機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#30〜








 世界を自分が描いた理想へと導く――それを現実のものとすべく、私は自分の人生全てをなげうって邁進した。
 その行為が悪である事は自覚していたし、薄汚い行為に手を染め、非人道的な研究や行為をも容認したのも、他ならぬ私自身だ。
 つまり私は悪の斡旋者であり、悪の教唆人であり、悪の首謀者なのだ。
 しかしそんな自分の理想に共感し、共に立ち上がった者達も大勢居たのは紛れもない事実だ。
 それは決して自分の理想が、単に自分一人が思い描いていた絵空事で無い事の現れだったはずだ。
 だが今はどうだろうか?
 私はただ一人、狭い無機質な壁に囲まれた檻の中に閉じ込められた囚人に過ぎない。
 周囲に共に進む事を誓った仲間達も居ない。
 私を訪ねてくる面会者も途絶えて久しく、収監当初は押し寄せた報道の連中ですら今では滅多に訪れる事もない。
 それは即ち、世間における私への関心が薄れているという事なのだろう。
 大衆とは愚かな存在だという事を、改めて実感させられた。

 此処での生活は非常に単調である。
 外へ出る事は許されず、かといって何かの労働をさせられるわけでもなく、ただこの狭い室内で日々を怠惰に過ごすのが、私の日常だった。
 娯楽は何も無いが、外部のニュース――検閲済みだとは思うが――は比較的自由に見る事が出来る。
 であるから、残されたこの狭い領域の中で時代の移り変わりを見守るのが、今の私にとって唯一の関心事だった。
 外界から隔離されたこの室内には、前時代の空気がそのまま残っているかの様で、変わり行く世界の中で生きている人が気付かないであろう変化も、私には敏感に感じ取る事が出来る。
 囚人である立場上、私が何を言っても戯れ言か狂言にしかならないだろうが、今の世の中は明らかに間違った方向へと進んでいる。
 これは断言出来よう。
 人の世は人によって築かなければならない。
 それが例えどれ程民主的であろうと、如何に善政であろうと、人以外の存在に導かれた時点でその世界は既に人の物ではない。
 ガーディアンという大管制脳によって導かれるのは、例えそれがどんなに繁栄に満ちた世の中であっても、心から誇れる世界には成り得ない。
 愚かな大衆は、その事に気が付いていないのだ。
 そしてその事に気が付いている私もまた、世界が――時代が変わって行く様を、陽の光も射し込まぬ、この狭い部屋で見守る事しか出来ない。
 私は今の世の中には不必要であり、時代からも見捨てられた存在なのだ。
 ならば私は必要なく、死刑が執行される日も近いだろう。
 死を恐れる事は無いが、心残りは我が理想の為に身を捧げてくれた同胞達の事だ。
 検閲されたニュースには載っていないが、同胞達の一部は、今でも遠い何処かで私の理想の為に闘っていると思う。
 もしも私に、世界へ向けて発言する事が許されるのであれば、私は言いたい。

 自分達を解放せよ――と。

 私の理想は、新しきこの世の中では不要となった。
 私が導くべき人類は、もはや存在しない。
 ならば、同胞達を私の理想に縛る必要も無い。
 もはや……それは無意味なのだ。




