10月7日 霧のち曇
福島が近くなって新幹線の窓から外を見ると空はきれいに晴れ渡っていたが、なんの因果か吾妻山だけは雲に包まれていた。福島駅西口から磐梯吾妻スカイライン経由のバスで浄土平に向かう。途中高湯温泉あたりから紅葉が始まっていて、不動沢や天狗の庭あたりは見事であった。しかしそれより上は雲の中であった。
10:48 浄土平を出発(高度計:1650m, 温度計:20.5℃)
浄土平の大きな駐車場は観光バスやらなにやらで大賑わいだ。しかし今日はガスは濃く、目の前にあるはずの吾妻小富士すらも見えない。日差しがないこともあり寒く、熱いウーロン茶を買ってテルモスに入れ、浄土平を出発。
11:54 一切経山に到着(2015m, 17.1℃)
一切経山へは、石がごろごろした広い道を登る。登る人は結構多く、半分くらいは軽装の観光客といった感じだ。途中から少しずつガスがとれてきて、ほぼ完全に晴れたところで、一切経山に到着した。
山頂は広く、大勢の人がいた。『健康づくり』なるゼッケンをつけた人もおり、地元の集団登山のようだ。
五色沼は山頂のすぐ真下なのでよく見えた。沼の周囲の木は赤く色付いていて美しい。しかし雲がないのは山中だけで、東は完全に雲の中、西方も中吾妻山くらいまでしか見えなかった。
12:13 一切経山を出発(2005m, 18.1℃)
今日の行程はまだ長く、あまりのんびりしていられない。写真を撮って行動食を少し口にし、早々に一切経山を出発した。12:53 家形山(1940m, 17.2℃)
一気に下って五色沼のすぐ横を歩き、短い急な坂を登るとすぐ家形山。ここで五色沼と別れ、展望のない樹林の中の道になる。10分ほど平坦な道を歩くと泥道のゆるい下りになる。14:42 烏帽子山に到着(1940m, 17.8℃)
延々と泥道を歩き、ゆるやかに登ると烏帽子山に到着。予定時間より少し早く着けて、ほっと一安心。山頂からは南側の展望が開け、草紅葉の谷地平が見渡せた。一切経山以来の石の山で、休憩に最適。久しぶりに乾いた石を見た気がした。
昭元山への下りもしばらく大きな石の転がった道。そして最低鞍部から再び泥道が始まった。
15:49 昭元山着(1955m, 16.2℃)
山頂は西南の方が少し開けている程度であまり展望はない。もーいー加減にしてくれと思わずつぶやいてしまうほど、樹林の中の泥道が延々と続く。アップダウンがさほどないのがせめてもの救いと言えようか。しかしふと気づくと予定時間をはるかにオーバーしており、夕暮れも近く、時間との戦いとなってきた。
17:01 東大巓にようやく着いた(1965m, 10.9℃)
17時は当初の小屋到着予定の時間だ。ずいぶん遅くなってしまった。山頂は登山道から少し入ったところにある。案内板も小さく目立たないのでうっかりすると見過ごしてしまいそう。今日はもう遅いので山頂は省略することにし、行動食をとりヘッドランプを首に下げてすぐに出発。
数分下ると弥兵衛平への分岐で、そこから木道が現れる。4時間近く格闘した泥道とようやくおさらばできたのだった。
17:39 明月荘に到着(1885m, 13.0℃)
曲がりくねった朽ちた木道を行くとやがて湿原になり、明月荘に到着する。小屋の周りにはテントがいくつか張られていた。どうやら小屋は混雑しているようだ。しかしこのテントはあまりの混雑ぶりに小屋を脱出した学生パーティのテントで、我々2人はその6人が抜けた2階に入ることができた。明月荘にて
小屋の2階は大宴会場と化していた。5-6人のパーティが3つばかり、大騒ぎしながら飲んでいる。いつもは厄介に思うのだが、これなら遠慮せずに室内で夕食がとれるので逆にほっとした。そんなわけで、夕食は18時半ころになってしまった。際限なく続くのではないかと危惧された宴会だが、19時になってひとつのパーティがお開きになり、まるでそれが合図であったかのように、すべてのパーティが就寝の準備に入った。プロだな、と思った。満員の小屋は暖かかった。テントの感覚でセーターなど防寒着を何枚か持ってきたのだがまったく無駄で、Tシャツのままシュラフのジッパーを開けて寝られた。小屋の威力を思い知った気がした。
ふたつ隣のパーティが皆たばこを吸っていたのには閉口した。天井が高く煙が直撃しなかったのでなんとか我慢できたが、梁に渡してある棚に置いておいたカッパが翌朝にはすっかりヤニくさくなってしまったのは困った。うかつだった。ちなみに他のパーティは誰も吸っていなかった(たぶん)。
水場は10分ほど下ったところにある金明水。水は、夕食と翌朝食の調理の分を合わせても足りそうだし、到着も遅かったのでその日は汲みに行かなかった。