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鳥屋のエッセイ
P.6


働かない働き蟻

以前書いた随筆「遊ぶカラス」に、「カラスは暇なので、遊びながら試行錯誤し、有益な発明や発見をして、ますます繁栄するだろう」という与太話を書いたが、最近この「遊ぶカラス」に似た、怠けアリの話を読んだ。

北大が「働かない働きアリ」を発見し、これは人間の組織に似ているじゃないかと面白がられ、テレビなどにも取り上げられたことがある。
働きアリの中には、全く働かないで遊んでいるのが20%ぐらい居て、彼らは勤勉アリから餌をもらって生きているらしい。
研究者というのは熱心なもので、アリの行動を一匹ずつ丹念に追い、怠けアリの背中にはペンキを塗って、勤勉アリと区別したそうだ。
試しに、巣から勤勉アリを全部取り除いてしまっても、残った怠けアリ達は働かずに、いつまでも遊んでいたというから、怠けアリは正真正銘、根っからの怠け者なのである。

生物界は生存競争が激しいから、怠け者を20%も抱えた群れが存続出来る筈はない。
だから、怠けアリはきっと何かの役にたっているに違いないと、研究者たちは怠けアリの存在理由を探している。
大阪府立大の某研究者は、コンピュータ・シミュレーションによって、「勤勉アリだけの群れよりも、怠けアリが混じった群れの方が、より多くの餌を獲得出来る」という説を唱えている。
勤勉アリは、所在のわかっている餌は能率良く巣に運ぶものの、新しい餌を発見することが少ない。
しかし怠けアリは無駄歩きするから、新しい餌にぶつかるチャンスが多いという。
怠けアリは餌を見つけても巣に運ぶことはしないのだが、この様子を勤勉アリが発見して、餌運びを始めるというのだ。
怠けアリの混じる集団の方が、結果として、より多くの餌を獲得出来るし、環境変化への対応能力も優れているという主張なのである。

なるほど、もっともらしい説だと納得しかけて、ふと気がついた。
考えてみれば、大学の研究者というのは、人間社会の「怠けアリ」みたいな存在ではないか。
どうもこの説には、同類を擁護しているかのような匂いがある。
鵜呑みにしないほうが無難かもしれない、と考え直した。








飛びっぱなしの鳥

アッテンボローの本には、興味深い野鳥の話が満載されている。
その中から、生活のほとんどを洋上で過ごす鳥の話と、飛びっぱなしで空から下りて来ない鳥の話を紹介する。

ウミツバメは繁殖期のごく短い期間を除き、一生を洋上で過ごす海鳥である。
雛は卵から孵ると間もなく、まるで陸から逃げ出すかのように、海に向かって駆け出す。
草むらを走り、藪を抜け、崖を転げ落ち、天敵から丸見えの危険な渚を突っ切って、海へと向かう。
無事に海上に浮くことの出来た雛は、生まれて初めての餌を親鳥から貰い、洋上生活を開始する。
ウミツバメは、まさに海の申し子なのである。

一方、空の申し子はヨーロッパアマツバメである。
このアマツバメは、繁殖期を除く9ヶ月もの間、空を飛びっぱなしで、全く羽を休めることが無いという。
地上に下りず、何かにとまったりもせず、ずっと空中を飛んでいるというのだ。
アマツバメは飛びながら空中の虫を捕食する。
水を飲みたければ水面すれすれに飛び、下クチバシですくい取って飲む。
夜になると2000mの上空に舞い上がり、羽ばたきを混ぜて滑翔しながら眠る。
繁殖期には空中で交尾をする。
巣づくりは、飛びながら空中に漂っている僅かな羽毛などを集め、唾液と混ぜて材料にする。
営巣は崖の上や、高い建物の上部を利用するものの、この繁殖の一時期を除けば、毎日24時間、ずっと空を飛びっぱなしだというのだ。