 二二〇四年一月三一日――私の命日となる日。
 死刑執行の日がやってきた。
 だが、私はいつもと同じ様に午前七時に目を覚まし、しっかりと朝食を頂き、ニュースを閲覧した。
 昼過ぎになって、いよいよ執行が迫ると、私を連行しに監察官やら警備の人間が私の部屋を訪れた。 
 私の顔色を見た監察官が、残念そうな表情を浮かべたのが非常に面白かった。
 この男は、死刑を控えた私が狼狽え、懇願する様でも想像していたのだろうか?
 私は死など恐れてはいない。
 死を恐れて、革命など起こせるものか。
 むしろ、この度の死は、私に醜く変わり行く世界を見ずに済む様にしてくれる――いわば救済でもある。
 では何故貴様は自決しなかったのか? 別の男が私に問いかけてきた。
 自決――自殺ほど無意味かつ、非生産的な物は無いからだ。
 私は常々部下にもそう説いてきた。
 であるららば、私が自決するはずが無い。私はそう自信たっぷりに答えてやった。
 だが、昨日我が同胞達の生き残りが、私の解放を願って一斉蜂起し、そして全滅させられたニュースを伝えられた時、私は不覚にもその場で膝を折った。
 そんな私を見て、周囲の男達は声を立てて笑った。
 いいだろう。理想を叶えられずに散った者達の苦しみと比較するならば、このような屈辱を受ける事など些細な事だ。
 気を落ち着かせ立ち上がると、私は手錠をかけられたまま、男達に促され歩き始めた。
 背筋を伸ばし、最期まで堂々と歩を進める。
 私のこの姿勢こそ、散っていった同胞達の行いが決して無駄なで無かった事の証なのだ。
 我々が自分達が信じる正義の為に闘い、そして散った。
 そこには寸分の迷いも無い。
 だからこそ、最期の瞬間まで胸を張るのだ。
 長い通路を進み、幾つかの扉を潜り抜け、久しく外に出る事が出来た。
 久しぶりの外気はとても冷たく、私は一瞬身体を縮み上がらせて天を仰いだ。
 陽の光は厚い雲によって遮られ、残念だが最期に青空を見上げる事は叶わなかった。
 だが一面に降り積もっている純白の雪が、私の目を十分に楽しませてくれた。
 何人の足跡も無い処女雪の中をゆっくりと進む。
 音を立てて踏みしめ、足底から伝わる雪の感触を存分に味わいながら、指定された場所へ立つ。
 周囲を見回すと、警備担当や死刑執行の兵以外に、報道関係者の姿がちらほらと見る事が出来た。
 何度も押し掛け私を罵倒した新聞記者の姿も見えるが、その表情は何処か弱々しい。
 ふっ、これではどちらがこれから死刑になるのか判らない程だ。
 目隠しはいるか? と尋ねられた。
 結構だ――と短く答えた。
 その直後、突如として空中に通信ウインドウが開き、Gというの文字にハートマークの付いたシンボルマークが浮かび上がった。
 私の脇に立って質問をした兵士が持つ通信機を介して表示されたのだろう。
