紅蓮の炎が上空より降り注ぐ。
 見栄や外聞をかなぐり捨て、豚のような悲鳴を上げながら、迫る炎から逃れるべく一心不乱に脚を動かす。
 直後、地面の感覚が消え失せたが、自分が深い穴に落下している事に気が付くには、暫くの時間を要した。
 それだけ自分が正気では無かったのだろう。そしてその事を理解したと同時に、身体全体に衝撃が走った。
 それが地面に激突した際のものである事は即座に理解できた。
 だが、相当な高さから落下したにも関わらず、私は未だ生命を維持しており、それ故に再び迫る炎から逃げる為に、脚を動かす必要があった。
 震動と爆音が絶え間なく続く中、機能を失っているはずの脚に命令を送る。
 果たして脚は脳からの命令に従い、背後から迫る炎から逃れるべく今まで以上の運動量を発揮した。
 その脚がかつての自分の物とは異なる形をしている事に気が付いたが、以前よりも力が発揮できるそれは、現状ではむしろ都合が良い。
 そして新たな力を駆使して逃げ込んだ穴蔵の中で、私は見慣れた物体を見つけた。
 考えるより早く自然に身体が動いてその中へ収まり、そこに並ぶ機械を操作した――と、そこまでは何となく覚えている。
 だが、その後がサッパリだ。
 何かしらの目的があって、私はこの地を訪れた。
 そして、何かを成し得ようと、この地に留まった。
 だがその目的も、私がこの地に留まった理由も、今の私には判らない。
 なぜならば、今の私には別の目的がはっきり存在しているからだ。
 それは破壊と殺戮に対する渇望だ。
 頭に響く声が、ただひたすら私に向けて「コロセ、コロセ」とはやし立てる。
 もはや、それは新たに擦り込まれた本能と言っていいだろう。
 それを受け入れれば、たちまち全身を快感が突き抜けるに違いない。
 闘うことの喜びと、殺す事の楽しさ。
 目の前に立つ他者を蹂躙する――それはとても素晴らしい事。
 しかしそうと判っていてもなお本能に抗っているのは、微かに残っているかつての自分の意志によるものだろう。
 無駄なことだ――そう自覚しながらも、私は耐えている。
 孵化を待つサナギの様に、何人も存在しない闇の中――私は、私を包む鋼鉄の身体の中で、ただひたすら本能の呼び掛けに耐えている。
 薄れて行く自分の意志を必死に繋ぎ止めようと、色々な事を思い返す。
 故郷の事、親友の事、弟子の事、仕事の事、そして彼女の事……だが、私の努力を嘲笑うかの様に、微かに思い出された過去の記憶は、沸き起こる殺戮衝動によって塗りつぶされて行く。
 当初の目的も失い、自分自身をも忘れていく状況にあって、確かな事が一つだけある。
 それはそう遠くない未来、私が本能を解放し、殺戮の宴へとこの身を投じる事だ。
 そしてその時こそ、本当の意味で過去の私という存在が消滅し、何か別の存在へと変わるのだ。
 それは嫌だ――思い出す事も出来ない昔の私が朧気にそう思うが、そんな漠然とした意識は、身体の奥底から込み上げてくる明確な殺戮衝動の前にあっては限りなく無力だ。
 いずれ私は生まれ変わる。
 だがその時まで、私はこの狭く暗い、そして何処か馴染みのある闇の中で、自分を抑え続けるのだろう。







機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#38〜







「ガーディアンが……バイド化したかもしれない」
 アカツキさん、サラリと凄い事言ってくれましたね。
「……それって、やばくないですか?」
 声を失った面々の中、私がやっと口を開いて放った言葉に、正面のアカツキさんは組んだ手を口元に当てて――
「だねぇ。相当ヤバイんじゃない?」
 ――と、まるで人ごとの様に答えました。
 直後、私とラピスを除いた会議室内に居た全員が、声を荒げてアカツキさんに詰め寄ります。
「おいロン毛!」
「ちょっと、それどうい事よ!」
「ヤバイとかそういう次元の問題じゃねーだろ!」
「まぁまぁ落ち着いてくれないか? 説明するからさ」
 アカツキさんが両手で落ち着くように示すと、皆がひとまず自分の席へと着きました。
「まず彼女がバイド化した”かもしれない”という事だから確実な情報じゃないよ。あくまでその可能性がある……というだけだ。むしろ僕なんかはその可能性は絶無とまで思ってる」
「そりゃ貴方が極楽トンボだからでしょ」
「はっはっはっ、相変わらずきっついねエリナ君は。まぁ、勤勉なエグゼクティブたる僕の事はさておいて、この可能性って奴が取り沙汰されたのは今から六時間程前。だからこの会議へ緊急的に出席する事にしたわけ。だから僕も聞いたばかりでね……詳しい事は判らない。今ミスターが追跡調査を行っている」
