奈良メジャーコース 2004年2月27日-29日

プラン

職場の近くの近ツリで宿の手配。初日に奈良市内を歩き、2日目に飛鳥や室生寺に行き、3日目に京都に寄って帰るという大ざっぱなプランにしたので、宿は奈良市内ではなくて八木あたりが便利だろうと思った。
しかし近ツリの往復新幹線込みのパックだと、奈良盆地南部の宿は橿原ロイヤルホテルしかないという。その南の契約旅館だと吉野になってしまう。橿原なら大好きな当麻にも行きやすいので、橿原に2泊することに決めた。

2月27日(金)

今日は市内の有名どころ、東大寺・興福寺と、できれば博物館にも行きたい。そのあとは薬師寺と法隆寺に行きたい。唐招提寺は修理中だから今回は外すことにした。
新横浜 - 京都間の新幹線は2時間ジャスト、8:30に着いてしまった。京都からは近鉄に乗り継ぎ奈良へ。特急料金をケチって急行に乗ったら10時を過ぎた。うーん、これじゃあ予定を全部見てまわるのはムリだなあ・・・

東大寺戒壇院

メジャーコースの手始めに東大寺へ向かう。定石どおり南大門から入ろうと思っていたのだが、登大路を歩くと排気ガスがすごい。文化財が傷んでしまうじゃないか。とか言う前にのどが痛くなってしまったので、道をそれて戒壇院から周ることにした。決してメジャーとは言えないけど、東大寺の一部には違いないのでよしとしよう。それにここの四天王像は大好きで、奈良に来るときはいつも必ず寄っているのだ。
戒壇院は予想通り静かだった。この四天王は何度見てもいい。20年ほど前、初めて見たときは4体とも壇の内側(つまり厨子の方)を向いていて、拝観者は壇上に上がって真正面から同じ目線で見ることができたのだが、その後全員が南面する今の形になってしまった。戒壇堂で何十年に一度だかの得度の儀式が行われたときに配置を変えたそうだ。これでは後ろのやぶにらみの二人がよく見えないのがちょっぴり残念。次の儀式のあとはどうなるのだろうか。
気が付くと30分も経ってしまった。

正倉院

正倉院正倉
正倉院正倉(国宝)
三月堂に向かってぶらぶら歩いていると「正倉院正倉一般公開」の看板が目に入った。歴史の教科書に必ず登場する、あの正倉院だ。平日の10時から15時の間だけ、門を入って正面から正倉を眺めることができる。眺めるだけで無料。しかし門が開いていないときは周りの高台から塀越しに遠く眺めるしかできないのだ。寄っておいても損はないだろう。
実物はかなりでかく、数十m離れた位置にもかかわらず、カメラになかなか収まりきらない。もっと近くに寄って見られれば、柱の太さなどの迫力も味わえるだろう。

二月堂から三月堂へ

二月堂へ続く道
二月堂へ続く道
大湯屋のあたりから二月堂への、土塀が続く道の雰囲気が好きだ。二月堂では3日後に迫ったお水取りの準備が続いていた。ここには好きな仏像はないのでスルー。
お目当ての三月堂は意外にも静かで、団体がいないのが不思議な感じだった。堂内には大きな仏像がところ狭しと並ぶ。ここも大好きなところで、いかにも衆生を救ってくれそうな堂々とした不空羂索観音と、静かに佇む日光・月光菩薩が特にお気に入り。周りには、他のお堂に単体で置いてあったら間違いなくスーパースターになるであろうすばらしい国宝仏がうじゃうじゃいるのだが、この3体が強烈過ぎて、どうにも印象が薄くなってしまう。 気が付くとまた30分経っていた。

三月堂(法華堂)

東大寺法華堂
東大寺法華堂(三月堂)(国宝)
外に出て屋根を見上げる。三月堂は、天平時代のお堂に、鎌倉時代に礼堂を強引に合体させた珍しい建物としてよく知られている。二つのお堂の境目は一発でわかる。組物もまったく違っているし、屋根の境目の下に樋があるのだ。

鐘楼

東大寺鐘楼
東大寺鐘楼(国宝)
大仏殿へと向かう途中で鐘楼の前を通る。柱がもんのすごくぶっとい。
外国人の団体がしきりに写真を撮っていた。日本人は「大きいねえ」とか言いながら素通りだ。我々日本人は、東大寺というとやはり大仏やお水取りといったイメージが支配的で、こういったものにはあまり注意が行かないのだろうか。そういえば自分もこの建物をこんなにしげしげと眺めたのは初めてだった。
木組みが実にユニークだ。梵鐘を吊っている梁がなにしろ豪快に太く、度肝を抜かれる。建造は鎌倉時代、栄西の頃である。板壁がないのは音響を考えてのことという。