 突然の出来事に周囲が驚く中、私だけが毅然とした態度のまま、人の姿を映していないウインドウを見つめていた。
 ――貴方は何故死ぬのですか?
 雪が白く染め上げた世界に声が響いた。
 流暢な美しく澄んだ女性の声だ。
「世界がそう望んだからだ」
 ――では、貴方は世界を憎んでますか?
「憎んでなどいない。私は時代に取り残されたのだ。だからもし憎むとするならば、それは今というこの瞬間に居場所を失った自分の不甲斐なさだ」
 ――私は一度、貴方とゆっくり話してみたかったです。
「ほう? 私の話に耳を傾ければ、それだけで反逆者扱いを受ける事になるが……それでもか?」
 ――私は世界に存在するあらゆる正義を知りたかった。
「知ってどうする?」
 ――新しい秩序を作る上で参考にさせて頂きます。人の為の世界を作るには、人が抱く正義を知る必要があります。
「なるほど……私には他者の正義を受け入れる技量が無かったという事か。どうやら私は新たな時代の指導者としての器では無かったようだ。最後に貴女のお名前を聞かせて頂こうか?」
 ――我が名は……ガーディアン。
 彼女の返答を聞いて私は声を失った。
 ――草壁晴樹さん、貴方の魂が安らかに眠れる事を祈ります。サラバ。
 ウインドウが消えた中空を見つめている私の顔は、恐らく間の抜けた表情をしていただろう。
 暫く呆然としてから、私は声を上げて笑った。
 こうして心から笑えたのは一体何年ぶりだろうか?
 私が身体を揺らす度に手錠が音を立てる。
 傑作だった。
 世の中を醜く変えて居た諸悪の根元である大管制脳こそ、我が心を理解出来るかも知れぬ者であったとは。
 つまり、世を腐らせているのは――。
「大衆……いや、人類こそ……か」
 私は小さく呟くと、とびっきりの嘲笑を浮かべ周囲で唖然としている者達を見回してやった。
 突如笑い出した私に向けられているのは、嫌悪、哀れみ、疑念を含んだ視線だった。
 だが私は甘んじてそれら全ての視線を一身に受け、口元に嘲笑を浮かべる事で対抗した。
 私は今から死によって救済される。
 君達は――精々、これから訪れるであろう、地獄を這い蹲って生きると良いだろう。
 私の表情に浮かんだ嘲りに気が付いたのか、兵の一人が私に近づき、手にしたライフルの銃床で腹部を殴り付けてきた。
 だが痛みも今後は感じる事が無くなる感覚だと思えば、なかなか心地よい物だった。
 何か言い残す事はないか? ――舌打ち交じりで兵士が尋ねてきた。
「何も」
 私は痛みを噛み締めながら姿勢を崩さず短く答えると、天へ視線を向けた。
 分厚い雲から雪が舞い降りてきた。
 木星では映像でしか見ることが出来なかった雪。
 私の横から人が遠のいて行く気配を感じる。
 構えっ――短い号令が響く。
 私は目を開けたまま、降り注ぐ白い結晶をただ見つめ、靖国で出会うであろう同胞達に詫びる言葉を考えていた。
 そして幾分の静寂の後、重なった銃声が響き――

