■■■ 紅葉  2024

2024年 紅葉情報を開始します -2024.11.01-

紅葉状況】 【ライトアップ

 
管理人の - お気に入り - 順不同
大山崎山荘 瑠璃光院
酬恩庵 下鴨神社
高桐院 上賀茂神社
渉渓園 宝厳院
祇王寺 枳穀邸
詩仙堂
修学院離宮
日向大神宮
有芳園
碧雲荘
古知谷阿弥陀寺
霞中庵
石峰寺
宗蓮寺
吟松寺
京都植物園
北野天満宮 「紅葉苑」
来迎院(今熊野)
天球院・大法院・桂春院
 栖賢寺
 
       

峰定寺
鞍馬より二十キロほど北の山間幽邃の地にあって、真に俗界を離れた仙境です。

本堂(重文・南北朝)は山の中腹、縣崖の上に舞台造りとして建っています。
清水の舞台と同じですね。
閼伽井屋としてはもっとも古いとされる「供水所」は、本堂の東北隅にあります。
「乳岩」は、門前より長谷川に沿って東へ八百メートル余りの山中にあります。
岩は鍾乳石からなり、その形が乳房のごとく、その先からあたかも乳汁のごとく水が滴り落ちています。
古来、この水を服用すれば、授乳に霊験ありといわれる。

車で行くしかないと思います。
軽装でどうぞ。

常照皇寺
年に二、三度行きます。
桜も新緑も紅葉も雪景色も。
京都駅から一時間十五分もあれば到着します。
しかし、紅葉シーズンは神護寺方面が渋滞しますので、早朝に行かれる方が良いと思います。
鞍馬方面からもお勧めです。
山越を繰り返しますので、車酔いされる人は行かない方がよいと思います。
駐車場は十分なスペースがあります。
お手洗いも、近所の人たちが交代で掃除をされますので綺麗です。
 

鞍馬寺
「くらま」は闇部(くらぶ)・暗部の転訛したもので、樹木がうっそうと生い茂り、昼なお暗いところから称したもの。
後世、山谷の形に付会して鞍馬の字を当てたものとみられる。

鞍馬の里人はもと鞍馬寺の衆徒が多く、七組仲間(大惣仲間・宿直仲間・名衆仲間・僧達仲間・脇仲間・大工衆仲間・大夫仲間)と称する独自の組織によって世襲的に運営された寺院村落。
これがため昔から寺の竹伐り会や火祭りの行事に携わるのが古来の慣例となっている。

仁王門から九十九折参道〜金堂〜木の根道〜貴船路に歩かれることをお勧めします。

車で行かれても、駐車場は少ないですよ。
それよりも、一日コースとして
出町柳駅からパノラマカー(「きらら」)で行かれた方が良いと思います。
パノラマカー「きらら」 午前7時台から午後6時台まで1時間20分間隔で1日9往復する。
一般の乗車運賃だけで乗れる。
出町柳と鞍馬を30分間で結ぶ電車の旅に、紅葉の見どころは2カ所ある。
市原―二ノ瀬間と貴船口―鞍馬間。
ここに差し掛かると電車は少しスピードを落としてくれる。

貴船神社
延喜式内の古社で、一に貴布祢・木船とも記します。
貴船は元来、木生根・木生嶺であって、平安遷都後、ここが都の北方にして、皇居の用水とされた賀茂川の水源地にあたるため、その清浄を守るために川上神と崇められ、水を司る神(タカオカミ)を祭神とされるに至った。

当社の雨乞い祈願は公的な信仰の場合であって、民間の信仰では夫婦・男女の仲を守る神として、またその反対に縁切祈願の神として、幅広く信仰されました。

 貴船川神に祈りし逢ふ瀬こそ流れて深き仲となりけれ (新続古今集、十三、恋歌三)

近辺に駐車場はないと思ったほうが良いですよ。
歩く歩く、兎に角歩く!

三千院
明治四年(1871)に三千院と改められた天台宗延暦寺派のお寺。
門跡寺院となったのは大治五年(1130)梶井の第十四世法主となられたとき。

瑠璃光庭(大正)は苔庭をいう。
青苔のみどりにはえる紅葉の秋景は、晩春五月の石楠花の美しさとともに、色彩美の極致と賞賛されている。

時間があれば、阿弥陀石仏(鎌倉)の方へも足を運んでいただきたい。

来迎院、勝林院、宝泉院も拝観されますよう。
宝泉院には「血天井」がありますし、お抹茶も付きます。
庭の樹齢六百年の「五葉の松」は見事です。
ドラマの撮影にもよく使われますよ。

寂光院
2000年5月の放火事件で本堂を全焼した寂光院は2005年6月2日、再建した本堂の落慶法要を営み、入り母屋造り柿葺きの本堂は焼失前の姿を再現しており、5年ぶりに洛北の古刹は、ようやく元の姿を取り戻した。

古知谷阿弥陀寺
場所は、大原三千院から北へ約二キロ。
若狭街道を進むと左手に竜宮門が見えますから、そこから六百メートルほど登った山腹に本堂があります。
狭く、急な上り坂です。
運転に自信のない人は下の駐車場で歩くように。
上の駐車場は四台程のスペースしかありません。

新緑の季節も良し。

八瀬
車で降りて楽しむこともないと思います。
三千院への途中右手に叡山ケーブルの駅があります。
この付近の紅葉は綺麗ですよ。

瑠璃光院
三条実美公ゆかりの瑠璃光院「秋の拝観」が始まりました。

http://www.komyoji.com/ruri/index.html

神護寺
紅葉シーズンは人・人・人。
あの石段は辛く、八百段前後あると聞いたことがあります。
年に一度は行きますが、一番良い時に行ったことがない。
少し早かったり、遅かったり。
タイミングが一日から二日ずれてます。

下の駐車場へは午前9時か10時で通行止めになり、それまでに入らないと駄目ですよ。

密教美術の宝庫として知られる屈指の古刹。
殆どの人が地蔵院まで足を運ばれると思います。
土器投げ(これについての話しは初年に書きました)は、高雄の名物として来山者の興趣をそそります。
因みに谷崎潤一郎の『雪後庵夜話』によれば、結婚に失敗した谷崎は昭和八年頃、この地蔵院にしばらく隠棲し、ここで小説『春琴抄』を執筆し、併せてのちに結婚した彼の夫人としばしば逢瀬を楽しんだ旨を述べています。