梵鐘

東大寺梵鐘
東大寺梵鐘(国宝)
中に吊ってある梵鐘がまたばかでかい。鋳造は大仏鋳造と一緒の752(天平勝宝4)年。そんな昔にこんなものが・・・
直径なんと2.7m。ということは鐘の中で大の字に寝転がることができるということか。高さはなんと3.8m。ということは、鐘の中で大人が肩車してもまだ余裕があるということか。重さは・・・26t。いったいどうやって吊り上げたんだろうか・・・
なお、鐘は今も使われており、毎日午後8時に鳴らしているということだ。

東大寺金堂(大仏殿)

東大寺金堂
東大寺金堂(大仏殿)(国宝)
大仏殿は、正式名は金堂。
わかりきったことだが、でかい。あまりにも大きすぎて、大小の感覚がおかしくなってしまう。組物も凄まじく、もう圧倒されっぱなし。ちょっと飾りがごてごてしているのがいかにも江戸時代の建物っぽいが、大筋では鎌倉期の天竺様を踏襲している。

盧舎那仏坐像(大仏)

盧舎那仏坐像
大仏殿(国宝)内部と大仏(国宝)
大仏は、本名を盧舎那仏という。盧舎那仏でほかに有名なものとしては唐招提寺のものがある。
わかりきったことだが、でかい。すでに大小の感覚が狂っているのに、大仏を前にしてさらにくらくらと目眩のようなものに襲われた。これは宗教的な高揚感から来るものなのか、それともただ単に上を見上げ続けすぎたからだろうか? 姿かたちをよく見てみると、なんだか顔が下手くそなのは江戸期のものだからだろう。
順路は大仏をぐるっと時計回りに一周する。光背を真横から見るとこれまた分厚い。大仏殿の柱の数もまたすごい。文字通り林立している。そして縦横に梁がめぐらされ、さながら鉄パイプをびっしりと組んだ工事現場のようだ。当然だが、一本一本が太い。いやーなにしろすごい。

南大門

東大寺南大門
東大寺南大門(国宝)
南大門へ。中で有名な仁王が睨んでいるが、この仁王は乳首が気持ち悪くてあまり好きではないので、目を合わせないようにしてこそこそと通り過ぎた。
逆に、門は大好きな建物。7段階にせり出した豪快な組物(この場合は六手先むてさきという)の独特のリズム感がいい。
ちょうど昼になったので、目の前の交差点の角にある三山という店に入り、軽く茶粥を食べた。東大寺を見ただけで昼になってしまったので、興福寺に寄ってから、博物館にも薬師寺にも行かずに法隆寺を目指すことにした。

興福寺国宝館

続いて興福寺へ。まず東大寺から一番近い国宝館に入る。ここのアイドルは阿修羅像。拝観券の写真にも使われているし、売店にも写真がいっぱい。陳列ケースの前ではぼーっと見とれている人をよく見かける。
もちろんいい仏像には違いないが、かつりんの好みはもっと時代の下った鎌倉時代の写実的な彫刻で、天燈鬼・竜燈鬼金剛力士像法相六祖像など。竜燈鬼の筋肉の緊張感、脚の踏ん張りが堪らなくリアル。ずーっと見ていても飽きない。
目に止まったのは銀造仏手。肘の回りから手首までだけの、仏像の残骸だ。解説を見ると、像高は2mはあったのではないかという。2mというとほぼ等身大。そんな銀の仏像とは・・・うーん、見てみたい。

興福寺東金堂

興福寺東金堂と五重塔
興福寺東金堂(国宝)と五重塔(国宝)
次に、すぐ近くの東金堂へ。こちらは国宝館と違ってやや地味で、拝観者も少なく落ち着ける。建物はのっぽでなんだかバランスが悪いような印象を受けた。室町の再建だが、古代の様式で建てられたものという。本尊の薬師如来は室町の仏像で、はっきり言って出来が悪いと思う。
しかし周りの仏像はどれも素晴らしい。十二神将は、手をかざして遠くを見ているヤツがいるかと思うと、アイーンしているヤツがいたりして、動きや表情が豊かで、見ていておもしろい。
四天王は西川きよしもびっくりのぎょろ目が特徴。ずんぐりとした体型のせいか、怖い中にもそこはかとなくユーモラスな雰囲気が漂う。とんでもなく窮屈な姿勢で踏みつけられた邪鬼がまたいい。
ここでの白眉は維摩居士だろうか。眉間の皺の超リアルな描写は、先ほどの国宝館にもいた法相六祖像を思わせる。

