5.海軍提督の行方

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 ポルトスは翌朝、再びアラミスの部屋を訪ねた。表の通りから二階の窓を見上げると、アトスが頬杖をついてぼんやりと外を見ている。アトスはあまり寝起きがよくない。下からポルトスがおはようと声をかけても、無反応だった。ポルトスが階段を上がってアラミスの部屋に入ると、朝だというのに陰気な空気が漂っていた。
 アトスはさっきと同じように外を眺めている。バザンは朝食の準備なのか、姿が見えなかった。椅子にはアラミスが腰掛けて、困った顔でポルトスに合図し、その向かいに座っているオルデンバルネフェルトゾーンは、ハンカチで顔を被って、シクシクと泣いているのである。そしてその脇に立っていたのは、グリモーだった。彼は呆然としてオルデンバルネフェルトゾーンを見ている。
「おはよう。…話は進展したみたいだけど…良い方向ではなさそうだな。」
「ご明察。」
アラミスの顔は笑っているが、声はあきらかにうんざりしていた。
「グリモーがアトスを探しに来たついでに、さわやかなニュースを持ってきてくれた。例の中庭に植えたタマネギ、今朝そろいも揃って、可愛い緑色の芽が出ていたそうだ。」
 オルデンバルネフェルトゾーンは、更によよと泣き崩れた。そして派手な音を立てて鼻をかむと、声を震わせて仰々しく語り始めた。
「こうなってしまっては、隠し立てしてもいたし方ございますまい。全てをお話します。私の名前はヤン・ルデンバルネフェルトゾーン…」
「身の上話は割愛してくれ。」
 ポルトスが真面目腐った声で言いながら、アラミスの隣に座った。するとオルデンバルネフェルトゾーンは、床に置いてある自分の大きな鞄から、一冊の本を取り出した。それをテーブルの上に置くと、大事そうに扱いながら、ページを開いた。
「これは、著名な取引業者エマニュエル・スウェールツという人物が製作、出版した『名花集』という、チューリップの見本帳です。」
「チューリップ…」
 アラミスとポルトスは異口同音に復唱した。そして顔を見合わせると、ポルトスが先に言った。
「チューリップって…まさか、あんたが追いはぎに奪われたタマネギ、チューリップの球根だったのか…?!」
「まさに、そのとおりです。」
 オルデンバルネフェルトゾーンは、世にも哀れな声で言いながら、また目からハラハラと涙を落とした。
「何てことだ…」
 アラミスも半ば呆然として、助けを求めるようにアトスの方に振り返った。しかしアトスは相変わらず窓の外をぼんやりとながめている。ポルトスはあくまでも明るい。
「やったぞ、チューリップと言ったら最近じゃ宝石並みの値段じゃないか。王妃様だの公爵夫人だのが、舞踏会で胸にチューリップを飾るために平気で宝石を売り飛ばすのだから。」
「冗談じゃありません!じゃぁあなた、払戻金を補償してくれるのですか?全部でしめて…2000ギルダーは軽くするんですよ!」
「2000ギルダーって…いくらだ?」
オルデンバルネフェルトゾーンは一瞬視線を天井にやった。
「レイデンのかなり裕福な商人の年収が、1800ギルダーだったという話があります。」
 さすがのポルトスも、二の句が告げなかった。更にオルデンバルネフェルトゾーンは、涙で濡れた頬をごしごしとこすりながら、テーブル上の『名花集』を開いた。そしてあるページを、アラミスとポルトスが見やすいように向きを変えた。
「今回お持ちした球根の殆どが、この『リーフキン提督』です。ああ、あの美しい、貴婦人のような白い地肌に、燃えるように赤い模様…」
 ポルトスとアラミスがその本に納められた、細密画に見入っている間、オルデンバルネフェルトゾーンはうっとりと夢見るように視線を浮かせた。その花の絵は、実物が目の前にあるかのような、美しい仕上がりだった。きっと腕の良い細密画家が描いたのだろう。花びらの一枚一枚が、非常に細かい線で表現され、色も鮮やかに発色している。この本だけでも相当の張りそうだ。
 ポルトスとアラミスがその図象に見入っていると、オルデンバルネフェルトゾーンが手を出して、他のページを開いた。
「そして、これが『ファン・デル・アイク提督』です。麻紐でくくって、別にしてあるはずです。全体の三分の一はこれでした。これもまた非常に美しく、ひときわ貴重で、価値といったら、『リーフキン提督』の五割増は固いでしょう。なにせあの豊かで艶やかな花弁、高貴な立ち姿…」
 ポルトスが植物学者によるチューリップへの賛辞を遮った。
