南アメリカ大陸はアルゼンチンの大西洋に面したとある地域。
 クリムゾン資本の影響力が強い南アにおいても、特にこの一帯はその関係が強く、彼等の絶頂期であった三年前にはリゾート開発が進められていた。
 だが、ヒサゴプランのおける一大ボソンジャンプネットワークが崩壊し、クリムゾンの屋台骨がぐらついた今、その繁栄の面影は消え失せ、工事半ばで放棄された土地や建物が点在するだけの、夢の跡地となっている。
 かなり強引な開墾によって木々が伐採され無惨な更地となっているが、つい数年前までこのあたり一帯はジャングルと呼んで言い地域で、住む人間も全く居ない未開の土地だった。
 内陸の都市と結ぶはずだった道路も、整備が完全に終わる前に工事が中止された為、この地を訪れる者は途絶えて久しい。
 だが今から約一年前、突如としてこの地域に再び開発の手が入った。
 この事実だけをとっても不可思議な事態と言えよう。
 ただでさえ復興活動に遅れが生じている南ア地区だ。リゾート開発などは、もっとも後回しにされて然るべきだろう。
 だが不可思議なのはそれだけではない。
 再開発が始まったのは陸地ではなく、そこから約一キロ沖合に浮かぶ、最大直径が八百メートル程の小さな島だった。
 かつての計画では、リゾートホテルやカジノ、そして専用ビーチなどを併設した高級複合型リゾート島とされる予定だったが、こういった施設は、対岸の整備が整わなければ意味がない。
 連絡港や道路が無いまま離島の設備だけを完成させた所で客が来る道理がない。
 にも関わらず、この離島には少なくない人員が宛われ急ピッチで工事が進められた。
 島のスケールからは不釣り合いな程の大出力ジェネレーターが設置され、地下工事の為の大型搬入口が新たに設けられたが、三年前と比べて見た外見上の変化はその程度だった。
 「保養施設への再開発」というのが、表向きの名目に過ぎない事は明白だった。
 一年前から始まり、人目を忍び約六ヶ月の期間を経て地下に築き上げられた物とは、クリムゾンによる研究施設に他ならない。
 施設内部の人員は最小限に留められているが、警備の数は同規模の施設と比べて数倍であり、しかもそれと判らぬ様、作業員の格好で配置されている。
 更には大がかりなクリムゾン製の高出力バリアユニットが島全体を覆うように配置され、その守りをより堅牢なものとしている。
 無論、それらは外見上全く見る事は出来ない様、執拗にカムフラージュされている。
 グローバルネットワークからも意図的に物理隔離されたその施設は、正に秘密研究所と呼べる物だ。
 物理的な意味合いだけでなく、その内部で行われている研究もまた、”秘密”という名を冠するに相応しい内容と言えた。
 この施設の最深部――地下百五十メートルの地点にある研究施設の更に奥、特殊強化ガラスと幾層のシールドに守られたケージの中に、二二〇二年八月にサセボから移送中行方不明になったオリジナルバイド体がその身を横たえていた。
 この施設を造り上げたのは、表向きは民営の養護施設運営企業とその他大小様々な企業の合同という事になっているが、実際にはエコールという企業が行っている。
 そしてそのエコールの実態は、百パーセントクリムゾンの資本による完全な傀儡企業だ。
 クリムゾン寄りの軍人からサセボ沖での戦闘結果と、その後のネルガルが秘密裏に回収したバイド体の情報がクリムゾンの役員達にもたらされ、その秘めたるテクノロジーに彼らは畏怖すると共に驚喜した。
 ネルガルによってかつての地位を追われたクリムゾンとしては、バイドの持つテクノロジーを追求する事が、かつての地位を取り戻す最大の力となると見込んだのだ。
 だからこそ、危険を承知の上でオリジナルのバイド体をネルガルから強奪し、南米の沖合――南大西洋上に浮かぶ孤島に専門の研究施設までもこしらえた。
 建造中に、その施工元が何らかのトラブルに見舞われ工事が中断されている――そういった偽りの理由によって、グローバルネットワークへの接続もされていないこのバイド研究所は当然非合法な存在であり、その中に務める雇われた科学者達も、その事実を知った上で集められた者達だ。
 故に彼等はその腹黒さや危険な思想から学会を追放されたクセの強い者が多い。
 だが、だからこそ彼等は運び込まれたバイド体に狂喜し、研究に没頭した。
 彼らの興味を惹いたのは、中身の戦闘機ではなく、むしろその回りを取り囲む生体部分だった。
 もっとも中身の戦闘機は、既に原型が失われている程に破壊されているわけだから、彼等がバイドがも持つ強い生命力に興味を向けるのも当然だろう。
 高熱や高圧エネルギーには弱い部分を持っているが、生命体として見た場合それは当然であるだろうし、それを補って余る回復力と、機械等の無機物への融合する部分が着目された。
 この技術を完全に支配下に置ければ、民間レベルでは医療の発展に貢献するだろうし、軍事面では最強のバイオウエポンが作れるはずだ。
 生物と機械を融合し現代のキメラを作る事だって出来る。
 彼らは研究に没頭し、昼夜を問わずその解析は行われていた。

