金井 はい。教材にありますように、実は私の、(ここに目立つように置いときますが・・・)これが二冊目の本というわけです。
今年の9月16日になりますと、一冊目の本に取り掛かってちょうど10年になります。
野口整体の道を歩み始めて、今年度で46年目となりましたが、今から10年前までは、いろいろな本を読むとか、自分が文章を書くとか、そういうことは大変苦手でした。
それは、野口整体の指導を行うには、「感覚」というものが何より大切なんですね。自分の感覚という「主観的な判断」によって、物事を成していくわけです。
その感覚が正しいものである為に、私で言いますと、30年、時を要したと思っております。その感覚、主観というものが一定の普遍性を持つという事ですね。
ここ数年「科学」というものを持ち出しておりますが、「科学」というものは大変客観的で、普遍性が高いものなんですね。
ですから、それに対する「主観的なもの」の普遍性ということ、これを追求したということが、まず30年間あった。そして、私流というものが出来たと感じた時に本を出したいと思い、それが、ご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、一冊目の『病むことは力』(春秋社 2004年)という本になりました。
そうしまして、その本が出ますと、雑誌など、取材を受けることがありました。或いは、例えば慶応大学の湘南キャンパスで話をするということもありました。こういうことを通じまして、「野口整体って何なんだ?」ということを、改めて自身に問うことになりました。
それは、ここ(教材)にありますように、社会的な立脚点というものです。一般に、野口整体に近いものと思われているものに東洋医学があります。対比するものとして、西洋医学というものがあります。こういうものに対して、「野口整体とは何なんだ?」ということを、自ら、広く深く考えることで二冊目を著そうとしたのです。整体操法という技術的な面を「how to的に」著したものは多いのですが・・・。
そういう道程の中で、「科学というもの」を思いっきり勉強することになりました。それは、物理学や化学を勉強したわけではなく、「科学哲学」というものを勉強することでした。
或いは、もちろん野口整体は東洋的世界観から生まれたものですから、それに対する西洋的な世界観、価値観というものですね、そういうものが何なのだ、ということを学ぶことによって、対比的に野口整体というものが、私として解ってきたと。そこを通じて、「みんな知れよ!」みたいな感じで、本(『「気」の身心一元論』)を著したという訳です。
西洋では、とにかく言葉を大切にします。言葉の意味や思想性が理解できると、大変、素直にその道に従うというですね、西洋人の良さがあります。
日本人はなにしろそういうことに中途半端なのですが、今回は私自身が、科学的に進歩した(言語を緻密に使い、論理的に表現する)ということでありまして、これ、すべて「科学」を批判しているということではなく、「科学」というものをしっかりと理解し、相対的に、野口整体・日本の文化というものを理解していくことが、正しく身につける道筋であると。
現代では、特にこういった思想的な進め方が必要だと思って、このように著したということです。
伏島 ・・・今、金井先生からもお話がありましたように、科学の問題、科学自身が悪いという事ではなくて、科学が絶対的なものになってしまっていることの問題を、理解していただければと思います。
そして、金井先生の言葉にありましたように、科学を相対化していく、簡単な言葉でいうと、科学を一つの道具として使う、科学に従属し支配されるのではなくて、科学を使いこなすような主体になっていく。そういった事について、理解を深めていく事が出来ればと思います。
「科学」と言いましても、皆さんすべてが科学の勉強を専門的になさったわけではないだろうと思います。「自分は科学とは全然関係ないんだよ」という風にお考えになっている方もいらっしゃるかもしれません。しかし、ここではですね、科学的な物の見方、考え方というものが、如何に日常生活の中に浸透しているか、ということに関する気付きを深めていただければと思います。