 なるほど、アカツキさんの出席が急に決まったのはその為でしたか。
「で、さっきも言ったけど、ひょっとしたら……という仮定の問題であって、どちらかというとその可能性は限りなくゼロに近いと思う。ドクターとエリナ君は詳しく知ってると思うけど、今年の始めにウチの化学者の一人でキュリアンっていうとち狂ったサイコ野郎がバイドサンプルを所持して逃走したんだ」
 あ、その話ならバスティールを確保して地球へ帰還した時に少し伺いました。
「で、ミスターを中心としたウチのSSが彼を追いつめ、持ち出したバイドサンプルを無事焼却したのが今年の二月の半ばだ。たしかバレンタインデーだったね。あ、知らない者も居るようだから、その経緯を簡単に話しておこうか」
 その事件に関する詳細を知らない私やリョーコさんなどに対する補足でしょうか、アカツキさんは淡々と当時の事を話し始めます。
「奴がバイドサンプルを持ち出して行方をくらませたのが今年の始め。で、居場所を突き止めたらしいSS隊員が二名拘束に向かったものの、逆に人質となってしまい、僕の所に彼等の「指」が送られてきたのが二月の十三日。
 翌日、奴から恐喝紛いな通信が入って交渉決裂。一時間後に派遣したSSが現地に到着し奴の館を包囲。
 その後突入したSS第一波が奴の義理の息子らしき遺体と、人質状態だったSS隊員を発見した直後、バイド体となったキュリアンが襲いかかり戦闘へと突入。不意を付かれた隊員達が反撃するも、何名かがその時点でバイド化……ま、この時点で我々の負けみたいなものだったかな? 最初から屋敷事燃やせば良かった……というのは結果論だけど、人質が居る以上は放っておけないしね。僕としては間違っていなかったと思っている。っと……話が逸れたね。で、アネット君……ああ、月臣君が自らと引き替えに救出したバイド実験の被験者なんだけどね、彼女からの証言を聞く限り、バイドの感染力は強力で、銃で撃たれたり、刀で切られてしまった者はまだ良かったんだけど、バイド体に素手で攻撃されたり噛み付かれた者は、そのまんまバイドの仲間入り……ははっ、殆どゾンビだね。んでもって後は倍々ゲームで増えて行き、第一波はほぼ壊滅。
 その後現場に到着した第二波の隊員達は、バイド化した仲間に襲われ恐慌状態。タイムリミットが近づいても突入した隊員達の帰還が無く、ミスター自らが第三波を率いて突入して バイド化した者達を火炎放射器と特殊焼夷弾頭で焼却し、無事な者を回収して撤収。キュリアンはミスター自らが葬ったらしいけど、返り討ちを受けて負傷……お陰で彼は不自由な片腕生活と相成ったわけさ」
 最新の義手をあてたという話ですから不自由という言い回しは、アカツキさんの皮肉なんでしょうけど、初めて聞く生々しい話の内容に、私は吐き気を感じました。
 プロスさんの義手って、ご本人は事故だって言ってましたけど……こういう事だったんですね。
 リョーコさんは苦虫を噛み潰して様な表情で肩を震わせてますし、イネスさんやエリナさんは俯き加減で目を伏せてます。
「まぁ、それでその事件は片づいたと思ったんだけどね……どーも彼、強襲を受ける前に、あちこちに色んな命令を飛ばしていた事が判ったんだよ。殆どが意味のないダミーだったけど、その中に対ガーディアン用に組まれたと思われるハッキングプログラムが見つかったのさ。それが今から六時間前。屋敷を完膚無きまでに破壊した事と、バイド反応検査に重点を置いていた事、そして置き土産の命令が膨大だった事もあって、今まで気が付かなかったんだよね」
「それってつまり?」
「だからさ、バイド体になった奴がガーディアンにハッキングしてたかもしれない……という事さ。逆……つまり、普通の人間がバイド体へIFSを通じてアクセスをしても、バイドに感染する確立は非常に低い。ルリ君が今もこうして変わらないのがその最たる例だろう」
 十七歳の誕生日を迎えたあの日、私はオリジナルバイド内部のコンピュータへアクセスし、地球の風景と変なメッセージを見聞きしました。
 もしもIFSを通じて即感染するなら、あの時点で私がバイド化してなくてはいけません。
「その通り。でもホシノ・ルリは何事もなく現在に至っている。胸の大きさも含めて肉体的にも変化は無し。IFS検査の際に確認した事があるけれど精神的にも何の異常も見えていない。心身共に今まで通りのホシノ・ルリね」
 イネスさん……私に恨みでもあるんでしょうか?