 だが彼らは、バイドが如何に危険極まりないモノかを理解していない。
 否、理解をしていたからこそ、研究に邁進していたのかもしれない。









機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#12〜










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■バイドに関する中間報告――
 当方の手に残されたバイドに関して、2203年10月20日現在の研究で判明した事を此処に記す。

 1)バイドの基本構造
 まず、バイドと呼ばれる存在は、別の物へ寄生し、浸食して行く形で増殖するウィルスの様な生命体である。
 精子の様なオタマジャクシ型の形状をしており、その大きさは約100ナノメートル。
 当初は無機物への感染する存在と思われていたが、バイドが寄生する相手は、有機物、無機物と問わない事が判明した。
 有機物とは、全般的な動物、鳥類、魚類および植物を指す。
 また寄生先の身体だけでなく、その精神をも浸食し、その生物が持つ意志すらも乗っ取るものと推測される。
 無機物に関する感染・浸食手段はまだ不鮮明だが、人工知能――いわゆる電脳へ浸食し、機械のロジックを変更を行うコンピュータウィルスとしての能力も併せ持っていると思われる。
 そして此処が非常に重要なのだが、バイドの浸食を受け精神や電脳を支配されると、本来持つ意識はたった一つの本能(もしくは命令)を優先する様に改竄される。
 その本能とは――即ち「攻撃本能」に他ならない。
 バイド体は、その攻撃本能を全うする為、バイドからの驚異的な回復能力の恩恵にあやかる事が出来る。
 ただしバイドが回復出来るのは、己の身体と、完全融合を果たした有機体部分のみであり、無機物を自ら生成する様な能力は持っていない。
 故に無機物のバイド体は、その本来のメカニズムが何らかの形で機能を失うと、その機能を修復する事は出来ない為無力となる。
 例えば機関などがダメージを受ければ、幾ら周囲の生体部分が回復出来ても、その母体が動かなくなる事で本来の機能を失う事になる。
 逆にバイド化した有機体――生物は、その超復元力を存分に活用する事が可能であり、完全に死滅しない限りは何度でも蘇る。
 俗っぽい言い方をすれば、有機体ベースのバイド体は「ゾンビ」、無機物ベースのバイド体は「機械生命体」と表現すれば、その性質が判りやすいだろう。
 医療分野へのバイドテクノロジー転換は、攻撃本能と復元力の制御が出来れば不可能ではないが、現状では非常に難しいと言わざるを得ない。
 また機械そのものを修復する能力が無い以上、機械における自己修復機能などへの転換は、ほぼ不可能と思われる。


