『約束だよ』
――約……束?
『全部忘れるの』
――全……部?
『うん。全部』
――君の事も……この場所の事も?
『そう……ボクの名前も、この学校の事も』
――何で?
『そうすれば、救われるからだよ』
『はじめからボクは居なかったの』
『君とも出会っていない』
『だからこの学校も無かったんだよ』
――そんな事……出来る……かな?
『出来るよ……だって……』
――だって?
『現に君は何もかも忘れてるじゃない』
頭の中をノイズに似た雑音が駆けめぐり、視界が暗転した。
■第18話 「清風故人」
何処かもどかしい気分で目が覚めた。
見慣れた天井に夢に見た光景を想い描くが、無理だと悟ると無駄な抵抗はせずに大きな欠伸をする。
手足を伸ばして自分の状態を確認するが、どうやら真琴の悪戯や仕掛けは無いようだ。
目を覚まして部屋の中を見回すと、床の上に寝そべっている野郎共――折原、住井、北川、南――の姿が見える。
普段はリビングで寝ている奴等だが、昨夜は俺の部屋で遊んでいた為そのままこの部屋で寝てしまったのだ。
流石に一部屋にこれだけの野郎共が居れば、圧縮された男臭さが溜まらなく嫌な気分にさせる。
やはり寝起きに嗅ぐ香りは、舞や佐祐理さんの髪の毛の香りが良いよな。うん。
見るのも嫌になるような寝相で寝転がっている野郎共。
折原は別格として、他の奴等の寝起きは普通であるから、俺が目を覚ましたのが普段よりも早いという事だろう。
いびきの四重奏にこめかみを押さえ、俺はベッドから体を起こす。
ふと、タオルケットをめくり上げて中を確認。
――誰もいない。
流石の真琴も、皆が寝ている状態では悪戯を仕掛けては来ない……わけ無いよな。
頭の中浮かんだ事を即座に否定する。
あの爆弾娘がこのくらいで躊躇するはずがない。
寝ているのが女性なら躊躇こそすれ、この面子であれば情け容赦なく攻撃を仕掛けてくるだろう。
とすれば、こう静かな寝起きは逆に嵐の前の静けさの様に思えて、少しばかり気分を鬱にさせる。
そんな俺の心境を余所に、世界は今日も良い天気だ。
開け放たれた窓から流れてくる優しげな風が、薄いカーテンをゆらゆらと靡かせている。
「よっし……うぉっ!?」
未だ寝ている野郎共を跨いで廊下を目指すが、途端、二本の腕が俺の足を掴み、姿勢を崩した俺は慌てて転びそうになる。
見れば半ば開いた口から涎をだらしなく流した住井が、俺の足にしがみついていた。
「う〜ん……長森さ……ん……むにゃむにゃ……」
おまけに”むにゃむにゃ”と来たか。
長森云々については、まぁ聞かなかった事にしてやろう。
少し乱暴に住井の腕を振り解いて廊下に出ると、丁度隣の部屋――名雪の部屋のドアが開いた。
「あら、お早う相沢君」
「よっ、香里。早いな」
軽く手を挙げて挨拶をすると、香里も目元だけ笑った表情で答える。
心なし疲れている様に見える。
「なぁ香里、お前疲れてないか?」
「あら? 相沢君こそ色んな意味で疲れてるんじゃないの?」
「どういう意味だ?」
「言葉通りよ」
くすっと笑いながら答える香里。
「なぁ香里、お前のやって……」
「美坂ぁ〜っ!」
俺の質問を遮るかのように、俺の部屋の扉が勢い良く開くと、大声と共に北川が飛び出してきた。
「お早う! 今日も素晴らしい朝だなっ! ハァハァ……」
恐らく香里の声に反応したのだろう。
数秒前までいびきをかいて寝ていた者とは思えない反応速度だ。
香里限定とはいえ、相変わらず素晴らしい耳を装備している。
流石に寝起きらしく、見れば奴の特徴であるアンテナヘアが寝癖で二本――ちょっとマニアックな比喩で表現するならデザートザクみたいになっている。
香里を見ればあからさまに迷惑そうな表情だが、北川は全く気にしていない。
否、気付いていない?
