機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム#9〜






『これが人類の歴史……』
 感情の起伏がない女性の声。
 目の前のウインドウに流れる人類がこれまで歩んできた歴史。
 その知りうる全てが凄い勢いで流れてゆきます。
 その歴史の中に多数存在する、戦争、紛争、内戦、テロ――人類史とはまさに闘いの記録。
 その事実にガーディアンは驚いているのでしょうか?
「でも、戦争によって次の時代へと進んでいた事もまた事実ですよ」
 オモイカネと異なり、ガーディアンは声を出します。
 とは言え、今のところは、かつての私の様に冷たい感じがしますが、これは感情を理解していないから。
 私には良く判ります。
 私がこの子にとってのアキトさんやユリカさんになってあげれば、この子もきっと感情が豊かになるはずです。
『ルリ……人は「人命に勝るものは無い」と言いながらも平気で人を殺めます……これは矛盾です』
「そうですね……でもその矛盾を抱える事が出来るのも人間なのです。普通のコンピュータや、ロジカルな考えではそれを理解する事は出来ませんけど、あなたならいずれそう言った事も判るようになります」
 私との対話を重ねて行く事で、この子はどんどん賢くなってゆく。
『そうですね……取り合えすこの問題は保留にします』
「今日は地球の自然について教えて行きましょうか」
『了解です。地球の気候帯は大まかに分けて「亜熱帯」「温暖帯」「冷温帯」「亜寒帯」「寒帯」に分類されて、緯度と経度、高度や地質状況環境によって多種多様な生命体を育んでいるんですよね』
「そうですね。でも論理的な考え方は後に回して、まずは世界の色々な自然風景を見ていきましょう、とっても綺麗ですよ」
『映像講習ですね、判りました。あ、その前に昨日、ウリバタケさんが私に見せてくれたビデオ映像が在って、気になる事がありました。質問してもよろしいでしょうか?』
「何ですか?」
『これです。何故この人物は妹と呼ばれる少女を一二名も引き連れているのでしょうか? 私が学習したところによれば、妹とは「同じ親から生まれた年下の女性」という事ですが、妹達の容姿や年齢から察するにとても全員が血縁者とは思えません。それなのに全員が妹だというのは納得できませんし、そもそも兄に対する呼称だと思われる単語で意味不明な物が多々在りました。「兄チャマ」だとか「あにぃ」という言葉は常用単語として登録するべきなのでしょうか?』
「ウリバタケさんから見せられたという映像記録は全部消して結構ですよ」
 私はニッコリと微笑んでそう言いました。
『……判りました。ルリ……笑顔にも色々あるという事が何となく判りました』
「良い子ですね。それじゃまず、今あなたが居る場所、四季それぞれに美しい自然を見せてくれる日本から行きましょうか」
 私はライブラリ画像の中から日本の風景や、色々な街の様子を写した画像を流して行きます。
 と言ってもこのコミュニケーションはサイバースペースで行われている為、一秒間に百枚以上の映像を見せつつ対話を行っています。
 此処はネルガル本社の中央研究所。
 私は日夜この場で次世代スーパーAIコンピュータ「ガーディアン」の調整を行っています。
 マシンチャイルドである私がIFSを通じて行う対話調整は、常人が行う通常の対話に比べて処理速度が桁違いに早い為、ガーディアンの学習速度もそれだけ速くなります。
 何しろ通常の人間が行う教育では、ガーディアンが実用レベルの人格を形成するまでに数十年は要するわけで、こう言う時は私達マシンチャイルドの様な者の出番となります。
 ラピスは自身が成長途上である為こういった教育係には不向きですし、ハーリー君では少々能力不足という事があって、私に教育係の仕事が回ってきたのは当然の成り行きと言えるでしょう。
