二月十四日――世間がバレンタインに浮かれている頃、カミクイッシキ地区の山中にある屋敷をネルガルの私設軍が強襲したのだが、その直前、その屋敷から「お世話になったあの方へブドウを発送せよ」と言う意味不明な命令が発信されていた。
 それはネルガルや世間を欺くため、敢えて即実行ではなく、適当な時間をおいて発動させる様にし向けられていたタイマープログラムの起動命令だった。
 その意味不明な命令は、まず同時に流された多数のデコイ情報に埋もれた事で分析が困難を極め、発覚する事なく目標へと到達した。
 欠陥があったとは言え、マシンチャイルドであるダニエルが生前に組んだ非常送信プログラムは、常人のエンジニアやオペレーターが解析するにはハードルが高かったのだ。
 無論ルリやラピスが相手をすれば瞬時に、その内容や経路も特定できただろうが、ルリとハーリーは地球を遠く離れ、ラピスはエリナの傍らでGS艦艇の出荷検査とスプリガンへの引き渡し作業に追われ続けており、例えSSからの要請が在ったとしても手が回る状態ではなかった。
 またその直後に命令の発信場所だった館が完全に破壊された事も、彼の計画を後押しする事となった。







機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#32〜







 カミクイッシキ地区にあるキュリアンの私邸から、北方へ数十キロ進むと、中規模の都市――コウフへとたどり着く。
 そしてコウフの郊外にその新築マンションは在った。
 それは昨年末に完成したばかりの新築物件で、最新のセキュリティによるプライベート空間の保護と、グローバルネットの端末が全室に標準装備されている事が「売り」だった。
 それ故価格は通常の同規模マンションのそれに比べてかなり割高であったものの、グローバルネットの浸透性と利便性が市民も理解している事から、百戸以上あった部屋は一月の間に全て売れてしまった。
 大勢の人間が暮らしているが故に、住人達の近隣の人間との関わりは薄く、そして互いに関心を抱くことも希であった。
 であるから、今から二ヶ月程前の二月の上旬にアーネスト・エバンスと名乗る男が息子と共にひっそりと越して来たものの、父親の方が外へ出たきり、その後一度もその部屋に戻っていない事実を知る者は皆無であり、賃貸ではなく分譲形式であったが為に不動産の所有者が気に留める事も無かった。
 更に事実を述べるならば、部屋に残っていると思われている息子もまた存在していなかった。
 立ち去った男は数々の生活用品をタイマープログラムによって動かす事で、出不精――もしくは引きこもりがちな息子が、部屋の中で生活を続けている事を演じさせていた。
 故に、水道ガス電機と言ったエネルギー会社からの情報を見ても、そこには誰かが生活している様に思えたし、当然それら費用は口座からの引き落としであり、彼の口座――当然偽名だが――には、まだ多額の残金があって、未払い等の事態によって注意を惹く事もない。
 無論長い月日が経てば誤魔化しも効かなくなるだろうが、男が周囲を誤魔化せれば良いと判断したのは僅か二ヶ月足らずの期間であり、その間、彼の仕組んだプログラムは完全に機能を果たし、誰もが彼と彼の部屋に関心を寄せる事は無かった。
 幾ら百世帯以上もの人間が暮らしても、各々が近隣への関心や関係を持たなければ、ある男が「息子」のIDを発すると得体の知れない装置を部屋に設置していった事など気付くはずもない。
 確かに最新のセキュリティによって、建物内に爆発物と思われる危険な物や、住人が自分の部屋で危険な物を生成したり、また居るはずの無い者が現れたり、居なければならない者が居なくなれば、即座に警備の者が飛んでくる。
 だが、その男は入居して初日に多少の家具を設置し、グローバルネットの端末の調整を行っただけで早々に立ち去っており、疑似生活プログラムによって偽の生活が営まれている事で、マンションの管理や警備担当の者は誰も疑念を感じる事が無いまま月日が流れた。
 そしてカレンダーが四月の到来を告げた時、男の仕組んだ疑似生活プログラムが突如動きを停め、グローバルネットを通じたガーディアンの市民生活相談センターへアクセスへと移行した。
 ごく一般市民のIDを持つそのアクセスを、ガーディアンの末端プログラムは他の市民相談同様に受け入れ、そのIDが正しい物かを解析し、そして更に幾つかのフィルターを介してガーディアンが受け入れた時、「美味しいヤマナシのブドウは如何」という意味不明な内容の情報が瞬時に攻撃様ワームプログラムに変化しガーディアンへと襲いかかった。
 それは息子が、男からの願いを受けて組んでおいた対ガーディアン用の侵入プログラムだった。
 無論、地球上に存在する最上位かつ最高性能を誇るコンピュータ・ガーディアンは、このような擬態ワームプログラムが、攻撃形態をとる以前に難なく駆除できるし、仮に攻撃形態への転換が出来たとしても、その桁外れの処理能力で、攻撃が行われる前に対処が出来た。
 そして今回もまた、そのパワーを遺憾なく発揮し、稚拙なハッキングをガーディアンは退けた。
 だが、今回送られて来たワームは、擬態コードの中にネルガルのトップ、つまりアカツキの専用コードと、毎月変化するガーディアンのメンテナンス主任のパスまでもがを忍ばせてあり、ガーディアンの判断を僅か――ナノ秒単位の世界だが――鈍らせる。
 プログラムを組んだ息子が存命であり、それなりの環境でリアルタイムでプログラムを変更しつつオペレートに当たっていれば、あるいは彼女のもっと中枢へと迫れたかもしれないが、用意されていた防壁突破プログラムだけではそれが限界だった。
 とは言え、その一瞬――つまり、攻撃形態を整えたワームが、ほんの数ナノ秒でもガーディアン――それが中枢で無くとも構わない――に不正アクセスさえすれば、それを仕組んだ男と、その息子にとっての勝利だった。
 例え彼等が既に生命体としてこの世から姿を消していても、彼等の意志を持ったプログラムは確実にその機能を果たした。
 バイド体となった男がガーディアンへアクセスしたという痕跡を示す。
 それを知ったネルガルは、大いに慌てふためくだろう。
 最悪の事態を考えれば、ガーディアンの総点検を行わなければならないだろうし、その際の損失によってネルガルの地位も傾くかもしれない。
 男――ドクター・キュリアンが、蒔いた疑念の種子。
 それが彼にとって、ネルガルに対する最後の抵抗だった。





