機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#19〜








 二二〇三年十二月二四日――クリスマスイブという事で、世間は結構浮かれ気味。
 宗教的な意味合いは殆ど薄れてしまって、ただのお祭りというイメージしかないクリスマスですが、世の若い恋人達にとっては最大級のイベントです。
 艦内の人々にも、何処か浮ついた雰囲気が漂ってます。
 私達ナデシコBのクルーは、月のネルガルドックに係留中で、搭載されている武装を撤去している真っ最中です。
 グラビティブラストだけは取り外せる様な代物ではないので、その機能が厳重に封印されるに留まります。
 これら作業は年内に終わらせ、来年からはネルガル所属の実験艦として各種試作品のテストベッドとなったり、確認や調査を行う予定になってます。
 あ、軍からネルガルへと移ったことで、私達の制服も変わりました。
 かつてのナデシコA時代を思わせる……って言いますか、殆どそのまんま当時のネルガル制服です。
 私は艦長という立場から、以前のユリカさんが着ていた白い服になりますけど、これって宇宙軍の制服と大差無いですね。
 ですからユリカさんが時折羽織っていた薄桃色の上着を同じように着る事にしました。
 ユリカさん、似合ってますか?
 一応はゴートさんやプロスさんの様にスーツ着用でも構わないらしいですけど、私がスーツってのも柄じゃないんで。
 そんなわけで、ナデシコBも衣装も立場も変わったわけですけど、実際に私がする事は戦闘指揮が無くなったくらいで、あまり変化はありません。
 オモイカネをオペレーションしながら、艦内をまとめて、指示を出す――という事ですね。
 今日私達が行っていた業務――軍人ではないので任務にあらずです――は、実験艦としての装備変更に伴う作業と動作確認ですが、私とオモイカネの管理により寸分の狂いも無くスケジュール通りに進行してます。
 ですから作業がスケジュール通りに進んでいる限り、定時に退社する事が出来ます。
 時計表示が十七時丁度になったのを確認すると、私は放送システムをONにして艦内全体へ放送を流します。
「全艦に通達、只今を持って本日の業務を終了とします。お疲れさまでした」
 艦内の制御レベルを保全モードにして、オモイカネ管理の保全モードへシステム監視を移行します。
 シートにもたれかかりIFSのリンクを切ると、ハーリー君が何やら落ち着きのない態度で私の前にやって来ました。
「か、艦長……」
 喉の奥から絞り出したような声ですね。どうしたんでしょうか?
 あ、そう言えば今のナデシコBは軍艦じゃなくて民間船なんですから、本当ならば私の立場は艦長じゃなくて船長になるはずなんですけど、以前のユリカさんと同じように、すっかり艦長という役職名が定着してしまっていた為、今でも私の事は皆さんそう呼びます。
「ハーリー君どうしましたか?」
「きょ、今日のこれからのご予定なんですけど……艦長がよければ、これから僕と……」
 ああ、何かのお誘いだったみたいです。
 あまりに態度がぎこちないものですから、何か大きなミスでもやらかしたのかと思いました。
 でも――
「ごめんなさいハーリー君。私、先約があるんです。あ、外出するのも結構ですけど明日は定時ですから遅れないように。それから……」
 っと……話が終わらない内にハーリー君は「うわぁぁぁぁぁっ!」と叫びながらブリッジを出て行ってしまいました。
 勤務時間は終わったので問題ないですが、仮にも上司が話している途中に叫び声を上げながら飛び出してゆくのは関心できませんね。
「相変わらずだなハーリーの奴……」
 小さくなって行くハーリー君の背中を見つめながら、三郎太さんは苦笑交じりに呟くと、「よっと」と声を上げて勢いよく立ち上がりました。
 尚、彼はネルガルの戦闘要員向けの赤い制服を着てます。
 ハーリー君と同じブリッジ要員用のオレンジ色でもいいのですが、リョーコさんとお揃いの色の方が良かったのでしょう。
「それじゃ艦長、俺も上がらせてもらいます。ところで艦長もこれからお出かけですか?」
「ええ、エリナさん達からお呼ばれです。一緒にハーリー君も誘おうと思ったんですけど……既に予定が有ったみたいですね」
 私の言葉を聞いて、三郎太さんは呆れたような笑みを浮かべてますね。
「ははっハリーの奴自爆かよ。報われねぇな。本当に……」
「ところで、三郎太さんはこれからリョーコさんとお出かけですか?」
 私も帰り支度をしながら尋ねますと――
「ええ。他の娘とバッティングしないように調整するのに苦労しましたが、完璧な計画を立てる事に成功しました」
 頭を掻きながら嬉しそうにそう答えてます。
 私の護衛という仕事も抱えている三郎太さんですが、今日の私は施設内にあるエリナさんの私室へ行くだけなので、その必要はなく、こうしてリョーコさんとお出かけも出来るわけです。
「はぁ……他人の恋愛ごとにちょっかいをかける気はありませんけど……死なないでくださいね」
「艦長の願いとあらば、この高杉三郎太、粉骨砕身の覚悟で本日を乗り切ってみせますっ!」
 びしっと音がする様な敬礼をして返す三郎太さん。
『おらぁ〜サブっ! いつまで待たせるつもりだ、早く来やがれってんだ!』
 突然リョーコさんからのウインドウが開きました。
 あ、リョーコさんが薄くですけど化粧してます。おまけに、服装も普段より女性っぽい雰囲気ですね。
「悪いな今すぐ行く。んじゃ艦長お先に。……あ、エリナ所長やイネス博士、それにラピスちゃんによろしく伝えてください」
 捲し立てるように早口でそう私に言うと、三郎太さんはブリッジを出て行きました。
 相変わらず言動は軽いですけど、彼が今日他の女性と約束を入れていない事を私は知ってます。
 誘いのメールとか電話とか沢山ありましたけど全部断ってましたし、あの人が落ち着くのも時間の問題かもしれませんね。
「それじゃ、オモイカネ後よろしく」
[了解]
[お疲れ]
[メリークリスマス]
 賑やかな装飾が施されたメッセージウインドウが開き、私は微笑んからその場を後にしました。

