私のいいたいことは、表面に表われている体力だけが体力のすべてではなく、潜在している体力も体力であることを自覚し、自発的に行為すれば、こういう力を活発に喚び起こすことができるのだということであります。
近頃は人間の意識が発達したためか、笑うのでも、こんなことを笑ったら他人に笑われはしまいかと、あたりを見回してからでないと笑えない。泣くのでもそうである。体中を震わせて、泣いたり怒ったりすることが珍しくなった。しかし体の勢いをつくり、体の力を発揮するためには、笑う時は声をあげて笑わなければならない。泣く時は泣き、怒る時は怒る。気取りのために、体中で泣き、笑い、怒ることもできないようなことをしていては、活気が興ってこない。
嗜みとか慎みとかが大切であることは否定しないが、それは、体中で笑い怒れる人が慎むから慎みであり、嗜みなのであって、エヘヘヘヘと誤摩化し笑いしかできないようでは、腰が抜けているというだけであります。自然の感情の発露がなくなってしまうようでは、人間が人形に近づいたといえます。もう一度、原始の状態にフィードバックし、そこから再出発する方が、活き活きした生き方が生まれるのではなかろうか。自分の持っている力を発揮できなくなった人間には、特にこういう、全身を叩きつけ、全力で生きることが必要だと私は思うのであります。
…野蛮人の体力を得て今日の文明生活を見直すことが現代の人々にはことに必要なことでありましょう。
野口晴哉先生 直筆の書
「魚化龍(ぎょかりゅう)」