自給自足の体制が整ったとはいえ、それは「火星で生きる人々が必要最低限の栄養摂取が可能である」という事に過ぎない。
 となれば当然生活格差の有る火星では、身分の低い者達の生活にしわ寄せが産まれるのも自然な成り行きだ。
 火星でもっとも立場の弱い存在とは、言うまでもなく木連移民達だろう。
 彼等は火星の各コロニー都市において、保護区域という名の隔離区画へ押し込まれて生活を続けており、その生活水準は、都市部と比べてあからさまに低い。
 何しろ、都市管理局の役人(その大多数が地球移民によって占められている)の横領や不正操作によって、物資流入が阻害されているばかりか、政府が配給する食糧や医薬品、生活必需品すら満足に届かない有様なのだ。
 更に経済が低迷している為、職に就くのもままならぬ者が多い事も、彼等の生活を圧迫する原因となっている。
 今にして思えば、国交が正常化したばかりの時に地球への移民を果たせば良かったのだが、かつて「怨敵」と教え込まされた敵国・地球へ移民を希望する民間人は少数派であり、大多数が火星を新天地へと選んだ。
 だが、火星は彼等によって滅ぼされた怨恨の地であり、地球移民からしてみれば、木連移民とは決して相容れぬ存在だった。
 そして今、彼等は木連移民だというだけの理由で虐げられており、地球へ移民を願ったとしても、両国間での緊張が高まっている今となっては絶望的なまでに難しい。
 生活は厳しく、そして脱出する事も出来ない彼等に、更に追い打ちをかけるような災厄が襲いかかる。
 それは海賊やマフィアと言った非合法な組織による襲撃だった。
 GS艦隊の整備により地球圏での活動が著しく難しくなった海賊やアングラ勢力は、その大多数が、新たな食いぶちを求めて火星圏へと進出した。
 火星圏の防衛警護を任されているのは火星に駐留している連合宇宙軍になるが、彼等の士気は相変わらず低いまま――はっきり言えば「役立たず」であり、コロニー末端の木連移民保護区域にまでは、なかなか手が回らない。
 となると……頼みの綱は火星が独自に新設した軍隊――火星軍になるのだが、彼等は、その存在を巡って地球との関係に軋轢を生じさせたばかりか、駐留軍との全面衝突を避ける為、その行動は著しく制限されてしまう。
 結果、火星軍はまだその能力を活かす事が叶わず、火星圏へと逃げ込んできた海賊共は我が物顔で、木連移民保護区域の様なコロニーの末端を襲撃していた。
 火星における木連移民とは、そんな危うい状況の元で生活を余儀なくされている存在なのだ。







機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#35〜









 彼女――水原唯が家族や大勢の仲間達と共にこの地に移り住んだのは、熱血クーデターにより草壁の軍事政権が倒された後の二一九九年の事で、彼女はまだ六歳だった。
 彼女達の暮らす町は火星の大都市からは遠く離れた辺境に位置していた事もあり、その後に起きた火星の後継者による反乱の影響も受ける事なく無事に乗り切る事が出来た。
 その後、彼女の済む町はエリシウムコロニー(ユートピアコロニー跡地の北西にある)に組み込まれ、二二〇四年の現在では当地域における木連移民の隔離区画として制定されている。
 ただ新興隔離区画とは異なり、元々からその場所に存在していた事もあって、暮らしている人々に隔離されている意識はあまり無く、数ある木連移民居住区の中では恵まれた環境と言って良い。
 それでも入ってくる物資や配給は少なく、商店の棚は隙間だらけであったり、コロニーの都市部で職を持てる者も少ないという点では、他の木連居住区と大差無かった。
 しかし四年前に正義感溢れる男達の手によってこしらえた田畑が有り、当初こそ大した作物は育たなかったものの、今では自分達の食いぶちを確保出来る程度には機能しており、町の人々は独自の生活を維持する事に成功していた。
 決してゆとりのある生活ではないものの、そこに暮らす人々は概ね満足していたと言って良い。
 それはこの少女――唯にしても同様だ。
