『「気」の身心一元論』 読 書 会

 読書会 参加感想文(2)

《 読書会に参加しての感想 》

千葉県 小林和夫(57歳)

平成24年4月22日 於:鎌倉支部道場

        

 私は、三月の読書会に引き続き、二回目の参加になりました。今回は主に、第一章「今著へのあぷろーち」の二「五氏の思想の紹介」の IV「河合隼雄氏」のところを読み進めました。

 私自身としては、前回よりも今回の方が本の中の文字が大きく見えて、より集中して文章を読むことができ、その分内容が体の中に沁み入ってきた感じがしました。

 そして今回は、印象に残った文章が二つありました。

 一つ目は、77頁の上段の後ろから二行目から始まる文章です。

〈しかし、「自分で自分の研究をする」という深層心理学は「近代科学」的方法とは全く違っているということです。「研究する人もされる人も同一人物」という一事にあるのです。このような点がまったく野口整体と同じなのです。また、人を観察する上でも、「気のつながり」において初めて可能となり、対象化しては得られない智があるのです。〉

 二つ目は、81頁の上段の五行目から始まる文章です。

〈このように、中村氏は「触覚」の働きが持つ意味について深く言及しています。野口整体の指導で人に触れることは、「気で気に触れる」「気で気を観る」と言い、「気」の感覚は単なる「触覚」以上のものがありますが、中村氏の「触覚」の説明は、野口整体の「手で人を捉える」ことの説明として十分なものを感じます。〉

 一つ目のことについて、関連した文章を挙げますと、79頁の八行目から始まる河合氏の文章です。

〈そして、最も大事なことは、治療者とクライエント(来談者)の二人の人間関係なのです。・・・クライエントがこられたら、その人が自分の内界の探索をやっていくような場を提供し、それを助けていく人間関係を作り、その人が自分でやれることを手助けする。自分はそういう仕事をしているんだということがはっきりわかってきたのです。〉

 この後に金井先生の文章が続きます。

〈「その人が自分でやれることを手助けする」、河合氏がこの文章を書かれたのは、七十歳になられた頃で、おそらく「臨床心理」をされて四十年後に、このように言われているのですが、私も全く同感です。このような立場が私の整体指導だと思ってきています。言い換えると「整体になる」ため、不整体になった心のありように対する「気づき」を手伝う立場です。〉

 これらのことを私流に理解すると、「関係性を抜きにした人間理解はあり得ない、関係性の中でこそ人間理解ができる」ということだと思いますが、このことは確かに近代科学的方法とは全く違った視点だと思いました。私には、このような視点を学校教育の中で教えられた記憶がありませんし、世間一般でもこのような視点で人間を理解しようとすることは、あまり知られていないと思います。私はこの文章を読んで、人間理解の新たな有効的視点を与えられたという感じがしています。

金井 この点について、文末に河合隼雄氏の文章を引用しています。)

 ところで私は、ここ十二年の間、月二回位の割合で、あるカウンセラーから面談によるカウンセリングを受けてきました。またそれだけでは物足りず、ここ二年間程は月に二回の割合で、徳田一先生から個別指導を受けてきました。

 私の意識では、自分の悩みや苦しみから逃れたい、解放されたいという一心で通い続けてきたのですが、そこでカウンセラーから何をしていただいていたのかということを、河合氏の文章から理解することができました。

 また個別指導の場で、徳田先生から何をしていただいていたのかということも、金井先生の文章から理解することができました。私としては、カウンセリングと個別指導に共通する何かを実感していたのですが、そのことを言葉にすることができませんでした。この文章を読んで、私にとって個別指導は、体を介したカウンセリングなのだと理解することができました。

 そして、体を介することの意味や重要性を、中村氏の文章から知ることができました。少し長くなりますが、80頁の上段五行目から始まる文章を引用してみます。

五感のうちで特に触覚は、視覚ともっとも対蹠的(全く正反対であるさま)な直接接触の感覚として、見るものと見られるものの分離状態をなくす上で大きな役割をもっている。・・・触るものと触られるものとの間では、主客を対立させる分離は起こらないからである。・・・ものを手でとらえるということが知覚したり理解したりすることの原型になる。・・・特に触覚は諸感覚を結びつける働きを持っている。・・・触覚のもつこの諸感覚を統合しものとものを結びつける力は、私たちが宇宙そのものと一体化しようとする願望の一つのあらわれである・・・〉

 個別指導の中で、徳田先生は私の体にとてもよく触れられます。その意味や重要性を私は理解していませんでしたが、この文章を読んだ時に、「ああそうだったのか」と初めて合点がいったのでした。私はこれまでに、活元指導の一般クラスの中で、愉気ということを何度も聞いてはいたのですが、私自身はほとんどそれをしたことがありませんでした。今回、この中村氏の文章を読んで、これからは体に触れるということを、人間理解の重要な手段として実践し、大事にしていきたいと思うようになりました。

 面談によるカウンセリングでは、カウンセラーはクライエントの表情や雰囲気といった非言語的情報を感知しながらも、表出された言葉を手がかりにして進めて行きますが、その言葉は必ずしも正確な表現ではありません。

