2.サン・マルクの少年

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  義理人情が高くつく
  

 翌朝、一同がアトスの所に集まると、さっそくバニアに向けて出発した。
 アラミスはやたらとあくびが出るらしく、四人の中では一番後ろを進み、ダルタニアンは逸る気持ちからかどうしても馬を急き立ててしまう。
「そんなに急ぐと、馬が持たないぞ。」
ポルトスが呼びかけたが、振り向きざまに何か短く言うダルタニアンの声は聞き取れない。
「やれやれ。」
 ポルトスが笑いながらアトスの方を振り向くと、アトスは遠くを見遣っている。ポルトスがその視線を追ってみると、小さな町が前方に見えてきた。
「サン・マルク?」
 アラミスがアトスの横にやってきて尋ねた。アトスは黙って頷いた。サン・マルク。バニアのとなりの町である。

 ダルタニアンは三銃士を置き去りにして馬を駆けさせる一方、前方にぽつんと小さな点が見えている事に、大分前から気付いていた。この若者は、見張り塔の番人よりも遠目が利く。サン・マルクの町が近付くにつれ、その点が何であるかが分かってきた。
 それは馬に跨った人影だった。しかも随分体が小さい。ダルタニアンは最初、女性かと思ったが、やがてそれが子供 ― 少年である事が分かってきた。少年の体格にしては随分大きな馬に跨っているが、とっくに現役を引退しているような老いぼれの馬らしく、サン・マルクの町に向かって蹄を進める度に、首をヒョコヒョコと下げていた。色こそ黄色くはないが、ダルタニアンは思わず懐かしい気持ちになった。
 やがて少年も背後から駆けてくるダルタニアンに気付いたらしく、老馬を止めると、振り返ってじっとダルタニアンを見詰めていた。ダルタニアンは少年の近くまで来ると、手綱を引いた。
「どう…。やぁ、こんにちは。」
 ダルタニアンが明るく笑いながら少年に言うと、彼はじっとダルタニアンの顔を見詰めてから、帽子を取ってちょこんと頭を下げた。年の頃はまだ十歳位だろう。馬に乗っているくらいだから、それなりに裕福な家の子のらしいが、何か孤児のような孤独感を持ち、相手を警戒しているような印象を与える。ダルタニアンは、少年が誰かに似ていると思った。
「良い天気だね。サン・マルクの子かい?」
 ダルタニアンはヒョコヒョコ歩く老馬に合せながら、少年に話し掛けた。少年はチラチラとダルタニアンを見ながら、表情を変えずに頷いた。
「そりゃ良いや。僕らもこれからサン・マルクに行くんだ。」
 ダルタニアンがそう言うと、『僕ら』という言葉に反応して、少年は後ろを振り返った。三銃士と、その背後から四人の従者が馬を早めてこちらに迫って来ようとしている。少年は改めてダルタニアンを見つめた。若者の身なりや、剣、そして従者達の馬の背にくくりつけた大きな銃を認めたらしく、何か思う所があるようだった。
「坊や、名前は?僕はダルタニアン。ガスコーニュはベアルンのダルタニアンだ。」
「坊やじゃない。エリック・ガバノンだ。」
 少年は初めて声を発した。声変わりするにはまだ大分かかりそうな様子だが、口調に棘がある。
「そりゃ悪かった。エリック、サン・マルクに住んでいるのかい?」
ダルタニアンが屈託無く続けると、エリック・ガバノン少年は老馬の背で真っ直ぐ前を見据えたまま答えた。
「住んでる。」
「ご両親も?」
「親は居ない。」
「悪い事を聞いたね。」
「別に。」
 実際、少年の表情に変化はなかった。ダルタニアンはこの少年は何者だろうかと、興味を持った。老馬とは言っても、中々立派なものだ。一方自分は、多少くたびれた成りではあるが、一応エサール侯の護衛士として相応しい服装でいるつもりだし、軍人である事が明白なはずだ。そのダルタニアンに対して、物怖じしない態度も気になる。
 そのうち、三銃士がダルタニアンに追いついてきた。三人とも手綱を引いて速度を落とす。
「やぁ、ダルタニアン。友達かい?」
まずポルトスがエリックを認めて尋ねた。
「サン・マルクに住んでいるんだってさ。名前はエリック・ガバノン。エリック、みんな僕の友達だ。ポルトスに、アトス、アラミスだ。」
「変な名前。」
 ずけずけとしたエリックの物言いに、ポルトスはゲラゲラ笑い出した。アラミスも含み笑いをしながら、エリックに尋ねた。
「旅の訪問者に、いきなりそんな口を利いちゃいけないな。神父さんに言われなかったかい?」
 エリックはそれには答えずに、ダルタニアンと三銃士をしばらく馬上から眺めていた。そして何故かアトスに視線を固定すると、しばらく見つめている。アトスもそれに気付いたが、別に何も言わずに駒を進めていた。
 すると、エリックが唐突に言った。
「おじさんたち、バニア要塞の様子を見に来たんでしょう。」
四人は顔を見合わせた。エリックが続ける。
「分かるよ。物騒な感じだし。召し使いが銃なんて持っているし。サン・マルクからバニアなんて、馬でならすぐだもの。」
「なかなか鋭いね。」
ダルタニアンが微笑んだ。エリックが少し声を低くして尋ねた。
「…バニア要塞を攻め落とすの?」
 三銃士とダルタニアンはまた顔を見合わせた。どう答えるべきか迷う所だが、アトスが静かに応じた。
「そう言う事だ。 ― サン・マルクでバニアの話を聞くなら、誰が良い?」
 アトスの抑揚の無い問いに、エリック少年は老馬を止めた。そしてアトスの顔をじっと見詰め、随分たってから口を開いた。
「ジョウゼフ・デュルケム。」
 子供が村の大人の名前を言うには妙な言い方だったが、アトスは別に気に留める様子もない。
「分かった。ありがとう。」
 そう言うと、拍車を馬の腹に当てて走り出した。ポルトス,アラミス,ダルタニアンもそれに続く。ダルタニアンが振り向くと、エリック少年は相変わらず老馬をヒョコヒョコ歩ませていた。
 ダルタニアンは、少年が誰に似ているのかが分かった。顔が似ているのではない。雰囲気が良く似た男を、知っている ― 。