「お前、朝っぱらからハァハァするのは止めろよな?」
「うるさい相沢っ! オレは美坂に朝の挨拶をエレガントに決めようと、低血圧の身体に鞭打って……っておい、美坂!」
騒ぐ北川を放って置いて立ち去ろうとしていた香里に気が付いたのだろう。
北川は俺を押しのけて前に出ると、慌てて香里を呼び止める。
「なによ?」
面倒くさそうな声で応じる香里。
「だから、今日も爽やかな良き日和。こんな素晴らしき朝一番に美坂の声で目を覚ます事が出来た喜び、そして目覚めて最初に出会えたのが美坂というのは、神が与えてくれた奇跡に他ならない」
「随分安い奇跡だな」
俺は堪らずツッコミを入れた。
「外野は黙ってろ! オレはこの素晴らしい日を美坂と共有できる喜びを……今日という日をプレゼントしてくれた神に感謝を捧げたい」
「なら、勝手に祈りでも捧げなさい」
香里の刺々しい言葉に、何故か北川は表情を綻ばせる。
「そうかっ判ってくれるか! そんなわけで美坂、今日はオレとデートしてくれ。いや、しよう!」
「はぁ? どういう論理でそうなるんだ?」
北川の言葉に、俺は呆れたような声を上げ、香里に至っては一瞥しただけでそのまま歩き始める。
「それじゃ……」
そのまま歩き始めた香里の腕を北川が掴む。
「待ってくれ美坂〜っ」
「もう何よ朝っぱらっ!」
香里の空いていた手が、北川の腕を掴みそのまま流れる様に腕を動かす。
北川の身体が綺麗な弧を描いて廊下に背中から倒れ、口からは「ぐげっ!」と蛙が潰れたような声が出た。
「うおぉっ燕旋擺柳(えんせいはいりゅう)……」
燕青拳にある、相手の上中段の攻撃を受け流しつつそのまま相手を投げる技だ。
あまりに見事な動きに関心してしまったが……北川の奴、受け身を取ってなかった様な気がする。
(ま、良いか。北川だしな)
論理的かつ簡潔に自分を納得させると、俺は香里と共に歩き始める。
「ふぅ……」
香里が肩に掛かっていた髪の毛を掻き上げながら、盛大に溜め息を付く。
「香里、お前の方が色んな意味で疲れているんじゃないか?」
「そうね」
俺達は廊下に倒れたままの北川を放ったまま階段を降りる。
一階に下りて洗面所へ行くと先客が居た。
「よっ真琴、お早う」
「きゃっ、な、何よ驚かさないでよっ!」
顔を洗っていた真琴は驚き慌てて振り返る。
「何をそんなに驚く? 普通に俺は朝の挨拶をしただけだぞ」
「ふーんだっ。祐一なんか後で死ぬほど驚かせて一旗上げてみせるんだからっ!」
「”一泡吹かせる”だぞ。ま、精々頑張るが良い」
そう言って乱暴に頭を撫でてやると、「な、何よっ!」と、顔を少し紅くして洗面所を飛び出して行った。
「大変ね?」
俺の後ろにいた香里が呟く。
「そうだな、お互いに」
俺達は交代で顔を洗うと、髪の毛を整える香里を洗面所へ置いてリビングへ向かう。
「お早う〜」
リビングの扉をくぐって取りあえず挨拶。
『お早うなの』
リビングには既に身なりを整えた澪ちゃんが居て、笑顔でスケッチブックを見せる。
「よっ澪ちゃん。早いな」
そう言って頭を撫でる。
澪ちゃんはニコニコとした笑顔で俺に答える。
どうもこの子を見ていると、頭を撫でたくなる衝動に駆られる。
「えーと、他の奴等は?」
姿が無いところをみると、真琴は一旦自分の部屋に戻っているのだろう。
俺が澪ちゃんに問い掛けた直後、キッチンから長森と佐祐理さんが出来上がった食事を持って出てきた。
「あっ祐一さんお早うございます」
「相沢君おはよう」
二人の笑顔に俺も笑顔で挨拶を返す。
「祐一さんですか? お早うございます」
姿は見えないが、キッチンからは秋子さんの声も聞こえてきた。今日もこの三人が朝食を作っている様だ。
『七瀬さんと舞さんは外なの』
ふと脇腹をつつかれて見れば、澪ちゃんが新しく書いたメッセージを俺に向けていた。
さっきの質問の答えだろう。
「そうか、サンキュー」
そう答えてもう一度頭を撫でる。
何だか澪ちゃんは真琴と同じで小動物みたいだよな。
と言っても、真琴が猫のような物に対して彼女は差し当たってハムスターかな?
