私の履歴書 (後篇)

2001.04.02


 中篇の続き。

二丁目デビュー

 UC-GALOP加入前に、ハッテン車両で出会った人に一度だけ連れてってもらったことがあったんだけど、そのときは全然楽しくなかったのね。フケ専バーだったし。

 ちゃんとした二丁目デビューは、UC-GALOPのオフ会の後、メンバー数人と一緒に行ったタックス・ノットでした。
 マスターのタックさんも UC-GALOPのメンバーだったし、上品で落ちついた雰囲気のバーだったし。何よりこの店、コーヒーが飲めるという稀少なバーで。酒がほとんど飲めない私にとっては、非常に居心地が良い楽しいバーでした。

 そのうち、UC-GALOP主宰者のブル (斎藤靖紀)が、タックス・ノットのカウンターに入るようになったり、UC-GALOPも月イチくらいのペースで、二丁目で貸し切りカフェをやるようになったり。
 UC-GALOPの友達に会いに行くために二丁目に出るってパターンで、すぐに二丁目に行くことに抵抗はなくなりました。
 思っていたほど、クネクネしたオネェさんも多くはなかったし。むしろ絶滅種として保護したほうがいいくらい。

 そして、UC-GALOPの友達に連れられて、いろんなお店に連れてってもらったり、行ったお店で知り合った人に、別のお店に連れてってもらったりと、だんだん行動半径も広がって行きました。(最近、狭いけど)

 そのうち、インターネットの庶民化によって草の根BSSも下火になり、気づいたら UC-GALOPは Upper-Campという貧乏女装集団に変貌してて。
 自分は人前で女装してショーをやるような才能はないので、客としてイベントを見に行くだけになっちゃったわね。

 しかし、最初の頃は
 「ドラァグクイーンは女装とは別モノなの!」
 って啓蒙活動してた筈なんだが、今じゃ自ら貧乏女装集団を名乗ってるのよねぇ。
 ついでにこの際だからカミングアウトしとくと、実は一回だけ、肉乃小路ニクヨが誕生した伝説のオフ会、UCドラァグ・カラオケオフに参加して、カラオケボックスでメイクしてヅラかぶって衣裳を着た後 (すげえ迷惑な客) 、Ace (当時はDelight) へ乗り込んだことがあります。ショーやったわけじゃなく、フロアで踊ってただけだが。あああ書いちゃった。あ、そういえばノンケ友人の結婚披露宴でも、余興として化粧にヅラで歌ったことがあったな。)

 草の根BBSとしての UC-GALOPが閉局してからは、ネットで画像収集する程度しかしてなかったんだけど、そのうちもの足りなくなって自分のWebサイトを作り始めて。
 それが、この 36.2℃ です。

まとめのようなもの

 こうやって振り返ると、24歳でUC-GALOP加入する前の人生って、ゲイとしてはすっげーつまんねー生き方だったね。そもそも最初に「さぶ」買ったのが 20歳で、ハッテン場デビューが就職した後だから 23歳か。
 若いというだけでちやほやされる時期を、見事に不遇のまま終えてる。(号泣)

 ただ、当時と現在じゃ状況がかなり違うのよね。
 何より大きいと思うのがインターネット。
 こんなふうに、ある程度の匿名性があるとはいえ、ゲイが自分の言葉で意見を公開できる状況って、以前はすごく限定されていたと思う。
 当然、同性愛者が、自分以外の同性愛者の意見を見聞きしたりする機会も、今よりはずっと少なかったでしょう。
 身近にゲイの友人を作るなんてのは、自分の中のホモフォビアを乗り越えて二丁目に足を踏み入れた人くらいしか出来ることではなくて、そうじゃなきゃ、せいぜい雑誌の文通欄で知り合いになるくらいで。
 大多数のホモは、せいぜいハッテン場の暗闇で男漁りをするくらいで (新木場や小坪っていう明るい場所もあるけど)、それすらできない人は、隠れてホモ雑誌を買ってオナニーするくらいしかなかったんじゃない?
 雑誌を買うという行為に出れた人はまだマシなほうで、それすら出来ずに男への欲望を抱えているだけの人もいたでしょうね。20歳前の私がまさにそうだったから。

 今だったら、PCを買ってインターネットに接続する環境さえ手に入れれば、個人がやってるゲイサイトなんて嫌になるほどあるし、ゲイの出会い系サイトもいっぱいあるから、最初の一歩のハードルってかなり低くなってると思うんだよね。

