祐一が学食でみさきの食欲に圧倒されつつ食事を終えて教室へ戻ると、丁度五時限目が始まる直前だった。
隣の席で眠そうな表情を浮かべている名雪に、昼休みの言伝の礼を述べて座席に着くと、いまだに自分の後ろの席にその主――北川の姿が無い事に気が付いた。
だが「どうせ香里の支援活動でもしているのだろう」と考えると、彼の事は頭の隅へと追いやった。
程なくして教師が現れ、午後の授業は始まった。
美坂栞は自分の教室で時計を見ながらひたすら自らの身体のモニタリングに務めていた。
昼前と違って妙に余所余所しい栞に、彼女の級友達は一様に首を傾げたが、栞本人にとっては自分が当たりを引いているかどうか、気が気でない状態だった。
自分で調合した薬物であるから、その効力には微塵も疑いを抱いていない。
迫る発動時刻に心臓をバクつかせつつ、自らの身体に変調が無いかをじっと確かめる。
いざとなれば闘病少女の必携『私気分が悪いんです』の呪文を唱えるのみ――そう思ってじっと胸に手を置き、時計を見つめていた。
結論から言えば、栞の弁当は全くの不発だった。
なぜならば、下剤入りを引き当てた七瀬は根性で授業を乗り切り、睡眠薬入りを食した名雪はいつもと大差無かった――寝息が多少いつもよりも大きかった程度で、気に留める者は皆無だった――し、もっとも危険なハイになれるというヤバイ当たりは詩子が食しており、その結果いつもより”多少”ハイテンションになって南をからかっていただけだった。
おまけに授業は担任の石橋で、詩子が騒ぐ程度の事では全く動じない。
下剤の直撃を受けた七瀬だけは、授業中根性を総動員して必至に苦しみに耐えていたが、それもその表情を見た一部の七瀬支持者を喜ばせるだけだった。
舞は当たりを掴んだものの、何かを感じたらしく口にする事は遂にしなかったし、瑞佳と佐祐理、そして茜は持ち前の運の良さからか、危険牌を掴まなかった。
後は、広瀬が七瀬と同じ爆弾を食したが、体裁を気にしない彼女は不調を感じるや否や「お手洗いに行きます」と告げて、さっさと教室を出て行ってしまった。
彼女は七瀬から強奪した唐揚げを食べただけだが、それがたまたま当たり牌だった事を考えると、その運の無さは相当のものだろう。
仮に広瀬が七瀬のおかずを奪わなければ、七瀬が二重の下剤攻撃に晒され屈していたかもしれない。
そう考えると、広瀬は七瀬の恩人と言えるだろう。もっとも両人にその自覚は無いが――。
尚、七瀬は腹を抱えて教室を出て行く広瀬の姿を見て、内心で自己の勝利を感じて喜んでいたが、それは心の奥底で感じてた羨ましさを否定する為という要素が強かったかもしれない。
危険牌は掴まなかったものの、数々の心労から香里は胃を痛めてしまい食あたりを起こした事で、五限目の途中から保健室に赴き郁未の世話になっている。
保健室へ向かう道中、必至に気遣う瑞佳の態度が香里の心に重たくのし掛かった。
結局、栞の弁当がもたらした戦果は戦術的にはゼロであり、戦略的に見れば自らと姉の戦力(体力・精神力)をすり減らしただけの散々たる結果だった。
しかしより広い目で見ると、栞の弁当が例え目的通りの効力を発揮していたとしても、彼女の思惑通りの結果にはならなかっただろう。
なぜならば、午後はまともに授業にはならなかったのだ。
何しろ昼休みで燃料の補給を終えた各支援団体が、授業そっちのけでその支援活動を開始し、その姿を見た別の支援団体も負けじと活動を開始したので、学校側としてはたまったものではない。
過激な団体になると、授業中の教室に雪崩れ込んで来て教師の身柄を拘束し、教壇に立って演説を始める者達も居たし、中には今朝の舞や佐祐理の影響だろうか? 女生徒自らがアピールに来るという、かな〜りイタい者まで居る始末だ。
おまけに美汐信者育成室と化した移動教室の状況を見た他の支援団体が、廊下や階段、果ては便所や昇降口への無差別掲示活動へと乗り出し、校内の状況は秋葉原の同人ソフト売り場の様な混沌に満ちた有様へとなっていった。
全ての授業が終了し放課後となると、普段よりも多い下校する生徒達で校門付近は賑わっていた。
この度のお祭り騒ぎで、週末まで活動を休止とした部活が多い事がその理由である。
中には部が一体となって支援活動を行っている組織も存在し、放課後にもなるとその宣伝・支援活動も本格的に始動していた。
朝の段階で街頭演説の様な活動をしていたのは、舞と佐祐理ペアだけだったが、彼女達の行動が他の組織や立候補者の闘争心を触発し、放課後はまるで春の新入生獲得に命を懸ける部活の勧誘合戦の様な有様となっている。
「何だか……凄いね」
瑞佳が目の前の状況に言葉を失い苦笑する。
「さっさと終わって欲しいわ。全く」
その横で、さも疲れた表情で呟く七瀬がふと校舎を振り向くと、『予選投票は明日正午より』と書かれた大きな横断幕が吊り下がっていた。
「選挙みたいだよ〜」
「みたいじゃなくて、選挙そのものよ」
思わず名雪が洩らした言葉に、名雪を挟んで反対側を歩く香里が反応した。
