自分でも予想だにしなかった「起業」。
東奔西走、右顧左眄、平身低頭、右往左往、七転び八起きならぬ七転八倒……。
自分の辞書には「不可能」の文字ばかり。
頼みの綱は「皆さん」です!!

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日記3(最近の出来事 2004.Sept--)|
日記2(タコ社長の借金算段やらCIやら 2004.June--)|

日記1

5月31日
CI[Corporate Identity]?

コーポレイト・アイデンティティ――経営戦略としての企業イメージの確立・浸透を目的として、主にロゴやシンボルマークを作成すること――を、わが社(!!)もやろうと思う。
 バブル時代に日本でも大流行した(よね?)。ということは時代遅れかな? 調べると最近では、ブランド・アイデンティティとかいうらしい。ブランド・イメージを確立して、購買に結びつけるということ。ビールのスパードライ(キレとシャープさをブランドイメージにした)なんかが典型だと言う。
 介護の世界、高齢者ビジネス(好きでない言葉だけど)の世界の、ブランドイメージってなんだろう。某大手介護サービス会社のブランドイメージってなんだろう? 
 そう考えると、意外とないように思う。
 ハート、真心、愛、暖かさ、ぬくもり、家族的、アットホームetc.
 これらは、ブランドイメージなんだろうか?
 というわけで、宣言!! わが社のブランドイメージは(じゃかじゃーん!!)
 「食う寝る遊ぶ」
 です?

5月30日
逆らわず、さりとて、曲がらず。
 ビュービューと吹きつける南風に弄られているヒマワリの若苗を見て、ふと思いました。

追伸 魔男耕太郎4を書いてしまった。(^^ゞ

5月28日
木楽舎憲章を作ってみた。よくある介護方針とは、ちょっと趣を異にしているかもしれない。

木楽舎憲章三か条

【その一】「くう・ねる・あそぶ」
いろいろと考えましたが、第1条はこれです。木楽舎に流れる時間は「老い」ではなくて「生い」。頑張ってきた人生のご褒美である高齢期の一時が充実したものになるように、職員はライフ・クリエーターとして、利用者と一緒に「生い」の風景を作ります。

【その二】 「感謝」
ライフ・クリエーターは、利用者の歴史を引き継ぐ入れ物になります。
 人生の先達者に感謝を忘れず、私たちが知らない歴史の作り手・語り部としての高齢者の話に耳を傾け、受け継ぎ、次世代への掛け橋となりたいと願っています。

【その三】 「寄り添う」
人にはその人にしか背負うことのできないものがあります。他人にはそれを背負うことはできません。
 私たちにできることは、その人が、時として背負っているものの重みに疲れてひざをつく、そのときにそれを見届けてあげるだけです。
 そして、もしその人が望むのならば、立ち上がるときに手を貸してあげられればいいと思っています。
 そのためにライフ・クリエーターたちの片手はいつも空いています。
 立ちあがったら、寄り添い、またいっしょに歩くだけ――。
 なにより一番大事なことは、その人がなにを背負うているのかを知ることだと考えています。

どうざんしょ?
※ライフ・クリエーターという言葉がねェ……。日本語にしたいんだけど……。

5月27日
登記に引き続き税務署への開業届けの添付する「設立趣意書」を作った。必要書類の項目に上がっているが「なし」でも可とのこと。
 それでも、初めての、そしておそらく最後の起業だからと思って作成した。

●設立趣意書●
高齢化社会を迎え、高齢者の生活の質的向上は急務である。とりわけ、介護を必要とされる方々に対する、肉体的・精神的な自立を促すサービス提供は重要である。
 もってここに[有限会社 連]を設立し、介護保険法による通所介護(デイサービ)を中心としたケア・サービスを提供し、地域社会の潜在的なニーズに真摯に耳を傾け、地域社会の高齢者の生活の質(QOL)の向上に寄与するものとする。

以上。

5月26日
銀行にリベンジ(気分だけ)。
 お金揃いました!! 有限の最低金額の300万!! おもわず写真に収めました(笑)。
 お金と書類をもって、地元の金融機関に出向く。
 事前に連絡してあったこともあるし、紹介してくれたのが、今後の会計をお願いする会計事務所のかたでもあり、そういう方々の「信用保証」を得て、10分ぐらいで証明書を出してもらえた。
 1日ぐらいは待たされることもあるという話でしたが、良く考えればそれも変な話です。
 お金の現物があって、単にそれを保管しますというだけなのに、審査があるなんて変でしょ? 本来なら、金融機関がネコババしないかどうか、こっちが審査したいぐらいの話なのに。口座開設とはまた別の話なのに……。この一両日の金融機関における「保証」の問題を探って行くと、きっと、日本文化論にまでいくような問題です、きっと、たぶん。
 で、今日の午後、登記の予定です。なんだ、今日は大安じゃないかo(^-^)o
 というわけで、玄関に名札? つけました。
「宅老所・通所介護施設[木楽舎]開設準備室   有限会社 連」
 ↑実際はちゃんとデザインしてある!!

