「会長、お話が……」
ネルガルの会長室に入室したプロスは、前置きを置かずにそう切り出した。
「ああ、プロス君何用だい? ウチにとって良い話だと嬉しいんだけどね」
「そうですねぇ、良い話でもありますし悪い話とも言えます。……シベリアの状況が判りました」
「へぇ〜」
一呼吸置かれてから報告された言葉に、アカツキの視線がすぅっと細くなる。
「バイド体に関しては白ですが、その他の点では真っ黒ですな」
「具体的には?」
「シベリアの奥深くで、大規模なジオフロントが建設されてます。当然グローバルネットワークからは物理的に隔離されてまして、ガーディアンの管理下には入ってません。規模は正確にはわかりませんが、推定でおおよそ5万ヘクタール」
「おいおい、ヨコハマシティの総面積よりも大きいじゃない。そんな地下施設作って何やってるんだい?」
驚くというより呆れた表情を浮かべ、アカツキは続きを促す。
「どうやら遺跡の隠匿と研究のようです。チューリップは当然として、木連のプラントまで持ち込んでいるらしいです。はい」
「……なるほどねぇ。規制をしておきながら、自分達だけはちゃっかり遺跡を確保してたわけだ。政治家ってのは相変わらず狸だね」
未だに大量のCCを隠し持ち、ボソンジャンプに対応した機体を所持している自分の事を棚に上げて鼻で笑うアカツキだが、その心の中では若干の安心感を抱いた事も事実だ。
つまり、自分のテストの点数が低く落ち込んでいたが、聞いてみると他の面々も似たような点数だった事を知った様な安堵感とでも言うべきか。
罪人同士の連帯感というか、まぁそんなモノだ。
「これ程の施設を作るのには莫大な費用がかかります。政府の予算はグレイゾンシステムの整備と、各種復興活動、そして例のグロアールの建艦だけで背一杯でしょうから、当然どこかの後ろ盾はあると考えるのが自然です。ひょっとしますと、連合政府も知らない州の秘密予算を使用したロシアの独断という可能性もありますな」
「連合政府内の内輪もめって事かい? ありうるね……ロシアは元々親クリムゾンだったから復興活動も遅れてるし、総会での発言力も失ってる……焦臭い話で嫌になるねぇ全く。あ、ひょっとして例の捕虜ってのも?」
「はい、殆どがこのジオフロントに対する労働力として使われてますな。しかしその雇用元の事を考えると、強制労働への従事というよりも原隊復帰と考えるべきかもしれません。どのみち非合法な工事現場ですから、表だって戻って来る事は有り得ないでしょう。
尚、送り込んだSS2班は、現地に張り付かせた数名以外は全員戻りました。それで休息が済み次第、月臣さんのサポートに向かわせようと思ったんですが……」
「どうした?」
「月臣さんからの連絡が、昨日の定時連絡を最後に途絶えました」
「彼が失敗するとは思えないけど?」
さほど動揺する事なくアカツキが切り返すと、プロスも首を軽く立てに振って答えた。
「私もそう思ってますので、恐らく強行突入したのではないかと」
その言葉に、アカツキはしばし思案をしてから、ゆっくりと背もたれに身体を預けてから口を開いた。
「なら数日は様子見って事だね。あ、一応出来る限りのサポートは送っておいてくれよ」
「判りました。取りあえず一人か二人、動ける者を先に確認、連絡用として差し向けておきます」
頷いて退室してゆくプロスの背を見送り、アカツキは天井を見上げて考える。
「後は火星だけど……この調子じゃあちらも影で何やってるか判らないね」
やれやれと首を振ってアカツキは考えを切り替えて机に向かい、そして溜め息をつく。
「まぁ難しい話よりも……当面いはこっちの問題をどう片づけるか……だね〜」
力無く呟く彼の目の前には、山の様に積まれた膨大な数の書類がある。
エリナがラピスを伴い、月のネルガルドックでGS艦艇の製造管理にその手腕を振るっているので、あまり口やかましい秘書は居ないものの、プロスがこの書類を残したまま帰らせてくれるとは到底思えない。
「エリナ君って優秀だったねぇ」
居なくなって初めて判るその人の有り難み。
口やかましい事に違いは無かったが、アカツキをコントロールするという点で、彼女はずば抜けた才能を所有していた。
アカツキは今更ながら、秘書から月面支社の責任者へ――半ば厄介払いのつもりで栄転させた事を後悔していた。
翌日、南米に派遣したSSから、月臣とアルストロメリア零号機の足取りが完全に途絶えたという連絡が入った。
彼が身を潜めていたと思われる森の中には、アルストロメリアの痕跡――足跡と、光学迷彩カバーだけが残っており、月臣自身の姿も見あたらなければ、彼からの連絡も無かったという。
彼が内偵を進めていた沖合の島は、支援のSSチームが到着したその前夜に、州軍機のテルミット弾による猛爆撃を受け完全に消滅との事だ。
地元州政府の発表では、建設中の保養施設に生物化学兵器を所持して立て篭もった武装テロリストを島ごと熱焼却したという事なっており、現場はごく僅かな建物の残骸が残っている以外は、高熱で爛れた地層が剥き出しとなった大きな穴があるだけという有様だった。
その後一ヶ月が過ぎて十二月となっても、月臣の消息は伺い知れず、また本人からの連絡も無かったが、ある日ネルガルの本社受付に、月臣の伝言を預かったと語る女性がプロスを尋ねてやって来た。
アネット・メイヤーと名乗るその女性は、見窄らしい格好と、何かに怯えている様なたどたどしい言動が怪しかった為、警備員によって身を拘束されたが、彼女の所有物にSSしか持たぬ特殊なコミュニケが有った事で、プロスが直接合う事となった。
彼女の口から伝えられた内容は、状況証拠と併せて事実と判断され、当該施設にオリジナルバイド体が存在した事と、クリムゾンが人体実験を行っていた事、そして月臣は被調査施設における爆撃に巻き込まれMIA――行方不明になった事が判明した。
アカツキは、自らの判断に大きな後悔を感じつつ、人知れずこの世から消えてしまった優秀なSSの魂が、どうか親友の元へ辿り着く事を祈り、そしてそんな柄でもない事をしている自分に対して嘲笑を浮かべた。
尚、アネットはネルガルに保護され、彼女が体験したあの島での経験と彼女自身の強い意思を買われ、イネスが所長を務めるハチ研で事務の仕事を手伝っている。
彼女は今でも月臣の帰還を待ち続けているらしい。
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