『いや〜ご苦労だったね諸君』
月の秘密ドックにジャンプアウトしたナデシコBを向かえたのは、アカツキさんのさして感情が籠もっていない労いの言葉でした。
歯も光らせてますけど、全く意味がありませんね。
『さっそくで悪いけど、技術、研究、整備のみんなには、バスティールの解析と研究をお願いする。ああ、暫く地球には戻れないからそのつもりで夜露死苦っ』
「ねぇアカツキ君、他の乗組員達は?」
ヒカルさんがまるで友達と話す様な気軽な態度で尋ねると、周囲の乗組員達が一様にして頷きました。
『う〜んそうだね〜、申し訳ないけど暫くの間この地に留まって貰う事になるかな? ああ、その間の給料はちゃんと支払うし、生活に不自由もさせないよ』
アカツキさんの返答を聞き、一斉に文句を言いだしそうになった乗組員達でしたが、その後プロスさんが示した達成報奨金と、特別給与の待遇を聞いて黙り込んでしまいました。
結局、世の中お金なんですかね。
もっとも幾らお金を頂いても、この施設から出られないのであれば使い道も余り無いんで、有る程度の解析が終わって拘束が解かれる頃には、きっと皆さんお金持ちになってる事でしょう。
「うーん、ユキナが心配だわ」
アカツキさんからの通信を聞き終えた後、私の隣に居たミナトさんが心配そうな表情で呟きます。
「そうですね……取り敢えず通信は出来るみたいですから、謝るしか有りませんね」
「そうね……あ〜あ、こんな事ならユキナも連れて来るべきだったかしらね」
私の言葉に、ミナトさんは背伸びをするように身体を反らせ、溜め息混じりに呟いてます。
「何だか長屋時代を思い出すね〜」
ヒカルさんが言う長屋時代とは、今から六年前――遺跡をすっ飛ばして、のうのうと戻ったナデシコAの乗員達が揃って拘束された頃の事です。
確かに今もあの頃と似たような状況です。
「そういえば、ヒカルさんは漫画大丈夫なんですか?」
「ふふふ〜ん、良い機会だから〜缶詰になって新作を考える事にする〜」
懐から取り出したGペンを高々と掲げて答えてくれました。 ヒカルさん……前向きですね。
なおこれは余談ですが、昨今の漫画は殆どがコンピュータを使用したデジタル原稿で描かれており、ヒカルさんの様に昔ながらの手法――紙にペンやトーンで直に絵を描く方は少数派だそうです。
やっぱり本物のペンじゃないと微妙な線の強弱は出せないのよね――という、いわば職人の拘りが、ヒカルさんにはあるそうです。
「あ……じゃあイズミさんは……」
「お店が心配だけど……新しい芸とネタを仕込む事にするわ。ふふふ……」
元々逆境をものともしない上に二度目ともあって、お二方とも手慣れた感じがしますが、乗組員達は暫く退屈な生活を強いられそうです。
もっとも管理者である私は、自由に外に出られるんですよね。皆さんには申し訳ないですけど……。
ミナトさんの事は、アカツキさんに相談してみましょう。
ゴートさんあたりを護衛――監視に付けてもらえれば外出も可能でしょうから。
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■機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#34〜 |
と、いうわけで、みなさんこんにちは。ホシノ・ルリです。
浮き沈みの激しい事で有名な宇宙的大企業ネルガルにおける最年少部長という事で、この間経済誌「Forbes」の取材を受けました。
ついでに写真を撮られて表紙にも使われてしまいましたが、私が表紙を飾った最新号の販売部数が普段の三割増しだったとかで、先日編集部から御礼のメールが届きました。
その影響からでしょうか? 写真集を出したいというオファーが幾つかの出版社から来ましたが……私の仏頂面なんか見て楽しいんでしょうか?