「だろ? 僕もそれを知ってたからさ……って、別にルリ君の胸の話じゃないよ? ああ、ごめんごめん」
 私が表情を消して見つめると、アカツキさんは慌ててはぐらかしました。
 表情に乏しい私は、睨んでもあまり凄味が無いので、こういう場合は敢えて無表情のまま無言で見つめる方が何かと効果的だったりします。
「まぁそんなわけだからさ、単純にIFSを通じてバイド体へアクセスしたくらいじゃ感染しないと思うんだよね。しかしその逆……バイド体からのアクセスに関しては感染確立が高いと思われる。そうだろドクター?」 
「そうね……人間の様な意志を持たないマウスにIFSを入れて実験を行っても無意味だから、今のところ実証できていないけれど、その可能性はあるわね。アネット・メイヤーの証言で、バイド体となった生物が無機物を接触によって取り込むのは確認されている。しかし単純にバイド体に適当な機械を接触させても、必ず取り込まれるわけでない事は、今までの実験から判っている。とするなら無機物のバイド感染は、恐らくバイド体の意志による浸食と見て間違いないわけだから、バイド体がIFSを通じてコンピュータ等の機械へアクセスすれば、直接手を触れなくとも感染する可能性はあるわね」
 一気に捲し立てたイネスさんは、思いだしたように「あ、アキト君は例外よ。彼のケースは色々と特殊だから参考には全くならないわ」――と付け足した。
「とまぁ、そういう事だ。彼は我々が行えない人体実験を自らの身体でやってくれた……ってわけさ。おかげで、ガーディアンがバイドに感染している可能性があるって事」
「何でそんな大事な事、今まで気が付かなかったのよ? ウチだけじゃなくて政府だってガーディアンの管理はしてるんでしょ?」
 エリナさんが身を乗り出すように激しくアカツキさんを問いただします。
「ガーディアンに対する依存度が高い上に、信頼も有りすぎて、危機管理対策なんか殆どされてなかったみたいだね。ウチの担当官は懲戒処分だな。まぁそんなわけで、慌ててガーディアンのログを検査し始めたんだけどさ、何しろ彼女の処理量は膨大だからねぇ」
 一端言葉を止めたアカツキさんは、吐き出すようにして息を吐くと、再び口を開きます。
「まぁ、奴の置き土産に気が付くのも遅れ、そしてガーディアンに対するハッキングの有無を調べる事も遅れて……二重の不手際が今回の問題を引き起こしたって事だね」
「彼女に対するハッキング行為は、Sレベル災害に等しい事件として判断されるわ。政府にだって直ぐに連絡が行くはずでしょ?」
「本来ならね」
「どういう事よ?」
「例の火星危機……GSの軍事介入事件があったろ? あれってさ、自己診断プログラムが解除された事で起きたらしいんだけど、当然その前後の記録はガーディアン自身によって意図的に消されてる部分がある。つまりハッキングされた事すら消されているかもしれない。いや……ひょっとしたら、自己診断プログラムの枷を解き放った時期を考えると、奴のプログラムが原因で、彼女が狂ったとも考えられるかな……っと?」
 アカツキさんの言葉を遮って、緊急通信を伝えるアラームが鳴りました。
『どうも、皆さんお揃いですかな?』
 通信ウインドウに映ったのはブロスさんです。
 私達が地球に戻った時には、既に片腕が無くなったんですね……当時を思いだしても、見た目には何の変化も見られなかったと記憶してます。
 こうして見る分には、ただの暢気そうなオジサンですが……会長室警備部長という裏の肩書きは伊達では無いという事でしょうか? 恐るべしですね。
「どうだった?」
『今、所轄から連絡を受けましたコウフ郊外のマンションですが……間違いなく彼の置き土産の一つですな』
「ブロス、貴方今どこにいるの?」
 エリナさんが突っかかるように尋ねると、ブロスさんは今までと変わらぬ態度――ハンカチを取り出して額の汗を拭いながら応じます。
