■第22話「諸行無常」







「真打ち登場だ」
 折原の言葉が合図となり、郁未先生の髪の毛が靡き、その目が黄金色に輝く。
 俺達の背後にあった昇降口の扉が勢いよく独りでに閉まり、次いで”キンッ”という耳鳴りがした途端、結界――屋上を見えない壁が完全に取り囲み、外部への脱出を不可能にした。
「舞っ!」
「……」
 俺が叫ぶと、かねてからの打ち合わせ通り、郁未先生と舞が素早く倒れたまま固まっている折原を挟む様に包囲する。
 この瞬間、俺達の張り巡らした網に亀が引っかかった。
 俺達が遊ぶ間も惜しみ、住井達からその精神を疑われつつも邁進して来たのは、この瞬間を生み出す為だった。
 やがて抵抗を諦めたように、偽物がゆっくりと姿勢を戻して屋上に座る。
 月明かりの下で対峙する二人の折原。
 俺は佐祐理さんを庇うように少し後ずさると、新たに登場した折原と並び偽物を見下ろす。
「うーん」
 見れば見るほど折原そっくりだ。
「”策士策に溺れる”……罠にかけるはずがまんまと罠にかかった様ね。私の書いた手紙を見てわざわざ律儀に夜まで待ってくれたみたいだけど、香里さんや川名先輩が消えた理由に薄々感づいていた折原君がそんな内容を守ると思ったかしら?」
 郁未先生からの手紙を受け取った折原は、思った通りすぐに先生の元を訪れ、そして今回の茶番を打ち明けられた。
 折原が手紙を部屋に置き隙を見せたのも、全ては姿を見せない黒幕を網にかける為のものだった。
「ふーん、やるもんだね。あれ? でも確かにリビングには……」
 郁未先生の言葉に感嘆の表情を浮かべる偽物。
「その様子だと、水瀬家で寝ていたオレを確認したみたいだな」
 折原が偽物に向かって意地悪そうな笑顔で言う。
「今、水瀬家で寝息を立てている者が偽物だとは気付かなかったかしら?」
 郁未先生が口元に凄味のある笑みを浮かべつつ言うと、地面に座っていた偽物がゆっくりと立ち上がる。
「なるほど……あのリビングで寝ていた折原君は、お姉さんが作った物だったんだ」
「ええ。良くできてたでしょう?」
 そう言って郁未先生は手をかざすと、自分の分身――ドッペルゲンガーというらしい――を呼び出し、その身体を変化させて折原の姿を作ってみせる。
 三人の折原が並ぶ光景はかなりシュールだ。
「なーんだ、それじゃ最初からばれてたんだ。ボクが偽物だって知っていて芝居をしてたんだね。みんな人が悪いなぁ」
 見た目も声色も折原のものだが、その口調をがらりと変えて、偽物は俺の横に立つ折原をしげしげと見つめる。
「ふーん。でも良くボクが現れるって判ったね?」
「折原君がああいう手紙に興味を見せない事は、貴方自身が知っていたはずよ。だって香里さんの時もそうだったわよね?」
 郁未先生が答ながら祓うように手首を動かすと、先程作った偽折原の姿がすっかり消える。
「リビングで寝ている折原君を本物だと信じ、貴方は彼に代わって此処に来た。それは私が本当に折原君の事が好きかどうかを確かめる為かしら?」
「正直思わなかったけど、確かめておこうかな? とは思ったよ」
「確かめて私が本当に折原君に気があると判ったら、香里さんや川名さんみたいに消すのかしら?」
「うーん、そうなるね」
 実にしれっととんでもない事を言う奴だ。
「……さて、聞きたいことは山ほど有る。全てに答えて俺達を現実の世界へ戻して貰うぜ」
「それは出来ない相談だよ」
 俺の命令じみた質問に、間を置かずに首を横に振る偽物。
「なら実力行使という事になるわね」
「……」
 郁未先生の言葉に、舞が雪風を低く構え、間合いを少しずつ詰めて行く。
「あははっ、それじゃ五対一なら勝てると思ってるんだ? でも三人は戦力になりそうにないから……実際には二対一かな?」
 明らかな挑発行為に、郁未先生と舞の目が鋭くなる。
「あなたの力がどの程度かは知らないけど、今回はタクシーの時の様にはいかないわよ?」
「破っ!」
 郁未先生の言葉が終わった途端、舞が一気に間合いを詰め雪風を一閃。
 峰打ちとは言え、当たればただでは済まない速度だ。
「危ないよ。刃物で人に斬りかかるなんて……よいしょっと」
 しかし、偽物は雪風の軌道を見切ったのか、余裕の表情で咄嗟に一歩下がるとそのまま高くジャンプして、屋上のフェンスの上に腰掛けた。
「いい加減、その姿は止めてくれないか?」
 折原が怒気を含んだ声でフェンスに腰掛けている偽物に叫ぶ。
「そうだね……もうこの場で、この姿をしている意味は無いし……」
 そして俺達の方に顔を向けると、折原だった者の姿が一瞬にして女の子へと姿を変えた。
 顔だけではない。その着ていた服までもが変化し、先程まで薄汚れたTシャツとGパンというラフな格好から、ダッフルコートとキュロットという、明らかに場違いな服装へと変化した。
 セミロングの髪の毛に赤いカチューシャ。
 背中から羽が少し見えるが、どうやら背負っているリュックに付いている物の様だ。
 そして真っ赤な瞳が、俺達を見下ろしている。
 その子の顔を見た瞬間、俺の中で何かが炸裂した。
「……っ!!」
 声にならない声を上げ、俺は頭を抱えてその場に倒れた。
(何だよコレっ……)
「祐一っ!」
「祐一さん、どうしたんですかっ!」
 舞と佐祐理さんが俺に駆け寄る。
 二人に支えられながら立ち上がるが、フェンスの上に座った彼女の姿を見ると心拍数が上がり汗が吹き出す。
 先程と立場が入れ替わった様に、狼狽える俺達に女の子は落ち着いた態度でニッコリと微笑み、そして口を開いた。
「皆さん初めまして」
(何だこの感覚は!? これは……不快感……いや恐怖感か?)
「ボクはあゆ。月宮あゆだよ」
 彼女の口から発せられた名前に、俺は再び軽い目眩を起こす。
「祐一さんっ!」
「大丈夫だ」
 片手を上げて佐祐理さんを制すると、俺は深呼吸をして何とか自分を落ち着かせ、改めてフェンスの上で両脚を弄ばせている彼女を見る。
「月宮……あゆ?」
 確認する様に俺はゆっくりとその名を口にする。
 名前を胸に刻むと、最初に感じた不安な感覚は影を潜め、俺の心は落ち着きを取り戻していった。
「そうだよ。よろしくね」
「月宮……」
 郁美先生が名前を呟くが、その表情は随分と堅い。
 ――キィィン!
 振動と高音。