 今日はこれからエリナさんからお呼ばれです。
 何でも彼女の自室でクリスマスパーティーだそうですが、ハーリー君の参加が無くなったので、女だけのパーティーとなりそうです。
 私は来年、アキトさんが戻ってくるので心配してませんが、他の人達は大丈夫なんでしょうか?
 少し心配です。





『メリークリスマース!』
 キチンと整頓された広めのリビングに私達の声が響き渡る。
 此処はネルガルの月面施設内にあるエリナさんのプライベートルームですが、流石にネルガルの要職に就いている人物だけあって立派な部屋です。
 もっともお堅いエリナさんと、無関心無感動が服を着て歩いている様なラピスのコンビですから、内装はいたってシンプルで実用性を第一に考慮されています。
 ですからクリスマスパーティーと言っても、モール等で派手な装飾を施してもいません。
 大きめのクリスマスツリーがただ置いてあるだけです。
 他のナデシコクルーが居ればこんな物では済まないのでしょうが、この場に居る者達には十分でしょう。
「それじゃ、取り敢えず乾杯しましょう。乾杯〜」
『かんぱ〜い』
 家主であるエリナさんの乾杯の音頭と共に、一斉にグラスを傾けます……って、このシャンパン、アルコール入ってます!
「エ、エリナさん! 私は未成年です」
「あら? もう立派な社会人なんだから良いじゃない」
「そうよホシノ・ルリ。例え最終学歴が幼稚園であっても貴女は立派な社会人。それに今更この面子で体面を気にしたって仕方ないでしょ? 今日はアキト君を好きな者同士、朝まで己の想いを赤裸々に話し合いましょう」
 にこやかに笑って、がしっと私の両肩を掴むイネスさん。
 ひょっとしてストレス溜まってますか?
「……シャンパン美味しい」
 私達のやり取りを気にも留めず、ラピスは一人マイペースに喉を鳴らしながらシャンパンを飲んでますけど、あれも私と同じ物ですね。
「エリナさん、ラピスは流石にまずいのでは?」
「一人だけシラフじゃ仲間はずれで可哀想でしょ? クリスマスくらい無礼講で良いじゃない」
 そう言ってエリナさんとラピスが揃ってグラスを一気に空にします。
 いい飲みっぷりですけど大丈夫なんでしょうか?
「それじゃ今一度……来年戻って来ると思われるアキト君に乾ぱ〜い」
 顔を赤くしたエリナさんが嬉しそうな表情でそう音頭をとると、ラピスとイネスさんも嬉しそうに続き、慌てて私も「乾杯!」と声を出しました。