 2)バイド体が取る行動について
 バイド体となった存在は、基本的に攻撃本能が全てに優先される様になる為、外敵に関して非常に敏感な反応を示す様になる。
 一言で簡潔に言い表すのなら「凶暴」という言葉がもっとも適切であろう。
 その変化は、外見的な特徴から、性格的な物まで全てにおいて現れる事になる。
 マウスを使用した実験において、バイドが体内へ注入されたそれは、日にちが経つにつれ歯がその鋭さを固さ増し、凶暴さは増大し、同一ケージに入れた別マウスに対して瞬時に排除行動を行い、最終的には鉄製の檻すら食い破るまでに至った。
 植物は、その姿をより攻撃的な物へ変化させ、毒素をまき散らす様になる物すら少なくない。
 これら性質、正確の変化は、被検体の持つDNAが感染前と感染後とでは変化部分がある為、バイドが被検体のDNAの情報操作を行っていると考えられる。
 以上の実験結果から、感染し融合を果たしたバイド体は、完全にバイドの本能に従属する存在となる。
 これは即ち精神への浸食と言うべきであり、DNAの改竄までもが行われたバイド体を元の状態へ戻す事は不可能だ。
 無機物の場合、その機械が持つバイオスを書き換え、更に別のプログラムを植え付け、行動を制御していると思われるが、その論理は全くの不明である。
 動植物の持つDNAに対して行われる情報操作同様、コンピュータのプログラムへ浸食し、それを書き換える能力があると思われる。
 何故有機ウィルスであるはずのバイドに、その様な能力が有るのかは不明だが、これが解明されれば全く新しいオペレーティングシステムやデバイスの構築が可能となるだろう。
 だが、動植物が攻撃的になる以上、バイド体となった機械もまた、攻撃的な物へ変わる可能性が高い。
 これは即ち、兵器がバイドに感染、融合した場合その攻撃能力に比例して、危険度も増して行く事を意味している。
 現に、戦闘機との融合を果たしたと推測されるオリジナルバイド体によって、連合宇宙軍ニュータバル基地所属のSA−77シルフィード二機が撃墜されており、その扱いには十分な注意が必要である。

 3)バイドの感染
 その生命力の強さから、バイドの持つ感染力は非常に強力と思われる。
 研究、実験の際の扱いには細心の注意が必要である。
 現在の時点で空気感染および皮膚感染は認められていないが、何らかの形で有機体の体内へ侵入した場合、そのDNAを解析し、その有機体に併せたDNA改竄が行われるものと推測される。
 無機物に関する感染経緯は、現在において不明である。
 幾つかの実験を行ったが、単純にバイド細胞を機械の側に置いたり、接触させただけでは浸食は行われない。
 温度や湿度、明度等の環境や、感染可能な素材・材質、また接触時間などによる法則があるかも知れないが、現時点では不明と言わざるを得ない。
 可能性という点では、バイド体となった生物がIFS等の思考型インターフェースを通じて電脳へのアクセスを行った場合等が考えられるが、連合宇宙軍所属のホシノ・ルリ少佐によってオリジナルバイド体へのIFSアクセスが行われたものの、同少佐にバイド感染の疑いが無かった事を考えるに、正常体がIFSを通じてバイド体へアクセスをした場合の感染は無いものと思われる。
 ただし、これら見解は全て仮定に過ぎず、ホシノ少佐の例こそが特別である可能性も依然として残っており、またその実証をするための実験が行えない以上、IFS経由感染に関する危険度は高い。
 よって現段階における研究や実験においてIFSを使用する事は固く禁じる事とする。

 4)バイドテクノロジーの民間転用について
 真っ先に考えられるのが医療分野へのフィードバックだろう。
 先(第1項)でも述べたとおり、バイドの医療分野への転用を考える場合、バイドが持つ過剰なまでの攻撃本能の抑止が必須事項となる事を此処に明言しておく。
 また数ある医療用ナノマシンとの相互反応は、現状では臨床実験が行えず、その効力や結果がどの様なものになるのか全く未知の領域である。
 ただし、マウスでの実験の結果から察するに非常に危険を伴うと予想され、その実験の実行に際しては、現場最高主任とCEOの判断を必要とする。
 もしも人間がバイドに感染した場合、恐らくはその精神に対して非常に宜しくない事態を招く事が懸念される。
 そして残念なのは、それがまず間違いないという事だ。
 またコンピュータに対する全く新しいオペレーションデバイスの構築などにも転用が可能と思われるが、バイドのメカニズムが完全に解明されない限り、その転用も不可能だと思われる。