 瞬間、郁美先生が張っていた結界が消えた。
「嘘っ!?」
「せっかく人が穏便に事を済ませようと思ってたのに。駄目だよー」
 驚きに満ちた表情の郁未先生とは対照的に、月宮あゆと名乗る少女は楽しげに笑っている。
「……不可視の力?」
 郁未先生が呟く。
「そんな……先生と同じ?」
 佐祐理さんが舞の背中で声を上げる。
「先生っ、あの子は一体?」
 狼狽える俺達を見て、フェンスの腰掛けたままの少女は、余裕を見せるように鼻歌を歌っていながら、脚をぶらつかせている。
「知らないわ。ただ月宮っていう名前には聞き覚えがあるわね……あなたは何者?!」
「だからあゆだよ」
 郁未先生の怒気を含んだ質問にも、あゆと名乗る少女は表情を崩さずに答える。
「そのあゆとやらが、俺達をこの夢に閉じこめて、どうするつもりだ?」
「別にどうもするつもりも無かったよ。それにしても、よくこの夢の事が判ったね?」
「香里のおかげだよ。彼女が自らを犠牲にしてくれたから俺達は全てを理解できた。
 俺は最初、香里が消えた理由が”この世界に対する詮索”が原因だと思った。だが、違った。全てはお前をおびき出す演技だった。彼女は自らの仮説を証明する為に、わざとお前の逆鱗に触れるような行動を起こしたんだ」
「そうだったんだ。香里さんって凄いねー」
 言葉とは裏腹に、さして感心していない様な口振りだ。
 驚くに値しない……というより、もう興味が無いといった感じだ。
「さっきも言ったけど、みんなをこの夢から解放するつもりはないのか?」
「ないよ」
 俺の問いかけに、再びきっぱりと答える。
「そう……それなら、これ以上の対話は無意味ね。月宮さん、貴女が長森さんの夢を利用して、一体何をするつもりか知らないけど、私達をこの夢の世界より解き放ち貴方は早急に立ち去りなさい!」
「……何だか酷い言われようだね」
「違うと言うの?」
「ボクはただ、この世界を……瑞佳ちゃんの夢を守りたいだけだよ。それがボクの使命だから」
「何が使命よ! 私達の意志を無視して勝手に押し込んだだけでしょ! 貴女のしている事は拉致監禁と大差無いわ」
「うぐぅ、何だかお姉さん達の話を聞いていると、ボクが鬼や悪魔みたいに思えてくるよ」
 月宮は俺達の言葉にしょぼくれたのか、フェンスの上で腰をかけたまま、両手の人差し指を付き合わせている。
「実際その通りだろ?」
「この変態ストーカー悪魔め」
 俺と折原の言葉に腹を立てたのか、月宮は「むっ!」と声を上げて睨んでくる。
 もっとも童顔の所為で怖くも何ともないが。
「ひっどい! ボクにだって事情はあるんだよ。……ボクは自分が何者なのかよく判らないんだ」
 嘘か誠かは判らないが、俺達は一様に月宮の言葉に押し黙る。
「記憶喪失とでも言うのか?」
 折原が幾分か声を和らげて尋ねると、月宮が小さく頷きゆっくりと語り始めた。
「まぁ少し聞いてくれるかな?」
 そう言うと、月宮は少し寂しげな表情を浮かべて話し始めた。
「ボクは自分の事が判らない。気が付いた時には、自分の名前以外の事は綺麗さっぱり頭から無くなってたんだ。
 しかもボクに他の人は見えても、人からボクの姿を見る事が出来なかった。えへっ、まるで幽霊だよね?
 ……でもね、時々ボクの姿を見る事が出来る人が居たんだよ。
 その人達は、みんな強い願望を持っているか、人生に絶望して何かにすがりたい人達だったんだ。
 そして……理由はボク自身も判らないけど、自分に”そういう他の人達の願望を夢の中で叶える力”が有ったんだよ。
 だからボクはいっぱい考えた。何故自分にこんな力があるのか? ってね」
 そこで一端話を区切ると、月宮はフェンスに座ったまま首を上げて夜空を見つめる。
 星々の輝きを眺めながら、彼女は再び話し始めた。
「ボクは自分が何者なのか知りたかった。でもボクにある力では、ボクの欲する情報を得る事は出来なかったんだよ。
 他人が望む願望を作り出す事は出来ても、自分の願望は叶える事ができなかったんだ。
 でも、そんな悩むボクの中にある種の考え……漠然とした使命のようなモノが浮かんだんだ。
 そう、ボクが持つ力は誰かの夢の実現に使わなければいけない……ひいてはそれが自分の願望を叶える事に繋がるんじゃないかって思ったんだ。
 なぜなら、人の夢を作り続ければ、その中にボクの存在に関する事がきっと有るはずだって……そう思えたから。
 だからボクは街を彷徨っては、願望をもった人を探し、その願望を夢の中で叶えて行く事にしたんだよ」
 少しだけ楽しそうに自らの事を語っていた月宮の表情が曇る。
「……でも、ボクが具現化した願望は、み〜んな変なものばっかり。お金が欲しい、権力が欲しい、女にもてたい、邪魔者を蹴落としたい……ってね」
 そこまで言って深く溜め息を付くと、視線を俺達に戻して再び語り始めた。
「この人は大丈夫だ……と思っても、途中で邪な願望に変わったり、当初の願望が叶ったら新しい願望が後から後から生まれたり……人間の欲望って底なしだよね。
 いつも人の醜い部分を見せつけられて、結局いつも絶望してボクはその悪夢を壊して……そしてまた新しい夢の欠片を探して街の中を彷徨ってたんだ。
 でも、結局いつも悪夢を見せつけられて人に絶望して、自分の力や存在に意味なんか無いと思うようになったんだ。
 だからもういっその事人の願いを叶える事なんか止めちゃおう、人前に出るのも止めよう……自分の正体なんてどうでもいいから、このまま消えちゃおうかな……そう思ったんだ」
 月宮は少し儚げな表情を見せ、ひょいとフェンスの上で器用に立ち上がる。
「そんな時だよ。ボクが瑞佳ちゃんに出会ったのは」
 笑顔で言いながら片腕を軽く振って見せると、学校を取り巻く池の上の空間に、まるで大型スクリーンに投影された様な映像が浮かび上がった。
「おおっ……」
「ほぅ」
「はぇー凄いです……」
 まるで魔法の様なその光景に、思わず感心する俺と折原と佐祐理さん。
 舞と郁未先生は何も言わないが、取りあえずは事の推移を見送る事にしたのか、そのまま黙って映し出された映像を見つめている。
「あれは、丁度寒くなってきた頃、街の外れにある公園だったかな……」
 月宮が語り始めると、映像の中に懐かしいあの街の姿が映し出された。