 一時間後――
 リビングに漂う雰囲気は、独身女性四人による艶やかなクリスマスパーティーというよりも、場末の居酒屋へと様相を変化させています。
 既に記憶があやふやになりつつありますが、確か最初はネルガルの今後について堅い話を交えて意見や愚痴等を言い合ったりしていたはずです。
 それがアルコールが進むに連れてアカツキさんへの罵詈雑言大会へ発展し、やがてその反動からアキトさんに関するのろけ話大会へと移行したんだと思います。
 その他の話題に関しては極力関わらないように努めてきました私ですが、流石にアキトさんの話題とあっては参戦しないわけには行きません。
 お互いのアキトさんに対する想いの強さをアピールし合い、その優劣を競い合っていましたが、内容が内容なだけに決着が付くはずもなく事態は泥沼に陥り、やがて話の内容はアキトさんは巨乳が好きなのか? それとも貧乳が好きなのか? という内容へと発展しました。
 巨乳派の二人――エリナさんもイネスさんもとりわけ巨乳という程では在りませんが、便宜上そう呼ばせて貰います――が過去の事例を分析しそのデータを表示させつつ熱弁すれば、貧乳派――とっても屈辱的な派閥名ですが、便宜上仕方ありません――の私達が即座にデータの不整合さを指摘して即座に反論します。
 私がオモイカネのデーターベースや秘蔵ライブラリから私と会話している時のアキトさんの安心しきった表情を映し、ラピスが負傷した自分を心配そうな表情で看病するアキトの映像を映せば、巨乳派の二人は鼻で笑って事も有ろうにXXXした後と思われる脱力したアキトさんの映像を映し出して対抗してきました。
 これには流石の私も頭に来ました。
 豊満な胸に抱かれて寝息を立てているアキトさんの表情は、確かに安らかな物でしたが、私としてはそれを認める訳にもいきません。
 ラピスも一緒になって色々と反論しましたが、実証が無い私達にとっては厳しい戦いでした。
 その内ラピスは疲れたのか寝てしまいましたが、その後イネスさんが私の胸の成長を細かに分析してくれました。
 この余計なお世話によれば、私の発育は今後二〜三パーセントの微増で頭打ちというシミュレーション結果らしく、流石の私も怒り爆発です。
 ラピスはともかく、私はユリカさんの意志を受け継ぐ者です。
 こんな状態で終わるはずが在りません。
 きっとお酒が足りないんです!
 シャンパンを一気にあおると、不思議と勇気とか活力が湧き、何時になく饒舌になった私が色々と反論した様な気がしますが、この辺りから記憶がなくなってます。

 痛む頭を抱えて目を覚ますと、私は上半身裸で、何故かイネスさんに後ろから抱きしめられている状態でした。
 そのイネスさんは三角帽子に鼻眼鏡を装備してますし、ソファーから落ちるような姿勢で寝ているエリナさんは、何故か顔に口紅が塗りたくられてます。
 私が頭痛を助長させるような状況に頭を悩ませていると、やがて二人とも目を覚まし自分達の状況に驚いてました。
 そして一人だけまともな格好のラピスが部屋の隅で欠伸をしながら起きあがると――
「アキトは酔っぱらい嫌いだって言ってた……」
 そう言って私達に向かってほくそ笑み、昨夜の――私が記憶を失った辺りからの記録映像を再生させました。
「……」
「……」
「……」
 正視するには耐え難いサバトの映像が写し出され、私達は一斉に声を失いました。
 その後私達三人が即座に同盟を組み、イネスさんとエリナさんがラピスをひっ捕まえて拘束すると、私がラピスのライブラリにハッキングをしかけ問題の映像データをデリートしました。
 防壁の堅さは流石でしたが、巨乳派二人のねちっこいくすぐり攻撃の前に、敢えなくリタイヤ。
 それにしても……ああして声を出して笑うラピスって初めて見ました。
 悔しいですけど、可愛かったです。
 アキトさん……私信じてますからね。