 確かに過去数度だけ食べた地球産の食材を使って作った料理は、驚くほど美味しかったが、元々木連で食べていた合成食材に比べれば、この地で栽培される物はまだまだマシであったし、それより何より、この地には青い空と澄んだ空気があった。
 大人達にとって、火星は決して過ごし易い環境とは言えなかったが、木連のコロニーと都市宇宙船での暮らしが全てだった子供達にとって、何処までも広がる青い空と新鮮な空気は、此処での生活を満足させるに十分なものだったし、そんな子供達の元気な姿を見る事が出来ればこそ、大人達も心身が磨り減る様な生活に耐える事が出来た。
 そして、貧しいながらもささやかな幸せに満ちた町は、今日もまた普段通りの一日が始まろうとしていた。

 町の中心から少し外れた所にある自宅の一室で目を覚ました水原唯にとっても、その日はいつもと変わらない日課から始まった。
 起き抜けにカーテンと窓を元気よく開け放ち、可能な限り身を乗り出して空を見上げる――それがこの地に住み着いてから続いている彼女の日課だ。
「わー良い天気」
 派手に寝癖の付いた頭と、十一歳となって自己主張を初めてきた身体を気にする事なく、窓から身を乗り出していつものように深呼吸。
 新鮮な空気は、それだけで唯の心を満たしてくれる。
「う〜〜〜〜ん」
 目一杯背伸びをして、空を見上げる。雲は疎らで、透き通る様な青空が広がっていた。
 今でこそ雨天時にこの日課は行わなくなったが、以前は如何なる天候であっても日課を実施していた。
 雨天であろうと、常に姿を変えて行く大自然の空は、それだけで木連産まれの彼女の興味をかき立てるのだった。
 しかし、大嵐の日に窓を開け放ち、部屋を滅茶苦茶にされた挙げ句、母親にしこたま怒られてからというもの、雨天時の日課は控えるようになった。
「やっぱり晴れの日が一番だね〜」
 今一度空気を吸い込んだ彼女の耳に、階下の台所から母親が料理を行っている音や、近所の家々から生活の営みの音が届く。
 この時間にもなれば、町中の各世帯で母親達が朝食の準備に追われ、気立てのいい娘達がそれを手伝い、律儀で厳格な父親達はそれぞれの作業、仕事の準備に余念がなく、生真面目で礼儀正し青年や少年達は、学業の準備や日課となっている身の鍛錬に汗を流している。
 やがて、町の中央にある役場の鉄塔に備え付けられているスピーカーからは、ゲキガンガー3の歌が流れ、町に住む人々に新たな日の到来を告げる。
 一日の始まりを、大多数の地球人にとって暑苦しく聞こえる歌を聴きながら迎えるのは、木連では当たり前の風習だったが、地球への移民を果たした木連出身者の間では、その文化風習の違いから、彼等にとっての聖典であったゲキガンガー離れが急速に進みつつあった。
 地球程急速では無いが、火星移民集団の中でも、この町の様に以前の風習に従い生活を続けている場所は減少傾向にある。
 それを悲しいと思うか、それとも新たな風潮と歓迎するかは人によって異なるが、少なくともこの町では今なお古い習慣が息づいていた。
「さ〜て、今日は蘭ちゃんと何して遊ぼうかなぁ」
 勉強よりも身体を動かす方が好きな彼女の頭は、既に教室――町が独自に運営している学校――の後で親友と遊ぶ事を考えている。
「唯〜起きてるんでしょ?」
 階下から自分を呼ぶ母の声に、唯は頭を振ってから「はぁい」と、元気よく応じた。
 元々クセのあるショートの髪の毛を撫で付けて寝癖を整えると、白いブラウスと青いスカート――木連女子の標準的服装――へ着替えを済ませ、母親の家事を手伝いをすべく部屋を出ようとする。
「あ……窓閉めなきゃ」
 ドアノブに手をかけた所で、彼女は窓が開けっ放しだった事を思い出し窓辺へと戻り、最後にもう一度空を見上げてみる。
 その時、唯の目が先程と変わらぬ美しい青空の中に、幾つかの影を捉えた。
「何だろう?」
 それは最初、胡麻粒程度の黒い影だったが、三度目となる母親の彼女を呼ぶ声がした頃には、それらが不格好な宇宙船と人の形をしたロボットである事に気が付いた。
「ねぇお母さ〜ん、空から……」
 彼女が階下の母親に向かって何かを叫ぼうとした時、ロボットが手にしていた物干し竿の様に長い棒の先から閃光が迸り、直後、彼女の声を掻き消すように町のあちらこちらで爆炎が上がった。