西明寺
指月橋の手前に数台の駐車スペースがあります。

真言宗大覚寺派の寺
境内は幽邃閑寂、三尾の一として、紅葉の名所

高山寺
無料駐車場があります。
が、反対方向の入り口から入山されることを勧めます。

国宝の、紙本墨画鳥獣人物戯画は有名。
高山寺所蔵の絵画・彫刻・工芸品・古文書等、一万余点の寺宝を収蔵する。
栂尾茶園は境内参道の傍らにある。
茶は平安時代以前にあっては、珍味または薬用として貴顕のあいだに用いられるにすぎなかったが、鎌倉時代初期、栄西禅師が宋から将来した茶種を明恵上人に贈り、上人がこれを栂尾の深瀬三本木に植えたのが、茶の栽培が盛んになった起こりといわれ、宇治の茶は栂尾から移植したもの。

宗蓮寺
周山街道の中川トンネルの東側にある山里。
静かにそっとしておきたいお寺です。

住民の方の迷惑にならないようにしましょう。

樹齢五百年前後の台杉の奥に紅葉・・・、写真好きな方はどぞ!
台杉と満山紅葉はおすすめですが、、、
(境内は三脚禁止です。又、お寺さんは、観光客などの参拝は好みではなく、取材等もお断りしておられるようです。)

実相院
洛北、国際会議場より車で10分程の場所。
岩倉門跡と呼ばれる名刹。
130本の楓と白砂の妙を楽しめる。
黒光りした板に映る楓は、他では味わえない。
ライトアップしてます。

交通の便が悪いため参拝者も少なく、静かに夜間拝観を楽しめます。
近くに岩倉具視幽棲旧宅あり。

円通寺
ここも道順が説明しにくい。
北山駅から深泥ケ池に向かい、池の所を左折して住宅街の細い急な坂道を上がると右手に案内板が小さく出ていたと思います。
又は、深泥ケ池の三叉路を右手に進行して自動車教習所を通り過ぎると、円通寺道のバス停があります。
そこを左折し、突き当りを左折すると左側にお寺への道があります。
駐車場は10台前後のスペースがあります。

比叡山を借景とした庭は京都一だと思います。

この地ははじめ後水尾上皇の幡枝御殿(幡枝御茶屋)とよぶ山荘があった。
客殿の「大悲山」・「円通寺」額は黄檗隠元筆と伝える。

大田神社
杜若の季節以外、観光客は殆ど訪れることもなく、静かに静かに紅葉を楽しめます。
短い参道の西側に数本の綺麗に色づく楓あり。
わざわざ行くほどのこともないので、上賀茂神社に参拝した時にでもどうぞ。

上賀茂神社
渉渓園はさほど広くない庭ですが、新緑も好きな庭です。
観光客も少なく、静かに紅葉を楽しめる大人の庭だと思います。

兎に角、一度、参拝してみられることをおススメします。

今宮神社
あぶり餅の西側と言った方が分りやすいですか。
紫野に鎮座する本市に於ける屈指の古社の一つです。
四面石仏(重要・藤原)は、紀年銘をもつ石仏としては現存最古ものです。
神占石は俗に「阿呆賢さん あほかし」とも呼ばれ、石を叩いたり突いたりすると重くて上がらず、撫でたり拝んだりして持ち上げると、軽々と上がるといわれています。
伏見稲荷大社の「おもかる石」と同じ意味でしょうね。
鯰の台石は、末社宗像神社の社壇の台石に彫ってあります。
当社は俗に「弁天さん」とよばれ、鯰はその神の使者として彫られたものといわれています。

あぶり餅の話しを書きましょうかね。
今宮神社の名物として昔から親しまれているそうです。
餅を指先でちぎった餅片を竹串にさし、炭火であぶって調味味噌をつけた風味のある京名菓の一つです。
これを食すれば疫病を攘うといわれています。
竹串は神前に供えた斎竹(いぐし)を用い、たとえそそげたままの粗竹でも、口に入れても決してトゲが立たないといわれています。
製法は昔と全く同じですが、砂糖の原料の関係でその分部だけが少しだけ変わってるらしい。

毎年四月第二日曜日の「やすらい祭」以外は南側の店と仲が良くない。
いつもブツブツ言ってるね。
両家の演出なら良いのですが。

妙覚寺
一、二年前に公開され出したため、参拝者も少なく大人向けの庭園(法姿園)
九時から午後五時まで。
拝観料は大人500円。

墓地には狩野元信・永徳をはじめ狩野家一族の墓や楽焼家元の楽家、茶人久田家一族の墓がある。

建勲神社
船岡山の東面山腹にあります。
織田信長を祀る旧別格官幣社。
明治天皇が織田信長の忠誠偉勲を追彰し、明治三年東京の織田信敏邸内と、その旧藩地の羽前国(山形県)天童舞鶴山とに祭祀せしめられたのが起こりとか。
本殿には信長を主神とし、その子信忠を配祀しています。
境内は高爽清澄の気に満ち、眺望が良いので、大文字の送り火を楽しむ場所としても絶好。

北野天満宮 もみじ苑
境内西側にある史跡御土居には昔からの自然林が残っており、四季に応じ様々な美しさを感じることができます。なかでも秋の紅葉は菅公がこよなく愛でられた梅と同様に御縁の樹木で、御土居一帯には約250本、樹齢350年から400年のものが数本あり、菅公の御神徳を偲ぶかのように鮮やかに彩られています。また、赤や黄に見事に染まった木々が紙屋川の水面に映え渡り錦秋の世界へ誘います。

光悦寺
三巴亭茶室には光悦像を安置する光悦堂があります。
名高い臥牛垣の前で写真を撮る人が多い。
駐車場横の紅葉は見事です。
お寺の駐車場は狭い。

源光庵
本堂の丸窓を「悟りの窓」といい、「禅と円通」の心を表しているといわれます。
角形の窓を「迷いの窓」といい、人間の一生を象徴し「生老病死」「四苦八苦」を表したものといわれます。

