15.特殊疑問文
「 シンハラ語の特殊疑問文(英語のwh疑問文)は、動詞が強調形に変わることと、疑問の印のdaが、いつも疑問詞の後につくことにその特色を見ることができる。
(14)oyaa mokak da dakinne?
あなたは 何 か 見るのは[強調形] あなたは 何(を)見るか。」
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この指摘は明快です。
要は,日本語で「何だ?」「どれだ?」「どこだ?」と言う場合の「〜だ?」のようにシンハラ語でも「ダ?」が用いられるということです。このことは既に『熱帯語の記憶,スリランカ』(南船北馬舎/2000)でも触れました。
ここで注意したいのですが、宮岸論文ではシンハラ語の「 wh疑問詞+da」 は動詞の強調形を従えるとしています。この強調形というのは「見るdakinawaa」が「dakinne」のかたちを取っているという意味です。たとえば、
私は夢を見る。 mama sihinayak dakinawaa. という文をひっくり返すと(SOV→SVO)、
私が見るのは夢。mama dakinne sihinayak. になります。
この時の「見る--見るのは」という変化ががシンハラ語では「dakinawaa. -- dakinne」となるところからdakinne を動詞の強調形としているのです。これは達観というべきです。
しかし,日本語の動詞活用という視点からすれば、 dakinnne のかたちは同時に「〜ない
nae」という打ち消しを伴なうかたちであり、「見-ないdakinne nae」という表現も出来るのですから、dakinne は「未然形」と捉えることもできるのではないでしょうか。あるいは「強調形」とは動詞の意味を示しているのですから、「シンハラ動詞の未然形は打ち消し,強調に用いられる」とも解釈できそうです。
また、この動詞のかたち dakinne を未然形と呼ぶとき、それは本来の意味での「未然」を示していると言えます。話者が問いかける「なに?mokak」は話者にとって「未然」--これから然るべく判然とするもの--なのですから。日本語の文法解釈が現代日本語よりも明瞭な姿でシンハラ語には適用できるのです。シンハラ語は英語的に理解するより日本語的に解釈するとその性格がはっきりとします。
また、宮岸論文では、この 「wh疑問詞+ da 」のまとまりが文によってずれるという指摘をしています。シンハラ語ではSOVの位置を変えることが日本語のようにして可能ですから、「wh疑問詞+
da」が文の何処へ来ても構わないのですが
シンハラ語でもkiidenek(何人/匹)、koccara(どれくらい)などを含む疑問文では、強調形は周いられず、疑問の印daも文末に来るという(Kariyakarawana1998)指摘をして例文を挙げています。
●kiidenek(何人/匹)に関しては
Sirl ali kiidenek daekkada.(fo・Xiv)
シリは象を 何頭 見たか。
を挙げています。これは kii という疑問詞の成り立ちに由来するのではないでしょうか。つまり、kii
は本来 kiiyakda?(いくつ?) のように使われ自立し得ない単語であったとされます。例えば,
dawas kiiyakda? が kii dawasakda? に変化して kii 自体が名詞に付く形容詞のように使われるという考え方です。
dawas kiiyakda?
日にち 幾らか/幾つか? →何 日 (掛かる)か? →kii dawasak da?
kii dawasak da?
こう理解するところからC/カーターは kiiyakda? から分離した kii を形容詞と捉えるのです。
●koccara(どれくらい)に関しては、
Sid ali koccara daekkada.?
シリは 象を どれくらい(数) 見た か。
を挙げています。ccara は vichara (vithara) という時間・長さ・程度を表す副詞(〜ほど/だけ掛かる、〜ほど/だけ長い、というときの”ほど/だけ”)が原義で、日本語の「こそあど」に当たる「me-、e-、a-、ko-」
を前置して「これほど/だけ,それほど/だけ」などと表現するときに使い形容詞に分類されています。この語源の成り立ちからして
kii と同じ扱いになるのではないでしょうか。
ただし、宮岸論文では、
ebandu aayittam paelandiimaTa maTa kawadaa iDa laebee da?(mw.29)
こんな ドレスを 着ることに 私に いつ 機会を 得る か?
と言う例文を挙げてwh疑問詞の用法の特例を指摘しています。これはどう解釈すればよいものやら,屯と分かりません。