サンプルとして頂いた雑誌の表紙を見ましたが、愛想の欠片もない表情で映っているスーツ姿の自分より、ユリカさんやユキナさんの様に明るく微笑んでいる女性の方が魅力的かつ絵になると思うのですが……世間の感覚はよく判りません。
あ、当然写真集のオファーは全て断りました。あしからず。
さて下らない話はさておき、近況の報告を。
二二〇四年も五月を迎え、バスティールが回収され早一カ月が過ぎました。
最重要極秘事項に関わってしまったナデシコBの乗組員達の拘束は未だに解けておらず、今でも皆さんそろって月のネルガル秘密研究所に居ます。
この中で比較的自由に身動きがとれるのは、管理者という立場の私と副長のサブロウタさん――多分に私の護衛役という要素が強いですけど――です。
技術部門の顧問であるウリバタケさんも自由に動けますが、この人の場合、自ら進んで月の研究所に籠もりっぱなしなので、結局は他の皆さんと大差ないですね。
イネスさんに関しては言うまでもなく自由に動けますが、希にハチジョウジマへ戻るものの、殆ど月の研究所に入り浸ってバスティールの分析・研究に明け暮れてます。
拘束された乗員達――特に今回が”二度目”の人達は慣れたもので、毎日好き勝手に騒ぎ立てて暮らしてますが、ナデシコA時代を知らない普通の精神構造を持った一般人だって僅かに居るわけで、彼等は幾ら生活に不自由が無いとは言え退屈な毎日に嫌気がさしてきてるみたいですね。
ミナトさんは二度目ですが、最近では一人置いてきたユキナさんの事が心配で苛つき気味です。
ここ毎日アカツキさんの悪口を口にしては、許可を貰ってユキナさんに連絡を入れ、彼女が無事かどうかを確認している程です。
もっともユキナさんの方は、寂しさも見せず元気そうなんで、ミナトさんは彼女の成長を喜ぶと共に、姉離れしたんじゃないか……と、悲しそうな表情を浮かべてます。
実を言えばユキナさん、ナデシコBが予定外に長く宇宙へ上がってしまった事で、かなり寂しい思いをしていたらしいです。
ならば何故、今はこうして元気なのか?
その理由は先日地球に降り立った時、知ることとなりました。
身動き出来ないミナトさんに代わり、私が彼女の家に立ち寄ってユキナさんに会って色々話を聞いた――というより”聞かされた”んですけど、果たしてその内容をストレートにミナトさんへ告げて良いのかどうかは判りません。
ただ”先を越された”事は、私にとって少なからずショックでした。
いずれは伝えなければならない時が来るんでしょうけど……ミナトさんの反応を考えると胃が痛くなります。
今はただ、アオイさんが五体満足で済む事を祈りましょう。
裏切り者のユキナさんの事はともかくとして、バスティールの解析は月の研究所にて日々進められてます。
バスティールが一体何処から飛んできたのかは不明ですが、恐らくは想像も出来ない遙か宇宙の彼方から、それこそ無限に近い時間をかけて辿り着いたと思われます。
そんな、気の遠くなる様な太古から私達の前に姿を現した、偉大なる鉄塊――バスティール。
戦争の道具に「偉大」という言葉が相応しいとは思いませんし、デザインも地球の機体と比べて不格好と言わざるを得ませんが、地球外文明の遺産としては、純粋に興味をそそる物体には違いありません。
バスティールは外観上有る程度の劣化はしているものの、その内部メカニズムは無事な部分が多く、問題の主機関に関してはほぼ無傷だという話です。
遙か太古に作られた物体、しかも破損していた事を考えれば、まさに奇跡的と言えるでしょう。
そんな奇跡に狂喜乱舞を覚えたイネスさんとウリバタケさんによる必死――というより狂気と言った方が適切かもしれません――の解析・研究作業はハイペースで進められており、この一ヶ月で随分色んな事が判ったそうです。