『コウフ郊外のマンションです』
「マンション?」
 首を傾げるエリナさんに、アカツキさんが補足する様に口を開きました。
「さっきウチのSS情報収集班が、当地のローカルニュースで興味深い物を見つけてね、それでミスターに確認に行ってもらったんだ」
「何よそれ?」
「奇妙な部屋から住人が突然行方不明になったってニュースさ。とあるマンションの一室で、電力やら水道の消費が急に途絶え、しかも部屋からの退出記録も無いもんだから、マンションの管理人が心配になって様子を見に行ったわけ。そしたら、その部屋は無人だった……という事で、事件の可能性も考えて所轄に通報。駆けつけた警察官と鑑識によって部屋が調査されたんだけど、生活の痕跡は全く認められなかったってさ。怪しいんで調べたところ、契約者のアーネスト・エバンスってのは偽名だって事が判り、しかもその部屋の端末から、ハッキングが行われていた形跡が見つかった。故に、姿無き住人はハッカーなんじゃないかってね……興味深いニュースだろ?」
『マンションの管理室からこの部屋のエネルギー消費データと、アクセスログを入手したんですが、四月一日にガーディアンに対するハッキングが行われてますな。会長のIDまで紛れてますんで……彼の仕業である事に違いないでしょう』
「なぁ、おい……オレは難しい事はよく分かんねぇんだけどさ……四月って……もうキュリアンって奴は死んじまってるんだろ?」
「お、リョーコ君にしては目の付け所が良いね。確かに奴は二月十四日に死んでいるが、置き土産は時限式プログラムを含んでいたんじゃないかな? ともすれば、同じプログラムが生前に飛ばされていた可能性だって有るって事だし、時限式プログラムが組み込まれていない物だってあったかもしれない。つまり、今回見つけたハッキングの痕跡は、奴が強襲される前にばらまいた大量の命令の一つに過ぎないって事さ。
 それにしても、何かをばらまいたってのは聞いていたけど、精々がウチの極秘情報とか、ゴシップ暴露情報だと思ってたんだけどね……まさかガーディアンへのハッキングとは思ってもいなかったよ」
 態度と口調こそおどけているものの、目が随分真剣な所をみると、アカツキさんは相当怒っているみたいですね。
「奴の屋敷は跡形もなく燃え尽きて物証は一切なし。更に肝心のガーディアンのログは、彼女自身が手を加えて虫食い状態だから、鵜呑みにする事も出来ない。つまり完全に彼女が白とは言えないって事だね」
「あの……ガーディアンへのハッキングが普通の人間に行えるとは、到底思えないのですが?」
 私が疑問に思った事を口にしますと、「ん」――と、ラピスも小さく頷きます。
「まぁ、普通なら不可能だろうね。でも生憎、奴にはウチのメインコンピュータにハッキングして僕のIDをすっぱ抜き、ガーディアンのメンテナンススケジュールと当時の責任者の情報を仕入れ、会長室のダイレクトラインにまで不正アクセスできる味方が居たんだよ」
「……それって」
 人格形成能力こそ在りませんが、オモイカネ級と変わらない能力を誇るネルガルのメインコンピュータへハッキングするなど、私やラピスと同じマシンチャイルド以外に出来るはずもありません――となれば。
「……」
 私が色々と含みを持たせた視線を向けると、アカツキさんが申し訳なさそうな表情を浮かべて視線をはぐらしました。
 つまり、彼の義理の息子というのがマシンチャイルド、もしくはそれに準じた存在だったという事でしょう。
「まぁとにかくだ……単にガーディアンへの不正アクセスをしただけならまだ良いんだ。それなら、今こうして僕達が胃を痛める必要も無かった。例えマシンチャイルドの様な者であっても、それなりの設備が無ければガーディアンの中枢に入り込む事なんて出来ないだろうからね。だろう、ルリ君?」
「そう……ですね」