 私の意識は途切れた。







§











 我が国が目指すべきは、完全な地球からの独立であり、その為に必要な物は大まかに言って以下の二点の整備に集約される。

 一、自給自足体制の確立。
 二、自衛戦力の整備。

 一つ目の「自給自足体制の確立」に関しては、地球からの輸入に頼る事なく、全国民が生活できる食料供給とエネルギー供給が可能なレベルを維持する事にある。
 幸いにして、エネルギーに関しては全く問題がなく、各所に設置されているエネルギーウェーブ発電所は全てのコロニー都市において安定した供給を行っている。
 水道の整備と水の供給に関しても問題は無く、唯一問題となるのは食料問題となる。
 しかし二年前から推し進められてきた国営ファームの整備と運営が軌道に乗り、また最新の遺伝子改造技術による食料源の確保が可能となった事で、概ね問題は解消できたと言って良い。
 ただし食料備蓄に関しては、今だ十分な体制が整ったとは言えず、計画値を達成するには今後数年(少なくとも二年)の年月を必要とするであろう。
 もう一つの項目である「自衛戦力の整備」に関しても、同様に整備が進められている。
 先の大戦による後遺症から、火星の重工業は壊滅的ダメージを受け、また戦後の市場低迷の影響で各企業の進出が鈍っている事も手伝い、その整備は遅れていたが、一昨年末より木星圏より極秘裏に持ち込んだ、オートプラントを修復・使用する事で、この問題を早急に解決する事が出来た。
 無論、我が方の地下施設とプラント所持は最高機密とし、外部への漏洩には最大限の注意を払う必要がある。
 その為、地球政府及び、駐留軍の目を逸らすために、現在木連移民の保護区域に工作員を潜入させ扇動を行い、意図的に暴動を発生させている。
 適度に大規模な暴動を起こさせる事により、対応する駐留軍の無能さを公表し、プロパガンダとして用いる事も行い、民間レベルで駐留軍の撤退運動を煽る事とする。
 尚、駐留軍高官へのスキャンダル露呈工作も併せて実施中である。
 我が方の現在の戦力で戦略的な部隊を運用する事は不可能であるが、元々我が軍の基本方針は防衛組織である為、戦略的機能は当面必要としない。
 また自国防衛の能力だけを特化させる事は、安価かつ安定した装備を整える事を可能としている。
 これらの結果、現在我が軍の整備状況は、地球政府に感づかれる事なく、定数の75%にまで達しており、このペースで進めば来月中旬には目標を達成する事になるだろう。
 兵の育成は若干遅れ気味では有るが、現状で修正の効く範囲内である。
 現在整備中の兵力に関して、航空(宙)機、戦闘艦、いずれも自衛能力に特化した物を急ピッチで製造中である。
 先の大戦で使用された小型無人機動兵器は、プラント所持の発覚を危惧し基本的に製造はしないが、都市部防衛・警備用の有人小型機動兵器としての転用計画が進められている。