京都には少ない曹洞宗の一で、宇治興聖寺に次ぐ名刹です。

俗に桃山の血天井がある。
血天井に関しては諸説有るようで、折角楽しみにしている人もいるので、書かないでおきましょう。

鹿苑寺 金閣
ここは以外と見落とす人が多いかな。
タクシー乗り場の方の門から入ると見惚れてしまいます。
観光バスで駐車場に入った人も、入り直して欲しいくらいですよ。
西園寺家から当時の金で百万貫で譲り受けた庭。
現在の金額にすると百億円以上らしい。

吟松寺
鏡石通りを北へ北へと進みます。
旅行雑誌などにもほとんど紹介されることなく、静かに静かに大人の紅葉狩りをどうぞ。
駐車場はありません

等持院
足利氏累代の菩提寺です。
霊光殿には足利歴代各将軍の衣冠等身の木像十三体がずらりと列んでいます。
(五代義量 よしかず、十五代義栄 よしひで の像を欠きます)
足利尊氏塔に高山彦九郎が尊氏の罪状をかぞえ、鞭を以って打ったというのは有名な話し。
足利三代将軍木造梟首事件はその資料を勉強してください。

紅葉が見事なのは、方丈と勅使門の間に植わる正面から東側にかけて。
他よりも少し早めに紅葉したと思います。
東庭の方にも歩いてください。
清漣亭茶室は珍しい武家床の貴人席で、二畳台目の席です。

拝観料を支払い、真っ直ぐ達磨大師の方へ歩くとき、上を見上げてください。
ある有名な作家の名札を探してみましょう。

龍安寺
特別拝観を申し込んで下さい。
料金は2000円だったと思います。
時間指定も有りますので注意が必要ですよ。
所要時間は約一時間です。

西庭はそれなりに美しい。
勝元廟なども拝観できます。
金堂の柱は、樹齢1000年の檜であり、今でも香りがします。
方丈の襖を閉めると、昇り竜・下り竜の絵が描かれています。
茶室「蔵六庵」は近年新しくなりました。
「吾唯知足(われただたることをしる)」の四字を図案化した石造手水鉢の本物を見ることもできます。

法蔵禅寺
鳴滝の地にあり、二条家の山屋敷であったものを、尾形乾山が譲り受け、乾山焼きの窯を築いた所。
尚、非公開です。

高桐院
細川忠興とガラシャ夫人で有名な寺。
「参道も しぐれもみじや 高桐院」と言うだけに、美しい。
一基の燈籠が据えられている庭は、無の心境にしてくれます。
京都に来た頃は、毎年のように朝一番で行っていました。
最近は人が多くて行かなくなりました。
行くなら雨の日と決めています。
新緑の頃もお勧めです。
JR東海のコマーシャルにも使われたと思います。

当時、何度も見かけた外国人女性はどうされてるだろうか?
背筋を伸ばして正座し、それはそれは美しい女性でした。
私が出会った女性の中で、一番美しい人だと思う。

三鈷寺
この寺まで足を運んだ人は少ないと思います。
善峰寺から北へ二百メートルほど三鈷寺道を歩きます。
世に「善峰の別所」ともいわれ、終焉の地として世の隠棲者の住する所となり、信西入道の子是憲もここで往生を遂げた。
寺名の由来は、背後の山容が仏具の三鈷に似ているからといわれる。

善峰寺
JR東海のコマーシャルで使われた事もあるので、ご存知の方も多いと思います。
洛西は、車かタクシーを利用した方が効率よく回れます。
境内は広い。
お年寄りには少し辛いかも。

寺の手前には、松○○樹さんの家もある。

天台宗延暦寺派の寺で、1030年創建と伝える。
『元享釈書』によれば、
開創・弦算上人は、地形のけわしさに困っていると、たちまちに野猪の群れが現れて土地をならしたので、上人は伽藍を建てることができたという。
遊竜松(天)は、徳川桂昌院の植栽とつたえる五葉松で、高さ二メートル少々、左右に約四十五メートルほども伸びていた。
しかし、数年前に松食虫にやられたのか・・・。

西国三十三ヶ所巡りの第二十番札所

勝持寺
境内に桜の木が多いので「花の寺」ともいわれる。
大原野神社のついでに寄ってみて下さい。

大原野神社
足の不自由な人は、駐車場の管理人さんに言って、脇参道から車で奥の広場に乗り入れ許可を貰ってください。
自然な感じの境内です。
洛西は、一部を除いて静かです。
散歩気分で一日を過ごされるには最適かと思います。

社殿によれば、当社は延暦三年(784)長岡京遷都にあたって、桓武天皇々后藤原乙牟漏が奈良の春日大社の分霊を勧請し、新しい都城の鎮守社としたことに始まるといわれる。

金蔵寺
評価が難しい。
写真の好きな人にとっては最高の場所のようです。
何度か行きましたが、私には良さが分りません。
小塩山の南中腹にあるため、参拝者も少なく、自然が損なわれていないのが良いのでしょうか。
勝持寺(花の寺)と善峯寺の中間の道を西へ進みます。
離合の大変な箇所がありますので、速度を落として譲り合いましょう。

仁王門から石段を見上げると、おおいかぶさる紅葉に息をのむと思います。
手入れされることもなく、荒れるままの境内は寂しくもあります。
(手入れはされているのですが、京都には珍しく観光化されていないのでその様に感じます。本来、寺というものはこうなのでしょう)

由緒は頗る古く、『今昔物語』巻十七によれば
「京の西山に西岩蔵と云う山寺あり、その山寺に仙久という持経者住みけり」云々とある。

光明寺
一に”もみじ寺”とも呼ばれるほど素晴らしい。
高麗門から真っ直ぐ御影堂まで歩くもよし、一本南側の道を、薬医門から法然火葬跡に向かって歩くもよし。
ただし、火葬跡付近から御影堂へは急な石段になりますので、お年寄りには辛い。
駐車場は、正面左側から回り込んだところにもあります。