この「飛びっぱなしの鳥」は、ちょっと信じがたい。
魚の話になるが、サメは休まずに一生泳ぎ続けるという説があった。
しかしこの説は、海底にとどまって眠るサメが発見されたため、あっけなく覆されてしまった。
ヨーロッパアマツバメも、9ヶ月間ずっと監視したわけではあるまい。
そのうち、何処かでサボっているのが発見されそうな気がする。








立てないアビ

最初にそのウェブ画像を見たときは、アビが死にかけているのだと思った。
アビは漁港内の浅瀬で、立ち上がれず、つんのめり、もがいていた。

心配になってアビについて調べてみると、次のようなことがわかった。
アビは水中を上手に泳ぐための進化として、足をお尻の方に移動させたらしい。
後方に付いた足は、地上では不自由だが、水中遊泳には好都合だ。
地上歩行を捨てて、代りに、魚のような尾びれを得たというのである。
このため、地上のアビは、体重を自分の足で支えることが出来なくて、座り込むか、つんのめる、ぶざまな格好になってしまう。
だとすれば、あの画像を心配することはなさそうである。

アビは潜水して魚を獲る名人である。
水面に浮かぶ姿は、潜水艦のように、体が半ば沈んで見える。
身体の比重が大きくて、潜りやすいのである。
一般に空を飛ぶ鳥は、身体の軽量化を図り、骨の中空構造を発達させて来たが、アビの骨は中身が詰まっていて、骨密度が極めて高いのだそうだ。
それに、潜水するときには、身体を縮めて羽毛内の空気を追い出すという芸当が出来るらしい。
アビ科の鳥の多くは体重が重く、水面を滑走路にして100メートルほどを助走しないと、飛び立つことが出来ない。
それは、ハクチョウが水面をバシャバシャ走りながら離水する、ユーモラスな、あの姿と同じである。
だから、何らかのアクシデントで内陸に降りてしまったアビは、もう自力で飛び立つことが出来ない。
何かに適応するということは、同時に、ほかの何かを捨てることでもあるのだ。

心配したアビだったが、数日後のウェブ画像に、元気に泳いでいる姿がアップされていて、「やっぱり大丈夫だったか」と胸をなでおろした

・画像参照白鳥の離水







一腹卵数

野鳥の産卵数は、鳥の種類ごとに決まっていて、これを一腹卵数と呼ぶ。
大型のワタリアホウドリなら1個、小さなシジュウカラなら8〜10個という具合である。
ワタリアホウドリは人間並みに長命で、50歳以上まで生きるから、一人っ子政策をとっているようだ。
これに対し、小型の野鳥は寿命が短いし、猛禽の栄養源になるという厳しい役目を負っているから、目減りを予定して多めに産んでいるのだ。

面白いことに、産卵途中の鳥の巣から卵を抜き取ると、母鳥は所定の卵数に達するまで産み続けるらしい。
ヘビに卵を盗まれたシジュウカラの母親は、「ひぃ、ふう、みぃ・・・」と卵の数を数え、「あら、まだ3個足りないわ」とばかりに、不足分をポコポコポンと産み足すのである。

産卵中の巣の卵を、1個だけ残して、抜き取り続けた研究者が居る。
産んだら取り、また産んだら取る・・・科学的実験と称して、しつこく抜き取り続けたら、通常12個のツクシガモが35個も産卵したそうだ。
もっと驚くのはスズメの例で、なんと最高70個もの卵を産んだという。

スズメの涙ならぬ、小さなスズメの卵でも、70個も集めれば、賑やかな目玉焼きが作れそうである。









テレコンの存在価値

高倍率のデジスコを主力機に野鳥撮影をしているが、デジスコは近距離やトビモノに弱い。
そこで、この弱点をカバーするサブ機として、キャノンのデジ一眼を使っている。
レンズは100−400ミリズームに手ぶれ補正つき。400ミリで手持ち撮影が出来る、というハイテク製品である。

