傾いた太陽が山の向こう側へ姿を隠しはじめると、先程まで広がっていた青空が茜色に染まり、横合いから照りつける夕陽を受けて、あらゆる物の影が長く延びてゆく。
陸地から一キロ程離れた沖合の島に接舷した輸送船の、夕陽を受けた飾り気の無い灰色の船体は、本来の色合い以上に黒みを増しており、凹凸の少ないなだらかなシルエットは身体を休める大鯨を連想させる。
そんな輸送船の船体上部に夕陽とは明らかに異なる光が輝き始める。
やがて、その輝きが人の形を形成した直後、その光はサバイバルスーツに身を包んだ月臣の姿となった。
ジャンプアウトした月臣は身を伏せて即座に周囲の気配を探る。
船体の上は身を隠す物の無い場所だったが、人の気配は感じられず、また警報などが鳴る事もなかったところを見ると、幸いにして出現する瞬間は見られずに済んだ様で、月臣は小さく安堵の溜め息を付いた。
ボソンジャンプは多くの制約の上で成り立つ能力であり、決して万能ではない。
B級ジャンパーであるなら尚のことだ。
だが元々船本体の上という、人が乗りようがない場所である故に警備の目が届いていなかった事が月臣に味方した。
夕陽を受けて黒々としている船の上を、月臣は低い姿勢で駆ける。
船の縁まで進むと身体を伏せ、ポケットから取り出した折り畳み式の特殊双眼鏡で眼下の様子を探る。
大勢の作業員が輸送船から積み荷を陸揚げしているのが見て取れたが、周囲の警戒に当たっている警備員は、どう見てもカタギには見えない軍人崩れか傭兵だし、装備も明らかに襲撃に備えた重装備だ。
もしもこの施設が表向き通りのものであるなら、警備員の装備は警棒かスタンガン、治安の悪い地域性を考慮したとしても精々拳銃程度でお釣りがくる。
アサルトライフルやサブマシンガン、RPGといった装備は、明らかに過剰である。
警備の状況やその装備、そして施設の確認をして、月臣は改めてこの島が非合法な存在である事を思い知ると、次いで双眼鏡を光学モードに切り替える。
「やはりな……」
肉眼では視認しづらかったバリアの存在がハッキリと浮かび上がる。
クリムゾンの施設である以上、強力なバリアが張り巡らされているのは当然であり、ろくな準備期間も無い状態でその内部に潜入するにはボソンジャンプを用いる以外方法はない。
腰に取り付けてある特殊な専用ポーチ――ジャンプを行っても中の物は影響を受けない――に入れられたCCの残量は九つ。
少なくもないが、多くもない。
脱出の際には必ず使う事になるだろうし、下手に大きな物を持ち帰る事となると、それにもCCを使う必要があるかもしれず、そう何度もジャンプを多用する事は控えるべきだった。
彼は身を乗り出しもう一度周囲の状況把握を行う。
作業員と思われる人々の流れが一点へ向けて移動している事が判った。
月臣が腰の特殊ポーチに手を伸ばし、側面にあるボタンを親指で押すと、下に添えていた掌にCCが転がり落ちる。
CCの感触を確かめる様に握りしめ、施設の隅にあるコンテナ集積所を見つめると――
「跳躍……」
小さく呟き、月臣は再び光の粒子となって跳んだ。
コンテナの集積所に出現した月臣は、直ぐに素早く移動を開始し、積み荷の搬入を行っている作業員の一人の背後に忍び寄り、口を抑えてから当て身を喰らわせ物陰へと連れ込んだ。
「済まないな……」
追い剥ぎの様な行為をしている自分に気が付き、そしてそんな行為もまた自分の罪に対する罰であると考え、自嘲の笑みを浮かべる。
月臣が倒した男は体格の大きかった事もあり、奪い取った作業服をそのまま上から羽織る事が出来た。
自慢の長髪を作業用ヘルメットへと押し込んで簡単な変装を済ますと、搬入作業に紛れて施設の内部へと向かった。
幸い陽が落ちてきた事で視認性が落ちており、ヘルメットを深く被った月臣の顔は早々見破られる心配も無く、施設内部への侵入は容易に行えた。
内部の適当な場所に姿を隠すと、地上にある建物は殆どがダミーである事が判った。
重要だと思われる積み荷は、地下へ向かうエレベーターへと運ばれており、それは肝心な施設は全て地下にある事を意味していた。
「さて……どうする」
となると、B級ジャンパーに過ぎない月臣では、だいぶ分が悪くなる。