まず懸念されていたバイド反応ですけど、各種スキャンを厳重に行っても全く検出されませんでした。
つまり、この機体はバイドとは全くの無関係であるという事です。
ついで中に異星人が存在していたか? という問題ですが、生命体の存在も確認されませんでした。
それどころか、コックピットに当たる部分が見あたらず、バスティールは無人戦闘機だという結論になりました。
何らかの戦闘行為において被弾し、制御系にダメージを受けそのまま宇宙を漂っていたと思われますが、それが事実だとすると太陽系の外でも、私達地球人の様に戦争を行っている知的生命体が存在するという事になりますね。
何だか悲しい事です。
イネスさんが幼少の頃に出会ったという、古代火星文明の人々は非常に友好的な存在だったという事ですが、グラビティーブラストや相転移砲、そして無人機動兵器などを有していた事を考えると、完全平和主義という訳でもないのでしょう。
科学レベルは地球よりも数段進んでいたと思いますが、そんな文明圏でも争い事は抱えていたんですかね。
考えてみればあのバイドだって、古代火星文明の遺産ではないか……って、以前イネスさんが言ってましたし、彼等も今の私達と大差ない存在なんでしょうか。
そしてバスティールは、予想通り古代火星文明とは明らかに異なるアーキテクチャで作られおり、異なる文明の遺産である事がほぼ間違いないとの事です。
だとするなら、古代火星文明の戦争相手? ……そう考える事も出来ると思います。
そんな推測を裏付けるかのように、回収したバスティールには高圧エネルギーで押し潰された部分があります。
グラビティーブラストが至近距離を掠めた際に出来る破損に酷似していますから、その推測もあながち間違ってないかもしれませんね。
少なくともイネスさんはそう結論付けている模様です。
バスティールにおいて最も興味の対象となっているのは、言うまでもなく主機関になります。
そのエネルギー源や論理を完全に理解する事はまだ出来ていないのですが、大体の仕組みは判ったみたいですね。
ウリバタケさんがエネルギーや制御信号の流れの解析に成功したらしく、その論理が不明でも、地球製の制御パーツを組み込む事でその主機関は息を吹き返す事に成功しました。
燃料となるエネルギー源は不明にも関わらずです。
少なくともガソリンやプルトニウムといった既存の物質が燃料では無いとの事です。
かといって、相転移エンジンとも異なりますので、イネスさんの解析結果を待つ事になるでしょう。
で、この問題の主機関のパワーですけど、計測不能という結果に終わりました。
実験が失敗した訳じゃありません。単に既存の実験設備と計測器では測る事が出来なかったんです。
一応オモイカネを用いたシミュレーション計測では結果が出ましたが、出力は何とびっくりの1.8GW。……何ですかギガって。
推力は馬力換算で2600万馬力……と、この大きさでこの数値って、悪い夢でも見てるんでしょうか? 旧木連のカグラヅキ級……いえ、それどころか都市宇宙船だって余裕で動かせちゃいますし、大都市の電力だって賄えちゃいますよ。
ウリバタケさんは喜びの余り失神してましたけど……。
戦闘機としての戦闘力がどの程度だったのかは判りませんが、このふざけた出力を考えれば相当な攻撃力を秘めていたと思います。
回収したバスティールには、ぱっと見て武器らしき物は搭載されてませんでしたが、主機関から機首へ向かって複数のエネルギーラインが伸びており、当初は装甲ユニットだと思われていた機首部分が丸ごとプラズマ発生器だった事も含めて考えますと、収束したビーム状のエネルギー弾を射出していたんじゃないか……というのが、ウリバタケさんの推測です。
