機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム17〜







 降りた隔壁の向こうで爆発が起き、振動で施設全体が少し揺れた。
 バイドは熱に弱い。
 再生する隙を与えないよう、一度に身体全体を燃やせれば倒す事は可能である。
 放り込んできた火薬の量を考えれば、今の一撃はダニーを倒すに十分だったと思える。
 が、油断は出来ないだろう。
「急ごう」
 髪の毛が中途半端な長さとなって格好の付かない月臣と、裸体に白衣を羽織っただけの少女は揃って研究施設から抜け出し、地下の荷物集積所へと辿り着いた。
 地下の集積所にも警報は鳴り響いており、非常事態を伝える赤色灯が点滅を繰り返している。
 人の姿は既に無く、それどころか、この地で警備に当たっていたステルンクーゲルまでもが居なくなっていた。
 月臣の立場的には好都合であるが、持ち場を放棄し真っ先に逃げ出す警備の者に対して、どこか憤慨めいた感情も感じて複雑な気分となった。
 小さく溜息を付き、少女の手を引き手近な積み荷の影へ進む。
「どうやら皆逃げ出した様だな……えっと」
「あ、危ない所を助けて頂き、本当にありがとうございましたっ」
 拳銃に新しい弾倉を篭めながら少女に顔を向けると、彼女ははっと顔を赤らめてどもりながら頭を下げた。
 ポニーテールの髪の毛が吊られて靡く。
 月臣は改めて助け出した少女を見つめる。
 歳は一四〜五だろうか? 幼さがまだ幾分残っているが十分綺麗と言える顔立ちをしており、切る前の月臣と同じほどの長さをした髪の毛を頭のてっぺんから無造作に縛っている。
 健康的な褐色の肌と白衣のコントラストは、不謹慎ながらも彼女を魅力を引き立てているようだ。
 思わず見入る月臣だったが、自己主張をしている胸や臀部が薄い白衣一枚に覆われているだけの現状を思い出し、慌てて視線を逸らした。
「れ、例には及ばない。女子を救うのは男子として当然だ。ああ、名前がまだだったな。俺の名は月臣。月臣元一朗だ」
 銃はホルスターに、少女から戻されたナイフは腰に戻して、ポーチの中のCCを確認――残り四つだった――すると、凛とした表情で名を名乗る。
 とはいえ、長期の潜入捜査で汚れていた事に加え、中途半端な長さ――しかも斜めに切り揃えられた髪をして、更に少し顔を赤らめながら視線を泳がせている状態では、決まるものも決まらない。
「こちらこそ申し遅れました。わたしはアネット。アネット・メイヤーです」
 少女は笑いを押し殺しながら、目の前の恩人に向けて自分の名を告げた。
「ではアネットちゃん――」
「あのぅ……私二十歳なんですけど」
「へ?」
 アネットの言葉に、月臣はハニワの様な表情で固まった。
「いえ……ですから、私は二十歳なので、ちゃん付けは、ちょっとどうかと……。ひょっとして、そんなに幼く見えますか?」
「…………そんな事はない」
 自分に嘘が付けない性分なのか、答えるまでの間が開きすぎてしまい、月臣の返答には、残念だが説得力は無かった。
 ふてくされるアネットを必至になだめると、彼女は少し笑ってから月臣を許し、そして急に自分の身に起きた異常な出来事を思い出したのか、蹲って身を震わせ始めた。
「わ、わたし突然捕まって……気が付いたら素っ裸にされて、他の人達と知らない場所に連れてこられたと思ったら、あんな化け物見せられて……それでいっぱい人が死んで……」
 月臣はただ黙って聞きながら、頭を撫でてやる事しか出来なかった。
 やがてアネットは自分の身体を抱きしめつつも、面を上げて月臣の顔を見つめる。
「……でも、月臣さんが助けてくれました。本当に感謝してます。わたしって孤児で、差し上げられるお礼は何もありませんが……」
「礼など無用だ。それに他の皆を助けられなかったのは、俺の不用意な行動と未熟さによるものだ。責められこそすれ、礼を言われる事ではない」
 アネットの言葉を遮って月臣が応じた。
「月臣さん……」
 自分の非を責める月臣に、アネットはかける言葉が思い浮かばなかった。
 その後しばし続いた静寂は、咳払いをした月臣によって破られる。
「さて、それではメイヤーさん」
「アネットでいいですよ」
 大人の女性である事を知った月臣が呼び方を変えると、アネットは微笑んでたしなめた。
「そ、そうか? ではアネット……さん。俺達は早急にこの場を離れなければならないのだが……」
 月臣は会話を打ち切ると、アネットに手を貸して立たせて脱出のプランを話し始めた。
 その際、簡単に自分の身分も説明すると、アネットは目を輝かせた。
「月臣さんってスパイだったんですか?」
「そんなご大層なものじゃない。単なるゴミ処理係だ」
 自虐的な笑みを浮かべて進む月臣を、アネットは興味に満ちた視線で見つめながら続いて歩く。
「ね、月臣さん。さっきの瞬間移動みたいな奴で脱出出来ないんですか?」
