自発的に生きる

金井省蒼

『月刊MOKU』 2007年9月号
野口整体・実践入門講座9
「自発的に生きる」より

◆心が動かない「鉄人」

五十代のスポーツ施設に勤める男性が、「十年ほど前から、心身の不具合に悩んでいる」と、整体指導を受けたことがありました。取締役である彼は、施設でのインストラクターでもあり、トライアスロン(鉄人レース)を長くやっているほどのスポーツマンで、一見、筋肉質でがっちりとしている、という体つきでした。
「鬱病、自律神経失調症」に悩んでいるという彼に、「会社の人間関係に悩みがありますか」と尋ねると、「別にない」とのことです。ところが、私が体に触れ「社長はどんな人?」と聞くと、「ワンマンで、私はこき使われている」と言い出して、それで、「あ、そうか、人間関係か」とやっと自分で気がつくというような状態でした。彼は、自分の心に鈍く、こころを訴えるのが不得手だったのです。
これは、彼の表面的な風貌や、表向きの仕事振りからではなく、その人の裡(うち)を観るという「気」の感覚で感じたことです。背骨には「生きてきた歴史」が刻まれており、私は彼の背中に、「心の虚」を観たのです。
問題なのは、彼の場合、社長がどれほどワンマンかということよりも、仕事をする上で、彼の「心が動いていない」ことです。もちろん言われたことはこなしているようですが、そこに「感情が伴い」、心が動いている感じが全く観受けられませんでした。
指示されたことをやるにしても、それを受けて、「よし、やろう!」というように自分の心が動けば自発的な行動となります。しかし、私が観たところ、彼の頭(意識)は動いていても、心は動いていませんでした。
「心の動き」とは意識してのものではなく、「意識以前」の心が動かないということです。
彼には、子どもの時から、家族内のいざこざの中、「心の動き」を止めることで、自分を守ってきた過去がありました。彼自身「自分は心が弱い」と言っていたのですが、それをスポーツで体力をつけ、弱い心を堅固にしようとしたのです。しかし「トライアスロンをやること」ができても、彼の心は未だ動かず、錆付いたままでした。

◆自律神経とお腹

自発的に「心が動いていない」というのは、うつ伏せでの背骨の観察で、腰を観てもわかる(腰が入っていない)ことではありますが、特に、仰向けでの「お腹」を観たとき、全く弱々しいのです。「肚がない」という感じがよく分かり、私は「彼は仕事をやらされているな」と直感しました。
昔の人は、決断すると「これで肚が決まった」といって行動に移ったものですが、この「肚」の力によって生きるということが「自発的」なのです。ここに力が入っていない、ということは、体から出る自発性が働いていないことを教えています。筋肉が発達していると、見た目に気力もありそうに感じられますが、気力と随意筋そのものはそれほどに関係がないのです。

櫻木健古氏は、『太ッ腹をつくる本』(ぱるす出版 1975年)で次のように述べています。

生命の総司令部はヘソの奥にある

…自律神経や潜在意識の発するところ、その根はどこにあるかというと、これらが腹にあるのである。
生命現象は生理、心理ともに、根源的には自律神経(植物性神経)によって、支配、運営されているが、その自律神経の大元、いわば司令部のような場所が、太陽神経叢(そう)である。ヘソ(臍)の裏がわあたりに群がり、細かい無数の神経の先端が、放射線状にヘソをとりまく形になっている。
(中略)植物にたとえて言えば、太陽神経叢(そう)は、いわば神経系統の〈根〉である。この根から脊髄という〈幹〉が出ている。その先端に脳髄という〈枝〉があるのである。こういう形になっている。腹が根で、頭は枝葉にすぎないということだ。
潜在意識とは、これをつきつめてより深くとらえれば、〈魂〉ということになる。「魂は腹に宿る」ということであり、それゆえに昔の日本人は、魂の宿る場所として腹を重視したし、自決するときにも、ここを切ったのである。魂の座であるからこそ、腹を生命の中心としたのである。

このように、「お腹」と潜在意識との関わりは密接であり、頭は動いても「肚」がない彼は、潜在意識の働きが悪く、心理的、生理的にも不活発な状態にあると言えます。

◆錘体外路系運動

「心に対して」は、まずは強くするというのではなく、自分の「心に目覚める」ことが大切です。「心が動き出すこと」で「心を感じる」、という順序により「心の自発性」を識り、やがて本当の「自身の力」を取り戻さなくてはなりません。心はこころで気づくことが肝要で、「心が動く」ためには、意識的な随意筋運動では無理なのです。
冒頭で紹介した男性について、「心が動いていない」と書きましたが、それは、取締役ができるほど意識は発達しており、同時に随意筋運動も得意ではありますが、幼い頃の家庭環境の影響により、「情動」の働きが悪いのです。
心の「動き」の主体である情動は、自律神経の働きや無意識に行う運動と深い関係があります。
生理学では、意識で自由になる随意筋的な働きを錐体路系と呼び、無意識で行われる運動を「錘体外路系運動」と呼んでいます。
現代社会では、意識(大脳新皮質)的生活に偏るため、無意識に行われる錘体外路系の働きが悪くなることが多いのです。

◆活元運動とは

野口整体では、「錘体外路系」の訓練として「活元運動」というものがあります。「心の動き」の主体である感情は、意識して分かるものの、勝手に動いてしまうので、多くはそれに振り回されるのです。
特に怒りや不安の感情が「ふっ」と起こると、無意識に身体に力が入り、硬くなります。これを「無意緊張」と言い、この「感情=無意緊張」を滞らせていると、身体の「偏り疲労」となり、熟睡を妨げることにもなります。
筋肉のどこかに緊張が残っていると、そこから伝わる興奮が刺戟となって絶えず脳に伝わり、深く眠ることができないのです。
「大泣きしたら心がすっきりした」ということがありますが、その時無為緊張が消滅しているのです。
活元運動は、感情エネルギーの発散から始まり、後には感情力の育成に進むことができます。

活元運動で、自身の「裡の力を振作」し、心の動きを取り戻す。それが「自分を取り戻す」ということです。
また、活き活きと、元気に生きていくためには、自分が「生きる主体」となることが大切なのです。
活元運動は、本物になるまでには腰の鍛錬(中心軸を作る)と積み重ねが必要ですが、続けることで、自分に対する信頼を培うことのできる「行」であると思います。
活力を失っている感のある今の若い世代に、活元運動により「気」を活性化し、潜在生命力を喚起していただきたいと念願しています。