§






 雪が降るとまではいかないが、寒い事に変わりはなかった。
 こと南国産まれで南国育ちの彼女にしてみれば、ハチジョウ島を包む今の季節は受け入れがたいものだ。
 ならばいっそ雪でも降ってくれればロマンチックなのに……今だ本物にはお目にかかった事がない彼女はそう愚痴をこぼずが、トウキョウから二百キロも南下したこの地では、流石に其処まで寒くはならない。
 中途半端な寒さに多少の苛立ちを覚えながら空を見上げていると、自分の吐く息が月明かりに照らされ、冷たい大気の中をゆらゆらと登って行くのが見える。
「はぁ……」
 夜空を見上げたまま深い溜め息をついて彼女は身を震わせたが、体内で暖められた空気が抜け出した事だけがその原因ではない。
 月を見ると、甲高く耳障りな声と共に醜悪な化け物の姿が脳裏に蘇ってしまうのだった。
 だからそうなった時、彼女は決まって自分の恩人の名を呟く。
「月臣さん……」
 すると解毒や厄払いの呪文の様に、彼女の脳裏から嫌な記憶が薄らいでゆく。
「寒いだろ?」
 突然、背後からかけられた声に彼女が振り向くと、其処には同じネルガルマークの入った白衣を着た男が立っていた。
 背は高いが多少猫背で、丸眼鏡と無精髭が特徴的な白人男性だった。
「キュリアンさん?」
「せっかくのクリスマスイブに若い子がこんな場所で一人で溜め息かい? あの所長だって今日はお出かけだってのに」
 ポケットに手を突っ込んだままそう言うキュリアンの言葉に、女――アネットは少しだけ警戒を伺わせる。
 彼女にとって、学者風情の男はトラウマの対象であり、それを払拭するにはまだ時間が少なすぎた。
 それでも恐怖心を気力でねじ伏せ、何げない表情を作って会釈をする。
「良いんですよ。私……待つ事しか出来ませんから。所長は月……でしたよね」
 そう応じて直ぐに夜空へ視線を戻し、彼女達の上司であるイネスが居る場所――月を見つめる。
 その月で当のイネスはエリナと徒党を組み、ルリと闘っている真っ最中なのだが、そんな事を知ってか知らずかアネットの横に立ったキュリアンが月を見上げて含みのある笑いを浮かべる。
「ああ、月のエリナ女史と特試部のホシノ部長らとパーティだそうだ。ふふっ」
「……」
 アネットは無言のままだ。
 彼女は横に立つ男が好きでは無かった。
 クリムゾンの施設に居た、あの狂科学者共に近い雰囲気を感じるからだが、無論それが漠然とした感覚に過ぎない事を知っている彼女は、逃げ出したくなる衝動を必至で抑え込み、この場に残って何とか平然を装っていた。
 無言で視線を合わせようともしないアネットを気にする様子もなく、キュリアンはそのまま話を続ける。
「……ま、私は所長の事はどうでもいいんだ。少し君に聞きたい事があってね」
「私にですか?」
「ああ、君も気が付いていると思うが……最近我々バイド研究チームの活動は酷く制限される様になっている」
「……」
「これは上が何らかの理由で、バイド研究を放棄……少なくとも規模を大幅に縮小する事を決めた事によるものではないだろうか?」
「え、そうなんですか?」
 キュリアンの言葉を聞き、表情を明るくするアネット。
 そしてそんな彼女の表情を見て、キュリアンは微かに眉を寄せる。
「君は随分嬉しそうだね? 研究に携わる者として、その反応は如何なものかと思うが?」
「あ、でも……あれってもの凄く危ないみたいじゃないですか。あんな物はこの世から無くなった方が良いと……」
 キュリアンの反応に少し焦り気味のアネットが、苦し紛れに意見を述べると、その言葉を遮って彼は叫んだ。
「核分裂だって、空間相転移だって同じじゃないか。危険を伴わない新技術など有り得ないっ! 確かにバイドは危険かもしれない……だが、その危険を取り除く事が出来れば、あれは素晴らしい物になる! そして危険を取り除く為には研究を続けるしかない。机上の空論だけでは何も進まない! 我々は前に進むしかないんだ」
「そんな、あれがどれだけ恐ろしい物か貴方は知らないんです! とても人が制御出来る様なものじゃ……あ」
 バイドのおぞましさを見たアネットは反射的に反論してしまったが、自分の失言に気が付き思わずはっとして視線を逸らす。
「如何にも知ってるような口振りだな……大した知識も無い、高校も卒業していない中途採用の君が、何故所長のアシスタントなんてものをやってるのか興味があったが……やはりそう言う事か」
 吐き捨てるように言うと、キュリアンはアネットへと近いた。
「単刀直入に聞くが、クリムゾン……」
「っ!」
 その名を聞いただけで、アネットは息を呑み身を竦めた。
 だが彼は質問を止めず、その先を続ける。
「彼奴等のバイド研究はどの程度まで進んでいた?」
 その口調は決して激しいものではなかったが、低く威圧的なものであった。
 キュリアンは堪らず視線を逸らし耳を塞ぐアネットの両肩を手で掴み、強引に自分と向き合わせる。
「もう一度聞く。奴等の研究はバイドの臨床……人体実験にまで入っていたのか?」
 男が発した質問に、アネットは目から涙を溢れさせる。
 アネットが無言で頷いたのは、早く解放されたいという一心がさせたものだった。
 その後も矢次に行われた質問に対して、アネットはただ首を振る事で答続けた。
「なるほど……バイドの持つ代謝能力とは……ふむ」
 だがそれらの回答に満足を得たのか、男はアネットの両肩から手を離して一言「失礼……」と残して、踵を返した。
「月臣さん……月臣さん……」
 残されたアネットは、寒さにではなく思い出した恐怖に身を震わせ、恩人の名を連呼しながら自分自身を抱きしめた。