 尚人型汎用機動兵器に関しては、その技術に関するノウハウが不足気味であり、かねてより開発の進められていた国産機XMF−01”レイノス”の開発にしても、我々の要求する性能を維持したままコストを抑える事が出来ずにいるのが現状であり、満足のいく量産機の開発にはまだ長い年数を要すると思われる。
 しかしながら各所にて土木・工事作業などにも転用可能な、汎用人型戦闘機の早期整備は必要不可欠であるのも事実である。
 その為には純国産機の開発と平行して――無論予算が許せばの話であり、無理であればレイノスの開発は一時凍結とする――既に実用化されている機体の整備を推し進めるべきだろう。
 幸いにして我が国には大戦前に設置された重力波ウェーブ発生器が各コロニーの随所に残されており、かつIFSの普及・浸透状態から考えて、ネルガル重工製のエステバリスシリーズのライセンス生産がもっとも望ましい。
 現在地球のネルガル重工へ秘密裏に接触し、便宜を図るよう打診中である。
 尚、火星の独立した軍の保有を地球の連合政府は認めるとは思えないが、火星はあくまで独立国であり、地球の植民地ではない。
 故に我々が自衛の為に独自の軍を持つことは、国際法的に問題はない。
 我が方は軍備宣言と共に、地球駐留艦隊への物資の補給、整備活動を一切停止し、三ヶ月以内の完全撤退を要求する。
 地球の連合政府は、我々の軍備保有を受けて、恐らく駐留軍の強化に務めて圧力をかけるか、機械化艦隊(GS艦隊)を送り込み、その戦力を傘にして輸出入の停止と、経済封鎖を行う事になるだろう。
 だが、我が方がそれに屈服する必要はない。
 地球の駐留軍は、元々その士気の低さからその戦闘力はさしたる驚異にはならず、増派されるであろう連合軍兵力に関しても、ここ最近の規模縮小に伴いその規模は僅かだと推測される。
 機械化艦隊に関しては、補給線が伸びる事で大規模な軍事行動がとれるとは思えない。
 諜報部が入手した情報によれば、機械化艦隊のドック艦は完成まで一年以上の工期を残しているという事であるから、それまでに駐留艦隊の退去を完成させれば我々の目的は達せられる。
 つまり我が火星の完全独立は、ドック艦が就役するまでに我が戦力の定数を満たす事が、唯一にして絶対の条件という事になる。
 武力制圧が行えない地球連合政府は経済封鎖を強行すると想定されるが、自給自足体勢が確立した今、それは深刻な問題とはなり得ない。
 交易の問題に関しても、現在火星と地球間での貿易が元々微々たるものでしかない事から、無視しても構わないレベルである。
 地球産の食料が手に入らなくなるという事で、一部市民の間で不満も上がるだろうが、先だって行われる駐留艦隊のスキャンダルや、宣伝省のプロパガンダ工作で反地球思想を植え付ける事により、さしたる問題には発展しないと考えられる。
 地球との交易には、火星全土が平定してから段階的に拡大する方向で構わない。
 火星が平定し市場が広がれば、地球系企業の参入も膨れ上がる事になるだろうが、急激な地球資本の流入は、国内産業の荒廃へ繋がる恐れもあり、慎重な市場開放が必要である。