地表であるなら、いざという時アルストロメリアをオートパイロットで呼び寄せる事も可能だが、地下となるとそうは行かない。
通信を阻害する機能も多分に強くなるだろうし、何より地下だと機体が直接飛んでくる訳にはいかないのだ。
月臣は考える。
自分の任務はこの施設の内偵であって、破壊ではない。
ならば、この奥へ潜入し、そこで何が行われているのかを知る事が、最重要事項になる。
残るCCは八つ。
やはり心許なさは拭えないが、行くしかないだろう。
地下に進めば警備も監視も厳しくなるだろうが、この施設の正体を掴めば良いのだから、それさえ可能な場所にさえ入れば最悪強襲でも構わないのだ。
無理矢理にでも押し入って、その真相を見極める。
「ふっ……そう考えれば悩む必要もないか」
月臣は口元に笑みを浮かべると、再び他の作業員の中に紛れ込み、そのまま施設の地下へ降りるエレベーターへと向かった。
搬入エレベーターはトレーラーが丸ごと載る大きなもので、幾多の積み荷と共に地下へと降りて行く。
数十メートルほど降りると広い集積所になっており、奥へと続く通路も見える。
しかし周囲の警備は厳重であり、その入り口の両脇にはご丁寧に無塗装のステルンクーゲルまでもが配備されており、ライフルを持って睨みをきかせている。
幸いにして、地下施設は急ごしらえで作ったと思われ、この地下集積所も広さを確保する事を優先させたらしく、周囲は地盤が剥き出しになった洞窟に近く、身を隠せる場所は少なからず存在した。
積み荷に紛れて姿を隠していると、作業を終えた一団が再びエレベーターへと乗り込み地上へ上がって行く。
月臣はそのまま岩陰で隠れ、気配を殺して警備の姿勢を伺いつつ考える。
(出来る限り穏便に行きたいが……流石に監視装置も多いだろう。であるならば……不要な跳躍は控えるべきか)
先にも述べたが、B級ジャンパーによるボソンジャンプは、酷く制限を受けた能力に過ぎない。
確実にイメージングが可能な有視界でしかジャンプは出来ないので、自由自在に奇襲がかけられるわけではない。
故に”自分が跳躍士である”という事実が知られる事は、敵が幾らでも対処が可能になる事を意味する。
生身の場合は尚更だ。
位置を把握していない相手――つまりアンブッシュしている様な敵に対してジャンプ攻撃は全く意味を成さないし、もしも相手が待ちかまえている場所へジャンプアウトすれば、その瞬間を狙われ蜂の巣にされる事だってあるだろう。
(ふっ……テンカワならばこんな事気にせず、直接乗り込むのだろうがな……)
かつての弟子を思いだし、一瞬月臣は口元を緩める。
二人が初めて出会ったのは、今だ木連が木星蜥蜴と呼ばれていた頃の月面であり、お互いが機動兵器に乗ったままの通信機による通話だった。
故に、互いの名も知らず、二人はそれぞれ自分の正義を信じて闘い合った。
だが月臣の親友であった白鳥九十九は、その後彼に直接会い、そして心を通い合わせる事に成功した。
白鳥は、地球と木連は平和的に共存が出来ると訴え、そしてそれを良しとしない草壁の密命を受けた、他ならぬ月臣の手によって殺された。
草壁の言う理想に同調し親友を葬ったものの、火星の極冠遺跡上空で再び通信越しに見たアキトの姿と、真の戦争原因を知った事で全てが虚しくなってしまった。
闘う理由を失った月臣は、草壁を――そして木連を裏切り、親友が成し得なかった和平を実現させた。
そしてその後、ネルガルに拾われて、初めて直接テンカワアキトに相まみえた。
だが、それはテンカワアキトであった者。
親友と心を通じた心優しい青年ではなく、復讐心だけを糧に生き続ける亡霊。
その亡霊に、月臣は闘う力――木連式柔を与えたのは、武術を通じて自分の生きる道を正して欲しかったからだろう。
かつての自分の様に外道に堕ちる事なく、人間として生きる為の強い精神を養うために。
だが、その後テンカワアキトは与えられた力と鎧を使って破壊と殺戮を繰り返した。
それでも月臣は心の何処かで信じていた。
白鳥が認めたテンカワアキトは、必ず陽の光の元へ戻る――と。
北辰をも倒した彼ならば、それはそう遠い未来ではないだろう――と。
そう思うと、自分の行った事が無駄で無かったと思えて、自然と口元が緩んだ。
(さて……ん?)