 日々急速に成長し学習してゆくガーディアン。
 その卓越した頭脳で世界を導く、その名の通り地球の守護神となる存在。
 ですが今はまだ子供であり、彼女がその能力を発揮するのはまだ先です。

 さて、地球圏の復興ですが、最近になってようやく本格的に活動を開始したところです。
 火星の後継者による同時多発クーデターと、それに乗じた暴動やら混乱が招いた被害と、先の大戦による傷痕は未だに世界各地に残ってます。
 衛星軌道上に移送されてきた資源採掘用の小惑星「ゼロス」では、日夜鉱物資源が採取され、地上や月、そして宇宙ステーション等の復旧工事にあてがわれてますが、地域によってその進展具合も格差が激しい様ですね。
 特に、先のクーデターに荷担したクリムゾンとの関係が強い地域であるロシアや豪州、そして南米などは、明らかに影響が出てます。
 ロシアや豪州はグローバルネットワークの整備などが遅れてる程度で済んでますが、政情が不安な地域である南米は特に酷い状態で、都市部の復興活動すらままならない様ですね。
 それでも地球は火星に比べれば概ね平和と呼べるでしょう。
 先の復興活動の遅れと地域格差以外では、取り込んだ旧統合軍人員との軋轢が原因で、時々連合軍が事故を起こしている程度です。
 メグミさんやホウメイガールズの皆さんの歌声も、TVなどからよく聞こえてきますから、結構暢気なものです。
 それに引き替え火星は今、ザカリテ首相の指導で復旧作業が行われてますが、資源不足や人手不足などもあって、地球以上に遅れてます。
 最も大きな問題は、民族間問題でしょう。
 それはつまり、住民の全てがこぞって移り住んできた旧木連移民と、それに対抗する様にやってきた地球移民の間での軋轢が起きており、不協和音がガンガン鳴り響いてるんです。
 情勢も治安も悪化して、つい先日には火星全土に夜間外出禁止令が出された程です。
 火星への第二次移民計画が持ち上がったのは、蜥蜴戦争終結から半年後の事。
 ですがあんな事が有った直後ですから、まともな地球人で火星に移り住みたいと思う人は極少数。
 しかし木連出身の人口が多すぎると何かと問題が起こりそうという事で、当時の地球連合政府はバランスを取るためほぼ同数の地球人を移民として送り込む事にしたんです。
 何とか数をそろえる事を優先し、移民資格のハードルをやたら低く設定した結果、募集に集まった移民希望者は腹に一物抱えた者や、何らかの理由で地球に居づらくなった者が多くなってしまったと言う訳。
 無論、建国の熱意に燃えている方や、フロンティアスピリット溢れる方も居たでしょうけど、そういう人の方が希だったみたいですね。
 流石に指名手配犯や思想犯罪者等は見送られましたが、潜在的なアナーキストや社会不適合者の多くが、火星に移民していったのです。
 そうなると、只でさえ先の大戦の影響で不仲な関係が抜け切れていない両移民ではいざこざが絶えず、時折小規模な衝突が起きてました。
 それでもその時点では大きな問題では無く、火星の情勢はまだ安定していたと言って良いでしょう。
 地球からの観光客だってそれなりに居ましたし、両惑星間における輸出入も頻繁に行われてました。
 ところが、移民が始まって二年と半年後に起きた、火星の後継者による武力蜂起は、火星の治安を悪化させ、更なる移民間の対立を招くことになりました。
 何しろ火星の後継者の大多数が木連出身者であり、その指導者も旧木連軍の草壁少将でしたから。
 彼等の蜂起は火星に移民した木連出身者の立場を悪化させ、それは動乱終結後も回復する事はありませんでした。
 燻りを残したまま時は流れ、火星の復興が再開されると、都市部における木連移民への風当たりが強くなり、やがてそれは明確な市民レベルでの差別へと発展して行きました。