「ところが、彼は自分自身をバイド化し、しかもご丁寧にIFSまで入れていたって話があってね……彼ってハチ研にいた時IFS所持者だったかい?」
「いえ。そんな事実は無かったわね。少なくともバイド研究チームを解散した時は無かったはずよ」
 アカツキさんの問いかけに、イネスさんが直ぐさま答えます。
『私が直接対面した時は……その、辛うじて人の形は残っておりましたが、手の甲だった部分にIFSの紋章が見て取れました。それは間違い有りません』
「二月に強襲した時は、奴がガーディアンへのハッキングなんかしているとは思ってもいなかったし、奴を燃やしてはいお終い……ってな具合だと思ったんだけどね、わざわざこっちが疑心暗鬼になるよう、色々やってくれてたみたい、まったく……忌々しいね」
「つまり、そのキュリアンという人はネルガルに怨恨があって、それを晴らすために、自分をバイド化し、私達を困らせるためにIFSを入れ、ハッキングの準備をしておいた……という事ですか?」
「うーん、まぁそんな具合かな?」
『実際に怨恨の対象となっていたのはネルガルというより、我々SSだった模様ですがね』
 ウインドウの中で、ブロスさんが少し力無く笑います。
「……なんて奴だ」
 リョーコさんが、さも呆れた様に吐き捨てました。
「と、言うわけさ。奴の思惑通り、僕達はガーディアンがバイド化した事を否定する事が完全には出来ない。感染の可能性が万に一つだったとしても、彼女の立場を考えれば、その可能性がゼロでない限り、検査とその対応策を講じておく必要があるって事。もし仮に彼女が感染していたら……まぁその後は考えるまでも無いよね」
 ガーディアンにほぼ全てを依存している現在の社会、その全てが攻撃意志を持ったら――
「世界の終わりね」
 私が想像した事を、イネスさんが容赦の無い口調ではっきり答えました。
「ま、それも可能性って話だけどね。何しろ事実を知る者はキュリアン唯一人で、その当人は既に灰になってるわけだろ? そうなると僕達がそれを知る事は不可能。まぁ状況が状況だから、少しでも可能性が有る限り、出来うる対処は講じておくべきだろ?」
「それが新型機を無人化しない理由ですか?」
「そういう事さルリ君。ガーディアン達が知らないあの機体が完全に制御できれば、十分な抑止力になりうる存在だからね。もっともいざとなればGS艦隊には強制停止コマンドもあるし、僕自身はさして警戒はしていないが、ミスターが心配性でね。予算云々に関しては十分現在の利益でペイできるし……ま、保険だと思ってそのまま続けてくれるかな」
「お、おう。そういう事なら判った」
 アカツキさんに示された予算が、予想以上に巨額だったので流石のウリバタケさんも一瞬口ごもりました。
「それに、完全に彼女が白だって判れば、予定通り無人機の開発も行うよ」
「それって何時よ?」
「そりゃ、明日かもしれないし、一週間後かもしれないし、一年後かもしれないさ」
 アカツキさんの返答に、エリナさんはこめかみを抑えながら溜め息を一つ。
「それからミスターにも頼みがある」
『なんでしょう?』
「ガントレットの開発を出来る限り早めておきたいから、優秀なテストパイロットを二名程確保してくれない?」
『二名……ですか。はい、では早速帰りにでも立ち寄ってスカウトして参ります』
 二人のやり取りを聞いていたリョーコさんが、「マジかよ、うへ〜っ」と、嫌そうな表情を浮かべています。
 まぁ、二人ってあの二人なんでしょうね。やっぱ。
「じゃ、後はもう一つ……ルリ君とラピス君に頼みがあるんだ」
「はい?」
「ん?」
「ガーディアン達のログチェックをお願いできるかな? 虫食い状態だけど、何か判るかもしれないし、それには君達の力がどうしても必要だ」
 アカツキさんはチェックという言葉を使いましたが、要は彼女の心を探れという事ですよね。