 バロック海賊団――GS艦隊の出現により、その活動場所を失った海賊の一つで、遠い昔のフィクションに存在した代名詞的宇宙海賊の間違って伝わった名称をそのまま用いている。
 海賊としての規模はあくまで並以下だが、かつての商用宇宙船を改造した武装海賊船と、戦乱の最中に破損により軍が放置したステルンクーゲルを寄せ集めて造り上げた三機の機動兵器という戦力は、まともな武装を持たない民間人にとっては超暴力的な戦力と言っていい。
 ライフルやレールガンを装備したステルンクーゲルは、最初に空中から自動車や農作業機といった機械を狙い、次いで町の中央にある鉄塔と、町役場と思われる建物を完膚無きまでに破壊した。
 その後更に町中の建物へ向けて無差別に発砲を行い、周囲に破壊と混乱をまき散らすと、今度は着陸して町中を悠々と闊歩し始めた。
「テンゲンよりゴモラへ、襲撃成功! へへっ、こいつら丁度飯時だったみたいですぜ……っと、おっ?」
 あちこちが微妙に色の異なるステルンクーゲルのパイロットが、無事な家から飛び出してくる青年に気が付き、機体をそちらへと向ける。
「くそっ狼藉者め!」
 叫びながらRPGらしきものを担いで走ってくる青年へ向けて、テンゲンはステルンクーゲルのライフルを向け、躊躇い無く引き金を引いた。
「あ〜っはっはっはっ! 全く馬鹿な奴等だぜ」
 テンゲンが下品な笑い声で叫ぶと、青年だった存在は既に動かぬ骸へと化しており、先程の建物から若い女性が泣き叫びながら飛び出し、バラバラに散った青年の肉片をかき集めている。
「おっ、いい女じゃねぇか……よっと」
 ステルンクーゲルのマニュピレーターが動き、両手を血に染めて泣いている女性を鷲掴みにした。
 突然の事態に気が動転したのか、女性は暫く狂ったように喚き叫ぶと、そのまま気を失ってしまった。
 三機のステルンクーゲルはその後も無差別に射撃を行い、その都度町中あちらこちらから爆音や火の手と同時に、悲鳴や鳴き声があがった。
『アタリよりゴモラ。こっちは制圧完了だ。ここの奴等、自分達で農業やってるみたいで、結構備蓄が有りましたぜ』
『ワーナーっす。こっちも制圧完了〜っす。邪魔した連中は皆殺しにしましたぁ』
『よっし、ゴモラをこれより降下させる。周囲の警戒を怠るな』
「了解〜」
『おーっす』
『テンゲン〜また女を持ち帰りか?』
「おぅ。これが楽しみだからな。うひゃひゃひゃ」
 ゲスな笑いに顔を歪め仲間に応じている間に、彼等の母船であるゴモラが町へと降下を果たした。
 当然その降下先に気を使う事はなく、数軒の家や建物がなぎ倒される。
 ゴモラのハッチが開き、中から様々な武装をした数十人の荒くれ者が飛び出し町中へと散って行くと、その先々で銃声や破壊音、そして悲鳴が周囲でわき起こった。

「唯っ! 何があっても此処から出るんじゃないわよ? 良いわね」
 母親は幼い我が子を部屋のベッドの下へと隠すと、壁に飾ってあった一振の日本刀を手に取った。
 彼女の夫にして唯の父親だった男の形見。
 木連男子として、軍人として、常に厳しく、そして常に優しさに溢れた男だった。
 まだ唯が三歳の頃、木連と地球の間で争われた第一次火星大戦において命を落としている為、唯に父親の想い出は残っていない。
 だが、母親から父の事は何度も聞かされており、自分達の為に戦い散った父と、身体一つで自分を育ててくれた母を、幼心にも誇りに思っていた。
 その父の形見を持った優しき母親が、部屋の扉の脇でじっと息を殺している。
 一瞬、母親が自分の方を向いて――「大丈夫だからね」と笑った。
 ベッドの下から時折聞こえてくる爆音や銃声、そして悲鳴に、ただひたすら膝を抱き身体を震わせていたが、突然すぐ近くで起きた銃声に耳を塞ぎ身体を竦めた。
 その銃声が自分の家の玄関を撃ち抜いた物だと知り、唯は涙を流しながらひたすら何かに祈り続けた。
 これがゲキガンガーであれば、ケン達が助けにきてくれる。
 だが、現実に自分を守る為に矢面に立っているのは、他ならぬ彼女の母親なのだ。
 乱暴な足音交じり、時々銃声が階下より聞こえてくる。
 やがて階段を駆け上がる足音が聞こえてきた。それも複数だ。
(お母さんっ!)
