3.困難な自己紹介

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 一番近いアラミスの家に到着すると、バザンがびっくり仰天した。アトスと、自慢の衣装を泥で汚したポルトスが、どこの誰とも知らない男を連れて乗り込んできて、しかもアラミスは居ないのだから無理もない。立ち回ったので腹が減ったとポルトスが喚くので、バザンはブツブツと不平を言いつつワインとチーズ、ハムを出し、簡単な食事の準備を始めた。
 さて。手を洗い、アラミスの部屋のテーブルをアトス、ポルトス、そして例の男が囲んだ。バザンが灯した明かりで、やっと男の人相がきちんと観察できた。
 なかなか立派な風体の男だ。形良く刈り込まれた髭と、豊かな焦げ茶の髪。目は小さく、子供のようにきょとんとした表情をしている。しかし、年のころは四十代半ばだろう。帽子も衣服も黒い地味なものだが、ポルトスの見たところ良い生地を使っている。肩には大きな袋をかけており、椅子に座るときにそれを大事そうに床に置いた。
 「まずは名前からだな。俺はアトス。銃士だ。こっちは、ポルトス。職業は同じく。あんたは?」
 男は『銃士』という言葉と、変な名前に驚きつつ、一つ咳払いをしてから自己紹介した。
「私の名前は、ヤン・オルデンバルネフェルトゾーン。植物学者です。」
 アトスとポルトスは顔を見合わせた。しかし直ぐにアトスは苦りきった顔で、ワインに手を伸ばした。仕方なく、ポルトスが眉を下げて尋ねた。
「ヤンって呼んでも良い?」
「は?」
「いや、なんでもない。」
 ポルトスは額に手を当て、暫く精神を集中してから、おもむろに口をあけた。
「もしかして、オランダの人かい?」
「ええ、そうです。良く分かりましたね、フランス語には自信があるのですが。」
「うん、言葉は完璧だよ。その…植物学者さん…が、どうしてこのパリで、あの男に追いまわされているんだい?」
「いや、その、私にも皆目見当がつかなくて…」
オルデンバルネフェルトゾーンは口ごもった。何か話しにくそうな顔をしている。
「ここに至る経緯ぐらい、聞かせてくれたって構わないだろう。」
 ポルトスがそう言っても、オランダ人はまた少し困った顔をした。その時突然、
「私はいくらか聞いたぞ。」
と、背後から声が聞こえたのでポルトスが振り返ると、そこには憮然としたアラミスが立っていた。
「アラミス!なんて懐かしい!よくここに来たなぁ!」
「私の家だ。」
 アラミスは頬をふくらませながら帽子とマントを取り、バザンに投げてよこした。そしてアトスとポルトスの間に椅子を割り込ませた。
「さてと。名前は?私はアラミス。救出劇には参加できなかったけど、地味な貢献はしているつもりなのだがね。」
 まだ二十歳そこそこで、ほんのりと赤い頬をしている金髪の優雅な男が、とげとげしい調子で言うので、オランダ人はまたびくつきながら言った。
「ヤン・オルデンバルネフェルトゾーン…」
 コップを取ろうとしていたアラミスの手が止まった。そして黙って飲んでいるアトスに訊き返した。
「ヤンって呼んでも良い?」
「俺に訊くな。」
 アラミスは無言でポルトスに向き直った。ポルトスは満面の笑みで得意げだ。
「オルデンバルネフェルトゾーンだよ。オルデンバルネフェルトゾーン、オルデンバルネフェルトゾーン!よし、俺はもう完璧だぞ。」
「オルデンベルベルトゾーン?」と、アラミス。
「オラデンベルゲルトゾーン!」と、ポルトス。
「オルデンバルネフェルトゾーンなのですけど…」と、オランダ人。
「オルデンベルフェゴルトゾーン?」
「オルベンバルズセルファゾーン!」
「オルブンベルフェデルトゾーンだろ?」