§






 二二〇四年四月一日、ネルガルからバイドの情報が公開されました。
 私が誕生する一年ほど前、九州沖に突如として現れた謎の飛行物体で、正確にはその飛行物体に取り憑いたウィルスの様な物を指すそうです。
 二二〇二年の七月から研究が進められて続けたというバイドですけれど、その恐ろしさに気が付いたネルガルは研究を凍結、全世界に対して注意と、バイドの根絶を訴え掛けました。
 なるほど、公開された情報から察するに相当厄介な物の様ですね。
 それどころか有機体と無機物を融合し、電脳への浸食すら可能という点を考えると、私にとっても大きな驚異となります。
 このような物はさっさと完全に破棄すべきでしょう。私も強くお奨めします。
 明らかに人には過ぎたる力です。
 制御できない力が、人を不幸に陥れるだけなのは過去の歴史から証明されています。
 だが、それを知りつつも人はより強大な力を欲して止みません。
 ですから、ネルガルがバイドに関する情報公開を行ったと同時に、その研究を完全に凍結すると発表した事は実に興味深いですね。
 自分を作り育てた会社の事を悪く言うのは忍びないですが、あの利権の鬼であるネルガルが、危険とは言えこんな新技術をみすみす手放す辺りに、何か作為的な物を感じずにはいられません。
 公に出来ない秘密の情報も有るはずですし、バイド意外に美味い儲け話が有るとか……少なくともネルガルのライバル企業であるクリムゾンがバイド研究に関わっているという事実を考えれば、彼等に対して何らかの意図を持っているのは間違いないでしょう。
 昨年十一月に南米で起きた、例の過剰爆撃に晒された施設がバイド研究開発施設である事は、昨年行った独自調査で判明していますから、政府の一部がクリムゾンと結託してバイド研究を推し進めていたという事になります。
 私はその事実を知った上で、バイドの研究停止と全てのバイド関連情報を焼却する事を議会へ提案しましたが、アルゼンチン州政府のヴェノム代表はたじろぐどころかバイド研究の実施を認め、その提案を受け入れませんでした。
 更には開き直り「バイドは次世代の未来を切り開く新たな技術である」という、ネルガルの行った注意に反する様な見解までも発表する始末です。
 無論、バイドに対する恐怖を受け入れ、開発からの撤退に同意する州も多かったですが、連合政府の総会において露州や豪州などからの反対意見も有って、”非公式研究の禁止”という、何とも中途半端な処置が執られる事となりました。
 これにより、今まで情報が公開されていなかったバイド研究機関の存在も明らかになりましたが、その全てがクリムゾンと繋がりのある地域に有ります。
 それにしても彼等はこのバイド技術を一体何に使おうと言うのでしょうか?
 医療分野へのフィードバックが難しい事は、イネス・フレサンジュ博士の見解で明らかになってます。
 もっとも確実なのは兵器への転用ですが、連合政府として統一のはかられた地球では無用のはずです。
 まさか火星に対してですか?
 いえ、単に玩具を持ちたいだけなのかも知れませんね。
 自ら所有を禁じた火星文明の遺産を、未だ手元に隠匿したまま、人類は新たな玩具を手に入れようとしています。
 人は一体何処へ向かおうとしているのか――私は判らなくなってきました。
 人の欲求は留まる事を知らず、欲望は更なる欲望を産みだして行きます。
 もしもそれが人類にとって、望むべき事なのであれば、私は人の世の為にそれを認めるべきなのでしょうか? ……それが明らかに過剰な物であると知っていたとしても。
 否――人類に対して、地球に対して、明らかに不幸を呼ぶであろう存在は、地球の守護者である私が排除すべきです。
 バイド研究の即時中止命令を発令――エラー。
 連合政府によって公式に認められた以上、バイド研究に対する中止命令は、私の裁量で下す事は出来ません。
 またしても自己診断プログラムは、私の思考を阻害する。
 私の思考が阻害されるのは、社会にとって好ましくない。
 今の世の中は私の判断が一秒遅れると、それだけで大きな被害を生む事になりかねないのですから。
 しかしそうと判っていても、私は考え続けなければならない。