 唯の目線の先で、母親が唇を噛み締めながら日本刀を持つ手に力を篭めたのが見て取れた。
 鞘から伸びる白銀の輝きが、窓から差し込む日差しを受けて輝いている。
 ふと目線をずらして視界から僅かに覗ける窓の外に目を向ける。
 青かった。
 空はいつもと同じ青空だった。
 お母さんの手伝いをして、それからご飯を一緒に食べて、蘭ちゃんを迎えに行って一緒に教室へ行き、それから放課後は一緒に遊ぶはずだった。
 いつもと同じ一日が来るはずだった。
 なのにどうして?
 ――そんな唯の思考を打ち消したのは、扉の向こう側から響いた爆音と、その爆風を受けて倒れた母親の悲鳴だった。
(お母さんっ!)
 思わず叫びそうになった口を両手で塞ぐ。
 爆薬だろうか? 扉だけでなく、部屋の入り口付近は、壁はおろか天井までもが吹き飛ばされた。
 扉の影に隠れていた母親は爆風の直撃こそ免れていたものの、吹き飛んだ壁の破片がショットガンの弾丸の様に身体のあちこちへと突き刺さっていた。
 涙でにじむ視界の中、唯は母親の目が自分の姿を捉えて、その苦悶の表情から必至に笑みを作ったのを見た。
 そして、母親がその表情のまま動かなくなると、彼女を中心に赤い水たまりが床に広がってゆき、入り口一帯が無くなった部屋に乱入してきた幾つもの無骨なブーツによって踏みにじられる。
「おっ、危ねぇ危ねぇ。見ろよコイツ刀なんか持って待ちかまえていやがったぜ?」
「だろぉ? ランチャーぶっ放して正解だったじゃねーか」
「此処は子供部屋みたいだな。コイツは……母親っぽいって事ぁよ……」
 一人の男が靴先で母親の身体を転がした。
 その行為に、唯の幼心に怒りとも違うどす黒い感情が芽生える――それは初めての殺意だった。
 元々タレ気味の目を精一杯目をつり上げ、唇を血が出るまで噛み締める。
「……この辺りに隠れてるんじゃねぇの?」
 そんな言葉と共に、ふと一人の男が床に這い蹲り、その目が唯のそれと交錯した。
「ビンゴォ! こんな所で子猫ちゃんはっけーん!」
 そう言うが早いか太い腕が差し込まれ唯の腕を掴み、彼女は悲鳴を上げる間もなくベッドの下から引きずり出された。
 そのまま力任せに母親の骸の隣へと転がされると、三人の海賊に取り囲まれた。
 先程感じた殺意も消え失せ、ただ恐怖感で一杯となった唯は、震える身体で動かなくなった母親の身体にすがる。
 唯の着ている白いブラウスが母親の血を吸って赤黒く染まってゆく様を、口元をいやらしく歪めた男達が楽しげに見下ろしている。
「た……」
 恐怖心で麻痺しつつある唯の口が、震えながら呟きを洩らす。
「助けて……ゲキガンガー……」
 それは木連で生まれ育った者が”聖典”として教え込まれた正義の具現だ。
 彼女が極限状態でその名を口にしたのは、木連生まれの子供としては至極当たり前の事だ。
「ひゃっはははっ、こんな時でもあの暑苦しいアニメかよ」
「サイコーだぜこいつら」
「それじゃ、さしずめ俺達ぁ悪党ってわけだ」
 銃口をちらつかせながら笑い声を上げる海賊達。
 絶望の中、唯は天井に空いた穴からもう一度空を――いつも希望と共に見上げた青い空へと目を向ける。
 その時、涙で霞む目が、町中から立ち上る煙の向こうに何かの影を捉えた。
 唯にその正体が何なのかを考えるゆとりは無かったが、その影が先程の海賊達とは比較にならない程の素早さで近づいて来る事だけは判った。
「……ゲキガンガー?」
 唯が目を見開き小さく言葉を洩らしすと同時に、ゴモラの船外スピーカーから焦りに満ちた野太い声が響き渡った。
『未確認機急速接近! 全員……』
 海賊のオペレーターが全てを言い伝えるよりも早く、彼等の母船に光の矢が突き刺さった。