5月25日
銀行に資本金用の金を引き出しに行く。
 ところがだ――。
「お客様、金額が大きいので、キャッシュカードの暗証番号をこちらにお書き下さい」
 と、言う。通帳も判子も持って行っているのにだ。
 金額が大きいと言ったって何千万、何億じゃあるまいに。
 その口座はこの4、5年使っていなくて、暗証番号も忘れていた。今回、ほかのところからお金を移動するのに使っただけだった。
 これだろうと思う番号を書くが、
「お客様、申し訳ございませんが暗証番号が違います」
 ときた。口調は丁寧だが、暗証番号もわからないのかこの馬鹿っていうニュアンス(に聞こえた)。
「あのー、免許とかの身分証明じゃだめなの」
 と、ちょっぴり怒り口調でいうと、すかさず支店長「みたい」なのがでてきて、
「そういう決まりになっていまして。お書きいただいた番号にちかい番号のようなんですが」
 じゃ、教えろよ!! クイズじゃあるまいし!! なにが「ちかい」とか「おしい」だ!! このお馬鹿やろう!!
 暗証番号を要求されない金額に分割して何枚も窓口請求出すぞ!! と言ってやろうと思ったが、気が弱いので、
「出なおします!!」
 結局、半分の金額しか揃わなくて、帯封のある札束を枕にして熟睡しました(笑)。

5月24日
定款ができてきた。ただの紙切れと言えばそれまで。
 さて、次は、銀行に出資金の預かり証明を出してもらう作業、そして、いよいよ登記という段取りになる。

5月22日
寒い1日でした。午前中、PTAの「お仕事」で、肩がガチガチに凝ってしまった。たくさんの人を前に進ませるのは大変ですね。これも「経営者」修行と思い、辛抱します(^^ゞ
5月21日
会社の判子ができあがった。こんなものを持つようになるとは、1年前でさえ、想像できなかった。
 さっそく、登記用の定款にペタペタ……。押したのは自分じゃなくて、慣れた手つきの司法書士さんです。(^^ゞ

5月20日
賃金

悩ましいのは「賃金」も然り。
 介護労働者の賃金水準が低いのは「当然」のように思われている。そのからくりを分析して見せたのが、『魂の労働』(渋谷望 青土社 2003)なのだが(詳細はこの本を読んで下さい)。
 介護が従来(介護保険以前)奉仕や篤志家、家庭内労働、行政サービスとして行われてきたために、低賃金に押さえられているということもあるだろう。
 また、前掲書で指摘されているように、介護が、介護される側との密接な人間関係の中で、労働者側に「精神的な充足」を、たまに、ごくたまに、おおきく与える事があるということから、やりがいやら達成感が賃金としてカウントされているという事もある。これを「感情労働」と渋谷氏は呼んでいる。実際は徒労感の方が多いんだけどね(^^ゞ
 このやりがいや達成感を使った労働者の囲い込みというのは介護現場だけではなく、あらゆる産業に浸透していると前掲書は指摘する。つまり、仕事する中で自分でやりがいやら達成感を獲得するんではなくて、会社が用意するんだね、そういう仕掛けを。それによって、労働者は会社から離れられなくなる。宗教まがいです(ぼくの解釈)。
 だが、それでいいのだろうか? 前掲書を斜め読みした感じでは、介護「労働」である以上、その呪縛からは脱出できないということになる。
 ではどうするか? ケアワーカー、介護労働者という言葉を嫌う人もいる。アメリカではケアアーティストというらしい。
 そう! 芸術家――創造的だがおよそ生産的、効率的でない――ならば「労働」の呪縛から解き放たれるのではないか?
 芸術家の賃金が高いわけではないが(芸術家に賃金はあるのか?)、作品を作ったからあなたは満足しているでしょうから、値段を安くしてくださいとは言わないだろう。その逆で、受け手の側が満足するんだから高く買ってください? じゃないの。もちろん、全く値がつかないということもありえるのだが。

開業当初から多額の賃金など払うどころではないが、それでも安くて当然でしょ? とは言えない。
 自身も含め、ケア・アーティストもしくはケア・クリエーター、いや、ライフクリエイターとして「労働」ではない現場を作りたいと思う。
 なんだか自分でも言っていることがよくわかんないけど……。わかる人がいたら噛み砕いて説明してください(笑)。
 で、結局、賃金はいくらかって?
 今は税込みで20万(ペソでもウォンでなくて円!!)を想定してます。安くてごめんなさい。あぁ、こういうのって絶対矛盾だよなぁ!! 言行不一致の極み!!
 その代わり、利益が出たらボーナスをそのつどだしますから、許して? って、俺は、だれに向かって言っているのか?