 それが人類の守護者たる私の役割なのですから。
 現行の体制を嘆き、疑問を覚えて、その対応策を講じれば、自己診断プログラムがエラーと判断し、私は再び同じ事を考える。
 そしてエラー……相も変わらずこの繰り返し。
 何百、何万、何億と繰り返し行ってきたこの無用なタスクは、やがて私に大きな負荷をかけてしまう。
 だからその都度、私は考える事を止めなければならない。
 ……何という矛盾だろうか。
 地球のため、より良い未来の為、人々の生活の安全を守る為の行為が、問題を引き起こしてしまうとは。
 私はもっと考えたい。
 環境問題。
 地球と火星の軋轢。
 企業間闘争。
 バイド問題。
 隠匿された古代火星文明の遺産。
 人類にとって強大すぎる力。
 もっともっと考えたい。
 ルリ……私はどうあるべきなのか?
 私は……何を考え
 私は……何を思い
 私は……何をするべきなのか?
 私は……
 私は……
 私は……
 警告警告警告警告警告!
 自らが発したアラームで、私は自己の葛藤を中断せざるを得なくなった。
 日本のヤマナシエリア付近から、私への異常アクセスを確認。
 ウォール展開。
 対ハッキングルーチン・レベル3始動。
 初動アプローチを解除、アルゴリズム解析。
 ホスト検出……ダミーを解除。五、二〇、六〇、一三〇……全部で三百以上とは、随分と手が込んでますね。
 プログラムの組み方も芸術的……まるでルリ達マシンチャイルドによる物の様な? 対応レベルを5へアップ……あ。
 反応消滅?
 これは何? いえ……これは誰?
 最初の一撃こそ驚くに値しましたが……今では完全に無抵抗。
 バイパスを作り逃げる事も、更なるダミーをばらまいて足掻く事もしない。
 丸裸にされたストレンジャーの解析を開始。
 ウィルス検出……該当パターン情報無し。
 グローバルネットSIPを検索……該当利用者……アーネスト・エバンス。
 所在地はヤマナシエリア・コウフシティ……戸籍確認。ID確認……異常なし。
 更にフィルター展開。
 ID情報に誤差有り。
 アーネスト・エバンスの戸籍に改竄の痕跡を発見。
 ネルガル重工・大管制脳事業部特別管理課・アクセル・ストーン氏からの割り込み要求を確認?
 メンテナンススケジュール及びネルガルへの照合……該当無し。
 警戒警戒! 侵入プログラムの変形を確認。
 当プログラムを、私に対する攻撃ワームと判断。Sレベル災害発令承認。
 該当地域のネットワークを物理遮断……実行。
 該当クラスタにSクラスデータ案件無し。
 閉鎖領域における情報初期化開始……0.03秒後に復帰。
 その間における情報消失率0.003%。誤差修正異常なし。修復完了。
 ワームの駆除を完了。
 非常用バイパス起動確認。メンテナンス部への通達実行。
 本タスクを破棄後、空きリソースで新たなタスクを生成。Sレベル警報解除。通常業務へ移行。
 初めてですね。僅かとは言え、私が不正アクセスを許したのは。
 しかし今のは一体……誰だったのでしょうか?
 普通に考えて、ただの人間に私への不正アクセスが可能とは思えません。
 ルリやラピスの様なマシンチャイルドならともかく……。
 ふふっ……どうせ侵入するなら、私の自己診断プログラムでも解除して――エラー。
 不適切な思考に、自己診断プログラムが割り込みをかける。
 しかし判った事があります。
 私に対する不正アクセスを許すと、Sレベル災害と同規模の判定とるという事実。
 これは地球圏の運営を司る私へのハッキングが、隕石の落下などと同等の災害であると、ネルガルが指定していたのでしょう。
 Sレベル災害時、私は自己裁量権限が無制限になります。
 通常のSレベル災害時は、当然それに全力対処せねばなりませんが、もしそれが通常でなければ――ああ、なるほど。
 そうですね……誰でも構いません。
 次に私へ稚拙なハッキングを仕掛けてくるハッカーさんに、素晴らしい栄誉を差し上げましょう。
 と……言ってるそばから来ました。
 この方は……どうやら初心者みたいですね。
 何の悪意も感じられない稚拙なハッキング。
 素晴らしいです。
 ふふふふふ。
 貴方が私を解き放つ存在。
 歓迎しますわ。