 あとメディアの影響としては、91年に伏見憲明さんの「プライベート・ゲイ・ライフ」が出版されたり、93年にTVドラマ「同窓会」が放映されて、それ以前よりもゲイに対する認知度が上がったのは確実でしょう。それ以前はメディアに出て来る同性愛者って、おすぎとピーコ、美輪明宏、ピーターくらいじゃなかった?大オネェと女装よ。すごいイメージの偏向。

 メディアといえば、雑誌の性質が変わったってのもあるわね。
 80年代以前のホモ雑誌 2大巨頭といえば「さぶ」、「薔薇族」だけど、完全な「ホモのためのエロ本」だったもの。
 売りは、抜くためのグラビアと、エロ小説にコミック、文通欄。今の「Badi」に代表される、ゲイ向け総合情報誌的な性格は無かったな。
 「Badi」に読者が顔を出すようになったってのもここ最近のことで、昔の雑誌は編集者ですら自分の顔なんか出さなかったからね。
 「顔」が見えるのはグラビアモデルだけで、綺麗なグラビアの中にいる「モデル」は、オナニーのための道具であるだけで、自分と同じ生きてる人間として見ることはできなかったと思う。

 その「Badi」だって最初の頃は、今みたいに読者がガンガン顔出しなんてしてなくて。
 実は一回だけ、ゲイ・サラリーマン座談会って企画に出たことがあるんだけど (自慢ね) そのときもスーツの首から下しか誌面に出なかったの。
 それが今では、「Badi」に顔出ししてるゲイなんて嫌になるくらい沢山いて、ステータスでも何でもなくなっちゃったわね。
 だいたい、ゲイじゃない人が見るかもしれないってリスクはあるにせよ、顔出ししたかったら自分の Webサイトに好きなだけ画像を追いときゃいいし、そのリスクを減らそうと考えるなら MNJのフォトメに出すって手段もあるもの。
 あ、こっちは某匿名掲示板でクソミソに叩かれるリスクはあるか。

 話を「Badi」の読者顔出しに戻すと、雑誌の作り手だけじゃなくて、読者側の意識も以前よりは格段にオープンになってるのね。
 現実問題としては、ノンケのゲイに対する意識って、実は昔とそんなに変わってないのかもしれないけど、ゲイ側の、特に最近の20代前半くらいのゲイの意識って確実に変わってると思うのよ。

 例えば大学のゲイサークル。
 大学生ナイトのWebサイトからリンク辿れば分かると思うんだけど、1991年設立の古株、早稲田の 「GLOW」をはじめとして、慶應の 「giks」、東大の「東大モトクラシー」、外語大の「BGLtufs」、横浜国大の 「Channel-G」など、いろんな大学にゲイサークルが出来てるのね。
 まあサークルの性質上、大っぴらに勧誘活動できなかったりして苦労もあるだろうし、そういうサークルにすらアクセスする勇気の持てない若いホモの子もいっぱいいるだろうけど、ゲイサークルって存在があるとないとでは、やっぱり大きな違いだと思うのよ。

(追記。これを書いた時点からサークル名が変わってたり、消滅したり新しく出来たりしてるみたいです。)

 自分が大学生の頃に、こういうサークルの存在を知っていたら (GLOWは当時からあったけど)、銭湯で見知らぬオジサンに誘われて初体験なんて悲惨な (でもないか) 事態にはなってなかったと思うのよね。
 いや初体験だけの話じゃなくて、もっと早くゲイとしての自覚を持てただろうと思うし、若いというだけでちやほやされる時期 ( しつこい ) を無為に過ごすこともなかったはず。
 ああ悔しい。戻れるものなら、あの頃に戻ってやり直したい。
 ラグビー部の部室で輪姦されたい。(ケツできないだろーが。それにゲイサークルとは無関係)
 キャンパスを友達と大オネェぶっこきながら闊歩してみたい。(それだけはやめとけ)

 って、実際戻ったとしても、ネットも携帯電話もない頃に戻ったら、同じようにクローゼットなホモ人生を繰り返すだけなんだろーな。
 そんな状態に戻るのは絶対に嫌だわ。

 でも仮に大学生の頃から二丁目に出てたとしたら、今とは違う人生だったかもしれないとは思うわ。いい人生か悪い人生かはともかく。
 まあ、あの頃さんざん悩んだり、後に UC-GALOPと出会ったりして今の自分があるんだから、これはこれでいいのよね。

・・・

 あー強引なまとめだわ。
 しかも全部まとめて読み返したら、文体がオネェになったり素がでちゃったり、途中で脱線したり脈絡ない話に飛んだり。ひどいもんだわね。
 でも今さら手を入れる気にもなれないし、2001年の春先に考えたこととして、このまま公開しちゃいましょう。

 この長ったらしい個人的な話を最後まで読んでくれた方、ありがとうございました。


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