 サン・マルクに到着してみると、のどかな田舎町で、住民の多くは畑に出ているようだった。三銃士とダルタニアンは、まずサン・マルク教会に向かった。どこの町にもありそうな、普通の教会である。教会の敷地に、小さな菜園があり、神父と思しき男が腰をかがめて草取りの最中だった。
「今日は。」
 アトスが声を掛けると、神父は顔を上げて訪問者を認めた。四人の男が武人っぽい成りでやってきたので、神父は少し驚いたようだったが、直ぐに応じた。
「今日は。良い天気ですね。」
「我々はパリから来たのですが、ジョウゼフ・ディルケムさんにお会いするには、どこにいけば良いのですか?」
「ああ、ディルケムさんね。」
神父は立ち上がると、町の中心付近を指差した。
「あの辺りに、家が何軒かあるでしょう。一番大きな家だからすぐに分かりますよ。白い壁で、立派な楡の木が目印です。」
「どうもありがとう。」
アトスは少し帽子を取ると、踵を返して仲間達と歩き出そうとした。
「あなたがた、バニア要塞に用ですか?」
 神父の質問が追ってきた。アトスは足を止めると、振返りながら聞き返した。
「どうして、そう思うのです?」
「そりゃ分かりますよ。」
神父は長閑な表情で笑った。
「あなた方どう見ても兵隊さんだし、デュルケムさんは要塞に立て籠っている連中と、無関係じゃありませんからね。」
三銃士とダルタニアンは顔を見合わせた。
「どういう関係なんです?」
アトスが尋ねると、神父は肩をすくめた。
「デュルケムさんは、要塞の首領の義弟ですから。」
「義弟?」
訪問者たちが揃って聞き返すので、神父は呆れたように応じた。
「そうですよ。だからデュルケムさんに会いたいのでしょう?要塞の連中の頭目である、パトリス・ガバノンの妻の弟が、デュルケムさんですよ。バニアのゴロツキどもなんて、デュルケムさんにとっては良い迷惑でしょうがね。」
 そう言って、神父はまたしゃがみ込んで草を引っこ抜き始めた。銃士達とダルタニアンは、だまって通りに残しておいた馬と従者達の所に戻ってきた。そして鞍に跨ると、四人とも同時に口を開いた。
「ガバノン?」

