土星軌道へと向かって飛び去るナデシコBを、その小惑星は何も語らず、ただ黙って見送っていた。
 この惑星には、かつて多くの人間が隠れ住んで居たが、二年前のある日を境に無人と化し、以降誰も住み着く事はない。
 そもそも、この小惑星に人が住んでいた事実を知る者すら、ごく僅かでしかない。
 なぜならば、当時この小惑星に居た者達は、人目を避けて暮らす必要があった者達であったからだ。

 彼等の名は――火星の後継者。






機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#27〜







 アステロイドベルトから少し――といっても0.01AU(天文単位)、一四〇万キロメートルは離れているのだが――距離を置いた宙域に、一つの小惑星がある。
 最大直径が十五キロメートルほどのこの小惑星は、人類が宇宙へ本格的に進出した二二世紀以降に大量発見された中の一つで、小惑星番号は32954、名称は「ボルテガス」という。
 太陽系内では名前を付けるのが億劫になるほどの小惑星が見つかり、その殆どは番号だけで呼ばれ、固有の名称が与えられているのは、それなりに大きな物か、もしくは特殊な形状や性質を持っている物に限られている。
 ボルテガスが名を得た理由は前者によるものである。
 この小惑星ボルテガスには「それなりに大きい」という意外、特に目立った部分は無く、人類の生活圏の外側――つまり火星軌道の外側に有る事も手伝い、その存在を気にかける者は殆どいなかった。
 無論、これはボルテガスだけという事ではなく、基本的に生活圏外の小惑星に気を掛ける者は存在しない。
 唯一の例外は、連合軍の情報部や討伐部隊の連中だけで、彼等は各地に潜伏した火星の後継者達の残党がこういった小惑星にアジトを形成していると推測し、それらの監視や調査を続けている。
 だが、限られた予算や人員で行うにはあまりにもその数は多すぎた。
 クーデターが不発に終わってから約半年間で調査が終わった小惑星は、地球と火星間に存在する物――ゼロスの様な資源採掘目的で持ち込まれた物――を中心に八七個だが、いずれも不発に終わっている。
 今後は本格的に火星軌道の外へと調査の手を広げる必要もあり、既に数十の小惑星の調査を開始しているが、それら全てに調査団を派遣して肉眼で確認する事は不可能に近い。
 何しろ火星軌道外周には、内側とは比較にならない量の小惑星が確認されているし、それどころか今なお新しい小惑星が発見・報告されるくらいなのだ。
 潜伏場所に最適だと思われるアステロイドベルト内に至っては、調査担当者が発狂するであろう数の石ころが文字通り散乱しているわけで、ここに逃げ込まれていたら完全にお手上げである。
 その所為もあり連合軍は未だに残党軍のアジトを見つけられないでいた。
 そんな状態にあって、過去のクリムゾンからの資金の流れを調査していたネルガルの諜報員が、幾多の欺瞞工作やデコイ情報、そして数々の暗号等を撃ち破り、その末に辿り着いた資金・資材の流出先を突き止めたのは、賞賛に値するだろう。
 そして、その名称こそが小惑星32954――ボルテガスだった。


 今から時を遡る事二二〇一年十二月。
 そのボルテガスに存在していた火星の後継者残党軍のアジトの内部では、その年の八月に失敗したクーデター以降、常にいつもと変わらぬ日常が流れていた。
 元々この基地は、かつて木連を追われた草壁が潜伏し、クーデターの計画を練り戦力の増強に努めていた場所であり、規模は大きく設備もかなり充実している。
 この基地の中央にある研究所の中で、ヤマサキは僅かな部下と共に研究に没頭しており、それが彼にとっての日常だった。

