「ひさしぶり」
まるで飲み屋に入ってくるように診察室に入ってきたのは幼稚園時代からの友人、啓介だ。ここのところ、壁や天井の染みに反応して染みと会話したり染みが作る世界に飛んでしまうという体質に悩んで、精神科のわたしをたずねてくるようになった。
「二ヵ月ご無沙汰だったな。どうした? 病気でもしたか」
「いゃあおかげさまで元気してたよ。木の芽どきだったもんで、こころがざわついちゃてね。ちょっと旅に出ていた」
「そうか。そりゃよかった」
「なにがよかっただ。医者にくせに無責任なやつだ。それにだ、心配かけるといけないから旅に出る前、連休中にきてみりゃ休診の札が下がっている。おまえ医者だろ」
「なんだ来たのか。医者といってもおれはな、外科や内科と違って急患はすくないからな」
「そりゃそうだな、連休中に急患になったら、祈とう師のところにいったほうがいいかもしれない」
「口の減らないやつだ。でなんだ、今日は旅の土産話か」
「いや、違う。俺は患者だぞ。まだ、病気は治っていないんだろう」
「うん、まぁ、あれが病気だというならな」
「じゃぁ、さっさと直してくれ」
「そういわれてもなぁ。相変わらず世間の染みはおまえに話し掛けてくるのか」
「あぁ、旅のあいだもずいぶんと悩まされた」
「ほんじゃまぁ、旅の空で仲良くなった染みの話を聞かせてもらおうか」
「おまえってほんと極楽とんぼだな。昔からそうだったけどな。……なんだ、きょうは止めないのか」
「たまに聞くといいもんだ」
「けっ。
心がざわつくんでな、落ちつこうと思ってさ、あんまり木の芽の出ていないほうにいこうとしたんだ。だから、旅先は北の大地北海道さ」
「ずいぶん遠くでであったんだもんだな」
「なにが?」
「だから北海道なんだろう、おまえを悩ました染みは」
「誰がそんなこといった」
「だって北海道へいったんだろう」
「あぁ」
「じゃぁ、北海道なんだろう」
「あのな、物事には順序というものがあるんだよ。連休にどこいってたんだおまえ」
「ハワイだけど」
「なんでいった」
「飛行機」
「だろう。それが順序ってもんだ。俺も北海道に飛行機でいった。羽田まではバイクでいったんだけどな、途中で目が合っちまったんだ。そいつとな」
「どこにいたんだ」
「街路樹さ。プラタナスの樹皮にいた。ほらあの木って皮がまだらにむけるじゃん。それがね、裾の長い筒袖の服を着てヘルメットみたいな帽子をかぶった人の形に見えたんだ。おれは、あぁ、中国の宮廷人みたいだなと思った」
お出かけですか。どこまでいくんです。北海道、それはどこにあるんですか?
あぁ、北のほうの……。話には聞いたことありましたけど、いったことはありません。
わたしですか、張江漢といいます。そうです。中国人です。宦官です。そんなあからさまないいかたやめてくださいよ、たま抜き男なんて。
まぁ、その通りです。なんでこんな所にいるかというと、話せば長くなりますよ。いいんですか? 旅の途中なんでしょう。そうですか。じゃぁ、お話します。
わたしは中国最後の王朝清の宮廷に使えてました。内官監という建築関係の仕事をしてたんです。でも、清朝が滅びてその日から失業です。宮廷を抜け出すときに、白檀やら紫檀の木っ端をちょろまかして、それを道端で商っていたんです。物乞い同然ですがね。
日本でいうと大正一四年ごろですかね、中国で鈴木音末さんにであったんです。
鈴木さんは木場で銘木問屋を営んでいたんですよ。道端で商っていたわたしに声をかけてくれて、わたし木材に詳しいことがわかると、日本にこないかといってくれました。これからは、大陸との商いも増えるからおまえみたいなのがいると都合いいと言ってました。
音末さんも、最初は宦官だということをしらなかったんですが、わかってからも変わりなくかわいがってくださいました。日本へ行くのは不安じゃないといえばうそでしたが、それでも北京で野垂れ死にするよりはましでした。それに、鈴木さんが心の底では宦官が珍しくて日本に連れて行くにしても、珍しさが止んで捨てられるまでは生きられると思ったんです。
宦官になったのも生きるため。河間のちかくの農村の生まれです。貧しいという言葉も逃げ出すほどの家でした。六人兄弟の四番目。そのまま大人になっても長兄に労働力として使われるだけの存在でした。
だから北京に出て、自分から宦官になりました。一九のときでした。手術は大金が必要です。だから、宦官手術専門の刀子匠と相談して後払いです。払い終わるまでに八年かかりました。
金を払ってまでそんなことするなんてというかもしれませんが、払った金の何倍も手にすることができる。そうでなくても、死ぬまで長生きできるという夢が見られるんだから文句はない。水飲み百姓じゃ、いつ死んでも不思議じゃないし、今年は良くても干ばつになれば、逆に雨がいつもより一日多く降って田畑が水に沈んだら死んじまうんだ。死ぬまで生きるんじゃなくて、いきながら死んでいるのも同然なんです。
え、手術はどうするかというんですか。簡単です、鎌みたいな刃物でざっくりです。麻酔なんてありません。三日たって小水がでなければ死んじまうんです。めったにありませんがね。死んじまったら手術代も取れないんですからね。傷が治るまで四ヵ月ちかくかかります。
そのあとは宮廷に入り宦官の勉強をします。それからあとは王朝が滅びるまで、内官監をやってました。手術にかかった借金を返して、出世もして、これから商人から袖の下が取れるというところで滅びちまった。ついてないです。故郷になんか帰れませんよ。四七になってました。
