいました。
「火星侵攻作戦ですか? 馬鹿馬鹿しい……火星の後継者の反乱からまだ三年しか経っていないというに……やれやれ」
「そうだ。実に馬鹿馬鹿しい限りだが、軍人である以上、もし「戦え」と言われれば、我々は政府の命令には従わなければならない。いや……今回の事件を、無能な連合宇宙軍が招いたヒューマンエラーだと見る議員も居る事を考えると、GS艦隊だけに任せて我々に出動は無いかもしれない」
 吐き出すように溜息を一つ入れてから、おじ様は続けました。
「……いずれにせよ戦争を決めるのは政府の連中だ。しかし、今ならまだ間に合う。事の真相を明らかにし、真犯人を突き止めるのだ」
「真犯人……ですか?」
「そうだ。何処の誰かにせよ、あの無人機を地球圏に招いた者が居るはずだ。それを明らかにする。そうすれば、開戦強硬派を黙らせる事も出来るだろうし、戦争も回避できよう。では、何処かの誰かがあの無人機を作るとしたら……何処で作る?」
 おじ様の問いかけに、私は思い当たる場所を考えてみます。
 バッタ――即ち、古代火星文明のオートプラントを利用して作る無人機動兵器。
 火星にもプラントは有りますが、彼等ではない事は既に証明されています。
 となれば……
「木星……?」
「そうだ。その可能性がある。火星の後継者残党軍や、旧木連の過激派などが、未だに潜伏しているかもしれん」
「しかし遺産や遺跡は全て破壊されたか、マスドライバーで宇宙の彼方へ放り出されたはずでは?」
「いやいや、ルリ君。火星ですら秘密裏に所有していたのだ。可能性はゼロではない。それに……初代ナデシコの事を忘れたか?」
 そうですね。
 ボソンジャンプの演算ユニットを積んだ初代ナデシコは、アキトさんらの手によって宇宙の彼方へと捨てられたはずでしたが、火星の後継者達がそれをサルベージする事で再び私達の前に姿を現しました。
「それにだ、もしかしたら未発見の木連のプラント施設がまだ稼動しており、そこで産まれた物が暴走していただけ……という可能性だってあるのだ。何にせよ誰かが行ってその目で確かめるのが一番だろう。そこでだ……」
「私達……ナデシコBに見てきて欲しいというわけですか?」
「うむ。聞けば今のナデシコBには新型追加機関を搭載して、通常艦よりも遙かに高い速度が出せるというではないか。何より、ルリ君が艦長のナデシコBであれば安心して頼める」
 なるほど、それがこの度の私の仕事――使命って奴なんですね。
 それにしても木星ですか……この間は土星軌道まで行きましたが、ナデシコBは大忙しですね。
「アララギ君やアオイ君の第三艦隊に頼んでも良いのだが、それでは時間もかかる上に、政府や軍の一部を刺激する事にもなりかねない。何となく察しがついていると思うが、今回君達に頼むのは、君達が政府とも軍とも無関係な存在だからという点も大きいのだ。政府と軍の関係は今や最悪と言って言い。政府は我らを信じるに値しない組織だと思っており、最近ではGS一辺倒だ。おかげで軍内部での反GS派はその勢力を増し続けており、私としても頭を抱えているのだ。
 恥ずかしい話だが、自分の部下だからといって信用できる者が少ないのが現状だ。下手に動かせば政府を刺激し『連合軍内部に不穏な動きあり』等と有らぬ誤解を招く恐れもあれば、逆に反GS勢力の決起や謀反を促す恐れもある」
「ガタガタですね……」
 あ、思わず本音が洩れてしまいました。
 私が顔を赤らめて訂正をしようと口を開きかけた矢先、おじ様は掌を向けて私の発言を止めました。
「いや。ルリ君の言う通りだ。今や連合宇宙軍の大半はまともに機能してはいない。それを指揮する私がそう思っているのだ。しかし政府側も一枚岩ではない。親クリムゾン派の議員もまだ少なくない。彼等にとってはGSこそが目の上のたんこぶだからな。故に軍内部の反GS派との協調体制を強化しつつある。故に私でさえ、全ての軍を完全に掌握しているわけでは無いのだ。
