機動戦艦ナデシコ 〜パーフェクトシステム〜 #04






 夕暮れの中を、私達は進む。
 アキトさんは屋台を必至に牽き、ユリカさんは、非力ながらもその屋台を懸命に押して、アキトさんの負担を軽くする様頑張っている。
 そして私はお世辞にも上手とは言えないチャルメラを、何とかイメージ通りに鳴るように悪戦苦闘中しながら、屋台の速度に合わせて歩く。
 沈んでゆく夕陽。
 茜色に染まった街並み。
 家路につく人々の姿。
 鳴き声を上げて飛び行くカラス達。
 見慣れた風景の中を私達はゆっくりと進む。
 ここが私が辿り着いた安息の地。
 私が守りたかった安息の日々。
 音のずれたチャルメラの音色に、屋台を牽くアキトさんが振り返り、優しい声で――
「上手くなったねルリちゃん」
 そう言ってくれると、胸の奥が暖かくなる。
 くすぐったい気持ちに頬を染めて横を向くと、屋台を押しているユリカさんが微笑んでいる。
 私にはその笑顔に、アキトさんの言葉と同じ意味が含まれている事が理解出来た。
 例え声に出さなくとも、通じる想いがある事が嬉しかった。
 そして、こんな毎日が嬉しくて仕方がなかった。
 だから私はもっと上手くなる。
 もっと誉められるように。
 想い出の中に漠然と残る、作られた両親の機械的なものとは異なる、本当の誉め言葉。
 私が私でいられる時間。
 いつまでもこうして三人でゆっくりと進みたい。
 でも何でだろうか?
 言いようのない焦燥感に私は苛まれる。
 こんなにも楽しく、そして心が温まる時間なのに、私が此処にいてはいけない様な気がして止まない。
「ごめんねルリちゃん……」
 屋台を押していたユリカさんが立ち止まり、私に向けてそう呟いた。
 その表情はとても儚げで――
「アキトを……お願いね」
 そう、そっと漏らした途端、ユリカさんの姿が消え。
「ユリカさんっ!?」
 私が叫び声を上げてアキトさんに向き直った時、アキトさんの姿が黒衣に包まれ、そのまま光を纏って消えてしまった。
 いつの間にか屋台も、そして茜色に染められた街並みも消え失せ、私の視界は真っ白な光に包まれた。