「祐一さん、食事の準備が出来ましたので、舞と七瀬さんを呼んできてくれませんか?」
美味しそうな料理の載った食器を並べながら、佐祐理さんが俺に言う。
「了解だ」
「二人とも多分、前の空き地だよ」
長森の言葉に頷いて俺はリビングを出て玄関へ向かう。
途中身なりを整えた香里とすれ違う。
「飯出来たってよ」
「有り難う。それじゃ栞を起こしてくるわ」
「名雪は?」
「頑張ってみるけど、あたしには無理かもね……」
「なら出来る限り頑張ってくれ」
「そうね」
互いに苦笑を加えて言葉を交わすと俺は靴を履き、ドアノブに手をかける。
「北川、お前何廊下で寝てるんだ?」
「こんなところで寝てたらみんなの邪魔だよ」
二階から住井と南の声が聞こえてきたが、俺は無視してドアを開けて外へと出た。
眩しい日差しに一瞬目が眩む。
「……っく」
視界一杯に広がる白い光景に、一瞬だけ今朝みた夢が脳裏に浮かぶ。
頭を振って意識を切り替えると、俺は改めて当たりを見回す。
青い空、白い雲、荒れ果てた大地。
少しだけ暑めの気温に心地よい風。
風に乗って”カン・カン・カツン…”という固い物同士が当たる音が連続的に聞こえて来る。
導かれるように音のする方へと向かう。
レオパルドと数台の車が停めてある道路を横切って、水瀬家の前の空き地へと進んで行くと、音はどんどんと大きくなって行く。
やがて何かが当たる音に加え、人の声も聞こえてきた。
「はっ!」
「……」 程なく音のする空き地へと辿り着くと、七瀬と舞が互いに木刀を持って打ち合っていた。
流石に腰を痛めたという七瀬は本調子が出せないのか、手数は明らかに舞の方が多い。
しかし、俺との練習の時よりも明らかに早い舞の連打をさばく七瀬の技量も流石と言えるだろう。
「はっ、そりゃっ、でぇいっ!」
乙女に似つかわしくないかけ声を上げながら、七瀬が連続技を繰り出す。
「……っ」
舞は全てを受けきっているが、その表情にゆとりはみて取れない。
それでも七瀬渾身の連続技を全て受けきった舞が、七瀬の一瞬の隙を見逃さず素早い一撃を放つと、七瀬の木刀が彼女の手から弾け飛んだ。
「うおっ!」
勝敗の決定的瞬間に感心する暇もなく叫び声を上げると、俺は上半身を横にひねる。
七瀬の手から飛び出した木刀は高速回転をしながら俺の横をかすめて飛んで行った。
「……祐一?」
「あら? 相沢……はふぅ〜」
思わずあげた叫び声に、舞と七瀬は俺に気が付き揃って顔を向ける。
舞はいつものように小さく手を挙げて答えただけ。
七瀬の方は痺れる手をさすり、呼吸を整えながら俺に「お早う」と付け足した。
「お前等俺を殺す気か?」
「……祐一、”避け”は基本」
舞が呟く。
「判ってるよ。ったく……ほらよ」
軽く悪態をつくと、俺は地面に落ちていた木刀を拾い七瀬に投げてよこす。
「サンキュっ相沢」
受け取ると、にっこり答える七瀬。
こうして汗ばんだ表情で微笑む姿は、お世辞でなく健康的で魅力的な姿に見える。
が、彼女の求める乙女像とかけ離れているのが、彼女にとっての不幸なのだろう。
「手合わせか?」
「ええ、一人で打ってるより張り合いあるからね。でも全然駄目。あ〜、川澄先輩強すぎっ!」
最初から持って来ていたであろうタオルで汗を拭きながら七瀬が言う。
「……留美は十分強い」
舞が言う。表情は無愛想だが、舞がお世辞を言うはずも無いので、それは紛れもない事実だろう。
「え? でも全く歯が立ちませんでした」
「おい七瀬、あれだけ舞と打ち合えるだけでも大したもんだぞ?」
「そっかな?」
「……自信持つ。少なくとも祐一より遙かに強い」
飾らない舞の言葉にはその分重みが有る。だからそうはっきり言われた身としては少々辛い。
「そっか。よっし! じゃあ相沢一本どう?」
「何でそうなるっ!? ってそんな事よりも飯だ。朝飯出来たぞ」
俺は此処にきた用件を思い出し二人に告げる。
「そっか、もうそんな時間なんだ。あ、川澄先輩有り難うございましたっ」
七瀬が礼を述べると、舞も小さく頷いて答える。
「それじゃ戻ろうぜ?」
「うん」
「……」
俺の言葉に頷く二人。
「ねぇ相沢?」
俺の横に並んだ七瀬が興味深そうな声で俺を呼ぶ。
「何だ?」
「川澄先輩の本気ってどの位強いの?」
七瀬はちらっと少し後ろを歩いている舞を見て尋ねる。
「うーん、本気の舞か……」
考えてみる。
以前の舞、つまり魔物と闘っていた頃の舞との、単に剣の技量だけの比較なら今の七瀬よりも多少強い程度かもしれない。
だが、実戦を経験している舞と、試合しかしていない七瀬では、本気で闘った場合その差は歴然だろう。
”百度の訓練よりも一度の実戦が勝る”とは兵士練度における鉄則だ。
ましてや七瀬は腰を痛めて現役を引退している。
幾ら平時においても未だにトレーニングを続けている彼女であっても、その差は歴然だろう。
そして今や舞にはかつての恐るべし敵であった魔物を使役できる。
それらを全て開放し、また自身に秘めた力をも完全にコントロール出来る舞が本気で闘う姿など想像出来ない。
あの夜、あの学校においても、彼女は全力を出したわけではないだろう。
つまり舞の真の力を見た者は居ないのだ。
「そうだな……七瀬が百人束になってかかっても勝てないんじゃないか?」
「うっそ……そんなに差があるんだ」
「あくまで本気だ。剣術だけの問題じゃない。剣術だけなら七瀬と大差ないと思うぞ」
「でも全く歯が立たないわ」
「それは経験の差だよ。それにお前、たしか腰を痛めてるんじゃ無かったのか?」