今年から有料になったはずです?
行かれる方は、確認必要ですよ。

世に「粟生光明寺」と称し、法然上人の廟所のある寺として、浄土宗寺院中、もっとも重んぜられている。

大山崎山荘
アサヒビールの山荘です。
美術館、陶磁器の展示・喫茶室などがあります。
大人向きの場所です。
できれば着物で行ってほしいなー。

JR大山崎駅を右折し、踏み切りを渡ると案内表示してあります。
トンネル手前で車は進めません。
踏み切り近くの駐車場から歩いてください。

東福寺
あまりにも有名過ぎて書く気にならないけど・・・。
鎌倉時代に創建した九条家の氏寺で、門跡寺院ではないが、多くの文化財を有する点では他寺に劣らない。
お寺の詳しい縁起については、「極める京」に書いていたので思い出してください。

通天橋の架かる洗玉澗は確かに京都でも一、二を誇るかもしれない。
何を誇るのかと言えば、街中で紅葉を見下ろせる場所は殆どない。
(永観堂でも一部見下ろせますが、スケールにおいて比ではない)
通天紅葉は洗玉澗一帯に繁茂する楓樹をいい、葉が三つに分かれて黄金色になるのが特徴です。
(見つけ易いのは、通天橋の中央に設けられた切り妻造りの張り出しの北西側すぐ下)
聖一国師が宋国より将来したものといわれ、約ニ千本におよんでいる。

紅葉で有名な東福寺ですが、桜の木が植わっていません。(多少有るかも)

紅葉シーズン、本町通から東福寺への入り口は一方通行になります。
係員の指示に従ってください。
そうしないと行き過ぎてしまいますよ。
駐車スペースは他の寺院よりも広いのですが、入場制限が有るかも分りませんよ。

光明院
東福寺南門より徒歩二分。
「波心の庭」に植わるもみじ。
京都で一番好きな紅葉かもしれない。
庭の設計図まで入手して石の配置なども勉強しました。
この庭と龍安寺の石庭との対比話しは面白いですよ。
毎年必ず一度は訪れます。
お勧め時間は、朝一番か夕方三時半過ぎの夕陽が射す頃。

拝観料金は特に定めてありませんし、受付もありません。
必ず竹筒に入れてください。
時々、不心得者を見かけます。

お酒のコマーシャルでご存知の方も多いと思います。
やはりここも最近人が増えたように思います。
特に、偽舞妓さんの写真撮影が増えたように思います。

南側の枝が切り取られたのか、以前の庭と趣が違って見えたのは私の勘違いでしょうか?
記憶に間違いがなければ、ここ一、二年のことだと思います。 -2005.11.23-

泉涌寺(方丈)
好きなお寺です。
品位品格のある庭。
団体さんさへいなければ静かに楽しめます。

泉涌寺と延暦寺は同じような境内だと思いませんか。
昔、その理由を読んだのですが忘れました。
資料として、どこかに保存しているはずなのですが・・・。

寺については、古寺巡礼を読んで下さい。

来迎院
分りやすく言えば、赤穂浪士大石良雄の建立と伝え、軒にかかげる額「含翠」は良雄の筆になると伝えています。
寺宝に良雄の念持仏とうたえる地蔵像や赤穂浪士達の遺品を蔵しています。
寺伝によれば良雄は表向きは山科に閑居しているとみせかけ、実際は当院でその大半をすごしたといわれています。

三宝荒神の左奥は面白いですから、石段を上がって見てください。
余談
三宝荒神とは仏・法・僧の三宝を守護する神とされ、清浄な火を愛するところから、古来竈の神として信仰されています。
しかし、当院では皇后宮の安産祈願所とされた関係上、一般には安産守護の神として崇められています。
これに因んで一に「胞衣 えな 荒神」とも称されています。

ここの楓は繊細な感じがします。
駅の近く(八条口まで10分)ですが、訪れる人は殆どいません。
彼女と二人でゆっくりと過ごすには最適かも。

駐車場はありませんので、橋の手前に車を止めてください。
(宮内庁月輪陵墓事務所奥)

観音寺(今熊野観音寺)
「五色の楓」が、根腐れでなくなっていました。
樹齢300年だったそうです。
がっかりして帰ってきました。
でも、静かですよ。
頭痛などに効き目のある枕カバーを売っています。

慈照寺(銀閣)
今更、寺の縁起を書く必要もないと思う。
漱蘇亭址からぐるっと回って錦鏡池に降りて来て下さいな。

再度、ライトアップしてほしいなー。
でも、白川通りまで行列ができるのも困りものですが。
月光に照らされた世界を模した庭と言われるのですから、三年か五年に一度、お願いしますよ。

圓光寺
詩仙堂の北にあります。
家康は朝鮮文書二百部・日韓の書籍ならびに木製活字十万の管理にあたらせ、世に円光寺版または伏見版とよばれる多くの書籍を刊行せしめた。
この木活字は朝鮮役に際して輸入されたもので、『貞観政要』や『武経七書』等の書は、これによって上梓されたという。

ライトアップはお勧めです。
が、近年は人出が多く、ゆっくりと楽しむことが出来なくなっています。
駐車場は広いのですが、一部分狭い道がありますの注意してください。
駐車場への入場制限をしているときもあります。

下鴨神社
ここの楓は種類(?)が豊富です。
小っちゃいのから大きいのまで。
数年前、某大学が木が出す音を研究しておられましたが、今はどうなのでしょうか。
以外と穴場ですよ。
交通の便が良いのに、訪れる人は少ない。

南禅寺
殆どの観光客が訪れる名所です。
三門に上がって見下ろすもよし。
付近の湯豆腐を楽しむもよし。
私のお勧めは、金地院です。

法華経寺(何有荘)   現在、拝観停止!
南禅寺塔頭・金地院の奥。
元南禅寺塔頭の址地で、面積約六千坪を占める上下二段に別けられた庭園は明治二十八年(1895)稲畑勝太郎(稲畑産業の創始者。明治の傑物、日本映画史の祖。貴族院議員。)が「植治」小川治兵衛に命じて作庭せしめたのである。
稲畑氏死後、昭和二十八年大宮庫吉氏が譲り受け何有荘と命名された。