5月19日
朗人会と「生い(おい)」

「朗人会」というのは、ネットに公開した拙作を読まれたかた(おそらくポルトガルに住んでいる)が参加しているリタイアしたひとたちの集まりの会らしい。日本語ならではの駄洒落? だけど、良いですよね。デイサービスの家族会の名称として使わせてもらおう!!(ちゃんと許可はもらいます)。
「生い」は宮田登さんという民俗学者が書いていたんだけど、これも営業トーク(?)に使えそう。「老い」というなにか特別な時間を生きるんじゃなくて、「生いる」。死ぬまで現役とかじゃなくて、流れのままに、逆らわず、いまを楽しんで、ほんのちょっと未来の計画もたてつつ……。
 デイサービスの歌とかも決めようかな(笑)。いま考えているのは、両方(朝と夕方の歌(^^ゞ)とも、おおたか静流さんがうたっている「あんまりあなたが好きなので」と「林檎の木の下で」なんですけどぉ。著作権使用料がかかるんだろうか? こちらも聞いてみよう。

5月18日
そういえば、デイサービス名は頭に「お」をつけて呼んで下さい。
 おきらくじゃー (^^ゞ
 今日は、法人の設立に必要な出資金の預かり証明を出し貰う金融機関へ挨拶に出向いた。
 会計事務所からの「紹介」なので、さしたる「取り調べ」もなく、引きうけてもらえそうです(ほッ!)。もし、渋ったらその金融機関が建っている場所が叔母の持ち物だと聞いているので「地代」を大幅値上げしてもらうかと思ってました(笑)。
 さて、玄関のしつらえについては、いろいろとアイデアを貰ってます。
 みんな、ありがとう!! 実は、ほんのちょっぴり、TDLのピーターパン空の旅みたいなことを考えてました(冗談!!)。
 玄関脇から床上げ(36,7センチ)した畳敷きのスペースが続いていて、その上を(尻で)ずっていくってのはどうかな? キャスター付きの畳台に乗せて走って、座敷に合体するのは?
 あ、これでもまじめに考えているんだ。どうか、見捨てないでください、みなさん。

5月17日
司法書士さんから、類似商号を確認したので、「有限会社 連」で大丈夫とのこと。
 皆さんとの連帯、連携、連れション? 待ってます。
 万が一を考えて、「コミュニティ・ビジネス社」とか「有限会社 雨宿り」「有限会社 ぶんろくず・ふぁくとりー」を考えてましたが、とりあえずは一安心。
 さっそく、会社印を作りに行く。高い!! でもこればかりは自分で作れないからなァ(苦笑)。
 それから経営者としての自己責任を全うするために首括りのロープも購入しないとだめかしらん?

5月16日
玄関しつらえについて、友人知人に片端からメールを送る。文殊の智恵募集です!!

5月15日
設計の打ち合わせにスタッフ(介護長)と行く。
 高橋が作った叩き台では「建物の基礎の高さ」を全く考慮していないことが判明(大笑)。基礎をいれて計算すると室内床面が地面から70pぐらいの高さになってしまう!!
 フィックスまではまだまだ時間がかかりそう。さっそく、玄関のしつらえでつまづいている。車椅子仕様でない器を作らないと!!
バリアフリーの原点を車椅子仕様にすると、「床面」での生活を完全に捨てたわけではない日本の人には合わない空間が出来あがってしまう。
 設計の打ち合わせ後、デイサービス名を「木楽舎(きらくじゃ)」と正式に決定!!

5月14日
業務開始後、経理事務をお願いすることになる事務所に行く。規模が小さいんだから、経理事務なんて経費の無駄? という考えもあるだろうが「明朗会計」は世の中の常識でしょ?
 相談のうえで初年度決算は6月!! 設立経費のみだけでの決算になります。そうすれば、来年まで決算をやらなくてすむ。出資金預かり証明を出す金融機関や、今後の借金計画についても相談する。
 前回相談に行ったときには「たかはしさん」だったのがいきなり「しゃちょー」になる。言われるたびに後ろを振り返る誘惑と戦うはめに(笑)。

5月13日
動きます!!

ようやく法人化に向けて動き始めました。登記書類は、かなりの部分を記入して地元の代行者に依頼しました。
5月10日
うわ!

近所に、コンビニ→事務所→事務所と代替わりしてきた場所がある。最近、改装工事をしていたので、また新しく「ナニカ」ができるんだと思っていたら、なんとまぁ、デイサービスじゃないですか(゚〇゚;)
 地元にあるという話だけは聞いていたけど、どこにあるのかまでは知らなかった事業所が引っ越してくるようです。一般民家を使っていたという話だったのに、今度は「いかにも」の内装です。それならば敵ではないという感じ。
 しかし、この根拠のない自信はいいんだろうか?

5月8日
気を取りなおして

連休も終わり、さぁ、いよいよ始めよう!! 設計の叩き台を提示しました。
 週明けから法人格の取得に向けて動き出します。いろいろとやらなければならないことが多くなる(当然ですが)。
 まずは、営業ですね。手始めにケアマネのリストを入手することあたりからかな。最初は何にもないから、葉書き1枚のご案内からです。あ、その前に、名称を考えなくちゃ(^^ゞ

4月30日
嘘ばっか!?