「あれはある条件を満たした人間にしか出来ないんだ。普通の者が行う事は死を意味する」
「そうなんですか……」
 月臣の言葉を聞いていたアネットは、ふいに自分達が逃げてきた研究所の方を見つめ、そのまま口を噤んでしまった。
 そんな彼女を察して月臣もまた押し黙る。
 考えてみれば、二人が隔壁を抜けてから、まだ五分と経過していない。
 周囲にこそ人影は無いが、あの扉の向こう側にある施設内には、今なお残された人間も多いだろう。
 アネットは隔壁の向こう側に残された人々の事を思うと、例えそれが自分をモルモットにしようとした側の人であれ少し鬱になった。
 二人は無言のまま警報が鳴り響く施設内を慎重に進み、搬入エレベーターの元へ辿り着く。
 脱出に使用されたのだろう、エレベーターは地上に上がったままだったので、ボタンを押して呼び寄せる。
「あの……」
 エレベーターの到着を待つ間、周囲を警戒している月臣に、アネットはそっと話しかけた。
「どうした?」
「わたし……これからどうすれば良いんでしょうか」
 呟くように話した言葉に、月臣は一瞬表情を曇らせる。
「元居た場所へは戻れないのか?」
「わたしって、住み込みで働いていた施設から売られて来たんですよ……だから戻れないんです。いえ、戻りたくありません。産まれたのはペルーですけど、両親はとっくの昔に死んじゃってますし……他に宛てなんて何処にも……」
「……そうか」
 内容が内容だけに、不用意な言葉を返せない月臣はそう短く答えただけだった。
 その後再び二人の間に沈黙が訪れ、警報だけが周囲に響いていた。
 程なくしてエレベーターが到着し、フェンス状のシャッターが音を立てて開くと、警報以上に大きな爆発音が二人の背後から響き渡った。
 月臣は咄嗟の判断でアネットを抱き寄せ、直ぐ脇の岩陰に飛び退いた。
 その際、岩肌に手を擦ってしまい、月臣の左手からはうっすらと血がにじみ出す。
 だが、そんな些細な怪我を気にしている暇は無さそうだった。
 二人が岩陰に飛び込んだ直後、爆風と共に奥の建物を構成していたコンクリートや金属の塊が、エレベーターの中へと吹き飛んで来た。
 明らかな異常事態だ。
 その原因を掴むべく、爆風が収まってから月臣が岩陰から顔を覗かせると、研究施設から続く通路の隔壁が破壊されているのが判った。
「な、何?」
 何が起きたのか判っていないアネットが、誰に尋ねるでもなく疑問を口にした。
「判らん……」
 そう応じた月臣だったが、脳裏で感じた疑念は次第に強くなり、警鐘を鳴らし続けている。
「取り敢えず、地上に出るのが先決――」
「こんな夜は、命を落とす奴が多いっ!」
 月臣がアネットの手を引きながらエレベータへ進むと、彼らの背後から甲高い声が辺り一面に響いた。
「……今夜もまた誰かが命を落とす!」
 特徴的な声に、アネットは先程の研究所内の地獄絵図を思い出したのか、両手で耳を塞ぎながら身体を振るわせている。
「この声は……まさか?」
「おやぁ〜其処に居るのは月臣元一朗では? 木連を裏切ってネルガルの犬に成り下がった月臣の旦那が、随分と情けない姿をさらしているじゃないか?」
 本人は格好付けているつもりなのだろうか、奇妙な言い回しの甲高い声が闇の中に響く。
「アネットさん、早くエレベーターへ」
 背にアネットを庇うようにエレベーターへ乗り込んだ月臣は、ねっとりと首筋にまとわりつくような気色の悪い殺気に顔をしかめて銃を構える。
 やがて、点灯する赤色灯が、暗闇の中にエチゼンだったと思われるモノの姿を照らし出した。
「ひゃはっはっはっ」
「ひっ……」
 人の神経を逆撫でるような笑い声と共に近付いてくる姿を見て、アネットが目を見開き息を飲む。
 辛うじて人間の形は保っていた。
 だが、服の隙間から覗く肌は、ダニーと同じくバイドウィルスに犯された赤黒い皮膚をしており、不気味に鼓動を繰り返している。
「どうやら……貴様も人間を止めてしまった様子だな。アネット、扉を頼むっ!」
 月臣が一歩前へと進み出てアネットに指示を出すと同時に、エチゼンは二人目がけて一気に迫ってきた。
「くっ」
 足をしっかりと床に固定し、問答無用で銃のトリガーを引く。
 セレクターがフルオートに設定されていた銃からは、僅か数秒の間に一八発の九ミリ強装弾が続けざまに放たれる。
 その反動が銃身を激しく揺さぶるが、木連式柔を修めた月臣の筋力がそれを抑え込み、放たれた銃弾の全てが、襲いかかって来たエチゼンの身体へと吸い込まれるように命中し、腕や腹部、そして頭部の一部を吹き飛ばした。
 だが、エチゼンの走る勢いは止まらず、閉じかけていたエレベーターを両腕で押しとどめる。
 貨物用エレベーター故に、扉に安全装置は付いていない。
 閉まる瞬間、その間に居る者は、両側から迫る金属製のフェンス扉に挟まれる事になるが、バイド化したエチゼンの両腕は易々とその扉を押しとどめている。