「え?……あ、そうだった。アイタタタタタ!」
突然思い出した様に腰を両手でさする七瀬。
こう言っては失礼なんだろうが、実に面白いやつだ。
七瀬がみんなに玩具にされている理由が何となく判る。
「……留美、大丈夫?」
そう言って舞は七瀬の腰に手を当てて何かを念じる様に目を閉じる。
やがて、手を離すと七瀬の表情が和らいで行く。
「あれ? 何だか痛くなくなった……凄いっ! 有り難うございますっ川澄先輩っ!」
大喜びで七瀬は舞の両手を掴んで礼を言う。
「おい七瀬。言っておくが、お前の腰が完治したわけじゃないぞ。あくまで今さっき痛めた部分だけが直ったんだ。無理はするなよ」
「え? そうなの? まっ良いわ、本当に有り難うございます」
少し落胆気味だが、すぐに気持ちを切り替えて舞に続けて礼を言う。
「……留美?」
「は、はい?」
「……私には祐一が居るから」
「は?」
頬を染めながら舞が呟いた言葉に、七瀬は唖然とした表情になる。
「……だから手を」
七瀬の両手は舞の手をがっちりと掴んだままだった。
「あ、済みませんっ!」
慌てて手を離す七瀬。
「なぁ、やっぱりお前女たらしだろ?」
「ちがうわよっ!」
大声で顔を真っ赤にしながら否定すると、七瀬はずんずんと一人で先に行ってしまった。
「うむ〜、七瀬らしいというか、全く面白いヤツだな。……それにしても、舞も恥ずかしい事を言うようになったな?」
俺が舞の方に振り返って言うと、今度は舞が俺の脳天にチョップ。
そしてそのまま七瀬を追うように小走りで水瀬家へと向かって行った。
「やれやれ、舞も七瀬も素直だよな」
一人で呟くと、二人を追うように俺は水瀬家へと戻る。
「しかし舞の本気……か」
ふと足を止めて考える。
「それでも……郁未先生には勝てないんだろうなぁ。多分」
あの人の場合、技量云々じゃなくて、単に念じるだけで事足りるのだからな。
「さて、ご飯ご飯」
呟いて俺は皆が待っているであろう水瀬家へと戻る。
今日も嫌味なほどに天気は良いようだ。
騒々しい朝食を食べ後片づけや洗濯を手伝い終わると、いつものように折原達は遊びに出かけ、俺達三人もまた連れだって調査に出かける。
「秋子さん、行ってきます」
「行ってきますー」
「……行ってきます」
わざわざ玄関まで来て見送ってくれる秋子さんに、三人でいつもの様に挨拶。
「あら、行ってらっしゃい。気を付けて下さいね」
そしていつもの秋子さんの言葉で俺達は送り出されるのだが、今日はもう一人見送りが居た。
「行ってらっしゃ〜い」
普段は折原達にくっついて遊びに行く真琴が、何故か秋子さんの横で俺達を見送っている。
「なぁ真琴、お前今日は折原達と一緒じゃないのか?」
「そ、そうよっ!」
「う〜ん……」
「な、何よ」
「いや、お前が素直に俺達を見送るのが不思議に思えてな」
「べーっ五月蠅いわねっ! 真琴だってPKOはわきまえてるわよっ!」
恐らく真琴はTPOと言いたかったのだろう。
「ほほーっ、お前が国連軍の一員だとは知らなかった。精々頑張って平和維持に努めてくれ」
「あうーっ……もう、どうでも良いでしょっそんな事!」
そんなやり取りを、秋子さんも佐祐理さんも笑顔で見守っている。
「いいか真琴、くれぐれも香里の邪魔はするなよ?」
今日も香里は居残って名雪の部屋で何かをしている。
それがどの様な事なのかは具体的に判らないが、その意味するところは恐らく俺達の行動と似たような事に違いないだろう。
「真琴の攻撃目標は祐一ただ一人よっ!」
胸を張って高らかに宣言する真琴の頭を軽く小突くと、俺は文句を言う真琴を無視して外へ出る。
わざわざ玄関口まで出てきて、俺達三人を笑顔で送り出す秋子さんに、笑顔で手を振り外に停めてあるレオパルドへと乗り込んだ。
「祐一さん、今日はどうします?」
昨日俺が居た場所――指揮官用キューポラから半身を出した状態で、佐祐理さんが明るい声で俺に尋ねる。
「そうだな、昨日でおおよその地表の調査は出来たし、今日はいよいよ外壁の下を調査したいと思う。あ、舞、今日は俺が運転する」
俺は佐祐理さんに答えつつ、梯子を降りるといち早く乗り込んでいた舞に声をかける。
「……判った」
舞は頷きながら運転席を離れ、後部の砲手席に着く。
「祐一さん、外壁の下の調査って……」
「ああ、あの石像を調べてみたいと思う」
俺の言葉に佐祐理さんと舞が神妙な表情をする。
そう、俺達の世界を支える様にそびえ立つ巨大な石柱群。
その中に俺達の友人や知人達の姿を象ったものがある。
それを調べようと言うのだ。
「そうですね……」
佐祐理さんはそう短く答え、舞はいつもの通り無言で頷く。
「よっし、行くぞ」
この世界の構造を調べあげ、何とか元の世界へ戻る糸口を探す。
俺達は決意も新たに目的地へと向かった。
|
§ |
砂塵を巻き上げて小さくなって行くレオパルドを、物陰から見つめていた真琴が含み笑いを浮かべて姿を現す。
背中には荷物で膨れ上がったリュックを背負っており、スコップの杖らしき部分が姿を覗かせている。
昨夜の内に用意を済ませ、玄関の外に隠してあった様だ。
真琴にしてはやけに用意周到と言える。
「ふふふっ、見てなさいよ祐一っ! 今から恐怖のどん底に陥れてあげるんだから」
そう言って折原から借りておいたMTBに、短いスカートも気にせずに跨ると、真琴は祐一達の乗るレオパルドを追いかけるべくペダルを漕ぎだした。
「私をのけ者にした事を今後悔させてあげるんだからねっ!」
青空に真琴の声が高らかに響き渡る。
|
§ |
”ビュォォォォォッ!”
