私の履歴書 (中篇)

2001.04.01


 前篇の続き。

性懲りもなくノンケ惚れ

 念願の初体験は終えたものの、二丁目にもハッテン場にも行く勇気が持てず、時間だけは流れて就職。独身寮なんてものに入居してたりして。
 ここは共同風呂だったのでちょっと幸せだったわ。
 っていうか逆に欲求不満を溜め込んでただけだったような気もするが。目の前にあるのに手が届かないなんて。
 そして性懲りもなく、同期入社で、同じクラスで研修を受けてた同僚を好きになってしまいました。やめときゃいいのに。

 大学の頃は同じサークルの後輩に惚れてたわけだから、まあ趣味も共通してたわけで、ある意味、楽だったんだけど、今度の相手は違ったわ。
 だって趣味が、競馬とPC自作。
 今でこそ秋葉原でパーツを買い漁る私だけど、当時は自作なんて興味なかったのよ。まして競馬なんて、全く興味の対象外。

 それでも私は涙ぐましい努力をしました。
 行きたくもない競馬場や場外馬券売り場にも、彼と一緒に行ければ幸せと思ってついて行き、当たるわけもない馬券を買って。
 大井競馬場から満員のモノレールに乗って、
 「うげー。こんでる〜」
 とか言いながら、彼と密着して帰るのが幸せだったわ。(当然、先走り垂れ流しで)

 彼に勧められ、30万円くらい注ぎ込んで最初の PCを組み立てたのもこの頃。
 他の寮に住んでた彼が、組み立てを手伝うために私の部屋に来てくれて、それはもう嬉しかったわ。ちょっと (いや、かなり) 財布が辛かったけど。
 このおかげで、今では PC自作が趣味の一つなの。競馬のほうは全然だけど。

 でもねぇ、いくら惚れたって、ノンケはノンケ。
 何の進展もないまま、別々の部門に配属になって、仕事に忙殺されていつしか連絡も取らなくなって。彼とはそれっきりでした。

ハッテン車両デビュー

 配属された勤務地へ通勤する電車に、幸か不幸かハッテン車両があったのね。
 まあ幸せだったんだけど。
 初めて電車の中で触ってきた相手は、紺のスーツを着た30代くらいの細身のにーちゃんでした。顔は覚えてないけど、戸惑って何も出来なかった私に、いろいろ好き放題やってくれたことは覚えてるわ。
 まあ、そうやってハッテン車両のマナーも覚えつつ、合意に達した相手と途中下車していろいろしてみたり、後日、ビジネスホテルT (最近、なぜかSに改名した)に連行されたりして。
 でも、みんな揃いも揃って、やるだけの相手だったわね。(当然といえば当然)

 ただ、ほら、電車の場合、いつでもやりたいときに確実に相手が見つかるわけじゃないでしょ。よっぽど妥協したり、何往復かしたりすりゃ別だけど。

サウナデビュー

 ハッテン車両で空振りが続いたある日、ついに意を決して新宿大番会館 (一応書いておくけど、有名なハッテンサウナよ) へ殴り込みを決行。ほんと、それくらいの勢いで。
 雑誌の広告で場所はなんとなく見当はついたので、歌舞伎町のポン引きから逃げつつ、燦然とネオン輝く大番会館へ突入。
 方向音痴のため、一時間ほど道に迷ったけどね。やりたい一心で、なんとか辿り着いたの。

 そこで、どんな男とやったのかなんて全然覚えてません。
 ただ、ちんぽが付いててジジイでなければ良かったのよ。誰でも。もう相手が男だっていうだけで興奮できたから。
 一応、HIVの知識はあったから危険な行為は避けたけどね。
 そこで一気に弾けてサウナ娘になるかと思いきや、そうでもなかったの。あの、なんていうの、そう、匂いがダメで。
 ミックスルーム独特の匂いってあるじゃない。
 唾の乾いた匂いと、精液の匂いと、たまにスカトロ界で言うところの黄金の匂いが入り混じったやつ。バックやるんだった準備してから来いってのよ。
 まあ匂いがダメとか言いつつ、何度か行ってたけどね。覚えたての頃ってやっぱりハマるし、20代半ばのヤリたい盛りだし。(中学の頃から盛りが続いてるのね)
 そこで、初体験の相手と遭遇して、なぜか手を引かれて個室に連行されるというイベントもあったりして、経験値 Up。(いいことなのか?)