 5)バイドへの対処
 バイド体となったモノに対する攻撃は、その一部を破壊しても、非常識な程の再生能力により治癒してしまう。
 マウス実験では、下半身を丸ごと失ったマウスは絶命する事なく、数秒で失った下半身が修復される事となった。
 そしてその修復された下半身は、以前の状態とは異なり、大きくそして醜悪なものとなった。
 被害を受けた事で、筋力や皮膚、そして骨格などが強化された事が原因だろう。
 どうやら母体への被害が大きければ大きいほど、比例して変化も大きくなるものと思われる。
 故に最小限の被害の場合――例えば擦り傷や切り傷程度――は、ほぼ瞬間的に修復され、身体の変化も余り起きない。
 もしも不慮の事態が発生し、バイド体への攻撃が必要になった際は、相手が無機物であるならば取り敢えず母体にダメージを与え、その能力を奪えばよい。
 しかし有機物――こと生物のバイド体に対する対処には、修復が意味を成さない程、全面的に熱や圧力を加える事が必要である。
 幸いにしてバイドは高熱と高圧力には比較的脆弱であり、これらによってバイドを滅ぼす事は可能である。

 6)今後のバイド研究
 今後数年内のバイド技術の転換はほぼ不可能と判断する。
 これはバイドの持つ攻撃本能と感染力があまりにも強力すぎる事で、生体実験はおろか、機械に対する実験が行えない事がその原因でもある。
 未知の能力を有している為、コンピュータを使用したシミュレーション実験は、殆ど意味を持たない。
 また無機物に対する感染プロセスが現段階で不明な為、不用意な実験は避けるべきだろう。
 もしもこれらバイドが、グラビティブラスト搭載の戦艦等に感染した場合、その恐怖と被害は想像を絶する。
 くれぐれも不用意な実験は慎むべきである。