興福寺南円堂・北円堂・三重塔

興福寺北円堂
興福寺北円堂(国宝)
興福寺三重塔
興福寺三重塔(国宝)と昼休み中の人
東金堂を出て、五重塔を見やりつつ、南円堂へ。西国三十三箇所の札所であり、いつも賑わっている。背が高い上に屋根の傾斜がきつく、あまりバランスのいい建物ではないなあ。
北円堂はごく近く。こちらは年2回の特別開扉期間以外は門が閉ざされており、ひっそりと静まり返っている。3段の長押がちょっと煩い感じ。
南円堂の裏を通って三重塔へ。ここは窪んだ場所で袋小路のようになっているため、訪れる人はほとんどいない。と思っていたが、そばで寝転がって本を読んでいる人がいた。そういえばちょうど昼休み時間だ。初重がその上に比べてとても大きく、そのせいか、三重塔というよりは多宝塔を見ているのと同じような印象を受けた。

法隆寺へ

近鉄奈良駅のバスターミナルへ行くと、意外にも法隆寺行きのバスは少なく、次の便は1時間近くない。そこでJR奈良駅からJR線で法隆寺駅まで行き、そこから歩くことにした。駅から法隆寺まで20分くらい。
拝観前にまず門前のiセンター(観光案内所)に寄って、帰りのバス時刻を確認してから西院へと向かった。

法隆寺中門

法隆寺中門
法隆寺中門(国宝)
南大門をくぐりまっすぐ進んで中門に。有名なエンタシスの柱が実に美しい。高欄の「人」字や「卍」の模様もユニークだ。
また、この門はとても珍しい構造をしている。それは間口の開き方だ。柱が5本で、中央が2間開いている。普通は柱を6本か4本にして柱間を奇数にとり中央に間口が開くのだが、ここは真中が柱なのだ。その理由については様々な説があるようだが、五重塔金堂それぞれに対等に間口を開いたという考えが一番合っているように思う。法隆寺の謎を解くという本に、これは回廊をぐるりと巡るときの入口と出口ではないかという説があります。この説も合っているように思います。)
門の近くにある伽藍配置図(96K)を見て、西から順に回ることにした。

西院の西

法隆寺西円堂
法隆寺西円堂(国宝)
西の一番奥まった、一段高いところに西円堂がある。さきほど見た興福寺北円堂に比べると、とても質素な印象だ。
ここからは五重塔が真横に見える感じで、屋根の勾配がゆるやかなことがよくわかる。また、眼下には三経院・西室の長ーく続く屋根が見える。

法隆寺五重塔

法隆寺五重塔
法隆寺五重塔(国宝)
回廊より中に入る。
まず目の前の五重塔へ。六重に見えるが一番下は裳階もこし、つまり補助的な庇である。屋根を見上げると、雲の模様の組物がおもしろい。飛鳥時代に特有のもので後の時代の建物には見られない組物だ。
初重の四面が開けられて内部を見ることができる。内部には塔本四面具がある。薄暗いうえに前面に金網がかかっているので見難いことこのうえないが、94年に昭和資財帳の完成を記念して開催された「国宝法隆寺展」に出品されたときは間近に見ることができた。塑像というからつまりは粘土でできた人形なのだが、この描写が素晴らしい。特に北面の涅槃像土では、釈迦の入滅に際して号泣する周囲の人たちの表情や仕草がとてもリアル。奈良時代の表現技術の豊かさに感嘆することしきりである。

法隆寺金堂

法隆寺金堂
法隆寺金堂(国宝)
隣の金堂はこの寺の中心的な建物。三重に見えるが一番下はやはり裳階。上重の屋根を支える支柱は元禄時代の補修によるものとか。そういえば竜が巻きついてるあたりは江戸好みか。
内部拝観は東面から入って裳階の内を南に回り西から出る。ここを歩くと裳階が付属物だということがよくわかる。内陣はめくるめく国宝仏の世界だ。本尊釈迦三尊は止利仏師の代表作だ。アルカイックスマイルに心が和む。しかしかつりんはどちらかというと本尊の向かって右、螺髪らほつがない方の薬師如来の方が好きだ。本尊よりももっと柔和で親しみを感じる。まるで四つ子のような四天王とその足元の邪鬼もお気に入り。ここまでデフォルメされてる邪鬼ってそうそうないのでは。