「そうだね」
「そうよね」
「そうだったね」
香里の言葉に、三人が苦笑しつつ周囲に目を向けると、彼女達を少し遠くから見ては何やら話し込む生徒達をちらほら見ることが出来た。
彼女達はこの度のコンテストでは本選への選出が考えられている、いわば本命の一部であり、他生徒の関心を引いているのだった。
普段より、彼女達は人目をひいていたが、今のそれは過去とは比較にならないほどの量だ。
「何だか恥ずかしいね……」
「全くよね」
名雪が顔を少し赤らめて言うと、七瀬は呆れたように応じ、香里は小さく溜め息を付き、そして瑞佳は苦笑を浮かべた。
改めて四人の周囲に目を向けてみる――
自らが推す女生徒の素晴らしさを必至で訴える男子生徒。
お揃いのハッピと鉢巻きを装備し、イタ過ぎる自作の応援歌を熱唱する集団。
自らがお立ち台に上がり愛想を振りまく女生徒。
更にはネタを求めて入り込んだ無許可のカメラマンやライターと思われる部外者が、教職員らの手によって拘束され強制送還させられている場面すら見ることが出来た。
確かに周囲の状況は常軌を逸している。
そんな中を四人は並んで校門へ向けてゆっくりと歩いていた。
「あ、澪ちゃんだ。澪ちゃーん」
名雪が顔見知りの小さな身体を見つけて声をかけると、澪は顔を向けてにっこり微笑むと、名雪達の元へと足早に歩いて来た。
しかし見ると、彼女はその後ろには見た事のない女性を伴っていた。
香里に似たウェーブのかかった髪の毛と、少しきつめの目つきが美しさを引き立てている女性で、ベージュのコートからはすらりとした脚を覗かせている。
『香里先輩こんにちわ』
澪はまず部活の先輩である香里に挨拶してから、別のページをめくり――
『みんなこんにちはなの』
と挨拶した。
香里達もそれぞれ澪に挨拶を返すと、澪の背後に立っていた女性が、四人を見て感心した様子で口を開いた。
「あら〜、本当にこの学校って可愛い子が多いのね〜。こりゃ色んな意味で楽しみねぇ」
見た目とは裏腹にフレンドリーな口調だった。
何処か含みのある笑みを浮かべていた女性の言葉に、どう反応して良いのか判らず黙っていた四人。
そんな彼女達を見て、女性は表情を直ぐに改めて再び口を開いた。
「あ、ごめんなさいね。この学校に天沢郁未って人居るでしょ? 私その人に用事が有って来たのよ。そこでこの子に……」
そこまで説明すると、晴香は前に佇む澪の肩を優しく掴む。
『案内するの』
澪は笑顔で、どこか誇らしげにページを翳してみせた。
「そっか澪ちゃん偉いね」
瑞佳が笑顔で答えながら頭を撫でると、彼女は目を細くして嬉しそうにしている。
「あ、澪ちゃんそれじゃお願い出来る?」
『バイバイなの』
女性の言葉に澪は皆に別れを告げ、香里に今一度深くお辞儀してから、彼女を伴い校舎へと姿を消した。
「郁未先生の知り合いかな?」
名雪は校舎へ消えて行く二人の背中を見ながら呟く。
「香里にちょっと似て……綺麗な人だったね」
瑞佳の言葉に名雪と七瀬は頷くが、香里はといえば未だに調子が回復出来ていないのか、反応が非常に遅く、皆の心配そうな視線に気づくと慌てて「そ、そうかしら?」と答えただけだった。
「香里大丈夫?」
どうにも調子が悪そうな香里に、隣を歩く名雪が心配そうな表情で香里の顔を覗き込む。
「大丈夫よ……ふぅ」
度重なる心労に、今の香里には気丈を装う演技すら難しいのだろう。普段は見せぬ弱々しい態度に、名雪達は互いに顔を見あって表情を曇らせる。
「でもさ、疲れてるって言うより、悩みでも有るんじゃないの? 今日の香里は朝から変だったわよ」
七瀬の言葉に香里は一瞬身を竦めて、答える変わりに深く溜め息を付いた。
「……重傷ね」
「何だか全然大丈夫そうじゃないよぅ」
「わたし保健室行って何か薬貰ってこようか?」
三人の声に、香里は今一度明らかに作り笑顔と判る表情を向け歩き出した。
彼女にとって部活が休みになったのは都合が良かっただろう。
完璧を求める香里にとって、今の精神状態はとても彼女が望む練習が行える状態ではない。
そんなささやかな安堵と度重なる精神疲労が、今の彼女から警戒心を奪っていた。
突如吹いた風が昇降口から校門へ通ずる一帯を通り抜けたのは、その時だった。
神の悪戯か、悪魔の所行か、その風は道行く女性達の短いスカートをまくり上げる効力を持っており、周囲の女生徒達は一斉に可愛い悲鳴を上げた。
だが、殆どの女生徒達は素早く反応し、手や鞄を当てて防御姿勢を取れたが、警戒心を無くし無防備状態だった香里は、普段では考えられない程易々とその中身を衆目の下へと晒してしまった。
「……え?」
香里は何が起きているのか判らなかった。
まず最初に突風を感じ、それから足下がスースーする感覚に気が付き、そして周囲に居合わせた男子生徒達の目が全て同じ場所へ向けられている事に気が付き、それからやっと自分の身に起きている非常事態に気が付いた。
「きゃぁぁぁっ!」
北川がその場に居たら果たして何が起きていただろうか?