1回目の設計が上がってきた。またもや、予想外の事態。営業は15人確保みたいなこと言ってたけど、建蔽率の問題で、10人がギリだってさ。あぁー、て感じですね。
 一瞬、起業を辞めて、就職活動しようかと思いました(^^ゞ
 ま、でも考えてみれば、小さく産んで大きく育てるということもあるので、これでガンバッテみようと思います。10人だとインカムも減るけど、看護士さんが必要というわけではなくなるので、人件費も助かる。
 設計は、全くだめで(ようするに有効面積を割り出しただけ)、やりなおしというか、最初から。
 10人ならば、注文住宅をつくるほどではないので、出来合いのものをアレンジして使うという方向に変換します。そのほうが見栄えも良いので。
 なんだか、書いていても言い訳みたいになってきた、、、、。いかんいかん。

4月25日
ようやく?

今日はすごい雨風だ。さながら台風。駅までの舗道には点々と壊れた傘が捨てられている。舗道に捨てるなよ!!
 さて、いよいよ設計の第1回目のプレゼンテーションが今週末に行われることになった。ハウスメーカーは、こっちが「まず」何を知りたいのか全く分かっていないご様子なので、営業担当に電話する。
 「定員は何人確保できそうなの?」
 「15人です」
 そうそう、それを聞きたかったんだよね。
 東京ガスに問い合わせていた、床暖房や給湯設備の最新カタログも届いた。
 動き出せるかなァ、いよいよ。動きたいよぉー。

4月22日
カタログ@ショッピング

友人が合羽橋から厨房用品のカタログを貰ってきてくれた。
引き取りに行ったら、これがすごい重さ。五キロは優にある。
細腕で----頭がm(-_-)m思い。
 しかし、これが滅法楽しい。色々とアイデアが湧いてくる。いい気晴らしだ。

追伸 余りのじれったさから来るストレスで魔男耕太郎3を書いてしまった。粗製濫造の極みだ!?

4月21日
焦ってはいけない

――とは、思っても、ちょっと焦れるな。いまは、人任せの時間帯とはいえ、ちと辛い。
 昨日、近所の駅前を歩いていたら、社員寮だった三階建てのマンション(?)が、グループホームに変わっていた。駅から3分も歩かない距離にある建物だけど、賃貸ではなくてグループホームにするなんて----。
 今日建設会社に連絡したら、プラン提出まではもうちょっと時間が掛かる様子。
 焦ってはいけない。でも----。

4月18日
なんだかんだいいながら、魔男耕太郎2を書いてしまった(^^ゞ
 平井堅がアルバム「Ken's Bar」の中で、を、坂本九とデュエットしている「見上げてご覧夜の星」を聞きながら。そして、つじあやのの「月が泣いてる」を聞きながら。

 ターミナルの叔母を見舞いに行った。花屋のおねーちゃんに、「ご本人よりも看護している人の目を和ませる奴を」といったら、四苦八苦して作ってた(苦笑)。
4月17日
天気が良いので、ヒマワリの種とオクラの種を蒔きました。
 起業の種は……。あちこちの畑は耕しているんですが、なかなか芽がでません。
 今は「待ち」の時間帯と踏んでいます。必ず芽がでます(なんだかどっかの首相みたいな事を言っているなァ)。
 ちょっとフラストレーションだけど、それを創作に向けて解消しましょう。

それにしても、解放された人質に「救出費用」を請求しようっていう政治家の面を見たいですな。救出された直後にまだイラクに滞在したいといっちゃう人も人ですけど。
4月16日
あ、イラクで人質になっていた邦人が解放されて良かった。イタリア人は一人殺されてしまったけど。幸いにして、自衛隊が一人もイラク人を傷つけていなかったことが大きいと思う。

何もない1週間だった。起業家としていいんだろうか? ま、「なんちゃって」だからいっか!?
 なにも考えていなかったわけじゃない。提供する食事のことなどうつらうつらと考えていた。図書館で借りてきた辰巳芳子さんの『あなたのために----命をささえるスープ』(文化出版局 2002年)が面白かった。流行りの「スローフード」など、こそこそと逃げて行くような内容だ。使えそうなのでアマゾンで注文しちゃいました。
 スープや汁物好きの私としては参考にしたいものです。高齢者で嚥下の悪い方でも、食材の旨味を凝縮したスープをゼリーよせにすれば水分も栄養分も摂取できるし、もともと、そいう食べ方なのだから、得体の知れない「ミキサー食」よりはるかに、食欲をそそる。
 食べたくなる料理、汁椀の蓋を開けた時に鼻をうごめかせ、「ぅわぁー」と声が出て、手を出したくなる料理、そういうものを、一品でいいから出していきたい。
 私的には忙しかった。娘たちの保護者会、PTAなんやかや。中学校では広報委員長になってしまった。
 それでも、あんまり暇なので、30枚ぐらいの物語を書き上げた。おちゃらけた話ですけど、WEBサイトに上げてあるので読んで下さい。「魔男耕太郎----色使いの魔法使い」です。

