17.トラベリング・ウィルベリーズ The Traveling Wilburys  
   Part 2 更なる豊かなウィルベリー・ワールドについて

 → Part 1:ウィルベリーズ基本情報
 → Part 3:全曲目,映像作品解説
 → Part 4:図解 異常に偏りのあるウィルベリー兄弟列伝 (総天然色)


 幻の「ヴォリューム2」

 「ヴォリューム2」に関する噂とは、以下のようなものである。

 
ロイの死によって、4人になってしまったウィルベリーズは、デル・シャノンをロイの後任として迎え、セカンド・アルバム「ヴォリューム2」を録音した。しかし、そのデルが1990年2月に自殺してしまったため、「ヴォリューム2」はお蔵入りになった(別の説では、「ディランが仕上がりに満足しなかった」となっている)。
 それゆえに1990年春に録音されたアルバムは、「ヴォリューム3」として発表されたのである。


 デル・シャノンとは、1934年生まれのアメリカ人で、ロック黎明期のシンガーだ。代表曲は“Runaway”(邦題:悲しき街角)。立場的には確かにロイに近い人物と言える。しかも、トムは1980年にデルのアルバムをプロデュースし、非常に親しい間柄だったし、ジェフもデルの新譜のプロデュースを手がけるなど、ウィルベリー兄弟とは密接な関係にあった。
 その上、「ヴォリューム3」からのシングル・カット曲“She’s My baby”のカップリング曲が、“Runaway”のカバーだったため、益々「デルが参加した『ヴォリューム2』が存在する」という憶測が広まったのだ。

 ブートレッグ(海賊版)業界では、いかにもそれらしい「ヴォリューム2」が出回ったが(私も聴いたことがある)、実際の収録曲はメンバーのソロの曲であったり、「ヴォリューム1」,「ヴォリューム3」からのアウト・テイクだったりして、その実体は今のところ確認されていない。
 幻の「ヴォリューム2」は、未だにその存在が噂される、謎のアルバムなのだ。

 この「ヴォリューム2」に関する、私の考察。結論としては、存在しないと思う。
 確かに、デルは「6人目のウィルベリー」といわれる要素の濃い人物だ。しかし、その点ではロジャー・マッグイン(元バーズ)や、マイク・キャンベル(トムの右腕ギタリスト)も同じくウィルベリーの資格がある。デルと彼らの違いは、1990年2月に自殺してしまったという点だ。「ヴォリューム2」は、この点を利用して作られた伝説ではないだろうか。
 そして、1989年のディラン,ジョージ,ジェフ,トムの動向を見ても、ウィルベリーズとしてのレコーディングは困難だっただろう。ディランがツアーをしているのはいつもの事だし、アルバム[Oh Mercy]の録音をすすめていた。
 トムも大ヒットアルバム[Full Moon Fever]の仕上げ、プロモーション、ビデオ撮影、そして89年夏と90年初頭のツアーがあり、非常に多忙だったのだ(実際、トムはデルの死をツアー中に知った)。
 ジョージはベスト・アルバムの準備、ジェフも自分のソロ・アルバムを製作している。

 「ディランが仕上がりに満足しなかった」というのは、もっともらしい話だが、実際に彼がアルバムの発表を止めさせるとは思えないし、ウィルベリーズに関して仕上がりに問題ありとは、想像しにくい。

 メンバー当人たちは、幻の「ヴォリューム2」について、あまりはっきりした事を言っていない。ジョージは「トムの[Full Moon Fever]がそれだよ」と言ったことがある。確かに、このアルバムはウィルベリーズに準ずる素晴らしい作品だ。

 恐らく、セカンド・アルバムに「ヴォリューム3」というタイトルをつけたのは、いかにもジョージらしいジョークの一つだったのだろう。彼はナンセンスなジョークが大好きで、しょっちゅうこの手のことをしては、人を煙に巻いていた。

 トムは最近のロング・インタビューで、「ロイの代わりに誰かを入れようとは思わなかった。」とコメントしている。「ちょうど良い時期に、ロジャー・マッグインが近くに居れば、彼が新メンバーってことにされたんだろうけど。とにかく僕らは他のだれかを入れようだなんて、全然考えていなかった。」
 では、なぜ明確に「デル・シャノンが参加したヴォリューム2」を否定しないのか?これは、デルに対する友情と、彼の悲しい死を悼む気持ちから、否定したくない心が働くのだろうと想像する。