 ――商店街らしき風景の中を月宮が彷徨っているが、単に興味がないのか、それともその姿に気が付かないのか、誰も彼女には見向きもせず素通りして行く。
 やがて鯛焼き売りの屋台の前に差し掛かると、月宮が商品の鯛焼きを躊躇いもなく盗み出し、そのまま加速して逃げて行く。

「ちょっと待てっ!」
「おい、今のは窃盗じゃないか?」
「い、良いんだよ。どうせボクの姿は見えてないみたいだし」
 俺と折原が映像にツッコミを入れると、フェンスの上の月宮は頬を膨らませて弁明する。
「と、とにかくっ、こうしてボクは大好物の鯛焼きを食べる場所を探して町外れまで来たんだよ。そして辿り着いた公園で、ボクは瑞佳ちゃんに出会ったんだ」
 池の上に映し出される映像に、ベンチに腰掛けている長森の姿が映る。
「あの公園のベンチに座っていた瑞佳ちゃんの表情を一目見て判ったよ。この人は大きな悩みを抱えている……って」


 ――月宮が対面のベンチに座りながら鯛焼きを頬張ると、向かいに座っていた瑞佳と視線が合う。
 ニッコリと微笑む長森だが、何処か寂しげだ。
『ねぇ、何か嫌なことでも有ったの?』
『え? う、ううん? そんなんじゃ無いよ……』
『ボクの姿が見える?』
『え? うん。見えるけど……』
 長森の返事を受けて月宮が立ち上がり、瑞佳の前に立つ。
『そっか、君はすっごく大きな悩みを抱えてるんだね? あ、隣に座っても良い?』
『あ、うん。良いよ。えーと私は瑞佳。長森瑞佳だよ』
『瑞佳ちゃんだね。ボクは月宮あゆ』
『それじゃあゆちゃんって呼ぶね?』
『うん』

 映し出される二人の笑顔が制止画になりセピア色に変わる。
 何だこれ、編集してあるのか?
「これがボクと瑞佳ちゃんの出会いだったよ。その後二人で公園のベンチに並んで座って、ボクの鯛焼きを一緒に食べながら色々話をしたんだ」
 月宮の声ががまるでナレーションの様に響くと、同時に、投影されていた映像が再び動き出す。


 ――公園のベンチに並んで腰掛ける二人。
 初冬の冷たい大気の中、白い息を吐きながら楽しげに語る長森。
 月宮が手にしていた鯛焼きを一つ長森に手渡すと、笑顔で礼を言い美味しそうに頬張る。
 公園のベンチに並んで座り、笑顔で語らうその姿は、まるで旧来からの親友同士の様に思えるほどだ。
 鯛焼きを喉に詰まらせ咽ぶ月宮の背を、心配そうにさする長森。


「なぁお前、心当たりあるか?」
 月宮が写し出した映像を見つめたまま、俺は隣に立っていた折原にそっと尋ねてみる。
「ああ……多分、俺と大喧嘩やらかした時だと思う」
 折原もまた、映像を見たまま向きを変えずに、俺にだけ聞こえる程度の小さな声でそう答えた。
「瑞佳ちゃんは楽しそうに自分の事、学校の事、そして自分の好きな人の事をいっぱい話してくれたんだ――」
 俺達が小声で話している間にも、月宮の独白は続いている。
「でも瑞佳ちゃんは今自分が抱えている”悩み”に関しては、ついに一言も言わなかったんだよ」
 月宮の言葉に、折原の肩が僅かに跳ね上がる。
「それでもボクには判っていた。だって、恋人と喧嘩して塞ぎ込んでる彼女の心の叫びが、ボクにははっきりと聞こえていたんだから」
 宙空のスクリーン中にあんこを付けた月宮の口元を、自分のハンカチで拭う長森の映像が映っている。
 優しげな表情で月宮の世話を焼く長森の姿は、彼女が抱えている悩みと悲しみを誤魔化し、逃避している様にも見える。
「そんな瑞佳ちゃんを見て、ボクは確信したんだ。彼女はとっても”純真な心”を持っている子だって。だったら、瑞佳ちゃんが持ってる悪夢に変わらない純真な夢を造ってみたい。そう思ったんだ」
『ほら、綺麗になったよ』
 ハンカチを畳みながら、にっこりと月宮に微笑む長森の声が響く。
 映像の中の月宮は、少し呆けたした表情で、自分の悩みを伏せてまで優しく振る舞う長森の顔を見つめ返している。
 俺達の周囲、そして写し出された映像の中でも静寂が続いた。
 しばしの時を開けてから、フェンスの上に立っていた月宮が夜空を仰ぎ口を開いた。
「だから……ボクは瑞佳ちゃんの夢を聞いたんだ」


