輝かしい陽の光を受けつつ、俺は木々の間の一本道を進む。
理由は判らないが、漠然とした使命によって遙か彼方に見える東京タワーの様な塔を目指しているのだ。
第三者が聞いても判るようちゃんと説明しろ! と文句を言われそうだが、実際そうなんだから仕方がない。
RPGの主人公に自分の意思が無いのと同様、今の俺に自由意思は存在しない。
突如、道脇の草むらが音を立てて揺れる。
「きょきょきょきょ〜!」
おおよそ人間らしからぬ叫び声を上げて、アンテナのように頭の毛の一部を逆立てた獣が現れた。
突如現れた獣は、素早い動きで俺の進む道に立ちふさがると、特徴的な猫口から涎を滴らせてつつ”じゅるり”と嫌な音を立てつつ舌なめずりをしている。
そんな動作が妙に腹立たしく思えるが、気を落ち着かせて状況を確認。
明らかに敵意をむき出しにしている獣を”排除すべき敵”と判断する。
肩に巻いていたチェーンを解き、そのグリップ状になっている先端を握りしめる。
反対側の先にはトゲの付いた重そうな鉄球。
モーニングスター……つまり”トゲ付き鉄球チェーン”とでも呼べばいいのか?
いや、長ったらしいので以後は”祐一ハンマー”と呼称しよう。
その方が皆もイメージが湧きやすいだろうからな。
ん? 皆って何だ?
まぁ良い。
”ぶんぶんぶんぶん……”
俺は思いきり振り回し有る程度の勢いがついたところで、獣目がけて祐一ハンマーを投げつける。
初弾命中!
”メキャッ!”と、嫌な音。
獣は「ぎゅわぁぁっ!」と悲鳴を上げると脱兎の如く逃げ出した。
俺は何事もなかったかの様に再び歩き始める。
見れば一軒家。
躊躇いもなくノックをすると、勢い良く扉が開き中から少女達が現れた。
「くっくっく……祐一来たわね。くっくっく……」
「あはははははは〜っ! 祐一さんお待ちしておりましたですわ。さぁ佐祐理達と”有刺鉄線電流地雷爆破デスマッチ”で勝負でーす」
俺を迎える舞と佐祐理さんの笑顔がとても眩しい。
言動もおかしいが、舞の髪型はモヒカン、佐祐理さんに至ってはアフロだった。
ああ、何てアナーキー……って、こんな無茶苦茶有ってたまるか!
(夢よ終われ!)
そう念じたと同時に、遠くからチャイムの音が聞こえてきた。
■第3話「行雲流水」
”キーンコーン カーンコーン”
朝日に照らされた校舎からチャイムの音が鳴り響き渡る。
ただ、校舎の時計は以前より故障して居るため、そのチャイムが正確に時刻を伝えているわけではない。
それでも悪夢から意識を引き戻すには役立ったわけで、俺は今朝見た夢の内容を思い出し頭の中でチャイムに対して礼を述べた。
「ふあぁぁぁぁ〜っ」
故障により不規則に鳴り響く様になったチャイムを聞きながら、俺は大きく欠伸をする。
「……それにしても眠いなぁ〜」
俺達は校庭に備え付けられている手洗い場で、そろって顔を洗ったり歯を磨いている。
校内は既に学園祭へ向けた準備作業が再開されており、校庭にもそれぞれの準備に奔走する生徒達の姿がちらほら見える。
「なぁ、オレ達っていつから学校に泊まり込んでるんだっけ?」
眠そうな顔をした北川が、歯を磨きながら誰に尋ねたのでもなく眠そうに呟いた。
「あぁ? 忘れちまったよ、そんな大昔の事ぁ」
背伸びをして身体を少し動かしながら住井が答える。
「どうでも良いけど住井とは離れて寝たいよ。いびきが五月蠅くってさ……頼むから寝ている時くらい静かで居てほしい」
「朝から文句言うなんて健康に良くないぞ沢口」
「南だっ!」
南が歯磨き粉を口から飛ばしながら叫んでいる。
「はぁ……シャワーじゃなくてちゃんとお風呂入りたいなぁ……」
七瀬が髪の毛をとかしながら呟く。
その髪はリボンを解いている為ストレートで、普段と異なる容姿故に何処か新鮮に映る。
「そうね。それにちゃんとしたベッドで眠りたいわね」
洗った顔をタオルで拭きながら香里が七瀬に同意する。
その横では糸目の名雪が「うにゅー」と意味不明な言葉を呟きながら歯を磨いている。
「あははーっ、今日も良い天気だねー舞」
いつもの笑顔で、佐祐理さんは舞の髪の毛を束ねポニーテールを作っている。
「……うん。いい天気」
そんな二人を見て、一瞬だけ今朝見た夢を思い出し思わず笑ってしまう。
しかし夢で良かった。
モヒカンやアフロの二人なんてものは、金を積まれても現実には絶対に見たくない――佐祐理さんの手によって普段の髪型が整った舞を見て、俺は心底思う。
二人は昨夜も結局俺達の教室に泊まって行った。
舞はともかく、佐祐理さんは家に帰らないで大丈夫なのだろかと心配になる。
「うー、お母さんのイチゴジャム食べたいよー」
名雪の目には何故か涙が浮かんでいる。
ホームシックだろうか? ――と思ったが、咽せながら歯磨き粉を吐き出しているので、苺ジャムと間違えて歯磨き粉を飲み込んだのだろう。