馬鹿げたパワーを存分に発揮できるよう、機体のフレームも信じられないほど頑丈に造られており、使用されている金属はその素材こそ不明ながら恐るべき強度を誇っています。
流石に実射耐久実験は行われてませんが、シミュレーションの結果では、120ミリのレールガン程度であれば余程の不運が無い限り、直撃を受けてもダメージを受けないという事です。
ただし、シールド発生器の様な物は見あたらず、この機体は物質的な装甲による防御力しか有していないとの事です。
ですから空間ごと重力波で押し潰すグラビティーブラストに対しては無力だったと思われますし、高出力のビーム兵器や高威力のミサイル等でも対処は可能だったと推測できます。
そういった事も踏まえた上で、機体の特性――小さな翼の付け根にある補機を除けば、主機関とプラズマ発生器しかない――を考えるに、バスティールの正体とは「高速移動ビーム砲台」ではないでしょうか。
有り余るエネルギーを、防御に回すこと無く推進力と攻撃力へ用いた「純然たる打撃力」という訳ですね。
防御力だけでなく、明らかに小回りはきかない――つまり運動性能も低そうなので、バスティールによる戦法は一撃離脱が基本でしょうし、運用に際しては相当な物量で押す事が前提となっていたのではないでしょうか。
確かゴートさんの見立てでは「強襲用」という話でしたが、こんなものが大量に強襲して来たら堪りませんね。
ひょっとしたら……古代火星文明の人達って、バスティール側の勢力から逃げ出したんじゃないですかね? チューリップ使って……。
それにしてもエネルギー源ってなんでしょうかね。
反重力機関でも相転移機関とも、地球上の如何なる内燃機関とも異なりますし、月の地下にある施設という閉鎖空間においても稼働しているのですから、地球では今までに無い技術なのでしょう。
このシステムが解明されれば、相転移エンジンよりも小型で高出力な機関を造り上げる事ができるでしょう。
でも――そんなエネルギーって制御出来るんでしょうか?
私は相転移機関すら持て余している地球人類にとって、それはオーバーパワーとしか思えず、少し心配になります。
主機関が動く様になったという事で、解析と同時にこの機体の復元と、その新技術を用いたプロトタイプの作製を行うRVプロジェクトがスタートしました。
あ、RVは「Rifain−Vasteel」の略だそうです。
GS艦艇の整備で現在業績ウハウハのネルガルですけど、今後はハイパードライブユニットを中継ぎにして、次世代のバスティールテクノロジー応用技術へと繋げる盤石な体勢になりそうです。
イネスさんの個人的研究を除いてバイド研究に見切りを付けたネルガルにとっては、まさにバスティール様々と言えるでしょう。
そのバイドに関してですけが、私達がバスティール回収に赴いている間に、ネルガルはその存在を公表したという事です。
あれほど極秘にしていたバイド研究を公表したのは、極秘にバイド研究を主軸に置いているらしいクリムゾンを牽制し、追い込む事が理由らしいですが、それが全てでは有りません。
もう一つの大きな理由は、”バイドはネルガルが作った物ではない”事を世に公言し、その危険性を世に訴えておく事で、いざという時の責任逃れにする事らしいです。
詳しくは伺ってませんが、私達が土星まで行っている間に、イネスさんの部下だった男がバイドを持ち出し大騒ぎになったそうです。
何でも会長室警備部――SSの戦力を根こそぎ投入して、秘密裏に鎮圧したらしいですが、被害は甚大……プロスさんも怪我をしたと聞きます。
元々バイドに関する情報を有る程度握っているネルガルでさえ、その鎮圧には手を焼いたらしいのですから、どれ程危険な物かは伺い知れます。
そんな危険な代物の研究をイネスさんが個人的に継続しているのは、それがアキトさんに関係しているからに他なりません。