 普通の人が行えば恐らく数年も作業には要するでしょうから、私達にお鉢が回って来るのは当然でしょうけれども……何だか気が乗りませんね。
 だからといって、断るわけにもいきません。
「はい……」
 私は小さく溜め息を付いてから、微かに頷きました。
「あ〜、それから判ってると思うけど、君達は暫く彼女達へのダイレクトアクセスは控えるようにね」
「それは何時まででしょうか?」
「そりゃガーディアンが完全に白だ……って判るまでさ」
 言い終えてキラリと光る歯を見て、私は何だか腹立たしさを覚えました。
 ラピスも、頬を膨らませて「ぶーぶーっ」と不満を露わにしてます。
 アキトさんの帰還が間近に迫り、やらなければならない事は沢山あるのに……ここに来て大問題発生です。
「はぁ……」
 思わず溜め息をついて、背もたれに身体を預け目を閉じる。
 すると瞼の裏に、笑顔で――「がんばれルリちゃん」と励ましてくれる、ユリカさんとアキトさんの二人の姿が見えたようで、少しだけ落ち着けた様な気がします。
 そうですね……あの子達の潔白を証明する為にも、が張りましょう。




§





 如何なる緊張状態も、長らく持続すればそれが当たり前となり、緊張状態が続く前提の上で新たな日常が構築されて行く。
 人は過去の歴史においても、ずっとその様に生きてきた。
 過去、最終戦争(ハルマゲドン)の危機は何度も在ったに関わらず、人類が今の今まで踏みとどまって生きてこられたのは、この環境適応能力の賜物かもしれない。
 火星と地球が国交断絶になって半年以上経過してもなお、人々が概ね平穏に生活を送っていられるのもまた、そんな人間の能力によるものなのだろう。

 地球外周の衛星軌道に存在する連合宇宙軍のステーション郡――その最盛期には数十基を数えたそれらも、グレイゾンシステム稼動に基づく軍縮を受け、旧式のサクラシリーズから順に廃棄が進んでおり、現在通常稼動状態の物は半数以下の十二基のみとなっており、その数は今後も減ってゆく事となっている。
 現在の火星との緊張を考えると、残されたステーションで働く者はさぞ激務に追われている事だろう……と思われがちだが、実はそうでなかったりする。
 グレイゾンシステムの稼動が本格化した今、人間への負担が極端に減っているのがその理由だ。
 であるから、むしろ廃棄が決まった旧型ステーション内部の方が忙しい。
 GS艦艇が就役する都度に従来の有人艦が退役し、廃棄待ちとなったそれら艦艇を、やはり同じく廃棄が決まったステーションへ係留し、まとめて処分する方法が採択されている為、それら作業に追われているのだった。
 廃艦処分となった艦艇が海賊や第三勢力に奪われる事を危惧して、GS艦隊が警戒する中で作業は進んでいるが、その警戒ぶりはいささか過剰とも呼べる規模だった。
 各廃棄ステーション毎に、最低でも二個艦隊が張り付いて警備に当たっており、これは今年の始めに起きた火星の後継者残党最後の艦隊による攻撃規模で無い限り被害は与えられないレベルだ。
 その過剰な警戒ぶりは、外敵よりもむしろ内部を――つまり作業に当たっている人間達を監視しているかの様にも見えた。
 もっとも、その事に疑問を差し挟むような人間は殆どおらず、作業は黙々と続けられていた。

 ラフレシアという、如何にも物々しい名が与えられた軍事ステーションが完成したのは蜥蜴戦争の後期――丁度木連の存在が公表されたた直後であり、同時期に完成したヒマワリが事故で失われた結果、現存する軍事ステーションにおいては最も新しい物となっている。
 月奪還作戦の為の足がかりとして建造され、以来今日まで宇宙軍の艦艇の補給と整備を行ってきた。
 だがGS艦隊の出現とゼロス要塞の完成により、ラフレシアのドックで身体を休める艦の数もめっきり減り、その結果必然的に内部で働く者達の仕事も減った。