 ――月宮が突然ベンチ立ち上がり、座ったままの長森に真剣な表情を向けている。
『ねぇ、瑞佳ちゃんには夢ってある?』
『夢?』
『うん、そう。叶えたい事。自分が成し得たい事。そして自分が望む世界』
『私の夢か……そうだね』
 呟くように言うと、長森は白い雲に覆われた空を見上げながら、ゆっくりと自分の夢を語り始めた。
『私の横に浩平が居て……ううん、浩平だけじゃなく相沢君や住井君達も居て、そして名雪や香里や七瀬さん達も居て、ずーっとみんなで一緒に楽しく過ごせる事……それが今の私の夢なんだ』
 そう笑顔で応じる長森の言葉が、エコーがかかった様に余韻を残して辺りに響いた。


 長森の答えを聞き、驚いたような表情を見せる月宮を写して、空間に写し出されていた映像はフェードアウトして行き、やがて元の闇夜へと戻った。
 池の水面が風に靡く音だけが暫く辺りに響いていた。
 俺も、佐祐理さんも、そして舞も郁未先生も何も語らず、映像の中で長森が語った夢の事を考えていた。
「ボクはその言葉を聞いて、心の中の何かが強く揺さぶられたんだよ」
 フェンスの上で池の方向を向き立っていた月宮が、器用にその場で一回転し俺達の方へと振り返り口を開いた。
「ううん。気のせいじゃないよ。”この子とボクは同じ夢を持っている”そう実感したんだ。つまりこの子の夢を作ればボク自身の事も何か判るかもしれない。そんな事も含めてボクは瑞佳ちゃんの夢を叶えたいと思ったんだ……」
 月宮は目を伏せて再びフェンスの上に腰を下ろす。
「だからボクは、ただあの子の夢を叶えてあげたいだけなんだよ。あの子が悲しむところは見たくないんだよ」
「なら何故、川名先輩を消した? あの一件で折原は塞ぎ込み、結果長森も悲しい思いをした筈だっ!」
 俺が間を置かずに反論する。
「そんなの一時的なものだよ。数日も経てばきっとみんなも元通り、この世界で楽しくすごしてくれると思うよ。それにさ……あのみさきって子は折原君の事が好きなんだよ? そんな女の子を放っておく方が危険だよ。まぁ当人は鈍感で全く気が付いていないみたいだけどね〜」
「な、何っ!?」
 驚きの声を上げる折原。
「聞きたいことがある。良いか?」
 声を失っている折原に代わって、俺が一歩前に出て月宮に尋ねる。
「何かなっ?」
「里村と柚木は何故消えた?」
「ああ、あの子達ね。よいしょっと……」
 そう言って手を前にかざすと、小さなスクリーンが浮かび上がる。
 先程見せた長森との出会い映像が七〇mm対応のスクリーンだとすると、一四インチの家庭用テレビ程のささやかなサイズだ。