 火星政府としては「両移民の立場は対等でなければならない」と言う姿勢でしたが、地球出身者による木連移民への差別は日を追う事に激化、抑圧されたフラストレーションや不満はやがて暴動へと発展し、今日の状態へと至るわけです。
 火星の治安を悪化させているのは、両移民間にある相互不信が原因ですが、火星の治安を守る警護組織にも問題があります。
 火星は現在自国の軍隊を持つことが禁止されていて、存在する治安機構は警察予備隊だけです。
 軍隊と呼べる組織は、地球連合政府が派遣した火星駐留軍だけであり、彼等はいわば地球政府からの監視役みたいなものです。
 一応、駐留軍の人選には気を使っており、元から連合軍に所属していた人達が多いんですが、これは謀反を起こす可能性が幾らか高い元統合軍の軍人さんを、地球から遠い所に配置する事を躊躇った結果ですね。
 しかし逆に、送られる身としては左遷にも等しい扱いなわけで士気はガタガタ、覇気のない軍隊になってしまいました。
 そして根が真面目な木連出身者達の中には、そんな現状を憂いて自発的に「自警団」なんてものを作って、それが現地の警察予備軍や駐留隊と衝突を引き起こしてしまうみたいです。
 更には経済状態も深刻です。
 蜥蜴戦争終結後の第二次移民計画と同じくして始まった復興活動の時こそ、将来の期待を感じてそれなりに盛り上がりを見せましたが、火星の後継者の蜂起が全てを台無しにしてしまいました。
 そして昨年の「古代火星文明の遺跡及び遺産の破棄法案」によって火星市場はトドメを刺される事となります。
 かつてはその地に眠る古代火星文明のテクノロジーと利権を求め、ネルガルやクリムゾン、アスカといった大手企業がこぞって参入し、開発や研究の為に惜しげもなく資金や資材、人材を投入し賑わっていたた火星市場は、古代火星文明の遺跡や遺産が全て外宇宙に飛ばされた事で今や閑古鳥。
 今だ両惑星が復興活動の途上という事もあって、観光や輸出などの財源も期待できない火星政府の台所事情は真っ赤っか。
 かと言ってそれが原因でまた戦争になっても困るので、地球連合政府はかなりの資本や資金を投入し、それがまた原因で地球圏の復興が遅れる――というスパイラル現象に陥ってます。
 戦争原因である遺跡を無くした途端、新たな戦争原因が起こるとは皮肉以外の何ものでもありませんね。

 かつて、そこにオーバーテクノロジーの塊である遺跡があった――というだけで戦場とされた火星。
 過去二度も住民の殆どが一方的に虐殺された赤き星。
 三度目の正直とばかりに発足し、平和と共存、そして地球とのイコールパートナーを目指す新たな火星ですが、その前途は多難の様です。
 まぁそれでも両国間では一応の平和は守られては居ます。
 ただ、ヒサゴプランの復旧が後回しにされた今、火星への物資輸送は、船団を組み平均約四〇日という日数をかけて行うしかなく、それを狙った火星の後継者の残党や海賊やらが襲いかかる事がしばしばあります。
 宇宙軍の艦艇が護衛には付いてますが、内部の軋轢問題が足を引っ張ったり、時折大がかりな襲撃がある事もあって、まだまだ安心は出来ない現状ってわけです。

 あ、襲撃と言えばですね、先月こんな事がありました。
 バイドをより詳しく研究すべく、サセボの地下研究所からより高度な研究施設のあるハチジョウ島のネルガル研究所に移送される事になったんです。
 ところがその途上、『エンジン良好オールグリーン。現在問題無く航行中』との連絡を行った直後に輸送機が墜落するという、如何にも第三者による工作っぽさが臭う事故がありました。
 輸送機は完全に大破。
 乗員は絶望。
 当然積み荷であるバイドは影も形も残らず消滅。
 一応、燃え尽きたって事になってますが、余りにも都合が良すぎますね。
 唯一の救いはイネスさんが同乗していなかった事くらいでしょうか?