遮蔽物の無い外壁部分においては、他の場所とは異なり風が容赦なく吹きつけている。
俺達は外壁に沿ってレオパルドを走らせ、時折砲塔を後方へ向けて停車させる。
砲身の先端部分に滑車を取り付け、車体後部に装備されているウインチからワイヤーを通し、その先を舞の身体にしっかりと結びつけ、ワイヤーの接続部分を丹念に確かめる。
その合間に舞は頭に取り付けたインカムの動作確認を行っているが、作業を見守る佐祐理さんの表情は実に心配げである。
レオパルドを停車させてこの作業をするのもこれで三回目だ。
俺達の住む世界はほぼ円形をしており、その外壁は数十メートルに及ぶ垂直と言って良い切り立った断崖だ。
そしてこの大地を支えるように、二〜三百メートルはあろう巨大な石像がその円周上に多数配置されている。
その中に、俺達の友人知人を象った石像がある。
確認が取れているのは、生徒会長の久瀬、同級生の里村、その親友であり俺達の困った友人でもある柚木、そして折原の親友である氷上の計四人。
石柱が一体何本有るのか判らないが、これだけ広大な土地の円周上にある事を考えるとかなりの数になるだろう。
ヘリから見た時の事を思い出す事でおおよその場所は見当ついたが、多数の石柱からその中の四本を探すのはそれなりに労力を要する。
そして今、俺達はその石像の場所を特定し、その調査へと乗り出す準備の真っ最中……というわけだ。
岩肌で凸凹はあるものの、ロッククライミングの技術の無い俺達が、その下を調査する為には例え舞であっても、このような昇降装置が必要なのだ。
「さてと、多分ここが里村の真上だと思うんだがな……よっし準備オーケーだ。悪いな舞」
「是非も無し」
頷きながら答える舞に、もう一度「済まない」と詫びて舞から離れる。
「舞、本当の本当に気を付けてね」
佐祐理さんが両手を胸の辺りでぎゅっと握ってことさら真剣な表情で舞を見つめている。
「……大丈夫。安心して。……佐祐理離れる」
舞がそう言うと佐祐理さんはゆっくりと彼女から離れ、レオパルドのウインチ用のワイヤードリモコンを操作して、舞を吊り上げる。
「よっし……舞頼むぞ」
舞、そして佐祐理さんと頷き合うと、俺はレオパルドの車内へと滑り込むように入り運転席に座る。
「良いか舞?」
インカムを通して話しかける。
「良い」
ノイズ交じりで舞の短い返事を確認して、俺はギアをバックに入れてアクセルを慎重に踏み込む。
「よし、行くぞ」
レオパルドがゆっくりと後進を始める。
”ビュオォォォォォォォォォォォォッ!!”
