わたしの友人は、壁や天井の「染み」が何かの形に見えると、そのものの声が聞こえたり、それが存在する世界にひきこまれてしまうという奇病に悩まされている。
困ったことに、幼稚園時代からの友人であるわたしは、精神科医をしているため、友人は予約もいれずに診察室に押しかけ、長椅子に横たわり、体験を一方的に聞かせるのだ。
白昼夢、妄想と片づけてしまってもいいのだが、邪険にすると、わたしの無意識を揺さぶって、いやな記憶を思い出させるという悪い癖がある。
今日も、次の患者のアポイントがあるといったら、「小学校六年、一〇月一二日火曜日の給食にでたプリンを、おれが淡い恋心を寄せていた慶子ちゃんにあげたのに、おまえはそれを横取りして食った」と、脅されて話を聞く破目に陥った。精神科医の悩みも深いのだ。
友人にいわせると、この世のなかには「三大染みスポット」というものが存在するのだそうだ。
天井、ホテルの壁、そして地下鉄。友人はこれらにはなるべく近寄らないようにしているというのだが。
この日の話は、地下鉄での出来事だというのだ。
「打ち合わせが早く終わったその日は、都心の公園の一角ある図書館で調べものをしてから帰ろうと思ったんだ。
前にもいったように、地下鉄や駅間をつなぐ地下通路は『恐怖の染みスポット』だといったよな。染み密度が世界一だ。
で、ホームで列車を待っていた俺は、線路の向こうの壁を見ていた。視線をツツゥーと下に下げたとき、そいつが見えちまったんだ。
壁の継ぎ目から染みだした地下水が作った染みが、ひとことでいえば『女性の外性器』みたいな染みが。たまってる、なんて下品なことをいうなよ」。
いたいよー。いたいって。
なんなわけこの痛みは。それに、いったいここはどこ? なんで寝ているわけ。痛いっ!
股が裂けるぅっ。確かに痔主の俺だけど、最近は食生活もちゃんとしているし、こんなに痛いはずはないんだけイタイイタイっ。昨日ちょっと飲みすぎたか?
それに、この男は、なんなのんだ。「スーハースーハー」。ヤニくさい息をかけるなっていうの。いたたたたぁーい。なんでおれの痔の手術にこんなおっさんが立ち会っているわけ。
「がんばれー」ってね、励まされても困るんですよ、おっさん。ほんと、だれですか? あなたは。こら、手を握るな! 汗でべたべたじゃないか、気色わりぃ。
げ、これってもしかして分娩台?
げー。どうして俺が、なんで、いったいだれの子を産むんだ! このスーハー男のか? おまえとなんか酔った勢いでもまぐわった覚えはないぞ!
いたたたた。
もっと力めだのなんだのかんだのうるさいなぁこの看護婦は! 生むのはおまえじゃないっていうの。ちょっとまて、生むなんて決めてないぞ。
なんとかしてくれ、助けてくれぇ。俺は痛みに弱いんだ。がまんできないよぉおお。
気が遠くなる……。
こらったたくな! 看護婦。あんたより赤ん坊のほうがたいへんだって? うるさい! そんな冷静な分析をきいたって、痛みはやわらがねぇぞ。
くそっ、このスーハー男! おまえか俺をこんあ目にあわせたのは。こんど街であったらただじゃおかねぇからな。
はっはぁい、はいぃーはい。わかりました。
ヒッヒッフーフッフッハーヒッヒッフー。
なんで俺がラマーズ法の呼吸方法を知っているんだ?
頭がでたって? 早く出ろ。卵みたいな形してりゃもう少し楽だろうに。「子種を入れたら二分で赤ちゃん!」なんてね。
卵でうんでさ、男といっしょにトンカチかなんかで割ると赤ん坊がでてくれば、男も少しは出産の感動を味わえるんじゃないのかね。結婚式のケーキカットが「二人の初めての共同作業です」なんていうのより、なんぼかしゃれていると思うけど。
ついでに長期保存できる卵ならもっとつごういいじゃん。産休も育児休暇も満足にとれないし、保育所だって満員で順番まちだ。都合が良くなったら孵化させればいいんだよ。
あ、はいはい、ごめんなさい看護婦さん。フッフッハーフッフッハーフッフッハー。
呼吸法が違う? あぁすみません。
ハッハッハッハッハッハッハッハッハッ。
そうでなけりゃ、ウンチみたいな形してさ。何回か脱皮してから人間になりゃいいんだよ。芋虫が人間に変身するなんて感動的だぜ。ぉおおお。いたいよー。
え、身体を起こすな、っていわれても。みたいじゃないですか? どうなっているのか。ちんちんはどうなってますか?
生まれればわかるって? いえ、あの赤ん坊のじゃなくて、俺のなんですけど……。
馬鹿いってないでいきめって?
ふんっ!
ぶばーぁーっ。でたーぁ……ふっ。
あはは、このスーハー男泣いてるよ。
ちんちんついてら赤ん坊。かわいいね。
「よしこよくがんばったぁ」ってね俺の名前は啓介だよ。よしこはおれのおふくろの名前。
えっ?(完)