 そんな合間にも弾を食らい傷ついた身体は瞬時に回復を始め、より醜悪な外見へと変化を始める。
 アネットが半ば狂った様にエレベーターのボタンを連打しているが、扉の間に陣取っているエチゼンの身体が邪魔をしている。
 恐怖に満ちた表情でエチゼンを見つめるアネットの姿を、エチゼンの辛うじて残っている目が捉え、やはり何とか以前の面影を残している口元を歪める。
「コロスコロスコロスコロス、みんなまとめてぶっコロス」
 頭部を吹き飛ばされた影響か、先程までの様な独特の台詞回しも無くなり、ただ眼前の敵を排除しようという明確な意思だけを口にする。
 エレベーター内部へ身を乗り出してくるエチゼン。
 だが、月臣は慌てずに空の弾倉を捨て新しい弾倉へと交換すると、今度はエチゼンの片足と片腕に照準を絞って射撃を行った。
 右腕と右足がそれぞれ根もとからちぎれ飛び、悲鳴を上げるエチゼン。
「滅せよ!」
 弾を撃ち尽くした銃を放り捨てた月臣は、素早く渾身の力を込めた双掌打をエチゼンの胸元へと叩き込んだ。
 インパクトの瞬間、エチゼンの身体にめり込んだ両手から通じてきた気色の悪い感触に、月臣は一瞬だけ顔をしかめる。
「ぐおおおおっ!」
  腕と脚が片方だけで踏ん張りがきかなかったことで、悲鳴とも雄叫びともとれる叫び声を上げたエチゼンの身体がエレベーターの外へと吹き飛ばされる。
 と同時に、扉のつっかえが無くなった事でエレベーターの扉が閉まり、機械音と振動を立てて上昇を始めた。
「……ふぅ」
 アネットは緊張から開放されて、その場で力無くへたり込み、月臣は相変わらず鳴り響いている警報にリズムを合わせるようにして呼吸を整えた。
 この時、月臣は自分の左手に微かな違和感を覚えた。
 ふと左手を調べてみると、先程怪我をした傷からの出血が既に止まっており、赤色灯の明かりの影響だろうか? 黒々としたカサブタの様なものが見えただけだった。
 血が固まったのだろう――そう月臣が判断した時、頭の上――つまり地上の方から、震動と共に大きなエンジン音が響いてきた。
「あれは?」
 アネットの声に、月臣は手を戻して上を見つめてから答えた。
「恐らくこの施設の人間達が輸送船で脱出したんだろう」
「私が連れてこられた時に乗せられた船……ですか?」
「ああ」
 月臣の言葉に、アネットは安心した様で、それでいて不安が交じった様な表情を向ける。
「あ、あの私泳げないわけじゃないですけど……陸まで泳げる自信は……そのぅ」
「心配無用」
 アネットを安心させるようニヒルに笑ってみせると、月臣はコミュニケを操作しアルストロメリアをオートパイロットで呼び寄せる事にした。
 地上に近付いた為だろう、彼の愛機からの指令受信を告げる連絡が帰ってきた。
「さて……これで後はこの忌々しい島から脱出するだけだ」
「あの……わたし……」
 それでもアネットが不安そうな表情で言い淀む。
 その意味を察した月臣は、まるで子供をあやすようにアネットの前にしゃがみ込み目線を合わせて口を開く。
「取りあえず一緒に来るといい。私が面倒を見るわけにはいかぬが、職と寝床を探す手伝いくらいならしてやれ……る」
 言葉の語尾が裏返ってしまったのは、彼の目がしゃがみ込んだままのアネットの生脚を捉えてしまったためである。
 慌てて目線を逸らした月臣の言葉に、アネットは何度か瞬きをしてから、ぱっと笑みを浮かべそのまま立ち上がると、裸に白衣一枚という自分の格好も忘れて月臣に抱きついた。
「有り難うございます!」
「あ、アネットさん、気持ちは判ったから離れてくれたまえ」
 慌てる月臣の言葉を無視する様に、アネットは一層腕に力を込める。
 柔らかな胸が腕に押しつけられ、月臣の脳内では理性と煩悩が大乱闘を始めた。
 もっとも、お堅い木連軍人出身であるから、あっという間に理性が煩悩を圧倒し勝利を収めるわけだが、狼狽える月臣の姿は普段のクールさとのギャップも相まって面白い姿と言える。
 もしもこの場にアカツキやプロスが居れば、色々な意味で喜んだに違いなかった。
 二人がじゃれ合っている(?)合間に、エレベーターは地上に到着し扉が開いた。
 既にすっかり陽が暮れている空には星空が広がっており、その一部に離れてゆく輸送船のシルエットが見て取れた。
「みんな逃げちゃったみたいですね……」
 すっかり人気の無くなった施設を見回しアネットが呟く。
 余程慌てて逃げていったのだろう。周囲には銃器や資材が散乱しており、ステルンクーゲル用のライフルまでもが投げ捨てられていた。
 クリムゾン自慢のバリア発生器も既に活動を停止――おそらく非常事態警報が発令された瞬間、緊急脱出の為に停止されたのだろう。
「ああ、その様だな……」
 月臣は短く応じながらコミュニケを操作しはじめる。
(全く、アカツキめ……こんな無茶な任務を押しつけやがって……ん?)