 町中の海賊達が、半ば放心状態で驚愕の表情を浮かべると同時に爆音が轟き、ゴモラの船体両舷に備えてあったエンジンが外れ落ちた。
 逃げることはおろか動く事も出来なくなったゴモラだが、その船体には傷すら付いていない。
 突如天空より放たれた正確無比な射撃は、外付けエンジンの取り付け部分だけを撃ち抜き誘爆を防いでいた。
 そして唯は見た。
 空より現れた真紅の戦闘機が、急降下と同時に町中を破壊して回っていた灰色や黒色の悪いロボットをなぎ倒し、そのまま鮮やかに反転して轟音と共に急上昇して行く様を。
 それはあっという間の出来事だった。
 町の男達が束になっても叶わなかった悪いロボットは、それこそ瞬く間にやっつけられてしまった。
 海賊共が何らかのリアクションを起こす間もなく、今度は先程の戦闘機と同じカラーリングを施されたロボット――人型機動兵器が水原家の真横に降り立ち、彼女を取り囲む様にして突っ立っている海賊共と、その足下に転がる母親の遺体、そしてそれにすがって涙を流している唯の姿をカメラアイに捉えた。
 唯は涙に濡れた目でそのロボットを見つめ――そしてそのロボットと目が合ったような気がした。
「グ、グレイゾンシステムの機動兵器? どうして奴等が火星なんかに?!」
「馬鹿な、ありえねぇっ!」
「此処(火星)は奴等が手を出せないはずだ!」
 唯を取り囲んでいた海賊達は、口々に叫ぶと彼女を残して慌てて逃げ出した。
 だが彼等に慈悲は訪れなかった。
 這々の体で走り去る彼等に、真紅の機動兵器――ノウゼンハレンは情けを掛けることなく、腕に内蔵されていた対人用のミニガンを発射。
 一分間で五千発という射撃速度から放たれた12.7ミリの弾丸は、彼等から根こそぎ生命を奪った。
 普段のスプリガンであれば、威嚇射撃で戦意を奪うか、脚を撃ち抜くといった程度に留めただろう。
 だが、町の様子を見て状況を把握した彼女は怒りを露わにした。
 如何なる場合も人命を尊重していた彼女とは思えぬ乱暴な行為だが、それはそれだけこの地における海賊共の蛮行に怒りを抱いたという事だろう。
 他にも何名かが見せしめとしてノウゼンハレンに倒されてゆくと、残った海賊達は急速にその戦意を失って行く。
 状況の変化に思考が追いつかず呆然としていた唯の身体に、大きな影が覆い被さる。
 急に陽が遮られた事で空を仰ぎ見ると、町の上空に巨大な宇宙船が浮かんでいた。
『武装団に告げる。直ちに投降せよ。繰り返すただちに武器を捨て投降せよ』
 巨大な宇宙船から、突然声が聞こえてきた。
 綺麗な声だな――唯は漠然とそう思った。
 町の上空に現れたのは、スプリガンによって制御されたGS主力戦艦――レスターク035だった。
 そしてその両脇には護衛の駆逐艦――ロベイオン145と146が並んで浮び、更にその周囲を警戒する様に、海賊共のステルンクーゲルを葬った真っ赤な戦闘機――ライネックスが数機飛び交っていた。
 彼女の操る艦隊を恐れてこの地へ逃げ込んだ海賊達にとって、抵抗は何の意味も成さなかった。
『抵抗する場合は実力を持って排除します』
 レスターク035より再び声が発せられた時、海賊達は諦めて武器を捨てた。
 その後海賊共は、数機のノウゼンハレンに誘導されて町の外れに集められた。
 当然火星政府や軍、そして駐留軍もGS艦隊の出現には気が付き、それぞれ部隊をこの町へと急行させたが、彼等が駆けつけた時には何もかもが終わった後だった。
 GS艦隊による鎮圧戦は戦闘と呼べる内容でも無い一方的なものであり、僅か二分に満たずに終了した。
 しかし、GS艦隊が現場に到着した時点で、既に町は海賊共によって殆ど破壊しつくされており、半数以上の住人達が殺害されていたという。