香里は普段の彼女からは考えられぬ様なか弱い悲鳴を上げ、スカートの裾を必至に抑えると、真っ赤にした顔を鞄で隠してその場に蹲った。
彼女のスカートが捲れ上がり、その中身を晒していた時間は約三秒。
ごく僅かな時間ではあるが、事が事だけに被害者にとっては人生最大の羞恥心を引き起こす時間として、被疑者にとっては視覚情報を目に焼き付ける時間として十分過ぎる長さが有ったと言えるだろう。
だがそれでも香里が普段通りであれば、この出来事も単なる事故として処理され、被害者と被疑者双方にとって単なるパンチラという以外特別な意味を持たず、時間の経過と共に記憶から消えてゆく事だっただろう。
だが、この時の香里は特別だった。
だからこそその約三秒間という永遠にも等しい時の間、男子生徒の目を釘付けにしただけでなく、名雪や瑞佳、そして七瀬ですら声を失い反応を鈍らせる原因となっていた。
もう少し噛み砕いて説明するならば、香里が晒した下着が特別だったのだ。
更に具体的に特別な下着を説明すると、それは両脇がヒモで結ばれ布地の占める面積が極端に少なく、おまけに下着としての機能を疑うほどに薄手な素材で作られており、幾ら大人っぽい雰囲気を持つ香里と言えども現役の女子高校生が着用する物としては、余りにも刺激的なシロモノだった。
それこそ栞が姉に着用を義務づけた下着であり、彼女が今日一日落ち着けなかった原因である。
「か、香里。大丈夫? 大丈夫だから。全然平気だよっ」
自分でも間抜けなフォローだと思いつつ、名雪が香里の肩を抱きしめる。
「そ、そうよ。あたし何も見てないわよ。ええ何も!」
七瀬も続く。
「えっと、その……綺麗だったよ。あはは……」
流石の瑞佳も言葉を詰まらせている。
三者三様の慰めの言葉(?)もらった香里は、恐る恐る顔を上げる。
その目尻には涙が浮かんでおり、ひたすら「違うの、違うの」と弱々しい声で何かを訴えていた。
一体何が違うのか七瀬達には判らなかったが、同性として彼女が恥ずかしがる気持ちだけは痛い程理解出来た。
やがて香里は涙を浮かべたまま走り出すと、そのまま軌道上の生徒達を蹴散らしながら一気に学校の外へ出て行った。
「あ、香里〜、待ってよ香里〜っ!」
親友の名を大声で呼び追い掛ける名雪だが、その行為が香里の名を余計に周囲に知らしめる結果になっている事には気が付いていなかった。
残った瑞佳と七瀬が慌てて二人を追い掛け走り出すと、その場に居合わせた男子生徒達は興奮気味に、今し方起きた嬉しい事故について大いに語り合った。
そして『香里=すごい下着の所持者』という公式が確固たる物となり、彼女の見せた恥じらいも併せて、香里の支持者を増やすきっかけとなった。
この場所で他の女生徒に支援活動を行っていた一部の男子生徒の中にでさえ、香里支持へと鞍替えした者も少なくなかった。
ここまでの事を考慮していたのか疑問は残るが、下着作戦に限って言えば栞の作戦は成功を収めた事になる。
尚、これは余談だが、この地に居合わせた男子生徒達の中で、先程の出来事は『ゴッド・ウインド・インパクト 〜神風の衝撃〜』と呼ばれる様になり、一部の生徒に下着嗜好という倒錯を植え付けるきっかけともなった。
|
§ |
”コンコン――”
「はい、どうぞ」
ノックの音に郁未が返事をすると、扉が開き馴染みの女生徒がひょこりと顔を出す。
「あら上月さんどうしたの? また無理でも……」
郁未の言葉が終わらぬ内に扉が勢いよく開かれ、澪の身体を押し退ける様にしてその女性は保健室へと突貫し――
「郁未〜〜〜っ!」
歓喜に満ちた声でその名を呼びながら、郁未の身体を抱きしめた。
「え? は、晴香っ?!」
突然の事で、状況を掴めなかった郁未だったが、直ぐにその懐かしい顔と声に親友――かつての戦友を思い出し、その名を口にした。
途端、二人の瞳から涙が止めどなく流れ始めた。
巳間晴香――彼女があの暗いFARGOの施設の中、幾度も狂いそうになったあの暗闇の中から仲間と共に生還出来たのは、郁未の命がけの助けが有ったからに他ならない。
その郁未にしても、正気を保ち無事に脱出出来たのは、晴香達が居たからこそである。
つまり双方にとって互いが命の恩人と言えるのだ。
そんな彼女達だが、郁未が単身で最後の闘いに挑んだ結果、FARGO壊滅の後は互いに連絡が取れなくなっていた。
そして今、数年ぶりに彼女達は再会した。
あの暗闇の中から、光の差す外の世界で。
「郁未……っ、心配したんだから……馬鹿。一人で残って……本当に心配したんだから……」
晴香は落ちる涙も気にせず、郁未の身体を力一杯抱きしめると、愛おしそうにその顔を郁未の顔に頬ずりさせる。
「晴香……ごめんね。大丈夫だから、私は元気だから……」