インカムを通して強い風の音が聞こえてくる。
やがて舞から停車を促す通信が入り、俺はブレーキをかける。
一八〇度後方へ向けた主砲の砲身先端部分が完全に外壁の外側――つまり崖の外に出たところ辺りでレオパルドは停車した。
ハッチを開けて外に出ると、佐祐理さんがウインチのリモコンを操作して舞の身体を下へと降ろし始めたところだった。
本当は俺が調査に行くべきなのだろうが、高所恐怖症の俺にはどだい無理な話だった。
最初のポイントで一応自ら名乗り出てみたものの、地面が無くなり眼下に広がる光景――遙か下に存在する亀の甲羅を見た瞬間、俺の意識はブラックアウトしていた。
実に情けない話だが、こればかりは致し方ない。
そんなわけで結局、俺に代わって舞が行くことになったわけだ。
落ちたらまず助からない高さ――数百メートルはあるだろう――の中空で、ワイヤーに吊り下げられただけの状態においても、落ち着いて作業をする舞に、俺は驚きを隠せない。
「祐一、今底を越えた」
インカムから舞の声が聞こえて来た。
「了解。佐祐理さんストップ!」
「はい」
返事と共に、舞の身体を降ろしていたウインチが停止する。
「どうだ?」
俺の問い掛けに暫くしてノイズ交じりに返事が返ってくる。
「茜の目の前。……只の岩」
舞の報告を聞いて俺は落胆した。
「もう少し調べてみる」
「判った、無茶するなよっ! 佐祐理さんに引き継ぐから後は頼む。佐祐理さん、舞からの指示に従ってウインチ操作頼む」
「はい」
そう言って佐祐理さんにインカムを渡すと、俺は色々と考える。
ただの岩。
無論、あいつらがそのまま大きくなっているとは思って居なかったが、何かこの世界の根元に関わる手がかりが有るんでは? と期待していただけに落ち込みも激しい。
石像になっている意味。
消えた久瀬、姿を現さなかった里村と柚木。
折原の話では学園祭準備期間中には居たはずの氷上。
つまり、俺達の前から消えた人間が石像になっていると考えるが自然だ。
しかし消えた人間等もっと幾らでも居るじゃないか。
学校に溢れかえっていた生徒達、校長先生、百花屋の店員、エトセトラエトセトラ……
その差は何だ?
「祐一さん、舞が戻ります」
佐祐理さんの声に、俺は考えるのを止めて意識を戻す。
「ああ、頼む」
「舞、今から引き上げるからね」
佐祐理さんの操作でウインチが始動を始め、ワイヤーを巻き上げ始める。
「はぁ判らねぇ〜。取りあえず郁未先生に中間報告だな」
俺は頭を抱えながら、舞の帰還を待った。
|
§ |
”カラン・カラン”
あり合わせの素材で作られたのドアが開くと、上部に取り付けられていたドアベルが音を立てる。
「あら、いらっしゃい……って、随分疲れた顔してるわね?」
ボロボロのカウンター越しに郁美先生が微笑んで俺達三人を迎える。
「あははー、ちょっと疲れましたね」
「……」
「はぁ〜もう何が何だかさっぱりですよ」
カウンターに付くなり俺は盛大に溜め息をついた。
「お疲れさま。これでも飲んで落ち着いて」
郁美先生は俺達にコーヒーをさし出すとニッコリと微笑む。
「有り難うございます」
「頂きます」
「……どうも」
それぞれに礼を述べてカップを口に運ぶ。
「それで? 何か判ったかしら?」
「いや、さっぱり……この世界の物理的な構造なら判りましたが、それが判ったからと言ってどうにかなる訳でもなさそうです」
「郁未先生はどうですか?」
カップをカウンターの上にそっと置きながら佐祐理さんが尋ねる。
「残念だけどさっぱりね。私達以外の存在は確認出来ないわ」
「そうですか……」
「はぁ〜、郁未先生も駄目かぁ〜」
佐祐理さんが心底残念そうな表情で答え、俺は多少大げさに嘆くと姿勢を崩す。
”カラン・カラン”
俺達の背後でドアベルが鳴った。
「あら? 相沢君……」
「よっ香里、お前も午後のお茶か?」
カウンター椅子を回転させて、俺は振り向くと香里を迎えた。
百花屋に入った香里は、佐祐理さんと舞に軽く会釈をすると、直ぐ隣のカウンター席に腰を下ろす。
「気晴らしの散歩……まぁ、そんなところかしら。郁未先生こんにちは」
「はい、こんにちは。紅茶が良い?」
「コーヒーの方を頂けますか?」
「判ったわ」
「……私もおかわり」
舞がぼそっと呟き、郁美先生に空いたカップを渡す。
「はい。ちょっと待っててね?」
笑顔で答えると郁美先生。
やがてコーヒーが運ばれると、舞は直ぐに飲み始め、香里は少し香りを楽しんでから口へ運ぶ。
「ひょっとして、あたしはお邪魔かしら?」
香里が一口飲んでから俺達の顔を見比べ、口元に笑みを浮かべながら言う。
「いや、別に構わないぞ」
「ええ構いませんよー」
俺達が答えると、香里は再びカップを口に運ぶ。
BGMの無い変わり果てた百花屋の店内――暫く誰も話さぬまま、静かな時が流れて行く。
「ねぇ、相沢君?」
最初に沈黙を破ったのは香里だった。