 戦艦グローアルを知っているね? あれの完成も近いが、恐らくあの艦は何だかんだと理由を付けて、私の指揮下に入らないだろう。そんな事がまかり通る程、我が軍はガタガタだ。
 開戦を目論むクリムゾンの後押しを受け、自分達の力を誇示したい反GS派。そして、そんな彼等を疎ましく感じている政府首脳達……ガーディアンのお陰で地球は随分居心地が良くなったが、その分、組織としての地球連合政府と連合宇宙軍は骨抜きになってしまった……今回の事件は、その構図をことさらハッキリとさせる結果になった」
 深く溜め息を付くミスマルおじ様の姿に、かつての力強さは感じられません。
 愛娘であるユリカさんとの二度目の別離に、連合宇宙軍のトップとしての肩にのし掛かる数々の難問が、おじ様の精神を蝕んでいるのでしょう。
「……更に困った事に、政府も軍過激派も『火星討つべし』という部分では意見が一致している。
 つまり、どちらにせよ、このままでは戦争は避けられない。もしそうなった場合、政府はGS艦隊だけを投入し、我々連合軍は無用との考えだし、そうなれば今度は反GSの第八艦隊のミカミ提督あたりがうるさくなる。
 このまま進めば最悪、地球と火星の全面戦争に加え、地球で内乱が起こる可能性すらある。地球は火星を信じず、火星は地球を信じてはいない。政府は軍を信じず、軍は政府を信じてはいない。……我々はもう其処まで追いつめられているのだ。だからこの度の事件の真相を掴み、政府や軍部で蔓延しつつある開戦気分を鎮めなければならない」
 おじ様の言われる事はもっともです。
 その様な状態であれば、恥を忍んで元部下と元同僚に助けを求めるのも無理ありませんね。
 でも、あのアカツキさんがよく私やナデシコBを、貸し出す気になりましたね。
 幾ら全面戦争の危機だからと言って、利益を第一に追求するネルガルとしては、社に得が無ければ今回の一件に関わるはずが無いと思うんですけど……ハイパードライブが付いている事が、私達を選んだ規準なら、別の艦艇に取り付ければ良いだけの話ですし、それに……あっ。
「あの……何故、ガーディアンに頼まないのですか?」
 私は思いついた疑問を素直に口に出してみました。
 暫し口を噤んだ後、おじ様は口元のカイザル髭を指先で撫でて、なかなか答えようとしません。
 しかしその間こそが、私に答えを語っていました。
「信用できないのは宇宙軍だけではなく、ガーディアンやGSも……という訳ですな?」
 敢えて口にして応えたのはおじ様ではなく、ムネタケさんでした。
「……そうだ」
 おじ様は、まるで自分の罪を告悔するかの様な重い口調で肯定しました。
 先程おじ様の口振りに感じた違和感の正体は、これが原因だったのでしょう。
「これはあくまで私的な見解であって、今現在、ガーディアン達を訝しんでいる者は殆どいない」
 そう前置きをしてから、おじ様はその続きを語り始めました。
「実は、ここ最近のGS艦隊の動きに奇妙な点が見受けられるのだ。海賊や犯罪組織は根こそぎ鎮圧された現在、地球圏のほぼ全域が安定している。しかし、現在スプリガンは、相当な数の艦艇を地球圏全体に配備して、厳重な警戒態勢を敷いている。
 ここ最近の連合宇宙軍施設周辺の警備ぶりを知っているかな? 現役稼動の施設は無論、廃艦処分を待つ艦艇を集めたステーションにさえ、常に二個艦隊以上のGS艦艇が警備についている。まるで……我々を監視しているかの様に」
「それは火星との緊張や、ラフレシアの事件を考えれば当然では?」
 私が反論をすると、おじ様は首を振ってから私を諭すように話し始めた。