 彼がこの地に逃げ込んできたのは、ルリによって火星全土のシステム掌握が行われた翌々日の事だった。
 内心ではクーデターに失敗した火星の後継者にはさっさと見切りを付け、別の企業や研究機関への転職を考えていたヤマサキだったが、流石にそれを受け入れる所は存在しなかった。
 たしかに彼の頭脳そのものは卓越したものであり、どこ研究機関や企業も欲して止まないものでもあったが、残念な事に彼の行いは余りにも人道を踏み外し過ぎたものであり、彼の暴走と、彼を雇用する事で生じるマイナスイメージが、彼をこの闇の世界へ押し込める結果となった。
 他の選択肢が無くなり、この地へ逃げ込んで来た彼を待っていたのは「退屈」という名の拷問だった。
 人生をエキセントリックに、思考を柔軟かつ大胆に、研究はダイナミックかつ実践的にがモットーな彼にとって、この地での生活は退屈極まりないものだった。
 何しろこの基地に居る者達と言えば、現状を堪え忍び、戦力を整える事を考えている者達ばかりで、劇的な展開に発展する可能性は全くない。
 確かに、草壁の救出が上手く行けば各地に潜んでいる同志達が一斉に蜂起し、再び新たな秩序の世界を築く事が出来る――そう考えるのは堅実かもしれないが、確実かと言えば正直疑わしい。
 連合政府が草壁を何時までも拘留して置くはずがなく、遅かれ彼が死刑になる事は確実であるし、「もしも救出が成功すれば」――という可能性を元に立案されている所も問題だ。
 だが、彼等には他に取るべき手段が無いのも、悲しいかな事実だった。
 決起に失敗した火星の後継者に属した者達が取りうる行動は――
 ・大人しく投降する>簡易裁判の後に強制労働所や牢獄行き。
 ・潜伏する>世論にテロだとか反逆者となじられても臥薪嘗胆! 耐えて次の機会を待つ。
 ・潔く死ぬ>全て帳消し。
 ――という三点しか存在しない。
 敗軍の兵とはそういうものなのだが、何にせよ普通の生き方は出来ない。
 直ぐに反撃に移り、草壁を救出する選択肢も有るには有ったが、残党軍の主力は殆どが強制的に武装解除させられ捕まってしまい、各地に分散した戦力と敵との戦力差は余りにも多く、現段階での奪還作戦の発動は参加者の自殺を促すだけだ――そう判断された。
 元々彼等の殆どは、草壁の言う崇高な理想と秩序を具現化する為に、その身を差し出した者達であり、もとより死は恐れてはいない。
 だが無駄死にする事は、草壁に理想に反する。
 結局、難を逃れた彼等の大多数は、地下への潜伏を選択する事になった。
 この時点で彼等の戦力は、決起時の十分の一程度であったが、それでも二〜三個師団規模の戦力を保有しており、それら全てが合流し、一貫となって行動すればそれだけで相当な驚異になったであろう。
 何より各所への奇襲により打撃を受けた連合政府、大量の謀反者を出して混乱している統合軍、そして元より数が少ない連合軍にとっても、対処は難しかったはずだ。
 だが、主力は武装解除させられ、草壁という大きなカリスマを喪失し、今後の活動を巡り幾つかの主張が対立してしまった彼等は、元通りの一枚岩に戻る事が出来ずその機を逃した。
 そんな現状を的確に把握しつつも、ヤマサキは他に行くべき宛がなく、残った拠点で最も研究施設の整ったこの地で、人知れず研究に没頭する事しかなかった。
 しかし研究といってもクリムゾンからの資金調達も難しくなった今、全く新しい技術の開発は勿論、新型機を作るゆとりも必要もない。
 確実な戦力の増強、戦力建て直しこそが急務である以上、精々「積尸気」のバージョンアップやオプション兵装の開発くらいしかやる事がなかった。
 それらは彼の研究意欲を掻き立てるものではなく、彼は毎日をただ生き長らえているだけに過ぎなかった。
 退屈という、ヤマサキにとっては気が狂いそうな日々の中においても彼が自ら命を絶たなかったのは、ある楽しみがあったからに他ならない。
 だから彼は、その結果が出る事を楽しみにしながら、毎日地球の情報を探る事を生き甲斐としていた。