 月臣は、自分が今考えていた事に漠然とした不安を感じた。
 アカツキは自分を拾った恩人であり、こういった汚い任務も、それは自らが望んだ事ではなかったのか?
(では……なぜ、俺は怒っている?)
 自分が妙に苛ついている事に驚き、月臣は頭を振って意識を集中させる。
 苛つきと焦り、そして不安を感じながら、月臣はコミュニケでネルガルの本社へ特殊暗号による連絡を入れ始めたと同時に、彼らの背後で乗ってきたエレベーターがひしゃげ、激しい音と共に地下へ真っ逆さまに落ちていった。
「え、なに?」
 アネットが驚きの声を上げて振り向くと、消えたエレベーターと入れ替わるように、出来る事ならもう一生会いたくなかったモノが居た。
「ひゃっははっはっはははっ」
 高らかに卑猥な笑い声を上げて、エチゼンがエレベーターの有った竪穴坑から這い出てくる。
 先程吹き飛ばされた腕と脚はもはや人間の形をしておらず、腕はタコのような触手状に、脚は大きなトカゲの物の様に不気味な物へと変化している。
 それらを駆使してエレベーターの坑道を昇って来たのだろうが、エレベーターを直下から破壊させる程のパワーを考えれば、それが彼にとって造作もない事なのは間違いなかった。
「きゃぁっ」
 月明かりと施設内の赤色灯を受けたおぞましい姿を見て、アネットが悲鳴を上げて尻餅をつく。
「くそったれっ!」
 月臣はコミュニケの操作を止めて、普段は使わないであろう汚い言葉と共に、銃を抜いてエチゼンを撃った。
 だが、避ける素振りも見せずに銃弾をその身に受けて、エチゼンは二人の元へ突進してくる。
 もはや九ミリの弾丸では全く効果が望めないと判断すると、月臣は舌打ちをして射撃を止め、地面に倒れていたアネットを抱え上げて走り出した。
「うひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっひゃっはぁ〜っ!」
 辛うじて人間っぽい部分を残しているとはいえ、エチゼンの身体はすでに本来の倍以上の大きさとなっている。
 そして触手状の腕を伸ばし周囲に落ちていた銃器を掴むと、それを身体の内部へ次々と取り込んでゆき射撃を始める。
 アネットを抱えて走る月臣の背へ、エチゼンの放つ銃弾が襲いかかる。
 殺気の流れや相手が動く気配を察知し、奇跡的に銃弾を回避していた月臣だったが、エチゼンが取り込んだ銃器の数が増えると、やがてそれも限界に達した。
 一発の弾丸が、月臣の腕を掠め、そこに有ったコミュニケを破壊した。
 無論、腕の方も無事には済まず、血が流れ出すと同時に右腕から力が抜けてゆく。
 それでも気力と根性で踏ん張ると、アネットの身体を落とす事なく、建物の影まで辿り着く事が出来た。
「月臣さんっ!」
 建物の影で月臣から降ろされたアネットが心配そうな表情で叫ぶ。
 だがその時、月臣は右腕から感じていた痛みが、嘘のように引いてゆくのを感じていた。
「大丈夫だ……しかしコミュニケが……通信機が破損したのは問題だな。あの野郎っ! ぶっ殺してやる!」
 壊れたコミュニケをポケットにしまい、言葉を荒げて叫んだ。
 そんな月臣の様子にアネットが少し戸惑った表情を見せるが、クールな月臣さんも感情むき出しにして怒るんだなぁ――と思う事にした。
 月臣が呼び寄せたアルストロメリアが来るまで、まだ一分はある。
 その間、何としても生き残らねばならないが、それまでエチゼンが大人しくしてくれるはずもなく、こうして悩んでいる間も、一歩一歩近づいて来ていた。
 月臣は周囲を見回し、背後の投棄されたままの積み荷に張ってあるラベルが、揮発性の強い化学薬品の名称である事を知ると、残された爆薬をありったけ仕掛ける事にした。
 アネットに前方の奥手にある小さな船着き場へ走り身を隠す様に指示を出し、月臣は急いでドラム缶に爆薬を盛りつけ、そのままリモコン式の起爆装置を取り付ける。
 直後――
「ひゃはははははっ〜そこかぁ〜〜〜ん」
 追いついたエチゼンが、覗き込むようにして月臣の姿を捉え吠え、触手を勢いよく振り降ろしてきた。