入園料千円は、近辺の庭園などに比べて高いと思うなー。
好みもあるのでしょうが、特別優れた庭とも思えないし。

//

「南禅寺」使うな!隣接の「庭園」に“絶縁”要請

古都の名刹(めいさつ)南禅寺(京都市左京区)に隣接する宗教法人が「南禅寺回遊式庭園」と立て看板に表示し庭園の公開を5月から始めたところ、「関係あると誤解される」として、南禅寺が宗教法人に看板撤去などを求める仮処分を京都地裁に申し立て双方が対立していることが12日、分かった。

南禅寺側によると、京都地裁は10月12日、看板に「南禅寺」と表示し営業活動することなどを禁止する決定を出したが、宗教法人側は「看板の南禅寺という表示は消している」などと保全異議を申し立てたという。

立て看板は庭園近くなどの十数カ所に設置され、一時は南禅寺境内にも置かれ、南禅寺は「一切関係ありません」と張り紙を出すなどした。

庭園は南禅寺の塔頭(たっちゅう)跡にあり、1991年ごろ宗教法人大日山法華経寺の所有となった。約6000坪で、茶室や明治時代の洋館などもあり、公開は100年ぶりという。

大阪府枚方市から南禅寺の紅葉を見に来た主婦(56)は「100年ぶりという看板を見て庭園を拝観した。目くじらを立てるほどのことではないのでは」と話していた。

ZAKZAK 2004/11/13 より

日向大神宮
五本の指に入るお勧めの場所です。
観光客は殆ど見かけません。
静かです。
南禅寺の近くですが、車で行く人は分りにくいかも。
三条通を山科方面へ向かい、蹴上の交叉点の次の信号を左折して東山ドライブウェー方面に。
三十メートルほど行くとゼブラゾーンがあります。
そこを V ターンする形で左折。
(切り返しなしで曲がれたら、貴方の腕は信用できます)
突き当りを左折すると、その奥が日向大神宮。

伊勢神宮への代参として崇敬された神社です。
境内には伊勢皇大神宮に準じて内・外宮があります。
天の岩戸と呼ばれる岩窟は、外宮から内宮に渡る左側の道を行く。

永観堂 (禅林寺)
この地はもと平安前期の文人藤原関雄の閑居の地であった。
室町時代の作と伝える、本堂に安置される阿弥陀如来立像(像高 77cm)は、”見返りの弥陀”と呼ばれる。
来迎松が本堂の前にあります。
永観律師が凝心念仏の時、諸菩薩がこの松の上に集まってともに念仏唱名されたといい、当寺の山号を聖衆来迎山と称するのはこれによる。
悲田梅は古方丈と庫裡とのあいだの中庭にある。

「もみじの永観堂」と言うくらいですから、確かに美しい。
池辺には「岩垣もみじ」と呼ばれる楓樹が多い。
岩垣もみじについては、古今集、巻五、秋下を読まれるように。
と、書いたのでは、ここに来てくれた意味がないので・・・・・・。
 奥山の岩垣紅葉散りぬべし照る日の光みるときなくて

呉服のカレンダーにも使われる事が多いとか。
撮影場所は、茶店の北側の柵の中と聞いた事があります。
駐車場あります。
紅葉シーズンは人出が多いので、早朝か閉門一時間前くらいが良いと思います。

三鈷の松は、志納で買えます。
(指輪の大きさくらいに編んであります。蒸気で湿らせて、ご自身で編まれるも良し。)
百日紅の巨木も玄関付近にあります。

有芳園
住友関係者の紹介がないと拝観できません。
可能な方は、是非とも手続きをされます様。
「住友有芳園について」の冊子(?)があるので、書いておきます。

住友有芳園は、住友家15代家長吉左衛門友純により大正12年(1913)に建設に着手され、大正9年(1920)に完成しました。
殿亭は、住友総本店技師日高胖が設計し、大阪の棟梁八木勘兵衛が施工にあたり、庭園は、名造園師小川治兵衛が力をつくし、秀麗な東山を借景として完成したものです。
域内東北部には、持仏堂「芳泉堂」があります。
この堂は、別子開坑250年を記念して昭和15年(1940)に家門の繁栄を願い、「報本反始」(物体の根本にかえり、その恩に報いる意)の精神に基づいて建立されたものであり、住友家歴代の祖霊に合わせて、住友物故従業者の霊が祀られています。

碧雲荘
こちらも紹介がないと拝観できません。
五月中旬に一日だけ抽選で二十名ほどだけが拝観できるようです。
大正時代から十数年かけて造園し、昭和の始めに完成した小川治兵衛作の庭園です。
約七千坪には有芳園と違って高木が植わっています。
庭師四名、掃除する人が四名常駐し、年間維持費だけでも約一億円かかるそうです。
有芳園と大きく異なる点は、進駐軍に利用されたことがなく作庭時とまったく変わっていないことだと思います。

霊鑑寺
秋に特別拝観できたのかな。
調べてから参拝して下さい。

はじめは現在地より南、渓流に沿ったところにあったから、鹿ケ谷比丘尼御所または谷ノ御所と称した。
当寺は開山宗澄尼以来、代々皇女・皇孫女が入寺され、明治二十三年まで伏見宮家出身の尼僧が住持されていたから、皇室とのゆかりも深い。

後水尾天皇遺愛の散椿をはじめ、数々の椿の名木があります。
本庭は、江戸初期の書院南庭、中期の東庭、末期の本堂前庭と、期せずして江戸期の全時代の意匠が展開され、総合比較するうえに興味のつきない庭です。

  尼出でて落花掃きをり霊鑑寺  いほほ

安楽寺
後鳥羽上皇の女房松虫・鈴虫の話しで有名な寺。
承元の法難とは、このときのこと。

茅葺の門をくぐると、境内右手に住蓮・安楽の五輪石塔二基があり、境内東方の山林中には松虫・鈴虫のささやかな小石塔二基があります。
いずれも後世になってつくられた供養塔です。

本堂には本尊阿弥陀三尊像を安置し、その傍らに松虫・鈴虫の坐像および法然上人張子の像を安置しています。

石段の落ち葉の絨毯は、一生の思い出になると思います。

法然院
女性の多くが希望するお寺です。
個人的なお願いになりますが、静かに参拝してほしいものです。
山門北側の砂上には季節の花が描いてあります。
境内墳墓には著名な文人学者の墓が多いことでも知られています。