 ――学園祭準備でごった返す校庭を何気ない顔で横切る柚木と、その後ろを黙って続く里村が写し出された。
『ほら茜。早く行かないと遅れるよ』
『遅れるも何も……私達が此処に居る理由なんかありません』
 里村が歩みを止めて呟く。
『全く……そんな事じゃ、折原君との距離が縮まらないよ』
『……詩子。私は……』
 頬を染めて伏し目がちにそっぽを向いて呟く里村。
『ったくもう〜茜は”押し”が弱いのよっ。いいからこの詩子さんに任せなさいって』
『……詩子に任せるとろくな事になりません』
『まぁまぁ気にしない。あ、折原君だよ茜。やっほーおっりはっらクーン!』
 柚木は校舎から出てきた折原の姿を目ざとく見つけると、手を勢い良く振りながら大声で声をかける。
『げっ! 柚木……てめぇ何しに来た?!』
 折原はそんな柚木を見て露骨に嫌そうな態度をとる。
『あ、酷い〜、ねえ折原君が茜に酷いこと言ってるわよ?』
『お前に言ってるんだ! 大体、お前等何しに来たんだ?』
『そんなの決まってるじゃない』
『何だ?』
『折原君に逢いに来たのっ。きゃっ』
 自分自身の言葉に照れたのか、頬を赤らめて恥ずかしがる柚木。
『……』
『違います。……私達は手伝いに来ました』
 少しキツイ表情で里村に睨まれ、柚木が態とらしいポーズでその場にへたり込む。
『……浩平、迷惑でしたか?』
 そんな柚木を無視して、里村が目を伏せ表情を曇らせて呟く。
『はい? いや、そういう訳じゃないが……ん?』
 そんな里村の態度に狼狽える折原の、制服が引っ張られる。
『こんばんはなの』
 見れば澪がニコニコと笑顔で折原の制服を掴んでいた。
『澪、こんばんは。演劇部の準備?』
 里村が少し笑顔で澪に尋ねる。
『そうなの』
 スケッチブックの既存ページを開いて答えると、新しいページを開きサインペンを走らせる。
『茜さんも詩子さんもお手伝いなの?』
『そうよ〜澪ちゃん……でも、折原君が私達の事邪魔だって……およよよ……』
 地べたにへたり込んでいた柚木が、さも芝居がかった口調で泣き崩れる。
『澪も買い出しか?』
 折原はそんな柚木を無視して澪に尋ねている。
 澪は頷くとスケッチブックにペンを走らせる。
『浩平も行くの』
『そうだな……』
 澪のメッセージを見て頷く折原。
『澪は演劇の準備、上手く行ってるの?』
 里村の言葉に澪が元気良く頷く。
『劇も見に来てなの』
 澪が新たなページに書いたメッセージを見せる。
『がんばってるな澪』
 笑顔で折原が澪の頭を撫でると、照れつつも嬉しそうに目を細める。
 そんな二人を里村が少しだけつまらなそうに見つめている。
『折原君、茜をほったらかして別の女の子と仲良くするなんて……憎いねこの女たらしっ!』
 いつの間にか立ち直った柚木が、折原のすぐ脇、耳元で囁くように言う。
『何でそうなる! 柚木っ、頼むからお前は黙っていてくれ』
『まぁまぁ。良いから良いから。私もせっかくだから、折原君にたらされてあげよっか?』
 そう言いながら柚木は楽しそうに折原の腕に自分の両腕を絡ませる。
『な、なんだそれは?!』
 顔を真っ赤にして腕を振り払おうとする折原。
『……詩子』
 里村がいつもの様に親友の名前を呼ぶが、その声色に潜む冷たさに柚木は冷や汗をかきながら腕を解く。
 途端、折原が脱兎の如く逃げ出す。
『あ……』
『行くぞ澪!』
 柚木が声を上げるまに、彼女の就縛から抜け出した折原は澪の腕を掴むと走り出す。
『茜、手伝いは歓迎だぞ。先に教室へ行っていてくれ。柚木は帰れよっ!』
 去り際に一度振り返りそう言うと、澪の手を引っ張って何処かへと走り去ってしまった。
『はぁ〜……折原君逃げちゃったね』
『……詩子の所為です』
 里村はそう呟くと校舎へと向かい始める。
『あっ茜待ってよ〜。この愛くるしい詩子さんを置いて行かないで〜』
 二人が歩き始めた所で映像がフェードアウトして消えた。