 それにしても、幻の「ヴォリューム2」はどうして多くの人に「存在する」と信じられているのだろうか?それは、ウィルベリー兄弟の交流があまりにも豊かで、実り多きものだったため、誰もが「もう一つある」と願うせいだろう。
 実際、彼らは「トラベリング・ウィルベリーズ」の形を取らない場合でも、お互いのアルバムにゲスト参加をしたり、ビデオに登場したりする。コンサートに飛び入りしたり、互いの家を行き来したり、内輪のセッションを楽しんだりしていた。そして5人のウィルベリー兄弟だけに留まらない、沢山の音楽仲間との交流と友情が、「ヴォリューム2」という夢となって、ファン達の心に存在しているのではないだろうか。
 そういう意味では、かく言う私も、幻の「ヴォリューム2」は存在しているのだと、思わずにはいられない。


 チャーリーT.Jr.のファミリー・ネーム

 最初にウィルベリーズが「ヴォリューム・ワン」を出したとき、彼らの偽名はそれぞれ「○○・ウィルベリー」だったが、ただ一人トムの変名だけが「チャーリーT.Jr.」だった。
 四人兄弟に対して、トムだけは「従弟」という説が有力だ。それにしても彼のファミリー・ネームは?これがどうやら、「ウィルベリー」らしい。

 最近のトムのコメントによると、デレク・テイラー(ビートルズの広報担当者で、ジョージの友人)が、長い「ウィルベリー一族顛末記」を記していた。この中に登場する、ウィルベリー兄弟の父親の名前が、「チャールズ・トルスコット・ウィルベリー」と言う。兄弟の末っ子の名前はそこから取って、「チャーリーT.Jr.」となったらしいのだ。つまり、彼もウィルベリー兄弟だったと言う事になる。
 事の真相はともかくとして、かつてジョージが言った通り、「いつか誰もがウィルベリーになる」こそが、合言葉である。ウィルベリーズを愛する全ての人が、ウィルベリー一族なのだ。


 陰のウィルベリーメンバー

ジム・ケルトナー:ロック界にその名をとどろかす、カリスマ・セッション・ドラマー。ジョージの大親友。ウィルベリーズのドラマーをつとめ、ビデオにも登場した。彼は自分を「サイドベリー(Sidebury)」と称していたが、今回の「コレクション」発売に際して、正式に「バスター・サイドベリー」なる名前で仲間入りした。

ゲイリー・ムーア:1952年北アイルランド生まれの、凄腕ハード・ギタリスト。元スキッド・ロウ。超絶技巧で知られる。ジョージがエリック・クラプトンの新譜に提供するために用意し、レコーディングまでしながら結局採用されなかった曲に、“That Kind of Woman”があった。このデモを聞いたゲイリーが気に入り、自分のアルバム[STIL GOT THE BLUES]に収録する事になった。するとジョージは「どうせなら」ということでそのレコーディングに参加し、(まんまと)友達になったのだ。
 この縁で、「ヴォリューム・スリー」の“She’s my Baby”の超絶ギター・ソロを、ゲイリーが担当する事になった。

レイ・クーパー:映画プロデューサーにして、俳優、そして凄腕のパーカッショニストという才人。クラプトンの「アンプラグド」で認識できる人も居るだろう。彼もジョージの大親友。ウィルベリーズでもパーカッションを担当している。

ジム・ホーン:これまた、ジョージの友人にして、セッション・サックス奏者。ウィルベリーズの録音にも参加し、Wilbury Twistではビデオにも登場している。

モー・オースティン:ワーナーブラザーズの会長。この人もジョージの友人。所属会社の違う5人によるアルバム発表を、強力にバックアップした、ウィルベリーズの恩人。

ダーニ・ハリスン:ジョージの息子。今回の再販に際し、未発表曲のMaxineと、Like a Shipにコーラスとギターを追加録音した。このためアイルトン(Ayrton)・ウィルベリーを名乗っている。F1好きなので(父親の影響)、セナにあやかっているのだろう。

マイケル・ペイリン & エリック・アイドル:モンティ・パイソンのメンバーにして、ジョージの親友。ウィルベリーズのオリジナル・アルバムが発表されたとき、それぞれ怪しい研究者を装って、でたらめな解説文をでっちあげた。これまた、ジョージらしいジョークのひとつ。

アラン・ “バグズ” ・ウィーデル:トムとそのバンドのローディー。ウィルベリーズのローディーも務め、ジョージに渡されたビデオ・カメラを回していた人物。両アルバムの、スペシャル・サンクスにその名を見ることが出来る。