「オランダでは、海軍提督がチューリップの品種を作るものなのか?」
「いえ、単に名前に『提督』とつくと格好が良いから、そうしているだけです。」
 二人の銃士が良く分からないという顔で『提督たち』の美しい図像に見入っている間も、オルデンバルネフェルトゾーンはしばらくチューリップへの賛辞を並べていた。そして、いったん言葉を切ると、再びハラハラと涙をこぼした。
「あの球根は、私が丹精こめて何年も、何年も、何年もかけ、寝食を忘れ、女房が居た事も、女房が逃げた事も忘れて大事に、大事に、大事に育てたものなのです。それなのに、それなのに、あなたがたは…!!」
「待て、待て。」
ポルトスは慌ててオルデンバルネフェルトゾーンを制した。
「あんたがチューリップを栽培している植物学者さんだというのは分かったよ。それをまとめて売ろうと、パリに来たんだろう?要するに、あんたはあの宿屋で、球根を買ってくれるお客のベリオンさんを待っていたのに、一向に現れない。だから自分で出向いたら、途中で追いはぎに遭った。推測するに、追いはぎもせっかく強奪した物がタマネギだったので、失望して道端に捨てたのだろう。…バザンはそれを拾っただけなのだから、無罪じゃないか。」
「私とハールレム栽培協会の損害はどうしてくれるのです?!ベリオンさんに代金を返したら、物凄い損害なのですよ!」
 オルデンバルネフェルトゾーンが泣きながら抗議すると、アラミスが肩をすくめた。
「今朝、無事に芽が出たんだ。花が咲いたら高貴な筋に売れば良いだろう。その筋につてが無いわけでもないし…」
しかし、この提案にもオルデンバルネフェルトゾーンは収まらない。
「いいですか?チューリップは球根の時が一番高いんです!一度土に植えて水をかけてしまったら、価値は何分の一にか…それに、球根を植えるには少し遅すぎますし、無事に花をつける株の数など…」
「どうして自分からオランダ商館へ出かけたんだ?」
 突然、窓の外を見ていたアトスが低い声で尋ねた。顔は相変わらず外を向いている。
「それは…」
凄みのあるアトスの声に、オルデンバルネフェルトゾーンの勢いが削がれた。
「ベリオンさんは、球根が本当に、本当に大事なものだと強調されていたんです。なんでも、この売買を成立させないと、とんでもない事になると…だから、オランダ商館に連絡がきているかもしれないと思って、確認しに行ったのです。」
「フランスの主席国務大臣が係わり合いになるほど、とんでもない事か?」
 植物学者は驚いて言葉を失った。アラミスとポルトスも振り返ってアトスを見やった。アトスは室内の方に振り返ると、すっかり眠気は取れたような顔で言った。
「説明は後だ。とりあえず、今は逃げるぞ。」
「逃げる?どうして?どこへ?」
 アラミスが訊き返すと、アトスは窓の外を指差してから、床に散乱している上着と剣と帽子を拾い上げた。
「ロシュフォールが向かってくる。あの忌々しい枢機卿の護衛士なんぞ引き連れてな。あんたは、上着を脱げ。」
「えッ?」
 オルデンバルネフェルトゾーンは、突然の命令にびっくりしている。しかしアトスは無頓着に続けた。
「上着を脱いで、グリモーの服と交換しろ。帽子もだ。ポルトス、ムッシュー・チューリップを屋根に引きずり上げろ。」

 こうなると、オルデンバルネフェルトゾーンには、自分の名前を訂正する暇も与えられない。黙って上着を脱いだグリモーと服を交換し、帽子も被ると、階下に複数の足音が響いた。ポルトスは窓から屋根に登ると、手を差し出してオルデンバルネフェルトゾーンを引き上げようとした。
「待って、荷物を…」
 オルデンバルネフェルトゾーンは、『名花集』を大事そうに抱え、鞄に入れて担ごうとしたが、それもアトスに奪われてしまった。
「こいつはグリモーの持ち物だ。」
「でも、その本も非常に高価なんですよ…!」
「命ほどじゃあるまい。」
 アトスは乱暴にオルデンバルネフェルトゾーンの首根っこを掴むと、窓の外に突き出した。ポルトスが屋根から身を乗り出し、窓枠に手を出している。
「早く!」
 ポルトスは、おずおずと差し出されたオルデンバルネフェルトゾーンの手を乱暴に掴むと、そのままグイと引き上げた。あせったオルデンバルネフェルトゾーンは一瞬窓枠で脚をふんばったが、すぐにアトスがその脚を手で押しのけた。階下でブーツと拍車が鳴る音がしたかと思うと、その音が一斉に階段を上がってくる。小さな悲鳴が窓の外で響き、オルデンバルネフェルトゾーンの姿が屋根の上に消えた。