 アカツキさん相当怒ってまして、SSを総動員してでも事故の真の原因を突き止めると息巻いてました。
 バイドの移送理由が、サセボの施設では大がかりな研究が行えないという事での決定だっただけに、結局大した事は判らず終いの状態でオリジナルのバイドを失ってしまいました。
 幾つかのサンプルは取ってあるという事ですが、バイド研究に関する大きな痛手には違いないでしょう。
 それまでの研究で判った事ですが、イネスさんは移送前に行われた報告会で次のように言ってました。
  ・
  ・
  ・
『こんにちはイネス・フレサンジュです。
 今日はバイドに関して現在までに判った事を説明しますので、全員黙って聞く様に。
 では、生物なのか機械なのかはっきりしない謎の存在、バイドですが、これはウィルスの様な超極小生命体が機械に寄生し融合した事で産まれたものだと思われます。
 従って今後この寄生したウィルスの様な物を「バイド」もしくは「バイドウィルス」と呼び、そしてバイドに取り憑かれ融合してしまった物を「バイド体」と呼称します。そしてバイド体の本体とおぼしき中身の機体……そうね、仮に「デス」としておきましょうか?――』
 イネスさん、ここで私に対してでしょうか? モニタの中でニヤリと笑ったのが気になります。
 っていうか、何処で知ったんですかね?
 確か、サセボを離れる時、一度呟いた記憶がありますけど、それを覚えていたというなら、やはりイネスさんは侮れません!
『――このバイド体の元となった中身の戦闘機らしき機体は何なのか? それをまず考えてみましょう。スキャンした情報を元に、コンピュータグラフィックで再現してみたのがこれ。
 ここで軍事に精通しているG.Hさんに意見を聞いてみました』
 画面にデス(仮)の想像図が表示され、もう一つのウインドウには何故か顔にモザイクがかけられた大男が表示されます。
『むぅ……今までに見た事がない機体だ。前に突き出したノーズコーンの大きさからして、強襲用の特殊攻撃機の様に見受けられるが、ここまで特化した機体も珍しい。近頃の戦闘機や機動兵器は何でも汎用性が重視されるからな。申し訳程度に存在する二枚の前進翼は運動性よりも機動性を重視したものだろう。空力を無視したデザイン故に、宇宙戦闘機としての能力を追及していると思われる。私の知る限り、この様な機体は過去から現在に至るも存在してないはずだ』
 画面の下に「音声は変えてあります」ってテロップが出てましたけど、これって意味あるんでしょうか? 幾らか低くなっただけで、殆ど声変わってませんでしたよ。そもそも何故ゴートさんの身分を隠す必要があるんでしょう……あ、隠れてないからどうでも良いって事ですかね。
『――というわけで、ゴートさんの話通り――』
 バラしてるじゃないですか! 何の意味があるんですか!
『――この機体は現在に至るまで確認されている如何なる機体とも違うという事が判ったわね。無論、完全に復元できたわけじゃないから百パーセントという確証は無いけど、まぁ間違いないという事。
 しかし、此処で問題が起きます。
 デスの一部を解析したところ、そのパーツに地球連合内共通のミリネジやビス等が使用されているという事。
 これはこの機体が地球上で製造された事を意味するけれど、それとは別にその用途が不明なパーツも数多く存在してるわけ。いわばブラックボックスなんだけど、そう言った部品を多分に含んでいる事が、この機体の存在を難しくしてるの。
 そうであるなら、これ以上詮索しても無意味なので、この謎の機体については後回し。
 それじゃ次の問題。この機体……デスは一体、何時、何処でバイドに感染したか? という事。
 バイドがウィルスの様な物だと言う事は最初にも述べたけど、無機物と融合する生命体ってのは通常存在しない。逆に有機体に融合する無機物ならば医療用のナノマシンがあるけど――』
 あっ――
 私はここでユリカさんの事を思い出しました。
 ユリカさんは遺跡と融合させる為に、無茶なナノマシンを投与されました。
 もしかしてこのバイド体は、この事に関連があるのでは?
