7.銃士隊長からの逃亡

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 トレヴィルは執務机をドンと叩いた。
「バカ騒ぎも大概にしろ。いいか、枢機卿は既にベリオンが球根購入の手続きを行った証拠を握っているんだ。オルデンバルネフェルトゾーンに用があるのは、商品である球根を差し押さえるべきだからだ。そのこと自体は、当然だろう。球根さえ引き渡せば、オルデンバルネフェルトゾーンは無罪放免だ。」
「しかし、その商品は既に価値を失っているのです。」
 アラミスが申し訳無さそうに言うと、トレヴィルが眉をしかめた。
「なんだと?」
 トレヴィルが聞き返した時、ポルトスが大声で窓の外に向かって呼びかけた。何やら色々な事を言って窓の下に荷馬車を止まらせている。それを無視して、トレヴィルはオルデンバルネフェルトゾーンに説明を求めるように睨み付けた。
「そ、その…!私の大事な球根は、ベリオンさんと連絡がつくまえに、追いはぎに奪われてしまったのです!」
「奪われた?」
トレヴィルの表情は段々凶悪になってきた。
「でも、ご安心を。」
アラミスが滑らかな頬をばら色にそめて、にっこりと微笑んだ。
「その盗まれた球根ですが、追いはぎたちにも価値が分からなかったらしく、路上に捨てられたのです。それを、私の従者バザンが回収しました。」
「それなら、価値を失ってないじゃないか。」
 トレヴィルは訳が分からないという風に首を振る。すると、アトスが相変わらず低い声で言った。
「我々の従者たち三人は、何を思ったか私の下宿の中庭に球根を埋めて土をかけ、たっぷり水をやりました。」
「それで?!」
「今朝、めでたく芽を出しました。」
 わぁっ、とオルデンバルネフェルトゾーンが両手で顔を覆ってまた泣き出した。長い名前のオランダ人は泣き、ポルトスは窓の外に向かって相変わらず怒鳴っている。トレヴィルはもう何も言う気が失せてしまっている。
 アトスは黙ってアラミスに頷いて見せた。アラミスは素早く上着を脱ぎ、オルデンバルネフェルトゾーンに投げ渡した。
「さぁ、今度は私になりすますんだ。そのグリモーの服をよこせ。」

 トレヴィルの秘書レオナールは、階下で銃士隊装備の納品業者と書類のすり合わせをしていた。ホールにも階段にも、暇をもてあます銃士がわんさとたむろしている。
 階上で派手な音が響いた。何事かと銃士たちとレオナールが見上げると、隊長の部屋のドアが勢い良く開き、男が飛び出してきた。その帽子を目深に被った男は、さっき三銃士と一緒に隊長の部屋に入った、見知らぬ男のようだ。その男は階段を飛ぶように駆け下りると、玄関を破らんばかりに飛び出した。続けて、階上の執務室からアトスが出てきて怒鳴った。
「くそ、あの野郎、逃げやがったぞ!」
 銃士たちが何事だと騒ぐ中、アトスとトレヴィルが階下に降りてくる。二人が玄関から外を見ると、アラミスの馬が男を乗せて駆け出したところだった。
「何事です?!」
 レオナールがトレヴィルに尋ねた。トレヴィルは強張った表情に、なぜか棒読みの口調で答えた。
「オルデンバルネフェルトゾーンに、枢機卿の所に出頭するように説得したら、逃げ出したのだ。」
「誰ですって?」
銃士たちも口々に聞き返した。
「オルデンバルネフェルトゾーンだ!」
「オルデルベルハルゲゴーン?」
「オルデンバルネフェルトゾーン!」
「ホルデンメルフェルトゾーン?」
「オルデンバルネフェルトゾーン!」
「オルゲ…?」
・・・・・・・・・・
 アトスは銃士たちと隊長の応酬はそのままに、そのままそっと外へ出て行った。そして自分の馬に乗り、ポルトスの馬の手綱を引っ張って、走り出した。