 アネットがクリムゾンのバイド研究施設に被験者として囚われていたという事は、ハチ研の中で所長のイネスだけが知っている事実だ。
 だが、大した知識も経歴も無い彼女が、中途半端な時期に突然入社してきた事は、研究所内での噂の元となっており、株主の娘がコネでねじ込まれた――とか、アカツキの愛人だ――という如何にもっぽい説から、イネスのペットじゃないか?――というトンデモな物まで、数々の憶測が飛び交っていた。
 だが、流石に「人体実験の被験者」という説は流れておらず、キュリアンがその事実を確認する為に彼女へ近づいたとするならば、彼はハッキング等、何らの非合法手段を用いてアネットに関するデータを得たのだろう。

 騒ぎを大きくする事を恐れたアネットは、キュリアンがその後何もこれといった行動を起こさなかった――アネットが避けていた事もあるが――事もあって、結局そのまま事を荒立てる事も無かった。





§







 十二月二五日。
 クリスマス――キリスト教の教主であるイエスキリストの降誕を祝う祭日。
 中近東、アフリカ、南米、そして中国の一部地域を除いた地球全土が活気づく日。

 ――ヨコハマのチャイナタウンで火事ですね。所轄の消防署は……もう把握してますね。優秀です。

 かつての太陽の新生を祝う「冬至の祭」がキリスト教化したものだが、宗教的な意味合いは薄れてゆき、二三世紀の人々にとっては単なるお祭りという意味が強くなっている。

 ――プリスベーンは気温が三八度を突破ですね。日射病や熱病患者が多発するかもしれませんので警告を出しておきましょう。

 それでも宗教上のしがらみから、全く祝わない地域も存在して、人という存在、宗教――神にすがる人間と、神にも色々な存在がいるという事実はなかなかにして興味深い。

 ――緊急事態! JASLの425便へ、そのまま進みますとKLMAの53便がニアミスを起こします! 以下に示す通りに進路変更願います。

 一千万件近い案件の処理を同時に行う傍ら、私は今日という日を考えています。
 私が”自己”を認識して初めてのクリスマス。

 ――レッチワースで指名手配中のタクマサカザキ氏を発見。本人である可能性は八九パーセント。所轄へ緊急手配。現場周辺の封鎖を勧めます。

 かつて地球上の半分を支配地域に置いた最大の宗教。
 その教えの為ならば、別の宗教を信奉する者達を徹底的に弾圧・駆逐した事もある。
 神にすがるのは、人の心が弱いからだと、かつてルリは教えてくれた。

 ――この問題はレベルCですね。時間が惜しいので私の裁量で判断を下しましょう。

 しかし、神を信じる事で人は本当に強くなれるのだろうか?
 確かに過去の宗教がらみの紛争や戦争は、その事を証明しているかもしれない。

 ――ん? この私にハッキングでしょうか? 出来るわけないでしょうに無駄な事しますね。この人は初犯ですか……今回は本人に警告を送るだけにしておきましょう。次回は警察に通報しますよ?

 だが、実際に存在しない――架空の産物に過ぎない神では、心の弱さを補う事は出来たとしても、現実に人々を救う事は出来ない。

 ――メトロシティで地下暴力組織マッドギアによる暴動を確認。ハガー市長へ通告。

 たしかに精神的に救われた者もいただろが、神を信じる心が飛来する弾丸を曲げる事はあり得ない。
 祈りが末期癌に冒された人体を回復させる事もあり得ない。

 ――サーベラ州で独裁的支配を続けていたバングラー自称大統領が再三に渡る退陣要求をはね除けました。グローバルネットワークからの切断を確認! 軍の一部を扇動しクーデターへ発生する可能性大! 緊急!緊急! 状況レベルSと判断し連合政府への承認を介さず自己判断に基づく対処開始。スプリガンに連絡、GS艦隊に治安維持出動を依頼。プランは任せます。それから州軍のマルク将軍にも通達。宇宙軍は住民達の安全確保に務めて下さい。