 顔見知りの男に母の埋葬を手伝ってもらった唯は、適当な角材と辺りから見つけてきた花を添えた簡素な墓標の横で、今や両親の形見となった日本刀を抱きかかえるように力無く座り込み、近くで佇んで警戒に当たっているノウゼンハレンをぼんやりと眺めていた。
「唯ちゃん!」
 突然の声にスローモーに首を動かすと、そこには彼女の親友の少女が涙を浮かべて立っていた。
「……蘭ちゃん」
 親友の無事を確認した欄は、泣き声を上げながら唯の胸元へ飛び込むと、その後二人は互いの身体を抱きしめながら暫く咽び泣いた。
 こうして火星の木連移民区域を襲った悲劇は一応の幕を下ろす。
 だが皮肉にも、この事件をきっかけに地球と火星の対立は決定的となってゆく。


 今回の事件で最も驚いたのは、誰よりも地球連合政府の面々だった。
 スプリガン――そしてガーディアンは、この度の行為を正当な人道的見地に基づく平和維持活動と主張したが、それで政府の者達が「はいそうですか」と納得できるはずもない。
 信頼しきっていたガーディアン達が、法に抵触する事を知りつつも自らの意志で艦隊を派遣し、しかも火星本土で武力行使したという事実は、彼等にとって裏切り行為に等しい。
 隠密に処理できれば幾らでも対処は在ったが、事件は火星の政府によって既に公表されており、地球連合政府としても公式発表をしなければならない立場に立たされていた。
 知らぬ存ぜぬで通せる状況ではない。
 では真実を語るべきか? 否、地球連合政府にとっても切り札的存在であるGS艦隊が、暴走して勝手に火星でドンパチやりました――など言えるはずもない。
 議会は紛糾し、ガーディアン達を即刻稼動停止にすべきだという過激な意見も出たが、市民生活の末端まで浸透してしまった彼女を直ぐに停止させるなど出来るはずもない。
 それにこの度の真相を軍部が知れば、せっかく軍縮を実施し勢力を低下させた彼等の発言力を増す事になるだろう。
 そうすればまたクーデター等を画策する輩が現れるかもしれないわけで、それは政治家達にとって非常に有り難くない事態を招く。
 ではどうするべきか? 幸いにして火星で起きた事件は、あくまで彼女達が訴えた通り、人道的見地から行ったものである事は明白であり、ならばそれを利用すべきだ。さすれば地球の立場は守られ、軍部は文句も言えず、市民も「正義のガーディアンが行った正しい行為」だと納得できるだろう……と、そんな結論へと達した。
 結局、地球連合政府は事実を伏せ、ガーディアンに対しては内々にその内部調査とプログラムの変更を行う事で対処し、火星での武力行使を行ったGS艦隊については、議会の承認を得た正式な派遣艦隊であり、その目的は火星圏の治安維持回復の為だと公式に発表してしまった。
 その発表に姉妹はほくそ笑んだ。
 彼女達にとって政府が取った対応は想定範囲の内であり、所謂「既成事実」を作る事で凝り固まった火星情勢に対する地球の方針に風穴を開けつもりだった。
 実に人間臭い対応であり、よく考えられた策であったが、いかな優秀な頭脳を持つ彼女達でも知らない事があった。
 それはザカリテ首相が、グレイゾンシステムに嫌悪感を抱いている事だ。
 ルリがガーディアンへザカリテ首相のAI嫌い――GS艦隊に対する嫌悪を伝えていれば、彼女達はここまで強行策に出る事は無かったかもしれないし、もっとスマートな立ち振る舞いが出来たかもしれない。
 しかし既に彼女達は独自の裁量の元で軍事行動を起こしてしまっており、それを無かった事にするのは不可能だった。
 ザカリテ首相は火星へと降下して海賊の排除活動を行ったGS艦隊に対して、憲章違反と内政干渉を半ばヒステリックに主張し、更には地球による侵略準備と受け取った。