 そのうち、サウナで知り合った人と電話番号を交換して、相手の家に遊びに行ったりするようになって。
 ただ、今思うと恋人って状態じゃなかったのよね。入場料払わなくても、交通費だけでエッチできる相手。それって単なるセクフレじゃん。

ゲイネットデビュー

 で、その遊びに行ったセクフレ宅で、「薔薇族」か何かのバックナンバーを見てたら、ゲイのパソコン通信ってのがあるって記事が載ってまして。
 当時はインターネットなんて、大学とか一部の企業にしか関係ないもので、庶民が手軽に使えるものじゃなかったの。
 当時の主流は Nifty Serve に代表される商用パソコン通信。
 それとは別に草の根 BBS という形態で、個人が自宅にホストを開局して、メンバーがそこにモデムで接続するというネットワークがあったの。
 その中にゲイ向けのものもいくつかあったのよ。

 これは面白そうだと思って、帰宅して早速、たまたま近所でホストが運営されていた UC-GALOP に加入してみたの。
 いくつかあったゲイの草の根BBS (いわゆるゲイネット) の中から UC-GALOPを選んだ理由は、電話代が 3分 10円圏内だったので通信費が安いって点と、アクセスそのものは無料だったって点。ああ当時から貧乏性。
 今思えば、これが運命の岐路だったのね。ここで ガービィに加入してれば、また別のヤリまくり人生が・・・じゃなくて。ゲイネットに加入したこと自体が運命の岐路。

 当時のログが、なぜか今の PCの HDDに残ってるんだけど、今見たら 1995.08.13 に加入してんのね。IDは UCG1632。
 遥かな過去の話だと思ってたのに、たった 6年前のこと。
 ってことは、私のゲイ歴ってまだ 6年弱なのか。
 UC-GALOP加入以前は、ホモセクシャルとしての自覚はあったけど、「ゲイ」として肯定的に自分を捉えることができたのは、UC-GALOPで同年代のゲイに会えたからなの。
 それまでは、ハッテン車両やサウナなんかで性欲を解放するだけの、ただの隠れホモだったんだよね。知り合う人もみんな似たような感じだったし。
 そのまま行けば、そのうちヤリ部屋、伝言ダイヤル、公園、ビーチあたりを制覇して、男漁りだけで満足しつつ、嫌々ながら偽装結婚して、ノンケを演じて一生終わっちゃってた可能性もじゅうぶん考えられるもの。

UC-GALOP

 メンバーがみんなゲイとレズビアンってことで、いったいどんな淫乱な書き込みに溢れてるのかと期待しつつ、UC-GALOPの書き込みを読んでみたら、むちゃくちゃ拍子抜け。
 だって、Niftyの雑談系の会議室と変わらないような書き込みが大半だったんだもの。そりゃ一部にはスケベ系の書き込みもあったけど、それがメインってわけでは全然なく。

 当時の UCは、月に 1〜2回くらいのペースでオフ会をやってたの。
 それもスタッフが企画するだけじゃなく、メンバーの中で希望者が幹事をやって、自分の好きなようにオフ会を開催してたのね。
 何度か書き込みをして、だんだん雰囲気に慣れてきてから、思い切って初めてオフ会に参加してみました。
 ネットのオフ会自体は、Niftyあたりで何度か経験してたんだけど、UCの場合、集まるのは全員ゲイかレズビアン。
 囲まれてマワされちゃったらどうしよう (ありえない) とか、場違いなこと言っちゃってオネェ言葉全開で罵倒されたらどうしよう (結構あり得るかも) とか、不安と期待を抱えつつ、いざ行ってみたら、みんな「普通の人」(普通って何?)でした。

 そこで 10代後半〜30代前半くらいの、学生やサラリーマンとして普通に (だから普通って何?) 生活してる人と知り合って、いろいろ話しをして。みんな楽しそうにしてたんだよね。自分も楽しかったし。
 初めて、欲望の対象ではなくて、等身大の人間として、自分以外の同性愛者と接することができたような気がしました。

 その後、機会があればオフ会に参加して、電話番号を交換するような友達もできて。36.2℃からリンクしてるSASとかJJと知り合ったのもこの頃かな。
 あと、UCの中で彼氏なんかできたりもして。(半年で別れたが)

 だめだ、終わらん。
 後編に続く。


極楽通りに戻る | ホームページに戻る

ご意見、ご感想はけーたまで