機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#28〜








 アキトが月から単身ユーチャリスで出撃し、情報部の報告にあった火星の後継者残党のアジトを目指して五日が経過した。
 その間、無人のブリッジでアキトはずっと考え事をしていた。
 如何にして小惑星ボルテガスに有るというそのアジトを襲撃し、其処にいる奴等を皆殺しにするか?
 この時の彼の頭の中は、どうやってそれを効率よく行うか、という事だけしかなかった。
 ラピスのバックアップが無い以上、アキトが居ない状態でユーチャリスをボソンジャンプさせる事は出来ないし、無人兵器――バッタ改の援護も期待出来ない。
 何かと制約も多くアキトを悩ませたが、かつてのターミナルコロニー襲撃作戦をアレンジしたものに落ち着いた。

 敵の施設は強力なバリアで覆われていると推測され、通常の攻撃をしても有効なダメージを与える事は難しい。
 第一撃でダメージを与えるか、大きな混乱を与えねければ、大群でもって一気に畳みかけられるだろう。
 であるならば、確実に奇襲を加えるにはジャンプするしかない。
 しかし問題がある。
 いかなA級ジャンパーであるアキトといえども、行ったこともない場所へいきなりジャンプする事は不可能である。
 有視界に収められる状態まで近づきジャンプするのでは、B級ジャンパーと変わらないし、奇襲というよりは強襲となるだろう。
 強襲で敵に与える混乱はそう大したものではない。
 直ぐに立て直し、統制のとれた反撃をしてくるはずだ。
 ラピスの居ないアキトにとって、それは実に好ましくない。
 それら問題点を、自分のA級ジャンパーという体質とブラックサレナというハードウェア的利点を最大限に活かす事でカバーする事とした。
 まず、ステルスモードでユーチャリスを相手のレーダー範囲の外周ギリギリまで航行させ、その場から単純な偵察プログラムを仕込み、連合軍のステルンクーゲルが発する識別信号パターンや音紋を擬似的に再現させたバッタ改を大量に発射する。
 これによりバッタ改はヤタガラスのオペレーションから離れ、周辺空域のデータだけを伝えつつ、近づく敵に対して簡単な反撃を行う事になる。
 当然複雑な攻撃や作戦行動は出来ないし、ヤタガラスやアキトからの指示も受け付けなくなるが、敵を攪乱させる事には十分役立つはずだ。
 無論敵に優秀なオペレーターや高度な戦術コンピューターが存在すれば看破されるだろうが、どちみち複雑な戦闘行動のオペレーションができないバッタを何時までも抱え込むよりは、打ちっ放しで放出しておく方が良いに決まっている。
 これにより敵は連合軍の機動兵器が偵察、もしくは攻撃に来たものだと思い迎撃を出すだろう。
 複数のバッタから得られる情報を元に、ヤタガラスが三次元CG映像化し、それをアキトへIFSを通じて伝える。
 敵基地座標のイメージ化により、アキトが高機動ユニット付きのブラックサレナでジャンプ攻撃を開始。
 ラピスが居ればハッキングで敵基地の内部の情報を得て、内部へ直接ジャンプアウトする手段も可能だったかもしれないが、彼女が居ない今はその手段は使うことが出来ない。
 敵の迎撃機が、欺瞞に気が付き基地へ警戒を促すかもしれないが、移動に時間がかからないジャンプ攻撃に警告は意味を持たない。
 バリア内に進入したアキトが高機動を活かして敵のドックや格納庫の入り口、次いでバリアユニット、もしくはジェネレータを優先して破壊。
 敵の迎撃部隊が戻ってくる事が予想されるが、向きを変更したところを背後からユーチャリスからの支援砲撃で殲滅。
 無人艦になったユーチャリスは、GS艦艇と同様にヒューマンオペレーションでは成し得ない機動力を活かして、そのまま敵施設へ強襲を仕掛け、グラビティブラストでとどめをさす。

 結局、アキトの思惑通りに事は進み、ボルテガスの残党軍アジトは、反撃に最も肝心な最初の数分間、大きな混乱に見舞われ指揮系統が麻痺、壊滅的なダメージを受けた。
 アキトが唯一恐れていた積尸気による一斉ジャンプ攻撃も、格納庫がユーチャリスの砲撃で潰れてしまい、残った少数による散漫な物となっては驚異には成り得なかった。
 小一時間と掛からずに動いていた機動兵器は破壊され、施設の大半が完膚無きまでに潰されたが、もっとも重要な区画と思われる中央部分は殆ど被害を受けていなかった。
 アキトはブラックサレナの高機動ユニットをパージすると、そのまま外壁を破って施設内へ進入、エアロックの扉をヤタガラスの助力へ得てハッキングすると、その中枢内部へと降り立った。
 施設内はアキトの狩り場と化し、わざと生き残された残党軍の者達は、ただ絶望しながら自分の死期が迫るのを待つだけとなった。