 おかげでその内部に流れる空気は、火星との緊張が続く状態にも関わらず暢気なものだった。
 このステーションの完成と同じくして入隊し、以来ずっとオペレータ任務に就いていたアーシャ少尉も、隠すこともなくあくびをしては目尻に浮かんだ涙を制服の裾でごしごしと拭きつつ、定時報告以外に用途の無くなったインカムを空いた指で弄んでいた。
 十九歳にして緊張しながら始めてオペレーターシートに腰を下ろし、その愛らしい声で前線の兵士達を勇気づけていた彼女も、今では二十四歳となり下士官の階級章も頂いている。
 だがその階級章を返上する日も近い。
 最新のステーションと言う事でラフレシアの存続は決定されたが、彼女自身は来年早々に退役する事が決まっていた。
 退役後は新規参入を果たすラジオ局への就職も決まっており、コンソールとモニタをぼんやり眺めつつ、自分の番組を持つ事をぼんやり考えていた。
 軍人として彼女の態度は全く誉められたものではないが、それでもルーチンワークとは言え決められた任務はこなしているから、端末を通じてゲームやビデオソフトに興じる者も少なくない現在の連合宇宙軍将兵の中では、まだマシな部類だった。
 もっとも彼女がそういった事をしていないのは、確固たる意志によるものではなく、単に自分の端末がグローバルネットワークに繋がっているおり、ゲームやビデオのダウンロードに規制がかっているだけだったりもする。
 だから彼女は自分の席に座り、頬杖を付き、インカムをいじり、未来を妄想して時間を潰していた。
 もはや入隊当時――激動の戦乱時代を懐かしむ事もない。
 現在の連合宇宙軍で俸給以上の仕事こなしているのは、最上層部のミスマル提督とその参謀である秋山提督とその一派、そしてその直属である第三艦隊の兵士達を除けば、他には――意外にもと言えば意外だが、それ故に――反GS勢力のミカミ提督が仕切る第八艦隊だけだ。
 最前線に居るはずの遣火艦隊ですら、完全にやる気を失っており、GS艦隊と入れ替わって地球へ帰還する順番が来るのを心待ちにしている者が大多数を占めている。
 無論、表向きは黙々と任務に就いている様に見えるが、その実態はその限りではなかった。
 軍人が暇を覚えるのは、平和な時代の象徴として見る限り素晴らしい事と言えるが、全てを他人任せにして規律を失った軍隊は、もはや軍隊とは呼べない。
 それでも外敵が居ないのであれば、張り子の軍隊でもよかったが、一度外敵が現れた時――悪夢は現実となって襲いかかる。
 そして――二二〇四年十月十六日。
 
 ――その悪夢は、現実の物となって訪れた。



 ここ半年以上鳴ることが無かった警報がラフレシア内部に鳴り響き、ガーディアンから悲鳴にもにた警告ウィンドウが一斉に展開した時、アーシャ少尉は、リスナーの大して面白くもないジョークの書かれた葉書を読み上げつつ、番組を必至に盛り上げようと奮闘する自分の姿を脳内で展開していた。
 突如鳴った警報が彼女の意識を現実に引き戻したが、その後の自分が行うべき対処が咄嗟には判らなくなった。
 それでも過去の自分を比較的早い間に取り戻し、関係者への通達を行えたのは、彼女が過去それなりに腕の立つオペレーターだった名残だろう。
「緊急事態! AX101宙域にアンノウン多数! 繰り替えすアンノウン多数ラフレシアへ向け急速接近中! 計測中ですが総数は恐らく師団規模。現在、近海を哨戒中の第二五GS戦隊が急行中! 繰り返す!」
 ラフレシア内に久しく忘れていたアーシャの緊張に満ちた声が響き、ガーディアンからの緊急命令が各所へ伝わる。
 ガーディアンの指示に従い慌ただしく兵士達が持ち場へと向かうが、平時における訓練を怠ったツケは大きかった。
 スクランブルが発せられるも、ラフレシアに駐留している連合宇宙軍の第五艦隊とその所属機は、思うように行動がとれず、やっと一割程度の戦力の発進が終えた頃には、既に正体不明機の群がラフレシアへと襲いかかっていた。