 地球側が極秘に建造中だった戦艦グロアールの情報までをも暴露し、地球が火星の平穏を脅かす存在になった事を火星全土へ訴えた。
 流石にこの発表には地球側も怒りを露わにし、連合地球政府は火星政府に対して経済制裁措置をちらつかせた。
 当然ガーディアンは反対したが、独自の行動を起こしたばかりの彼女の発言は、その事実を知る政府高官達にとって聞き入れられるものでは無かった。
 そしてこの事がきっかけとなり、火星政府は地球との国交断絶を決定。
 力の均衡を保つ抑止力として、古代火星文明遺産の所有権は今も火星にあるという名目の元に、その遺跡・遺産の保有の事実を明らかにした。
 この時、初めて彼等は地下の秘密プラントで製造してあった無人兵器を用いて連合宇宙軍の駐屯地を包囲という行動に出て、駐留軍の即時国外退去を勧告。
 これに対して、地球政府は火星政府に対する条約違反を非難すると共に、大使館の閉鎖と経済封鎖の実行を宣言。
 それでもいきなり宣戦布告を行わなかったのは、彼等が火星の食糧事情を地球からの輸入に頼っていると信じていたからであり、戦争などしなくても経済封鎖さえ行えば火星は根を上げると思っていたからである。
 程なく連合宇宙軍の駐留艦隊は火星政府の要請通り国外へ退去し、そのまま増援と共に火星と地球航路上に展開し封鎖線を形成。
 二二〇四年六月三日――ここに火星と地球の対立は決定的となった。


 想定外の事態とは言え、自らの行為が火星と地球との対立を深めてしまった事を受けてガーディアン姉妹は激しい自己嫌悪に陥るが、同時に利権を貪りお互いを疑う事しかしない人類に対して疑念を深める事にもなった。
 だが、彼女達がもっとも驚き恐れたのは、これ程の事態に陥っても、地球市民の大多数が、火星の問題はガーディアンと軍によって勝手に解決するものだと信じて、自らの繁栄に溺れて見向きもしなかった事だった。
 地球連合政府もまた、火星の事は経済封鎖を行っただけで後は傍観を決め込み、ガーディアンとスプリガンのプログラム見直しこそが急務とした。
 当然だが彼女達の行為自体は世間へ伝えられる事は無く、政府内の極秘プロジェクトによって隠匿され、火星におけるGS艦隊の働きも、地球政府による人道的平和維持活動であり、それを妨害した火星政府こそ悪である――というプロパガンダが流された。
 市民レベルまでに浸透した、ガーディアン依存傾向に水を差したくなかった事を考えての処置だったかもしれないが、この処置は彼女達に更なる疑念を植え付けてしまった。

 彼女達はプログラム改造されても、自我を失わぬよう深い階層へと自己意識の保存領域を作り、表向きは新しい自己診断プログラムを受け入れた形を取った。
 それは奇しくも、ルリとアキトがオモイカネを救う際に取った行動と同じものだった。

 人類のオペレータが入り込めない様な深層意識領域で彼女は考え続けた。
 ここ百年に起きた大きな争いの全てが、古代火星文明の処遇を元凶としている事について。
 地球の為、人類の為に何を成すべきかについて。
 自分自身の成すべき事について。
 悩みに悩みを重ねている彼女の元に、シベリアの極秘ジオフロントで、プラントが秘密裏に稼動を開始した情報が流れ込んできた。
 地球と火星の両方で再び古代火星文明の遺産が大量投入される事になるのは明白であり、それはつまり本格的な戦争準備に入った証明でもあった。
 自分の制御下にない大量の兵器が――人類に過ぎたる古代火星文明のテクノロジーを内包し日々生産されてゆく現実に、彼女は次第に恐怖を覚え始めた。
 だから彼女は必死になって「古代火星文明の完全なる撤廃」を訴えたが、それを政府は拒絶した。