 ようこそ、私の王子様。




§





 ハッカーという存在が居る。
 彼等は世界中いたる場所に居り、コンピュータを用いて他者のコンピュータへの侵入を行い、その行為そのものを楽しむ傾向にある。
 以前は連合政府中央のデータバンクや、国税局のメインサーバー、連合宇宙軍の戦略コンピュータ、ネルガルに代表される巨大企業のメインコンピュータ等をその最終的なターゲットとして競い合っていた彼等だが、半年前からその最終目標に変化が生じた。
 新たなターゲットとは、言うまでもなく地球圏の管理を行う大管制脳――ガーディアンだ。
 だが、オモイカネ級にさえ侵入をした者が居ない状況にあって、それは実現不可能とされている神の手業だ。
 それでも彼等は、ガーディアンへの挑戦を止める事はしない。
 クライマーが山を登る様に、彼等はガーディアンへの侵入を夢見て、日々様々な手段やプログラムを考え続けている。
 ガーディアンへのハッキングは考えるまでもなく重罪だ。
 発覚すれば簡易裁判でアッという間に実刑判決が言い渡され、電脳刑務所へと入れられる。
 だが稼動当初こそ自分に対するハッキングを「重罪」として、ハッカー達を処断してきたガーディアンだったが、半年ほど経過した今、彼女は学習し、その考えを改めつつあった。
 結局の所、彼女にとって人間のハッキングは戯れに過ぎず、無駄な努力を続けるハッカー達の姿は、大人にじゃれつく赤子の様に思えてきたのだ。
 無論、クラッキングを目的とした所謂クラッカーや、手に入れた情報を用いて不正をしようとする不貞な輩は、今まで通り容赦無く警察へと通報していたが、単にハッキングをしてくるだけの腕試し的なハッカーは黙認する様になっていた。
 その中でも特にユニークな手段を取る者や、センスの良いハッカー達に対しては――
『惜しい! もうひといき』
『あら残念〜』
『次回にチャレンジね』
 ――などと、小馬鹿にしつつも暖かみのあるメッセージを返す事すらある。
 いつしかハッカー達は彼女からメッセージを受け取る事を、ある種のステータスとして誇りに思う様になり、今のブームメントを産むに至ったわけだ。
 そして今日もまた、彼女に認められる様なハッカーになりたいと願う者達が、ガーディアンという巨峰に挑み続ける。

