6.買い手の正体

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 ロシュフォール伯爵が枢機卿の護衛士を引き連れてアラミスの家に乗り込んできたと言う事は、つまりポルトスの家も、アトスの家も安全ではないという事だ。三銃士はオルデンバルネフェルトゾーンを連れて、銃士隊長トレヴィルの屋敷に駆け込んだ。屋敷は銃士の詰め所も兼ねており、いつものとおり人でごった返している。
 アトスは、トレヴィルの秘書レオナールを目ざとくみつけ、その腕を掴んだ。
「トレヴィル殿はいらっしゃるか?緊急で面会したい。」
当然、『急に言われても無理だから待て』と言われると思ったら、意外にもレオナールは、
「ああ、聞いています。」
と言って、三銃士とオルデンバルネフェルトゾーンをトレヴィルの執務室に案内した。
 トレヴィルは来客中だったようだ。しかし三銃士が来たと聞くと、後の事はレオナールに任せてしまった。三銃士がオルデンバルネフェルトゾーンを連れてトレヴィルの執務室に入り、背後でドアを閉めると、挨拶もなしに銃士隊長が言った。
「やれやれ、来たな。ヤン・オルデンバルネフェルトゾーン。そろそろ姿を見せると思ったよ。」
「凄いですね。」
ポルトスが帽子を取りながら言うと、トレヴィルは肩をすくめた。
「どうして来ると分かっていたのか?何せ枢機卿のお尋ね者だからな。」
「そうじゃありません。一発でムッシュー・チューリップの名前を言った事です。」
「うるさい。」
 アトスが言ってポルトスの軽口を遮断した。
「さっきアラミスの家に、ロシュフォールが赤い木偶の坊どもを引き連れて、乗り込んできましたよ。まんまとムッシュー・チューリップを連行していきましたが、一体どういう事です?枢機卿がロシュフォールを動員してまで、オランダ人の植物学者に何の用があるのですか?」
 アトスは核心に迫る問いをしたつもりだが、トレヴィルは怪訝な顔をした。
「連行した?では、この人は誰だ?」
「ロシュフォールが連行したのは、身代わりのグリモーで、この人はオル…ムッシュー・チューリップです。」
「なるほど。」
 トレヴィルは納得した様子で、オルデンバルネフェルトゾーンに椅子を薦めた。問題ばかり起こす不良銃士三人は立ったままだ。
「では、はっきり言おう。枢機卿は、オルデンバルネフェルトゾーンを反逆者として手配している。」
「反逆者!」
オランダ人は椅子から飛び上がらんばかりに驚いた。しかし、アトスは冷静だ。
「リシュリューだって、まさか外国人をフランスの反逆者呼ばわりするほど、図々しくはないでしょう。」
「確かにそうだ。しかし、これはどうだ?」
 トレヴィルは机上の書類をつまみ上げた。
「ルイ・グレーシュ。二年前から反逆罪で手配されている、政治犯だ。偽名は多いが、最新の偽名はブルーノ・ベリオン。」
「ブルーノ・ベリオン!」
 オルデンバルネフェルトゾーンが、再びトレヴィルの言葉を鸚鵡返しにして飛び上がり、椅子をひっくり返した。しかも、そのまま床にしりもちをついてしまっている。
「腰が抜けるほど驚く…の、良い見本だな。」
 ポルトスは暢気に言ったが、アトスとアラミスは顔をしかめた。
「ベリオンと言ったら、ムッシュー・チューリップが球根を売ろうとした相手じゃないか。その正体が、グレーシュだったのですか?」
 アラミスが尋ねると、トレヴィルは苦々しく頷いた。
「そうだ。グレーシュがハールレムのチューリップ栽培協会から大量の球根を買い付けた行為は、彼に課された経済活動規制に抵触している。よって、その相手であるオランダ人も手配されたのさ。」
 三銃士は困った顔になって、床にへたり込んでいるオルデンバルネフェルトゾーンを見やった。オランダ人の顔色は粉でも噴きそうな土色で、唇が震えている。彼は上ずった声でやっと言った。
「そんな、私は知らなかったんですよ!ベリオンさんがそんな、政治犯だなんて!一体、何者なんです?!」
「政治犯というよりは、単にリシュリューの目の敵でしょう。」
 アトスが無愛想に言ってトレヴィルに同意を求めた。
「さぁ、どうかな。グレーシュの正体はあまりはっきりしていないが、スペイン領フランドル出身で、もっぱらスペインのスパイというのが有力な情報だ。枢機卿は政治犯という言葉を使っているが、実際は王妃様の援護を惜しまない男という方が適当だがな。」
「王妃様ですか?」
 オルデンバルネフェルトゾーンが聞き返す。彼の腕を取って立ち上がらせながら、ポルトスが明るく言った。
「ご存知の通り、我がフランスの王妃様はスペイン人だ。そのせいなのか、他にも事情があるのかは知らんが、リシュリューは王妃様をスペインの回し者としかみなしていなくて。事あるごとに難癖をつける。その王妃様を外から援護するグレーシュなんぞ、リシュリューにとっちゃ憎たらしい男だろうよ。」
「でも、でも、私はグレーシュとか言う男には、会ったことがありません!」
 今にも泣き出しそうな顔で、オルデンバルネフェルトゾーンは抗議した。トレヴィルは困ったような顔で訊き返した。
「グレーシュにあったことは無いとして、ブルーノ・ベリオンにあった事は?」
「どちらにしてもありません。球根の大量買付けについては、すべて手紙でのやり取りだったんです。」