 再び目が覚めると、私の顔を覗き込んでいる三郎太さんとハーリー君の姿が見えました。
 途端、心配そうな二人の表情が和らいでゆきます。
 ふと視線を横に向けると、ブラインドの隙間から差し込む茜色の日差しが、開いたばかりの目に眩しく差し込みます。
 思わず手に目をやり、有るはずの無いチャルメラを確認してしまいました。
 そっか、もうチャルメラはもう吹かなくて良いんでしたね。
 夕陽を見つめて数度瞬きをしてから、私は先程垣間見た光景が夢である事を認識すると、目の前に広がる現実を思いだして、急に肌寒さを感じ始めました。
「よかった艦長〜意識が戻ったんですね」
 しかし、ハーリー君の頼り気の無い声は、私に自分の職務を思い出させるには十分でした。
 私は感情を抑え込み、自分でも嫌になるほど機械的に判断を下します。
「三郎太さん……状況説明お願いできますか?」
 小さく溜息を付いてからベッドから身を起こし、そのまま窓の外へ視線を向けたまま尋ねました。
 そんな私に何かを感じたのか、三郎太さんは一瞬神妙な表情を浮かべてから、状況を語り始めました。
「はい。艦長が意識を失っている間にテンカワ・アキトが来訪――」
 アキトさんの名を聞いた時、多分私は無意識に肩を動かしました。
 もう、機械にはなりきれないんですかね。
「――そして、ミスマル・ユリカさんの意識が戻り、二人の手が触れ合った直後、ユリカさんが突如立ち上がり、テンカワ・アキトの胸に飛び込みました」
 それは私が待ち望んだ光景だったはず。
「最初はその……感動の対面と思ったんですよ。あの場に居たみんな。しかし、テンカワが苦痛に顔を歪めたと思ったら、彼が連れてきていた少女が叫び声を上げて、同時に床に血が滴り初めて……それで初めて気が付いたんです。ユリカさんの手にはベッド横のサイドテーブルの上にあった果物ナイフが握られていた事に」
 見間違いじゃ無かったんですね。
 信じ難い顛末を突きつけられ、私はまるで言葉を失った様に、ただ呆然と三郎太さんの報告を聞きます。
「その後ユリカさんは、呆然としているテンカワの顔や腕に斬りかかって、その直後にゴートの旦那に押さえ付けられたんです。艦長が病室に入って来たのは丁度この時です……」
「……アキトさん」
 三郎太さんの報告を聞いて、私はそっと洩らしました。
「は?」
「アキトさんはどうしたんですか?」
「ボソンジャンプで何処かに行っちまいました……」
 三郎太さんが言いにくそうに口を開くと、扉が開いて何者かが部屋へ入ってきました。
「アキト君ならユーチャリスへ向かったわよ」
「イネスさん」
 私は小さな声で入ってき人物の名を口にしました。
 流石に幾らか疲れた様な表情をしてますね。
 イネスさんは、私の傍らに立つと、視線をきつくして私の目を真っ直ぐに見つめます。
 私も目を離さずにしっかりと受け止めると、彼女は話し始めました。
「元気……なわけ無いわよね。でも聞きなさい。アキト君は艦長の容態が悪化した事を受けて、一目会おうと戻ってきてくれた。それは家族であるホシノ・ルリ……貴方の元へ戻ったという意味も併せ持つわ。
 あの格好見たでしょ? アキト君があの黒衣以外の衣装を纏ったのは、この二年間では初めてだったの。復讐よりも大切な事を思い出してくれたんだと思う。あの場に居たみんながその意味を把握して、心から喜ばしい事だと思った。……でも今回はそれが逆に仇になったわね。
 あのマントやスーツは、防弾耐刃構造になってる特殊繊維。あんな小さなナイフじゃ傷だって付かなかったわ。そして相手が艦長だった……という事で無警戒となっていた事も加わり、アキト君が傷つく事になった」
「……」
「彼はジャンプ禁止法案なんてもの意に介さないから、非常用に持ってきていたCCを使ってジャンプしたわ。行き先はネルガルの実験戦艦ユーチャリス……あなたも見た事わるわよね? さっき月ドックから連絡が入って、彼ね……補給もそこそこに飛び出して行ったそうよ。怒りに歪んだ顔を光らせてね。それに知ってるかしら? アキト君が連れていた少女……ラピスって言うんだけど、あの子との精神リンクがあって初めて彼は最低限の生活が出来るわけ。それでも彼は彼女を置いていった。……理由は判るわよね? アキト君は前よりも冷酷に、そして残忍になるわよ。もしかしたらこれを機に、一気に復讐を終わらせるつもりかも……。敵を探し出しては皆殺しにする。そしてそれを行うのは一人で良いと思ってる。最悪、そのまま死んでもいい……って思っているかもしれないわね」
「そ、そんな……」
 せっかく再会できたというのに、顔も見て貰えず、声も掛けて貰えずにお別れなんですか?
