『「気」の身心一元論』

読 書 会

       

(2012年版)『「気」の身心一元論』読書会のご案内

鎌倉支部

2012年9月 伏島記

 読書会は昨年12月に始まり、8月は二章まで終了したところです。ここまでは、金井先生が捉えられた野口整体とはどのようなものか、思想背景について学んできました。
 これから「三章 活元運動」、「四章 体癖」へと進んでいきますが、ここからは、金井先生の整体指導の実際的側面についての内容です。
 現在、活元指導の会に参加、また個別の活元指導を受けている方、これから希望される方には、是非、読書会へ参加した上で、指導を受けていただきたいと思います。

 私事になりますが、この道に入門して七年目になります。そのうち約五年近く『「気」の身心一元論』の編集の場で勉強をさせていただきました。
 勉強をしていく中で、自分がこれまで「身体」をどう捉えてきたか、「病気」をどう捉えてきたかがはっきりしてきました。
 本の内容
(主に二章)にもありますが、私も自分の体を機械と同じように捉え、勝手に壊れるもの(病気になる)そしてそれは誰かに治してもらわなくては治らないものだと思っていました。
 これこそが「機械論的生命観」というものであり、科学的な教育の結果だと、ようやく理解できました。
 野口整体を始めてから、病院へ行ったり、薬を飲む事はなくなりましたが、しかし、病症を自分の有り様
(感情)と繋げていくには、長い月日が掛かりました。

 野口整体は、風邪を引いても薬を飲まない、病院へも行かない事だと思っておられる方が多いと思います。これは表面的な理解です。
 また『風邪の効用』を読み、「病症を経過する」上で、じつは病症を我慢して順調に経過できなかった、という話もよく耳にします。これまで頼って来た西洋医療は、症状を抑えることを主としたものですから、「経過する」ことが円滑になるには、そのような体になっていくことであり、生命観の上で、心での理解も進むことが必要です。
 病症には意味があり、治まるまで待つ
(経過させる)事には、大変深い意味が含まれています。

『「気」の身心一元論』は、現代社会を生きる私達が、今〔身体〕(註)という事を忘れた事で、どのような問題を抱えているのか、そしてそれに対して、野口整体はどう答えようとしているかが著されています。この本を共に読みながら、〔身体〕の理解を進めていただければと思います。また、本を読まれ、疑問に思われている事についても、読書会の場で質問していただけると良いと思います。

〔身体〕(きっこうかっこしんたいと読む)
 日本の伝統的な「身体論」の上に形成された「心と体は一つ」という野口整体の身体は、「身心」というもので、これを、私は〔身体〕と表現し、心の動きや「無意識の働き」を観察する対象としています。(『「気」の身心一元論』より抜粋)

 過日、朝日カルチャー新宿において「思想を通じて身につける活元運動」と題した講義及び実践が行なわれました。9月15日11月25日もこの内容で講義は進んで参ります。
 長年、野口整体の道を歩んで来られた先生の思想、行法を深く理解する一助となるよう、読書会を通じて学んでいきましょう。

(伏島記)

気・自然健康保持会 近藤佐和子
伏島多佳子

   

 読書会は、これまで第四日曜日の13時半より16時半まで行なって参りましたが、開始時刻が九月より変更となります。
★13時より開始とします。