8.仕事熱心なパゴスとフィーレン

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 町外れの酒場『青獅子亭』では、主人がそろそろ開店の準備でもしようかと作業を始めていた。
 のどかな昼下がりである。町から離れたこの辺りは、街道を行きかう人影も午前中を過ぎるとひと段落し、丁度この昼ごろは閑散とする時間帯だった。夕方にはまた、町から郊外へ、郊外から町へと移動する人々が行きかい、『青獅子亭』には今日もまた沢山の客が訪れるだろう。ともあれ、今は辺りに人影もなく、『青獅子亭』の前庭には、暢気にアヒルが散歩をしているだけだった。
 『青獅子亭』の主人は最近商売を始めたばかりだった。この仕事の前は、酒場の主人とはまったく違う仕事をしていたが、商売と言う物が中々面白いものだと感じ始めていた。そもそも、自分にはその才能もあるようだ。
 主人はまず床の掃除から始めて、椅子とテーブルを並べなおし、次にワインの樽を点検し始めた。
(そうだ ―)
主人は作業を続けながら、心の中で呟いた。
(この仕事が終わったら、まとまった金が手に入る。そうしたら、本当に酒場を持って繁盛させよう…)
 そのとき『青獅子亭』の外に、二頭分の馬の蹄が響いた。主人が入り口を開けて外を見やると、『この仕事』関連の男がやってきたところだった。その男は馬を適当につなぐと、軽く会釈をしながら店に入ってきた。
 中々上等な金糸の刺繍を袖口にほどこし、豊かな髭をきれいに整えてある。夕べ、泊り客だったオランダ人を捕らえようとした男 ― そう、アトスが以前リシュリューの屋敷の前で、ロシュフォール伯爵と共に馬車から降りてくるのを見たことがある男だった。
「ご苦労だな、パゴス。」
髭の男が言うと、パゴスと呼ばれた主人は頷いて見せた。
「今日は、フィーレンさん。夕べはお疲れ様でした。首尾はどうでしたか?」
「まったく、酷い失敗だった。」
 フィーレンと呼ばれた髭の男は、不機嫌そうに言うと、帽子もマントも取らずに手近な椅子に腰掛けた。
「せっかくオルデンバルネフェルトゾーンを見つけたのに、どこかのお節介な奴のせいで台無しになったよ。」
「ああ、やはりそうでしたか。すみません、あれは銃士ですよ。有名な三銃士。私もあの中の一人はどうにか引き止めたのですが…」
 パゴスはワインを一杯、フィーレンの前に差し出した。フィーレンはそれを口に運び、肩をすくめた。
「でも、あの後でロシュフォール伯爵に知らせてくれたのは、お前さんだろう?おかげで今朝、銃士の家で伯爵が無事に身柄を確保して下さった。私もこれから行って、オルデンバルネフェルトゾーンを確認してくる。」
そうですかと相槌を打って、パゴスは外を見やった。
「あの馬は?」
「ああ、あれか。夕べ、オルデンバルネフェルトゾーンに巻かれた後、見つけたんだ。奴の馬だろう。」
「そうかも知れませんね。それで、グレーシュは?」
「それを知りたいのだが、まだ連絡はないか?」
フィーレンは低い声でパゴスを見上げながら尋ねた。パゴスは首を振る。
「いいえ、今日のところはまだ何とも。もしかしたら、もう何も来ないのでは?」
「抜け目の無いグレーシュのことだ。嗅ぎ付けられた事に気づいたかも分からん。」
 フィーレンは静かに言うと、コップのワインを喉に流し込んだ。そして立ち上がると、
「オルデンバルネフェルトゾーンの荷物はまだあるか?」
と顎で階上を指した。
「ええ、ゆうべのままですから。衣装箱が残されています。ご覧になりますか?」
「見よう。もしかしたら球根を残していっているかも知れない。」
 パゴスは頷き、階段を上ってフィーレンを二階に案内した。