 彼等にとっての不幸は、もっとも近い宙域を哨戒中だった第二五GS戦隊が到着するよりも早く、正体不明機が到達してしまった事だろう。
 その時間差は僅かに五分。
 だが、近代戦における五分は無限にも等しい時間だ。
 地球圏に張り巡らせられたレーダー網を無視するかの様に突如として現れた正体不明機の群は、ラフレシアとその周囲を思うがままに蹂躙してゆく。
 正体不明機は、かつての木連のバッタ型を彷彿させる小型無人機動兵器だったが、完全に奇襲を受けたラフレシアと第五艦隊は、ただひたすら受け身に回る事しかできなかった。
 やっとこさ飛び立ったステルンクーゲルやシルフィードは、僚機との連携もままならず、たちまちバッタもどきの無人兵器に囲まれ撃墜され、周囲にデブリをまき散らすだけの鉄屑と成り下がった。
 ろくな艦隊行動もとれない第五艦隊の艦艇も、弾幕すら満足に展開できず、一隻一隻と集中攻撃を受けては炎の塊へと姿を変えた。
 一年前の彼等であれば、同じタイミングで奇襲を受けスクランブルしたとしても、半数以上・約六割の戦力は発進できただろうし、各機・各艦の連携ももっと上手く取れただろう。
 ガーディアンからの管制によって、以前よりも遙かに効率の良い運用が出来るはずの宇宙軍だったが、彼女がもたらす平和を漠然と享受し続けたあまり、突発的な非常事態への即時対応が出来ない組織へと成り果てていた。
 だがそれこそが現実であり、火だるまになって爆砕してゆく機体は、その殆どが第五艦隊に属する物だった。
「お願いっ誰か助けてっ!」
 震動に揺れるオペレーターシートで震えながら壊滅して行く味方の映像を見て叫んだアーシャ少尉の悲鳴は、もはや軍人のそれでは無かった。
 正体不明機の襲撃から四分三八秒後、第二五GS戦隊とその所属機が到着。
 彼女達の活躍により敵は一掃されたものの、ラフレシアの基地機能は喪失。
 第五艦隊艦艇の約三分の二に当たる二十隻が大破以上の損害を受け、退役を待たずしてスクラップの仲間入りを果たした。
 残りの艦艇にしても殆どが中破で、修理をしなければ戦力にはならず、第五艦隊は事実上壊滅と言っていいだろう。
 死者行方不明者は併せて約一万人という、火星の後継者による武力蜂起事件以来の甚大な被害であり、ガーディアン稼動以後の地球圏では最悪の人員喪失事件だった。
 当然、地球連合政府は対応に大わらわ。
 攻めてきた物体が、旧木連のバッタもどきであった事で、プラント所持を宣言している火星が送り込んで来たのではないか? という推測がなされた。
 その所為で一気に開戦ムードが高まったが、地球圏内のレーダー監視網に不備が有った点や、火星に対する影響(敵勢力に自らの弱みを見せるわけにはいかない)、そして正体不明機を巡る世間の動揺を防ぐという名目の為、この事件は政府の情報操作が行われ、、表向きにはラフレシアの爆発事故として発表された。
 ガーディアンは「真実を述べた上で、徹底調査をすべきだ」との異議を唱えたものの、その意見が却下されると、以前の様にしつこく食い下がる事はなく、政府の決定に従って情報統制を行った。
 政府首脳や議員達は、それが第二次アップデートの影響によるものだと信じて満足げに頷き合い、そんなガーディアンの態度に疑念を抱く者は皆無に等しかった。

 尚、アーシャ少尉は行方不明となり、一週間後に捜索が打ち切られると同時に事故死扱いとされた。
 彼女が再就職予定先だったラジオ局は、彼女が受け持つはずだった番組内でその訃報を伝え、僅かな言葉で冥福を祈ると直ぐにホウメイガールズの新曲と共に次の話題へと移った。
 世界の多くは、今もなお欺瞞に満ちた平和を謳歌している。


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