「何だこれ、本当にあった事か? 全く覚えがないぞ?」
「それはそうだよ。だってボクが全部消して上げたんだから」
 折原の呟きに月宮が答える。
「ボクは感じたんだ。この二人は危険だ……って。だからさっさと退場して貰ったよ。
 ちなみにボクの夢の世界が発動した一番最初の日だったから、他の人達とは顔も会わさずに消えた事になるね」
「それじゃ氷上は?」
 自慢げに答える月宮に、表情を険しくして折原が尋ねる。
「あの男子生徒?……自分も男のくせに折原君の事ちょっとラブ入ってたんだよ? 変態だよね。だから夢の世界を再構築する時に一緒に退場して貰ったんだ」
「……それはマジか?」
 折原が少しだけたじろいだ様子で尋ねる。
「うん。大マジだよ。何なら彼が一人で折原君に対する愛を語っているところ見る?」
 月宮の言葉に、折原が目に見えて肩を落とし何か呟いている。ちょっと哀れだな。
「久瀬君は?」
 哀れな折原に代わり、郁美先生が尋ねる。
「あの神経質な生徒会長さん? だってあの人の所為でせっかく作った完璧な夢が壊れちゃったんだよ? 本当は悪夢にでも陥れてやりたいけど、瑞佳ちゃんがそう言うの嫌がるからね。取りあえず退場だけして貰ったよ」
 得意げに話す月宮の姿に、俺の中で怒りがこみ上げてくる。
「なるほど……要は貴様の都合と言うわけだな?」
 自然に言葉が出た。
「ったく、てめぇの都合で住人消しておいて、何処が瑞佳の夢だっていうんだ?」
「間違ってます!」
 そう思ったのは俺だけではなかった様で、折原と佐祐理さんの言葉が続く。
「いいか、夢ってのは自分で叶えるものだ。決して他人に与えられるものじゃない。……それが例え寝ている時に見る夢であってもだ」
「でも人はみんな自分の夢を叶えたいと思って、人や神様にすがるよね。だって事実ボクはそう言う人の波動みたいなものを感じては、その夢を作ってきたんだから」
 俺の言葉に月宮が反論する。
「それは確かにそうかも知れない。だが、お前に消された奴等がそれを望んでいたのか? 俺達が今、自分の意志でここに居るか? いや……そもそもこの夢自体、長森が本当に望んだ物なのか?」
「……」
 俺の言葉に、今度は月宮は黙ったまま口元に笑みを浮かべる。
「確かにこの世界は、瑞佳の語った夢の内容を叶えてはいる。だが世界から隔離し、他人を一切排除する事まで望んだ訳じゃないはずだ。つまりこの夢の世界は瑞佳の夢ではなく、お前が瑞佳の夢の名を借りて創り上げた自分の夢に過ぎない!」
「そうだよ」
 溜まらず叫んだ折原の言葉を、月宮はあっさりと肯定した。
「ボクは疲れたんだよ……何人も何人も、大勢の人のくだらない夢を作り続けて……」
 フェンスの上に腰掛けたままの月宮は、がっくりと肩を落として力無く呟く。
「だから……だから、一つくらい自分の夢が有っても良いと思うよ。瑞佳ちゃんの夢を造って、そして管理して……初めてだったんだよ。途中で悪夢に変わらない純真な夢。そして瑞佳ちゃんの夢の中に、ボクの心に訴えかける”何か”が有るんだよ。そしてそれが多分ボクの存在理由に関わる事なんだ」
 一気に捲し立てる様に話す月宮の目に、うっすらと涙が浮かんでいる。
「待ち望んだ夢なんだよ!」
 吐き出すように呟くと、頭を垂れて震える肩を自分自身の手で抱きしめる。
(コイツはやばい)
 俺の直感がそう告げる。
 コイツは――月宮の精神は歪んでる。
 本気で自分のしている事が、長森の夢を成就させる為の行為だと信じて疑っていない。
「だって、ボクが作った夢の中で、瑞佳ちゃんはいっぱい笑ってくれた。沢山楽しんでくれた! 瑞佳ちゃん嫌がる要因は徹底的に排除するんだ。ボクはもっともっとこの世界を、瑞佳ちゃんが喜んでくれる世界にするんだ」
 月宮はそう捲し立てると、言葉を急に止めて、そして震えながら項垂れた。
「だって……瑞佳ちゃんが望んだ夢は、ボク自身の夢だから」
 今までよりも低い声で呟くと、月宮は顔を上げ俺達を見下ろす。
「だから……ボクはこの夢を壊そうとする者を許さない」
 月宮の赤い眼が暗闇に爛々と輝く。
 途端、フェンス上に居た彼女の背から闇夜の空よりも黒い、漆黒の空間が広がって辺りを浸食するかの様に俺と佐祐理さん、そして折原へと襲いかかる。
「きゃあっ!」
「佐祐理っ!」
 舞が悲鳴をあげる佐祐理さんの腕を掴むと、一気に引っ張り飛び退く。
 慌てて俺と折原も、舞に習って同時に間を開けた。
 間一髪、俺達がつい先程まで居た場所を、漆黒の闇が覆い尽くしていた。
「行きなさい川澄さんっ!」
 郁未の言葉の意味を察し、舞が頷くと踵を返して校舎へと向かって走り始める。
「祐一、浩平、早く!」
 俺に向かって叫ぶと、佐祐理さんの腕を掴んだまま校舎内へと飛び込んだ。
「あ、逃げちゃ駄目だよ」
 舞に続いて脱出する俺と折原に、月宮の放った漆黒の空間が再び周囲から迫ってくる。
「うおわっ!」
「おわっ!」
 迫り来る闇に、俺達二人は揃って情けない叫び声を上げる。
 だが、闇に飲み込まれそうになった瞬間、俺達を覆い始めた闇が霧のように消えていった。
 姿勢を崩した俺達が恐る恐る振り向くと、俺を庇うように郁美先生が立っている。
「郁未先生……」
「二人共行きなさい」
 そう言う郁未先生は、俺達の方を振り向くこともなく月宮と対峙していた。
「さぁ早く行きなさい。そして現実へ戻る方法を見つけて」
 言葉の合間、一瞬だけ振り向いた郁未先生の瞳は、かつて暴走した魔物から守ってくれた時と同じ様に黄金色に輝いていた。
「せ、先生は?」
「私はこの子にお灸をすえてから行くわ。だから先に行って」
 月宮を凝視したまま答える郁美先生に、俺はただ素直に頷く事しかできなかった。
「わ、判りました。よっし、相沢行くぞ!」
 俺の横で立ち上がった折原と共に校舎へ入ると、俺は振り返らずに階段を駆け下りた。
 郁未先生が負けるとは思えない。
 だが、心の中で何かが警鐘を鳴らしていた。
 ――済みません先生。
 頭の中で呟くと、二段飛ばしで階段を駆け下りる。
 踊り場を越えて三階へと降りた時、頭上で何かが爆発したかの様な轟音が鳴り響き振動が校舎を襲う。
 あの二人の戦いが始まったんだろう。
 手助けできない自分がもどかしいが、俺や折原が参戦したところで先生の足を引っ張るのが関の山だ。
 だから、今は先生を信じて、俺達の出来る事をしなければならない。
「舞ーっ! 佐祐理さんっ!」
 天井からコンクリートの破片や埃が落ちてくる中を、俺は二人を追って廊下を駆け抜けた。