マイク・キャンベル:トムの右腕である凄腕ギタリスト。トム以外のウィルベリー兄弟全員とも非常に深い関係がある。特にジョージには強い憧れを抱いており、深い友情で結ばれることになった。
 最初にディランの家で“Handle with Care”を録音した夜、マイクも呼び出されていたことが、最近判明。ギター・ソロを任されたが、憧れのジョージを目の前にして辞退。代わりにジョージに最高の演奏をさせた。今でも、トムとマイクのバンドがこの曲を演奏するときは、ジョージが乗り移ったかのような素晴らしいスライドを聞かせてくれる。


 ジュニアたちの怪しい動き

 人権保護団体アムネスティ・インターナショナルが2007年、キャンペーンの一環としてジョン・レノン・トリビュート・アルバム「インスタント・カーマ」を企画,発売した。
 多くの大物ミュージシャンがレノンの名曲をカバーした中で、注目を集めたのは、“Gimme some truth”だった。歌っているのは、ボブ・ディランの息子ジェイコブ・ディラン。ロックバンド,ザ・ウォールフラワーズのフロントマンとして活躍している人物で、トム・ペティがロックの殿堂入りしたときのプレゼンターでもある。

 しかも、このジェイコブの演奏には、ダーニ・ハリスン ― ジョージの息子が参加していたのだから、注目されるのは無理もない。ダーニはギターと歌で、ほとんど曲の最初から最後まで活躍している。オリジナルの“Gimme some truth”には、ジョージが素晴らしいスライド・ギターで参加しているのだから、この取り合わせは様々な感慨を呼び起こしただろう。

 とにかく、ジェイコブとダーニ。ウィルベリー一族的には、「従兄弟」二人のコラボレーションは、子供世代のウィルベリーズ誕生を呼ぶのだろうか?両名とも容姿は父親にそっくり過ぎて、ちょっと怖い。これからの動向に注目だ。


 こんな所にもウィルベリーズ ― ウィルベリーズ関連作品 ―

Hard to Handle:1986年ボブ・ディランがトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと共に行ったライブのビデオ。ウィルベリーズ結成への重要な下地となった。ディランとトムが一つのマイクで、“Like a Rolling Stone”を歌う姿は絶品!

Cloud Nine:1987年ジョージ・ハリスンのソロ・アルバム。ジェフ・リンがプロデュースしている。このアルバムのヒットが、ウィルベリーズ結成のきっかけとなった。ポップでキャッチーな名作。

Full Moon Fever:1989年トム・ペティのソロ・アルバム。ジョージ、ジェフ、ロイも参加している。ウィルベリーズの「ヴォリューム2」とも評されるほどの超名作。トム初心者にお奨め。

Armchair Theatre :1990年ジェフ・リンのソロ・アルバム。ジョージやデル・シャノン,ジム・ホーンなどウィルベリーズゆかりのメンバーが続々参加。ビデオにはトムの姿も。

Mystery Girl:1989年ロイの遺作。ジェフが3曲をプロデュース。名曲“You got it”にはトムも参加しており、ウィルベリーズの音そのもの。マイク・キャンベルもプロデュースに参加している。

Rock On!:1990年デル・シャノンの遺作。ジェフがプロデュース。トムもマイク・キャンベルと共に参加。

The 30th Anniversary Concert Celebration:ディランのデビュー30周年記念コンサートのビデオ(CDもある)。通称「ボブ・フェスト Bob Fest」。ジョージとトムがウィルベリーズから参加。ディラン登場の時、ジョージが「ぼくは彼をラッキーと呼びます!」と紹介。「ラッキー」とは、もちろんディランのウィルベリー・ネーム。
 “My Back Pages”には、ディラン,ジョージ,トムのウィルベリー兄弟に、ロジャー・マッグイン,ニール・ヤング,エリック・クラプトンと、ウィルベリーズ第二候補とでも言うべきメンバーが揃った。ウィルベリーズ・ファン必聴。

The Beatles Anthology Project「フリー・アズ・ア・バード」&「リアル・ラブ」:ビートルズの新曲として発表され、プロデューサーはジェフが務めた。ビートルズの曲とは言いながら、そのサウンドはまさにウィルベリーっぽさ満載である。

Concert for George:ジョージの追悼コンサート。ジェフとクラプトンが中心になって開催。トムもバンドを引き連れて参加。“Handle with Care”は涙無しには聞けない。

Highway Companion:2006年トムのソロ・アルバム。「コンサート・フォー・ジョージ」以来、再び交流を深めたジェフを久しぶりにプロデューサーに迎え、トム,ジェフ,そしてマイク・キャンベルの三人だけで製作した。ウィルベリーズ・リバイバル・ムーヴメントの一つと言える作品。


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