デジ一眼はオートフォーカスだし、連写は効くし、バカチョン的に使えてストレスが少ない。
これは便利だ、もう少し遠くまで撮れないものかと、ケンコーの「キャノン用1.5倍テレコン」なるものを購入したが、テストしてみて驚いた。
テレコンを使うと確かに大きく写るのだが、パソコン上で解像度を比較してみると、テレコン無しの方が綺麗なのである。
つまり、テレコン無しで撮って、それをパソコン上で拡大した方が、細部まで鮮明な画像になる。

やっぱりキャノン純正のテレコンを買うしかないのかなと思ったりしたが、純正品は倍近い価格である。
買うのはメーカーに確かめてからにしようと思い、キャノンに電話で問い合わせた。
回答は意外にも「テレコン無しで撮った画像を、パソコン上で拡大した方が、解像度が良いです」という、驚くべきものだった。
「じゃあ、テレコンの存在価値は?」と尋ねたら、「パソコンが登場する前から、テレコンは有りますので・・・」と意味深な答え。
100%は信じきれない気分だったが、とにかく純正テレコンの購入は取りやめである。

ウェブで野鳥写真のホームページを見ていると、デジ一眼にテレコンを付けている方が多い。
機器による違いもありそうだが、皆さんはどう感じて居られるのだろう?








鳥の眼

鳥は遠目が効く。
猛禽ノスリの視細胞は、1ミリ四方に約150万個、単位面積当たりで人の7倍もあるそうだ。
デジカメに例えれば、画素数7倍のCCDが搭載されているようなもので、人の視力が1.0ならノスリは7.0と、分解能が極めて高い。
鳥は動体視力にも優れている。人は毎秒24コマの劇場映画を、滑らかな動画として鑑賞しているが、鳥にはバラバラの断続画像に見えるらしい。
実験によれば、およそ人の2倍のコマ数にしないと、スムーズな動画に見えないという。
空を飛ぶ生活では、聴覚や嗅覚よりも視覚が頼りになるから、鳥は特に眼を進化させてきたのである。

鳥の眼そのものの話ではないが、鳥は飛行中に見た風景を、スナップショットとして記憶するという、興味深い説がある。
過去に見つけた餌場などは、そこに至る道筋のスナップショットが何枚も記憶されていて、再訪問するときは、記憶した画像と同じ見え方のアングルを選んで接近するというのである。
それは、沖合いの漁師が、陸地の見え方を基準にして、母港に接近する手法に似ている。

ツバメは遠い異国から、どんなスナップショットをたどり、渡ってくるのだろうか。
星座を頼りに海を越えて日本列島にたどり着き、山河や町を見下ろしながら飛行し、去年と同じ家の軒先の、懐かしい古巣に戻ってくるまでのスナップショットを、スライドショーのように順々に空想してみるのも面白い。

あの小さなツバメが、国境を越えて去年の古巣に戻って来るというのは、やはり驚異であり感動である。








なぜ少ない、鳥ヘンの字

子供の頃に、鮒、鯉、鯛など、魚偏の字を全部憶えてやろうと頑張ったことがある。
このせいで、今でも魚偏の字の読み書きだけは得意だ。

バードウォッチャーの素養として、鳥偏の字を憶えるのも悪くないなと思い、調べてみたら不思議なことに、鳥偏の字はあまり見つからない。
鴉(カラス)、鶴(ツル)、鶏(ニワトリ)、鳩(ハト)、鴎(カモメ)・・・これは偏ではなく、旁(つくり)である。
鷺(サギ)、鷲(ワシ)、鴛(オシドリ)、鳶(トビ)・・・これは脚(あし)。
鳥と同じ意味の隹(ふるとり)が付いた字もあるのだが、雀(スズメ)、雉(キジ)、隼(ハヤブサ)、雁(ガン)・・・この用法も偏ではない。