 次に、現在までに行われたバイド実験に関する諸データの一覧を――





 ※ネルガル社内機密文書 BX−0703 より抜粋。







「では、ドクターの見解としては、バイドは危険だと?」
 アカツキは手にした資料から目を離し、机上に浮かび映されているウインドウへ向けて話しかけた。
 そのウインドウに映っているのは、バイド研究を任されたイネスフレサンジュその人であり、彼女が居る場所は島全体がネルガルの研究施設となっているハチジョウジマ――通称ハチ研であろう。
『ええ、出来ればさっさと焼却処分して、研究そのものを止めたい程にね』
 研究が忙しいのか、応じるイネスの顔は普段より多少やつれた様子が伺える。
「ふ〜ん、何だか勿体ないねぇ。あれだけの技術をみすみす手放すってのはさ」
 口元を隠す様に、机の上に肘を付き手を組むアカツキ。
『そう思うのは当然でしょうね。私の部下にもそう言う者も居るわ。でも結論から言ってあの復元力は異常すぎる。医者としての立場から言わせて貰えば、医療への転換なんてとてもじゃないけど不可能ね。人間の身体が付いて行けないわよ。下手すれば投与された者はオリジナルバイドみたいな醜悪な姿になるんじゃないかしら』
「あんな姿になるんじゃ売れないねぇ」
 アカツキはさもガッカリしたように両の手の平を上に向けておどけてみせる。
『固執するならそれなりのリスクを背負う事になるわよ。責任取れる? 少なくとも私には無理ね』
 研究現場の責任者とは、そして研究と説明の鬼である彼女とは思えない発言だ。
「ドクターがそう言うのならまぁそういうモノなんだろうけど……でも良いのかい? テンカワ君の五感を治癒したモノに通じるモノがあるんじゃなかったっけ?」
『多分間違いないけど、実証が取れていない以上はあくまで推測。証明するにしたって、その本人が居ない今ではそれを確かめる事が出来ない。例のプレートの解析だって出来ていない以上は、彼の帰還を待ってから研究を再開すべきね。
 勿論、本心を言えばアキト君の為に研究はしておきたいわよ? でもそれで取り返しのつかない事になるのは私の本意じゃないの』
「ははっ、はっきり言うねドクター?」
『そりゃそうよ。私が初めて恋したお兄ちゃんなんだから』
 モニタの中のイネスが表情を崩して微笑む。
 なるほどね、それで一生懸命研究に没頭したものの、危険な現状に諦めざるおえずに憤慨してるって事かい? ――こけた頬と目の下のくま、多少乱れた髪の毛、やつれたイネスの姿を見て、アカツキはそう判断して、彼にしては柔らかい表情を浮かべて彼女をねぎらった。
「まぁお疲れさま。僕としてはドクターの意見を尊重させてもらうよ」
『それじゃバイドの研究は私のプライベートな物を残して中止。スタッフには休暇を与えて、それから別の部門へ異動させるわよ』
「ドクターは?」
『私はまだこっちに残るわ。アキト君が戻ってきた時のことを考えて、個人的に最低限の研究は続けておきたいし、例の中身……デスに関して調べてみたい事があるの』
「殆ど残ってないんだろ?」
 アカツキの指摘通り、オリジナルバイドの中身であるデスは、その殆どが移送中の事故で失われている。
 当然、二人はそれが某所に隠匿されている事を、この時点では知らずに居る。
『それでもよ』
「判った。何か有ったら呼び出させてもらう。あ〜ドクター、これは余計な事かもしれないけどさ、少しは休みを入れるべきだと思うよ? そんな顔じゃお兄ちゃんに嫌われるってね」
 軽口を加えているが、これが彼なりの気の使い方なのだ。
 その事を知っているイネスは、少しだけ微笑むと――
『そうね』
 と短く答えて通信を切った。
「やれやれ……テンカワ君も罪作りだね。でももっと罪深いのは、そんな彼の人生を弄んだアイツ等か……あ、僕の父もかな?」
 ネルガルの会長室で、アカツキは一人天井を見上げて、苦笑交じりに呟き――
「済まないね……本当に」
 そう最後にもう一言そっと呟いた。
 かつて先代ネルガル会長だった彼の父親が、ボソンジャンプ技術の公開を訴えたアキトの両親をテロに見せかけて暗殺させた。
 アキトは今更その事を持ち出すような事はなかったが、アカツキの中ではそれが負い目となっているのも事実だった。
 暫くしてアカツキの耳に来訪者を告げるベルの音が聞こえてきた。
『アカツキ会長、プロスペクター氏がお見えになりました』
「あ〜通しちゃってくれる?」
 別室から聞こえてきた秘書の声にアカツキが応じると、直ぐに扉が開きプロスペクターが入室してきた。
「会長、少し宜しいですか?」
「おや〜プロス君じゃないの、どうしたの? まさかさっき納入したばかりのロベイオンに初期不良でも見つかった?」
 彼が通信ではなく、わざわざこうして足を運んでくる以上、それなりに重要な用件である事は察する事が出来るが、それでも敢えていつもと同じ態度でアカツキは応じる。
 組織のトップに立つ者は、おいそれと慌てる事は許されないのだ。