 鞭のように長く素早い腕の軌道を見切り、月臣は半歩身体を逸らして避け、その腕に気合い一閃でナイフを突き立てた。
「でりゃぁぁぁっ!」
 妙に激しい掛け声と共に繰り出されたナイフは、確実にエチゼンの触手の様な腕に突き刺さった。
「きかねぇなぁ。そんなチンケなモンはよぉ〜ひゃ〜っはっはっはっはっ」
 だが、そんな攻撃を意に返さないエチゼンは、再び腕を振るい月臣を襲う。
 姿勢を低くして素早く避けると、月臣は腰のポーチからCCを取り出しアネットの居る、船着き場へとジャンプした。
「きゃっ月臣さん?」
 突如背後に現れた月臣に驚くアネットを無言で抱きしめると、そのまま建物の影に飛び込み、リモコンのスイッチをオンにした。
 途端、背後で爆発音が轟き、地面や建物が衝撃に揺れる。
「きゃぁぁぁぁっ!」
 爆発の衝撃に、月臣の腕の中で悲鳴を上げるアネット。
「やったか?」
 アネットの無事を悟ると、月臣は彼女を地面に降ろし、建物の影から爆心地の様子を伺った。
 立ちこめる煙が、エチゼンの姿を隠しているが、その中からは微かに呻き声が聞こえてくる。
 海からの風が吹き、煙が急速に薄らいでゆくと、上半身の半分を失ったエチゼンの姿が現れた。
「駄目か……くそっ!」
 爆風が一方向に集中し、爆発の範囲が思ったよりも小さかった事と、エチゼンが咄嗟に危険を察知した事で、全身を吹き飛ばすには至らなかった様子だ。
 苦虫を噛んだような表情を浮かべ悔しがる月臣の耳に、聞き慣れた、そして心強いエンジン音が近付いて来るのが判った。
 夜空を見上げると、アカツキから渡された彼の愛機――アルストロメリア零号機が、背中のスラスターから炎の尾を引きながら飛来するのが見えた。
「あれって……月臣さんの?」
「そうだ、これでこの島から脱出……いや、あの化け物をぶっ殺せ……」
 月臣の言葉は、エチゼンへ視線を戻した時に止まり、その続きが最後まで語られる事はなかった。
 何故なら、爆薬で吹き飛ばされたエチゼンの上半身は、先程よりもおぞましく、より強力に、そしてより巨大に変化しており、そして事も有ろうに地面に投棄されていたステルンクーゲル用のライフルを、その身体へ取り込んでいた。
「まさか!?」
 月臣が叫び声を上げる中、エチゼンは機動兵器用のライフルを撃ち始め、弾切れになるまで連続で放たれたその弾丸は、飛来した無人のアルストロメリアを無情にも撃ち抜いた。
 無論、ディストーションフィールドが展開されてはいたが、何十発もの直撃弾を受ければ無事には済まない。
 パイロットが乗っていれば避ける事も、また被弾後の機体の立て直しも出来ただろう。
 だが、オートパイロットの状態ではそんな事も出来ず、ジャンプ装置までも搭載した貴重なアルストロメリアは、無惨にも火花を散らしながら島の中央にある施設へと落下し、轟音を立てて建物を突き破りその中へと堕ちた。
「くそっ!」
 月臣は吐き捨てるように呟き、愛機が堕ちた建物を見つめていた。
 アネットは目の前で起きた、不幸の総決算とも言うべき光景に声を失い、海から吹き込む風にその身を晒して立ち竦んでいた。
 だが、いつまでも呆けている事も出来なかった。
 完全に人間の姿を失ったエチゼンだったモノが、二人のいる場所へと動き始めたのだ。
 月臣は船着き場を見渡し、陸地との連絡用と思われるモーター付きの小型ボートを見つけた。
 数秒だけ思案を重ね結論を出す。
「アネットさん、あれが見え……危ないっ!」
 話の途中で月臣は自分達に向けられた殺気を感じとり、アネットの身体を突き飛ばす。
 その直後、アネットが居た空間を無数の弾丸が貫き、その場に残っていた月臣の右腕――肘から先を吹き飛ばした。
「月臣さん……? 嫌ぁぁぁっ!」
 叫ぶアネットの身体を残った片腕で抱えると、月臣は流れる血もそのままに走った。
 船着き場の倉庫へと逃げ込むと、その場で倒れ込む。
「月臣さんっ月臣さんっ!」
 自分の白衣の一部を破り取ると、月臣の先が無くなった右腕へ宛い止血を施す。
「大……丈夫……だ」
 明らかな痩せ我慢に、アネットが震える声で泣き叫ぶ。
 その時――
(な、何だっ!?)