懐かしき親友の抱擁に身を任せ、郁未も涙を流しながら彼女の身体を強く抱きしめ返した。
澪はそんな二人に、他人には伺い知れない絆を感じとり、優しく微笑むとそっと保健室の扉を閉めて後にした。
数分の間抱き合い再会の涙を流した後、澪の姿が消えている事に晴香は申し訳なさそうな表情を浮かべたが、郁未は澪の心遣いを感じ取っていた。
「久しぶり。元気……みたいね」
保健室のパイプ椅子に腰を掛け、郁未の煎れたコーヒーを口に運びながら晴香が改めて尋ねる。
「ええ元気よ。この通りね」
郁未が両腕を軽く動かし白衣を翻す。
「ふふっ。郁未がまさか学校の保険医とはねぇ〜。……まさか、生徒を摘み食いしてるんじゃないでしょうね?」
晴香がキッと睨みを利かせると、郁未は口に含みかけていたコーヒーを少し吹き出した。
「そ、そんな事するはずないでしょっ!」
「どーだか。郁未ってすんごいスケベーだし……こんな若い子に囲まれてる環境だと何時暴走するか判ったもんじゃないわ。私の時だって半ば無理矢理……」
「わーっ! わーっ! 止めてよ晴香っ、もう忘れてーっ!」
郁未は顔を真っ赤にして晴香の言葉を大声で遮る。
その仕草や口調は生徒達の知らぬ郁未であり、もしも仮にこの場をパパラッチした生徒が居れば、その者は英雄として学校史の名を残す事が出来ただろう。
晴香は郁未をからかえた事で満足だったのか、その話題はもう止めると、口元を歪めて「んっふっふっふ〜」と如何にも含みを感じさせる笑みを浮かべた。
「な、何よ?」
「私が何故此処に来たか判る?」
訝しむ郁未に、晴香は意地悪そうな表情で質問を投げかけた。
「え? それは……私に会いにきてくれたんじゃ?」
「うーん。結果的にはそうだけど、きっかけは違うのよ。はいこれ」
そう答えて晴香はバッグの中から名刺を取りだし、郁未に手渡した。
「えーと……『株式会社戦術出版 週間葉鍵専属ライター 巳間晴香』って、貴女マスコミ関係者?」
「そうなのよ〜ん。この間のテレビ見て、郁未が出てるじゃない? もう驚いちゃってデスクに頼んで無理矢理取材に来させてもらったのよ」
「あ……あれ見たんだ」
昨日のテレビ番組を思い出し、郁未は苦笑いを浮かべる。
「あれ? じゃあひょっとして今も取材で?」
「まぁそーゆー事かな? と言うわけだから、郁未よろしく!」
「よろしくって?」
「も〜う、つれない事言わないでよ。今話題沸騰の美人コンテストの直中で親友が美味しいポジションに居るんだから、私は他の同業者には不可能な超密着取材が可能なわけでしょ? これは使わない手は無いわよね。だから〜色々と協力してよね。
それからその為にもしばらくの間は郁未の家に厄介になるから……あ、今日何時に仕事終わり?」
そう一方的に言ってコーヒーカップを再び口に付けようとするが、彼女のカップは空中でピタリと静止し動かなくなった。
「あ……ちょっと郁未!」
声を荒げてコーヒーカップを動かそうとするが、カップはまるで根を張った様にびくともしない。
そして晴香が郁未の顔を見ると――
「!」
彼女の目は黄金色に輝いていた。
そしてその状態が如何に危険な状態か、晴香は嫌と言うほど良く知っている。
「あれ〜? ひょっとして郁未怒ってる?」
「あのね〜巳間さん? 校内での取材解禁は明日からって伺ってないですか?」
おどけて答える晴香に対し、郁未は住井からの説明を思い出して事務的な口調で問い質す。
「そりゃ……知ってるけど。でも私と郁未の仲じゃない」
「生憎と、違反者には断固とした態度で対処する様にと、この度のイベントの責任者にも言われてるのよ……っと!」
最後に郁未が少し気合いを込めると、晴香の身体が一瞬痙攣を起こした様な動きを見せ――
「きゃぁっ!」
と悲鳴を上げて晴香はその場で倒れてしまった。
郁未は空中で止まったままのカップを取ると、それを机の上へと丁寧に戻した。
「……い〜く〜み〜。数年ぶりに再会した親友に対して随分酷い仕打ちじゃない?」
恨みがましい表情と口調で晴香が起きあがるが、その言葉に反して身体は全くの無事だ。
その程度こそ異なれど、晴香もまた不可視の力を使うことは出来る。
――もっとも下手に強く使えば暴走するので役には立たないのだが。
「ただでさえ今回の騒ぎには手を焼いてるのに、何でそれを煽る貴女を家に招かなきゃならないのよ! どうせ出張費出てるんでしょ? 適当な所に泊まりなさい」
さも迷惑そうな表情で冷たくあしらうと、晴香は目に涙を浮かべて郁未に懇願した。
「お願い郁未っ! 私貴女と久しぶり会えて嬉しいのよ。もっと一杯話したい事あるの。だからお願い……暫く泊めて」
「うっ……」
「ねぇ郁未」
躊躇気味の郁未に垂れかかる様に晴香が身を寄せ、そして両手で彼女の頬を優しく包み込む。
「晴香……その……」