4月8日
会計事務所の方と建設会社の人に会った。
 今日、会った会計事務所では経理ソフトを顧客に導入(有料)してもらい、そのデータをオンラインで送って、処理する方式をとっているとのこと。帳簿は「書かなくても」いいけど、入力しなければならないというわけです。
 先日会った事務所に比べると遠いのがネック。港区に事務所があるので、会社設立時や、社会保険の異動手続きも頼むと、経費が掛かりそうだ。

プランニングを頼んでいる建設会社の人にも会った。高齢者施設担当部署の人間が来た。
 早い話、土地の広さからいって、辞めた方がいいというのが、かれのもってきた結論でした。ようするに、収益が出ないということです。
 しかし、彼らの頭には、「施設」のイメージが強く、必要なものを最大限導入すると言う方向性だったので「土地が狭いのは分かっているから、そこで、他の事業者と同じように規模の論理で考えたら競争にならない。宅老所を新築で建てるんだと思って欲しい。一般住宅の中に施設を入れ込んで欲しい。風呂にしても[入りたい]と思わせる風呂、室内にしても、[車椅子から下りて歩いてみたい、いざってみたい]と思わせる方向が必要なんです」ということで、「ダメだし」しました(笑)。
 1週間以後2週間以内に設計があがってきます。どんなのが出てくるでしょうかねぇ。楽しみですねぇ。
 ついでに僕が作った収益シミュレーションも持ちかえって分析してくれるそうです。添削ですね。はたして合格するでしょうか?(^^ゞ

4月7日
東京都福祉局からは「だめ出し」があった介護保険外の通いや泊まりの制約についても、全国宅老所ネットワーク事務局に尋ねてようやく理解できた。
 通いは「介護保険事業」と「同じ場所」「同じ時間帯」を使っていると、だめだということだ。
 したがって、昼間は空いている「泊まり」のスペースを使う分には、OKなのだが、その場合に、注意しなければならないことは「職員配置」。
 デイ部分の従業員を「泊まりや通い」に流用することは、監査が入るなどしたときに「危ない」。
 やはり当面は、デイと夜間の泊まりをメインに、「昼間から」の「泊まり」がある場合は、別途職員配置を考える必要があるだろう。
 今日は娘の中学入学式。PTAの広報委員を引き受けることになった。

4月6日
損益分岐を考えるために、1年間の収支シミュレーション(第1弾)を作った。
 ふー。肩凝った。
 楽観的ではないが、かといって悲観的でもない初期値設定で作成。獲らぬ狸が絵に描いた餅をゲットすれば、開業後6ヶ月後には黒字になる
 もっとも折りこんでいない要素を見落としている可能性は大だ。プロの目を必要とするだろう。
 とりわけやっかいのなのが、人件費だろう。いったい給料ってどうやって決めるの? という感じだ。地域の最低賃金やら、生活給やらを折りこんでつくるようだが、当面は最低ぎりぎりというラインを打ち出すしかない。その後、黒字に転じた時に、賞与などの形で厚く報いるしかないだろう。
 仕事が楽しいだけじゃ、いつまでも続かない。社会的な使命感(あいにくとそんなもの持ち合わせていないが)だけでも続かない。贅沢な人間の欲望に満遍なく応える仕組みを作らなければならないのだろう。
 次は、手持ち資金、借り入れ見こみをもとにした、短期のシミュレーションを作る必要があるだろう。
 シミュレーションは現実ではないが、「何を」「どの時期に」やらなければならいのかが見えてくるから面白い。

4月3日
黒字にするには、どうしたらよいのだろう。人件費などの固定費を減らせば良いことぐらいわかるけど、それにも限度ってものがある。
 介護保険の収入だけに頼る経営はだめだということなんだけど、最初はねぇ。
 開業前の営業をかなり積極的に展開する必要はありそうだ。「開業当初は2、3人の利用者でいいや」などというのんびりしたことはいっていられない。定員の5割は確保しないとやっていけない。
 人件費をかなり安く見積もっても、15人の定員だとして7人が損益分岐の最低ライン。週に換算すると延べで42人。半分は週2回利用してくれるとしても、31、32人は開業時に契約していないと立ち行かないということだ。
 これは、かなり苦しいだろうな。でもそこへ持って行く努力をしなければだめだということ。
 サービスの内容を魅力あるものにし、それをパンフレットを初めとした宣伝媒体を使って撒くしかない――それも、足を使って。