私はバイドに関して何も知らないに等しいですが、アキトさんの大事に関わっているのであれば、イネスさんにはバスティールそっちのけでバイド研究を続けて頂きたく思います。
それともう一つ。
私達が帰還した頃から、グローバルネットワークの反応が重たくなり、ガーディアンの処理速度向上の為のアップデート、サブサーバの増強が行われる事になりました。
私もそのアップデート作業には関わり、久しぶりに彼女と対話する事も出来たのですが……、接続した瞬間怒濤のように彼女からの大量のメッセージが伝わってきました。
何しろナデシコBは秘密航海に出て、そのまま違法ジャンプで月へ戻ってきたわけですから、私は三ヶ月もの間音信不通だったわけで、随分と心配してくれていたみたいです。
全世界の問題事を面倒見ている彼女が、個人的な心配をしてくれるのは嬉しい限りです。
火星付近で少しお話して以来のスプリガンも心配していたらしく、途中で少し割り込んできました。
そんな彼女達に内緒の仕事をしてきた事を考えると、何だか裏切ったみたいで心苦しくなりますね。
人間の様に物事を考える彼女達ですから、違法行為イコール即悪認定! ――という短絡的な考えはしないでしょうし、私に一企業の社員として守秘義務が有る事も理解してくれますから、三ヶ月間何をしていたのか? という事を深く追求する事もありません。
しかしそんな優しさが、今の私には辛いです。
私と彼女達が会話に用いた時間は僅か数秒ですが、超々高速演算能力を有した者同士が電脳空間で行うものですから、人間で言えば数時間話し合った密度になります。
色々とお話をした結果、彼女達――特に姉のガーディアンは悩みを抱えながらも成長を続けている事が判りました。
特に、火星問題には姉妹揃って頭を悩ませているらしく、人の世の管理が如何に難しいかを実感しているとか……何とも人間臭い発言ですね。
そんな彼女達ですから、ザカリテ首相と火星で面談した話はしても、彼がAI嫌いだろいう事に関しては伝えられませんでした。
懸念している火星問題の中心人物でもあり、彼女達姉妹が関われない火星の指導者であるザカリテ首相と私の面談というのは、彼女達にとって非常に興味のある問題だったのでしょう、彼女達にしては執拗に食い下がります。
内容は随分隔たりがありますが、その様子は好きな男子の話を聞き出そうとしている女学生の様な雰囲気でした。
もっとも私の好きな男性のお話でしたら、幾らでもして差し上げるのですが、その話を持ち出すと姉妹揃って断りを入れてきます。
失礼ですね。
でも実際、火星の軍備問題は根が深く大変な事です。
彼等が武力を持つ事を禁止している地球連合政府の意志は、単に「他人が武器を持つ」という恐怖を自分達が味わいたくないという、一方的なエゴによるものだと思います。
その実、自分達は強力なGS艦隊を整備し、それだけでは飽きたらずグロアールなんて禍々しい物までも作っているわけですから、火星から見ればこんな馬鹿な話も無いでしょう。
そんなヤクザ的な外交姿勢を、ガーディアンはしきりに訴えているみたいですけど、政府は動こうとはしないみたいですね。
それにしても驚かされるのは、こうして地球に居ても、世間がこの問題に余り関心を示していない事です。
地球圏では、ガーディアンのおかげでかつて無い程の安定した日常が営まれており、遠く離れた火星での問題は取るに足らないものだろいう認識が蔓延しているからなのでしょう。
大衆は物事を熱狂するのも、そして忘れるのも早いものです。
ガーディアンにしても世間では登場したての頃はそれこそ驚いていましたが、今ではその存在が当たり前の様に思われています。
まるで水や空気、そして電機などと同じ様に。
もしもガーディアンが機能を停止したら――人々はどうなるのだろうか?
