染み男のカルテ
作:ぶんろく

今日は予約の患者が次々とキャンセルしてくれて、とても暇な日になってしまった。
 こういうときに啓介がくれば格好の暇つぶしになるのに……、と思いかけて、ぶるぶると首を振った。危うくあいつの術にはまるときだった、と思い直したときには遅かった。
 診察室のドアをノックして入ってきたのは、その啓介だ。
「なんだぁ、間抜けた顔をして。俺だからいいもの、患者だったら、帰ってしまうぞ」
「うるさい。帰れっ!」
「あ、おしめの貸し借りまでやった仲の俺に向かってひどいことを言うんだね。患者だよおれは?」
「ならばなおさらのこと帰れ」
「なんでぇ?」
「おまえが言ったばかりじゃないか。俺の顔を見て患者なら帰ると」
 といったところで、帰るわけがないことは百も承知だ。ただ、一瞬でも啓介のことを考えた自分をのろいたいだけだった。
「なぁ鉄雄、おまえ人間ドックっていったことあるか」
「ない」
「医者の不養生ってやつか。昔からおまえはモノグサだったからなぁ。口癖が面倒くさいだったもんな」
「おれの昔話はいい。今日の用事はなんだ? 人間ドックのお誘いではないんだろう」
「もちろんだ。なんといってもおれはおまえのたいせつな患者だからな。
 こないだ健康診断にいったわけよ。自由業は身体が資本だからな。いつもは内科的な検診だけを受けるんだけど、今回は脳みそを調べてもらったわけよ、オプションで。おまえは一向に俺の病気を治療してくれないし、なんかわかるんじゃないかと思ってさ」
「で、わかったのか?」
「だったらこないよ、おまえのところなんて」

染み男のカルテ

 4月28日再診


人間ドックといっても専門病院ではなくてさ、そこらの病院がやっているものだ。いよいよ脳のCTスキャンということになって、俺はストレッチャーにのって待っていた。ところが俺の順番になって、突然交通事故の急患が運び込まれてきた。おれは待ちぼうけ。生死に関わるわけじゃないから文句も言えないしな。
 本を読めるわけでもなくしかたなく天井を見ていた。病院の天井は表面を白く塗ったところに不定形の模様の穴があいているラスボードっていうやつだった。しかしラスボードってのはどうしてあういう様式なのかね? なんかオリジナルが有ってそのまねなのかね。
 模様をみながら、これは露天風呂の湯温を爪先で確かめる人、こっちは音符の終止符、あぁ、こっちはサッカーのシュート、これは阿波踊りかな、なんだか絵文字みたいだな。
 気がついたら俺は、とんでもなくほこりっぽい場所にいた。おまけに暗いんだ。おっそろしいほど静かでさ、血液が流れる音だけが耳鳴りのように鳴っていたんだ。暗い空間のはしっこでチロチロとランプの灯が燃えていた。その小さくて丸い光の空間の中に男が一人座り込んでいたんだ。
 そいつに近づこうとして二、三歩歩いたとたんにおれは腰をいやというほど何かに打ちつけた。手で探ると石だ。
 俺のうめき声にその男がこっちを向いた。げっそりとやせ、魂が抜けたような顔をしていた。俺を見てもおどろくわけでもない。
「あぁ、おまえさんもとじこめられたのか。わるいがここは俺が先約だ。他の場所に行ってくれよ」
 わけがわからず黙っているとぶつぶつとなにかいっている。
 墓泥棒が悪いなんてだれも教えてくれなかった。俺のオヤジも、じいさんも墓泥棒で家族を支えてきたんだ。俺も墓泥棒で七人の子供と三人のかかあを食わせてきたんだ。
 墓泥棒っていったって、簡単なもんじゃねぇ。一人じゃとても無理だ。下働きから、右腕になるやつまで束ねて始めて一人前なんだぜ。俺は一五人からの郎党を束ねていたんだが、みんないなくなっちまった。一瞬だ。天井が落ちてきて。
 ちょうどお宝を運び出すときだったから、盗掘口の見張り役もなかにはいってきていたから、閉じこめられたことを知っているやつはだれもいない。もっとも知っていても助けを求められるわけじゃねえけどな。
 この墓は、ここ数年じゃ一番のヤマだった。この谷はだれも掘ったことがないんだよ。一生のうちでもそうないお宝だったのに、残念だよ。
 みてくれよこのお宝をよ。金銀、宝石、選り取りみどりだ。他にも抱えきれないほどのお宝があった。手下がもっていたからみんな石のしただ。
 いつかこの墓を掘るやつがいたら大もうけだぜ。たいして掘らないうちから、お宝が点々と手に入るんだからな。それを考えると悔しいぜ。カイロあたりで捌けば、かかあをもう二人とがきも四、五人養えたのに。牛も飼えたしよ。かんがい用の水利権だって買いたせた。
 でも、墓泥棒は欲深いからな。おれだって、ここを見つけたときには、興奮しちまって、いつもは抜かりない天井の養生も忘れてちまって、この始末さ。
 でな、あとからくる墓泥棒。もしかしたらそいつは最近やってくるようになった、白い肌の学者かもしれねぇ。おれとしちゃそっちのほうがおもしれえ。
 何回か学者の案内役をやってみたが、あいつらおれたちと同じように欲が深い。かならずここまでやってくる。
 だから俺はここでミイラになることにしたんだ。幸い俺の手元にはミイラがかぶっていたマスクがある。
 ミイラはどうしたって? あれは薬になるってんで高くうれるんだ。手下が切り刻んで運んでいった。ヨーロッパ人は野蛮だよ。
 何日か知らないが俺はわずかの水だけで生きてきた。だから内臓もひどくは腐らないだろう。うまくすりゃきれいなミイラになれる。これは俺の最後のばくちだ。わくわくするぜ! 
 なぁに、石の棺に入って砂をかぶっていりゃ、学者なんざだませるよ。あつらだって最初はお宝に目が行くからな。ばれたらばれたで、往生際の悪い墓泥棒ってんで名を残すだろう。どっちにしても負ける気のしないばくちだぜ。
 うまくすりゃ俺は、なんとか王になって後世に生き返るわけさ。おもしれぇだろう。
 この水、おめえににやるからよ、代わりに、俺に砂かけてくれ。じゃぁ、頼むよ。(完)

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