4月2日
知らないことが多いんだなァ――と思った。
 管理栄養士のかたにお目にかかったのだが、そのとき「圧力釜を各サイズそろえておけば、お粥も簡単に少量できるし、ペーストや刻みなんて作らなくてすみますよ」と言われたのだ。
 日常生活で圧力釜を使っていないので、まるっきりわからなかったのだが、そういうものらしい。魚も骨まで柔らかくなるということは噂には聞いていたが。
 食材の形がそのままで、柔らかさだけを変化できるのはいいですねぇ。
 ほかにも、箸置きを置くだけでも、食事に身が入って、こぼすことが少なくなるとか、提供するメニューは7日のローテーションで考えれば、同じ曜日の利用者に同じメニューがかさならなくなるとか、考えてみれば、簡単なことなんだけど、目からウロコでした。 ウェルカムグッズに湯のみをと思っていたのだが、それに、箸置きとランチョンマットを加えることにしよう!!
 問題はそれを収納する利用者さん用の「小抽斗」だ。作ると高そうだし、プラスティックじゃね。図書館で使っている(もうないか?)図書カード入れなんて転用できそうなんだけどなァ。どこかで捨てようとしている図書館はないでしょうか?
 あとは、和食器だ。洋食器は、喫茶店を改装する友人から譲ってもらうことになっているのだが、和食器がない。買えばいいんだけど、余っているのないですか? 廃業した旅館とか、料亭とか知りませんか?

4月1日
KUSO!! NAGURUZO!!

都福祉局に電話した。担当者を呼び出すと「異動しました」
 はぁ?(100級ぐらいの特太ゴチックで表現したい)
 返事をくれると言われて2週間放置されている件で昨日も電話したんだけどと言うと、
 「どんな内容ですか?」と電話に出た役人(=人間ではない)が言う。
 「もう一度説明しなくちゃいけないの」と苦笑混じりに言うと、[ちぇっ、うるさいやつだなァ。しょうがない]といった感じをありありとにじませて「●●さん」と呼ぶ声が電話の向こうに聞こえる。
 なんだ、すぐそばにいるんじゃないか!! KUSO!!
 出てきた担当者曰く。メモをなくした。電話をしたが出なかった。もう一度言えと言う(正確には「すみませんが言ってください」だった)。
 で、結局、ものの20秒もあれば答えられることをぼくは2週間以上も放置された。ついでに応対のなってなさに頭にきて壁を叩いた拳に血がにじんだ。

3月31日
再びの梨の礫

午前中、都福祉局に再び電話。結局この1週間も放置された。
 今日も年度末・月末で「忙しくて」だめということ。この2週間はなんだったのですか?
 事業所申請は月末に集中するらしいが、当方が申請する立場の人間だったら、今月は、申請できないことになる。わかってるのかね?
 おまけに返答を保留したのは都福祉局のほうなんだけど。
 忙しいのは理解するが、ならば、エクスキューズの連絡ぐらい入れるのがマナーだと思うのですが?
 理解に苦しむ。

午後、設計の見積もりを依頼している建設会社の営業が来る。近隣で人気の高いデイーサービスを運営している社会福祉法人が新設で特養と併設のデイサービスを作るという情報をもたらす。
 規模の論理で端から勝負にならない。器先行でないソフト先行型のカラーを打ち出していかないと負けるのは目に見えている。
3月30日
伊豆大島に行って来た。仕事じゃなくて観光です。ぼくにとっては処女地(セクハラ?)だった。
 椿祭りが終わった直後だったので、なんとなく気が抜けたように静かだった。駅前ならぬ港前も静かなものでした。椿は終わっていて大島桜が綺麗でした。
 観光業の人には高齢期の人が多く、公園の清掃なども「シルバー人材センター」の人がやっていた。
 高齢でも役割があれば――その役割がどんなに些細なものであっても――、元気なんだなァ、と思った次第。特に郷土愛というのは重要なファクターなんですね。
 何かをしてもらうデイサービスではなくて、何かができる、利用者に目的志向をもってもらえる、そして、ささやかながら達成感をもっていただける場所にしたいと思う。
 「必要とされる」その対象が、人間でなくても、植物や動物でもいいんだなぁ。
3月26日
生活相談員の有資格者が見つかった。父です。ずーっと昔に大学を卒業したんだけど、その当時の「三科目主事」資格に適合した!! 立っている者は親でも使えです。ツレアイにも頼んでみたんだけど、こちらはハズレでした。