「何だ?」
「随分疲れてるのね?」
「ああ、色々やることが有るからな……香里こそどうなんだよ? 何か判ったか?」
俺の逆質問に、香里は髪の毛を掻き上げながら――
「そうね……」
と短く答えた。
香里は俺達や郁未先生とはまた別に独自に調べ事をしていると思われるから、彼女の意見は聞いても損は無いはずだ。
「俺達の調査は一段落したんだが、全く判らない事だらけでな。香里の見解ってやつを聞いておきたい。無論香里が良ければだが」
「……あなた達が行っている物理的な調査を否定するつもりは無いわ。でもこんな出鱈目な世界に対して、その事がどれほどの意味を持ってるかしら?」
「どういうことだだ?」
調査に行き詰まりを感じていた俺は、素直に香里の言葉に耳を傾ける事にした。
見れば佐祐理さんや郁未先生までもが興味深そうに香里を注目している。
舞は……相変わらず黙ってお茶を啜っている。
「だってそうでしょ? こんな世界が現実にあり得る?」
「そんな事言ったって、俺達は現にこんな世界に居る訳じゃないか」
「そうね。でも此処が本当に現実ならね」
そう言って香里は何処か遠くでも見ているかのような視線で、辺りを見回している。
「まるでこの世界が幻とでも言ってるかの様ですね?」
「そうですね……こんな出鱈目な世界が存在する事が、あたしにはどうしても解せないんです」
佐祐理さんの言葉に香里が俯き、力無く答える。
「目の前に在って、こうして手を触れることも出来るのに……あたしにはこの世界が存在している事が実感出来ないの」
カウンターを手で撫でながら香里は呟く。
栞の話では香里は意外と夢想家だという事だったが、ロマンチストが故に己の理想とかけ離れた今の世界は受け容れがたいのだろうか。
「だからあれこれ考えたり、調べたりしても無駄に思えるのよね。ふふっ」
「じゃ香里、お前は部屋に篭もって何をしてるんだ?」
自嘲気味に笑う香里に俺が尋ねる。
「あたしはただ書き留めてるだけよ。これまでの経緯やあたしの感じた事を……」
「なら教えてくれ香里。お前の考えでいい。この世界は一体何だ?」
「そんな事判れば苦労しないわ。でも……あたしにも未だ確証は無いんだけど……ただ難しく考える必要は無いと思うのよ。さっきも言ったけど、こんな世界が物理的に存在する事はあり得ないわ。なら、どの様な次元でなら存在する事が出来るのか? それを考えてみたらどうかしらね」
そこまで言って香里は立ち上がると、郁未先生に「ご馳走様でした」と言い残して百花屋から出て行った。
香里が閉めた扉が揺れドアベルを鳴らす。
その音色を聞きながら、俺は頭を抱えてカウンターに肘を付いた。
「そんな事言ったって判んねぇよ……」
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”キュッキュッキュッ”
蛇口を何度捻っても水は少し滴るだけだ。
”ポタッ、ポタッ、ポタッ……”
ああイライラする。
蛇口から滴る水と、俺の頬を伝わり顎から滴る汗が、不快のハーモニーを奏でている。
「ふぅ……」
炎天下と言ってもいい日差しの下、俺は街外れのガソリンスタンド跡で汗を流しながら水道と格闘していた。
レオパルドに給油を済ませて、俺自身は水分の補給……と行きたかったのだが、やはり水道から水が出る事は無かった。
一刻も早く砂でざらついた喉を潤したいのだが、先程百花屋で別れた佐由理さんが水筒を持ったままだったのだ。
「でぁっ!」
気合い一閃、渾身の力を込めたトーキックを水道パイプに決める。
”グワーン”
甲高い音が辺りに響く。
が、それで水道の”出”が良くなったわけではない。
むしろ自分の分泌する汗の量だけが気持ち増えた様だ。
散々たる戦果だ。
少し痺れる脚をさすり身体を伸ばして辺りを見回す。
このガソリンスタンドは、見てくれは完全に崩壊しているが、肝心な給油設備だけは未だ機能を維持しており、軽油やガソリンを給油する事が出来た。
この事実もまた、この世界に存在する不可思議な事例の一つである。
俺が今格闘している水道は、工事後の現場に残された物の様に、水道パイプと蛇口だけが地面から突き出ている状態だ。
「くっそぅ!」
どうせ誰一人居ないガソリンスタンドだ。
そう思って声に出して文句を言い空を仰ぎ見る。
その先の宇宙までもが透き通って見えるような程、深い青空が広がっている。
この世界の調査を始めて、どの程度の歳月が流れたのだろう?
流れる雲を見ながら、俺は幾度となく考えた同じ疑問を自分に投げかける。
元の世界――そう呼んで良いのかどうか判断できないが――学園祭を控えたドタバタ騒ぎ。
その騒ぎが起こる以前のかつての日常。
俺はそんな日常を取り戻すべく、こうして毎日この世界を調べ続けている。
仕事も勉強も無意味なこの世界で、衣食住を保証されたこの箱庭で、舞や佐祐理さんと暮らすのも悪くはないのでは?