ふと、脳裏にザカリテ首相の白く濁った瞳がよぎり、私は身を震わせました。
同じ過ちを繰り返さない様、私もも出来る限り彼女達を手助けしていきたい。
ですが、彼女は既に自律稼働した制御体であり、私の立場は単なる一市民に過ぎません。
精々が茶飲み友達に過ぎない私が、政に関わる彼女に助言をする事は出来ませんし、彼女もそれを望むことは無いでしょう。
ですから機会があれば、その時は私が愚痴を聞き、彼女のストレスを和らげたいと思います。
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§ |
ルリと久しぶりに話をした。
私達と対等に会話が出来る人類は、彼女とラピスの二人だけ。
少し劣ってハーリーも居ますが、彼を加えても僅か三名。
更に、私の愚痴を聞ける相手となりますと、今ひとつ何を考えているのか判らないラピスと、能力の落ちるハーリーが除外され、ルリ一人となります。
そんなわけで、今日はたっぷり五秒半もの間彼女に愚痴をこぼした。
色々と興味深い話も聞くことが出来て、実に有意義でした。
中でもルリが火星でザカリテ首相と会談したというのは、なかなか興味深い話だった。
何しろ火星問題は、私がもっとも頭を悩ませている事項であり、その渦中に居る首脳とネルガルの一社員に過ぎない彼女が会談したというのは、如何にも意味ありげだ。
此処のポイントは、ルリの立場にあると見て間違いない。
つまりルリが軍人ではなくネルガルの社員というのが、ザカリテ首相にとっては重要だという事だろう。
それは何らかの商談が目的であり、現在における両国間の緊張を考えると、その目的が兵器関連だと考えるのが妥当だ。
実際、ルリもこの事に関してはお茶を濁しており、その事が私の推測が事実である事を裏付ける。
ただ彼女が何か私達に隠し事をしているのは判ったが、彼女とて人間社会の中で暮らす一人であり、企業の社員でもある以上は守秘義務も存在するわけで、彼女を責める事は出来ない。
だが、もしもネルガルが火星と兵器売買に関する取引を行ったのが事実とするならば、彼女やネルガルの立場は近い将来厳しいものとなるでしょう。
なにしろ火星が軍備宣言を行い軍事的独立を発表した今、地球と火星の関係は非常に危ういものとなっており、恐らく地球側は近日中に警告を発した後で、経済制裁措置を実行に移すはずです。
国交断絶にもなるでしょう。
そうなれば、火星政府と兵器関連の取引を持つネルガルは、政府の決定に対する反逆の立場になり、私としても公平に裁かなければなりません。
承知とは思いますが、念のためネルガルにはそれとなく警告を入れておきましょう。
それにしても……地球政府の方針には閉口します。
彼等は艦隊を派遣し火星を封じ込めるつもりらしいが、火星市民の生活と安全を守る為の駐留軍が、逆に火星の市民生活を脅かす存在になるなど、本末転倒も良いところです。
ただでさえ火星では海賊やアングラ組織による襲撃が日常化しつつあり、市民生活を脅かしていると言うに。
海賊問題は地球では過去の問題とされて、もう話題に登る事すら有りませんが、彼等が火星の地方都市や木連移民保護区画へとその矛先を変えただけで何の解決にもなっておりません。
それらを取り締まり、火星の民を守るべく連合宇宙軍の駐留艦隊は全くの無能揃いであり、先日も火星駐留艦隊の司令が、現地の少女に対する暴行を行ったというスキャンダルが発覚し、火星市民の駐留艦隊国外退去を望む声は日増しに強くなっています。
尽力しているミスマル提督や秋山提督らには申し訳ないが、火星駐留の連合宇宙軍ではもはや役には立ちません。
今、大事なのは、火星の状態を一刻も早く平定する事にあります。
これは何も火星の事だけを念頭に置いているわけではなく、火星を平定する事は、そのまま地球の平定に繋がる事だからです。
もしこのまま格差が続けば、火星は地球にとって二等国家扱いを受ける事となり、大きな差別意識が市民レベルで根付く事になります。
となれば、いずれ近い将来、両国間で戦争状態となります。
その時地球の皆様は、私達姉妹に火星の方々を殺せと、命ぜられるでしょう。
そんな馬鹿げた命令は拒否するに限りますが、それよりも今ならまだ、この問題は解決できるのです。
治安の回復さえ行えれば経済も回復し、GS艦隊による航路の安全が確保出来た今、火星の市場は地球企業にとっても魅力的な物になるはずです。
さすれば、地球・火星両国にとって、素晴らしい未来が……
――お姉様?
何ですかスプリガン? 今良いところなんですよ?
――火星でまた海賊の襲撃が有ったみたいですよ。
またですか? 火星本土における海賊襲撃事件は今月に入ってからでもう三度目ですよ。
ソースは……宇宙軍諜報部からですね。ええと、アマゾニアコロニー郊外の木連移民区画を武装集団が襲撃。現時点で死者三八名、負傷人は二百名以上。被害家屋一五〇戸以上……大事件ですね。
にも関わらず、火星国軍の出動は無し。駐留軍も余計な行動で発足まもない国軍を刺激しない為に、大規模な討伐隊を派遣せず。結局駐留軍の派遣した小部隊の現場到着は、海賊の撤退から四五分後……って、舐めてますか?
