2.青獅子亭の客

The Three Musketeers  三銃士  Pastiche  パスティーシュ


  王冠が道端に落ちていた
  

 三銃士が一番気に入っている酒場は、最近開店したばかりだった。店の名前を『青獅子亭』と言う。三人それぞれの下宿からはほぼ同じような距離にあり、しかも銃士の詰め所からも行きやすかった。諸事情で馬が手元に無いときなど、徒歩でも可能な距離なので、その点も気に入っていた。飲みすぎで歩行不能ともなれば、誰かの下宿に歩いて帰り、三人して転がり込んでしまえば良い。
 ところがこの晩、珍しくポルトスの酒が進まなかった。他の客を気にするのだ。まず最初に、隣に座っているアラミスを肘で小突いた。
 「なぁ、アラミス。あの男、何だと思う?」
普段大きな声で喋るポルトスが、声を潜める。どの男だとアラミスが興味なさそうに訊き返した。
「アトスの後ろの方、三つ向こうのテーブルの男さ。整った髭を生やしている。」
アラミスは座ったまま上半身を伸ばして、ポルトスの言うテーブルを見やった。
「さぁな。でかい剣をぶら下げているから、兵士か何かだろう。」
「変な雰囲気じゃないか?」
「大人しく飲んでいるだけじゃないか。」
 上背のあるポルトスより、アラミスは少し視線が低い。ポルトスの言う、アトス後方に陣取っている男の様子は、よく見えなかった。その上、この店は混んでいる。雑多な格好の兵士、傭兵、商人、その用心棒、旅人、貴族崩れ、裕福そうな農夫などなど、とにかく様々な男達がたむろし、酒を飲んで大声で話したり、タバコをふかしたりしているのである。そんな中で、特に近くに座っているわけでもない男を、ポルトスはまだ気にしつづけている。
「よく見ろよ、アラミス。あいつ、地味ではあるけど中々仕立ての良い服を着ているぜ。袖口辺りに金刺繍を施しているが、あれはかなり腕の良い職人の仕事だ。」
「衣装が気になるのか。」
 アラミスが呆れて笑った。しかしポルトスはまだ肘で小突いてくる。
「それだけじゃない。あの男、さっきから殆ど飲んでいないんだよ。テーブルのワインなんて、飾りも同然だ。店のオヤジは愛想良く話しかけているけど、それにも応えずにむっつりしているし。」」
「お前じゃあるまいし、誰だって多弁って訳じゃない。」
「じゃぁ、何のためにこんな酒場でテーブルについているんだよ。」
「ただの時間つぶしじゃないのか?」
 アラミスはポルトスのしつこさにうんざりし始めた。しかし、ポルトスはまだ食い下がる。
「いいや、あの男はは俺達が来てからすぐに来たんだ。随分時間がたつじゃないか。あんなむっつりした男が、暇つぶしをこんな騒がしい酒場でするものか。第一、なんだか辺りに目を配っているように見えないか?」
「うるさいな、ワインが不味くなるから気にするなよ。なぁ、アトス?」
 アラミスが向かいに座っているアトスに同意を求めた。アトスは黙ったままコップを傾けて、ワインを口に運んでいる。その視線は、目の前に置いた黒っぽいワインの瓶を見つめていた。
「アトス?」
 アラミスが声を低くしてもう一度尋ねると、アトスはコップを持っていない左手で、瓶を少し傾けた。
「あの男…」
アトスは、瓶に映った後方の男を見つめながら、低い声で言った。
「どこかで見たような顔だな。」
ポルトスはそら見ろとばかりにニヤニヤしながら、訊き返した。
「どこで見たんだ?」
「忘れた。」
 アラミスが何か言おうと口を空けた時、突然その男が顔を上げた。三銃士が男の鋭い視線を追って振り返ると、丁度酒場の入り口から旅装の男が一人、入って来たところだった。
 男は素早く立ち上がった。それに気付いた旅装の男の方は、しばらく髭の男の顔をきょとんとした表情で見ている。ところが、髭の男はただならぬ様子で一歩踏み出した。それに気づいた旅装の男は、血相を変えて踵を返し、走り出す。酒場にたむろしていた他の客も、何事かと辺りを見回した。それには構わず、髭の男は旅装の男を追って飛び出していった。
 「馬だ。」
酒場の外で蹄の音が騒々しく鳴るのを聞いてポルトスが言ったのとの同時に、アトスが立ち上がった。
「アトス、どうする気だ?」
アラミスが慌てて尋ねる。
「とめる。」
「とめる、ってどっちを?」
「決まっているだろう。」
アトスはもう裏口に向かって走り出している。アラミスが振り返ると、ポルトスは正面の入り口から走り出ていた。
「仕方が無いな…」
 アラミスも苦笑しながら帽子を取り上げて、まずはポルトスの後を追おうとした。ところが、酒場の主人がアラミスのマントをむんずと掴んだ。
「ちょっと、お客さん!今日こそ御代を払ってもらいますよ!」
「放せ、いま忙しいんだ!」