西院伽藍

法隆寺大講堂と鐘楼
法隆寺大講堂(国宝)と鐘楼(国宝)
法隆寺回廊
法隆寺回廊(国宝)
回廊に囲まれた空間は西院伽藍の中核で、五重塔金堂があるほか、回廊に連なる中門大講堂鐘楼経蔵があり、すべてが国宝指定の建造物だ。また、五重塔内部の塔本四面具金堂内部の10体余りの仏像、大講堂の本尊薬師三尊が国宝指定であり、平等院鳳凰堂と並ぶ国宝マニアの聖域だ。
目まいにも似た陶酔感に浸りつつ、次なる国宝の文字通りの宝庫、大宝蔵院へと向かう。

法隆寺綱封蔵こうふうぞう

法隆寺綱封蔵
法隆寺綱封蔵(国宝)
回廊を出た東側にも国宝建築が並ぶ。
聖霊院は西側の西経院とそっくり。しかも西経院西室に連なるように、こちらは東室と繋がっている点も似ている。しかし西側はふたつで1棟の建物となっているのに対して、この東側は別々になっている。
綱封蔵は倉庫。三綱さんごうという役職の僧が封印を管理したからこの名前なのだとか。窓は全くなく、形は正倉院正倉を思わせるが、校倉造ではない。また、中央が吹き放しになっているところも違う。境内の真ん中にあるとちょっと不思議な感じのする建物だ。

大宝蔵院・百済観音堂

法隆寺食堂
法隆寺食堂(国宝)細部
妻室綱封蔵の間を抜けていくと、大宝蔵院がある。向かいには食堂細殿と軒を連ねて建っている。柱が描く模様がリズミカルでおもしろい。
大宝蔵院は百済観音堂を中心とし、西宝蔵・東宝蔵と連立してコの字を形成している。西宝蔵から入って百済観音堂・東宝蔵と時計回りに拝観する順路になっている。扉は東博平成館のような回転扉。のろのろ回る扉に焦れながら入ってみると、素晴らしい設備にちょっと驚く。整った空調や落ち着いた色調の照明は、ひとつの寺の宝物館というよりは都会の美術館を思わせる。以前の大宝蔵殿はスリッパ履きで、薄暗くて寒かったような記憶があるのだが。
そしてもちろん、設備以上に素晴らしいのはその展示物だ。入ってすぐ、西宝蔵には壁一面に仏像がひしめき合っている。部屋の中央の専用ケースには、夢違観音(ちょうど東博に出品中で模造品だった)、玉虫厨子。続く百済観音堂には百済観音が祀られている。東宝蔵に渡ると、専用ケースには橘夫人念持仏百万塔。壁面は伎楽面などの工芸品が中心。
解説も丁寧だ。たとえば玉虫厨子の宮殿屋根部の垂木は放射状に伸びているが、これが実は五重塔金堂よりもなお古い建物の形式であることが書かれていた。よく見ると組物も屋外の建物そっくりで、五重塔などと同じ雲形の肘木が使われていることに気付く。
出口には、使われなくなった雲形肘木が展示してあった。意外に大きかった。

法隆寺東大門

法隆寺東大門
法隆寺東大門(国宝)
東院へ向かう途中で東大門を通る。西院の大伽藍と宝蔵院の名宝を見た後では単なる通過点の印象になってしまうが、れっきとした国宝建築。そして実はちょっと不思議な門。中から上を見上げると、屋根が二つあるように見える。けれども外から見ると普通にひとつの屋根なのだ。これは三棟造みつむねづくりという珍しいもので、見落とさずにじっくり堪能したい。また、奈良時代に建てられた門は非常に貴重だ。

法隆寺東院

法隆寺東院夢殿
法隆寺東院夢殿(国宝)
中宮寺のポロンちゃんにも会いたかったが、拝観時間はとうに過ぎていたので素直に東院を拝観する。ここの中心はもちろん夢殿。先ほど見た西円堂よりずいぶん大きい。先日読んだ「宮大工と歩く千年の古寺」に軒の処理について解説があったので、ぜひ実物を見たかったところ。八角円堂では屋根が直線のところがないので垂木の処理が非常に難しいということである。軒の美しさが見所ということだ。なるほど。とは思ったものの、わかったようなわからないような。
中を覗いてみると、期間公開の救世観音厨子は閉まっていたが、行信・道詮坐像がその傍らに鎮座しているのが見えた。この2体もなかなかよい仏像だ。
東院には他に鐘楼伝法堂のふたつの国宝建築があるが、伝法堂は工事中であった。

