Sさんの個別指導

近藤佐和子

(2014年8月3日)

2014年7月26日

 通い始めて七年ほどになるSさんという男性がいます。
 その日、Sさんと対坐してみると、肩が上がって大きくなっており、胴
(肋骨の下部)が細く狭まっているように見えました。また頬骨が高くなったせいで頬がこけて見え、エラが目立ちました。目も何か睨んでいるように見開かれ、緊張した様子でした。顔が少し浅黒くなっており、日焼けとはちがう暗さがありました。
 私が「目に力が入っているよ」と言うと、Sさんはハッとしたように目を閉じ、ゆっくり開いて緊張を解きました。自分でも「変だな」ということは解っているようです。
 まず、読みすすめてもらっている『気の身心一元論』の質問に答えてから、指導に入りました。

 Sさんに立ってもらい、後ろから骨盤に触れてみると、それだけでSさんの上体は右に大きく捻れました。後ろを向いてしまいそうな位大きく捻れた様子から、私は何かと対立していたことをまず感じ、「何か捻れるようなことがありましたね?」と聞いてみましたが、Sさんはまだピンと来ない様子でした。
 うつ伏せになってもらい背骨を観察してみて感じたことは、何かを我慢しながら頑張っていたな、ということでした。そこで、「何を我慢していたの?」と聞いていみると、「我慢?」とピンとこない様子で言いましたが、しばらくの後、「上司が季節物商品の営業をしろとうるさい」という話が出てきました。Sさんの仕事はバイクでの配達なのですが、そういった営業も課せられることがあるのです。
 Sさんはもともとパソコンのプログラミングの技能があり、その職種で仕事を探したのですが見つからず、不本意ながら配達の仕事を始めたのでした。その上、Sさんは、苦手な営業が課せられることを知らずにこの仕事についた経緯があり、この仕事を始めて一年間、ずっと「できればこの仕事は辞めたい」という思いを持っていました。

 そして、三日ほど前に、Sさんの所属する五十名ほどのグループで営業成績がトップの人と比較され、「○○はこんなにすごいのにお前はどうしてこんなにできないんだ」と怒られたと言うのです。
 Sさんは「人と比べられるのがすごく嫌だ」と言うので、「どうして?」と聞いてみると、Sさんはちょっときっとなってこちらを見、「悔しいから?
(僕が捻れ型だから「悔しい」ということですか、という意)」と聞き返すように言いました。Sさんは自分が捻れ型体癖で「勝ち負けにこだわる」ということを知っているのです。
 私が「自分でそう思う?」と聞くと、「そう思わない。自分のペースでやれなくなるのが嫌なんだ」と答えました。私はちょっと感情的になっていることを感じたので、「そういうことが気になってできなくなっちゃうんだね」と言うと、「そう・・・」とSさんはうなづきました。
 そこで「おしっこの出はどうだった?」と聞くと、ここ数日は出が悪かったとのことでした。そして、配達中にバイクを二度、同じ場所で同じように倒してしまった、と言いました。「比較されて怒られたことを気にしてる、って自分で気づいていた?」と聞いてみると、「ぼんやりとはあったけど、今、分かった」とのことでした。
 私は、その日の表情の硬さにしては、背骨全体がはっきりとしていて、閊えた処がはっきり分かるな、とも感じていました。これは比較的最近の出来事であったからかもしれませんが、何となく「仕事を頑張っていたな」とも思ったのです。そこで、「でも仕事、頑張っていたみたいだね」と言うと、「配達は頑張っていた」とSさんは答えました。
 しばらく愉気や活元ストレッチをした後、Sさんは「比較された相手は、季節物の営業が始まってから、売上は良いけれど配達がすごく遅くまでかかっているのに、誰も何も言わない」と訴えました。自分の頑張りは誰にも認められないことにも怒りを感じていたのです。