涙で潤んだ目を向けられ、郁未は言いよどむ。
郁未はかつて身体を重ねた時の事を思い出し、顔を紅潮させるとたまらず目を背けた。
「お ね が い」
晴香は顔を強引に向けさせ顔を極限まで近付かせると、ゆっくりと口を開いた。
「……あぁ〜も〜ぅ。判ったわよっ。泊めてあげるからもう離してっ」
郁未は折れた。
生徒では決して見られないであろう、狼狽えた表情と仕草に、晴香は満足気味に微笑んだ。
郁未が本気で嫌がれば、強力な――それこそ晴香とは桁違いな――不可視の力を行使すれば良いだけであり、それを行わないという事は、本気で嫌がっている訳では無いという事に他ならない。
その事をよく知っている晴香は、不意打ち気味に顔を寄せてその唇に自分の唇をそっと重ねた。
「は、晴香っ!」
「うふふ〜ご馳走様〜。それじゃ取材ではなく、単なる郁未の親友として校内を見学させてもらうわ。あ、今晩の夕食は私が奢るわ、出張費が浮いたしね。それじゃまた後で〜」
反撃が行われるよりも早く、晴香はウインクを残して保健室から逃げるように出て行った。
晴香が出て行った扉を見つめて、郁未は深く溜息を付き、そして心から嬉しそうな表情を見せた。
懐かしき親友との再会に、郁未は自分の腹部を無意識に撫でる。
それは、その中に今も存在する少年の分身に、今の嬉しさを伝えているかの様だった。
「そう言えば由衣はどうしてるのかしらね?」
郁未は指で唇を触れながら窓の外へと視線を移して呟いた。
|
§ |
――ところ変わって文芸部の部室。
数名の男子生徒達が、暑苦しいほどに顔を付き合わせながら何かを話し合っている。
「さて、この度の作戦は同志諸君の奮闘の甲斐有って概ね満足の出来る結果を残す事が出来た。そして我々の次なる行動だが……」
天野美汐支援団体のリーダーである葉月が口を開くと、それに続く次の言葉を待って他の者達が唾を飲み込んだ。
「……ずばり、ポスティングだっ!」
『ポスティング?』
葉月の言葉に他の男達が一斉に首を傾げる。
そんな反応に葉月は呆れた表情を浮かべてから、説明を始める。
「知らないか? ほら、分譲マンションや建て売り住宅のお知らせや、宅配ピザのチラシとか、引っ越し業者のお知らせとか、新聞の折込広告でも無いチラシとかがポストに入っている事あるだろ?
あれは雇われた人間が無差別にポストへ投函しているわけだが……これこそがポスティングだ。
今朝発表になった変更点を考えるに、投票権の拡大は非常に大きなポイントだと思われる。つまり学校内の生徒だけでなく、校外に対してもアピールが必要になったわけだ。
既にポスターは街中に大量にばらまいてあるが、よりダイレクトに我等が女神の素晴らしさを伝えるには、もっと別の方法が必要だと思われる。
だが、如何せん我々には資金が無い。そこでこのポスティングの出番と相成るわけだ。
これは実に安価で確実なPR手段であり、資金難の我々としては実に有効なものと言えよう」
『お〜』
葉月の説明に男達は一斉に感嘆の声を上げる。
そんな様子に満足げに口元を歪めると、葉月はチラシの束を机の上に置いた。
大きな音を立てて置かれたチラシの山。
今朝方移動教室へと展開した物とは異なり、新たに作り直されたものだ。
葉月という男の几帳面さが伺い知れる。
「というわけで……これが再び校内のコピー機を無断拝借して作り上げたチラシだ。これを各員一人当たり五〇〇世帯に対して投函すべし!」
葉月は目を血走らせて叫んだ。
『え〜っ!』
部員達は一斉に不満の声を上げるが、葉月の「黙らっしゃい!!」という一言で口をつぐんだ。
「ではかかれぃ!」
葉月の号令のもと、哀れな部員達はファンネルの様な勢いで街中へと分散していった。
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§ |
作戦が失敗して意気消沈で帰宅した栞だったが、自分以上に落ち込みが激しい姉を見て驚いた。
「お姉ちゃん?」
「……栞。あたしはもう駄目。これ以上は……あなた一人で戦って」
「ど、どうしたんですか? 確かに今日の作戦は失敗しちゃいましたけど、まだ判らないじゃないですかっ!」
ベッドで頭から布団を被って鬱ぎ込んでいる姉の身体を揺すりながら、栞は必至に訴えかける。
「ああぁ〜あたしは駄目なの。もう駄目。恥ずかしくて学校に行くのも嫌だわ」
「お、お姉ちゃんが登校拒否ですか? そんなの駄目です! 私はお姉ちゃんと一緒に学校に行くのが何よりも楽しいんだよ? 私を悲しませて良いんですか?」
栞は情に訴えかけるように憂いを帯びた声色で香里を諭し、香里がそれを拒絶する。
暫くそんなやり取りが続いた後、栞は姉の落ち込みの原因を知る事となった。
