17.トラベリング・ウィルベリーズ The Traveling Wilburys
  Part 4 図解!異常に偏りのあるウィルベリー兄弟列伝(総天然色)

 → Part 1 :ウィルベリーズ基本情報
 → Part 2 :更なる豊かなウィルベリーズ・ワールドについて
 → Part 3:全曲目,映像作品解説

 図解! 異常に偏りのあるウィルベリー兄弟列伝 (総天然色)

ボブ・ディラン自伝より

 「ロイ・オービソンは、あらゆるジャンルを超越していた ― フォーク、カントリー、ロックンロール、そのほかの何もかもを超えていた。
 さまざまなスタイルを、いまだ発見されていないものまで含めて混ぜ合わせていた。ロイには、意地悪くて恐ろしい声を出しておいて、つぎの箇所ではフランキー・ヴァリなみのファルセットで歌うという芸当ができた。
 ロイにかかるとマリアッチを聞いているのか、オペラを聴いているのかわからなくなる。
 彼はいつも聞く者たちの注意を引きつけた。
 歌は彼にとって血と脂肪、すなわち神への捧げ物だった。
 彼はまるでオリンポスの山頂に立ったかのように歌い、本気でそれをやっていた。」(2005年 菅野ヘッケル訳)

ロイの英国ツアー中からワンショット1963年
 ロイ・オービソンと、前座の坊やたち。右端のロイ、まだ20代のはずだがすげー貫禄。
 ジョージは左から二番目。幼い笑顔にスキがありすぎる。

ビートルズのアメリカ・ツアー 1965年
 ホテルでディランと会見。ディランは「I want to hold your handが好きだ」と述べた。…ただし、歌詞の“hide”(隠す)を、“high”(ハイになる)と、勘違いしていた。
 連中にマリファナの吸い方を教えた事に関しては、後日「まずかったかなぁ」と笑っていたらしい。
 ジョージは姉がアメリカで生活していたため、ビートルズがブレイクする前から渡米経験があり、ディランのアルバムも全部揃えるほどの大ファンだった。
 それは死ぬまで変わらなかった。何せ、カメラでディランの隠し撮りまでしたのだから。ストーカーめ…(←この話はトムがバラした)


65年のディラン。傑作[Highway 61 Revisited]若い!美しい!

68年、当時The Idle Raceのメンバーだったジェフ(もうThe Moveだったかも?)が、アビ―・ロード・スタジオで、ビートルズのレコーディングを見学している。

 緊張して握手だけしてもらったが、すぐにつまみ出された…と、ジェフは回想している。
 一方のジョージはその時のことなど、全く覚えていないらしい
 (なにせ、この頃のビートルズは超険悪だったので…)

                           67〜68年頃のジョージ →

66年のバイク事故以降
、公衆の面前を避け始めたディラン。
 69年、ウッドストックで気ままな生活を送っているところに、ジョージが遊びに来る。
 その経験があまりにも楽しかったため、ジョージはすっかりビートルズを辞める気になってしまった(実行する)。

71年 コンサート・フォー・バングラデシュ

 ジョージ、隠遁生活を続けるディランを引っ張り出す事に成功。
 リハーサルにて、ジョージに視線が釘づけになるディラン。
 大観衆が不安だったらしい…。
 ジョージには、話す相手の顔に異常接近する癖がある。

75年 ロサンゼルス 
 ジョージはLAのレオン・ラッセルのスタジオで仕事をしていた。
 そこには、痩せて無名の金髪青年が出入りしていた。
 この青年トム・ペティは故郷フロリダから出てきたばかり。
 ジョージとの出会いに大感激したが、例によってジョージの方は覚えていない。
 ただ、ダークホース(ジョージのレコード・レーベル)のTシャツはあげたらしい。
 トムが喜々として着用している証拠写真がある。 →

 周りは、ハートブレイカーズの仲間。
 左端のベンモントはチープ・トリックのTシャツ。

78年頃、ディランのコンサートを
普通に見に行ったトム

 普通に客席に座っていたら、ステージ上のディランに
「トム・ペティが来ています」といきなり言われてビックリ。
何せまだアルバムを2枚出しただけのヒヨッコだったし、
ディランとの面識も無い。
終演後、楽屋でディランに紹介され、挨拶しただけ。


←79年Damn The Torpedoes

やせすぎ。いくら貧乏だったとはいえ…

1978年 ディラン初めての来日公演
なんと、全く同時期にジェフのELOも(唯一の)日本公演中だった!ディランはELOを見に来て、楽屋でメンバーと挨拶。

1978年のアルバム

← ELO:Discovery

 Dylan: Street Legal →

80年代初頭 
 ロイは不幸の続いた70年代を終え、レコード会社をヴァージンに変更。
 ディランは宗教(キリスト教)にハマる。
 ジョージは音楽活動をしばしお休みして、気ままにすごす。
 ジェフはギネスに認定されるほど、ヒットソングを量産。
 トムもレコード会社と喧嘩しつつコンスタントにアルバム製作と、ツアーを重ねていた。

85年 ファーム・エイド 
  ベントの一つとして、ディランとトムの初共演。
  ← ファーム・エイド終了直後のディランとトム。
     ビールが飲みたそう。

ディランはこの取り合わせが気に入り、
ボブ・ディラン with トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズ
としてのツアーを翌年から開始。

笑ってるらしいが、目つき悪いぞ。
 →

このツアーは好評で、86,87年にわたり、
世界中で(含日本)90公演をこなす。

← 男の子なら、やらずには居られない
  “One mike for two men!”