 ユリカさんを失って……それに更にアキトさんまでもが、私から離れてしまうんですか?
 私は二人の力になれないんですか?
 受け入れがたい現状に私は俯いて口を噤みました。
 シーツを掴んでいた手に力が入り、自分の無力さを呪い始めると、三年前に感じたあの喪失感が、再び私を襲います。
 全てを忘れて、芽生えた感情も、楽しかった思いでも、何もかも心の奥底に封じ込めて、以前の機械に戻る。
 そうすれば悲しまなくて済む。
 機械は悲しみも知らないし、悲しむ事もないから。
 でも――
『ルリちゃん、アキトを助けてあげて』
 ユリカさんの最後の願い、私に向けられた最後の言葉。
 その言葉が私の頭の中で幾度と無くリピートされます。
「ユリカさん……」
 私は必至に彼女の名を口にしました。
 忘れたくない。
 封じ込みたくなんかない。
 もう二度と、機械になんか戻りたくない。
「ユリカさん……アキトさん……」
 私は二人の名前を呪文の様に呟きます。
 やがてイネスさんが、そんな私に話しかけてきました。
「でもね、ユーチャリスの行き先は判ってるわ。つい先日判明した火星の後継者残党のアジト。間違いなくそこに行ってるでしょうね」
 そんな言葉に、私の意識は覚醒して行きます。
 ユリカさん――私は。
「……そこでホシノ・ルリ、貴女に質問」
 イネスさんの問い掛けに、私は面を上げて彼女の目を正目から見据えました。
「貴女はこれからどうするの?」
 予想通りの質問。
 だから私は――
「追い掛けます」
 思った事を素直に答えました。
 だって、私は……ホシノ・ルリは――
「追い掛けてどうするの?」
「愚問ですね。アキトさんを助けます。今のアキトさんは多分とっても危険。色んな意味で危険。ユリカさんが理由もなくアキトさんを刺すはずがありません! きっと訳が有るんです。アキトさんだって多分……そう思ってるはずです。
 やっとこっちに戻ってきてくれる事を決意してくれたのに、こんな終わり方許されるはずが有りません! 私はユリカさんと約束したんです。
 だから……だからアキトさんを守りたい。側に居たい。私にユリカさんの代わりが務まるとは思えません。でもアキトさんの心を少しでも癒してあげたい……そう思ってます。
 だって……私は、私達は家族だから……私の大切な人だから」
 そう――
 私は二人に、そしてみんなに感情を貰った人間だから。
「ふふっ……いい心がけね。ほら、涙を拭きなさい」
 私泣いてたんですね。
 イネスさんがそう言ってハンカチを私の目尻に宛ってくれました。
「今回の一件は貴女の言う通り、艦長の精神に何らかのトラップが仕掛けられていたと考えられるわ。それが何なのかは判らないけど、それが火星の後継者による人体実験が原因である事には違いはない。あの場にいたみんなもそう思ってるわ」
 もしもその仮説が正しいのなら、アキトさんはそれこそ最後の一人までも狩り立てて殺してゆくのでしょう。
 奴等はそれ程の事をしてしまった。
 駄目――私は必至に、自分の中にも芽生えてゆく黒い殺意を抑え付けます。
 ユリカさんの願い通り、アキトさんを表の世界に戻すには、私自身も暗黒面に捕らわれてはいけないんです。
 流れる涙を拭って、大きく深呼吸します。
「もう艦長の身体は長くなかったとは言え、自分がアキト君を刺したというショックが彼女の死を早めた事は紛れもない事実。これは決して許される事じゃない。でも、それでアキト君が再び復讐鬼となって闇の鎧を纏って良いわけじゃない」
 イネスさんも同じ事を考えてたみたいですね。
「あの人は……闇の中じゃなくて、陽の当たる場所で微笑んでるべきなのよ」
 最後にそう言ってイネスさんは力無く微笑みました。
 イネスさんにとって、アキトさんは初恋のお兄ちゃん。
 私と同じ感情を抱くのは当然と言えば当然。
 だから私が取る行動も、お見通しなんだと思う。
 ユリカさん……二度目のお葬式、私立ち会えないと思います。
 そんな不出来な家族で申し訳ありませんが、私は行きます。
 私は黙って頷いて、ベッドから立ち上がり、傍らに居た三郎太さんとハーリー君に向かいました。
「さあ私達も行きますよ」
「了解ですっ!」
「はいっ!」
 二人の返答を聞き、私は自分の進むべき道へ立ち上がりました。

 ユリカさんの願いを叶える為――

 そしてアキトさんを救う為――

 今は涙を抑えて、闘いの渦中へ飛び込みましょう。

 それが私に託された、ユリカさんの想い。

「行ってきます、ユリカさん」

 私はそっと呟いた。





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