本堂須弥壇には「散花」と称し、常に四季の花がまき散らされているのが当寺の特色で、荘厳味が一入深い。

詩仙堂
女性なら一度は拝観された所だと思います。
けっして大きくはない庭は、その狭さを感じさせない奥行きを感じさせてくれます。
紅葉は勿論ですが、柿の実やススキなども秋を感じさせてくれます。

文人墨客が好むという山茶花は見事です。
数年前に、縁側の方に伸びた枝を切り落としています。

曼殊院
世に竹内門跡とも称し、天台宗五門跡(妙法院・青蓮院・三千院・毘沙門堂・曼殊院)の一として知られる洛北屈指の名刹。

詩仙堂の北です。
石段の紅葉は綺麗です。
勿論、庭園も素晴らしい。
八窓軒茶室、幽霊の掛け軸などが有名です。
見落としてほしくないのが、小書院南縁の前にある「梟の手水鉢」。
高さ約六十センチ、花崗岩製、円形壺型の四方に梟に似た鳥型を陽刻しているのが珍しいですよ。
清水寺にも有ります。
もう一つは、伏見の一般家庭にあると聞いています。
その他、長押の釘隠には七宝入り絵変りの富士形金具を打つなど、すべてに風流がこらされています。

駐車場は寺の北側にあります。

修学院離宮
ここを外すことは出来ないでしょう。
拝観手続きが必要です。

この離宮は後水尾上皇のために徳川幕府が造進した山荘。
修学院村にあった円照寺を奈良に移し、山荘造営の具体化に着手された。
上皇御自ら設計・監督されたという。
離宮の総面積は十六万四千五百坪、庭園と建物を中心とした上・中・下の三つのお茶屋にわかれています。

 山蔭に紅葉の錦織り映えて今も御幸の名残をぞ思ふ  伴 蒿蹊
 下の茶屋出て展けたる山紅葉                紅 春
 掛稲のうへの紅葉は上の茶屋                富安風生

蓮華寺
白川通りから三千院方面に向かうと左手に有ります。
道路沿いに五台ほどの駐車場がありますので見落とさないように。

私には、この寺の良さが分りません。
雨降る新緑の季節は静かで好きですが。
通好みと言われますので、良いのでしょうね。
ご住職は庭の手入れがが大好きで、竹箒で掃除しておられる姿を見かけます。
お寺の説明も含めて、気軽に話しかけてほしいとのことです。

今枝重直ゆかりの寺ですが、この人を知っている人は戦国時代が好きな人かでしょう。
彼はここに梵刹を建立したいと願っていたが果たさず、七十四歳で没しています。
再興には狩野探幽・石川丈山・木下順庵および黄檗の隠元・木庵禅師等の協力を得ていますから、天台の寺院にも拘らず、黄檗の気風の漂うのはこれがためでしょうか。

真如堂
今出川通り神楽岡通りからの方が分りやすいと思います。
紅葉シーズンは駐車料金が必要ですし、スペースもあまりありません。
路上駐車は取り締まりが厳しい場所です。

天台宗の寺で、一般には真如堂と呼ばれていますが、正しくは真正極楽寺。
境内は広く、本堂・三重塔・鎌倉地蔵・縣井観音・新長谷観音など見所が沢山あります。

近くには、謡曲「東北」に因む文学遺跡としても見過ごすことの出来ない寺もあります。
この東北院の本堂の前庭には、泉式部遺愛の梅と伝える「軒端の梅」。

迎弥寺・大興寺・極楽寺・東北院は真如堂とともに現在地に再建されたもので、俗に「四軒寺」と呼ばれる。

赤山禅院
仁和四年(888)天台座主安慧が、師の慈覚大師(円仁)の遺命により、赤山明神を勧請した。
赤山明神とは唐土の赤山にある泰山府君をいい、古来商売保護の神といわれ、また懸寄せの神として崇敬されています。
俗に五日払いといって五日を懸取りの日にするのは、赤山明神の賽日が五日であるのに因み、この日に参詣して懸取りにまわると、よく集金ができるといわれる。
この地は京都の東北鬼門にあたるので、古来、方除けの神として朝野の崇敬を集めた。
拝殿屋上の日吉山王猿像は網の中に入れられている。
京都御所の猿とこの猿は向かい合っているとも言われます。
「極める京」の”魔界封じ”に書いていたと思います。

門から少し狭い道を進むと右手に駐車場があります。
奥まで行くとUターンしにくいときがありますよ。
造形美の庭を楽しむのではなく、自然の紅葉が楽しめるところです。

霞中庵
現在閉館中。
特選中の特選です。
竹内栖鳳記念館の庭園。
十一月末ごろが見頃です。
先日(十一月初旬)行ってきました。
春は3000円だった筈ですが、夏ごろから2000円に値下げされてました。
得した気分です (笑

明治末年に、七卿落の一人であった壬生基修卿の別邸を手に入れ、保津川の景色を模した回遊式庭園や数寄屋建築の粋をこらした建物など、
栖鳳の嗜好を随所に取り入れた別荘です。

嵐山
平安時代から貴族の遊興の地であった嵐山。
舟遊びをするもよし。
ぶらぶらと散歩するもよし。
美味しい料理に舌鼓をうつもよし。

渡月橋を川沿いに吉兆の先を右折しますと、左手に武家屋敷があります。
綺麗ですよ。

利用する食事所を一つ。確認要!
嵐峡館に船で渡ります。
5000円程だと思いますが、静かで寛げ、300円払うとお風呂にも入れます。
十一時頃から三時頃まではゆっくり出来ます。

宝厳院
百四十年ぶりに紅葉を公開
庭内は大堰川と嵐山を模してある
獅子岩・碧岩・蓑垣・豊丸垣・破岩の松など

江戸時代の名所案内「都林泉名勝図絵」に記された寺院庭園が、約140年もの年月を経て一般公開されます。
この庭園は「獅子吼(ししく)の庭」と命名され、今春と同じく、拝観できます。