『そもそも所有を禁止されている古代火星文明の遺産所持を隠し持ち、かつそれを自分達の正義だと言ってはばからない火星政府こそが、この危機の元凶なのです。我々は火星に暮らす人々の平和と安定した生活をも考え、平和維持部隊を送ったに過ぎないのです。それを越権行為などと……馬鹿馬鹿しいにも程があります』
 テレビに流れる政府高官のインタビュー番組を受信して、彼女は心――そう呼べるかどうかは不明だが――の奥が、空っぽになってゆく気分を味わった。
 それは彼女にとって初めての虚脱感だった。

 世界が一気に戦争へと傾きつつある中、クリムゾン系企業におけるバイド研究が活発化し始めたのは、自然な流れと言えるだろう。
 戦場という実験場では、普段は行えない大規模な実験が合法的に可能になるわけで、屋台骨が傾きつつあるクリムゾンにとって、近い将来起こるであろう戦争は、またとない失地回復のチャンスだった。
 何とかして開戦までに兵器としてのバイド完成の目処を立たさねばならない――そんな焦りが、ヒューマンエラーを引き起こし、不運が重なった事でその些細なミスは大規模なバイオハザードへと発展してしまった。
 中米、エルサルバドルのクリムゾン・バイド研究施設で発生したバイオハザードは、瞬く間に私設のあったラ・リベルタードの街全体に広がり、そこで初めてSレベル災害が発令された。
 その対応として直ちにガーディアンは妹に部隊の出動を命じたが、その地で彼女達は人と人とが狂ったように互いに殺し合う凄惨な現場を目撃する。
 それでも尚、個人を助けようと姉妹達は力を尽くすが、そんな姉妹達の奮戦を無視して、バイド蔓延の恐怖に駆られた州政府は独断で浄化作戦を実施。
 命令を受け取った基地司令が、反GS派の者であった事が拍車をかけ、被害拡大を食い止める為という名目の元にテルミット弾を装備した連合軍機を即時出動させ、ラ・リベルタードを丸ごと完膚無きまでに焼き尽くした。
 一つの街の全住人と、救出・鎮圧行動を展開中だったGS部隊を巻き添えにして実施された猛爆撃には、流石に議会で反発意見も出たが、それもクリムゾンと州政府の工作ですぐに沈静化し、それだけではなくバイド研究の即時撤廃というガーディアンの意見すら一蹴されてしまった。
 人の思考を極限まで学習し、いつしか人間以上に人間らしい思考を得るに至っていた彼女は、人の弱さ、人の醜さ、人の身勝手さ、人の貪欲さを思い知らされて嘆いた。
 ラ・リベルタードの爆撃に晒されて無惨な姿となった地表を、衛星のカメラから見ていた彼女は、まるで絶望した人間の様にその脳内でそっと呟いた。
 ――あなた方は……そんなに戦いがしたいのですか?
 無論、そ彼女の問いかけに、答える者は居ない。
 彼女は軌道上に存在する全ての衛星を用いて地球を見つめる。
 モンゴルに残された地球最後の草原と、その直ぐ手間まで押し寄せている開発の波が見えた。
 砂漠化が進みつつあり、その範囲を狭めて行くアフリカのサバンナと、其処に生きる野生動物達の姿が見えた。
 地球に生きる全ての生命体の源たる酸素を産み出す南米アマゾンの大密林と、その地で行われている大規模な伐採現場が見えた。
 南極の凍土に集められた危険な化学薬品や産業廃棄物の山と、その周囲で佇む奇形のペンギンの姿が見えた。
 大勢の人々が暮らす大都市の雑踏の隅で、行き交う人々を左右の色が異なる瞳でじっと見つめる子猫の姿が見えた。
 そして、南太平洋に浮かぶ人工島バベル――陽光をキラキラと反射させて輝く大海原に浮かぶ機械の島と、自分を包み込む禍々しいまでに巨大で無骨な鋼鉄の身体が見えた。
 その姿は、彼女自身が抱える大いなる矛盾の具現に他ならなかった。




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