宿へ向かう

そういえば修学旅行の生徒がいなかった。2月末じゃあ当たり前か。にしても、法隆寺で制服の中高生に全く会わなかったのは不思議な感じだった。帰り際に南大門から振り返ると門の額縁の中に中門・五重塔・金堂が見えるのがいかにも法隆寺な眺めだと思った。「土門挙の古寺巡礼」にもこんな感じのがあったっけ。
17:03発の奈良公園行きのバスに乗り、途中の筒井駅前で下車。近鉄線に乗って橿原神宮前へ。宿は駅のすぐそばだった。通された部屋は「備長炭癒しルーム」とやらで、木炭混じりの壁掛けクロスなどが飾られていた。
夕食は最上階のスカイレストラン橿原で、フレンチのコースをいただいた。味付けは軽めだったが、前菜のテリーヌやごぼうのポタージュなどのアイデアが面白く、美味しかった。ワインの品揃えもなかなか充実しており、大好きなニコラ・ポテルがあったので、'00年のポマールを注文した。しかし、ワイングラスが街の洋食屋で使っているようなありきたりの小さなものだったのはちょっと残念。このクラスのワインだったら、リーデルのヴィノムシリーズくらいのものでサーブしてほしかった。
食後に地下の大浴場で温泉につかった。大浴場は2つあり、男湯は岩風呂だった。ここもアメニティ系は木炭だらけだった。

2月28日(土)

今日のコースをいろいろ考えて、飛鳥めぐりは止め、室生寺と当麻寺に行くことにした。どちらも大好きな寺だ。
朝食は7時から、1階のラウンジで。和洋中なんでもありのバイキングだった。ホテルの朝食バイキングというと品数も少なく貧相というイメージを持っていたが、ここはきちんとしており、しっかり食べた。スープはごぼうのポタージュだった。

室生寺へ

室生寺正門
太鼓橋を渡ると室生寺正門が見える
ほぼ8時に宿を出る。大和八木で乗り換え、室生口大野駅に着いたのは8:30過ぎ。8:45にバスが出る。しかも時刻表をよく見たら始発バスだ。ちょうどいいのがあってよかったぁ。乗客はわれわれの他に1人だけ。その人もともに室生寺で降りた。予想どおり道は閑散としていた。車で来ている人もほとんどいないようだ。静かに散策できそうで嬉しい。
バスを降りてまず帰りの時刻をチェック。今は9時。9:35発だと時間が少なすぎるから、その次の10:15だな・・・ん?・・・それ逃したら11:55?・・・ということは、往きの8:45のバスに乗れなかったら、昼までここで足止めを食っていたということか。バスの時刻を調べないで行ったのだが、まったくラッキーだった。

室生寺弥勒堂

鎧坂の石段をゆっくり登り、金堂の正面に出る。左には弥勒堂。本尊は弥勒菩薩だが、厨子がちょっと暗い。それより右の間で煌々と照らされている釈迦如来坐像の方が、客仏だがずっと引き立って見える。風格がありながら、柔和な体躯。威厳がありながら、慈悲に満ちた面立ち。なんと仏らしい仏だろう。

室生寺金堂

室生寺金堂
室生寺金堂(国宝)
続いて金堂の中を覗きこむ。柱間3間の内陣にずらりと仏像が並ぶ。中心となる5体の、向かって一番左におわしますのは、室生寺のアイドル十一面観音。なんというか、艶っぽい。妙に生身の人間っぽい雰囲気。それはほっぺたの膨らみ具合によるものか、それとも白目の白がはっきりしているためか。美しい仏像だ。
5体の前列に十二神将。表情が豊かだ。「ナンダロナー」と考え込んでいるヤツや、「カトちゃんペッ」をしているヤツなど。
いずれの仏像も、見事に彩色が残っている。特にメインの5体の板絵光背は素晴らしい。また、中央の本尊釈迦如来立像の後ろに隠れてほとんど見えないが、板壁に描かれた伝帝釈天曼荼羅もある。

室生寺五重塔

室生寺五重塔
室生寺五重塔(国宝)
石段をさらに上がると本堂がある。しかし心はすぐその上の五重塔に飛んでいた。
台風で壊れた後、復活してから初めての対面。丹塗りも鮮やかに、見事に甦っていた。しかし相棒Kは、美しすぎる丹塗りがあまり好きでないようだ。もうちょっと枯れている方がいいという。
屋外に建つ五重塔としては国内最小のものであることは有名だが、昨日は東大寺大仏殿興福寺五重塔のような大建築を見てきたので、余計に小さく見えるように思う。

室生寺本堂(灌頂堂)

室生寺本堂
室生寺本堂(灌頂堂)(国宝)
おっと本堂を忘れるところだった。正面に回って見てみるが、しかしなんだかみすぼらしい。それは世にも美しい五重塔と見比べたからというわけではなくて、屋根の上で伸び放題に伸びている雑草のせいだ。五重塔の修理に資金を注ぎ込んでしまったせいだろうか・・・99年の復興勧進特別展「室生寺のみ仏たち」はたいへん混雑していたのに、それでも本堂に費用を充てるまでには至らなかったのだろうか?