子孫を残す――それになんの意味があるんですか。養子を取って育てても同じですよ。結婚なんてはなからできないんですよ、わたしら水飲み百姓の家の次男以下はね。一生、水飲み百姓に使われる泥食い百姓です。この世の中に存在しない行為なのだから辛くはないです。でもね、宦官だって結婚するやつもいます。それに、結婚してから宦官になるやつもいるんですよ。
とにかく、日本にやってきました。中国の宮仕えに比べればずいぶんと落ちぶれた感じもしましたが、みんな優しくしてくれて、そりゃ嬉しかったです。
最初は、鈴木のだんなのおかあさんの看護をいたしました。寝たきりでしたが、頭ははっきりしていて、漢籍にも詳しく、あたしは、日本語を習いました。自分の母親みたいに仕えました。優しい人でした。
看取ってからは、お嬢さんの家庭教師です。漢籍や独学で学んだ算術もお教えしました。それにあたしは、すくなくとも体のまちがいはおこしませんので、だんなさんも安心していたようです。えぇえぇ、もちろん何もなかったですよ。
お嬢さんはいいところに嫁ぎました。お嬢さんはあたしを連れて行きたかったようですが、先方がね、気持ち悪がって。はは、しょうがないですよ。
そのあとは、だんなさんと奥様におつかえしました。その頃にはだんなさまは商売は息子さんに譲って、地元の議員をやってましたので、その秘書のようなことをしておりました。背広なんていう窮屈なものをきて、歩いておりましたですよ。鏡に映ると恥ずかしくてね。
えっ? 息子の話は出てこなかったって……、嫌われてましたからね。「気持ち悪い、汚らわしい」それだけでした。だから、わたしも、坊っちゃんの目には触れないように暮らしてました。なに、そんなに難しいことじゃないです。規則正しいかたでしたからそれさえ覚えてしまえば一年も顔をみないこともざらでした。でも、その坊っちゃんもある時あっけなくなくなられてね。食中りです。
しかたなく、だんなさまは商売に戻られて、わたしもお手伝いすることになりました。一生懸命働きました。だんなさまも、おまえは生涯一人だろうから、頼りになるのは金だとおっしゃられて、給料もたんとくださいました。故郷に土地も買ってくださりました。とうとう見ることはなかったですけどね。
ときどきね、見せろというかただいるんですよ。どうなっているのかってね。やぼなかたですよ。しかたなくお見せします。見世物じゃないんだけど、仕事と思ってね。だんなさまは、やめろとおっしゃって、止めてもくださいますが……。
そういう人にはわかりゃしないんです。生きるために宦官になったってことが。
でもね、変な人に同情されたこともありますよ。侠客っていうんですか、不始末して小指を落とした人に、生きるためにはしょうがねぇんだよな、って。ほろっときましたけど、ちょっとちがうなぁと思いましたね、正直。
だって、小指を落としても、別の人格にはなりません。受け入れてくれる世界もあります。でもわたしたち宦官はね、生まれ変わるんです。というか、自分を作りかえるんですね。それに、受け入れてくれる世界はないんです。宦官は仲間じゃありません。団結はするけれど、仲間とは違います。
横路にそれましたね。
商売は順調でした。でも、だんなさまがね、病で倒れてしまいました。奥様がわたしに店を継げといってくださいました。だんなさまも病床から店を継げとおっしゃってくださいましたが、お断りしました。
結局、お店は人に譲りました。たいそうなお金がはいりましたので、暮らしには困りませんでした。だんなさまを看取り、その後数年は奥様のお世話をしました。そして、独りぼっちになりました。わたしも七十にちかくなってました。
それで気がついたんですよ。こりゃ困ったとね。いまさら国に帰ろうとも思いません。この国で死ぬんだと、思った瞬間、恐慌状態になったんです。死んだら湯灌にされる、ここぞとばかりにじろりじろりと見られるだろう。へたすれば絵に描かれてしまいかねない。それだけはいやだと思ったんです。生きている間はいいです、なにいわれても。でもね、死んだあとは……。死んでいるからいいじゃないかという人もあるでしょうが、反論できないんですよ、悔しいじゃないですか。
故郷の宮廷では死ぬと、切り落とした「宝」を仲間が棺に入れてくれます。でもね、清朝が滅びたときにわたしらは追い出されて、「宝」はそれきりです。このまま死んだら、冥土の王さまにラバに変えられてしまいます。一生働いてきたのに、来世でも働くなんて、いやですよ。そう思うといてもたってもいられなくてね。
恥を忍んで、お嬢さんに手紙を書きました。死んだらお手数ですが、面倒をみてくださいませんか、とね。もちろん二つ返事で承諾してくださいました。「一緒に暮らしましょう。だんなさまを説得するから」とまでいってくださいました。
もうしわけなくてね。わけを話しました。お嬢さんといっても、もういいおかみさんですけど、ちょっと頬を赤らめて「そういうことならしかたないわね。なにかいい考えはないかしら」といってくださいました。わたしは、とにかくすんなりと棺に入れてくださいとだけお願いしました。
ところがね、ある日、お嬢さんから電報が届きました。
でかけていくと、お嬢さんが「これでかわりになるかしら」といって、包みを差し出します。
押し頂いて包みを開けると木偶人形です。こけしっていうんですか、あれです。ちょっと違うような気もしたけど、異国の地で死ぬんだ、閻魔さまも許してくださるだろうと考えることにしました。それにね、一生懸命にわたしのことを考えてくれたお嬢さんの気持ちを思うとありがたくって、申しわけなくって。
それからというものいつ死んでもいいように懐にはこけしをいれてました。
えっ、じゃぁ、いまはついているのかって。ほっほほほっほ。いやですよだんな。体に不釣り合いなほど大きいんですがね。贅沢はいえませんから。(完)