 神父に教えられた通りの家に行ってみると、たしかにそこはジョウゼフ・ディルケムの家で、ジャン爺さんという召し使いに呼ばれた当人が、裏の小さな畑から顔を出してきた。
「ああ、バニアに行かれるんですか。」
デュルケムは帽子の下から、訪問者たちに言った。
「どうぞ、中でお待ち下さい。ワインでも出ししましょう。」
 ジャン爺さんが四人の訪問者を室内に案内した。大きな農家のような家で、がらんとした食堂に、随分古めかしく無骨なテーブルが陣取っている。従者たちは馬の世話で庭に回った。
 四人の前に田舎風のワインが並ぶ頃、表の方で扉が閉まる音がして、食堂の外廊下に、少年の姿が現れた。
「やぁ、エリック。」
 ダルタニアンが声を掛けると、彼は立ち止まって食堂に陣取った四人を見回した。他でもない、さっき会ったばかりのエリック・ガバノンだ。更にダルタニアンが何か言おうとしたが、同時にデュルケムが部屋着に着替えて入ってきた。エリックは何も言わずに廊下を駆け抜け、裏庭へ走り去ってしまった。
 「お待たせしました。どうも。」
デュルケムは椅子を引きながら四人の顔を見回した。
「ジョウゼフ・デュルケムです。ええと…」
彼は誰に話し掛けるべきか迷ったようだが、例によってアトスが口を開いた。
「突然の訪問で申し訳ない。私はアトス。国王付き銃士隊員で、同じくポルトス、アラミス。ダルタニアンは護衛士だ。上司の命令でバニア要塞の偵察に来ているのだが、話を聞くならあなたにと聞いたので、訪問した次第。」
「なるほど。私を指名したのは誰です?神父さんですか?」
 デュルケムは腰掛けた。畑仕事のせいか、大きな顔が真っ黒に日焼けしている。額から広々と剥げていて、後ろ頭から耳の辺りに茶色い髪が残っていた。灰色の瞳が絶え間無く四人を見回し、大きな屋敷に住んでいる豪農にしては、それ相応の落ち着きに欠けている。
「あの子ですよ。エリックとか言う。」
ダルタニアンが質問に答えると、デュルケムはああ、と頷いた。
「あの子、また馬を勝手に引き出してウロウロしていたんですね。まぁ良いでしょう。」
「いくつだい?」
「確か、今年十歳になったはずですが。」
「バニアに立て籠っている連中の首領が、きみの義兄というのは本当かね。」
アトスが、直裁に尋ねた。デュルケムは少し肩をすくめた。
「私の姉の夫でした。」
「パトリス・ガバノンか?」
「ええ。姉が二年ほど前にどこかの教会の見習い坊主と駆け落ちしてすぐ、ガバノンはバニアの要塞を占拠していた連中に仲間入りしましてね、あっという間に首領になったようです。」
 身内の恥のためか、デュルケムはボソボソと早口に言った。アトスは苦虫を噛み潰したような顔になって、ワインを不味そうに飲み始めた。そこで、ダルタニアンが口を開いた。
「じゃぁ、あの子は何だい?エリック・ガバノンって…。」
「あの子はパトリス・ガバノンと私の姉の間の子供ですよ。可哀相に。ガバノン家はここに長い間根を張った、豪農でした。この屋敷もガバノン家のものでしてね。ところが二年前、全てが駄目になった。」
「奥方が駆け落ちした。」
ポルトスが言葉を挟むと、デュルケムは頷いた。
「ええ。姉はガバノンに非常に愛されていると、私は思っていましたがね。ところが、あんな事になってしまって。妻に裏切られたガバノンは荒れましてね。元々酒飲みですが。間もなく、幼いエリックを置き去りにして、バニアに立て籠ってしまった。仕方が無いので、私がエリックの後見人になったわけです。」
「つまり、この家屋敷や土地は、エリックのものか。」
「正確にはまだガバノンの物ですよ。まぁ、時間の問題かもしれませんが。」
「どういう意味だ?」
 アトスが鋭く言葉を挟んだ。デュルケムはビクっと体を震わせた。そして声を潜めて言った。
「ええ…あの…。噂ですけどね。ここ一年くらい、ガバノンは体の具合が悪いらしいのです。要塞の外にも殆ど出ないとか。最近、要塞の連中に元気が無いのでも、そのせいらしいのです。」
「元気が無い?」
 今度はアラミスが聞き返し、デュルケムは頷いた。
「脱走者続発で。時々、このサン・マルクを通って、郷里に戻る連中を見ますよ。元々何ら目的意識のないゴロツキの集まりなのですから。二年以上も立て籠もれたのが不思議ですよ。それに、枢機卿はラ・ロシェルに総攻撃を仕掛けるって噂じゃないですか。ラ・ロシェルの次はバニアだって、震え上がっているのですよ。だからバスティーユにぶち込まれる前に逃げようって、塩梅で。」
「それはどうかなぁ…」