 Sさんは首も細くなっており、仰向けになってもらうと、両胸の差がはっきりと観え、右胸は薄く、左胸は厚くなっていました。こういう状態の時、必ずSさんは熟睡できなくなっているのです。確認してみると今回もそうでした(この偏りは弛むことでじきに整う)
 そして、硬いみぞおちに愉気をしている時、Sさんは呟くように「比べられた相手が、営業に目覚めて転職してしまえば、会社は慌てるだろう、そうしたら会社に復讐したような気持ちになれる、とずっと思っていた。」と言いました。
 そう言い終えて目を閉じたSさんの顔はすっきりとして、顔の黒さまで抜けています。体からも力が抜けたように感じました。「今、顔変わったよ」というと、自分でも感じたとのことでした。
 Sさんは、よくこんなふうに情動に支配されて空想が頭を離れなくなり、眠れなくなってしまうのです。そこで私は、そういうのは感情に頭が乗っ取られて、勝手に働いているということだよ、と言いました。Sさんは「夢を見るのもそうですか?」と言うので、そうだ、と答えました。
 このことは以前にも何度か言ったことがあるのですが、あまり不快感もなく、問題とも思っていなかったようです。しかし、今回ははっと気づいたような表情を見せ、分かってきたようでした。
 Sさんはこの数ヶ月、不快な感情が起きた後バイクで事故を起こしそうになったり、転びかけたりということが続いていました。私はそういうぼんやりした状態でバイクに乗っていると危ないから、何があってもバイクに乗る時だけは腰を意識して、自分の状態をはっきりさせるように注意してきたのですが、その努力をし始めているとのことです。

金井註 不快情動(感情)によって、Sさんには、このような消極的想念が渦巻いていました。整体操法による個人指導は、このような「求心的心理療法」となる。

 この日、正坐での活元運動に入り、私はふと骨盤部(仙腸関節)に愉気して誘導してみよう、と思いました。すると、まだリズムよく、というところまでは行かなかったのですが、骨盤と全身が連動した活元運動が出てきました。
 その日、活元運動を終えてSさんの様子を見ると、静かに目を閉じて瞑想状態に入っていました。肩の力が抜け、重心も下がって、指導前の表情とは別人のようです。
 私は、腰を意識していることの効果を感じたこと、それを感じることで自分を取り戻して、腰があれば大丈夫、という安心を得られるようになって欲しい、という話をして指導を終えました。

 私はその日の指導で、Sさんが苦しんでいるのは「劣等感」なのだということを感じていました。それは、今の環境によって始まったことではなく、潜在意識としてあるものだと思いますが、そこまで踏み込めずに指導を終えたことに心を残していたのです。その夜、私は次のようなメールをSさんに出しました。

 今、Sさんが苦しんでいるのは劣等感なのではないかと思います。そういう時、認められたい気持ちや、相手の配達が遅くなっていることを咎め立てしたくなったりするのではないでしょうか。まずは自分の興味の持てるところ(バイクの運転・Sさんの趣味はバイク)から、主体的に取り組むことで小さな自信を自分の中に積み重ねてください。配達は自ずと向上するでしょうし、何より自分の安定のためです。そのために身心を整えてください。息をゆっくり吐くことを忘れずに。

 すると、Sさんから次のような返事が来ました。

 メールありがとうございます。劣等感と言われて「?」という感じだったのですが、よく考えてみると、営業ができるのがうらやましいと思っていました。自分は人と関わることに嫌悪感があるから、自分で(開業して)仕事をするにしても、どこかで働くにしても、必ずそこでつまづくと想像して、動けなくなっている。なのにその人はそんなに営業や人と関わることができて、もし自分だったら即転職するなあ、と。

 Sさんには、信頼関係や心の安定が育まれなかった生育歴があります。彼にとって、きっと、営業が苦手ということ以上に、人に対する嫌悪感が抜けないことが、本当の苦しみなのでしょう。でも、この仕事を始めて半年ほどの頃、「今まで人が表す感情に嫌悪感があったけど、いろんな表情を見るのが嫌ではなくなってきた」と言ったことがありました。変化してきているから、自分の受け入れ難い面も理解できるのです。
 そして、この文章を読んでもらい、感想を聞いてみると、「自分は捻れ型なんだなと思った」そうです。
 今は、他人と比べてどうかということや、抑えた感情に支配されることなく、集注してバイクの運転に取り組むことで、いま、ここの「自分」をはっきり感じられるようになって欲しいと思っています。