「確かにそう考えればおかしくはないかもしれんが、過剰な警備は事件の前から行われていた。にも関わらず襲われたラフレシアだけGS艦艇の護衛が無かったのは何故だろうか?」
「それは……」
 それは――もう一度、私は反芻する様に口の中で呟きます。
 人間ならばいざ知らず、完璧であるはずの彼女らしからぬ凡ミス――否、有り得ないミスです。
 だがらこそ、その理由を咄嗟に思いつく事は出来ませんでした。
 黙っている私に哀れむ様な視線を向けて、おじ様は更に言葉を続ける。
「……そして、幾ら奇襲を受けたからと言って、バッタ程度の部隊であれば、今の連合軍の戦力であれば有る程度太刀打ちできたはずだ。予算も士気も少ない現状は認めるし、以前に比べて練度が低下しているのも否めない。
 だが、蜥蜴戦争当時ならばともかく、現在配備されているエステバリスやステルンクーゲル、そしてシルフィードは当時とは比較にならない戦闘力を有している。防御力に関しても同様だ。それは二人とも良く判っていると思う。それに、緊急事態にはガーディアンからの指示や命令だって入るのだ。議員の一部が、ヒューマンエラーによる事故だと指摘するのは、そう言った背景があるからだろう」
「確かに。彼女ならば、その戦力に見合った状態で、可能な反撃の手段を全員に指示していたはずでしょうな」
「うむ……だが、今回は彼女達の指示通りに動いても、軍の反撃は上手く機能しなかった。これは第五艦隊所属機の映像記録だ……よく見てくれたまえ」
 ステルンクーゲルのパイロットがレティクルをバッタもどきに合わせようとした瞬間、バッタもどきは見事な機動で照準をずらし難を逃れていきます。
「以前のバッタもどきは、フィールド能力と数に物を言わせて、闇雲に突っ込んでくるタイプだったが、今回のは明らかに頭が良い。生き残ったパイロットの話を聞いたが、まるでGS艦隊との模擬戦をやった時の感触だったと言っているよ。しかもこのバッタもどきは、その全てが現場の急行した第二五GS戦隊によって破壊されており、原型を留めている物は皆無だ。五百機以上も居たにも関わらずだ。まるで綺麗サッパリ証拠を消したかの様にね……」
「……」
 私は何も言う事が出来ず、ただ黙って繰り返し再生される映像を見つめていました。
「GS艦隊は連合宇宙軍とは全く別の命令系統で動いている為、我らが有する彼女らの情報は著しく少ない。だが、その逆は殆ど全ての情報が流れている事になる。何しろ、殆どの管制をガーディアンとスプリガンが行っているのだ。当然と言えば当然だろう。私は彼女達を信頼しているし、彼女達が地球にもたらした平和も素晴らしいと思っている。だが、あの火星危機以降、彼女達の動きにある種の懸念が抱けるのも、また事実なのだ……残念ながら」
「そんな……そんなはずありませんっ!」
 今まで口を出なかった言葉が、一気に爆ぜました。
「そうだ。ルリ君がそう思うのであれば、無論それで構わない。だが、事実が隠蔽されている今でこそ、私の様な疑念を感じる人間は少ないかもしれないが、時が経てばいずれ増えてくるはずだ。特に、軍部にそういった人種が増えれば、内戦の危機はぐっと高まる。火星問題だけでも手一杯な状態なのにだ。だからこそ……ルリ君、君がその目で真実を確かめてきて欲しい」
 なるほど……アカツキさんが私達を差し出した原因は、ガーディアン達に対するメーカーとしてのサポートの一環というわけですね。
 それにしてもバイド化の容疑が掛けられただけでなく、反逆罪までもですか?
 あの子達が一体何をしたとい言うんですか?
 全ての人々が幸せになれるよう、そのもてる力を最大限に発揮させ、そして人間のエゴによってその意識を改竄させられてもなお、彼女達は地球の……いえ、火星も含めた全ての人類の為に働いてるんですよ?