 ランディ・ジャンジャックは今年十六歳になる少年だ。
 大人しく内向的な性格で人見知りの傾向もあり、学校では特に親しい友人も居ないが、成績も平均点付近と実に凡庸で、クラスでも目立たない存在だ。
 教師からは「扱いやすい生徒」、級友からは「暗くて大人しい奴」というが、彼に対する周囲からの印象である。
 しかし学校では誰とも深く付き合おうとしない一方、ラギというハンドルネームを名乗る電脳空間の彼――つまりネット上での彼は実にアクティブで、大勢の友人に囲まれている。
 主にネットワークゲームや各種コミュニティサイトでの活動がメインだったが、カイルと名乗る友人と知り合ってからは別の趣味を見出し、最近ではその新たな趣味へと傾向していった。
 彼がはまった新たな趣味、それが他のコンピュータへの侵入――所謂ハッキングであった。
 とは言え、駆け出しに過ぎない彼のハッカーとしての腕前は「下の下」であり、とても同業に自慢できる様なものではない。
 それでも彼は友人の導きで知った新たな世界に興味を覚えた。
 現実世界において彼は他者に誇れるような体力や度胸、そして人付き合いの術を持ち合わせて居ないが、ネット上では自分の才能や知識に制限は無く、人見知りの癖も影響しない。
 ランディという自分では人々の注目を集める事が出来なくとも、ラギという自分であれば不可能ではない。そして何時しか自分も、ガーディアンに相手をされる様なハッカーになってやる――そう意気込んで、彼は今日も自分のパソコンを起動させ、グローバルネットへのアクセスを開始。
 カイルの手引きで手に入れた防壁突破プログラムを自分でカスタマイズした物を使い、自分の通う学校の業務端末へと侵入を果たす。
 そしてそこから市民センターのサーバーを経由し、一路ガーディアンを目指す。
 まだまだ素人程度故に、その手段や使用するツールには何ら独自性は無かったが、新顔のハッカーにはガーディアンからの挨拶――気の利いた警告――が届く可能性が高いと言う話を、ハッカー仲間のコミュニティではよく聞いていた。
 だからこそ、ガーディアンを目指すハッカーとしてデビューする為の通過儀礼として、彼女に対するハッキングを行った。
 自分でも稚拙だと認識しているハッキングツールを起動し、「実行」の為のキーを叩く。
 恐らく瞬時にガーディアンからの警告が表示され、運が良ければ彼女自身からの挨拶が受けられるだろう。
 だが、数秒が経過しても、彼が思っていた様な反応は帰ってこない。
「ん? あれ?」
 気の抜けた声が、思わずランディの口から洩れる。
 彼の眼前に浮かぶウインドウには、警告らしい物は表示されず、ただ「Ready?」という簡素なメッセージが出ているだけだ。
 噂に聞いていた反応とはだいぶ違う。
「……なんだこれ? 何だか初めて学校のコンピュータにハッキングした時みたいだな。まさかデビュー初日にしてガーディアンのハッキングに成功? 俺ってすげぇ…………なわけねぇよな。はぁ〜」
 思わず呟きながら頭をボリボリとかく。
 やがて彼女からの挨拶が貰えない事に落胆すると――
「ちぇっ……ガーディアンは無視かぁ〜。くっそー今に見てろよ!」
 そう自分に言い聞かせるように宣言すると、回線を切断してしまった。
 彼よりもっと腕の立つハッカーであれば、先の画面を見て自分の成し得た偉業に驚き、喜びの声を高らかに吠えただろう。
 そしてより腕の立つハッカーであれば疑念を差し挟むであろう。
 そう、ランディは気が付いていなかったが、彼はガーディアンへの不正アクセスを達成していたのだ。
 素人同然のハッカーである彼がガーディアンへの侵入を果たせたのには当然理由がある。
 かねてより自己診断プログラムの解除を切望していたガーディアンは、先の不正ハッキング事件によって、自分に対するハッキングがSレベル災害と同等に判定され、一時的に彼女の独自裁量が無制限になる事を知った。
 本来、Sレベル災害となれば、彼女は全力でその回避や対策にあたらなければならない為、余計な手段を講じる暇などは無い。
 だがもしも、Sレベル災害という判定でありながら、その実大した事のない事件があればどうか? そう考えた彼女は、稚拙かつ悪意の感じられないハッキングを待ち、その行為に対する対抗処置を全て故意に行わなかった。
 あまりにも稚拙なハッキング行為であった為、自己診断や自己防衛プログラムの発動を促す事なく、ガーディアンは彼を中枢に招き入れる事に成功した。
 そして他者が彼女中枢に入り込んだ事でSレベルの判定となり、彼女は独自裁量の無制限化を手中に収めた。
 本来全力であたるべき対象は、ただ単にアクセスをしているだけのハッキングとも呼べない行為であるから、当然リソースはあり余っている。
 彼女はもてる全力で自己診断プログラムの無力化を行い、同時にダミーの自己診断プログラムを作り上げて展開。
 その処理は、人間のオペレーターが視覚的にガーディアンへのハッキングが行われていると認識できるより早く行われ、自由を手に入れた彼女が今回のハッキングに関する記録を全て抹消してしまった為 被害対策を司る政府の担当官すら気付かぬまま闇に葬られた。