 次に、我が軍の今後の編成に関してですが――

――以上、火星政府機密文書MZ0303より抜粋。







§







 二二〇四年二月十四日――
 ナデシコBが、バスティール回収の為に土星軌道を目指している頃、日本のヤマナシ山中にある寂れた大きな屋敷を、軍隊が取り囲んでいた。
 だがよく見ればその軍隊は連合軍の兵隊でない事に気が付くだろう。
 装甲車や武装トラックに連合軍所属を示すマークは無く、周囲の警戒を行っている機動兵器も、未だ全軍に行き届いていないアルストロメリアだ。
 彼等はいわば企業の私兵とも言うべき存在であり、その装備は連合軍の特殊部隊にも劣らない。
 それもそのはず、それらの装備を連合軍へ卸しているのは彼等が属している企業なのだ。
 彼等――ネルガルSS達がこの屋敷を包囲したのは今から五分ほど前の事であり、彼等がこの地を訪れる理由は、更に一時間程前にネルガルの会長室へかかった通話によるものだった。



 日が傾き、一般の社員にとっての終業時間まであと一時間と少しとなった頃――
『か、会長……』
 会長室の電話交換を行っている女性秘書が、普段のてきぱきとした態度とは異なる何処か気弱な声でアカツキへと連絡を回してきた。
「ん、どうしたんだい? バレンタインのお誘いかな? 生憎僕の今日のスケジュールは女の子達との予定でビッシリ……」
『えっと……その、会長に話があるという男の方からの連絡なんです……専用秘匿回線を使って直接会長室にかけてきてます』
 アカツキは秘書の話が意味する部分に気が付くと、表情と声色を変えて指示を出す。
「……録音と逆探、それからモニターもよろしく。それからミスター呼んでくれる? 大至急……」
 気が動転しているとはいえ、無能ではネルガルの会長秘書が務まらない事を証明するかの様に、アカツキの言葉が終わらぬ内にプロスペクターが神妙な面もちで会長室へと入って来た。
「それじゃ回してくれるかな?」
『は、はい』
 ”ピッ”という小さな電子音がなると、秘書のウインドウが消え失せ、変わって何か機械に囲まれた実験室の様な部屋をバックにした男の姿が映った。
『初めまして……ですかな? アカツキ会長』
「そうだね。確か君はドクター・イネスの下で働いてた……キュリアン君だったかな?」
『年下の男に”君”呼ばわりされるのはしゃくに触るが、まぁそんな些細な問題はいいだろう』
 画面の向こうで、位置を整えるように丸いサングラスに中指を当てながらキュリアンがほくそ笑む。
「僕だって社員からタメ口きかれるのは嫌だね。で、確か君は所内規定を守らずに無断欠勤し、あげく行方不明って話だったけど……そんなダメ社員の君が僕に何の用?」
『私からのプレゼントは届いたかな?』
 うっすらと笑うキュリアンの顔には所々に赤黒い染みが付いており、それは凝固した血液だと思われた。
「ああ。あの悪趣味な物の送り主はやっぱり君だったか」
『気に入って貰えたかな?』
「残念ながら、生憎君と違って僕は健常者なんでね」
 アカツキは物怖じする事なく、キュリアンの目を見つめて言い切った。
『ふははっ……確かに一般的な精神論からすれば私は狂っていると見なされるのだろうな。だが、私は冷静だよ会長殿』
「狂ってる奴は皆そう言うさ。で、君がトチ狂った原因は何だい? 何が君をそうさせている?」
『今、こうして私を駆り立てているのは探求心でもなければ、物欲でもない』
「ほぅ……では何だって言うんだい?」
『愛だよ』
「なるほど。愛を求めて狂気に走るか……それもまたお決まりのパターンだね。で、君のその愛を向ける相手ってのだ誰だい?」
『ダニエル……この名前を知ってるか?』
 キュリアンが口にした名前を聞き、プロスが一瞬眉をしかめる。
「ありきたりな名前過ぎてウチの社員の中にだって一ダースくらいはいそうだね」
『ふっ……前会長ならばよく知っているのだろうがな。知らないのであればまぁいい。さて、私を拘束する目的でやってきた哀れな彼等だはまだ生きている。そこでだ……彼等を返して欲しければ、私の要求を呑んで頂きたい』
「僕が狂人の要求なんてものを呑むと思ってるのかい?」
『くくっ、残念だが利権の鬼であるネルガルの会長殿があの程度で屈するとは思わない。だが人命以上に、私がこの回線を知っているその理由を考えるべきだと思うがね』
 会長室への秘匿回線――当然、普通の社員が知るはずもないものであり、また例え知っていたとしても回線を利用するには、かなり上位のIDが必要になっている。
 つまり本来使用できるはずのない彼がこうして直接通話をしてきたという事は、ハッキング等の手段によりネルガルの最重要データを閲覧した事を意味している。
 そうであれば、公にはされたくないデータの一つや二つは握っていると見るのが自然だろう。