再び室生寺五重塔

室生寺五重塔
室生寺五重塔(国宝)細部
五重塔をじっくりと見物。
屋根の勾配が緩いこともそうだが、「地円飛角」の組物も古式を残している。赤・白・黄のトリコロールとこの軒が独特のリズム感を生み出している。
まさに可憐。「空から舞いおりた清らかな女人」と評した人もあるが、なるほど上手いことを言うものだ。

栄山寺へ

室生寺の拝観を終えて、室生口大野に戻ったのは10時半。当麻寺に行くには早すぎる。その前にもう1ヶ所どこかに寄れそうだ。
そこで、以前から気になっていた五條市の栄山寺に行くことにした。今回のテーマである「メジャーコース」とは思いっきり趣旨が違うが、栄山寺には八角堂があるので、昨日見た法隆寺夢殿などとの八角堂つながりということで。
近鉄の高田駅からJRの高田駅まで歩いて和歌山線に乗り換え、五条まで。駅からの栄山寺方面のバスは非常に少ない。歩いて25分という表示を見つけ、歩くことにした。道はとってもわかりやすく、国道をずっと高田方面に行き、途中で標識に従って右に折れるだけ。結局20分で着いてしまった。

栄山寺梵鐘

栄山寺梵鐘
美しい形の栄山寺梵鐘(国宝)
拝観受付を済ませ、ちょっぴり荒れ気味の境内に歩を進めると、すぐに左側にコンクリート造の建物があり、中に梵鐘がある。
銘文が菅原道真撰・小野道風書と伝えられ、また神護寺・平等院とともに「平安三絶の鐘」とされるなど、いかにも格調高そうな謂れに満ちている。また、ちょっぴりスリムな美しいプロポーションが評価が高い。高さ157cm、口径89cm。ということはあの巨大な東大寺梵鐘の半分弱の大きさということか。
説明書きに「数少ない国宝中の国宝」とあったが、いったいどういう意味だろう。

栄山寺八角堂

栄山寺八角堂
栄山寺八角堂(国宝)
本堂を過ぎて八角堂へ。天平の八角堂は法隆寺夢殿とここだけにしか残っていない。
夢殿に比べるとかなり細身で、すっきりとした印象。を見ると室生寺五重塔と同じく地円飛角に組んである。地垂木は、円といっても楕円のようだ。しかしこの屋根は実は明治時代の復元修理によるもので、それまでは草葺だったそうだ。
正面扉が開いており、中を見渡すことができる。四角形の内陣があり、その柱や天井には壁画が残っている。保存状態が悪くとても見難い。

栄山寺本堂

栄山寺の住職は写真家であり、本堂の裏にギャラリーを造って八角堂内部壁画の写真を展示している。飛天などの、どアップの写真が多く、それがどの辺に描かれたものなのかわからないのがちょっと残念ではある。剥落がかなりひどく、全身が残っている飛天はひとつもない。

当麻寺へ

13:30の五条行きバスに乗り、駅のひとつ手前のバスセンターで降りた。バスセンターは国道沿いのスーパーサティに隣接しているので、そこでちょっと遅めの昼食をとるためだ。JRは1時間に1本で、次は14:29。レストラン街でのんびりとうどんを食べた。
サティから五条駅までは歩いて5分とかからない。i-modeの乗換案内にしたがって、御所で降りて近鉄御所まで歩き、そこから尺土 - 当麻寺と乗り継いだ。あとで調べたら、やはり吉野口で近鉄に乗り換えて阿部野橋行きに乗ったほうが10分以上も早かった。
駅から寺へは歩いて10分程度。門をくぐると目の前に梵鐘の看板が。これで今回3つ目の国宝の鐘だ。日本最古の鐘と書いてある。でも確か、亀裂がはいったりして危険なので下ろして保管してあるんじゃあなかったっけ?・・・鐘はかなり高い位置にあり、網もあるし暗いしで、よくは見えない。