思案に耽っていた月臣は音を立てないよう移動を始め、ふと身を隠したコンテナから微かな気配を感じた。
(人の気配……酷く狼狽している?)
耳を付けてみると、コンテナの中からは内側を叩いていると思われる音が聞こえてくる。
(これは……まさかっ!?)
月臣が自らが考えついた中身の正体に驚愕すると同時に、集積所で動きがあった。
奥の通路から警備の人員を引き連れた科学者らしき者が現れ、指示を出している。
牽引車が幾つかのコンテナに連結され、奥へと運び込まれて行く。
月臣は素早くシートカバーの掛かった積み荷の中に身を滑り込ませ気配を消すと、彼が隠れた積み荷もまた、牽引車によって内部へと運び込まれて行った。
月臣の隠れた積み荷はこの施設での食事に用いられる食料の様だった。
「よーし、食料はいつもの所へ運んで、SSマークの入ったコンテナは中央ラボへ運んでくれ。くれぐれも慎重にな、何せ”生もの”だからねぇ」
何処か神経を逆撫でる種の声がそう指示を出す。
(ヤマサキの同類か……)
月臣はそう判断すると、シート越しに周囲の気配を伺う。
(右に一人、左に一人、後方には皆無か。運搬用車両にも一人居るだろうから全部で三人。音から察するに装備は比較的軽装。他に気配が無いところを考えると、残りの警備は別のコンテナとは別れたという事か……よし)
周囲の状況をそう判断すると、作業服とヘルメットを脱ぎ捨て、CCを一つ取り出して握りしめると、積み荷から身を翻して音もなく着地をする。
シートをめくる際に多少の音は出たが、牽引車の立てるモーター音によって警備の者の耳に届く事はなかった。
着地と同時に周囲を警戒し、離れて行く別のコンテナの後を追う。
(監視カメラは、無いことを祈るしかないっ……)
SS用コミュニケに備えられた対センサー用ジャマーを作動させて月臣は走る。
これで気休め程度にだが、警備センサーを誤魔化せるはずだ。
施設の奥は、正に何らかの研究所を彷彿させる作りであり、白く殺風景な通路が続いている。
やがて電動の牽引車に引かれ、左右に警備の人間がついたコンテナを視界に捉えた。
先程、人の気配がしたコンテナだった。
月臣はCCを握りしめていた手に力を込め――
(跳躍っ)
心の中で叫んだ。
ジャンプアウトしたのはコンテナの上、ジャンプアウトと同時にうつ伏せになって身を隠す。
「ん? なぁダニー何か聞こえなかったか?」
警備の男がそう相棒に声を掛ける。
「いや俺には聞こえなかったけど、中身じゃねぇのか?」
そんな会話に、月臣は一瞬表情に怒りを露わにしたが、直ぐに殺気を静めて目的地に着くのを待った。
暫く進むとエアロックの様な気密扉に辿り着き、先頭を進んでいた学者らしい男が扉に備え付けられたボタンを操作して、パスワードを入力している。
月臣がコンテナの上からその指の動きから番号を判断して記憶していると、扉が開きコンテナは再び動き始めた。
アラームが数度鳴り響き、殺菌剤が噴出される。
(どうやら……生物化学関連の施設か)
暫くして殺菌剤の噴出が止まり、今度は排気が始まる。
「ったく……学者さんよ、此処を通るたびこんな仰々しい事されたんじゃ面倒極まりないぜ。なぁグレッグ」
先程ダニーと呼ばれた警備の男がかったるそうに尋ねる。
「馬鹿を言っちゃいかんよ。大事なサンプルに外部のばい菌が入ったら堪らないからね」
「コンテナの中身は消毒しなくて良いのかよ?」
もう一人の警備兵――グレッグが口元を歪めながら尋ねると――
「ああ、それは問題ない。コンテナの中に入れる際、たっぷり消毒してある」