「オルデンバルネフェルトゾーンですってば!」
「だから、オルネンベルネバルトゾーンって言ってるだろう。」
 アラミスとポルトスがオランダ人植物学者を相手にわぁわぁ言っている間、アトスはバザンに合図して次のワインを持ってこさせた。

 ヤン・オルデンバルネフェルトゾーンの言う事には、オランダ独立戦争で活躍し、数年前にマウリッツとの政争に敗れて処刑されたオルデンバルネフェルトと彼とは、全く関係が無いらしい。三銃士の前に座っている四十絡みの植物学者は、アムステルダムの近郊の村に生まれ、父親は裕福な革職人だった。叔父も裕福な貿易商だったので、オルデンバルネフェルトゾーンは厚い教育を施され、パリ大学に留学した。
 「フランス語はその時、身につけまして。」
 三銃士にとっては、そんな事はどうでも良かった。しかし、オルデンバルネフェルトゾーンは得意げに続ける。
「最初は医者を志したのですが、生物学が面白くなってしまいましてね、食物連鎖の研究を続ける上で、次第に植物学へ移行し、結局植物学者になって故郷に戻りました。」
「それで、その植物学者さんが、どうして俺達の行きつけの酒場に現れ、アトスも見覚えのある謎の男から命からがら逃げなきゃならないんだ?」
 ポルトスが先を促すが、オルデンバルネフェルトゾーンは警戒するような顔つきになって言葉を濁した。
「お三方とも、銃士って仰いましたよね。銃士って言うのは何です?」
「近衛兵みたいなものだよ。ただ、マスケット銃で武装する、ってだけさ。」
「はぁ…」
 オルデンバルネフェルトゾーンはまだ何か迷っているようだったが、彼よりも先にアラミスが口を開いた。
「さっきの酒場の親父だが。アトスとポルトスがありがたくも私を置き去りにしたせいで、たまったツケを私に請求してきた。親父をどうなだめたかは割愛するとして、逆に私の質問には答えてくれたぞ。」
「どう、なだめたんだ?」
「うるさい、ポルトス。あの酒場は宿屋も兼ねているが、あんたは一週間前から宿泊して、ベリオンという男が来るのを待っていたのだろう?」
 オルデンバルネフェルトゾーンは目を見開いてアラミスに見入った。
「ところが、そのベリオンは一向に来ない。そこで三日前、お前さんは大きな荷物を担いで、宿屋を出発した。ただし、衣服や身の回りのものは宿屋に置いたまま、親父には三日以内に戻ってくると伝言してね。どうだい?」
 アラミスが少し首を傾けて言うと、オルデンバルネフェルトゾーンはため息交じりに頷いた。
「その…お三方とも、私を助けてくださったのですから…隠し立てするのは失礼とは思うので…あの…パリに来たのは、商談のためなのです。でも、本職の商売人ではないので、自分で大事な商品を担いで来たのです…その…とにかく貴重で、珍しい商品なので、早くお客のベリオンさんに引き渡したいのですが、中々宿屋に来ないし…心配になって、商品を担いで出かけたのです。パリにあるオランダ商館へ…何か連絡が来ていないかと。ところが…」
オルデンバルネフェルトゾーンは、悲しげに頭を振り、真剣なまなざしで続けた。
「ところが、パリの町へ行く道すがら、途中でアレに遭ったんですよ!」
「アレ?」
 ポルトスとアラミスが同時に聞き返す。オルデンバルネフェルトゾーンは言葉を捜して、天井を睨んだ。
「ほら、フランス語では何と言うのですか?その…英語で言うハイウェイマン…」
「追いはぎ。」
 黙っていたアトスが、ボソボソと言うと、オルデンバルネフェルトゾーンは、パチンと指を鳴らして、一瞬嬉しそうな顔になった。
「そうです!追いはぎ!追いはぎに遭遇したのです!」
 オルデンバルネフェルトゾーンは再び表情を曇らせた。
「あの酒場を出て、街に行くまでにいくらかうっそうとした森があるでしょう。」