 また、カウンセラーがクライエントの体に触れるということはほとんどしませんので、中村氏の文章からすれば、それはとても情報不足、理解不足の状態であるということになります。体に触れるという重要で有効な技術を持っている野口整体は、カウンセリングという意味でも大いに期待できるものだと思えました。

       


    

金井 今では少なくなった「銭湯」での、「日本人の対話」というものがありました。顔見知りの間で、「旦那、お背中流しましょうか」と言って、背中を洗うという人間関係のあり方がありました。先に洗われた方は、今度は替わって相手を洗うというものです。後輩が先輩格の人に対する礼というものでありましたが、替わって後輩の背中も洗うというものだったのです。

 師野口晴哉は「豚は鼻で行動し、人間は手で行動する」と表現しました。

 二足歩行を獲得した人間は、歩くことから開放された手で、道具を使い火を使い、そして言語を発達させて来ました。手でものを掴むことで親指が発達し、脳の言語中枢が発達しました。そして、言語から文字を生み、文化が発展したのです。文字は文化の基本であり、文字の有無が人間と猿とを分けていると言うことができます。 

 二足歩行が可能なのも足の親指が発達したからで、親指・小指・かかとの三点支持により片足でも立つことが出来、それで歩くことができるのです。

 手も足も、親指の発達が「人間らしさ」であるのです。

 さらに、人間としての手の働きは、指先の敏感な触覚によって、精緻にものを認識することができるものです。そして手先の器用さにおいては、世界中で日本人が突出しているようです。

「背骨は人間の歴史である」とは、初めて私が師から受けた講義の始めの言葉です。背骨に触れ、観ることで、その人間の歴史を観ることができるのも、眼のみならず、熟達した人間の手によるものであることを、この言葉は教えています。

         


           

河合隼雄 
『宗教と科学』
( v 頁 序説 現代人の宗教性 1994年 岩波書店)

         

「人間」と科学 

 臨床心理学の科学性について、いろいろと読書したり考えたりしたが、私にとって何よりも大切なことは、日々の実際的な臨床経験であった。そのような経験を長年にわたって蓄積してくるうちに、明確にわかったことは、当たり前のことであるが「生きている人間はものではない」ということであった。生きている人と人が会うということは凄いことである。近代になって西洋で急激に発展した「自然科学」の方法論はそこでは通用しないことが、だんだんと明らかになってきた。人と人との深い関係が生じると、本人たちも知らなかった未知で不可解なはたらきが生じてくる。それを頼りにしてこそ、常識的に言えば「八方塞り」とも言える状況に、解決の方向が見えてくるのだ。

 奇跡とも呼べるような現象に接して、私は畏敬の念が起こってくるのを禁じ得なかった。そのような現象こそが治療の根本であり、それは私が「治す」という感じとはほど遠く、クライエントがそれ自身の潜在力によって「治る」のを感嘆して見ている、と言うべきであった。このことは、ユングがルドルフ・オットーの考えを踏まえて、「ヌーミナス(神聖な)な現象を慎重かつ良心的に観察すること」として定義した「宗教」に、まさに当てはまることと思われた。

 ここに言う「宗教」は、既成の宗教の教義や儀式によって、魂の救済をはかる、というのではない。それは言わば人間の宗教体験の基本となる現象に注目することである。この際、観察する者とされる者との間の深い関係を前提とすることや、因果的に説明不能な一回限りの現象をも重視する点で、従来の「自然科学」とは異なっている。しかし、ドグマを持たずに現象を観察し記述しようとする態度は「科学的」と呼んでいいだろう。まさに宗教と科学の接点のあたりに存在する現象を扱ってゆかない限り、臨床心理を研究することはできない、という自覚はだんだんと明確になってきた。

 しかし、わが国の心理学界における固い「科学主義」はなかなか強く、前記のような私の考えを、いつどのように提示するかは難しい問題であった。私は最初から自分の考えを理論的に、あるいは対決的に提示することを避け、できる限り「事実」を述べてゆき、臨床心理学を専攻する人々にも実際的に「体験」をしてもらうように心がけた。幸いにも、臨床心理学の場合は心理療法という実際的な場があるので、それぞれが自ら実際的に体験することができる、という強さがある。その積み重ねのなかで、私は少しずつ自分の考えを伝えるようにした。

 1965年にスイスから帰国して以来、もっぱら自分自身の経験を基にして考え続けてきたが、1982年に久しぶりにアメリカおよびスイスを訪ねた。そして、欧米においても西洋近代の自我を超えようとする動きが強くなってきており、心理療法を宗教と科学の接点に存在するものとして見ようとしている人たちが増加してきているのを知って、大いに意を強くした。

 そもそもユング派の考えは、欧米の近代の考えと異なる少数派であったし、私自身は日本で一人でやっていて、そのユング派のなかでも孤立するのでは、とさえ思っていたのに、私の心理療法に対する考えに関心をもつ人が意外に多く ── と言ってもユング派の人たちだが ── この欧米訪問を契機にして、私は海外から講演や講義などに招聘されることが多くなった。