 今まで感じた事のない悪寒が、月臣の体内を突き抜けた。
 まるで氷柱を背中に差し込まれたような、強烈な悪寒。
 そして、続いて襲いかかってきたのはどす黒い感情だった。
(これは……)
「月臣さぁん!」
(うるさいなぁ……この女は……殺すか……っ!?)
 自分の身を案じて涙を流す女性――アネットを見て思った感情に、月臣は驚愕し、その正体に気が付いた。
 目の前の他者に対する激しい攻撃衝動――それこそが、先程から月臣の言動を狂わせていたモノだった。
『バイドの浸食を受けた存在は、バイド体となり、本来持つ意識はたった一つの本能を優先する様に改竄される。その本能とは――即ち「攻撃本能」に他ならない』
 脳裏に浮かんだのは、イネスが記したバイドに関する報告書の中の一文。
 だが、その意味するところは、月臣を絶望へと追い込むものだった。
 それは即ち――
「馬鹿なっ!」
 月臣は叫び声を上げて、自分の失った右腕を見つめた。
「つ、月臣さん?」
 アネットが狼狽えた声を出しながら、月臣から半歩後ずさる。
 包帯替わりに巻かれた白衣が床に落ちて、そこには無くなったはずの左腕が生え始めていた。
 しかし元の腕ではない。
 新たに出来上がったのは、赤黒く内臓の様な肌をした不気味な腕のようなモノ。
「お、俺が……バイド化?」
 自分の変わり果てた腕を見ながら、月臣は愕然とする。
 と、同時に激しい攻撃衝動が、襲いかかる。
(コロセコロセコロセコロセ、目の前の他者をコロセ!)
 腕に力が込められ、殺意の籠もった目でアネットを見つめる。
 変わり果てた木の枝の様な左腕が無意識に振り上げられ、そして呆然とするアネット目がけて振り下ろされ――
「止めろっ!」
 そう叫んで、月臣は右腕で左腕を掴んで止めた。
「月臣さん……」
 アネットは恐る恐る、自分の腕を掴んで蹲る月臣に近付いてゆく。
「来るんじゃない……アネットさん。見ての通りだ、俺はもう……君と一緒に行けない」
 月臣は汗を流しながら、本来の姿をしている左腕を伸ばして近づくアネットを制する。
「でも……」
「どうやら俺も、あんな化け物になるみたいだ。だから俺には近付くな」
「そんなっ! それでも月臣さんは月臣さんです!」
 震える脚を無視して奮い立たせ、アネットは月臣に抱きついた。
「一緒に行きましょう月臣さん。私、月臣さんを信じてます! だって、だって……」
 月臣は左腕で、涙を流しながらすがるアネットの身体を押しやり、黙って首を横に振った。
「いいかアネットさん、あれが見えるか?」
 そう言いながら指さした先には、先程見つけたボートがある。
 アネットは涙を流しながら無言で頷いた。
「君は……あのボートに乗って、陸地へ向かうんだ」
「つ、月臣さんは?」
 震える声で尋ねるアネットに、苦悶の表情で汗を浮かべていた月臣は、出来る限り優しい表情を浮かべて口を開く。
「俺は囮になる」
「そんな! 一緒に逃げましょうよ!」
「残念だがそれでは俺が君を殺してしまうだろう。バイド……あの化け物に汚染すれた者は、強烈な攻撃衝動が押し寄せてくる。今はまだ耐えられるが、私の理性が無くなるのも時間の問題だろう。あやつら……ダニーやエチゼンは、この衝動をそのまま受け入れたのだろうな。ははっ……」
 大量の理性を総動員して込み上げてくる攻撃衝動を抑え込みつつ、自虐的に笑ってみせた。
「でも……」
 それでもなお追いすがろうとするアネットに月臣は頭を横に振る。
「それに二人一緒に逃げたところで……ボートごと撃たれるのがオチだ。それでは二人とも死ぬだけだ。だが……俺が囮になれば君は無事脱出できるだろう。なぁに心配は……いらん。俺は死なない……否、死ねなくなった。それに俺一人ならば跳躍で逃げる事だって出来る。見ただろう?」
 そう言って不器用に笑い、人間の形をした左手でアネットの頭をくしゃくしゃと乱雑に撫でる。
「子供扱い……しないで下さいっ! わたしは大人なんですからっ」
 アネットは月臣の手を払いのけて涙ながらに頬をふくらませた。
「良い顔だ。その元気があれば大丈夫……ん?」