87年ジョージ復活

久々のアルバム製作。
ELOをやめたジェフをプロデューサーに迎える。
そうして出来たのが、名作 [Cloud Nine] → 

87年10月 ディランとトムのジョイント・ライブは、最終公演地イギリス

その楽屋に、ジョージがジェフを伴ってやってきた。

ジェフ:「はじめまして。」
ディラン:「日本で会ったでしょ。」(78年のことを覚えていたらしい)

ジョージ、初めて会った(ジョージはそう思っていた)トムをとっ捕まえてのコメント。
「ね、これからのぼくの人生、きみ無しにはありえないよ!You know, I'm not going to let you out of my life now,」
ジョージ、そういう台詞は普通、妙齢の女性に言うものですよ。

トム曰く「ヒンドゥー教では、本当に親密な,重要な誰かに出会うという事は、前世でもやっぱり出会っていたと考える。
それがまさにジョージだった。僕らは会ったとたん、すぐに仲良しになれた。本当に速攻で親友になったんだ。」

翌日はトムの誕生日だったので
ジョージがジェフと共にケーキを楽屋に持参。
その時の記念撮影。

左からディラン、トム、ベンモント(トムのバンドのピアニスト)、
ロジャー・マッグイン、ジョージ、ジェフ。
手前はディランのローディーのヴィクター・メイモード。

…これ、普通の飲み会写真じゃありませんか?
特にディラン…でぃ、ディラン様…
20世紀のカリスマのはずだが…

ジョージ、[Cloud Nine]のテープをトムに渡す。
トム、そのサウンドに感動!

ディランとのツアーを終え、LAに帰ってオフに入ったトム

ある日車に乗っていたら、信号で隣りにジェフの車発見!
「わぁ、偶然!」という所から、トムのソロ・アルバムのプロデュースを、ジェフが行うことに…
ジェフ、同時にロイのプロデュースにも着手。

クリスマス前のある日。トムが娘とレストランで食事をしていると、
ウェイターが「お友達がいますよ」と言って別室に案内した。行って見ると、そこにはジェフとジョージが!
ちょうどジョージが、ジェフにトムの電話番号を書いてもらっているところだった!

その日からジョージはトムの家に入り浸るようになる
(ジョージが世界有数のお金持ちじゃなかったら、ただのタカリだ)。


88年春 ウィルベリーズ始動!

Handle with care 5人全員の顔が映らないところがミソ。

大好きなショット。

ヴォリューム3のセッションより。ディラン、笑い過ぎです。

92年 ボブ・フェストにて 

リハーサルで談笑するトムとジョージ。
この写真は、「ボブ・フェストCD」の
インナーにも使われた。

また異常接近してる…
95年 ビートルズ・アンソロジー 
「新曲」のプロデューサーにジェフを迎えて。
良かったね、ジェフ。夢が叶って…

1999年末 ジョージが自宅への侵入者に胸を刺されて入院

この時のことについて、トムは…
「彼が刺されて死ぬような事になっていたら、僕がそれを受け止められたとは、到底思えない。
僕はジョージにそう言ったよ。僕がテレビを点けたら彼が刺されたってやっていて、
まるで死んでしまったみたいな騒ぎだった。テレビは彼の生涯みたいのをどんどん流していたんだ。
そんな事があってから、僕はジョージに言った。
『君が死んじゃったみたいなものを、とりあえず体験したけど。
お願いだから、あんな風には死なないでくれ。そんなの絶対、僕には耐えられないから。』
彼はそうはならないと、約束してくれた。」…(涙)

2001年11月29日 ジョージ・ハリスン死去

ディラン:
 彼は巨人であり、大いなる、偉大な魂だった。
 人間性の全てと、ウィットと、ユーモア、
 そして全ての叡智を持ちあわせた、崇高なる存在だった。
 人間としての良識を備え、人々への慈愛に満ちていた。
 彼は愛を生み出し、百もの人に相当する強さを持っていた。
 彼は太陽であり、花であり、そして月であった。
 彼を失い、我々はとてつもない悲しみに暮れるだろう。
 彼を失い、今や世界は底の見えない空虚な場所だ。
 (公式声明)


トム:
 僕は本当に幸せだよ。
 自分の母親が死んだか何かの時以外で、
 これほどまでに誰かの傍に居た事なんてないんだ。
 彼がただの一音も奏でなかったとしても、
 僕は彼を本当に愛しただろうし、
 僕の人生に彼が居てくれた事に感謝しただろう。
 ジョージは愛でいっぱいだった。
 彼が旅立ってしまって余計に感じるんだ。
 彼は純粋な愛そのものだと。
 (RS誌インタビュー)

2002年 コンサート・フォー・ジョージ

歌う、歌いまくるクラプトン!…冷静沈着仕事人のジェフ。

全米ツアーの合間に、渡英して参加したトム。
“Handle with Care”…涙、涙!
“I Need You”の時、トムがしばらく
天井の方が見ながら歌っているのも…泣。

トムのヒット曲 I won't back down

ビデオに、ジェフとジョージ登場
なぜかリンゴもついてきた

左端はトムの相棒マイク・キャンベル

かなり愉快なビデオ。

2004年 ジョージ、ロックの殿堂入り

プレゼンターは、ジェフとトム。(殆どトムが喋った。)

演奏したのは、“Handle with Care”と、
“While my guitar gently weeps”
後者のトム・ヴォーカル・ヴァージョンもかなり良い。
しかも、ギター・ソロはプリンスだった!

2007年 「トラベリング・ウィルベリーズ・コレクション」発売

『履き古した靴で、おなじハイウェイを歩いていく 
     新しいもの以外は目にははいらないし 妙な気分もするけれど 
                            僕はひたすら光向かって進んでいく…』

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