「判りました……私、行きます」
 私は握っていた拳に力を篭めて、出来る限り力強い声を張り上げて応じました。
「……うむ。済まないねルリ君」
「いえ。私が彼女の身の潔白を証明してみせます」
「ああ、君達ナデシコBの所属はあくまでネルガルだ。我が軍の指揮系統には組み込まない。だが、出来る限りの支援はする。何かあったら遠慮なく私に申し出てくれ」
「はい」
「では私は?」
「ムネタケ君には残って別にやってもらいたい事がある」
「こんな老いぼれにですかな? ネルガルへと天下りした元参謀の私を呼び寄せたのは、復職を希望されての事ですかね? やれやれ」
「ルリ君、くれぐれも気を付けてな」
 反射的に敬礼をしかけた腕を戻し、普通にお辞儀をして退室しようとする私の背に、今一度「……済まない」との言葉が投げかけられた。
 何に対しての謝罪なのか特定出来ませんでしたが、恐らく有りとあらゆる事に対する謝罪なのでしょう。

「あ、艦長お疲れさま……っと、一体どうしたんですか?」
 執務室を出ると、待っていた三郎太さんが、私の顔を見るなり怪訝そうな表情で尋ねてきました。
 どうやら内心の苛立たしさが珍しく表情に出てしまっていた様ですね。
「月に戻ります。二十四時間以内に全員を緊急召集して下さい。忙しくなりますよ」
 ツカツカとヒールの音を響かせながら廊下を進む。
「やれやれ……で、今度は何処に行くんですか?」
 一歩後ろに続く三郎太さんが、小声で尋ねて来ました。
「貴方の生まれ故郷です」
 私は振り返らず、そう短く答えました。
 彼の表情は判りませんでしたが「マジっすか?」という返答を聞く限り、彼にとっても驚くに値する内容だったのでしょう。

 ネルガルの月面支社へ戻ると、いつものドックにナデシコBの姿は無く、地下深くの極秘ドックにて再武装化作業が進められていました。
 かつてユーチャリスの整備にも使われていたと言うこのドックは、バスティールを捕獲した後にナデシコBがジャンプアウトした場所でもあります。
 三郎太さんを従えたまま、私はドックが見下ろせるラウンジに立ち、作業が進むナデシコBを眺めました。
 多くの作業員や機械が至る場所で動いており、作業が急ピッチで進んでいるのが判ります。
「どの程度で終わるんでしょうか?」
 目線を固定したまま、私はそっと尋ねました。
「以前取り払った装備を付け戻すだけらしいので、明日にでも終わるって話です。もっともグラビティブラストの封印は、そのまんまらしいですけどね」
 三郎太さんの返答に、私は僅かに頷きました。
 おじ様の黙認を取り付けたとは言え、流石に政府の認可と立ち会いが必要なグラビティブラストの封印解除は見送ったという事でしょう。
 しかし、いざとなれば私とオモイカネの力技でどうにでもなる代物なので、今回慌てて行う事もないでしょう。
 ふと見下ろすと、整備が終わったのでしょう、ナデシコBの格納庫へ搬入されていくアルストロメリアの姿が見えました。
「リョーコさん達は居残りだそうです」
 ガントレットの開発も急ピッチで進めなければならない為、リョーコさんらテストパイロットとして参加している皆さんは月の研究所に居残りとなり、パイロットは三郎太さんを含めて六名だけとなります。
「仕方ないっすね。残った人間で何とかしますよ」
「お願いします。もっとも、無人の木星に行くだけのお仕事ですし、三郎太さんにパイロットとしての出番は無いと思いますが……」
 私はそう信じています。
 だって、私はガーディアンの身の潔白を信じていますから。
 であるなら、武装など必要ないはずです。
 そう信じる私の心を否定するかの様に、眼前ではナデシコBの武装化が着々と進んで行きます。
 そして運び込まれて行く、無機質なグレーに塗装された数機のアルストロメリアの中に、若干形状が異なる機体が伺えました。
 あれは、ジャンプ装置搭載型のアルストロメリアですね。
 一体何処からフィールド発生装置を調達して来たんでしょう。
「……ですね」
 僅かな間を開けて、三郎太さんは優しげな声で応じてくれました。
 彼にも改造された自分の機体が見えたはずですが、黙って私に同意してくれました。
 ホント、優しい人ですね。
 私は振り返って三郎太さんに背一杯の笑みを浮かべると、彼は照れくさそうに表情を正して――
「それじゃ艦長、俺は受け入れ物資のチェックを済ませてきますんで」
 ――と、短く敬礼をしてその場から離れて行きました。
「例え世界中があの子を疑っても……私は信じます」
 それが家族ですよね?