名雪の歯磨き粉は苺味だし……。
「あら、名雪がちゃんと起きてるなんて珍しいわね」
「うー、香里酷い事言ってない?」
「そうかしら事実だと思うけど」
香里と名雪の会話を聞きながら、俺は折原の姿が無い事に気が付いた。
「そーいえば、もう一人の寝坊魔人はどうした?」
「あら? そう言えば居ないわね」
「うー酷いよ祐一。わたし、寝坊魔人何かじゃないよー」
俺の言葉に皆がきょろきょろと辺りを見回す。
ちなみに名雪の抗議は当然黙殺だ。
「ね〜浩平見なかった?」
と、丁度そこへ折原のお目付役にして我がクラスの良心、長森が走ってやって来た。
「瑞佳〜、朝の挨拶は”おはよう”だよ」
相変わらず名雪はマイペースだ。
「あ、おはよう……って、浩平が居ないんだよー! みんな知らない?」
「そう言えば今朝はまだ姿を見てないな?」
歯磨きを終えた北川が頭のアンテナヘアを整えながら答える。
「あの馬鹿、また瑞佳を驚かそうとしてるんじゃないの?」
七瀬が髪を束ねてリボンを結びながら呆れ顔で言う。
「あはは、そう言えば折原さん、この間は窓の外にぶら下がって寝てましたねー」
「……蓑虫さんみたいだった」
俺から見れば、奴の突拍子もない行動は笑えるというより驚かされるのだが、目の前の二人にはウケてる様だ。
「あれは驚く……って言うより、心臓に良くなかったわよね」
「全くね」
七瀬と香里が呆れながら頷き合っている。
よかった、俺と同じ感性を持つ者の存在が確認できた。
「ああーもう、何処行ったんだろう?」
俺がそんな事を考えている間も、長森は慌てながら周囲を探している。
「なぁ、ひょっとしたらあれかな?」
北川が校庭の一角を指さす。
そこは花壇だった。色とりどりの花に混ざって、見慣れた顔が咲いている。
「あーっ浩平見つけたー!」
走って行く長森を一同は惚けて眺めている。
『…………』
呆れ返る一同の目線の先――花壇の中で、折原は文字通り頭だけを突き出した形で地中に埋もれ、しかもそのまま寝息を立てている。
「本物の馬鹿だな……」
流石に呆れた俺はそう呟く。
「あれじゃ皮膚呼吸出来なくて死ぬわよ」
香里が髪の毛にブラシをかけながら、さも呆れた口調で話す。
「人類の為にも埋めちゃえばいいのよ。そうすれば少なくとあたしの平穏な日々は救われるわ」
七瀬の口調は呆れを通り越して怒りに近い。
「うわー光合成にチャレンジしてるのかな?」
名雪よ……それに成功したら、奴が人類ではない事を証明する事になるぞ。
「しかし、どうやって潜ったんだ?」
長森が必死に花壇から折原を引っぱり出そうとしている光景を眺めながら、俺は疑問を口にした。
何しろ状況が状況だ。
いくらヤツが変人でも、脚にドリルでも付いていないかぎり、一人で肩まで地面に埋まる事など不可能だろう。
「……昨夜私が手伝った」
「あははー、舞って優しいんですねー」
『…………』
「あ〜成るほど納得……って、そんな事手伝うなっ!」
佐祐理さんを除く全ての者が呆れる中、俺は舞の頭にチョップをしておいた。
やがて、土の中から生還した折原と、疲れ顔の長森が戻ってきた。
「やぁ〜みんなおはよう」
「……はぁ〜信じられないよ〜」
長森を驚かせる作戦が大成功した事で朝から妙に元気が良い折原と、正反対に深い溜息を付く長森。
「折原ちょっといいか?」
「ん? 何だ相沢」
「何となく答えは判っているが、みんなの疑問を代表して聞いておく。花壇で……というか、土ん中で何をしていた?」
「寝てた」
「なるほど。つまりお前は家でもああやって庭で寝ているのか?」
「馬鹿だな〜相沢。普通、庭で土に潜って寝ると思うか? 全く常識を知らない奴だな」
「それじゃ、もう一点。なぜ服が汚れていない?」
「ふっふっふっ。ちゃ〜んとコーティングしておいた。この折原浩平に抜かりはない!」
爽やかな笑顔で答えながら、土で汚れたビニールの塊――恐らくゴミ袋か何かをつなぎ合わせて作った物だろう――を自慢げに見せる折原。
「そのまま土に還れば良かったのよ」
七瀬のその一言は、皆の代弁だった。
折原はそんな七瀬の言葉を聞き流し腕を突き上げて叫ぶ。
「さぁ〜あと一踏ん張り! 明日の学園祭初日に間に合わせる為、みんなで頑張るぞーっ!」
『おーっ!』
ちなみに折原のかけ声に声を出して答えたのは、住井と長森と佐祐理さんだけだった。
「……おーっ」
……いや、舞が一テンポ遅れて応じた。
こうして俺達の一日は始まった。
「やれやれ、んじゃまぁ今日も頑張るかな……ん?」
見上げた中央校舎の最上部の時計には大きな「故障中」の看板がぶら下がっている。
――そーいえば、今は何時だろう?
そんな疑問は、不思議と声にはならなかった。
|