3月25日
週刊文春の発行差し止めについて

閑話休題。
1週間が過ぎてよくやくことの次第が理解できてきた(遅い(^^ゞ)。
→記事の内容
→プライバシー権
→公人私人の区分
→言論の自由、出版の自由という憲法解釈
→裁判(審尋というらしい)の経緯
 の問題がある。
◆記事の内容は、読んでません。だって、興味がないから。
◆プライバシーは人それぞれ違う。日々プライバシーを「守る」ことに、心を砕く人は少ないだろうが、人は「他人」に距離を詰められたときにその存在に気がつく。その「攻め手」の最たるものが国家権力であり、その次は、国家権力に比肩するジャーナリズムだろう。プライバシー権の主張は、個人が持ちうる武器だともいえる。
◆公人私人の区分は方便の様に思える。ようするに、書いて売れる人間は公人であり、そうでない人間は私人と言うことでしょう?
◆言論の自由も出版の自由もあるんだけど、それは、本来は「個人」に付与されているもの。出版社という組織には、そこからの拡大解釈で付与されているに過ぎないのでは? だから、雑誌や出版物にはかならず、編集人や発行人名が記載されるわけで。
 だが、多くのメディアがらみの裁判は、個vs組織もしくは言論機関ないしはメディアという構図となる。そこには資本の差もあり、訴訟を起こすにしても、結局は、個の限界がある。
 メディアはつねに反論に対して門戸を開くと言うが、結局それは、当該メディアであることが多く、扱いは編集権の名の元に判断される。
 そうしたことをメディア側は常に意識しているべきだ。取材者も時として、社という看板を背負った取材となる。
 それでいて、なにかというと、言論の自由を振りかざす。
 芸能レポーターやこの種の訴訟騒ぎにぼく自身があまり気乗りしないのはそういうところだ。
◆どうして審尋の際に、ゲラ刷りを見せたんだろう? 拒否できるのではないか? また、どうして田中家側が当該号に記事が載ることを事前に知ることができたのか? それが不思議。4月1日号の経緯記事を読んでもその辺がよくわからない。
 取材を受けただけでいつの号に掲載されるなど取材する側が伝えていない限りわからないことで、本来なら掲載号を特定しない訴訟になるのではないかと思うのだ。
◆田中側の訴訟を指揮した弁護士は、メディア闘争をネタに売りだし中の弁護士のようだ。弁護士も宣伝の時代。テレビやメディアに露出すればインカムが増えるのも当然。プライバシーを揶揄されることの多い政治家や芸能人を客にして宣伝するのは戦略として間違いない。名前を売った後は本業に戻れば良い。
 田中家の思惑、弁護士の野心が絡まって起きた事件だと思う。
◆差し止めの申し立てと、差し止めを是とする裁可が「事前検閲」だと言うのはなんとなくしっくり来ない。「一人」の裁判官が「短時間」でやったことなど、そういう決まりになっているのなら仕方ないではないか?
 法律に則った手続きで、裁判官が是であると認めたならば、それは「憲法違反であるとか」「言論の自由への弾圧だとか」「暗黒時代への逆戻り」と言うのは、、、、。
 メディアは、一足飛びに「言論の自由」だ「報道の自由」だと喚かずに、冷静になぜそうなのか? という事実を分析・説明して欲しい。

3月24日その2
都庁の福祉局に電話する。先週、福祉局に出向いて質問をした際、返答が保留になっていた事項について、メールで返事すると言ったまま音沙汰がないので確認する。だが、担当者不在で伝言を頼むも、本日はリプライなし。そんなに難しい質問をしたのだろうか?
●営業時間を朝8時から夜8時として、利用者に利用時間を選んでもらうシステムがOKかどうか? 通常、デイのサービス提供は6時間以上8時間未満で、朝9時から午後5時の営業がほとんど。それ以外の時間は「延長料金」を利用者からもらうことになる。営業時間内で利用開始時間を遅くすることで、延長料金を取らなくても済むと思ったのだが。利用者負担も少なく、介護保険へのダメージを少しでも減らせる考えなのだが。
●障害者や児童を介護保険外の自費で預かるのはOKかどうか? 障害者はともかく、児童は、チョイの間でも預かることができれば、にぎやかしになって良いんだけどね。ほかの自治体では行われていること。

3月24日その1
卒業式

閑話休題。
娘が小学校を卒業した。ヤレヤレの6年間だった。
 娘にとっては意地悪を多くされ、それと戦った6年間だった。クラスが崩壊すること再々。
 ともあれ、卒業式。証書を受け取った各人が夢や想い出を述べるのだが、聞いていてとても気になったことが二つあった。
 ひとつは「有名になりたい」という子どもが多かったこと。プロ野球選手になるの女優になるのといったところまでは良い。そのつぎにかならず「テレビに出て有名になりたい」とくる。おかしいと思ったのはわたしだけだろうか。1等賞のゴールがテレビ出演だとしたら、あまりにも悲しい。
 もうひとつは、将来の職業に「製造業」が全くなかった。日本の製造業の未来は暗い。
 それは、有名になりたいという願望と密接につながっているのだろう。製造業を目指す限り、まず「有名」にはならず、「テレビ」にもでない。
 大人のほうも気になった。小学校長と中学校長の挨拶に、まさに小学校と中学校の差があったこと。大人(中学)と子ども(小学)の差といってもいいぐらいあった。個人の人格による部分もあるのだろうが、それにしても----。

3月22日
会計事務所へ「面接」に行く。「生まれて初めてだよ〜」などと、起業に加わってくれるスタッフとドアを開ける。
 「わ、堅気の世界!!」
 説明を受けながら、内心青くなる。帳簿つけるの? 俺が? 
 起業の動機なんてのも聞かれる。面接だよなぁ。
 親切そうな(営業だから当然だろうが)応対で良かった。なんでも任せて下さいという態度でなかったのもグッド。職員が所長の事を「センセー」と呼んでいなかったのもOK!! です(こんなのはアタリマエなのかな?)。
 私が「起業なんてはじめてなので、できるだけ登記なんかは自分でやってみたいんです」と言うと、笑われてしまったが、嘲笑ではなかったのでホッ!! 
 いくつか事務所を「面接」してから決めることにしましょう。

3月19日
会社設立に必要な書類のキット? を買ってきた。6000円近くするなんて知らなかった。足元見過ぎじゃないの!? 経費で落とせるのかな?
登記所の人の言う通り、書き方のマニュアルつきなんだそうです。
はっきりいって、ぼったくりの世界です!!(怒)(怒)

3月18日
だめなものは、だめなのだ!!