当麻寺本堂(曼荼羅堂)

当麻寺本堂
当麻寺本堂(曼荼羅堂)(国宝)
一番奥に進んだところに本堂がある。寄棟の屋根と、リズミカルな平三斗の組物が印象的だ。境内は自由だが、堂内拝観はここで受付をする。
まず本堂内部を拝観。内陣にも入れ、当麻曼荼羅厨子をぐるりと一周できる。厨子の柱や須弥壇は模様が美しく、往時はきらびやかだったことだろう。本尊の当麻曼荼羅は拝観不可で、代わりに室町時代文亀年間に模写したという文亀曼荼羅が入っている。投げ銭防御策か、金網が張ってあって見難い。

当麻寺金堂・講堂

当麻寺講堂
当麻寺講堂(重文)
次は金堂にまわる。ここの本尊弥勒仏坐像は白鳳仏の傑作として知られている。興福寺の旧山田寺仏頭によく似た面立ち。よく「若々しい」「溌剌」と言われるが、本当にそうかなあ。ふっくらとした肉付きは、たしかに子供っぽい感じはするけれど。
本尊もいいがここは四天王がおもしろい。ひげを生やしてマントを着けており、ちょっと西洋人のような雰囲気。また、踏まれた邪鬼の苦しみ具合がいい。
続いて講堂へ。ここにはあまり好きな仏像はないが、本尊の阿弥陀如来はいい感じ。

西南院

当麻寺東塔・西塔
みはらし台より当麻寺東塔(国宝)・西塔(国宝)を望む
西南院は塔頭のひとつで、拝観料は別になる。しかしそれでも入る理由は「みはらし台」に行きたいから。ここからは東塔西塔が並んで見えるのだ。また池泉回遊式の庭園は目の前の西塔を借景としているのがよい。
ところで、かつりんは当麻寺に来ると方向感覚がちょっとおかしくなる。東西の塔が、メインの参拝順路から外れた山際に並んでいるからだ。こんな配置になったのは、山の向こうに大昔の大街道のひとつ、竹内街道が通っており、寺が街道に向かって南面して門を開いていたからだ。しかしその後、浄土信仰が盛んになると、人々は東から西に向かって、極楽浄土を描いた当麻曼荼羅を参拝するようになったのだ。現在でも東から西に向かうルートになっており、だからこんなヤヤコシイことになってしまった。

当麻寺東塔・西塔

当麻寺西塔
当麻寺西塔(国宝)
当麻寺東塔
当麻寺東塔(国宝)
当麻寺は、創建時の東塔西塔が両方揃って現存している唯一の寺だ。はた目にはそっくりな両塔だが、なんとなく印象が違う。東塔の方がなんだか軽やかな感じなのだ。
それは、二重・三重の柱間の数によるのではないか。東塔は2間だが、西塔は3間だ。柱間が少ないということは、それだけ組物が少なく、すっきりしているということ。そこから軽快感が生まれるのではないか。

当麻の道

民家の塀
民家の塀には大黒や恵比寿が
東塔西塔の間を行ったり来たりしていたら17時を過ぎてしまった。
ぶらぶら歩いて駅へ戻る。道沿いには古い立派な民家が多く、塀の角には大黒や恵比寿の飾りが置いてあったりする、楽しい道だ。駅のガラスの仕切りには当麻寺の両塔の水煙のレリーフが埋め込まれているので、東西の模様の違いがよく観察できる。駅前の中将堂本舗で夜のデザートに中将餅を買ってからホテルに戻った。
夕食はホテルの地下の和食にしたが、混雑していたので19:30まで待たされた。その間に風呂に入った。男女入れ替えてあり、今日は桧風呂だった。
さて夕食だが、刺身はまあよかったが、「春の坂道」とかいう酒が猛烈にまずかった。ひょっとして保存が悪かったのではないかと後にして思った。コースではなく単品で注文したので前日のフレンチフルコースと同じくらいの値段になってしまった。かなり酔っ払ってそのまま爆睡。

2月29日(日)

朝から雨。予報では昼過ぎに止むという。昼頃に京都に着けばいいやと思っていたが、折角だから少し早めに出て、博物館でもうろうろしようかということになった。
昼食はとらずにレーションで歩くつもりで朝食をしっかり食べる。

京都

近鉄特急で京都へ。京都行きは本数があまり多くない。昨晩爆睡したために食べられなかった中将餅を車内で食べたりしていると、1時間もしないうちに到着。とりあえず情報収集のため観光案内所へ行く。折角早めに着いたから、博物館だけじゃなくていろいろまわろうということになり、市バス1日乗車券を買う。1人500円で一日乗り放題なので、3回乗ったらもう元が取れる計算だ。
さてどこに行こう。今日の最大の目的は妙法院なので、東山界隈がいいだろう。メジャーコースの趣旨に則って、銀閣寺に行くことにした。