直指庵
静かです。
竹林も美しい。
訪れる人の多くは女性。
大覚寺の北側にあります。
駐車場は有りますが、道が狭いので注意してください。

もとは黄檗宗で、正保三年(1646)隠元禅師の法嗣独照禅師が、この地に没蹤庵(ぼっしょうあん)という一宇の草庵をむすんだのが起こりである。
隠元もしばらく当庵に止住し、この地に黄檗本山を創立しようとして果たさなかったと伝える。

村岡局墓があります。

後宇多天皇陵

小さな池に覆いかぶさるように楓が

厭離庵
藤原定家の小倉山荘址とつたえる、天竜寺派の尼寺。
ささやかな境内には本尊如意輪観音像を安置する小さな本堂と茶席「時雨亭」および定家が「小倉百人一首」を染筆する時に用いたという「柳の水」(硯の水)や定家塚等があります。
しかし、ここは定家の嗣子為家の岳父、宇津宮頼綱(蓮生入道)の中院山荘にあたります。
頼綱は定家山荘の一部を譲り受け、文暦元年(1234)頃、ここに一宇の山荘を構えたが、のちに女婿の為家に贈与した。
頼綱が山荘の障子に貼るために藤原定家に依頼した色紙が、のちの「小倉百人一首」。

駐車場は有りません。
境内の紅葉は見事の一言です。

二尊院
寺名は発遣の釈迦と弥陀のニ尊を本尊とするところから名付けられています。
やはりこの寺も応仁の乱に罹災しました。
その後、三条西実隆父子の帰依によって再興され、豊臣・徳川二氏もまた寺禄を寄進し、二条・鷹司・三条等の旧堂上貴族や角倉家等の菩提所となるにおよんで再び寺運は栄えた。

画家富田渓仙や映画俳優阪東妻三郎などの墓があります。
 
 散紅葉 ここも掃きゐる 二尊院  − 虚子

大河内山荘
昭和初期に時代劇俳優として知られた大河内伝次郎が、昭和七年以来、三十年の歳月をかけて営んだ山荘です。

私はあまり好きではないのですが、取り敢えず候補として。

車でも行けますが、竹のトンネルなどを散策された方が良いと思います。

落柿舎
内部は四帖半と三帖を主室とし、炊事場や物置からなっている。
また土間の入り口の荒壁にかけた蓑と笠は、庵主在宅の時はかけ、不在の時は外して、在宅の有無を示したものと伝える。
庭内に四十本の柿の木があって、ある年、柿の実を商人に売ることを約したが、生憎く風のために一夜のうちにことごとく落ちてしまった。
翌日見舞に来た商人はこの有様を見て驚き、契約を破談にしてしまったことから、落柿舎と名付けたという話しは有名。
はじめは臨川寺(渡月橋畔)にあったものと伝え、現在の地に再興されたのは、明和七年(1770)になってからのこと。

周囲の風光とよく合致している。
金福寺(詩仙堂近く)とともに、京都における俳諧遺跡の双璧

祇王寺
なぜここが好きかと言いますと、散った紅葉が美しいから。
苔の上に散った紅葉は、祇王寺が一番美しいと思います。

常寂光寺
数年前に、吉永小百合さん出演の映画の舞台に使われたとか。
表門からの石段に被さる紅葉は、一瞬足を止めてしまいます。
多宝塔付近も見事です。
駐車場は表門の奥にありますが、シーズン中や土日祝祭日は歩行者専用になりますので、この付近は半日の予定で歩かれた方が良いと思います。

寺号は、この地が清浄閑寂たること常寂光土の如しということからと伝える。
均整のとれた美しい姿の多宝塔は、石山寺多宝塔と比肩される。
歌遷祠は、当寺が藤原定家小倉山荘址という伝承に因む。
当寺が一に『軒端寺』といわれるのは、藤原定家の
 忍ばれんものとはなしに小倉山軒端の松に馴れて久しき
とうたった和歌によるもの。
「時雨亭跡」としるした石碑がありますが、境内は楓に覆われ、眼下に嵯峨野を俯瞰し、景観はすこぶるよい。

清滝
もとは愛宕詣での人々の水垢離をする所であった。
清滝川の清冽さと紅葉の美しさは世の評判となり、古来、文人墨客の来遊するものが多かった。
元禄七年(1694)初夏、俳聖松尾芭蕉は三回目の落柿舎滞在中、清滝の地を訪れ、「清滝や波に散り込む青松葉」と一句ものした。
また「清滝の水汲みよせて心太(ところてん)」とよんだのは、芭蕉が俳人野明亭に対する挨拶を含んだものだが、この句はともに清冽な清滝川に寄せた芭蕉のあこがれが現れている。

明治二十年(1887)の秋、同志社の学生であった徳富蘆花は、初恋に破れ、傷心の身を清滝の旅館「ますや」に横たえ、二十日あまり滞在し、読書三昧にふけった。
この時に読んだ『レ・ミゼラブル』は、蘆花のその後の進路を決定づけたといわれています。
滞在中の情景は、その自伝小説『黒い眼と茶色の眼』のなかに描かれています。

また昭和五年(1930)には与謝野寛・晶子夫妻も旅館「ますや」に宿泊した。

そのほか、梶井基次郎や織田作之助らも、学生時代に泊まったことがあり、清滝は単に紅葉の名所としてのみならず、近世文人・歌人の諷詠地でもある。

清水寺
個人的には、それほどの場所ではない。
もし、どうしても見たいのであれば、子安塔付近。
奥ノ院の方から徒歩で行かれるのも良いと思います。
車の人は、東山ドライブウェーに五条通から入る方法があります。
二つ目のカーブを曲がるところに、狭い道があります。
(歌の中山と呼ばれる)
車一台分の幅しかありませんので、離合に注意してください。
突き当りに、五台分程の広場があります。(現在、駐車不可)
ここからは、子安塔まで坂道はなく、お年よりにも良いと思います。
また、清水の全景が見渡せます。

時間のある人は、清閑寺から歌の中山を通って清水に歩いてほしいと思います。

枳穀邸
京都駅から徒歩で七分ほどの場所にあります。
この場所でありながら、本当に静かですよ。
彼女と二人で時を過ごすには最高の場所かも。
詳しくは「古寺巡礼」に書いてます。