 っと、暫く想いに耽って、イネスさんの説明を聞きそびれました。
 珍しいですね、説明が聞けなくて残念だと思うのって。
『――つまりバイドとは、無機物に取り憑き増殖する生命体という事になります。現時点では残念だけど、そのプロセスは判らないわね。
 それじゃ具体的にいつ頃感染したのか? デスの内部にある地球製のパーツの種類と劣化具合から見て、さして古くない事が判るわ。そうね……現在から三年以内ってところかしら?
 という事は、少なくとも中身のデスが製造されたのは、おおよそその時期って事になるわね。
 それじゃ今度は一体何処の誰が作ったのか? という先程の問題になってくるんだけど、少なくとも私達ネルガルでない事は確か。
 となれば、この地球の何処かで秘密裏に作られた機体か……木連や火星の後継者の残党が作ったという可能性も考えられるわね。
 そこで、違法改造を生業としているS.U氏の話を聞いてもらいます――』
 イネスさんの言葉と共に、新しいウインドウが開き、作業服を着た中年男性らしき顔が表示されます。
 当然モザイク入りです。
『こいつは、機体の内部構造の具合から考えてなんだが、まず木連の技術って感じはしねぇな。クリムゾンからの技術供与を受けて作ったって事にしても、奴等のクセが感じられねぇ。アイツ等バリアやフィールド発生器に拘るんだがなぁ、この機体はそんな余計なもんに手を回した形跡が無い。
 数世紀前に存在していたF−104スターファイターっていう戦闘機が有るんだが……こいつのコンセプトはそれに近い気がする。要は、機体にジェネレーターを取り付けたんじゃなくて、ジェネレーターにカバーをかぶせただけの機体って意味だ。
 つまり機体には一切のゆとりがない。余計な装備は何一つ詰めねぇよ。どんなジェネレータを積んでいたのかは知らねぇけどよ。恐らくは一撃離脱目的で作られたもんじゃねぇか? ああ、ついでに言うならジャンプフィールド発生装置なんかも積んじゃいないだろうよ。
 しっかし意外と面白い機体だったんだな。そうと知ってりゃ、AIコンピュータの世話なんかほったらかして、こっちの解体やってりゃよかったぜ。上手くいけば俺のリリーちゃんXPのパワーアップに……』
 あ、映像が途切れましたね。
 それにしても相変わらず意味のないモザイクと音声変換ですね。
『というわけで、元整備班長の言う通りだとするなら、この機体は木連や火星の後継者の残党が作った物でもないと思われるわね。さっきの話を加えるなら、地球に現存する機体でもない。つまりは正体不明って事。
 そしてこれが重要なんだけど、このバイド体は果たして何処から来たものなのか? という問題ね。
 残念だけど、私達が知っているのは、南シナ海方面から九州へ向けて北上してきたという事だけで、これが一体何処から出現したのかは判ってないの。
 当時の空域及び海域をカバーしていたレーダー記録を軍民問わずに集めたんだけど、それでも一番最初に発見したのが、タネガシマの宇宙観測所で、次いで九州に存在する連合軍のレーダー網で、その差は殆どなし。衛星情報を洗っても、それより以前の記録は無かったわ。
 更に言うならば、ステーションや衛星からの報告で、当時大気圏突入した所属不明機や落下物は無かったから、宇宙から地球上に降下した物ではないと思われるわね。
 となれば、後は海中から現れたか……もしくは出現時に騒がれたようにボソンジャンプで突如現れた……かしら。
 ただ、デスにフィールド発生器が無い事は元整備班長の解析の中でも述べられているから、仮にジャンプだとするならば、CCを使用した一方通行って事になるわね。