 巨大になったエチゼンが近付いて来たのだろう。ヤツの発する地響きが近付いて来る。
「時間がない……行くぞ?」
 涙を拭きながら無言で頷くアネットの手を引き月臣は走る。
 姿勢を低くした二人がエチゼンの目をかいくぐって桟橋に辿り着くと、月臣は舫(もやい)を解いてボートのエンジンを始動させた。
 幸い、施設の警報はまだ鳴り響いているので、その音が大きく響き渡る心配は無かった。
「アネットさん……君に渡しておく物がある」
 そう言って手渡したのは、壊れたコミュニケとマネーカード(当然偽名)、そして愛用していた拳銃だった。
「これは、俺達ネルガルSSだけが持つ特殊な通信機だ。これを持って日本のネルガル本社へ行き、プロスペクターという人物に渡してくれ」
「わたし……わたし……やっぱり月臣さんと」
「頼むっ……誰かが此処で起きていた事を伝えなければならないのだ……俺もじきに化け物になるだろう。こうしている今も、俺の頭の中で何かが”君を殺せ”と捲し立てているのだ。何とか理性が殺意を抑えていられる間に、俺の前から消えてくれ。頼むっ。俺は君を殺したくない」
 二人が知り合い共に行動したのは、時間にして僅か三〇分にも満たない短い時間でしかない。
 だが、その僅かな時間が、お互いの人生にとって最も重要な意味を持つ感慨深い一時であった事は、二人共自然に判っていた。
「月臣さん……」
 涙と鼻水を盛大に流してしゃくり上げているアネットを見て、月臣は精一杯の笑顔でそっと彼女の頭を抱き寄せ――
「大丈夫だ。君の未来に、光があらん事を」
 耳元でそう呟き、左手で彼女の身体を押し出した。
「きゃぁっ月臣さんっ!」
 ボートの中へ身体が落ちると、月臣はボートのエンジンのレバーをニュートラルからを全速に合わせた。
 途端、ボートは水面を滑るようにして走り出す。
「月臣さん! わたし……わたし必ず待ってますから、月臣さんが戻ってくるの待ってますから!」
 アネットは揺れるボートに必至にしがみつきながら、エンジン音に負けないよう大きな声で叫び続けた。
「わたし……わたし……月臣さぁぁぁぁんっ!」
 やがて彼女を乗せたボートは闇の中へ溶け込み、その声も月臣の耳には届かなくなった。
 月臣が踵を返し施設へと戻る。
「こっちだエチゼン。待たせたな」
 警報が鳴り響く島の中、月臣はエチゼンだったモノの前に立つ。
 その表情にはもはや焦りも恐れも無い。
「シネシネシネ……」
 今だ理性を残している月臣とは異なり、心身共に完全にバイド化したエチゼンは、ただ同じ言葉をただ繰り返すだけだ。
「ふっ……化け物同士、楽しく殺り合おうじゃないか」
 そう言い放つ月臣に口元は、ことのほか楽しげに歪んでいる。
 それはまるで、黒い王子時代のテンカワアキトや、北辰の様な醜く歪んだもの――殺戮や破壊に愉悦を感じる者の笑みだった。
 十数メートルの距離を開けて向かい合う二人。
 何処かで建物の一部が崩れ落ちる音を合図として、二人は目前の敵の排除に移った。
 殺意の開放――バイド化した月臣にとって、それは酷く心地の良い物だった。
「はっはっはっはっはっ!」
 自然と込み上げてくる笑い声を上げながら、月臣はエチゼンへと突き進む。
 対するエチゼンも、何か叫びながら身体に取り込んだ銃を乱射して迎え撃つ。
 だが、もはや月臣は銃弾を避ける事もせず、最短距離を走ってエチゼンへと突き進む。
 腕や脚が撃ち抜かれたが、バイド細胞がすぐさま身体を修復し、その都度強力なパワーが漲ってゆく。
 距離が縮まりエチゼンが横殴りに放つ触手状の腕を、瞬時の見切りで身を屈めて避け、ついに月臣は懐へと飛び込んだ。
 そして双方の距離がゼロになった途端――
「破っ!」
 掛け声と共に、バイド化している右腕で木連式柔の掌底を放ち、エチゼンの腹部らしき場所へと叩き込んだ。
 それは異様な光景だった。
 バイド化したとは言え、今だ人間サイズの月臣の一撃は、五メートル以上はゆうにあるエチゼンの巨体を、数十メートルに渡って吹き飛ばしたのだ。
 人間とは思えない悲鳴を上げてエチゼンは、地下に通じるエレベーター入り口付近へと倒れ込む。