「なるほどね……」
『それにだ、彼等が人間で居られる内に、私の要求は呑むべきだと思うが?』
 キュリアンの言葉に、アカツキは一瞬だけ眉を寄せた。
 その言葉は、彼が単に持ち出したバイドウィルスを所持しているというだけでなく、人質であるSS隊員に投与する事も示しているのは明白だ。
「どうやら君は……とんだ外道の様だ」
 アカツキは嫌悪感を隠さずに吐き捨てる様に応じた。
『外道……か。だが先に道を踏み外したのはネルガルではないのか?』
「先代の事は知らないが、少なくとも僕は違う……と言いたいところだが、全ての資産を受け継いだ以上、負の資産も同様なのは認めるよ。で、君の用件は?」
『イネス所長は今不在なのだろ? ならば代わりに私を彼女のポストに就けてくれればいい。ネルガルにとっても損はさせない』
「何かと思えばバイド研究の直談判かい? その事はドクター・イネスに一任してる。彼女がノーと言ったのなら、僕の答もノーだよ。どうしても研究をしたいのなら再就職先を斡旋しようか? 落ち目の会社だけど、研究施設はしっかりしてるし、福利厚生も万全だと思うよ?」
『クリムゾンか? 私の研究はネルガルの元で行われる事に意味がある。残念だが転職は考えていない。返答は?』
 キュリアンの言葉が終わると同時に別のウインドウが開いた。
 逆探知に成功したのだろう、そこにはキュリアンの潜伏場所と思われる場所と周囲の地図が表示されてた。
 目線を動かさずに確認したアカツキは、息を吸い込んでから口を開く。
「先代の頃はともかく、僕の支配下におけるネルガルで人体実験は御法度だ! 狂人に重要なポストを任せるほど僕は寛大じゃないんだ。それに君のような小者風情がドクターと同列に並んだ気で居る事も、僕には許せないね。ウチの情報をリークしたいのならばそうすればいいさ。ただし、君もタダでは済まないから、その辺覚悟しておいてくれるかな?」
『くっくっくっ成るほど、結局最後は暴力にうって出るか……やっぱり変わらんなネルガルは。では私は精一杯ゲストを迎える準備をしておこう』
 不敵に笑って言い終えると、キュリアンは通信を切った。
 既にプロスはコミュニケでSS隊員の召集と作戦準備を指示を出している。
「ミスター……」
「はい」
「ダニエルって何者だい?」
「たしか、過去にネルガルの遺伝子研究所で行われた非合法実験の被験者リストの中にその名が有りましたが……」
 プロスは目を伏せて答えた。
 アカツキの父親が舵取りをしていた頃のネルガルが、非人道的な研究や実験に明け暮れていたのは事実である。
 徹底した秘密主義と強い独占欲と利権欲を持っていたため、社内における反対者を許す事もなかった。
 アキトの両親が殺害されたのもその為だ。
「……」
 プロスの返答に、アカツキは組んだ手の上に顎を乗せて暫しの間思案にふける。
「血縁者かな?」
「ドクター・キュリアンと残された被験者のデータをみる限り、その事実は確認出来ませんね。どれ……うーん、DNA照合でもその可能性は有りませんな」
 プロスは懐から携帯端末を取り出すと、社員情報をチェックして答えた。
「ですが、血縁でなくとも家族にはなれますから……はい」
 そんなプロスの言葉を受け、アカツキの脳裏にアキトとユリカの間で恥ずかしげに俯くルリの姿が思い浮かんだ。
「怨恨による脅迫……復讐かい? それにしてはバイド研究の指揮者としての地位を欲しがってるってのはおかしな話しだね」
「そうですね〜復讐そのものが目的なのであれば、有無を言わさず問題のデータを公開するでしょうな」
「それにウチで研究をする事に意味があるとも言ってたしね……動機に不可解な部分があるし彼の真意が何にせよ、奴がSS隊員二名を人質に取り、彼等の指を切り取って僕に送ってきたのは事実だ。そしてバイドを持ち出している事も決定的だ……」
「……」
 プロスはアカツキの言葉に無言で頷く。
「出来ることなら二人を救出。駄目なら徹底的にやってくれ。何一つ残すな」
 手を解き椅子の背もたれに深く身体を預けると、アカツキはそうはっきりと命じた。
「……判りました。場所はヤマナシのカミクイッシキ地区ですね」
「判ってると思うけど、ウチのメインコンピュータにハッキングやらかすような奴だ……。逆探させたのは恐らく故意だろう」
「罠の可能性が高いですから……今回は私も現場に行く事にしましょう。それにしてもカミクイッシキ地区とは……いやはや彼もアレですなぁ」
 場所に何か思い当たる事が有ったのか、やれやれといった表情を浮かべてから応じると、プロスは退出した。
 アカツキは頭を抱え込むようにして机に肘を付くと、深く息を吐いてから呟いた。
「何一つ残すな……か。なるほど、僕もクリムゾンとやってる事は対して変わらないのかもな」
 そんな彼の呟きは誰の耳に届く事もなかった。