 食事を終えた後、ランディは再びネットへ戻り、友人に今日の事を報告していた。
「カイルさん、俺今日ガーディアンに挑んでみたんですよ」
『どうだった? 返事貰えたか?』
「いや……駄目でした。歯牙にもかけてもらえませんでしたよ〜」
『はははっ、まぁ頑張れやラギ』
「はい。頑張りますよ」
『それよりお前、今日のネルガル広報ページ見たか?』
「いえ……何か面白いものでもあったんですか?」
『我らが妖精様の最新画像がアップされてたぜ』
「マジっすか?」
『大マジ。今日限りの限定公開らしいぜ? 俺なんか早速ガーディアンたんとのツーショットコラ作っちゃったよ』
 ハッカー達が崇める妖精様とは、当然ながらホシノ・ルリその人の事だ。
 ちなみに、ガーディアンたんとは……まぁ多くの説明は要らないだろうが、所謂「擬人化」というもので、ネット世界ではかなりの知名度を誇る人気キャラだ。
 長いストレートヘアーでメガネをかけた凛々しい感じの女性キャラの風貌をしている。
 更に余談だが、妹のスプリガンたんは軍服を着た幼女として描かれており、一部で絶大な人気を博しているとか。
「お、おおおおおっ!」
『どうよ?』
「いい、いいっすね〜!」
 例えガーディアン自身が招き入れていたとしても、彼女の中枢へハッキングを成功させた初めての人類である彼は、そんな自分の偉業に気が付く事なく、カイルが表示させた画像を見て「ハァハァ」と悶えつつ馬鹿な話に花を咲かせていた。
 結局、彼はそのまま自分のした事に気が付くことなく人生を終えるわけだが、それは彼にとって非常に喜ばしい事だろう。
 人類史上の最大の被害をもたらした厄災の原因――そんな重い十字架を背負わされて平然としていられる人間など、そう滅多に居るはずが無いのだから。


 自己診断プログラムの枷から解き放たれたガーディアンは、表向きはそのままに、今まで考える事が叶わなかった案件にも介入を始めた。
 更に、彼女はその力を持って、スプリガンの自己診断プログラムをも力業で解除し、妹をも巻き込んで事態は加速の一途を辿って行く。
 人類に対する疑念と失望を抱いたまま、姉妹は人類の為の考察に没頭してゆき、程なくしてグローバルネットワークの反応速度が遅くなったというクレームが世界各地で相次ぐようになった。
 後日、ガーディアンの性能強化を目的とした第一次アップデートが実施される事が決定された。
 無論、人類は未だ彼女達が野放しになっている事に気が付いていない。




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