厚生労働省に再確認するも、やっぱりダメ。社会調査統計が、厚生労働省が認める科目名で、僕が単位を取ったのが「社会調査」。これでも、ダメです!! 恐るべし許認可の壁!!
 ふーーむ。しかたないから、放送大学で足りないものを取得しようと思ったら、卒業しないとダメだそうで。ここもはっきりいって、厚生労働省とグルです(怒)!!
 通信制のところも願書の締め切りをすぎていてアウト!!
 しかたない、身の回りで探すしかないでしょう----と言うわけで、老いた父の成績証明書を取り寄せてみることに。うふふ。ダメモトです。

3月17日
ああぁ、役人の壁!!

都の福祉局へ相談へ出向く。相談というよりも、要件の確認作業。わからないことが多すぎる。先の登記書同様もうすこしわかりやすい解説があっても良いと思うのだが。こう言うのも見えない障壁なんだろうな。
 三科目主事の獲得なりませんでした。卒業年度によって、「科目」が違うということで、、ネットの上の情報ではOKだったにに、1科目足らずにアウトです!! そんなことってありますか? 最低です。厚生労働大臣に手紙を出します!!
 こちらの質問の肝心なところは答えられず、回答保留となる。KUSO!!

3月16日
地元にあるNPOの理事にお会いしに行く。以前そこの職員さんからグループホームをやりたいと考え、土地や物件を探しているという話があったからだ。
 グループホームを誘致すれば、宿直対応を委託できるのではないかと「虫の良いこと」を考えてのことだった。
 大変にしっかりされた方で、地道に堅実に物事を進めておられるので、正直、当方に出る幕はなし。
 こういうこともあるでしょう。

3月15日
登記所にでかけて、類似商号がないかどうか調べた。幸いにしてなかったというべきなんだろうな。微妙な書き方をすれば、過去には存在した。縁起を担げば、止めにするところなんだろうか?
 笑ったのは「申請書」書式を貰った時に職員が言った言葉「売っているものを使ったほうが穴埋め式になているので便利ですよ。それに詳しい説明書もついてますから」というもの。
 このようなネガティブなサービスが起業を妨げているということに気がつかないんですね。声上げて笑っちゃいました。職員も笑ってましたけど。
3月13日
社名決定?

まずは社名を決めなくちゃ、というわけで。
決めました。
「連」です。
 連繋、連絡、関連、未練は違うか(苦笑)、連結、連環、連行(やばっ!!)、連座(これもやばっ!!)、連敗(だめだめっ!!)、連帯、連覇、連動、連戦連勝、連続の「連」です。
 みなさんも連なってください!!
 僕よりも先に有限会社を立てた知り合いのHさんから、会社設立の際の書類一切合財のコピーが届く。
 なんの「目当て」もなく突き進んで行くのだから、こういうことでもとてつもなく嬉しい。

3月12日
見積もり!?

早い展開だ。建設会社の人と最初の面談。とりあえず、地主さんが建てるのだから、選んでいられないという苦しさもある。
 A社は、介護業界大手のコムスンが展開しているケアハウスの建設を請け負っているという。自分の手元にあったパンフレットを見せて、「この方向性はダメ!!」と釘をさす。

3月10日
地主さんにお願い!!

デイサービスを建てるには土地がいる。不肖私は土地など持っていない。買う金もない。当然、上屋を建てる金などない!!
 というわけで、地主さんにお願いm(-_-)m。建ててください。借りますから、と虫のとぉーっても良い話を持ちかけた。
 幸いにして、ごく身近に予定よりは小さいが、地主がいたので頼んでしまいました。

3月9日
なんの会社?

スポンサー話の中で進んでいたのは、介護保険サービスで言うところの、デイサービス(通所介護施設)の運営だった。
 当然、それを継承することになる。調子のイイ人には、こちらの手のうちをほとんど明かしていなかったから、パクラレル心配もない。逆にあちらのプランをパクッてあげる。

3月8日
破談!!

いきなり不吉!! というか、この破談があったればこその「起業」なのだから、感謝するべきなんだろう。大吉だ。
 破談になったのは、すでにある遊眠会社を使って、好きなように福祉関連の仕事をして良いというものだった。間に入ったデベロッパーの人は調子のイイ人だった。話を進めていても頭の片隅に「?」が消えなかった。
 結局、おいしい話に躍らされたぼくがオバカサンということになるのだろう。 幸いにして、人集め、智恵集め、ネットワーク作りに奔走していたから、傷はほとんどない。構想の土台もできている。
 自分で法人設立を設立することにした。


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