§






「さて、子供の悪戯にしてはちょっと度が過ぎるわよ?」
 郁未は金色に輝く目を細めて、月宮の放った闇を押し戻した。
「うぐぅ。ボク子供じゃないよっ!」
 フェンスに腰掛けたまま、月宮が再び闇を郁未目がけて放出する。
 だが、郁未が目を細めて念じるだけで、闇は彼女の元へ届くことなく、再び押し戻された。
「へ〜。お姉さん凄いんだね。ちょっとびっくりしたよ」
 そんな言葉とは裏腹に、月宮は自分の力が通じない事に焦るどころか、楽しそうに笑ってみせる。
「……貴女に聞きたい事が一つあるの」
「何かな?」
「その力……不可視の力を、貴女は何処で手に入れたの?」
「知らないよ。でもまぁ、しいて言うなら……気が付いたら使えた……かな?」
「ふざけないでっ!」
「ふざけてなんか無いよ。さっきも言ったけど、ボクは昔の記憶ないんだから」
 郁未の射抜く様な視線を受けても、月宮は怯むことなく、暢気な声て応じてみせた。
「そう……」
 月宮――それはFARGOの本拠地が在った地の名であり、郁未にとっては懐かしくも忌むべき名称だ。
 自分のものと酷似した力を持ち、そして月宮の名を持つ彼女に、郁未が興味を覚えるのは当然だろう。
 ひょっとして月宮あゆもまた、郁美と同様にFARGOの犠牲者なのかもしれない。
 もしそうであるならば、郁美は彼女を救いたいと思うが、肝心の月宮本人にその自覚は無かった。
 誰よりも不可視の力に危険性を感じている郁美にとって、半ば狂っていると思われる月宮を放置する事など出来ない。
 だから郁美は、彼女を力づくで止める覚悟を決めた。
「なら貴女の暴走を、これ以上続けさせない為に、ここで決着を付けさせてもらうわ」
「うーん、それじゃせっかくだし……ちょっと遊ぼうかな? 行っくよ〜」
 月宮が暢気な掛け声と共に腕を振ると、屋上に有った貯水タンクが足場の留め金を引きちぎって動きだし、中に溜まっていた水を飛沫としながら――まるでミサイルの煙の様に尾を引かせて、郁未目がけて猛スピードで飛んでいった。
 だが、重そうな貯水タンクが郁未に激突する直前、彼女の僅か数十センチ手前で、貯水タンクがまるで堅い壁にぶつかったかの様にひしゃげ、その部品と中身が周囲に飛び散る。
 間を置かずに飛び散った水が、郁未の周囲に集まり超高速で回転を始めた。
 不敵に笑った郁未が手を月宮へ向けると、回転していた水の一部が、高速で彼女目がけて飛んでいった。
「うぐっ!」
 月宮が素っ頓狂な声を上げてフェンスから飛び降りてかわすと、先程まで彼女が腰をかけていたフェンスが音を立てて奇妙な形に変形する。
「まだまだっ!」
 第二第三の水弾が、逃げる月宮目がけて飛んで行く。
  がしゃんがしゃん! 音を立ててフェンスが壊れて行く合間を、月宮は不器用な格好でかわしてゆく。
「わっ! ほへっ! うぐっ!」
 珍妙な声を上げながら慌てて避ける月宮。
 声も格好も不格好であるが、郁未の放った水弾は確実に回避している。
 当たればタダでは済まない威力であるのは、目標を外れた水弾が、コンクリートの壁や床をまるでバターの様に軽々と穴を開ける現状を見れば誰にでも理解できるだろう。
「ちょっと、お姉さん危ないよっ! わっ!」
 逃げながら叫ぶ月宮の顔を、新たな水弾がかすめ飛んで行く。
「ちょこまかと鬱陶しいわねっ! これならどうかしらっ!」
 郁未は残った超圧縮された水の塊を一気に月宮目がけて放つ。
 避ける月宮に合わせて腕を動かすと、超水圧による極細の水が糸状になって軌跡を描き、まるでレーザーの様にコンクリートを切断して行く。
「わわわっ、うぐっ!」
 何かに躓いたのか、奇妙な声と共に月宮が転ぶ。
 だが、それが幸いして、郁未の放った超水圧カッターを避ける事となった。
「運が良いわね、それならっ!」
 周囲の水を使い切ると、今度は両手をかざして周囲の空気を圧縮し空気弾を生成、月宮へ向けてつるべ打ちに放つ。
 空を切り裂く音と共に高速で飛来する無数の空気弾に気が付き、倒れていた月宮は慌てて立ち上がった。
 姿勢こそ不格好だが、月宮の動作速度は素早く、郁未の放った空気弾は全て目標を外れ、周囲の建物を虚しく破壊して行く。
「う、うぐうっ!」
 爆風は巻き上げた砂埃の中から月宮の悲鳴(?)が聞こえた直後、その中からコンクリートのつぶてが郁未目がけて飛んできた。
 月宮の放った苦し紛れの反撃に、郁未は動じることもなく、周囲の空間を操作して防壁を展開。
 飛んできたつぶては、郁未の周囲に張られた空圧防壁によって全て遮られ、ぱらぱら……と虚しい音を立てて全て地面へと転がり落ちる。
「くっ、これならー」
 砂埃が無くなり、月明かりの下に再び姿を現した月宮が叫びと共に宙に舞い、郁未に向けて腕を振る。
 途端、まるで見えない鉄球か何かに潰されたように、郁未の足下の床に急速にヒビが入り陥没した。
 空間に作用する力を行使したのだろう。
 だが郁未は、月宮の用いる力の種類を瞬時に把握すると、素早く飛び退き、力の作用範囲外へと逃れた。
 そしてそのままの勢いで右腕を大きく振り下ろす。
 まるで見えない腕に思い切り打ちのめされた様に、月宮の身体が勢い良く屋上に叩き付けられる。
 郁未は反撃を警戒して飛び上がりつつ、倒れた月宮へ掌を向ける。
「うぐぅ〜痛いよー……あれ?」
 顔をさすりながら立ち上がろうとするが、月宮の身体はいつの間にか見えない力で拘束されており、その肢体はピクリとも動かない。
「勝負有ったかしら?」
 郁未は倒れたまま動けない月宮の脇に、静かに着地する。
「さて、貴女には私の愛車をスクラップにされた恨みもあるんだから。責任はとってもらうわよ?」
「う、うぐぅ……」
 私怨の篭もった黄金色の瞳に、あゆは目尻に涙を浮かべながらおびえた表情で身体を震わせた。