 施設内部で銃声や悲鳴、爆発音が響いてくる。
 それらの音が意味する所はただ一つ。
 慈悲無き復讐者による、生命の搾取――それ以外には考えられなかった。
 ある者はただ自分の番が来るまで大人しく待ち、有る者はその前に自ら命を絶ち、有る者は捨て身で反撃を試みた。
 ただ、どの様な選択肢を選んでも結果が変わる事はなかった。
 復讐者の鉄槌は、時には鉛の弾丸に、ある時はその拳に、またある時はその辺に落ちていた鉄パイプに形を変え、火星の後継者達に振り下ろされる。
 その対象が女性だろうと、老人だろうがと、その鉄槌が止まる事はない。
 無慈悲を絶対の行動理論として、アキトは施設内の全ての人間を狩りだして行く。
 その殺戮劇の中で唯一の慈悲があるとするならば、鉄槌がこの場に居る全ての人間に対して平等に振り下ろされる事だろう。
 もっとも、メインの電源施設が落とされ今では予備の電源が細々と非常灯を点灯させているだけの閉鎖された施設においては、遅かれ早かれ死ぬことには変わりない。
 大気のない小惑星では、エアコンが止まれば、ものの数時間でこの施設内の気温は氷点下まで落ち込み、例え復讐鬼の刃にかからずとも生き長らえる事は不可能なのだから。
「さてと……どうしたものかねぇ〜」
 悲鳴が響き、ヒーターが止まって室内の空気が冷えだしても、この男だけは取り乱しもせず自分の椅子に座っていた。
 アルコールランプで湧かしたコーヒーを啜りながら、ヤマサキは赤色灯に分析結果の書かれた書類を照らし眺めて呟いた。
 彼にとって、目下最大の関心は目の前にある分析結果だけであり、聞こえてくる悲鳴ではなかった。
「やっとこれから本格的な実験に入るっていうのになぁ。これじゃ死にきれないよ。全く……」
 手で弄んでいた最新の玩具――謎の液体の入った瓶状の物体――を白衣のポケットに押し込み、椅子に深くその身を預けて深く息を吐く。
「でも、彼がこうしてここに来たという事は……ひょっとするとアレかな〜?」
 彼は上を向き、何かを思い出すように目を閉じると、嬉しそうに口元を歪めてみせる。
「……だとすれば、僕にとって最後の実験結果を知ってから死ぬ事もできるわけだ。うん、悪くないね。それじゃ他の関心事は綺麗さっぱり忘れる事にしよう」
 次第に近づいて来る銃声や悲鳴に動じる事もなく、ヤマサキは先程まで熱心に読み耽っていた書類の束を床に落とし、アルコールをかけると躊躇い無く火を灯した。
「お〜暖かい。火こそ人類が産みだした究極の発明品だね。素晴らしい素晴らしい」
 嬉しそうに手を叩き、その炎へ次々と可燃物をくべてゆく。
 めらめらと燃える炎が、赤色灯の色と相まって赤々と室内を照らしている。
『や、ヤマサキならこの中だ……案内したんだから俺は助けて……』
 通信機がオンになっていたらしく、スピーカーを通じて聞こえてきた同僚の声は、続く銃声に遮られ最後まで聞くことは出来なかった。
 やがてラボを見下ろす展望室の様な小部屋の扉が開き、漆黒の衣装に身を包んだ男が入ってきた。
 赤色灯と炎の明かりをぬらぬらと反射させている事から、彼の黒装束が返り血で塗りたくられている事が伺い知れた。
「やぁ〜久しぶりだね」
 まるで旧来からの友人に語りかけるような口調で、ヤマサキは椅子に座ったまま手を振った。
 当然、無菌室であるラボから、アキトの居る小部屋にその声は通じていないだろう。
 だがアキトはその言葉に応えるかのように、口元を嬉しそうに歪めて腕を上げた。
 その腕の先、手には重厚な拳銃が握られていた。
 途端、ラボを見下ろす窓ガラスへ向けてアキトは銃弾を撃ち放った。
 鈍い音と共にガラスに衝撃が走ったものの、特殊な防弾ガラスだったのか、至近距離で放たれた銃弾は全て弾かれてしまった。
「おやおや」
 ヤマサキは溜め息と共に、両方の手の平を上に向けておどけてみせる。
 アキトの方も特に気に掛ける様子もなく、拳銃を懐へ戻すとそのまま身体全身を光らせて、ボソンジャンプを行った。
「ようこそ王子様。いや以前の様に被験体032号と呼ぶべきかな?」
 眼前で実体化した死神に、ヤマサキは焦ることも悪びれる事もなく、平然と言ってのけた。
「……」
 アキトは答えず、ただ口元を歓喜で歪めて懐から再び拳銃を抜いた。
「あ〜、僕は逃げるつもりもないんだから、少し話をしないか?」
「……いいだろう。俺もお前に聞きたい事がある」
 ヤマサキの申し出にアキトは頷き、拳銃を持った手を動かして先を話すように促した。
「まず、北辰を倒せた事を讃えようじゃないか。いやぁ素晴らしい。あの北辰を一対一で倒してのけるんだからねぇ。人の執念という物は論理的で無いと思ったけれども認めざるを得ないね」
「能書きはいい……本題に入れ」