一体何処から調達してきたのかも知れぬエロティックな下着を、半ば無理矢理着用させたのは栞であり、その事実は香里の落ち込みを怒りへと転換してゆく事になる。
やがて二人の話し合いは、そのまま大喧嘩へと発展してゆく。
とは言え、本気で互いを案じている二人であるから、その勢いも直ぐに収束状態へとなり、小一時間も立たぬ内に沈静化した。
二人は本日の失敗から今後の小細工を停止し、明日の結果を素直に受け入れる事とした。
当然栞は最後までの徹底抗戦を叫んでいたが、香里の――
「なら明日はあなたがこの下着を付けて登校しなさい。そして皆の前でこのあたしが捲ってあげるわよ」
――という言葉を受け入れたのだった。
|
§ |
「では明日朝一番で現場へと直接搬入してください」
久瀬はそう言って電話の受話器を戻す。
彼は満足げに微笑むと、もう片方の手で撫でていた佐祐理手製のお立ち台をテーブルの上に置き、それから一冊のノートを取りだし記帳を始めた。
「え〜と、倉田さんグッズNO154、入手が十二月……日、名称は……と」
どうやら収集したグッズの補完記録の様だ。
やがて彼はビニール袋で包み込むと、タグをくくりつけて押入の中へと丁寧にしまいこんだ。
尚、彼がこのお立ち台を現場から持ち去った生徒から買い占めるに要した費用は二万円――ちなみに原価は税抜きで二七五〇円――だった。
マニアの価値感覚は興味の無い者にとっては決して理解出来ないものなのだ。
五十度数のテレカに十万以上の価値を見出すのは、その道のマニアだけであり、常人には何処まで行っても五百円分の価値でしかない。
続いて回収に成功した佐祐理と舞のPRチラシをシリアルナンバー通りに並べ、一枚一枚丁寧にクリアファイルへと収めてゆく。
無論これらの作業を行う際は、手袋をはめる事は忘れていないし、先の補完記録への記帳も怠らない。
長い時間をかけて作業を終えた久瀬は、最後に壁に貼ってある特大サイズへと引き延ばされた佐祐理の写真へと目を向け、誰も見ていない事を良い事にその頬の部分へ唇を這わせた。
「倉田さん……いよいよですね。他の者の支持者達がこぞって愚かしい真似をして騒いでますが、そんな事をしたところで貴女の美しさに叶うはずもありません。僕は貴女の勝利を微塵も疑っておりませんが、明日は貴女の勝利を確固たるものにすべく、ささやかながら協力をさせて頂きます。………………あああああああああああああああああ〜倉田さぁん」
最初は耳元で囁くように、写真の佐祐理の耳辺りで語りかけ、最後は抱きしめるようにして両肩の上に手を這わせる。
それは実に奇怪な光景だった。
もし佐祐理本人がこの瞬間を目撃したら、流石の彼女も笑みを失うだろう。
舞が見たら――それは語るまでもない。
|
§ |
「あれ? 祐一は?」
夕食時、リビングにその姿を見せない従兄弟に気が付き、名雪がその疑問を口にする。
「今日は浩平の家でお泊まりだってさ〜」
真琴の答えを聞き、名雪は「へぇ〜珍しいね」と呟いて、普段よりも一つ少ないお茶碗にご飯をよそる。
「それより名雪! 調子はどうなのよ?」
興味深そうな表情で向かい座席の真琴が身を乗り出して尋ねてくると、名雪は少しだけ考えてから――。
「え、ええと……わたしは普通かな? 下着も普通だよっ」
と答えた。
「はぁ?」
真琴は訳がわからぬといった表情を浮かべて首を捻るが、名雪は笑って誤魔化すだけで、それ以上は何も話さなかった。
「それじゃ、名雪の予選通過を祈ってご飯にしましょうね」
秋子がキッチンから料理を運びながら笑顔で言うと、真琴は「うん」と元気良く頷き、名雪は「恥ずかしいなぁ」と顔を赤らめて応じた。
水瀬家は祐一の姿を欠いたまま、その日を終えてゆく。
|
§ |
「何て言うかさ……これって現実なの?」
今日一日校内と街中を歩いて状況を思い知った晴香は、向かいの座席で疲れた表情のまま座っている郁未に尋ねた。
「残念ながらね」
苦笑いを浮かべて応じると、テーブルの上に置かれていたグラスを一気に傾ける。
ここは駅前にほど近い場所にある洒落っ気のない大衆居酒屋の中で、二人は奥のテーブル席で互いの無事と再会を祝していた。
晴香は取材という名目でこの地に降り立ったが、駅舎の中に張り込まれているコンテストの告知ポスターに驚き、そして一歩住宅地へと入ると街の景観維持という問題点を度外視した物量のポスターや張り紙に声を失った。
お祭り騒ぎという事は事前に聞いていたが、実際に現場に降りたってみて、その認識が足りなかった事を痛感した。
騒ぎの震源である学校を尋ねて、その有様に呆れを通り越しある種の感動すら覚えた晴香だったが、それは彼女も既に祭りの渦中に飛び込んだ為、精神が順応してしまった事によるものだった。