 アトスが植物学者の帽子を目深に被ったグリモーを窓際に立たせたと同時に、ノックもなしに扉が開き、赤い制服の男がどっと押し込んできた。同時にアトスとアラミスが抜刀する。最初に飛び込んできた二人は、その剣の下に倒された。
 「犯罪者の摘発だ!手出し無用!」
 大きな声が響いたかと思うと、赤い制服の男達の背後から、黒い服で身を固めた長身の男が前に進み出た。
「礼状でもあるのか?」
 アラミスが剣を構えなおしながら言うと、その黒い服の男 ― ロシュフォール伯爵が苦々しく答えた。
「そんな物は要らんよ、銃士のぼうや。とにかく、そこの…」
 ロシュフォールは窓枠にかじりついている、黒い上着の男 ― 実際はグリモーなのだが ―を指差した。
「オランダ人に用がある。引き渡してもらおう。」
「オランダ人とは、随分な呼び方じゃないか。」
アトスは用心深く部屋に入ってきた男たちを見回しながら言った。
「犯罪者を逮捕するんだったら、ちゃんと名前ぐらい呼べ。」
「じゃぁ、お前が呼んでみろ。」
「俺が逮捕するんじゃない。」
ロシュフォールは不快な表情で、声を荒らげた。
「うるさい。貴様らと下らん掛け合いをしている暇はない。」
 ロシュフォールが合図をすると、階段と廊下に大勢詰め掛けていた赤い制服の男たちが、手に手に剣を持って殺到してきた。グリモーは帽子を抑えて窓の下にしゃがみこみ、それを守るようにアトスとアラミスが応戦したが、所詮は多勢に無勢である。しかも狭い室内とあっては、長い間は抵抗できなかった。あっという間にグリモーは捕らえられ、廊下の外に押し出される。同時に,ロシュフォールが合図して、捕縛者たちはけが人を連れて撤退しはじめた。
「ご苦労だったな、銃士諸君。これで失礼する。」
 ロシュフォールは去り際にそう言い残して出て行こうとした。
「待てよ、ロシュフォール。」
 アトスがいまいましそうに剣を部屋の隅に向かって放り投げた。
「酒場で変な男に絡まれたオランダからの旅行者を助けただけなのに、何だって貴様なんぞがアラミスの家まで押しかけてくるんだ。」
 ロシュフォールは扉を閉めようとして、手を止めた。そして振り返ると、アトスと不満そうに剣を鞘に収めているアラミスを順々に見やった。
「あの男が、何者か知らないのか?」
「名前がオルベンベルゲドルテソーンである事は知っている。」
 アラミスが言うと、ロシュフォールは渋い顔で首を振った。
「知らなきゃ知らないで、関わり合いにはならないことだな。」
 ロシュフォールは勢い良くドアを閉めると、出て行った。アトスとアラミスが窓から外を見やると、赤い制服の男たちがグリモーを馬車に押し込んだところで、ロシュフォールが馬に跨った。彼らは一目散に去っていく。その光景を眺めながら、アラミスがアトスに言った。
「ロシュフォールのやつ、結局名前を言えなかったな。」
 すると、屋根からズルズルとオルデンバルネフェルトゾーンが降りてきた。
「あなたこそ、言えてません!私の名前はオルデンバルネ…あの、手を貸してください。」
 植物学者は屋根から足を下ろして、窓枠を捕らえようともがいている。アトスとアラミスが窓枠から身を乗り出して、オルデンバルネフェルトゾーンの脚を掴み、室内に引きずり込んだ。
「あの人、大丈夫でしょうか?」
オルデンバルネフェルトゾーンは、乱れた衣服を直しながら、アトスに尋ねた。身代わりになったグリモーを気にかけているのだ。
「さぁな。ロシュフォールはムッシュー・チューリップの顔は知らないらしい。どっちにしろ、昨日のあの髭の男が見ればすぐにばれる。」
 アトスは言いながらマントを拾い上げ、肩に巻きつけた。ポルトスが屋根のひさしにぶら下がり、勢い良く窓から部屋に飛びこんできた。
「どうする?アトス。グリモーが偽者だとばれるのは時間の問題だ。」
「移動する。」
 アトスは短く言って、アラミスの部屋から出て行こうとする。アラミスもポルトスもそれに続くが、オルデンバルネフェルトゾーンが当惑気味に食い下がった。
「あの、でも、あの人は…グリモーはどうなるんです…?」
すると階下でアトスがつぶやいた。
「さぁな。腹いせに殺されるかもな。」
「えっ!」
 オルデンバルネフェルトゾーンは真っ青になったが、アトスは頓着せずにバタバタと出て行ってしまう。とまどうオルデンバルネフェルトゾーンの肩を、ポルトスが叩いた。
「なぁに、グリモーのことさ。捕まった先で重宝されて雇ってもらえれば、アトスの従者をやっているより幸せになれるだろうさ。」




 
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