慈照寺(銀閣寺)東求堂とうぐどう

慈照寺東求堂
慈照寺(銀閣寺)東求堂(国宝)
バスを降りてびっくりした。三年坂のあの修学旅行べったりの土産物屋街が大嫌いなのだが、ここもそんな雰囲気だった。前からこんなだったっけ・・・ 雨も降っているし、気分がすっかり萎えてしまった。
銀沙灘ぎんしゃだんから銀閣をバックに記念撮影に余念のない人々を尻目に、我々は東求堂を目指す。この建物は書院造の最も古いもので、四畳半の間取りの始まりと言われる部屋がある。外観は極めて簡素でつまらない。やはり書院は内部を見てこそおもしろいのだと思うが、立ち入りはできないようだ。
れっきとした国宝だし、パンフレットにも銀閣と同じスペースを割いて説明書きがあるが、みなあまり興味はないようだ。足を止めたのは我々のほかにわずか1組だけだった。

慈照寺銀閣

慈照寺銀閣
慈照寺銀閣(国宝)
池を反対側に回ると銀閣をよく見渡せる。記念撮影をする人がいなかったので、立ち止まってじっくり見物することができた。それにしても銀閣ってこんなに黒かったかなあ、と思った。屋根の端の処理が、孫庇のような感じでおもしろかった。1階と2階の形が違うのだろうか。
たまたま掃除の時間だったのであちこち開け放しており、裏に回ったときには中の階段が見えた。結構急そうだった。
気が付いたら12時になんなんとしていた。

知恩院

知恩院本堂
知恩院本堂(国宝)
知恩院三門
知恩院三門(国宝)
続いて知恩院。境内は自由で、本堂にも自由に上がれる。大きな屋根の迫力が凄い。東大寺の大仏殿とはまた違う種類の大きさというか。さすがは徳川家の菩提寺である。左甚五郎の忘れ傘を探していたら首が痛くなった。
三門も大きく、白く塗られた垂木が印象的だ。三門としては日本一大きい。
いつの間にか雨が止んでいた。

妙法院

妙法院庫裏
妙法院庫裏(国宝)
「京の冬の旅」による特別公開の妙法院が本日のメイン。
まずは庫裏から拝観。中に入って上を見上げると、小屋組の迫力にみな感嘆の声をあげていた。ぶっとい自然木が縦横に組み合わされた、豪快なジャングルジムだ。高さは19mあるといい、一番上の煙抜きまではしごが付いている。この煙抜きは窓を開閉できる仕組みになっているが、実は単なる煙り出しではなく、見張り台の役目をしていたのではないかという説もあるのだとか。そのためかどうか、一段低いところにもうひとつ本物の(?)煙抜きがあるのだ。
続いて大書院の狩野派の障壁画を見て、宝物庫へと進む。宝物庫には、西洋由来のもので唯一の国宝であるポルトガル国印度副王親書があった。ポルトガル語なのでさっぱりわからない。訳文がついていてよかった。他には後小松天皇宸翰や秀吉の手紙類など。秀吉の字はおっそろしくきたなく、判読に苦労した。
宸殿へまわり、再び庫裏に戻って拝観は終了。

智積院

智積院庭園
智積院庭園(名勝)
時刻は14時。新幹線が15:26なのであまり遠くには行けないため、すぐ隣の智積院に。有名な長谷川派の障壁画は専用の収蔵庫にある。スイッチオンで説明テープが流れるので、それを聞きながらぐるりと鑑賞した。ふたりとも等伯の楓図が一番の好みという結論になった。
収蔵庫を出て名勝庭園へ。石橋が印象的な庭だ。面積は決して広くないが奥行きを感じさせるのは技術が高いということか。つつじの季節がいいということだ。

三十三間堂

蓮華王院三十三間堂
蓮華王院三十三間堂(国宝)
まだ時間があるので、もうじっくりは見られないが三十三間堂に寄って帰ることにした。京都では東寺と並んで大好きなところ。時間がないのでほとんど中を歩いただけとなったが、あの千体仏の空間に浸れるだけでもよいのだった。
京都駅には15時ちょっと過ぎに着き、駅弁を買って車内で食べた。すぐに爆睡してしまい、目が覚めたときは新横浜のすぐ手前だった。
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