学者は自慢げに笑いながら答えた。
やがてアラームがまた鳴り響き、反対側のエアロックが開き、中へと進んで行く。
その中は幾つもの透明なパーティションに区切られたブースが並び、白衣を着た何名もの学者達が何か取り憑かれたように実験や分析に勤しんでいる。
時折学者が起こす叫び声にも似た歓喜の言葉が、狂気を物語っている。
「さーて、新しい材料が到着したぞ〜」
先から付き添っていた学者がそう言うと、何名かの学者風の男達がそれぞれ警備員を伴い集まってきて、何やら捲し立てている。
どうやら早く寄越せという催促らしいが、彼等に共通しているのが血走った目だ。
ダニーとグレッグの二人が両脇に立ち銃を構えると、コンテナの扉が開けられた。
いやぁ〜っ! ここ何処なの? 帰してくれっ! お願いだ帰してくれっ! ひっ! わぁぁん! ――途端に沢山の悲鳴、鳴き声、必至に懇願する声が周囲に響いた。
だが、そんな声は意図的に無視――というか、相手にされる事なく、コンテナの中から十数名の人間が引きずり出された。
(なっ……)
月臣は伺った光景に言葉を失った。
中から出された者達は、恐らく街のスラム辺りから連れてこられたと思われる男女で、年齢も体格もバラバラだが、全員が一切衣類を纏っていない。
そして唯一身につけているのは首輪だけで、それからはチェーンが延びており、警備員らしき男達によって強引に引っ張られていた。
見れば中には少女も居るらしく、全裸で衆人環視の元に晒されて、必至に身体を隠そうと足掻いている。
泣き叫ぶ少女が必至に抵抗しようとするも、屈強な男にチェーンを引っ張られ姿勢を崩して倒れ込むと、それを見た警備員達がゲスな笑い声を立てている。
月臣は込み上げて来る怒りを抑える為に最大限の努力を強いられた。
その合間にも、集まって何やら相談事をしていた学者達が違いに頷くと、警備員に向かって指示を出す。
どうやら、誰がどの人間をモルモットとして使用するかを決めていたらしい。
「さて、皆さん〜ご注目!」
柏手が鳴り、次いでひときわ大きな声が響き渡り、皆が一斉にその声の方向を見つめると、この一人の警備兵を従えた学者風の男が立っていた。
連れてこられた人々は、己の身体を抱きしめ震えながらも、その男が発する言葉の続きを待った。
「突然の招待で驚かれたと思いますが、皆さんには、此処で新たな技術開発の為の礎となっていただきます。身勝手だとは思いますが、皆様の尊い犠牲は必ずや世界を救う事となるでしょう。どうかご了承頂きたく思います」
言葉こそ丁寧ではあるが、それは明らかな死刑宣告だった。
立場を忘れて怒鳴り声を上げた男性は、脇に立っていた警備員が振り下ろした警棒を受けてその場で蹲り、何か言おうとした別の者達は口を噤んだ。
「さて、それでは皆さんの実験パートナーをご紹介しましょう。……エチゼン君よろしく」
脇に控えていたエチゼンと呼ばれたその警備兵が動き、何かのリモコンを操作した。
すると機械音と共に、奥のシャッターが左右に開いてゆき、その中身が次第に姿をさらけ出す。
「きゃあぁぁぁぁっっ!」
「うわぁぁぁぁっ!」
連れて来られた者達は叫び声を上げ、周囲の学者達は狂気に満ちた笑顔を向け――そして月臣は息を飲んだ。
次第に開いて行くシャッターの向こう側。
強化ガラスと思われるその向こう側には、二二〇二年の八月、輸送の途上でその行方が判らなくなっていたオリジナルバイドが、静かにその不気味な身体を横たえていた。
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