 そうですよね、アキトさん。
 私は間違っていないはずですよね?
 頭の中であの人に問いかけながら、視線をドックへと戻すと、武装作業が進められているナデシコBの姿が見えました。
 ガーディアン達が築いた安全な航路を進む為に武装を施している矛盾した光景に、私は胸が苦しくなりました。
「アキトさんっ」
 私はその名を呟きながら、パスケースの中から抜き出したメモ用紙――テンカワラーメンのレシピ――を胸に抱きしめました。




§





 二二〇四年十月二三日――
 出発準備の整ったナデシコBに乗り込む直前、私はネルガル月面支社の端末からガーディアンへのアクセスを行いました。
 アカツキさんからは、彼女が完全にバイド化が白である事が確認できるまで、ダイレクトアクセスは控えるようとのお達しでしたが、私はそれを承知で彼女へ声をかける事にしました。
 何故でしょう……そうしなければ、後悔する様に思えたのです。
『ルリ、お久しぶりです。お元気ですか?』
 いつもの調子で明るく挨拶をしてくる彼女。
「ええ。貴方も変わりないですか?」
『はい。処理落ちも無く、いたってスムーズです』
 ――本当は、色んな事を聞きたい。
「暫くまた社用で出かけなければなりません」
『試験航海ですか? それとも地球上での業務ですか?』
「試験航海ですけれど詳細は内緒です。これも守秘義務に入ってるんで……。それでまた、暫くは交信が出来なくなりますが、安心して下さい。私は必ず無事戻ってきます」
 ――直接聞けば、全てが判明するはず。
『そうですか……社会人は何かと辛いでしょうが、頑張って下さいね。身体壊さないで下さいね。ちゃんと休息は取るんですよ? ルリは直ぐに色々な事を背負い込むのですから』
 ――でも……何故、私は
「ふふっ……まるで貴方が私の母みたいな口振りですね」
 ――何故、聞けなかったのだろう。
『そうですね、私にとっては、貴方こそが母だというのに……申し訳ございません』
「いいえ。心配して貰えて嬉しいです。帰ってきたら……また愚痴、聞いて上げますね」
 ――それは私も
『有り難うございますルリ。今回の航海は長いのでしょうか? もしそうなら…………』
「ガーディアン?」
 ――私も彼女達に疑念を抱いているから?
『はい、ルリ?』
 ――先程の、彼女らしからぬ間は……
「私は……貴女を、貴方達を心から誇りに思っています」
 ――彼女は一体、私に何を伝えたかったのだろうか?
『はい。私も貴方が私達の母である事を、誇りに思っています』
 ――子を信じる事が出来なくなった母親は
「世界を……頼みましたよ」
 ――何と惨めな存在だろうか。
「行ってきますガーディアン」
『行ってらっしゃいルリ。よい旅を』
 最後にそう言い残して通信が途切れると、私の周囲には僅かなノイズが走るだけの暗闇となりました。
 IFSのリンクを解除し、視界に現実の端末機が映る。
 そのウインドウモニターに表示されているガーディアンのトレードマークと、彼女が残してくれたらしいメッセージを、私はぼんやりと見つめていた。
 ふいに視界がぼやけ、ウインドウ上のメッセージが読めなくなりました。
 頬を伝わる熱い液体に、初めて私は自分が涙を流している事に気が付きました。
 手で拭って視界を取り戻すと、私はシートから立ち上がり、最後にもう一度、残されたガーディアンからのメッセージを読み、口に出して呟いてみました。
「さようならルリ……」
 改めて口に出してみると、まるで今生の別れの挨拶みたいな気がして、私は再び頬を涙で濡らしてしまいました。

 その日の内に私はナデシコBで月を離れ、ガーディアン達を欺く為に木星とは逆の方向へと進み、レーダー監視網の外に抜けてから大回り気味に迂回しつつ地球を旅立ちました。
 ガーディアン達を信じているのに――
 アキトさんの帰還予定日が近づいているのに――
 あんなに楽しみにしていたのに――
 今の私は、笑ってアキトさんを迎えられる自信が有りません。
 ユリカさん、どうか私を導いて下さい。



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