「いいえ、ヒマワリに出向した社員からはその様な報告は受けておりません。ロベイオン、ナイゼス共に無事引き渡しは完了しましたし、今頃はヒマワリで実験前の最終的な動作確認に入ってる頃だと思いますよ」
 プロスぺクターの方も、そんな上司の態度には慣れているのか、動じる事なく平然と受け答える。
「そうか、グレイゾンシステムの第一陣だからねぇ、万が一不具合なんか有ったらってさ、心配してたんだよ。僕はこう見えても小心者だからね」
「実はですね……例のバイド体を追っていた者からなんですが」
 アカツキの前に立ったプロスは、懐から取りだしたハンカチで額を拭くような素振りで話し始めた。
「見つかったのかい?」
 プロスの言葉を遮る様に尋ねるアカツキ。
「不確実ですが、シベリアと南米で何事か……少なくとも州政府荷担レベルの隠蔽工作が行われている様子でして」
「シベリアと南米ねぇ〜。で、どっちが本命っぽい?」
「資金の流れを見る限りでは、シベリアの方が遙かに巨額です。どちらも随分と巧妙な手段で擬装されてますが……シベリアに回っている資金で、ナデシコ級が十隻は建造可能かと。それに大量の戦争捕虜も送り込まれてる様でして。軽く見積もって公式発表の十倍でしょうか。シベリア油田の整備という名目には多過ぎます」
「そんな資金、どっから調達したんだろうねぇ。この間の報告にあった例の巨大戦艦……グロアールだっけ? あの資金だって相当苦労してるだろうに。……まぁウチへの支払いが滞らなきゃ別に良いんだけどさ。それにしても労働力までもか……まさかクリムゾンかい?」
「現段階では今だ関与は認められてません。ですがロシアは親クリムゾンでしたから可能性はあるかと……それと会長はエコール社をご存じですか?」
「ああ、上手く誤魔化してるみたいだけど、あれクリムゾンでしょ?」
「はいその通りです。実は南米の方に、このエコールが出資して……いや表向きはそれですら無いんですけど、とにかくクリムゾンの息のかかった施設が秘密裏に建造されているという事なんです」
「なるほどねぇ」
 アカツキはプロスの言葉を聞いて、しばし目を伏せて思案に耽る。
 何だか判らないけれども巨大な工作活動が行われているシベリアと、クリムゾンによる秘密施設が建てられた南米。
 共に地球の裏側に位置しており、多忙を極めている今のネルガルには同時に工作活動を行うだけのゆとりはない。
「両方いっぺんに……って訳にはいかないよねぇ? やっぱり」
 組んだ手の指先を弄びながら、既に答えを知っている様な口振りでアカツキが尋ねる。
「そうですなぁ〜、今は我が社はグレイゾンシステムと言う大きなプロジェクトを抱え込んでますんで、用心すべき相手も守るべき人間も多く、人手は全く足りてませんから……これほどまでして隠そうとしている相手ですと……流石に無理ではないかと」
 奥で鋭い目つきに変わったプロスの目を隠す様に、メガネが照明を反射させて白く光る。
「なら話は簡単だね、シベリアにチームを派遣してくれる?」
 間を置かずにアカツキは指示を出した。
「では、待機中の二班を回すよう手配します」
「ああ、それから彼を……月臣君をもう一つの方に出してくれる?」
 決定を受けて即座に踵を返そうとしたプロスの背後に、アカツキの声がかけられる。
「よろしいのですか?」
「ああ、どちらも無視出来そうにないからね。彼なら単身でも何とかできるだろう? あ、そうだ。彼にはアレの零号機使ってもらって良いよ。それなら間違いなく完遂出来るんじゃない?」
「アルストロメリア零号機ですか? しかしジャンプフィールド発生装置搭載の機体が残っている事実が露呈しますと大事ですよ?」
「問題はない」
 プロスの声に答えたのはアカツキではなく、いつの間にか会長室の壁に寄りかかっていた月臣本人だった。
 元木連優人部隊所属、月臣元一朗――現在はネルガルの特別SSとして、アカツキの身辺警護を務めている。
 隣室で待機していた彼は、会話の内容から自分の出番が近い事を悟り、自ら姿を現していた。
 わざわざ気配を殺して室内に入り、格好良く台詞を差し挟むタイミングを計っていた辺り、多少の茶目っ気は持っている様だ。
「もしもの時は、この月臣個人が行った行動とさせて頂く。ネルガルが不利になる事はしないと誓おう」
「まぁ、そういう約束だからねぇ」
 二人の側まで歩いてそう宣言する月臣に、アカツキは座ったまま両腕を広げて、やれやれといった口調で呟いた
「では月臣さんは単独での任務とさせて頂きますので……」
 彼等が今後の行動の打ち合わせに入ろうとしたその時――
[緊急連絡!]
 警報と共に、衛星軌道上の軍事ステーション「ヒマワリ」で爆発事故が起きたというニュースが伝えられた。

 ナデシコBが接舷を果たして二〇時間後の事だった。








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