 二階の客室は二つしかなく、他に泊り客はなかった。オルデンバルネフェルトゾーンが宿泊していた部屋に入ると、隅に簡素な衣装箱がある。それ以外に残された荷物はなかった。
 フィーレンが衣装箱の蓋に手を掛けると、鍵はかかっていなかったらしく素直に開いた。いかにも典型的なオランダ人と言うべきか、中の衣装は簡素で地味な物で、しかも一組しかなかった。それから身の回りの小さな道具に、古い聖書、使い込んだ仏蘭辞典、そして箱の底に一、二枚銅貨が転がっているだけだった。
「球根はないな。」
フィーレンはそう言って箱のふたを閉めた。
「当人がまだ持っているのではありませんか?ここを出て行ったとき、確かに大きな布袋を担いでいましたよ。」
パゴスが言うと、フィーレンは首を振った。
「いや、ロシュフォール伯爵からの伝言によると、捕らえたオルデンバルネフェルトゾーンは球根を持っていなかったらしい。」
「では、もうグレーシュに渡ったのでは?」
「それも無いだろう。オルデンバルネフェルトゾーンはグレーシュとの連絡方法が分からないから、この宿で頑張るしかなかったはずだ。たとえパリのオランダ商館に連絡が来たとしても、取引そのものが行われる可能性は低い。」
「グレーシュはスペインの手先ですものね。オランダが助けてくれるはずもないか…」
フィーレンは頷いて見せた。
「それに、グレーシュがパリの真ん中に姿を見せるのは、危険すぎる…」
突然、フィーレンは口を閉じると、懐から短銃を取り出した。驚いて何か言おうとするパゴスを目で制し、フィーレンは足音を立てないようにそっと開け放たれていたドアから、廊下に出た。そして素早く階段の下に向かって身を乗り出すと、間髪入れずに一発撃った。
「うわぁ!」
 階下と階段の途中に居た男のどちらかが叫び、二人とも一目散に食堂に難を避けた。轟音が響き渡り、前庭のアヒルがガァガァと叫んで走り回った。
 短銃からは凄まじい煙が上がったが、フィーレンは構わずにもう一発放つ。そして階下に飛び降りると、食堂を飛び出し、外に向かってもう一回発射した。その弾は逃げようとしていた男 ― アトスの右足の拍車に命中し、金属の砕ける嫌な音が鋭く響いた。飛び散った破片が、ポルトスのマントをかすめる。さすがのアトスも、右足が弾き飛ばされるような衝撃で前のめりに転びそうになる。ポルトスが振り返って辛うじてアトスの転倒を防いだが、
「動くな!」
と叫んだグレーシュの命令には、従わざるを得なかった。
 フィーレンは短銃を構えたまま、前庭に出てきた。パゴスもアタフタと短銃に弾をこめ、フィーレンに続いた。そのパゴスは前庭に突っ立っている二人を見て、大きな声を上げた。
「ああ!この二人、夕べの銃士ですよ!」
「なに?」
フィーレンは鋭い視線はアトスとポルトスに固定したまま、聞き返した。
「さっき話したでしょう、ゆうべフィーレンさんがオルデンバルネフェルトゾーンを追おうとしたのを妨害した、三銃士のうちの二人ですよ!」
「ご紹介、痛み入りますよ。」
 ポルトスが大声で言い返した。アトスはズキズキする右足を庇うように立ち、フィーレンを睨みつけている。フィーレンとの間には、大またで十歩ほどの距離しかないだろう。
「なるほど、あんたたちが、名高い銃士か。」
フィーレンは弾をこめなおした新しい短銃をパゴスから受け取ると、抑揚の無い声で言った。
「そしてお前は、名高いリシュリューの密偵と言うわけだ。」
 アトスも負けずに無愛想な声で言った。フィーレンはそれを気にも掛けずに、言葉を続けた。
「オルデンバルネフェルトゾーンは既に今朝、お前さんたちの所からロシュフォール伯爵の下に連行されたはずだ。こんな所に、何しに来た?」
「そこに居る、酒場のオヤジの正体を知る為だ。」
「ほう。」
 アトスの答えに、フィーレンは少し興味を覚えたらしい。
「どうして彼の正体などと?銃士さんたちにとっては、ただの酒場の主人に過ぎないはずだが?」
「ふん。その主人はゆうべ、アラミスに『髭の男はしらない客だ』なんて言ってとぼけたが、これがとんだ食わせものだ。この男も、リシュリューの手先だろう。手先だからこそ、オルデ…あのチューリップ男を追っていったもうひとつの一団が、俺たち三銃士だと、ロシュフォールに報告したんだ。そうでなけりゃ、今朝いきなりロシュフォールが護衛士どもを引き連れてアラミスの家に乗り込んでくるようなことは有り得ないからな。」
「なるほど。ご明察。それで、主人の正体を探りにここまで来て、収穫は?」
「あったさ。あんた ― フィーレンとか言ったな。あんたとオヤジの会話は全部聞かせてもらった。」
「なるほど。」
 フィーレンは細かく頷いた。しかし短銃の銃口はアトスとポルトスに向いており、二人とも抜刀する隙もない。フィーレンが続けた。
「それで、目的は達したようだが、どうする?」
アトスは鼻で笑いながら答えた。
「別に。何もしない。このまま帰るさ。」
「そちらがそのつもりでも、こちらはそうは行かない。さぁ、チューリップの球根のありかを教えてもらおう。」
「知らん。」
 アトスとポルトスが同時に即答したが、効果がない。フィーレンが合図すると、パゴスも弾の込め終わった短銃を構えた。それを待って、フィーレンが二人に言った。
「いいか。今朝ロシュフォール伯爵が捕らえたオルデンバルネフェルトゾーンは、球根を所持していなかった。いま、この宿舎にもない。残る可能性は、貴様たちがオルデンバルネフェルトゾーンから受け取って、隠しているという事だ。早く言わないと、無罪放免になるはずのオルデンバルネフェルトゾーンとてただでは済まないぞ。」
「あんた、あの長ったらしい名前をよくもそんなにスラスラ言えるなぁ…」
 ポルトスが呆れた声を出したが、フィーレンは動じない。
「球根はどこだ。」




 
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