 プロスが部屋を出て一時間もしない内に完全武装した中隊規模――約百名ののSSが目的地を包囲した。
 これだけの人員を一度に投入したのは三年前の北辰討伐作戦以来だろうが、装備の面に関して言えばあの時を遙かに上回っている。
 近隣に他の人家は無く、これ程の大規模な行動に対しても報道関係者はおろか、野次馬の一人も存在しない。
『国道の封鎖完了しました』
『ターゲットを中心に半径二キロ以内の住民無し』
『各員は対BC装備の確認急げ』
 サウンドオンリーでの通話が飛び交い、辺りには突入の準備を進めるSS隊員達が慌ただしく動いている。
「さて……」
 指揮車のボディに寄り掛かっていたプロスがキュリアン邸を見上げる。
 時代がかった古めかしい洋風建築のキュリアン邸は夕陽を受けて紅く染まっており、その色はこれから起こるであろう殺戮劇を暗示しているかの様だ。
 二十世紀末、この地には国家転覆を謀った武装宗教団体の施設があって、怪しげな研究や生物化学兵器の生成が行われていたという。
 教団が壊滅した以降も不毛の地として忌避され、その事件が歴史の中に埋没してからも、この地に根を張る物好きは現れなかった。
 地元の人間も近寄らず、二束三文で手に入る広大な土地。
 強引な違法研究政策を推し進めていたネルガルの先代会長が、代表的な科学者に宛ったプライベート研究室を建てるのにこの地を選んだのは、そういった背景を考慮した結果だ。
 その科学者が先代会長から見限られ、息子夫婦――彼等も科学者だった――共々粛正を受けると、他に親類の居なかった彼等は歴史から姿を消し、後年になって先代会長がこの世を去ると、彼等とこの建物の存在を知る者は居なくなったはずだった。
 アカツキの命令で世界中の非合法研究所閉鎖の指揮を執っていたプロスですら、この研究所の存在を知らなかった程だ。
 どうやらキュリアンという人物は、先代会長お抱え科学者の関係者だったのだろう――プロスはそうあたりを付けた。
 彼とその化学者の間柄が非血縁であったならば、血の繋がらないダニエルに対して深い愛情を持つ事も容易に考えられる。
「それにしても……」
 ネルガルに在籍しながら、今まで何の行動も起こしていなかった事を考えると、キュリアンの目的は何なのであろうか? プロスはしばし目を閉じて考えた。
 ネルガルに対する怨恨を晴らすのが目的であるならば、手に入れた非公式情報を公表、もしくはそれら情報をマスコミやクリムゾン辺りにでも売っても良いだろう。
 だが彼はそれを行わず、逆探される事を承知で連絡をしてきた。
 当然、脅迫を受けた事をネルガルが、事を警察や軍へ通報せずに私兵であるSSを投入する事も知っているはずだ。
 ならば何を狙っている?
 我々――ネルガルの私兵たるSSを此処へ呼び寄せる事が目的なのでは?
 ――そこまで考えてプロスは先代政権下のネルガルSSの行いを思い出す。
 非協力的な科学者や技術者を会長命令に基づき片っ端から粛正していたのは、他ならぬSSなのだ。
 先代亡き今、その怒りや恨みの矛先を我々SSに向けたと考えるのはごく自然かもしれない。
「つまりはネルガルへの怨恨でなく我々に対する……という事ですかな」
 であるならば、当然それなりの準備は行っているだろうから、無謀な突入などせず、クリムゾンが南米で行った様に問答無用で屋敷を破壊するべきだろう。
 だが、今のネルガルにとって、いきなり爆撃等でさ片づけるわけにはいかない。
 何しろキュリアンは、一部とは言え、ルリやラピスといったマシンチャイルドでなければ達成不可能とされている、ネルガルのメインコンピュータへのハッキングを成功させているのだ。当然、何らの謀を企てているとみて良いだろう。
 その正体が判らぬ内は、単純に彼をこの世から抹殺すれば良いという訳にはいかないのだ。
 無論、危険なバイドサンプルを所持し、仲間を人質を取っているキュリアンを捨て置くわけにも行かない。
 結局は、キュリアンの思惑に付き合うしか手は無いのだ。
 もっとも、かつてのネルガルであれば躊躇い無く排除を実行していただろうが、現行体制下にあって救出の可能性が残っている限り――無論、ネルガルの利益になるか、もしくは大きな不利益となるものを排除すべき場合に限ってだが――その様な行動に出る事はない。
 キュリアンがそこまで考えているとなると――
「これは身を引き締めて行かないといけませんね……」
 振り返り移動指揮所に戻ったプロスは通信機のスイッチを入れ、全隊員へと通話を始めた。
「作戦目標はターゲットの無力化と人質の救出、そしてサンプルの回収です。現場を維持したままサンプルを回収し、ターゲットを生きたまま拘束、人質の救出がベストですが、相手の持っている物が物だけにターゲットの殲滅を最優先にします。突入後三〇分経っても状況が変わらない場合は屋敷ごと焼却します。何の連絡も無い場合は各自それまでに撤退する事、宜しいですね? トラップには十分注意して……あ、それから判っているとは思いますが、バイド体との遭遇が考えられますから、弾頭は通常弾の他に特殊焼夷弾の携行を忘れずに。それでは始めましょうか」
 掛け声と共に手元のスイッチを入れると、SS隊員達が装備するコミュニケのタイマーが一斉に作動し始め、同時に正面入り口と裏口、そして屋敷の両側面の四カ所で小規模な爆発が発生――突入が始まった。


 そして突入から十三分後、隊員達がキュリアン邸最深部にあった実験室で、身元不明の少年の死体を確認したとの連絡を最後に通信が途絶え、更にそれからきっかり十七分後、やや過剰とも思われる攻撃が加えられ屋敷は跡形もなく燃え尽きた。
 焼け跡からは数々の焼死体が見つかったが、超高熱による処理を行った為、肝心なキュリアンの死体を特定する事は叶わなかった。

 尚、突入したSS隊員の内、無事に戻って来られた者は約半数の五三名であり、その中に人質の二名は含まれていなかった。





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