「ブロンの林だな。」
 ポルトスが言うと、オルデンバルネフェルトゾーンは頷いて続けた。
「その林の脇で、白昼堂々、『追いはぎ』が私を襲いまして、大事な荷物を強奪したのです!ああ、なんたる極悪非道!フランスも物騒になったものです!」
 オルデンバルネフェルトゾーンはいかにも不満げに言ったが、アラミスは肩をすくめて見せた。
「そりゃ、あんな人気のない林のわき道を、一人で荷物をかついで…しかも、あんたみたいに、いかにも旅行者ですと言わんばかりの成りで歩いていれば、追いはぎにも遭うよ。無用心だったな。…それで、商品を失って、どうしたんだい?」
オランダ人は悲しそうな顔になって、説明を続けた。
「仕方がないので、そのままパリの街に向かい、オランダ商館に行きました。アムステルダムの栽培協会に事の顛末を書いて送りました。それから、丸三日の間、商館で情報を待ちました。もしかしたら、アムステルダムから、ベリオンさんの消息を伝えてくるかもしれませんから。でも、まったく音沙汰なくて…。仕方なく、宿屋に戻ってきたら、さっきのありさまで…」
 なるほど、と三銃士は顔を見合わせた。それを代表して、アトスが低い声で尋ねた。
「さっき、お前を追いかけてきた髭の男に、見覚えは?」
「ありません。まったく。でも、ただならぬ顔つきで、私に迫って来たので…追いはぎ第二段かと思って逃げ出したのです。でも、大事な荷物ももうないし…」
「それでさっき、『もう持っていません!』って喚いていたのか。」
ポルトスが納得して頷いた。
「なるほど。」
 アトスはもう一口、ワインを口に含み、アラミスに向き直った。
「アラミス。あの店の親父は、髭の男の事を何か言っていたか?」
アラミスは豊かな金髪を指で梳きながら首を振った。
「いいや。ただ、あの髭の男は来店するなり、金貨を一枚渡して、あの席に陣取ったとか言っていた。常連ではないらしい。それよりも、俺達の払いを要求してうるさいのなんの。神に誓って、誉れ高き三銃士は必ず後日払ってやると言うと、罰当たりにも『ますます信用できない』などと言いやがる。とにかく、逃げた男…あんただよ、オルデ…さん。あんたを助ければ、あんたが払ってくれる事になっていると、言っておいた。」
「何ですって?!」
 オルデンバルネフェルトゾーンは真っ赤になって椅子から飛び上がった。
「私は大事な商品を『追いはぎ』に取られてしまったのですよ!お金なんて、その補填以外に使い道など…」
 オルデンバルネフェルトゾーンがわぁわぁ言っていると、アラミスの部屋のドアが開いて、見慣れた顔が入ってきた。
「バザン!居るかい?…ありゃ。」
ムスクトンだった。
「旦那さまたち、ここだったのですか。ジャガイモが安かったので、こちらの分も買っておきましたよ。やぁ、バザン。このあいだの、タマネギのお返しだ。」
ムスクトンは背中に布袋をかついで、奥から出てきたバザンに合図した。
 三銃士は従者たちの健気な物資の共有作業は放っておき、オルデンバルネフェルトゾーンに向き直り、今後の対処について話し合おうとした。
 しかし、オルデンバルネフェルトゾーンの視線がムスクトンに釘付けにされている。ムスクトンは客人のことなどには無頓着で、担いできた袋を床に下ろすと、バザンと一緒に中身を分けてプランシェに届ける相談を始めている。ポルトスがオルデンバルネフェルトゾーンに、声を掛けようとしたその瞬間、植物学者はとんでもない叫び声を上げて椅子から立ち上がった。
「追いはぎ!こいつが追いはぎだ!!」



 
→ 4.タマネギの報い
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