染み男のカルテ
作:ぶんろく

「いいかげんネタも尽きたんじゃないのかい?」
「人をすし屋みたいに言うな。お生憎さまでした。だいたいが医者のおまえがそういう事を言っていいのか? 患者との信頼関係こそ一番の治療だと、おまえは医者になったときにおれに偉そうにいったぞ」
「そ、そうだっけなぁ」
「あぁ、いった。たしかにこの耳で聞いた」
 今日は診察室のカウチに横たわって珍しく静かにしているので、声をかけたのがまちがいだった。幼稚園から続く、腐れ縁の男啓介の奇病――壁の染みなどが話し掛けてきたり、ある形に見えた瞬間に別の世界にワープしたりする――の話を聞くことになったのだ。

染み男のカルテ

 7月9日再診


「なぁ、鉄雄。どうしてたばこの吸い殻や、痰や、チューインガムを道端にはき捨てるんだろう。自分でも一通りやったことがあるので批判しているんじゃない。なぜなんだろう? 道徳心が欠如しているからだろうか。東南アジアのどこかの国のように罰則があれば直るのだろうか。いまだにかの国でその罰則が廃止されたとは聞かないから、おそらくは関係ないのだろう。たばこは吸い殻入れ、痰は痰壷、ガムは……紙で包んでごみ捨てにか、一番面倒くさい。
 それにだれもが、はき捨てられたガムを踏みつけていやな思いをしたことは一度や二度はあるんじゃないか? 革底の靴ならまだしも、細かい模様のあるスニーカーなどで踏みつけるとやっかいだ」
「まぁ、ガムと道徳心についての講釈はそれぐらいにして、本日の話題にはいってくれ」
「たくこらえしょうのないやつだ。昔から――」
「それも今日はなしだ。こうやってきいていいるんだから、いいじゃないか」
「ともかくだ、駅のホームから階段を眺めていたんだ。すると、掃除の人がいくら取り除いても次から次へと吐き捨てられるガムが点点と付着している。おおかたが踏みつけられて黒くなっている。
 それを見ていたんだ――」

まったくエドワードのやつときたら都合よく腹痛なんかになりやがって。俺は今朝も出撃したばかりなんだ。これで4日連続だ。いくらタフな俺でも疲れたぜ。
 爆撃するもんなんてなにもないじゃないか。みてみろよ、水田かジャングルだぜ。そのジャングルもいまじゃ枯葉剤でだいぶやられている。爆撃を逃れたわずかばかりの水田の刈り入れも終わりったいま、雲の切れ間からみえるはるかな地面には爆弾の痕の穴が点々とあいている。雨水が溜まって太陽を反射してキラキラと綺麗だ。まるでベリーダンサーの衣裳だぜ。
 勝つための戦争でなくなってだいぶたつ。
 今日は雲があるから、この高度ならまずベトコンの砲火の出迎えは受けなくてすむから安心しな。まぁ、ほとんど当たらないとはわかっていても、可能性は0じゃない。被弾して帰還できなくなったら悲惨だ。脱出しても待っているのは、なぶり殺しだ。ベトコンには捕虜の扱いにかんするジュネーブ条約なんて関係ない。そんなことをいったらこの戦争自体が――。
 半年前にベトコンに撃ち落とされたジョンのやつは、幸運にも殺されずに、昨日基地にに帰ってきた。生きちゃいるが、人間としちゃ死んじまったようなもんだった。
 ベトコンのリーダーはサディストで、毎晩のように、捕虜同士を戦わせた。負けたやつは、川の中の竹檻に閉じ込められたそうだ。上流で雨が降れば窒息だ。そうでなくても捕虜生活で衰えた体力を川の水が容赦なく奪っていく。ジョンはそのデスマッチにも生き延びた。
 でも最後は川に追い立てられて、岸から銃で狙い撃ちされた。キャンプを引き払うのに捕虜など邪魔だからだ。ジョンは撃たれた仲間の死体に隠れて生き延びた。
 同じように助かった仲間六人とジャングルを逃れるうちに、一人は地雷で、一人はベトコンの仕掛けた落とし穴におちた。穴には先を斜めにカットした竹が植えられていた。落ちたやつ――ウィスコンシンのミルウォーキー生まれの19歳。グレンという名前のそばかす坊やだったそうだ――は、即死というわけにはいかなかった。太股と右肩を竹串にされたやつは、頼むから殺してくれとジョンに頼んだそうだ。殺せといわれても銃も持っていない――。グレンは近くの竹串を必死でつかんでからだをおこすとその竹串で喉をついて死んだそうだ。
 逃げるといってもどこへ向かえばいいのかわからない。友軍機が時折上空を飛んでいったが見向きもされなかった。
 武器もなく、食料もなく、さらに二人が死んだ。かれらは、頼むから置き去りにせずに、川に流すか、地面に埋めてくれと頼んでいった。
 彼らの認識札を外し、ジャングルをさまよっているうちに、偶然、斥侯にでていた友軍に助けられたが、そのとき一人は敵と間違えられて撃ち殺された。
 ジョンともう一人、ネバダのホーソン生まれのワイズマンだけが生き延びた。ジョンのことはワイズマンから聞いたのだ。
 俺はワイズマンの情報――あてにはならん地形や川の形状――から、やつらが捕まっていたその基地をたたきにいくのだ。もちろん移動してもぬけのからだということはわかっている。無駄なことをなぜするかって、俺に聞くなよ。お偉いさんにはお偉いさんの都合があるんだろう。供給された爆弾を使い切らないと、ボーナスをもらえないとかな。
 とにかくこの戦争の目的は勝ち負けじゃない。あちらさんはもちろん勝ちにこだわっているのさ。でも、こっちサイドにとっては、人の命をやり取りして、新型爆弾を落とす。それが目的だ。
 おれはベトコンなんぞにいたぶり殺されるのはまっぴらだ。早いとこ爆弾落として、基地に帰ろう。命中しようがしまいが同じだ。誰を殺しても同じだ。俺が殺さなくても誰かほかのやつが殺しにいくだけだ。でも俺は殺されたくない。死にたくもない。
「向こうもそう思っているだって」――3ヶ月前に休暇で帰った故郷でそういわれた。本国じゃこの戦争に対する抗議運動がおこっている。
「ベトコンを殺すな!」とまでいいやがる。そりゃそうだ。そんなことは俺にもわかっている。だからどうだというんだ。爆撃機に乗っているのは俺だ。爆弾落とすのも俺だ。撃ち落とされるのも俺だ。アメリカ本土にいるおまえらじゃない。俺は、死にたくない。死んだあとに泣かれたくもないんだ。(完)

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