 でもそれなら、A級にしろB級にしろジャンパーのパイロットが必要になるけど、あの機体は無人だった。
 チューリップによるジャンプの可能性が残されているけど、地球上に落下したチューリップは全て破壊されたか、廃棄されているはずで、無論今だ発見されていない物が有るという可能性は否定できないけれど、流石にあの海域の海底を全部を調べるのはほぼ不可能だし、何もない海上のボース粒子計測記録なんてのは勿論測定されてないから、証明する事は難しいわね。
 結局、中身のデスは正体不明。バイドの方も出所、性質、用途、行程が不明なわけだから、現時点で私達がこの物体に関して知りうる事実は、バイドに取り憑かれた正体不明機がバイド体となったものであり、その生体部分が驚異の修復力を持っているという事だけ。勿論、そんな物は今まで見たことも聞いたこともない。でも……』
 そこで一旦言葉を句切るイネスさん。
 どうしたんでしょうか? 珍しく歯切れが悪いですね。
 暫くして再び口を開き始めました。
『でもね……私はバイドを、これと似たような物を見た気がするの。勿論確証は無いわよ? そしてそれは約半年前……他でもない、アキト君の身体の中よ』
 その名前を聞いた時、私は時の流れから隔離された様な気持ちになりました。
 いわゆるフリーズという奴です。
『半年前、アキト君はユリカさんに襲われた直後、報復へと飛び出て行ったわよね。それで私もナデシコBで追い掛けたんだけど――』
 あの時ですか? なら私も一緒に居ましたよ。
『――ナデシコBがユーチャリスに追いついた時、アキト君の五感が戻っていた事を知って、私達は驚いた』
 そうでしたね。私も驚きました。
『で、私は彼に呼ばれたのよ。だから一人で会いに行ったわ。ジャンプでね』
 え?――
 なんですかそれ? 衝撃の新事実です。初耳です。聞いてません。
 私ですら、通信ウインドウ越しだったのに。
 イネスさんは直接出会っていただなんて……アキトさん! イネスさんは侮れません! 気を付けてください!
『その時、アキト君の身体を簡単に調査したのよ。そうしたらね、身体中の余計なナノマシンが全部性質変わっちゃってたの。
 何で治ったのかは、私には判らなかったし、彼も知らなかったわ。でも、何時治ったのかは知っていた。
 アキト君から聞いた話だと、其処のラボにあの男、ヤマサキヨシオが居たらしく、彼の研究室から出た後に五感が戻っている事に気が付いたって話。
 だから彼が研究していた何物かが、知らない間に影響したんじゃないかって事ね。
 アキト君の身体は、私の知る限り治しようがない程にボロボロだった。でもホンの僅かな時間で、彼の五感は戻ってしまった……この、驚異の回復力が、私にはこのバイドと関わりが有るような気がするの。
 では、もしそうだとした場合、バイドはヤマサキが作ったのか? という疑問が出てくるけれど、その答はノーね。
 何故ハッキリと言えるかと言えば、 アキト君が私にくれたクリスマスプレゼントがその理由。それがコレよ』
 そう言って三次元CGで表示されたのは、イネスさんが昔の自分から手渡されたというプレートに酷似したもの。
 あ、でもそれって所有してると不味いんじゃないんですか? 法的に色々と……。
『これね、アキト君がヤマサキのラボから持ってきた物らしいの。みんなも知ってると思うけど、私がアイちゃんから渡されたプレート……まだ解析も終わってないけど……あれと同じよ物よね。その内容は未だに判らないけれど、古代火星文明で用いられていた記憶媒体だというのはほぼ間違いないわね。
 だとするなら、これを所持していたヤマサキは、何処かで古代火星文明の遺産を手に入れて、このプレートはその説明書なんじゃないかしら? 