郁未の仕事が終わるまで校内をふらついていた時にも、とある教室で簀巻き状態のまま床に放置されていた男子生徒を見つけたが、何事かと思えば、支援組織間での抗争劇によるものという。
こうして改めて冷静になって考えてみると、この度の騒動は現実味すら奪うほどに異常な事態だった。
居酒屋で二人で向き合ってかれこれ一時間程が経過したが、その間郁未の存在に気が付いた別の客が、激励の言葉と共に差し入れを持ってくる事、実に十二回。
晴香の奢りという話だったが、彼女達が注文したものは最初の一杯と一品だけであり、後は勝手に次から次へと料理や飲み物が運ばれてきているのだ。
「……有名芸能人でもこうはならないわよ? これが地域密接型アイドルってやつなのかしらね〜」
晴香が茶化した様に笑うと、郁未は表情をきつくして「からかわないでよね。実際辛いんだから」と、呟き手にしていたカクテルを一気に飲み干した。
「郁未、あんた車でしょ? 程々にしておきなさいよ」
「ところでっ!」
晴香の忠告を無視して飲み干したグラスを乱雑にテーブルへ置くと、郁未は彼女に顔を突き出して切り出した。
「由衣はどうしてるの?」
「あの子なら相変わらずよ。時々会ってるけど、元気に馬鹿やってるわ」
「そっか……安心したわ。葉子さんの事は知らないわよね?」
「あなたと同じA−CLASSの人だっけ? 私直接会った事ないからなぁ……ごめんね」
「ううんいいの。そっか〜葉子さんも何処で何をしているやら……でも、晴香に会えて良かったわ……本当によかった……」
度重なる差し入れを無下にしない様にと飲み続けていた郁未は、呟くように言葉を漏らすと、テーブルへと身を伏せた。
「あちゃ〜……ったく無茶なんだからもう。昔は無茶した私をあなたが止めるのが常だったのにね……ほら、郁未帰るわよ? 車のキー貸して」
酔った郁未が差し出すバッグからキーを取り出すと、晴香は彼女を担ぎその店を後にした。
ほど近い駐車場に止めてあったAZ−1の助手席に、車体の小ささに難儀しつつも郁未の身体を押し込めると、自身は運転席へと腰を降ろしセルを回した。
「全くもう。それじゃ行くわよ……って郁未の家って何処よ?」
郁未が意識を回復させるまで、晴香は狭い車内で一人待つ羽目となった。
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「斉藤めぇ〜この俺を本気で怒らせやがったなぁ」
深夜と呼べる時間、北川は怒りに顔を歪めてとあるマンションの前に立っていた。
斉藤率いる水瀬親衛隊に拉致され、神を呪いつつ寒さに震えていた北川だったが、見ず知らずの女性に保護された時、彼は本気で神の存在を信じる気持ちになった。
というのも、彼を救った晴香が何処か香里に似た雰囲気を持っていたからだ。
縄を解き自らを解き放ってくれた恩人の姿を見たとき、北川は香里が助けてくれたものと一瞬勘違いして、彼女の手を取り歯が浮く様な台詞の数々をお見舞いした。
しかし驚く晴香の態度と手を握った時の感触に、自分の救世主が香里でない事に気が付いた。
普通の人間であればこの時点で自分の過ちを恥じ、その他の考えにまで至る事もないだろう。
だが彼にとっては、自分の窮地を救った者が香里に”似ている”というだけで、十分に運命を信じるに事足りてしまう。
まるでストーカーにも似た論理――香里にとっては正真正銘ストーカーなのだろうが――で、己と香里の未来を確信した北川は、晴香に三八回も礼を述べ教室を飛び出していった。
この時点で彼は、今だ祐一ら三名しか知らぬ本選の情報を握っている唯一の存在だったが、彼はこの瞬間香里との未来予想図に想いを巡らせ、そして次に仇敵である斉藤への報復を優先した事で、美坂姉妹への通告を行わなかった。
もしも通告していれば、栞が何か新たな作戦を考え、別の展開へ進んだかもしれない。
その後、復讐を誓った北川は、周到な準備を済ませて斉藤の家が在るマンションへと向かった。
そして今、彼は三階に位置する「斉藤」という表札の出されている扉の前に立ち、静かに肩にかけていたバッグを降ろす。
中から取り出したのは、建築現場で使用する業務用接着剤(盗品)であり、口元を歪めると扉の隙間へと躊躇いなく流し込んだ。
「もりもりもりもりもりもり〜ん♪ 」
奇妙な鼻歌を唄いながら扉の四方全てに接着剤を注入し、全ての隙間へ流しを終えると、次いで取りだした紙をその扉の中央へ貼り付け、そこに書かれた文章を読み上げる。
「『俺の身体だけが目当てだったんだな! このホモ野郎!』……うむ。素晴らしい出来映えだ」
北川は満足げに頷くと、ニッパを取りだし、電話線と思われるケーブルを切断した。
「これで良しっ。美坂の勝利を邪魔する奴は許さんのだ! がっはっはっはっ」
下品な笑い声を上げた北川は、身を翻して斉藤のマンションを後にした。