 アキトは躊躇わず引き金を引き、ヤマサキの脚を撃ち抜いた。
 乾いた銃声と共に悲鳴が室内に響き、リボルバーから空になった薬莢が床へとと落ちる。
「どうした? 早く話せ」
 サディスティックな笑みを浮かべたアキトが、新たに弾丸の篭められた銃口を額に押し付け促すと、ヤマサキは痛みに顔を歪めながら、言葉を絞り出した。
「ひ、被検体033号……お姫様は元気だったかい?」
 額に汗を浮かべ痛みを堪えて、ヤマサキは努めて普段通りの口調でアキトに尋ねた。
「ユリカに何をした?」
 アキトは今だ、ユリカが息を引き取った事を知らない。
 彼が忌むべき仇であるヤマサキを目の前にしても、まだ生かしているのは、ユリカの事を聞くためだけだ。
「僕は漫画が好きでねぇ……少女漫画も好きだけど、血沸き肉踊るような熱い少年漫画も好きなんだよ。特にチャンピオンっていう雑誌が好きでねぇ……宇宙最強の漢を目指す格闘漫画なんかは最高だね」
 ヤマサキの研究室の中には、確かに漫画の雑誌や単行本の類が乱雑に置かれており、彼の趣味が言うとおりである事を裏付けている。
 もっとも、アキトに言わせれば「それがどうした」といった、どうでもいい御託に過ぎない。
 椅子に身体を預ける様にして収まっているヤマサキの――撃ち抜かれて血が流れている脚をつま先で蹴り上げた。
 声にならない悲鳴を上げてヤマサキが椅子から転げ落ちる。
 アキトは腕を伸ばして、彼の襟首を掴み強引に身体を引き起こす。
「お前の趣味なんかどうでも良い……」
「お、お姫様にイメージ伝達を促進するための特殊ルーチン「うるるん・ラブラブナビゲートver1.2」をインストールした時、もう一つ「チャンピオン・チャレンジグラップラーver1.0」というルーチンをインストールしたんだよ」
「それは?」
 接触しそうになるほど顔を突きつけアキトが呟くように尋ねる。
「いやぁ、君がお姫様を探してるって聞いたからね〜、こっちとしてはすんなり持って行かれても困るわけでさ、お姫様が君を認知したら自衛手段を取るように……ぐほぁっ!」
 ヤマサキの言葉は自らの悲鳴で途切れた。
 アキトの直突きを鳩尾にもらい、血と唾液と吐瀉物をの混合物をまき散らしながら床を転げ回っている。
 それでもアキトとしては最大限の手加減をした一撃だ。
 何しろ眼前の男は「直ぐにでも殺してやりたい人間リスト」の筆頭に名が挙げられているのだ。
 殺さないように力を抑える事の方がアキトにとっては難しい。
「……元に戻せ」
 のたうつヤマサキの背中をブーツで踏みつけ、アキトは込み上げてくる殺意を必至に抑え、腹の底から絞り出す様な低い声で言い放つ。
 ヤマサキは必至に答えようとするが、苦痛で上手く舌が回らない様子だ。
 暫くして呼吸が戻ると、苦悶に満ちた声で答え始めた。
「そ、それは無理だ……何しろまだ未完成だったし、いわばインストールしたのはβテスト版みたいなもので……僕自身がそのプログラムが有効かどうか、半信半疑だったんだ……北辰を倒した後、君は直ぐにお姫様の所に戻ってくれなかったからさ、結果が分からなくてやきもきしてたんだよ。でも、どうやら上手く動いたみたいだね。今の君を見れば判るさ。君の怪我……お姫様が負わしたんだよね? 僕の論理は最後まで正しかったわけだ。はっはっはっ」
 アキトに踏まれたまま、ヤマサキはくぐもった笑い声をあげた。
 彼は本心から喜んでいた。
 自分がこの場で死ぬ事は判っているし、新たな遺産の解析が本格的に始まる前に死ぬ事は心残りだったが、最後の実験成果が満足の得られる結果に終わった事を知り、満足だと思っていた。
 そんなヤマサキの笑い声が、バイザーの補聴機能によってアキトの耳に到達すると、彼は抑えていた殺意を解放した。
 アキトにとっては不本意だったが、彼が振り上げたブーツを怨敵の後頭部へ振り下ろした時、ヤマサキの表情は笑顔だった。
「くそぉぉぉぉっ!」
 アキトは燃えさかる研究室の中で吠えた。
 全てを捨てて復讐に身を焦がした結果に、アキトはその場で蹲り嗚咽した。
 やり場のない怒りを目の前に横たわるヤマサキの亡骸にぶつけ、両手で何度も何度も振り下ろした。
 背骨がひしゃげ、はらわたが飛び散り、身体が原型を失って行く。
 アキトの拳が何度目かに振り降ろされた時、ヤマサキの白衣の中で何かが壊れた。
 だが――触覚が機能していないアキトがその事に気付く事はなかった。
 ひとしきり哭き叫んだ後、アキトは制限された視界の中で、ヤマサキの白衣から血とは違う液体が流れている事に気が付いたが、特に気にかける事もなくその場から立ち上がる。
「人の道を外しても、まだ涙は流せるんだな……」
 滲む視界にアキトは呟き、手で顔を拭う。