 ポルトスがワインを口に含みながらクスクス笑った。ラ・ロシェルとバニアでは比較にならない。リシュリューはバニアに構っていられるほど、暇ではないだろう。
「それならそれで好都合だ。」
アトスが座った目つきで言った。
「自主的に解散してくれれば、それに超した事はない。明日は堂々とバニアに行ってみようじゃないか。なに、どうせ俺達は最初から偵察目的だ。俺達の姿を見て、更に逃げ腰になってくれれば、バニアの撤退が早まるだけだ。」
「まぁ、大多数の連中はそうでしょうがね。」
デュルケムが立ち上がった。
「ガバノンはどうでしょう。あの男は意志強固で、一旦立て籠ったからには、徹底抗戦するかもしれませんよ。」
「病気なんだろう?」
「ええ。一人で要塞に取り残されても、投降だの逃亡だのはしないでしょうね。」
アトスは少し考えてから、質問を変えた。
「バニアに向かうのは明日にするとして、この町には宿屋があるか?」
「隣りのコンテさんが一応宿屋ですよ。農業と兼業ですけど。うちのジャンが手伝っているので、使いに出しますか?」
「世話になろう。」
アトスが言うと、デュルケムは裏口でブーツの泥を叩き落としていたジャン爺さんに怒鳴った。
「ジャン!こちら、四人の騎士さんと、従者がお泊まりだそうだから、コンテさんに知らせてこい。」
召し使いは頷くと、立ち上がって裏庭を横切っていった。
「それで、バニアだが。」
アトスが改めてデュルケムに尋ねた。
「ここからの距離はどれくらいだ?」
「大した事はありません。一つ丘を越えればすぐですよ。」
「騎士団の連中は、ふもとの集落には降りてきているのか?」
「いいえ。殆ど全員が岩山の中腹にある要塞にたむろしています。ただ、街道から岩山に上がる山道の入り口に、見張りの番小屋があって、そこには常に二,三人が詰めているはずです。」
「集落の人は迷惑だろう。」
アラミスが少し延び過ぎた金色の前髪を掻き上げながら言うと、デュルケムは首をかしげた。
「どうでしょうね。バニアの集落には三,四軒の牛飼いの家しかありませんから。あまり影響無いみたいです。それに四,五人が様子を見に来たぐらいで、いきなり撃ってくるような物騒な状況ではないようですから。」
「様子を見に行ったことはあるか?」
 アトスの問いに、デュルケムは小さく溜息をついた。
「ガバノンは私の姉の夫ですからね。病気だという噂も聞いたから、一度番小屋まで行って、見張りに様子を聞いた事があります。ガバノンは頑固に要塞内に陣取っているようで。もしかしたら、山を下りる体力がないんじゃないかなどとも、言われましたが。」
 四人はお互いの顔を見合わせた。デュルケムが続ける。
「ともあれ、バニアを偵察なさるなら、番小屋までは何の危険もありませんよ。ただ、中腹の要塞にたむろす自称騎士団連中が、あなたがたをどう考えるかは分かりませんが。でもいきなりドンパチ始めるような事にはなりませんよ。きっと。ガバノンが要塞を動かない以上、一緒に居ようとする意地っ張りばかりですがね。」
アトスがワインを飲み干した。
「それは行ってみなけりゃ分からないな。」
 デュルケムは自分の使っていたコップを取り上げて、四人を見回した。
「あの、そろそろ日が暮れるので、作業道具やら、馬やら牛やらの始末をしてきたいのですが。それに、今夜は人に会う約束があるので…まだお聞きしたい事がありますか?」
「いや。とりあえず、明日現地に行って考えよう。もう日が暮れるから、今夜はとなりに泊まって、明日の朝早く出発だ。」
 アトスがそう答えている最中、ダルタニアンはふとポルトスの表情に違和感を覚えた。ポルトスは、台所の裏口から見える表の道に、視線を固定している。ダルタニアンがそれを追うと、旅人らしき男が一人、馬の背に跨って教会の方へ行くのが見えた。かなり高齢と思われるが、顔は読み取れない。しかもダルタニアンが驚いた事に、デュルケムもまた、その道行く男に視線を固定していたのだ。更に、その旅人は室内のデュルケムと視線を合わせて、僅かに頷いたのだ。そして、デュルケムも小さく頷く。
(人に会うっていうのは、あの男か。)
 ダルタニアンは、そう思ったが、妙な雰囲気が漂うのを覚えた。
デュルケムは言ったように後片付けのために裏庭に出ていった。さっきのジャンという召し使いが台所に顔を出して言った。
「みなさん、お隣りのコンテさん、大丈夫みたいですよ。従者さんに荷物を運んでもらいますね。」


 
→ 3.微妙な依頼

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