 そんな退屈な日常を生きていたある日、ヤマサキは火星にほど近い宙域で行われた海賊行為――彼等に言わせれば秩序構築の為の正当な搾取なのだが――から戻ってきた仲間が持ち帰ってた物に心を奪われた。
 それを運んでいたのは武装密輸船だったらしく、彼等の襲撃を受けてもSOSを発信しない代わりに、大量のミサイルやら機関砲弾やらをばらまいて来た。
 堅気の輸送船でない事を知った残党軍は手加減無用の反撃を行い、その結果拿捕すべき敵船をスクラップ、乗員を全てただの肉塊へと変えてしまった。
 進行方向からみて地球へ向かう密輸船だったと思われるが、蜂の巣になった船倉の中には、所有を禁じたはずの古代火星文明の遺跡からの発掘品と思われる物が積み込まれていた。
 しかし通報の恐れが無い密輸船という事で、日陰者の生活を余儀なくされている残党軍が普段の鬱憤を晴らすかのような激しい攻撃を行った為、その積み荷までもが見る影もなくボロボロな有様だった。
 だが、その様な状況にあってもただ一つ破壊を免れたものがあった。
 それは一辺が一メートル程度の立方体で、丁度ジャンプ制御ユニットをそのまま小さくした様な物体で、弾痕一つ無い状態で船倉の奥に佇んでいた。
 ボルテガスの基地へと持ち帰えられたそれは、すぐにヤマサキの手によって解析が始まった。
 当初はその形状から、別のジャンプ制御ユニットかとも思われたが、ただのコンテナである事が判明し、残党軍の者達を激しく落胆させた。
 だが、このコンテナにはジャンプユニットと同性能のフィールド発生機と保護プログラムが組み込まれており、残党軍の遠慮を知らぬ攻撃にも傷を負うことは無かった。
 恐らくは相転移砲を持ってしても破壊は出来ないと思われ、そうであるならば内部にあるのは、ジャンプ制御ユニットと同程度に貴重な物である事となる。
 果たして中身は如何なるものだったか? ――残党軍の重臣達が固唾を飲んで見守る中、コンテナは開封され、その中身が姿を見せる。
 携帯すら可能な小型の相転移エンジンや、強力な武器への転換が可能なテクノロジーが期待されていたが、中に有ったものは更に小さなケースで、形状は地球のアタッシュケースに近い物だった。
 と言っても、その素材は石とも金属とも言えない様な物であり、古代火星文明の遺跡を形勢している物と同じである事から、その中身も同じ文明の遺産である事は容易に知れた。
 続いてヤマサキはケースを開けにかかった。
 その中身を見て、ガラスの向こう側――ラボの外に居る重臣達が一斉に落胆して溜め息を付き、項垂れたり、首を横に振っている。
 中にあった物は機械の類ではなく、一枚のプレートと液体の入った透明な瓶の様なモノが収められていただけだった。
『ドクター、それは何だと思うかね?』
 いかにも元木連将校と思われる風体の男の声が、スピーカーを通じてラボの中に響く。
「そうですね〜、何かの薬品……でしょうか? 取り扱い説明書らしきものは有りますが――」
 ヤマサキは手袋をした手でケースの中にあったプレートを摘み上げて、そのまま続きを話し始めた。
「――それが読めない以上は、今後の研究次第ではないかと」
 彼は手にしたそのプレートが、三年前にドクターイネスが学会で発表した「過去の自分から手渡されたプレート」と酷似している事に気が付いていた。
 その時、イネスが何らかの記憶媒体だと推測していた事を考えると、このプレートもまた古代火星人による記録が収められている物と思われ、そして別の物体と同梱されていた事を加味すると、それに関するマニュアルか何かでないかと推測出来た。
『それが戦局を打開する起爆剤たりうると思うかね?』
「いやぁ〜それは何とも……現段階ではお答えできかねますなぁ」
『あんなコンテナに入っている物なのだぞ? 何か重要な物では無いのか?』
 先程とは違う男が尋ねてきた。
「重要だったのもしれませんが、例えそうであっても、それは古代火星人にとってであり、それが我々にとっても重要かどうかは判るはずがありません」
 ヤマサキは内心で重臣達に対する罵詈雑言を列べ立て、外見上は努めて普段通り――口元にへらへらとした笑みを浮かべて応じた。
 その後幾つかのやり取りをした後、ラボにはヤマサキを始めとした研究者達だけが残った。
「所長……よろしいのですか?」
「良いんじゃないの。こんな現状でも、まだ天下を取ろうなんて気を持ってる哀れな連中だ。まぁ彼等が頑張るのは勝手だが、僕がそれに付き合う必要もないだろう? ならこっちもも好き勝手にさせてもらうさ。さて……」
 笑顔を崩さずにそう宣うと、ヤマサキは手を叩いて目の前にある液体の入った容器とプレートを見つめ――
「暇を潰すにはもってこいだねぇ〜これは」
 新しい玩具を与えられた子供のように目を輝かせる。
 突然降って湧いた研究材料に、ヤマサキはその後久々に充実した日々を送る事になる。
 かつて生き長らえる糧とした、ある楽しみすら忘却の彼方へと押しやり、遺産の研究に明け暮れた。
 だが、彼がその研究を全うする事は叶わなかった。

 なぜならば――

『敵襲っ!』
 施設内に警報が鳴り響き、そこに居る者達が血相を変えて走り回る。
『絶対防衛圏内に機動兵器一つ! くそっ、さっきのは囮か』
 直撃を受けた施設の建物が揺れ動く。
『迎撃機を上げろっ! 急げっ! 先に出撃させた部隊も全部呼び戻せっ!』
 管制官が悲鳴のような声で喚き立てる。
『あいつだ……あの黒い奴が来たぞっ!』
 恐怖に塗りたくられたパイロットの叫びが回線を通じて施設内に響き渡る。
「おやぁ〜どうやら王子様のお出ましですか。全く……これからって時に、彼も無粋だねぇ」
 鳴り響く警報も、激しく点灯する赤色灯も気に介さず、実験結果の書かれた書類を嬉しそうに眺めていたヤマサキはそっと呟いた。
 その合間にも、前線で闘うパイロット達の悲鳴が響き、建物を伝わる震動はその激しさを増していった。
『敵戦艦からのグラビティーブラストにより、ドックのハッチがやられましたっ! 全艦発進不能ですっ!!』
 絶望に満ちた通信が交錯し、攻め込んで来たモノが、彼等にとって連合軍よりも数段質の悪い相手である事を告げている。 

 彼等にとっては悪夢や絶望を具現化した存在――

 黒き破壊神――ブラックサレナ。

 二二〇一年十二月二三日。

 小惑星ボルテガスに潜んでいた火星の後継者達は、再び復讐の鬼と化したアキトの襲撃を受け、彼等の日常は終わりを告げた。






<戻る 次へ>

SSメニューへ