鳥を偏に用いないのは、バランスが悪いからだろうか。
それとも何か別の理由があるのだろうか。ご存知の方が居たら教えて欲しい。







「聞きなし」を楽しむ

ホトトギスの「特許、許可局」という “聞きなし”は有名である。
これは地方によって異なり、他に「テッペン、カケタカ」「包丁、研げたか」「本尊、買うたか」などがある。

ホトトギス以外にも、いろんな野鳥の聞きなしがあるが、それぞれの聞きなしを念頭に置きながら、パソコンで鳴き声を聞いていると、思わずニヤリとさせられるのが幾つかある。
そんなのをちょっと紹介する。

イカル「お菊、二十四?」 き声
メジロ「長兵衛、忠兵衛、長忠兵衛」 鳴き声
センダイムシクイ「鶴千代君(つるちよぎみー)」 鳴き声
ルリビタキ「ルリビタキだよ、ルリビタキだよ」 鳴き声

聞きなしは「為す」ものだから、為せば為る。
そう思って聞けば、そう聞こえるし、楽しめる。

(これ以外にも幾つかの鳴き声を、以前のエッセイ(17に添付したので参照されたい。)







鳥にやさしいコーヒー

「バードフレンドリー・コーヒー」・・・鳥に優しいコーヒー、というのがある。
バードウォッチャーにはお薦めのコーヒーである。

コーヒーの多くは、亜熱帯の広大な森林を伐採して作られた、大規模なプランテーションで栽培されている。
元来、コーヒーの木は半日陰を好むから、日陰を作ってくれる背の高い樹木・・・シェードツリーと混植されてきた。
このシェードツリーの下で作られたコーヒーは、シェードコーヒーと呼ばれる。

しかし、単位面積当たりの収量を上げるために、シェードツリーの要らない、日向でも育つ品種が開発されたため、プランテーションの主流は単一樹種栽培になってしまった。
このコーヒーは、サンコーヒーと呼ばれる。

伝統的なシェードコーヒーのプランテーションは、樹木が重層的に茂り、落ち葉や昆虫も多く、渡り鳥にとって絶好の越冬場所となっている。
しかし、単一樹種を蜜植したサンコーヒーのプランテーションは、大量の農薬と化学肥料を投入する栽培法であるため、生物学的砂漠(Biological Dessert)と呼ばれるほどに、生物には住みづらい環境になってしまった。
シェードコーヒーの減少とともに、野鳥も激減したという。

スミソニアン渡り鳥センターは、シェードコーヒーを「バードフレンドリー・コーヒー」であるとして推奨し、シェードグロウン(日陰栽培)の認証を発行している。
アメリカの野鳥愛好家の間には、この認証を受けたコーヒーを選ぶ動きが広がっているそうだ。

・スミソニアン渡り鳥センター(http://natzoo.si.edu/smbc/start.htm






ウグイスの方言

野鳥の囀りは、生まれつきの鳴き方と、生後に学習した鳴き方との、境界がはっきりしないらしい。
そろって同じ囀りをする野鳥も居るが、オーストラリアのモノマネ鳥(コトドリ)のように、他の野鳥の囀りを真似てばかりで、その鳥本来の囀りが良く分からないというのも居る。

ウグイスはみんなホーホケキョと聞こえるが、この囀りには方言があるそうだ。
元禄時代、上野に住んでいた東叡宮の親王は、ウグイスの関東訛りが卑しいからと、京都から3500羽のウグイスを送らせて、上野の山に放した。
それ以来、上野はウグイスの名所として有名になったのだそうで、鶯谷の地名もこれに由来するという。

昔から、ウグイスの幼鳥に良い囀りを覚えさせるために、歌の上手い成鳥を傍に置く付子(つけご)という方法がある。
上野のウグイスには、歌の師匠役3500羽と東叡宮のご威光で、都訛りの歌が広がったという逸話だが、これは多分、「史上最大規模の付子」として、ギネスブックものであろう。

注意深く聞けば、上野のウグイスには、今でも京都訛りが残っているかもしれない。

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