 アキトは気が付かなかった。

 アキトのグローブがヤマサキの白衣から流れていた未知の液体に触れていた事に。

 そしてユリカに負わされた頬の怪我に、この液体のが染み込んだ事に。

 やがて、涙に滲む視界の隅――ヤマサキのデスクと思われる部分に、見覚えのあるプレートを見つけた。
 手に取ると、それはアイが未来の自分に託したプレートと同じ物だと言うことが判った。
 イネスの話では、古代火星文明における記録媒体の一種という話だが、それと同じ物をヤマサキが持っていた事を知り、アキトは少なからず後悔した。
「……聞いておくべきだったか」
 最後にもう一度ヤマサキだった物に一瞥くれると、アキトは燃えさかる研究所からジャンプで外へ出て行った。
 その時、アキトは自分の身体の中で、今だかつて味わった事のない悪寒に苛まれた。
 その正体が何であるか考えるよりも、アキトの思考は目の前の敵を殺す事で一杯となった。
 普段にも増して激しい憎悪が沸き起こり、残党軍に組みする者共を狩り出して殺し回った。

 それから三十分、アキトの血に飢えた殺戮が終わった時、ボルテガスの残党軍基地は壊滅した。
 僅かな人間が脱出できた以外に生存者は無く、施設は完全に破壊しつくされ、基地としての機能を半ば永遠に失った。

 だが、ボルテガスから脱出した者が発した通信を受けて、周囲に潜伏していた残党軍の艦隊が集結を初め、彼らにとっての仇敵であるアキトに一矢報いようと進撃を開始していた。





