き坊のノート 目次



大台山中の道




「和勢紀三州に跨る」大台ヶ原  『和州吉野郡群山記』の「正木はげ」

「実利行者立像の讃解読」



畔田翠山『和州吉野郡群山記』を読むのに、多数添えられている山岳図や地図を参照しながらだと文意が容易に了解でき、また、逆に地図の意味が分かってくる、というケースがよくある。ここでは、それの代表的な例を紹介する。
また、それは小論「『和州吉野郡群山記』の「正木はげ」」の中で述べた「巴嶽」についてのわたくしの解釈を補強することにもなっていると考える。

次は、『和州吉野郡群山記』の「大台山記」の一部、「大台山中の道」と名付けられた一節である。まずこれを、読んでみてもらいたい。
大台山中の道
大台辻より山中へ入り、わさび谷・高野谷を過ぎて、小山の麓にて分れ、小山を越えて右は本小屋峠に出る。その間、名護屋谷・中の又・塩辛谷の二つを経て、左は小山を越え、名護屋谷また小山の麓にて分れ、右は小山を越え、秀嶽へ出、左は巴ヶ淵の手前にて分れ、右は巴ヶ嶽に登り、熊野船津村に出、左は三途川落にいづる。伊勢大杉に至る。
(平井本p492、御勢本p128)
平井本と御勢本は、句読点もふくめて完全に同一である。原文を見ることができないわたしは、これが原文そのままであると考えて、以下考察する。

この長い文章は、悪文の見本のようなもので、わたしのように大台山の中の地名を知らない者にとっては読み下すだけでも苦痛である。大台山のことをよく知っている人でも「左は小山を越え」とか「右は小山を越え」というのが、どこまでさかのぼる句を指しているのか、とても分からないのじゃないかと思う。
ところが、この翠山の文は、彼の「大臺山全図」の中に書き込んである道の説明であることを知って、「全図」と対照しながら読めば、じつに正確に文章表現してあることが分かってくる。

まず、上の文章に登場する地名( AK )と分かれ道( あ い う)を書き込んだ地図と文章を掲げよう。

大台山中の道
大台辻(A)より山中へ入り、わさび谷(B)・高野谷(C)を過ぎて、小山( )の麓にて分れ、小山( )を越えて右は本小屋峠(D)に出る。その間、名護屋谷(E)・中の又(F)・塩辛谷(G)の二つを経て、左は小山( )を越え、名護屋谷(E)また小山( )の麓にて分れ、右は小山( )を越え、秀嶽(H)へ出、左は巴ヶ淵(I)の手前( )にて分れ、右は巴ヶ嶽(J)に登り、熊野船津村に出、左は三途川落(K)にいづる。伊勢大杉に至る。
このように、地図と対照して文章を読めば、翠山はじつに丁寧に、誤解の生じないようにくり返しをおそれずに書いていることが分かる。道の分岐点で右へ進むとどうなる、左へ進むとどうなる、ときちんと書いている。「塩辛谷の二つ」を経てというのも、「シホカラ谷」と「志ほから谷」の二つの谷のことを言っているのである。

ここの文章は誤解の余地のない正確な道の説明であって、そのための地図と一体になった文章であることは疑いない。わたしはこの部分を知って、この文章と地図の向こうに当代一流の科学的知性が存在していることを感じ、つよい迫力を覚えた。

上引の一部、「巴ヶ嶽」の説明の所を再度取りあげてみる。
右は小山( )を越え、秀嶽(H)へ出、左は巴ヶ淵(I)の手前( )にて分れ、右は巴ヶ嶽(J)に登り、熊野船津村に出、左は三途川落(K)にいづる。
ここで説明されている「巴ヶ嶽」は、右手の「秀嶽」と左手の「三途川(河)落」にはさまれたいずれかの高みを、翠山は指しているとしか考えられない。それ以外の読み方はできない。

平井本が「巴ヶ嶽」について[注]をして「日出ヶ岳の南方の丘山」と述べていることは『和州吉野郡群山記』の「正木はげ」でとりあげた。現代の地図で日の出が岳から三途河落山の間の地点をみると、ほぼ西~西北西ぐらいの方位となるであろう。したがって平井本の[注]は、、明らかに翠山とは異なる地点を指して「それが巴ヶ嶽である」と述べている。
おそらく平井本の編者の時代の巴ヶ嶽は「日出ヶ岳の南方の丘山」であったのであろうが、それを注するだけでは、『和州吉野郡群山記』に対する注としては意味がない。意味がないどころか、むしろ、『和州吉野郡群山記』が不確かな記載をしているという誤解を与えることになり、有害である。

また、「登大台山記」には「日本ヶ原(日出ヶ岳)の西を巴嶽といふ」とあったことは、「和勢紀三州に跨る」大台ヶ原で示しておいた。これは、あるいは翠山のいう巴ヶ嶽と同じものを指しているのかも知れない。
また、幾度か示したが松浦武四郎の主張のように日出ヶ岳と巴ヶ岳の同一説もあり得るが、それは翠山の記述を妨げるものではない(松浦は翠山の記述を意識して述べたのではないが)。






大台山中の道  終

1月30日(2011)(追記 2/5-2011 )



「和勢紀三州に跨る」大台ヶ原  『和州吉野郡群山記』の「正木はげ」

「実利行者立像の讃解読」

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