 月臣の一撃を食らった腹部には大穴が開き、内臓の様な物がどろどろと流れ出ていた。
 だが、その傷もみるみる内に塞がってゆき、エチゼンは再び立ち上がる。
「さぁ来い。何度でも殺してやるからな……はっはっはっ」
「ぐぉぉぉぉぉっ!」
 エチゼンは獣のような雄叫びを上げて、再びその巨体に取り込んだ銃による射撃を行いながら、月臣へと突進してゆく。
 弾丸が月臣の身体を削ってゆき、その都度月臣の身体も変化を起こす。
 再び彼我の距離が縮まり、月臣が木連式柔の構えを取ると、エチゼンは、先程倒れた時に取り込んでいたRPGを発射した。
 至近距離から放たれたRPGに、直撃こそ避けたものの月臣は片脚を吹き飛ばされ、姿勢を崩し倒れ込む、その瞬間を狙ってエチゼンの巨体が宙を舞い襲いかかった。
 バイドは熱以外には高圧力に弱い。
 それらで身体全体を一度に攻撃されると、再生すべき場所が無くなり死に絶えてしまう。
 バイドはあくまで寄生体や共生体であり、それ自体で行動する事は出来ない。
 無機物である戦闘機に取り憑いたオリジナルバイドが動けないのは、寄生元の戦闘機が既に破損している為である。
 有機物に取り憑いた場合は、その寄生元となう生物が完全に死に絶えれば、当然バイドも修復が意味を持たなくなるわけで、エチゼンの巨体に全身を踏みつぶされる事は、バイド体となった月臣にとっても死を意味する。
 だが、脚を失いその修復が完全でない月臣は素早く身動きが取れず、落下するエチゼンの巨体はすぐ目前まで迫った。
 その時――
「跳躍!」
 月臣は今だ無事だった腰のポーチからCCを取りだし、少し離れた場所――目に付いていた建物の屋上へとジャンプを行った。
 突如消えた標的に、慌てて周囲を伺うエチゼン。
「そうか……」
 建物の屋上から、自分を捜しているエチゼンを見て月臣はそう呟くとほくそ笑んだ。
 そして脚の修復が終わると同時に、残った二つのCCを両手に握りしめ、屋上の地面を蹴ってエチゼンへと飛び移る。
「ぐぉぉっ?」
 自分の背中にしがみついた月臣に気が付き、驚きの叫び声を上げるエチゼン。
 そしてエチゼンが何らかの行動を起こす前に、月臣はCCを握ったままの拳をエチゼンの身体に叩き込み、その体内までめり込んだ拳を開くと、握っていたCCを埋め込んだ。
「プレゼントだ」
 耳元――かどうかは判らないが、エチゼンの頭部ぽい部分でそう囁き、残った最後のCCを反対側の手に握りしめたまま――
「跳躍」
 ボソンジャンプを行った。
 密接していたエチゼンは、月臣と共に光の粒子となり――その場から姿を消した。

 間を置かずに島の中心部――エレベーター前の広場に月臣がその姿を現した時、共にジャンプしたエチゼンの姿は無かった。
 ジャンパー処理が施されていないエチゼンの身体は、ボソンジャンプを正常に行う事が出来ず、何時の何処とも知れぬ空間へと消え失せてしまった。

「初めからこうすれば良かったな……はっはっはっはっ」

 勝ちどきを上げるかの様に、月臣が夜空へ向けて笑い声を上げる。
 もはや元の形を失って化け物の様な外観となった脚と腕も気にならなかった。
 だが、そんな笑い声は、上空から聞こえてきた爆音によって掻き消される。
 航空機らしきその轟音は幾重にも重なり、やがて周囲の空気を振るわせて響く様になった。
 笑うのを止めた月臣が夜空を仰いでみれば、無数の識別灯とノズルから吹き出るフレアが、星々の数よりも多く輝いていた。
 漠然として見上げる月臣の目に、航空機のシルエットが次第に大きくなり――そして、そこから切り離されて落下してくる大量の物体がはっきりと映った。
「っ!」
 彼等の意図に気づいた月臣が走り出した次の瞬間――

 島全体が強烈な爆炎で包み込まれた。

 その後九〇分もの間、対細菌兵器用のテルミットプラズマ爆弾が投下され続け、島の施設は跡形もなく熱焼却された。








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