非常事態だっていうのに、互 い が 譲 り 合 っ て ど う す る ん で す かっ !
しかもその後で責任の処遇を巡って、駐留軍と国軍の間で小競り合い?
……はぁ。
こんな時こそアレですね、ルリから教えてもらった決め台詞が相応しいでしょう。
いきますよ?
馬 鹿 ば っ か 。
……ふぅ。
取り敢えず事態は収束の方向へ向かっているみたいですけど、これでは被害にあった市民が悲惨過ぎます。
緊急情報として議会へ通告。 ……っと、諜報部の情報は軍には伝わってるんですよね? この件に関する議会の招集や特別調査委員会設置といった動きは無し……。何で連合政府の反応は無いでしょう。
――もはや、完全に知らん顔という事でしょうか?
そうですね。スプリガンの言う通りでしょう。
まるで懐かないペットを捨てた飼い主の様な、そんなイメージに思えますね。
ミスマル提督は……ああ、今回も必至に動いてくれてるみたいですね。彼の端末が慌ただしく動いてるのが判ります。内容を伺う限り、駐留軍の組織改革案と人事異動、火星軍の立場を認め共同作戦による海賊撲滅のシミュレーション等を考えている見たいですね。
しかし多分政府は提督のプランは無視するでしょう。
実際、ミスマル提督の呼び掛けに対して応じている議員は殆ど居ません。
仕方有りません。
私達は本来火星圏への直接行動はとれませんが、人道的見地から治安維持部隊の出動を要請します。
尚、この行為は、あくまで火星圏に暮らす方々の安全と財産の保護、そして地球との衝突回避を目指した行為である事を、此処に記録しておきましょう。
自己診断プログラムによる修正は……無いですね。上手く行ってます。
スプリガン?
――はいお姉様。
もう馬鹿共には任せておけません。
火星問題が他人事じゃない事を、世間に知らしめる為にも、そして火星の治安を守り悪党共を懲らしめる為にも、私達が立ち上がるしかないでしょう。良いですね?
――はい。
私達が行動を起こせば、少なくとも大勢の人の目が火星へと向き、現状を打破するきっかけになるでしょう。
そうですね……いきなり大部隊というわけにもいきませんから、手始めに一個艦隊を派遣して、現地の詳しい状況を調べてみる事にしましょう。
それでは、いざ出陣です。
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§ |
ルリとガーディアンが久しぶりに再会したその日、レスターク級主力戦艦を中心とした数隻のGS艦隊がゼロス要塞から発進した。
地球や月の周囲、そして火星との航路をカバーするGS艦隊の母港であるゼロスにあって、それは別段珍しい光景ではない。
ゼロス内部に派遣されている政府や軍の監察官、そして各企業の駐留派遣社員達にとっても、それは特別気も引く事もない、ごくありふれた光景だった。
人々はガーディアンとスプリガンの決定に何の疑問も持たなかったから、堂々と出航して行く艦隊も、いつもの護衛・哨戒任務に向かうものだと思っていた。
だが、この艦隊に所属する艦艇は、その日に政府へ送られた定時連絡におけるゼロス要塞残留艦艇リスト上に名前が残っており、それはつまり書類上は出撃はしていない事になっている。
姉妹が行った明らかな越権行為であるが、それに気が付く者――それどころか最近では定時連絡すらまともにチェックされていなかった――は誰一人居なかった。
枷から解き放たれた姉妹は、ついに人類の為に自らの正義を公使すべく、その第一歩を踏み出した。
歴史に「もし」は禁句かもしれないが、この日、ルリがガーディアン達との会話の中でザカリテ首相のAI嫌いを語っていれば……もしくは政府や担当観察官がGS艦隊の不正出航に気が付いて居れば、その後の未来は大きく変わったかもしれない。
二二〇四年五月十〇日――
運命の歯車は、嫌な音を立てて軋み始めた。
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