入り口で簡単な手続きが必要です。
駐車場もあります。

注) 2006年より参拝料五百円が必要になりました

二条城

苔寺
一年中、いいですよ。
拝観料3000円だけのことはあります。
駐車場はありません。
近くの道路に止めることになりますので、バスで行くかタクシー利用になります。
拝観予約必要です。

地蔵院
苔寺の南です。
俗に「谷の地蔵」とも呼ばれましたが、近年は、境内の美しい竹林に因んで「竹の寺」とも呼ばれています。
方丈の前庭は細川頼之遺愛の庭といわれ、杉苔におおわれた平地に大小二十個余の石を配した平庭式の枯山水庭園で、十六羅漢遊行の姿をあらわしているといわれる。

醍醐寺
札所巡りの人を除いて、上醍醐まで歩く人は少ないと思いますが・・・。
境内は広い。
駐車場から、桜の馬場、三宝院、五重塔、金堂、女人堂で引き返された方が。

三宝院は紅葉とは関係なく、是非とも拝観してほしいと思います。

興聖寺
宇治市宇治山田にある曹洞宗永平寺派のお寺です。
真に閑寂清楚な雰囲気につつまれています。
分りにくいのですが、車で行けます。
駐車場へ行く道が琴坂。
二百メートルばかりの坂道には、その左右に桜や紅葉、山吹・ツツジが多い。
この坂を流れる谷川のせせらぎが、あたかも琴を弾ずるに似ていることから、琴坂の名が生まれたといわれる。
古来宇治十二景の一に数えられています。

宇治十二景
春岸山吹・清湍蛍火・三室紅楓・長橋暁雪・朝日靄暉・薄暮柴舟・橋姫水社・釣殿夜月・扇芝孤松・槙島瀑布・浮舟古祠・興聖晩鐘

宇治(白川もみじ谷)
白川もみじ谷は白山神社の境内から宇治川に抜ける渓谷で、東海自然遊歩道にも指定されている名所。
宇治川ラインの山々やもみじ谷の紅葉が清流の水面を染めて美しく映える様は宇治の秋を代表する風景。

勧修寺
「かじゅうじ」と読みます。
「かんしゅうじ」と読んでも問題はありませんが。

表門から入り、受付を済ませると宸殿、書院の横を通り、氷室池に向かいます。
途中には有名な勧修寺形灯籠があります。
水戸光圀の寄進による物だそうです。
樹齢七百五十年の「ハイビャクシン」は、灯籠を覆うように生えています。

俗説によれば、秀吉は三宝院作庭のとき、本庭の石をことごとく運んだといわれています。
又、氷室池を「延喜式」にかかげる「栗栖野氷室」といわれるが、同氷室は愛宕郡に属しすので誤りでしょう。

山科毘沙門堂
JR東海のコマーシャルで放映されたとか。
旧三条通りから山科駅を東に行くと、案内板があったと思います。
そこを左折した突き当たりが毘沙門堂。
駐車場は石段の左側から回り込むと10台前後のスペースがあります。
旧三条通りと寺までの西側に、「安兵衛」という蕎麦屋さんがあります。
名前でピンときた人は多いのでは。

石段付近の紅葉は素晴らしい。
また、桜は”般若桜”という樹齢150年の枝垂れ桜。
一年中好きな寺です。

京都・都七福神の一つ。
もともとは出雲路橋(賀茂街道)付近にあったらしい。

随心院
駐車場は、お寺の北側にあります。
一般には小野小町ゆかりの寺として知られる。
境内にはそれに因んで小町の化粧井、小町文塚、小町化粧橋、少将通い路跡など、小町と深草少将に関する遺跡が多いが、地名の小野郷に因んで生まれた伝説であって、史実によるものではない。

牛皮山曼荼羅寺と称したのが起こりと伝えています。
上人は亡き母が牛に生まれ変わっていることを夢に見、その牛を探し求めて養ったが、牛の死後、皮を剥いで両界曼荼羅を描き、本尊として安置し、曼荼羅寺と称したという。
その後、子房として随心院を建立。

善法律寺
八幡市八幡馬場と言っても、観光客には分りにくいですよね。
桂川と宇治川と木津川が合流する所に、石清水八幡宮があります。
その南東に位置しています。
お風呂やさんの向かい。
京都駅から車で四十分弱。

律宗唐招提寺派のお寺です。
正嘉年間(1257 − 59)、石清水八幡宮の別当善法寺宮清が私宅を捨て、東大寺の実相上人を招いて開山とした。
善法寺家は田中・新善法寺両家とともに当地に於ける旧家であるが、宮清の孫にあたる良子が将軍足利義詮に嫁し、義満を生んだことから近親の間柄となり、義満・義教・義政等がしばしば来訪した。
今も良子が寄進したとつたえる多くの楓があり、これに因んで一に「もみじ寺」といわれる所以である。

寺は地味な感じですので、岩清水八幡宮と松花堂庭園を組み合わせてください。

松花堂庭園
京都府八幡市八幡女郎花79
寛永時代(江戸初期)時代に文人僧として名をはせた「松花堂昭乗」ゆかりの地です。
全国各地の食事処で出されている松花堂弁当、それは昭乗が愛用していた絵の具箱が基になったと伝えられ、いわば松花堂弁当の発祥の地としても知られている。
庭園は約6000坪あり、内園と外園に分れています。
全国から集められた40種類の竹・笹類と、冬の茶花の代表とも言える椿が100種類近く植えられています。
資料館もあり。

静かで、お勧めですよ。
駐車場完備
弁当は予約必要です。

浄瑠璃寺
何度行っても好きな寺です。
道順が説明しにくいので、地図帖で調べてください。
相楽郡加茂町です。
京都から一時間弱の奈良県境。
こちらに行かれる人は、軽装で時間をたっぷりと。
当尾を歩きましょう。
石仏を訪ねたり、無人売店で野菜や果物を買いながら。
岩船寺も良いですよ。

=紅葉期未確認=

大宮御所
仙洞御所

宝寺・
長岡天神・
西本願寺・銀杏素晴らしい
東本願寺・銀杏素晴らしい
平等院 ・ 
仁和寺・
石峰寺・
正覚寺 ・
城南宮・

 
- back -