§






「きゃあっ!」
 俺と折原が階段を駆け下りていると、その先から佐祐理さんの悲鳴が聞こえてきた。
「佐祐理さんっ!」
「急ぐぞ相沢!」
 俺達は悲鳴のした方向へと走る。
 階段を降りて三階の廊下へと飛び出し、眼前に広がった光景を見て俺は一瞬言葉を失った。
 廊下の中央には、佐祐理さんを庇うように雪風を構える舞の姿。
 そして彼女達を取り囲んでいるのは、あの夜を境に忽然と消えた学校の生徒達だった。
 学園祭準備に奔走していた大勢の生徒達が、当時の格好のまま無言で二人を取り囲んでいる。
 その表情は暗闇ではっきりと伺えないが、一様にして生気は感じられない。
「舞っ! 佐祐理さんっ!」
 俺の言葉に二人だけでなく、周りの生徒達も一斉に振り向いた。
 その瞬間、俺は恐怖を覚えた。
 夜の校舎の中で無表情の生徒達が、無言で一斉に振り向く光景は、正直心臓に良くない。
「二人とも無事かっ!?」
「祐一っ!」
「祐一さん」
 取り囲む生徒達からは明らかな敵意が発せられている。
「くっ……どうする。人数は……二〇、いや三〇人位か?」
 無関係な生徒を殴り飛ばすわけにもいかないし、そもそも俺には、この人数を一度に相手にできる程の腕はない。
 俺が躊躇している間に、頭上から大きな音と振動が連続して響いてきた。
 郁未先生と月宮が闘っているのだろう。
 その振動により天井の一部が崩れ、こぶし大の破片がリノリウムの床へ音を立てて落ちる。
 その瞬間、呪縛から解き放たれたように取り囲んでいた生徒達が一斉に動き始めた。
「きゃぁぁぁぁっ!」
 佐祐理さんが頭を抱えながら蹲り悲鳴を上げる。
 その悲鳴が引き金となり、俺の中から躊躇いが消えた。
「ええぃ恨むなよっ!」
 俺は襲いかかる生徒達を突き飛ばして突貫すると、佐祐理さんと舞の元へと走る。
 両手をあてもなく伸ばして迫る名も知らぬ男子生徒をショルダータックルで倒し、目の前に居る女生徒をまるで木々を伐採するかの様に腕を振って薙払う。
 数名がそのあおりを受けて将棋倒しの様に倒れると、出来た進路を突き進む。
 気付かぬ内に俺の背後に迫った別の男子生徒が突然姿勢を崩し倒れた。
 背後を振り向くと、折原と目が合う。
 俺は一瞬だけ微笑み、折原は親指を突き出して合図。
 後方を折原に託しひたすら前方に集中する。
 舞は佐祐理さんを守るように立ちはだかり、近づく生徒を雪風の峰打ちで打ち倒している。
 流石に生徒を傷つける事には躊躇いを感じて居るのだろう、魔物の召還は行っていない。
 何人の生徒を倒しただろうか? 数える暇は無かったが十名かそこらの生徒を叩き伏せて、俺と折原は舞と佐祐理さんに合流した。
「佐祐理さんっ!」
「祐一さん!」
 俺が声を上げると、佐祐理さんが俺の名を呼びながら抱きついて来た。
「祐一、折原、逃げる」
「判った。佐祐理さん行くぞ」
「はい」
「オッケー!」
 俺が佐祐理さんの手を引き走ると、折原と舞が続く。
 廊下に溢れていた生徒達も、俺達を追うように走ってくる。
 真っ暗の廊下を無言で追い掛けてくる集団は、はっきり言って不気味この上ない。
 俺達はボートの置いてある教室へ向かってひたすら走る。
「……破っ!」
 背後から舞の声が聞こえる。
 恐らくしんがりを務めていた舞が、追いすがる生徒を叩き伏せているのだろう。
「もうすぐだ」
「はいっ……きゃっ!」
 廊下を曲がると、目の前には別の生徒達が俺達を待ちかまえていた。
 ざっと二十名くらいだろうか。
 無言で佇む無表情の生徒達。
 先程の生徒達と異なるのは、彼らが手に金槌や、モップ、中にはノコギリといった物騒な物で武装しているという点だ。
「相沢どうした!」
「祐一?」
 立ち止まった俺達に、舞と折原が追いつく。
 廊下の角で、俺達は完全に囲まれた。
「こりゃマズイな」
 折原が呟く。
「かといって、掴まったら何されるか判ったもんじゃない……行くしかないだろ」
 俺はそう言って佐祐理さんの手を離すと、廊下に有った掃除用具箱からデッキブラシを取り出して構え、折原にもブラシを投げてよこす。
「ボートはこの先の教室だ。一気に突っ走るぞ」
「おっし」
「……はい」
「……判った」
 俺の言葉に三人が答えると、再び頭上で大きな音と振動。
 郁未先生はまだ闘っている。
 俺達を逃がす時間稼ぎの為に。
 俺は深呼吸をして改めて意識を集中し、デッキブラシを構える。
「佐祐理さんを中心に、俺と折原が前衛で進路を切り開く。舞は後方を警戒しつつ、進路に穴が開いたら佐祐理さんを連れて一気に走り抜けろ」
 三人が頷くのを確認して俺は叫ぶ。
「行くぞ!」
 そして床を蹴って走る。
「うおりゃぁぁっ!」
 俺と折原が突っ込むと、殆ど出鱈目にブラシを振り回す。
 虚ろな表情の生徒達が倒れ、俺達は一気に雪崩れ込む。
 生徒の一人が手にした金槌を振り回して俺に迫る。
「危ねぇってのっ!」
 上半身を捻ってかわし、デッキブラシをその横っ面に叩き込む。
「悪く思うなよ」
「おわっ!」
 折原の叫びに振り返ると、ノコギリを持った生徒に悪戦苦闘を強いられていた。
「えい!」
 佐祐理さんがかけ声と共にその生徒の身体に体当たりをする。
 声も立てずに姿勢を崩して倒れる生徒。
「サンキュー!」
「あははーっ」
 折原が礼を言うと佐祐理さんがピースサインをして応じる。
「早くっ!」
 後衛の舞が背後から追ってきた生徒達を倒して叫ぶ。
 心優しい少女である舞にとって、今周りに居る生徒達はかつて闘った魔物とは違い敵として見ていない。
 排除すべき存在で無い以上、彼女も本当の力を使うことが出来ないのだろう。
「でりゃぁっ!」
 かけ声と共に、俺は目の前の生徒を薙払う。
「今だっ!」
 生徒が連鎖的に倒れると、折原、佐祐理さん、そして舞がその開いた空間を突っ切る。
 その瞬間、窓から強烈な光りが差し込んだ。





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