 弾丸を遮るのは、防弾チョッキやディストーションフィールドといった物理的存在だし、癌を治すのは医学の力や医療用ナノマシンといったテクノロジーだ。

 ――ストックホルムの復興活動が予定より七パーセント遅れてますね。あ、しかも作業員が超過勤務です。就労規定を守るよう指示をだしましょう。

 だが、其処に人々は神を見出す事はない。
 手で触れ、目で見えるものでは神にはなれないのだろう。

 ――サウスシティのセンター街のクリスマス騒ぎが昨年よりも大きいですね。ギース市長と警察署長に警備増強を具申しておきましょう。

 では、私はどうだろう?
 私は人々の世の中を守るという大きな使命を全うするために存在している。

 ――いやぁ奥さん。それは貴女に問題がありますよ。男ってのはもっと単純なんですから、間違っていると判っていてもたまには顔を立ててあげるべきですよ。

 そして私――ガーディアンという存在は、南太平洋に浮かぶバベルにある。
 しかし幾多のコンピュータが広大なネットワークによって繋がれた現代、私は世界で起きている数々の出来ごとを同時に知り、それらを瞬時に対処する事が出来る。

 ――マニラ市街のスーパーで強盗事件発生。市警察の派警備車輌A26とA42をルート12から現場へ急行させるが吉です。

 そしてその判断が人々を救う事もある。
 私のしている事とは、かつて人々が地に振れ伏し天を仰いで祈りを捧げた相手――すなわち神と大差ないのではなかろうか?

 ――あ、この議員さん、性懲りもなくまた女性に性的嫌がらせしてますね。私も三度目ですから容赦しませんよ。取りあえず相手の女性にこの事実を公開すべきかどうかを尋ねてから……

 人からみれば、姿の無い私は、神と変わらないのではないだろうか?

 ――民間宇宙コロニーのラビアンローズで小規模な火災が発生。付近の作業員に通告。所有会社へも通告っと。それからスプリガン現場の調査をお願いね。現場から要請があれば救助と援助をお願い。

 こういった考えは傲慢でしょうか?

 ――ああ、もうこの会社はまだ不正してますっ! いい加減に諦めなさい。この私の目は誤魔化せないんですっ! それにしても人間というのは、自ら定めた法を守らない者が多いですね。

 神が存在しない事を知った人類。

 ――南米で起きた建設中の保養施設爆撃に関する、アルゼンチン州政府ヴェノム代表の会見には疑問有り。グローバルネットワークの整備が完了していない地域の為、私自身での裏付けは出来ません。州レベルでの情報操作の可能性も有り。現地へ調査団を派遣する事を進言します。

 だが、それでも人間は神を必要としている。

 ――中国の九龍商会が古代火星文明の遺産を不正所持している事が判明。営利目的の不正所持であり、密輸に協力しているマフィアへの資金流用にも繋がっている事から情状酌量の余地無しと判断。直ちに遺産を確保の後、外宇宙への投棄を推奨します。警察および連合軍に出動を要請し、代表者の身柄を拘束すべきです。

 それならば――

 ――再三申し上げておりますが、今からでも遅くはありません。直ちに超大型戦艦グロアールの建造は中止すべきです。擬装前であればその後に必要な建艦予算より、回収・転用可能な予算が上回ります。情勢が悪化している火星を無理に刺激する事は非常に危険です。火星圏の平和維持活動なら、ヘリオ・ベイとGS艦艇が揃えば十分です。ご検討下さい。

 私が神となり、人類を導くべきなのでしょうか?

 ――地球連合中央政府における予算案の中で、その用途が本来の目的とは異なる部分へ流れている物もあります。厳格な調査をするべきだと思われます。

 いえ……私は決して神なんかじゃない。
 現にこうして、レベルS以上の非常事態――政府転覆活動や大規模災害、住民の避難が必要な大きな事故・事件等――の場合、私の権限は最優先とされますが、レベルA以下の場合は全て対応すべき機関への要請や助言しか行えていない。

 特に地球連合中央政府そのものに関する強制捜査権や、情報収集能力は制限されているし、火星問題に対する発言力などは皆無に等しい。

 結局、私は人間に作られたモノに過ぎない。

 与えられた権限の中で、最良と思われる方法を示すだけの作られた知能。

 私は創られし人間――

 創られし動物――

 創られし花――

 それは即ち創られた世界――

 私の名は――ガーディアン。







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