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数々の思惑が交錯する中で、予選投票当日がやって来た。
その旨を伝える新聞の記事や、テレビのニュース番組。
街中に溢れる候補者達のポスターやチラシ。
行き交う人々の話題。
商店街や駅前の繁華街に溢れるタペストリーや垂れ幕。
早朝から通学路や校門付近で、ひたすら己の偶像に対する熱烈なエールを送る支援者達。
コンテスト告知より僅か三日しか過ぎていないのだが、今回のお祭り騒ぎに馴染んでしまった街の人々にとって、それはさも当たり前の様な一日の始まりだった。
学校も昨日一日でこの度の騒ぎに慣れてしまったのか、平然と受け入れ対処を覚えた教師が大多数を占め、さした混乱もなく午前の授業はそれなりに大人しく進んでいった。
住井が混乱防止の為に手配をしていた警備員の配備も上手く機能し、騒ぎはあれど混乱はせず――それがこの日の午前中の様子であり、昨日までの状況と大差は無かった。
唯一はっきりとした違いは、学校内に証明証をぶら下げた報道関係者の姿がちらほらと見られ、生徒達が取材を受けている姿がそこかしこで見られる事と、学校の屋上から空へ向けて立ち上るアドバルーンの存在くらいだろうか。
このアドバルーンは、久瀬が自らのポケットマネーで手配した物であり、そこに書かれている内容は当然佐祐理に関する事だ。
『予選投票は倉田佐祐理へ!』
『美の具現 倉田佐祐理!』
『迷う事は無い! 倉田佐祐理へ投票するのだ!』
等々、数々の佐祐理を推す文が恥ずかしげもなく風に靡いている。
アドバルーン自体の物珍しさも手伝って、インパクトは絶大であり、それを見た佐祐理本人も「はぇ〜……何だか凄いですね〜」と素直に関心(?)していた。
この時点では久瀬の目論見通りに事が進んでいたと言っていいだろう。
だがこの直後、書かれている内容を全て把握した佐祐理が――
「私のだけで舞の事が書かれていないなんて……佐祐理は悲しいです」
――と、表情を曇らせると状況は一変した。
この発言で『アドバルーンが佐祐理を悲しませた』と判断した舞は直ちに排除行動を開始。
屋上へ赴き、固定ロープを根こそぎ雪風でたたっ切った。
その結果アドバルーンは蒼穹の空へと舞い上がって何処かへと飛び去り、後日久瀬が業者に対して違約金を支払う羽目となった。
この日の午後、かの地より少し離れた空域で飛行訓練中だった航空自衛隊のT−4が同アドバルーンを目撃し、訓練生と教官が揃って「倉田佐祐理」なる人物が何者か興味を抱き、後年になって佐祐理が自衛隊のポスターにモデルとして起用される事のきっかけとなるのだが、それは今回の騒動とは無縁のお話なので詳細は割愛する。
もう一つ昨日との相違を語るならば、二年四組の斉藤が欠席した事が挙げられるだろう。
名雪支持者のリーダー的人物である彼が、予選投票当日に休んだ事を多くの者は疑問に感じていたが、北川だけが無人の机を見て一人でほくそ笑んでいた。
そして運命の昼休みが訪れると、生徒達はこぞって体育館に設置された投票所――実際に選挙で使用される備品を市からそのまま借りてきた――へと赴いた。
そこで所定の用紙を受け取り、自分が推す人物の名を記入すると、設置された投票箱へとその紙を投函してゆく。
今日からは特別授業体制で午前授業となっている為、投票を終えた時点で帰宅が許されている。
だが、校舎を出る生徒は皆無だった。
投票を終えた生徒達は集計の終わりを待ち、教室や部室、各々が好き勝手な場所で結果を伝える校内放送を待ち続けた。
ある者は、平静を装い――
ある者は、今だ投票していない者を探して奔走し――
ある者は、期待に胸をふくらませ――
ある者は、ライバルとの差を気にしつつ――
ある者は、何も考えず――
それぞれの思惑、想いを胸に、運命の瞬間を待ち続けていた。
やがて締め切りを伝えるチャイムが校内に鳴り響くと、校内の全域から叫び声と拍手が沸き起こった。
「さぁ時間だ。それでは、お願い致しま〜すっ!」
この日のために雇った開票要員と、ごく一部の関係者を残して締め切った体育館に、住井の声が響き渡る。
一斉に投票箱が開け放たれ、そして開票作業が始まった。
果たして、結果は如何に?
※本SSは、実際にアンケートフォームを使用して読者の方に投票をして頂き、その結果を元に続きを執筆する形式をとっておりました。
投票に関しては、2003年の11月26日午前0時をもって締め切りました。参加していただいた方々、本当にありがとうございました。
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<後書き |
続く> |