「取引は非常に大量で、かなり高額の金が動いたはずだ。支払いはどうなっている?」
「それが…」
オルデンバルネフェルトゾーンはためらいがちに三銃士と隊長を見回した。
「前金だったんです。手形で。手紙で見積もり請求が栽培協会に送られてきたので、球根の値上がり分も込みで金額を出したら、すぐに手形入金されたものですから、もうみんなびっくりで…」
「手形?」
アラミスが聞き返すと、オルデンバルネフェルトゾーンは何度も頷いた。
「最終的には金貨払いで、実際銀行に送金されていたんです。これはもう、信用する以外にないじゃありませんか。それで、私が代表して商品をかかえてパリに出向いたのですが…」
「どうしてムッシュー・チューリップが出向く事にしたんだ?」
アトスは完全にオルデンバルネフェルトゾーンの本名を呼ぶことなぞ、放棄している。
「そりゃ、パリへの留学経験もありますし、言葉も不自由ありませんし…」
「なるほど。では、それほどの高額取引になぜ単身乗り込んだ?危険は感じなかったのか?」
 問い詰めるようなトレヴィルの口調に、オルデンバルネフェルトゾーンはたじろいた。
「でも、ベリオンさんの意向では、目立たないように球根を持ってきてほしいとの事でしたので…それにあの宿屋に宿泊するのも、ベリオンさんの指示だったのです。」
すると、ポルトスがゲラゲラ笑いながら言った。
「そりゃぁ、リシュリューに追いまわされている男だものなぁ?華々しくチューリップを大量に買い付けただなんて、宣伝は出来まい。」
 トレヴィルは、椅子の背にもたれかかり、右手で綺麗に整えられた髭を触りながら言った。
「さてと。このオランダ人さんはどうしようかね。何せ、夕べ手配中のオランダ人を銃士隊員とおぼしき無頼の輩が連れ去ったと、散々枢機卿から文句を言われたんだ。私としては、腹いせとしてすぐにでも突き出したいところだが…」
「ええ!」
 オルデンバルネフェルトゾーンは椅子に座りなおしたが、また金切り声を上げた。
「そ、そんな!リシュリュー枢機卿と言ったら、世にも恐ろしい怪人と言うではありませんか!その屋敷に一歩入ったら二度と出られず、その声を聞いたら廃人になり、その目に射すくめられたら即死するとか…」
「そりゃ凄い。」
アラミスが真面目な顔でオルデンバルネフェルトゾーンに見入った。
「オランダでは、そんな事を言われているのか。」
「違うのですか?」
「あながち全くデタラメでもない。」
 飽くまでもアラミスの表情は真面目なので、オルデンバルネフェルトゾーンは半ば泣き出した。
「ムッシュー・チューリップをリシュリューに引き渡す前に、一つ確認したいのですが。」
 アトスがトレヴィルに向き直って尋ねた。
「夕べ、酒場で待ち伏せしていた髭の男は何者ですか?数日前にリシュリューの屋敷の前で、ロシュフォールと一緒に馬車から降りてきたのを見ましたが。」
「私も良くは知らん。ただ、恐らく国境をまたぐ政治犯専門の内偵だろう。」
「護衛士やロシュフォールとは別動なのですか?」
「基本的にはそうらしい。無論、ロシュフォール伯爵との連絡は密接らしいがな。そうだ…良い機会だから、お前達に言っておく事がある。」
 トレヴィルは声の調子を落とすと、表情を引き締めた。
「お前達は何かと枢機卿の護衛士どもを目の仇にしているが、それはそれで結構。しかし、枢機卿が使っているのは、あの『赤い服の木偶の坊』だけではない。様々な階級、職業、年齢の密偵が知らないうちに身近に居る事がある。彼らは ― いや、男とは限らない。女も居るだろう。
 とにかくその連中は、枢機卿への忠誠心よりも、収入を得るべき労働への忠誠心の方が強い。その方が手ごわいぞ。お前たちのように、毎日楽しく大活躍するのも結構だが、身辺には気をつけろ。これでも、国王陛下と王妃様にお仕えする近衛兵なのだから。」
「丁度良い!」
 突然、ポルトスが叫んだ。トレヴィルの執務室の窓から、外を見やっている。真剣な顔をして忠告をしていたトレヴィルは頭を抑え、同じく真面目に聞いていたアトスとアラミスがびっくりして振り返った。オルデンバルネフェルトゾーンもポカンとしている。
「何が丁度良いって?」
 アラミスがポルトスと一緒に窓の外を見た。ポルトスは笑みで顔を輝かせている。
「ほら、向こうから藁の山を積んだ荷馬車が来るだろう。あれなら使えるぞ!」
「お前、私の話を聞いていたか?」
 トレヴィルの声に、さすがに怒りが加わった。しかし、ポルトスはお構い無しだ。
「ええ、聞いていましたよ。敵もなかなか侮れないという話でしょう。そうとなれば、こちらも迅速に手を打ちませんとね。さぁ、オルデンベルネゴルトゾーン、今度は誰と上着を交換しようか?」
「私の名前は、オルデンバルネフェルトゾーンです!」
「やかましい。よし、アラミスが一番近いな。衣装がえだ!」
「ちょっと待て!」
トレヴィルがたまらず椅子から立ち上がった。
「まさかお前たち、オルデンバルネフェルトゾーンを逃がすつもりじゃないだろうな?」
「そのまさかです。」
 低い声で冷静に答えたのはアトスだった。





 
→ 7.銃士隊長からの逃亡
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