 アラミスがオルデンバルネフェルトゾーンになりすまし、玄関から飛び出してアトスとトレヴィルがそれを追いかける芝居を打っているその最中、ポルトスは二階の窓からオルデンバルネフェルトゾーンの首根っこを掴んで、飛び降りた。
 下に停車させた荷馬車には、藁が山と詰まれている。その上に着地すると、オルデンバルネフェルトゾーンは姿勢が悪かったのか、二本の脚を空中に突き出して、逆さにもがいていた。
「ありがとう、助かったよ!」
 ポルトスは素早く藁の山から抜け出すと、荷馬車の御者に礼を言い、オルデンバルネフェルトゾーンの脚を掴んで引っ張り出した。
「さぁ、ムッシュー・チューリップ。移動するぞ。」
「どうしてこの私が、朝から屋根に登ったり窓から飛び降りたりしなきゃならないんです…?!」
「プラハじゃ窓から飛ぶのが流行っているらしいからな。さぁ、行くぞ。」
 ポルトスが服についた藁を叩き落としていると、アトスが表から回ってきた。
 「よし、アラミスが目くらましをしている間に、オランダ商館に駆け込め。」
そう言ってアトスはオルデンバルネフェルトゾーンにオランダ商館への近道を示した。
「でも、安全と言い切れますか?」
 オルデンバルネフェルトゾーンは不安気に言った。
「そりゃ完全に安全ではないが、リシュリューもオランダ商館に乱暴に押し込むような事はするまい。」
「本当ですか?」
 オルデンバルネフェルトゾーンはまだ懐疑的だ。すると馬に跨りながらポルトスが相変わらず気楽そうな調子で付け加えた。
「リシュリューは、ものごとに優先順位をきちんとつける男だ。王妃様を援助するスペインの息がかかったルイ・グレーシュは憎いだろうが、かと言ってオランダと揉め事を起すようなバカじゃない。」
「オランダに遠慮を?」
オルデンバルネフェルトゾーンは意外そうに聞き返した。ポルトスは肩をすくめて答える。
「そうは言ってないさ。ただ、スペインとの独立戦争に勝ち抜き、しかも経済力もあり、そのくせ贅沢をしないあんたたちオランダ人を、味方につけたいと思っている。これは確かだ。だから、いち早くオランダ商館に保護を求めれば、リシュリューも深追いも出来ないってわけ。夕べ、『青獅子亭』で待ち伏せたのは、限られた手段の一つだったんだろう。」
 アトスはポルトスがそう言った瞬間、はっと気がついた。
「『青獅子亭』か…」
「そうさ。」
ポルトスも緑色の瞳を悪戯っぽく輝かした。
「そうさ、アトス。『青獅子亭』だ。」
 アトスはうんざりしてため息をついた。ポルトスという男はいつも、馬鹿のふりをしたりとぼけたりしている割に、実は一番物事を良く把握している。やっかいな性格だ。
「ムッシュー・チューリップ。あんたはポルトスとオランダ商館に行け。俺は用がある。」
 アトスが言うと、オルデンバルネフェルトゾーンは目を丸くし、ポルトスが抗議した。
「そりゃないよ、アトス!俺が『青獅子亭』に行くんだぞ、お前が閃いたのはたった今じゃないか。お前がオルベンデルネゲルトゾーンとオランダ商館に行けよ。」
「私の名前はオルデンバルネフェルトゾーンです!」
 二人の銃士と、名前の長いオランダ人がトレヴィル邸の脇でわぁわぁと言い合いを始めると、また表から男が馬を引いて回ってきた。
「おい、人の家の周りで騒ぐんじゃない。ただでさえ不良銃士どもで、ごった返していると言うのに…」
 トレヴィルだった。
「まったく、アラミスを身代わりにしたのに、こんな所でグズグズしていたのでは、またあっと言う間にロシュフォールたちに発見されるぞ。」
 不平そうに言うトレヴィルは、二頭引いてきていた一方の手綱を、オルデンバルネフェルトゾーンに投げ渡した。
「さぁ、オルデンバルネフェルトゾーンは私がオランダ商館まで送るから。お前ら二人はさっさと用を済まして来い。」
「ご迷惑をお掛けします。」
 アトスはそう言って素早く馬首をめぐらして、走り出していた。
「まったく、あんな事を言ってもどうせ、悪いなどとは思っていないんだろうな。」
トレヴィルはオルデンバルネフェルトゾーンが鞍に跨るのを待って、ポルトスに苦々しく言った。ポルトスは愉快そうに笑った。
「あんな事が言えるようになっただけ、ましじゃありませんか。俺とアラミスが教育してやっとここまで…」
「さっさと行け。」
 トレヴィルはポルトスの軽口をさえぎって、オルデンバルネフェルトゾーンを促した。
「ところで、アラミスの身代わり作戦は、うまく行きそうですかね?」
ポルトスがトレヴィルの背中に呼びかけた。トレヴィルは振り返らずに面倒臭そうに答えた。
「うまく行っているだろうさ。お前の同僚たちが、表でわざとらしく、『三銃士が隊長の所に連れてきた外国人が、馬を盗んで逃げ出した』と言い立てているからな。」
 そうして、トレヴィルはオルデンバルネフェルトゾーンを連れてオランダ商館に向かい、ポルトスはアトスの後を追った。




 
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