§






 ブラックサレナでユーチャリスへ戻ったアキトは、自分の身体の異変にハッキリと気が付いていた。
「何故だ?」
 彼は自分の手を見つめ呻くような声で自問している。
 両方の手の平を目の高さに上げて、それぞれの五指を動かしてみせてから互いの指を交叉させる。
 まるで神に祈る様な格好となったアキトは、唖然としながら自分の指から感じる、自分の指の感触に心を震えていた。
 彼が自分の身体の異変に気が付いたのは、殺戮が終わりブラックサレナに戻った時だった。
 ターゲットを狩っていた時は、言い様のない高揚感に満たされ気が付かなかったが、ブラックサレナのコクピットに戻った時、目に映るコンソールが普段よりもぼやけているのだ。
 バイザーの調子が悪くなったのかと思ったアキトが、それを頭部から外した時、ぼやけていた景色が全てハッキリと映るようになっていた。
 そして視覚同様、バイザー無しでもサレナの駆動音が聞こえ、I自分の手の平から伝わるIFSコンソールの感触にも気が付き、アキトは自分の五感が戻った事をハッキリ実感した。
 理由は判らない。
 ただ、唐突に治ってしまった。
 唯一思い当たる事と言えば――アキトはポケットの中から一枚にプレートを取り出し、目の高さに掲げてみる。
 裸眼が捉えたプレートは、ヤマサキのラボから持ち出した物だ。
 これが古代火星文明の遺産である事は間違いない。
 ヤマサキがこれを所持していたのであれば、奴が研究していた物に纏わるものだろう。
 そしてその何かが、自分の五感を蘇らせた事となる――そうアキトは判断した。
「ははっ……」
 アキトはキャプテンシートに深くその身を預けて、乾いた声で笑った。
「ユリカはもう元に戻らないっていうのに……俺だけが元に戻るなんてな……はははっ」
 ヤマサキの話では、ユリカに組み込まれた怪しげなプログラムはアンインストール出来ないという事だった。
 だが、自分の身体に起きたこの変化を突き止めれば、ユリカにも適用できるのでは? そう考える事を最後の望みとして、アキトは身を起こした。
「ヤタガラス……発進出来るか?」
[損傷率3%]
[フィールド出力25%]
[全艦航行に異常なし]
 ディストーションフィールドの状態が心許ないが、これは通常航行していればその内回復するので、アキトは特に気に掛けなかった。
 ユーチャリスの状態に異常を感じなかったアキトは、ふと自分の事を思い出す。
 それは、敵を目の前にした時の異常な高揚感だ。
 確かにユリカの事で怒りが沸点に達していたのは事実だし、怨敵のヤマサキを自らの意志で撲殺したのもハッキリと覚えている。
 だが異常なのはその後だった。
 かつて火星の後継者達を狩っていた時は、高揚感よりも虚しさの方が強かったし、殺した相手に対して哀れむ事も無かったが、その分他の感情も抱いていなかった。
 だが、ヤマサキを殺してから後は、敵を殺す事に、敵の血を見る事に、そしてそんな殺戮行為を行っている自分に酔っていた。
 それは今まで感じたことが無かった。
 ユリカの仇を撃つための喜びこそ感じた事はあっても、殺戮その物に歓喜を覚えた事は只の一度もなかった。
 今でこそ、その高揚感にも似た殺戮衝動は収まっているが、当時の自分を思い出してアキトは自分が信じられなくなった。
「何故だ……遂に俺は根まで狂っちまったのか?」
 アキトがキャプテンシートで頭を抱えた時、ヤタガラスが緊急警報を鳴らした。
[前方に戦艦]
[識別信号確認]
[NS955B−ナデシコB]
[急速接近中!]
[距離5万キロ]
[どうしますか?]
 ヤタガラスがウインドウを表示して行き、アキトに指示を求める。
「ルリちゃん……か。それにイネスさんも……」
 自分がユリカの病室を飛び出したのは、今から五日前だ。
 故にボソンジャンプでもしない限り、ナデシコBが自分に追いつくはずがない。
 となればアキトが、イネスも乗っているという考えに辿り着くのはごく自然な事であろう。
 違法行為を承知で自分を追いかけてきた彼女達を思って一瞬顔を綻ばせたアキトだったが、嬉々として殺戮を終えたばかりの自分が酷く嫌になり、慌ててユーチャリスを発進させようとした。
 しかし――
「ん? 待てよ……イネスさんが此処に居るとなると……」
 思考を巡らせて、自分の身体に起きた異変を直ぐに調べる必要を感じたアキトは思い留まった。
「だが、もしも先程のような衝動に駆られたら……」
 イネスに会う必要はあるが、他の皆には出来るだけ顔を合わせたくない。
 本心を言うならば無論会いたいのだが、今の自分は皆の前に立つ資格が無い。それどころか、会う事によって自分が皆を傷つける事になるかもしれず、それは何としても避けなければならない。
 接近してくるナデシコBの姿を眺めながら、一人自問を続けていたアキト。
 やがて、その艦影が肉眼でも捉えられる距離にまで近づいた時――
『アキトさんっ!』
『アキトっ』
『お兄ちゃんっ!』
『アキト君っ!』
『こらーアキトー!』
 一斉にウインドウが咲き乱れ、五人の女性の声がユーチャリスのブリッジにこだました。





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