それは幾度もよぎった甘い誘惑。
しかし、俺にはどうしても解せない事が余りにも多すぎた。
三人で交わした約束を守るため、そしてこの世界の真実を知りたいという一念が俺を突き動かしている。
しかし、当面の問題はこの水道だ。
「うーむ……参ったな。取りあえず水瀬家まで戻るか? いやこの場所ならみさき屋の方が近いかな」
出ない水道を軽く小突き、額に堪った汗を拭う。
しかし、幾らバルブを回したところで、本来水道など通っていない筈のこの地から、水が溢れ出す事は無い。
むしろ俺達の生活拠点ある水瀬家で水道が使用可能な事の方が異常なのだ。
「しかし、今日は暑いな……水遊びには丁度良いかもしれないが……ん?」
エンジン音と続くクラクションの音に俺が顔を上げると、秋子さんのプレミオだった。
「やっほー相沢君」
見れば運転しているのは、長森で助手席には澪が乗っていた。
プレミオが俺の横に停車すると――
『ガソリンなの』
ニコニコとした表情の澪が、助手席の窓からスケッチブックを見せる。
「はい、いらっしゃいませー、お客様レギュラー満タンっすか?」
俺は笑顔で冗談を言いながら、澪の頭をくしゃくしゃと撫でる。
「あはは、それじゃお願いします」
長森はそう応じながら車から降り、俺の近くまでやって来てレオパルドの方を見回してから口を開いた。
「あれ? 相沢君一人なんだ? 珍しいね」
そう、俺は久々に舞と佐祐理さんと別れ一人で行動していた。
二人には引き続き郁未先生と情報の交換、そして今後の行動について話し合ってもらっている。
「ああ、舞と佐祐理さんは郁未先生のところだ。そうれはそうと珍しいな、長森が運転なんて」
俺はそう言いながら、ガソリンの給油ノズルをプレミオの給油口に差し込みトリガーを引く。
「うん。オートマ車だし、他のみんなは遊びに夢中になってるから。それに……水瀬さん家に一旦戻ったついでだよ」
そう言って手にした物を見せる。
『スイカなの』
いつの間にか降りていた澪が、ニコニコと笑顔でスケッチブックを見せる。
「スイカか……今日は良い水遊び日よりだもんな」
「うんそうだね。ね、相沢君も一緒に行かない? 川澄先輩と倉田先輩も誘って。みんなも待ってるんだよ?」
『行くの』
二人が笑顔で俺を誘う。当然俺としても遊びに行きくない訳ではない。
いや、むしろ何もかも忘れて遊びたい。
「悪いな。少し調べる事があるから……おっと」
俺が答える間に、給油が終わったらしく俺はノズルを給油口から引っぱり出す。
ホースをたぐり、ノズルを元の場所に戻していると、澪が長森に『スイカ温まるの』と書いたスケッチブックを見せていた。
「そうだね……」
長森は手にしたスイカを頬に当てて温度を測りながら辺りを見回し、やがて見つけた水道の蛇口へと向かう。
「あ、長森その水道……」
壊れてるぞ――俺が全てを言い終わらない内に、長森が捻った蛇口からは水が迸っていた。
「えっ……!?」
驚き佇む俺に気付かない長森は、水道から溢れる水に持っていたスイカをさらして、その表面に当たって飛ぶ水飛沫に目を細めながら、澪と共にはしゃいでいた。
「うわっ冷たーい。澪ちゃん大丈夫?」
澪もまた笑顔で頷きながら水飛沫に戯れてていた。
飛び散る水飛沫に強い日光が反射してキラキラと輝き、小さな虹が現れていた。
輝く光と七色の鮮やかな色彩の中で、スイカを抱きかかえて微笑んでいる長森の表情に思わず目を奪われる。
そんな光景を見て、俺は知れず長森に声を投げかけていた。
「なぁ長森……」
「ん、何?」
「この世界……どう思う?」
「とっても楽しいよ」
俺の問いかけに、長森は間を空けずに笑顔で答えた。
「じゃ、私達行くね」
『またなの』
呆然とする俺を余所に、蛇口を閉め水道を止めた長森は、澪を連れ立ってプレミオへ戻ると学校跡へと去っていった。
一人残された俺が水道へと近づき再度蛇口を捻ると、驚くほど簡単に水は流れ出した。
流れ落ちる水をぼんやりと眺めながら俺はこの世界の事を考えていた。
だが、俺のオーバーヒート気味の脳味噌が答えをはじき出せる事もなく、焦りがつるだけだった。
「くそっ、判らない」
この世界の根元は一体何なのか?!
結局あの石像についてもさっぱり意味が分からなかった。
舞の調査では、本当にただの岩でできていると言う。
こんな出鱈目な世界に基本的構造など存在するのか?
いや、そもそもこんな世界自体が存在しうるのか?
しかし現に俺達はこの世界で生きている。
『難しく考える必要は無いんじゃないかしら』
香里の言葉が頭に響く。
無理だ!
これだけこの状況を理解するのに苦しんでも答えは出ないんだぞ?
簡単に考えて出るような答えならとっくに出ているだろう。
「畜生っ!」
悩み苦しむ俺を嘲笑うように、水道からは水が迸っていた。
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