 そしてその遺産がアキト君の五感を治した。もしもそれがバイドであるなら、自然とバイドを作ったのは古代火星文明という事になるわね。
 ついでに言うなら、古代火星文明の遺産である場合、バイドを所持している事は重大な法律違反となるけど……まぁその辺はアカツキ会長に任せるとして……』
 意味ありげに微笑み、イネスさんは再びデスの想像図のCGを表示させました。
 ヤマサキ博士が所持していたというプレートと、正体不明機デスの画像が並び、その二つを間でイネスさんが続きを話し始めました。
『もし仮にバイドが古代火星文明の物だとしても、中身のデスに関しては古代火星文明の物とは思えない。そして完全に地球の物とも言い難い。
 これら矛盾に関してはまだ詳しい事は判らないし、バイドが本当に古代火星文明の遺産なかどうかも判らない。
 全ては今後の調査次第という事になるわね。
 ただ、バイドが無機物に寄生するウィルスであり、自分の身の保全の為に取り憑いた相手……つまり宿主の身体を修復するとしたら? ナデシコBに蜂の巣にされたバイド体が元通りの姿に戻ったのは、その所為じゃないのかしら? もっとも失われたメカを物理的に復活させる事は出来ないみたいだけど……。
 では、もしそんなウィルスがアキト君の体内に入って、そして宿主、アキト君の体内に巣くうナノマシンを浸食し、宿主の為にその性質を変えさせていたら?
 つまり、バイドとはそういうモノなのじゃ無いかしら? ……それが現在における私のバイドに関する考察よ』
  ・
  ・
  ・
 というのが、その時点におけるバイド研究の成果。
 あんな気色悪い物体を構成しているモノが、アキトさんの五感を直すなんて信じられません。
 ユーチャリスとナデシコBの間で通信した際、それを知って「愛の奇跡ですね!」――なんてラピスと盛り上がってましたけど、そういう事だったんですか。
 デスには感謝です――あ、駄洒落。
 今度イズミさんに教えてみましょうか。
 ……それはともかくとして、結局のところ、バイドに関するおぼろげな性質が判っただけで、アレ自体が何処から来て、誰が作ったものなのか? というのは全く判ってません。
 本当、何なんでしょうね?
 持ち出されたと思われるバイド体……そっちでは研究は進んでるんでしょうか?
 ちょっと気になりますね。
 いずれ犯人を突き止めたらハッキングして、研究データを全部引っこ抜いてみましょう。



『――ルリ?』
 ガーディアンの呼び掛けに、私は自分の意識が、少し別の事へ向いていた事に気付きます。
 此処は電脳空間であり、IFSを通じて私の思考はダイレクトにガーディアンへ伝わってしまうんでしたね。
「ごめんなさいガーディアン。ちょっと別の事を考えてしまいました」
『その様ですね。ところでバイドとは一体何でしょうか?』
「それは私の問題であって、今のあなたが気にする必要は有りませんよ。それよりも地球の風景は見て頂けましたか?」
『はい。地球には色んな景色がある。綺麗です』
「そうですね。あなたは何処が気に入りましたか?」
『何処も素晴らしいです。何処も地球の一部である以上、あらゆる場所が私にとって大切な場所』
「そう。良い子ですね――あ、これがあなたの住む場所ですよ」
 私は数枚の風景写真をガーディアンに示します。
 突き抜けるような青空と、透き通る様な青い海。
 ナデシコに乗っていた頃、初めて私が訪れたテニシアン島の海に似てます。
『綺麗な場所……此処が私の住む場所なんですね?』
 ガーディアンが見入っていると思われる写真に写っているのは、南太平洋上に建設中の人工島。
「そうですよ。島の名前は「バベル」。メソポタミアの古代都市と同じ名前。そして栄華の象徴」
『栄華……人々の……地球の……』
 ガーディアンの反芻する言葉を聞きながら、私はかつてテニシアン島での騒動を思い出しては少し笑ってました。
 その後ガーディアンに、何故微笑んでいたのかと散々追及されました。

 好奇心旺盛ですね。




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