 ポルトスは酒場から飛び出すと、まず街道を走る人影を探した。夜道だが、拍車がガチャガチャと鳴っている。ポルトスが方向を見定めた頃に、馬に乗り、もう一頭の手綱を引いたアトスが表に回ってきた。
「どっちだ。」
アトスが鋭く尋ねると、鞍に飛び乗りながら、ポルトスが答えた。
「あっちだ。まっすぐ橋に向かっている。」
「俺は後ろから追う。お前、先回りできるか?」
「浅瀬を渡れる。」
 短い言葉の応酬の後、二人はそれぞれに馬の腹を蹴って走り出そうとした。その一瞬、アトスが大声で訊き返した。
「アラミスは?」
「捕まった。」
 ポルトスはもう走り出している。

 ポルトスは自分の記憶を頼りに、街道から外れて川へ向かった。ポルトスは馬をなだめながら川まで下ると、そのまま浅瀬に乗り入れた。ここ数週間、雨が降っていない。馬は動揺することなく川を渡りきった。
「よし、いい子だ。」
 ポルトスは馬の耳元でささやきながら飛び降りると、音を立てないように川上に走った。そして橋までたどり着くと、まず橋の下で懐から短銃を取り出した。暗がりの中でこんなものをいじるのはぞっとしないが、弾を発射するのが目的ではない。
 蹄の音が近づいてきた。ポルトスは橋の下から手を伸ばして欄干につかまると、ひょいと橋に飛び乗った。旅装の男が馬にしがみついて橋に差し掛かったのは丁度その時だった。
 ポルトスは短銃を握り締め、空に向かって一発撃った。辺りに轟音がとどろき、馬が驚いて棒立ちになる。馬上の男が驚いて手綱を引こうとした。ポルトスは短銃を放り出し、馬の前足をよけながら轡に取り付いた。そして思いっきり自分の方に引き寄せようとすると、馬は当然反対側に狂ったように振る。たまらず、馬上の男がポルトスの方に転げ落ちた。ポルトスは男の首根っこをつかみ、もう片方の手で男の口を塞ぐと素早く馬から離れ、そのまま男を掴んだまま橋からとびおりた。
 馬はますます驚き、激しく嘶いたかと思うと、また凄い勢いで夜の闇の中へと走り去った。
 一方、川に落ちたポルトスは、首根っこを掴んだ男と共に、橋の下でじっとしている。男がもがき、何事か叫ぼうとしている。ポルトスは男を押さえつけたまま、小声で怒鳴った。
「命が惜しかったら、もうしばらく黙ってろ!」
 やがて、次の蹄の音が迫ってきた。ポルトスは男を抑えたまま、橋の下で息を潜めている。馬が橋の上まで来ると、一旦止まって辺りを見回したようだった。しかし、川にも人影はないし、第一夜の闇で何も見えない。馬上の男は橋の上でまだしばらく辺りを見回した後、また先に向かって駆け出していった。
 ポルトスはやっと、男の口から手を離した。そして首根っこも解放して立ち上がった。
「やれやれ、行ったみたいだな。アトスはどうしたんだろう。おい、怪我はないか?」
ポルトスは、橋の下で呆然と座り込んでいる旅装の男に尋ねた。しかし、男は暗がりの中でしりもちをついたまま後ずさり、
「も、もう持っていません!持っていません!」
と早口にまくし立てた。ポルトスは苦笑するしかない。
「おいおい、俺は助けてやったほうだぞ。」
言いながら手を差し出したが、男は素っ頓狂な叫び声をあげた。
「ぎゃーっ!!」
「大事な衣装を泥で汚して助けてやったのに、そりゃないじゃないか。」
ポルトスが少々気を悪くしたところで、橋の上から声が降ってきた。
「おい、何やっているんだ。」
 ポルトスが上を見上げると、小さなろうそくに火を点したアトスが立っていた。
「アトス!遅かったじゃないか。」
「あのバカ馬、ちっとも言う事をきかない。」
 アトスは憮然としているらしい。どうやら最近入手したばかりの馬との相性が悪くて、追跡に苦労したようだ。
「さぁ、あんたも上がってこいよ。もう危険はないはずだ。」
 ポルトスに促されて、例の旅装の男はおそるおそる、橋の下から出てきた。アトスの持つ僅かな明かりで、どうやら自分を追っていた男とは、彼らが別人であることが分かったらしい。
「さてと。」
アトスはろうそくの明かりを少し上げて、旅装の男の顔を窺った。
「怪我はなさそうだな。これから行く当ては?さっきの店は駄目だぞ、危険だろうから。」
「いえ…あそこに宿泊していたのですが…」
男は呆然としながら言った。
「とにかく、話を聞かせてもらおうじゃないか。一番近いのはアラミスの家だな。」
 アトスはスタスタと歩き始めた。
「あれ?そう言えば、アラミスは?」
ポルトスが大きな声で尋ねると、アトスがしかめッ面で振り返った。
「捕まった、ってお前が言ったんじゃないか。」
「そうだったか。」
 ポルトスは肩をすくめたっきり、アトスを追って歩き始め、旅装の男も慌ててそれに従った。



 
→ 3.困難な自己紹介
三銃士 パスティーシュ トップへ 三銃士 トップへ

No reproduction or republication without permission.無許可転載・再利用禁止
Copyright(c)2003-2006 Kei Yamakawa All Rights Reserved.